はてなキーワード: 開成高校とは
俺の中でやっぱり子供は学校に行かなければいけないという結論に至った。
14歳で東大合格レベルの灘高生や開成高校の子も高校に行く無駄な時間を削って高認でとかもいいと思ったけどやっぱりダメだ。
かったるい時間でも18までの時間はあの窮屈な教室に通う時間を過ごさないとダメだ。
自分なりの処世術と言うか、感情が崖から落ちない落とし所を探す為の時間。
引きこもり→高認→高学歴を何人か見てきたが、身近な人間との関係なら何とかやれても取引先とかちょっと遠いけどこちらから気を遣わないといけない人間関係は思春期の子供みたいに全然ダメな人が多い。
自分の感情を守りつつ周囲と軋轢を生まないための訓練が圧倒的に足りていない。
Xを見ていると、低学歴教育ママを叩いているようなアンフェが、東京都の私立高校が無料で通えるにようになった!と言って批判している。
ああ、低学歴教育ママって用語を使う人たちは、制度を理解できないんだなあ、と実感。
東京都の高校授業料無償化とは、子供が私立高校に通う親に、支払った授業料の一定額を都からキックバックするということ。
一方、開成高校の初年度納入金は112万円程度。
差額の64万円は自分で支払わないといけない。
つまり、奨学金をもらって大学に行くような家庭では、どのみち金持ち私立には通えない。
なのにXでは、無料で開成高校に通える、みたいな勘違いをしている人ばっかりで、もう日本人全員が低学歴教育ママになったみたいだ。
はてなーは公立中学は動物園って言うけど、東大合格者ランキング上位の中高一貫校、たとえば灘とか開成高校のような学校だって、意外に思うかもしれないが十分に動物園である。トイレでタバコを吸う、近所の女子高の生徒の胸を触る、痴漢をする、授業をサボってラーメン屋にいく、授業聞かずに私語、修学旅行先の旅館の大浴場でカップラーメンを作って遊んで汚す、走行中の車にゴミを投げつける、万引き、もうあげていったらキリがない。
俺は公立動物園の方のサルだったが、超難関私立動物園の方のサルたちとは塾が同じで、そこで意気投合して遊んでいた。俺は最初真面目なサルだったが、彼らと遊ぶうちに真面目なことがカッコ悪いと思うようになり、犯罪行為こそしなかったがタバコを吸う、授業をサボってそいつらと遊ぶ、教師を見下すなど堕落していった。勉強は続けていたが東大には落ちた。一方で、一緒に遊んでいた超難関私立の奴らは全員余裕で受かっていった。
浪人という辛酸をなめ、大学、大学院、就職先で才能のある奴らと競争してやっと俺は気がついたのだが、真面目に生きよというのは凡人のための知恵である。凡人に遊んでいる時間などないのである。ふざけず、サボらず、目の前の師に教えを乞うてがむしゃらに努力し続けることでやっと、才能のある怪物みたいな奴らの背中が見えてくる。凡人が堕落した生活をしたらただ堕落するだけだから、とにもかくにも真面目に生きよというのを、昔の人は教訓に残したのである。
中学高校の受験が義務教育をベースにしてるのは問題だと思います。
制度という名の建前上では絶対評定から相対評定に変わりましたが、教育の格差が無くなったわけではありません。
むしろ受験によるふるい分けには格差はあってもらわないと困るのです。
だから学校は一生懸命に教えないのです。教えるふりはするでしょうけども。
本当に一律に義務教育の内容を理解させる気があるんだったら「100点取れるまで卒業できま10」みたいにしてくれないと筋が通りません。
たとえ開成高校の受験問題だろうが義務教育を履修した人間ならば全員が時間内に満点取れるというのが義務教育の趣旨であり理想です。
なぜなら開成高校の入試範囲は中学卒業までに習ったことを範囲としているからです(これは東大の入試問題が高校卒業までに習うことを範囲としていてそれ以外のことは問わないことと対応しています)。
でもさっき書いたとおりそうすると困るのは教育者側です。これが制度との矛盾です。
そのうえ法律で保障しているのは「受けさせる義務」であって「受ける義務」でないのも問題でしょう。だからこそ、形式的に履修させたら理解度に関わらず卒業という、本末転倒なことになっているわけです。
受験に義務教育の範囲を絡ませるべきではありません。義務教育とはすなわち「日本で生きるならこのくらいは知っておけ」というものなのですから、そこに知識の格差を前提とした受験を絡ませているのは根本的な矛盾です。
であるとすれば、より高度な「知らなくてもいい」ことで競わせるしかないでしょう。法律も変えるべきです。
私も義務教育完璧に理解できなかったから社会生活上で損してるところがあると思います。
しかし社会人になってからの独習には厳しいものがあります。義務教育で扱うような根本的で基本的な事柄こそ、人に付いて教わるのでなければ誤った理解をしがちです。
フィクションのキャラクターの定番属性の一つに『極端な低身長の天才』というものがある。
実年齢自体が周囲より低い場合もあれば同年代にも関わらず異様に身長が低い場合もあるが、どちらの場合も非現実的な存在、フィクション性の高い存在としてキャラクタライズされているケースがほとんどだ。
何故非現実的な存在として扱われるのか。フィクションと異なり現実日本の教育制度は年齢主義であり、優秀な生徒の飛び級が存在しない事も理由の一つとして挙げられるだろう。しかし、本質はおそらくそこにはない。
『天才』『極端な低身長』という属性がそれぞれ独立している状態なら「身近にはいなくても、一つのパラメータが極端なだけなので現実の延長線上で想像がつく」が、『天才かつ極端な低身長』ともなると「極端なパラメータが複数あるので人となりを想像出来なくなる」、これが本質ではないだろうか。
ゆえに、フィクション性を纏わされる。謎のひみつ道具を持ち歩かされ、こんな事もあろうかと用意周到が過ぎる人物にされる。
だが、私はそのようにフィクションを纏わされる『極端な低身長の天才』達に、親近感を覚える。
何故なら、私がそうだからだ。
私は極端な低身長だ(った)。
「成長ホルモン分泌不全低身長症」、これが私の健康診断票にいつも書き込まれていた病名だ。
症状は文字通り。原因は分かっていないらしい。
治療法も、成長ホルモン製剤の注射という対症療法的な物だ。極度の低身長という症状が明確に現れないと発覚しないものだから、身長が一般的な範囲に盛り返すまで時間がかかった。故に少年時代はチビなショタだった。治療を終えた今でも、身長は低く童顔な方だ。
毎晩の成長ホルモンの皮下注射というものは、子供心に結構辛かった。自分だけが遭わされる不条理というものと隣り合わせで育ったものだから、随分世の中は不公平なものだと絶望してしまった。
あと注射をしていたケツと太ももが心なしかデカくなった。安産体型ショタだぞ、抜けよ。
そして、私自身これを自称するのは鼻について好きではないが、少なくとも周囲からの評価を総合すると、私は天才だそうだ。
個々人の積み上げた好奇心と歴史と研鑽と努力と熱意を不可視化し、天からのギフトなどと矮小化する天才という単語はこの世で最も嫌いな単語なのだが、はてさて秀才ではつよそう感がイマイチ足りないので仕方なく天才という単語を使う。
3歳の時には、お遊びでジグソーパズルを裏面を向けたまま完成させて大人を驚かせたそうだ。私自身、出来そうだと思って挑戦し実際に成し遂げて満足した記憶がある。
看板から成分表まで活字があれば何でも読み込む子供で、よく迷子になっていた。漢字も自然に覚えたため、小1の時点で小6の教科書を漢字含め読めていた。
大人しくさせるために買い与えられたマンガ、百科事典や国語辞典の類は、それはもう食い入るように読み込んだ。寝食を忘れて読み込んだ。寝食忘れの自己最高記録は、確か留守番中に叩き出した27時間連続だったか。中国の8日間絶食読書兄貴には敵わないが、中々な記録だろう。勿論それが健康に悪いことも理解していたので、以降は気をつけるようにしたが。
全国模試でも算数や理科で何度か1位を取った。満点なのだから当然同率1位だ。中高以降は恩師のおかげで現代文も得意になったので数学、現代文、物理で経験した。
そんなんだから、大した勉強もする事なく通学圏内最高峰、数十年東大進学者数首位の開成中学校に受かった。なんか受かったから行くわ!wが正直な感想だった。
真剣に受験勉強をしていた、しかし活字中毒などの変態性はなかった学友が残念ながら麻布や東邦止まりで(勿論これも十分凄いのだが)、この時に適性の無い者へも無意味な苦難を強いる学歴社会への明確な嫌悪感を覚えた。
開成の同級生は大きく3タイプに分けられた。勉強する事が大好きで大好きで仕方がない変態と、私のように勉強は好きでも嫌いでもないが活字や知識にのめり込む気質のある変態と……学歴の威光に取り憑かれた愚かな親の犠牲者となった、凡人だ。
学歴主義を刷り込まれた凡人達に、私は恐怖と憐れみを感じた。真面目に勉強した事もなく学校や塾も寝がちだった私にとって、青春を擦り潰して校外でも毎日8時間勉強するという価値観は理解出来なかった。
そこまでして一体、一体何になるというのだ。毎日1時間、1ヶ月ほど勉強するだけで適当な資格は彼らなら余裕で取れるだろう。職に困らないために学歴を取る、なんてのはおよそコストとリターンが釣り合っていない。
私は彼らが怖くて、大学は全く関係ない某美大に学歴パンチで進学した(ここを詳細に書くとマジで特定されそうなので勘弁してくれ)。そもそも私の夢自体、漫画家とかゲームクリエイターとかのクリエイター方面だったし。
私が開成に通った途端に学歴に取り憑かれた金だけしかない親には美大進学は猛反対されたが、教育虐待で警察に駆け込むと脅したら反対しなくなった。中高当時に親から受けていた拘束を思えば、実際駆け込めば成立していただろう。
ここまで見て分かるように、私の『極端な低身長』属性と『天才』属性に、一切の因果・相関関係はない。だからこの属性が偶然重なる確率は非常に低い。
開成中学合格者数は一年ごとに400人弱、当時の小6男児の日本人口約60万人で割ると1500分の1。そこに成長ホルモン分泌不全低身長症の15000分の1を掛けると2250万人に1人となる。ちなみにそこに、『開成高校から私の行った美大にいく変人』の数、大体3年間……1200人に1人ぐらいらしい?を掛けると270億人に1人だ。地球人口こわれる!
2250万人だか270億人だかはもう大差ないし、スキーn級とか小4?だっけ?で夏富士登山完遂(同級生の平均よりも遥かにちっこい身体でだぜ!すごくね?)とか付け足せばいくらでも数字を伸ばせるのでもうどちらでもいいが、まあとにかく私は客観的に見れば超激レアキャラだという事になる。オラッ喰らえ世界に一つだけの花パンチ!
ただ、これらは全て私の大事なアイデンティティの一つだ。私にとってのそれらは見たことのない激レア属性ではなく、いつも自分自身と隣り合わせのアイデンティティだった。
どんなに希少な属性が重なっていようが、偶然の悪戯が起こればSSRキャラクターはこの世に生を受けてくる。アフリカの貧しい子供達にもたまたまマックにいた桜蔭JKにも想像を及ばせられない、二つ要素が違うだけです〜ぐ想像出来なくなるインターネッツ愚か者共に嘘松呼ばわりされようとも、激レア属性がたまたま重なった私は今ここに間違いなく存在している。マックにも行くし高校生時代に時代遅れな価値観のオッさんに物申した事もある。喝采ってほどじゃないけど周りの人本当に拍手してくれるんだね。
だというのに、ロリショタ天才達は常にフィクション上の、架空の存在として扱われている。
ならば、ここにいる私は一体何なのだ?
私はフィクションなのか?匿名の増田ですらない、完全なる架空の存在なのか?
有り得ない嘘松だけの存在として、想像力の埒外にいなければいけない存在なのか?
ただのゲーム好きな子供だった私はここに、この世に存在してはいけない存在なのか?
なあ。答えてくれよ。
長くなったが、言いたい事は一つだ。少しの想像力を働かせてほしい、これに尽きる。
そこの道を歩いているくたびれたオッさんは、もしかしたら自由研究で賞を取った事があるかもしれない。そんなちょっとしたかもしれない運転が、他者への敬意を払う第一歩となる。勿論何も前提無しに他者の歴史と人生に敬意を払えられれば、それが一番だ。
空腹を感じた時には、アフリカの貧しい子供達はいつもそれ以上の飢餓に苦しめられている事に思いを巡らせてほしい。そして思い出した時にでも、コンビニ募金にお釣りを入れてくれればいい。
激レア属性の天才や奇才たちと接しても、更なる激レア属性の……私含めた疾病や障害を抱えた天才や奇才たちと接しても、たまたま希少な属性を引いただけの、ごく普通のありふれた存在として接してほしい。
本人が殊更に主張しているケースでも無い限り、恐らくわざわざ言い出したりはしたがらないはずだろう。傷に触れないであげてほしい。天才たちは目立つこと、特別扱いによる疎外にもういい加減ウンザリしているだろうから。
というか私の知人の天才たちは大体皆そうだった。そして私もそうだ。もう、奇妙奇天烈な見世物小屋の人外として扱われるのは沢山だ。
目の前にいる相手は雲の上の存在ではなく、マリオとポケモンが好きだったり、でんぢゃらすじーさんで爆笑したりしていたかもしれないただの人間だと思って接してほしい。
フィクションの箱に押し込んで、相手を遠ざけることをしないでほしい。ロリショタ天才を、フィクションだと思わないでほしい。
私をフィクションにするな。
私をフィクションにするな。
私をフィクションにするな。
気が向いたら上京カッペがやりがちな見栄っ張りで物知らずで差別的な地域マウンティングについて書くかも。こんな感じの内容の予定
え、浦和…
江東区はNTTデータのお膝下である豊洲を有し、高層マンションも多いエリアなので、北区荒川区と並べるのはおかしい。板橋区か足立区が妥当。
↑上記のような上京カッペがやりがちな見栄っ張りで物知らずで差別的な地域マウンティングについて気が向いたら書くは
浦和は、単純に便利じゃん、文教地区じゃん、以前に歴史的に年収1000万以上の割合が高いんだよな
たとえば、小学校区ごとに取ってる年収でも公立の常盤小学校あたりなんか 850万だよ。わーお
都道府県 所在行政区 学校名 平均年収 埼玉県 さいたま市西区 宮前小学校 694万 埼玉県 さいたま市北区 大砂土小学校 745万 埼玉県 さいたま市大宮区 桜木小学校 791万 埼玉県 さいたま市見沼区 七里小学校 692万 埼玉県 さいたま市中央区 上落合小学校 862万 埼玉県 さいたま市桜区 土合小学校 661万 埼玉県 さいたま市浦和区⭐️ 常盤小学校 850万 埼玉県 さいたま市南区 浦和別所小学校 784万 埼玉県 さいたま市緑区 大門小学校 701万 埼玉県 さいたま市岩槻区 上里小学校 593万 埼玉県 子どもの教育環境NO.1は旧浦和市?文教エリアに中高層マンション265棟。 年収の高い学区ランキング2016年版
https://www.sumai-surfin.com/lab/gakku-child/nensyu/11/
あと上京カッペに見下されがちな東京東の 足立区、葛飾区、荒川区 についても
まぁ正直、山手通ってる開成高校のある荒川区以外は無理して住むところじゃないとは思うけど、
『コスパコスパと騒いでる上京カッペ』、『まさかの徒歩20分でドヤ顔語りしている上京カッペ』がいるからな
家を買うとしたら今も何もないエリアだし立地的に発展も望めないので止めるけど、
国家公務員宿舎があるので、公立小学校の葛飾区立西小菅小学校辺りは 年収922万 を叩き出してる
なお、葛飾区立西小菅小学校は、タカラトミー・NTTドコモと連携してプログラム推進をやっている公立校なんだけど
国家公務員宿舎が近くにあるのたぶん無関係じゃないよなぁ・・・
[ロボスタ] 葛飾区とタカラトミー、NTTドコモがプログラミング教育で連携
https://robotstart.info/2019/11/21/katsushika-embot.html
1年生 国語「むかしばなしがいっぱい」話の順序に沿って簡単な構成を考える
2年生 生活「うごくうごくわたしのおもちゃ」おもちゅの動きを組み合わせる
3年生 音楽「ドラムで音遊び」リズム・パターンを組み合わせて音楽を作る
たまに弟がその友達を家に連れてきた時などは増田も彼と直接会話することがあるのだが、先日の話。(ちなみに弟は買い物のため外出中)
友「この前、高校に顔出してきたんですけど、その時に部活の後輩と勉強の話になって、彼が『高校レベル以上のことを知りたいと思った時、専門書を買うのはコスパが悪い』って言ってたんですよ」
友「ゆとりか! と思って詳しく聞いてみたらですね。そいつに言わせると『専門書を買うよりもコスパが良い方法は、教師を問い詰めて専門知識を吐き出させることだ』って」
俺「そうなの?」
友「授業が上手いかどうかは別として、開成の教師なら誰でも何かしらの専門知識は持ってるし、物理の先生なら物理、数学の先生なら数学で本人の専門以外の分野についても教養学部レベル(←東大的な表現だなと思うby増田)の幅広い知識は持ってるから、まずひたすら質問すれば良い。すぐ答えが返ってくるし、『僕がどこが分かっていないか』もある程度把握してくれるし、タダだしって」
俺「さすがは開成だなあ(というか正しく予想の上を行かれた!)」
友「だから時間的にもお金的にもその方が効率が良いし、それで先生でも分からないレベルだったらその時に初めて専門書を買うなりすればいいって。言われてみたらその通りだな、って」
え、浦和…
江東区はNTTデータのお膝下である豊洲を有し、高層マンションも多いエリアなので、北区荒川区と並べるのはおかしい。板橋区か足立区が妥当。
↑上記のような上京カッペがやりがちな見栄っ張りで物知らずで差別的な地域マウンティングについて気が向いたら書くは
浦和は、単純に便利じゃん、文教地区じゃん、以前に歴史的に年収1000万以上の割合が高いんだよな
たとえば、小学校区ごとに取ってる年収でも公立の常盤小学校あたりなんか 850万だよ。わーお
都道府県 | 所在行政区 | 学校名 | 平均年収 |
埼玉県 | さいたま市西区 | 宮前小学校 | 694万 |
埼玉県 | さいたま市北区 | 大砂土小学校 | 745万 |
埼玉県 | さいたま市大宮区 | 桜木小学校 | 791万 |
埼玉県 | さいたま市見沼区 | 七里小学校 | 692万 |
埼玉県 | さいたま市中央区 | 上落合小学校 | 862万 |
埼玉県 | さいたま市桜区 | 土合小学校 | 661万 |
埼玉県 | さいたま市浦和区⭐️ | 常盤小学校 | 850万 |
埼玉県 | さいたま市南区 | 浦和別所小学校 | 784万 |
埼玉県 | さいたま市緑区 | 大門小学校 | 701万 |
埼玉県 | さいたま市岩槻区 | 上里小学校 | 593万 |
埼玉県 子どもの教育環境NO.1は旧浦和市?文教エリアに中高層マンション265棟。 年収の高い学区ランキング2016年版
https://www.sumai-surfin.com/lab/gakku-child/nensyu/11/
あと上京カッペに見下されがちな東京東の 足立区、葛飾区、荒川区 についても
まぁ正直、山手通ってる開成高校のある荒川区以外は無理して住むところじゃないとは思うけど、
家を買うとしたら今も何もないエリアだし立地的に発展も望めないので止めるけど、
国家公務員宿舎があるので、公立小学校の葛飾区立西小菅小学校辺りは 年収922万 を叩き出してる
なお、葛飾区立西小菅小学校は、タカラトミー・NTTドコモと連携してプログラム推進をやっている公立校なんだけど
国家公務員宿舎が近くにあるのたぶん無関係じゃないよなぁ・・・
[ロボスタ] 葛飾区とタカラトミー、NTTドコモがプログラミング教育で連携
https://robotstart.info/2019/11/21/katsushika-embot.html
1年生 国語「むかしばなしがいっぱい」話の順序に沿って簡単な構成を考える
2年生 生活「うごくうごくわたしのおもちゃ」おもちゅの動きを組み合わせる
3年生 音楽「ドラムで音遊び」リズム・パターンを組み合わせて音楽を作る
たまに弟がその友達を家に連れてきた時などは増田も彼と直接会話することがあるのだが、先日の話。(ちなみに弟は買い物のため外出中)
友「この前、高校に顔出してきたんですけど、その時に部活の後輩と勉強の話になって、彼が『高校レベル以上のことを知りたいと思った時、専門書を買うのはコスパが悪い』って言ってたんですよ」
友「ゆとりか! と思って詳しく聞いてみたらですね。そいつに言わせると『専門書を買うよりもコスパが良い方法は、教師を問い詰めて専門知識を吐き出させることだ』って」
俺「そうなの?」
友「授業が上手いかどうかは別として、開成の教師なら誰でも何かしらの専門知識は持ってるし、物理の先生なら物理、数学の先生なら数学で本人の専門以外の分野についても教養学部レベル(←東大的な表現だなと思うby増田)の幅広い知識は持ってるから、まずひたすら質問すれば良い。すぐ答えが返ってくるし、『僕がどこが分かっていないか』もある程度把握してくれるし、タダだしって」
俺「さすがは開成だなあ(というか正しく予想の上を行かれた!)」
友「だから時間的にもお金的にもその方が効率が良いし、それで先生でも分からないレベルだったらその時に初めて専門書を買うなりすればいいって。言われてみたらその通りだな、って」
熊澤親がかわいい盛りの愛息を育てていたころに起きた有名な事件
高学歴でどちらかと言えば裕福な家庭で子供が親を殺し、世間を驚かせたこの事件を覚えている人多いだろう
よく学歴社会の歪みとして例えられ、その後の「自分らしさ」や「生きる力」などのふわっとした子育て論の根っこに、これらの事件は大きく影響したと思う
ところでこの数年前には、似ているが逆転している殺人事件が起きている
家庭内暴力が激しかった息子を親が殺した事件である。「息子が犯罪者になるのを防ぐ」という動機で子供を殺したといわれている
これらの事件が起きたとき、引きこもりの子供を抱えた親世代が、わが子を膝の上に乗せながら、またお腹に宿った命を前にしてどのような親子関係・教育論を持つにいたったのか、その影響は分からない
古市憲寿は社会学、落合陽一は学際情報学で分野は確かに違う。だが、古市憲寿を使うほとんどの場面で、落合陽一の方が良い仕事をすると思う。
http://d.hatena.ne.jp/lonlon2007/20090317/1237298299
※に尽きます。
でも、それだけでは何なので英才教育について
大事だと思うポイントをいくつか挙げたいと思います。
エリートに共通しているところは何か。
それは早期教育がなされてることです。
うちの開成高校では運動会が一大行事としてあるため、殆どの人は運動会が終わってほとぼりも冷めた6月頃から受験勉強を開始します。
一応数3Cまで高二の段階で学校の授業は一周していました。
ごらんの通り、彼はやるべきことはやっていたわけです。
ちなみに私が勤めていた進学塾では
超難関校向けの高校受験では中学3年時に高校1年生の内容の授業を行っていました。
決してそうではありません。
経験からするとこの場合、早慶やMARCHに落ち着くのがほとんどです。
単純に1番であるだけでは意味がないのです。
英才教育で求められるのはすでに学習過程を終えた上での好成績なのです。
目安として最低でも、1学年上の単元を常に取り組むような状態になることが必要だと思われます。
スピードがとても大事なのです。そこを気に留める必要があります。
子供の認知能力は経験上、小学校5~6年生くらいにかたまっていきます。
このころになると、中学生や高校生くらいの論理能力は備わっていると思います。
逆を言えば、それまでは認知能力に大きな個人差があり、それにともない進度にもばらつきが生まれます。
その間に成績が悪くとも落ち込まないでください。
このような学習の進め方をすれば、申し分のない英才教育といえるのではないでしょうか。
方法論については紙幅を割いてしまいますのでまた別の機会があれば。
偉そうに合格体験記でも書いてみようかと思います。知り合いにもはや受験生はいないのですが、d:id:lonlon2007:20090317が目に付いたので。
ぶっちゃけると受験勉強は「想像していたとおり楽。」でした。受験勉強を始める前は受験生ってのは寝てる時間と飯食ってる時間以外は全部勉強に当てて、たまに徹夜で勉強する!みたいな偏見は全く持ってなかったんですが、やっぱりそのとおりでした。むしろ10月までバイトしていたのがたたって出席日数が足りず授業のコマ数が増えたうえに出席日数を充たした他の生徒が次々と休み始めるために授業中に寝にくくなり、平均睡眠時間が減っていきました。(寝ないと動けないんですが・・・)
東大は天才じゃなくちゃ入れないっていうのは確実に嘘。「東大生」は学部生だけで約1万、ほぼ京大もほぼ同じ、わずか4〜5歳間に2万超もいる人たちを「天才」とは言わない。天才なら楽に入れるなら本当かも。
秀才が3年間こつこつ勉強して入れるっていうのは本当。「〜初めて入れる」は微妙。秀才でも凡人でも3年間もコツコツ勉強すれば入れるんではないでしょうか。本当に「コツコツ勉強」していれば。
「色んな人が色んなところにこうやれば受かる勉強法!みたいなのを書いていますが、個人個人で合った勉強法は違うので、色々な方法を試してみて、自分に合ったものをやるのが一番いい」というのは当然のことで、id:lonlon2007が長々書いてる中で唯一の真理。
id:lonlon2007を逐一もじるのは早くも飽きたので、というよりもそんなに長く書くこともないので簡潔に。
ちなみに残念ながら僕は、『苦手科目は世界史と日本史、得意科目は数学と化学と物理と地理』だったので「理1なら1ヶ月で受かるんだけどな、下手すりゃ今日にでも受かるかも」と思いながら勉強していました。
あと、基本的に家では喫煙を禁じられていたので、主にガストとジョナサンで勉強してました。当時(約10年前)のファミレスはせいぜいがホットコーヒーのみおかわり自由で、ジョナサンのアイスコーヒーおかわり自由とガストのドリンクバーには大変助けられました。あっ、嘘だ。一番勉強したのは学校。さっき書いた通り10月にバイトを止めてからは授業にかなり出るようになったので、授業科目を耳で聴き、別の科目の教科書を目で読み、2科目並行で勉強してました。あとはファミレスで数学や英語(主に英作文)の難問を広げ、頭の片隅でその回答を考えつつ苦手の世界史のテキストを読んでいました(たぶん後で書くけど教科書やノートよりも新書が多かった)。
風呂の中や通学電車の中で小説を読んでる時も、未だ解けていない難問や数日内で間違えた問題のことを完全忘却しているわけではないのですが、机の前以外では何か思いついても頭の中にメモるだけ。勉強しない時は勉強しないとメリハリをつけるようにしていました。ちなみに「机の前」には授業時間が含まれます。高校生は一日の半分近くを学校で机に向かっているわけだから、勉強時間は非常に長い。一部の(私立)進学校や特別選抜クラスのような環境でもなければ「授業のコマ数が減る」ことはないと思いう。嫌でも一日の半分近くが勉強時間。「寝てる時間と飯食ってる時間以外は全部勉強に当てて、たまに徹夜で勉強する!みたいな偏見」は授業時間を効率的に使えていない人が持つのではないかと思います(あとは生徒に自由時間を多く与える方針の学校の生徒)。そういう意味では「勉強効率」がポイントというのは同意できる。
うちの高校(某都立)では文化祭(とついでに体育祭)が一大行事としてありますが、殆どの人は夏季講習と文化祭の準備を両立させ文化祭が終わった9月頃から本格的な受験勉強を開始するようです。かく言う僕も文化祭が終わって(ちょっと学校側とイロイロあって)バイトを辞め、10月から受験に力を入れ始めました。今、気付いたんですがid:lonlon2007は「6月から」とのことなのでタイトルに偽りありで約半年、僕の方も10月からなのでタイトルに偽りありで約4ヶ月ですね。開始をもう1月遅らせておけば「四半期で受かった勉強法」とゴロ良くピッタリなタイトルにできたのに。
まず何をしていいか分からない!ということで過去問を解いてみました。いや、模擬試験を受けたかも。なにぶん10年前なので記憶が・・・。とりあえず法学部志望なのに受験敵性では明らかに理系向き。その分、周りが国公立を難しいという理由の一つである文系なのに理系科目(理系でも文系科目)、という関門はあっさり突破。選択授業も理系用の数学(と化学と物理)をとっていたので2次試験の数学もさほど難しいとは思いませんでした。
「まず」も何も、とにかく苦手の世界史だけやろう!ということでそれまでは小説に費やしていた読書時間を歴史系の新書に切り替えました。もともと古本屋めぐりは趣味だったので行動範囲の古本屋の50-100円コーナーで歴史系の文庫と新書を買い占め。2年半バイトしていたので他の高校生男子よりもお金を持ってはいました(うちの高校は縁遠かったけど世間では「ブルセラ」華やかなりし頃。女子高生は金を持ってた)。がそんなこととは関係なく、買い占めたと言ってもせいぜい100冊程度。私立や塾に通うことを考えれば微々たるものです。
いつどんな問題でも満点を取れる!と思わない科目を勉強する分には必ず点数の上昇につながるので、わざわざ『勉強のスケジュール』を組む必要はありません。数学は1日勉強しても1点分しか稼げないけど、英語は1日の勉強で2点稼げる、てなことが計算できるのなら『勉強のスケジュール』も有効かもしれません。しかし、そんな計算ができる人は自分の欠点が分析できているのだから、すぐに数学でも2点稼げるようになります。満点を取れない間は何をやっても点数に繋がるのだから『勉強のスケジュール』なんか不要。そもそも『勉強のスケジュール』を考えようと言う発想が今日の今日までありませんでした。夏休みの宿題@小学校で1日のスケジュールを考えろと言われた時以来の衝撃です。『勉強のスケジュール』は学校がバランス配分してくれた「時間割」で十分だと思います。
夏休みはバイトと文化祭だけだったので、休日の勉強について。休日はNHKで将棋を見てから昼食、最寄り駅周辺の古本屋を回ってからファミレスへ。(好きなのが将棋で幸い。これが囲碁だったら午後の大半がテレビでつぶれる。当時はネット中継がなかったのも幸便)本を1冊読んで(1〜2時間)から勉強。最低2時間はやろうと決めていて実際2時間くらいなら集中力は続きます。鉛筆ナメナメ英作文を推敲していると気付くと2時間なんてこともあって最低2時間の縛りは苦痛ではありませんでした。(学校じゃサボってると言ってもそれ以上やってるわけですし)
夏の「初の東大模試」は受けたような気がしてきました。模試の判定は最後までE判定だかF判定だったので「予備校の採点基準が間違ってる」と思ってました。私立であればともかく国公立の論述問題は大学教授を信用して、「間違ってはない」回答が書けていれば良しとしておきましょう。予備校の採点は予定された正解以外を大幅に減点する傾向があるように思います。英作文であれば日本語の1単語には4〜6音節の1単語の英語を対応させれば文句なしの正解で模試ではこれ以外は減点。実際にはそんな難しい単語を知らなくても中学校レベルの単語を組み合わせて意味が合っていれば大学教授は正解としてくれるようです(大学に入ったからといって採点基準を教えてもらえるわけじゃないけど、じゃなければ不合格だったはず)。
出席日数を充たした生徒が続々と授業に来なくなる。いやがおうにも授業中に寝れなくなる。友人も受験モードに突入で遊びの誘いも減る。悪循環?好循環?
センター対策は・・・必要なんでしょうか。東大・京大の2次試験を見据えていれば不要な気がします。敢えて言うなら文系の理科、理系の社会科でしょうか。僕の場合理科が得意科目だったので無視。
というわけでセンター試験対策としては過去問をやってみたくらいです。悪くても90点以上だったので、本番の集中力があれば大丈夫だろうとタカをくくる。それでも素材がたっぷりあるうえに冬休みは午前中の将棋(NHK)もない。勉強時間は比較的長かったように思います。午前に1〜2時間、昼飯を食って古本屋。別のファミレスで本を1〜2時間に勉強1〜2時間。僕の中では最初と最後の時間差だけとって「6時間もやった」と思っていました。
冬休みは学校に行かないので、毎日図書室で読んでたJapan Timesが読めなくなりました。かわりにテレビニュースを英語音声で聞くようにする。親と妹も「受験生」ということで不満は抑えてくれてたようです。
ちなみに過去問は時間を気にせずやっていました。調子が悪い時や面白い問題にであったときは1時間を超えることもあったと思います。過去問で高い点数を取ってもあまり意味がないので答えや力の確認ではなく、とにかく「どんな問題でも時間さえあれば解ける」という確信を持てるように。時間を気にしていないので早く解き終わった時も確認とかはしない。「できた!」と思った段階で答え合わせ、間違っていたら原因を考える。
とりあえずセンターの自己採点が大丈夫そうだったので、気が抜けました。本番でも緊張しないことが分かったのが収穫で相変わらず学校の授業に出る日々。得意で好きだった数学・理科はそろそろ休めます。教師との不仲が極限に達していた英語と国語は最後の最後まで授業です。
『東大の○○25ヶ年』シリーズって何?赤本と友人がやり終えた予備校のテキストと文庫と新書、あとは学校の教科書で勉強してました。友人から借りた予備校のテキストはザッと解いて印象に残った問題だけ書き写して返す。別にビンボーだったからじゃないですよ。公立・公立・都立ときて親にはあまり負担をかけてないし、大学も国立の予定だし、バイトもガッツリしてたし、参考書を買う程度で躊躇することはありません。『東大の○○25ヶ年』シリーズはたぶん僕の頃にはなかったんだと思います。
そんなこんなでさすがに学校も行かなくてすむようになり(都立とはいえ受験校なので他の生徒は来ないし、教師もそのつもりでいる)、時間ができたので予備校に潜り込むようになりました。友人は私立志望が多かったのと私立の方は全く自信がなかったので私立コースです。あと友人は理系にも多かったので理系の東大コースみたいのにもたまに行ってました。2ヶ月も真面目に勉強するとさすがに疲れ(飽き)たのか、この時期に大きく伸びた気はしません。予備校では、僕が無意識にやっていたことを言語化してもらった感が強く、それはそれで頭の整理ができました。有意義だったと思います。
ぶっちゃけ全科目やるって言っても、高校で一日授業を受けているようなものなのであんまり死ねませんでした。
得意で理系の授業をとっていたので苦労なし。解けない問題は絶対に回答を見ず、翌日へでも翌週へでも持ち越してひたすら考える。答え方を覚えるよりも、答えの見つけ方を思いつくことが重要だと思います。図形問題なら知ってる定理・公式を片っ端から引っ張り出してやみくもに補助線を引く。そんなことを繰り返してるうちに、問題を見ると求めている回答がわかるようになってきます。センター試験は余力で解けるので無視。
現代文は二三回本番形式で練習して、形式に慣れるくらいでいいと思います。現代文はみんな取れなくて差がつかないし、勉強すりゃ上がるっていうもんでもないので、比重は極めて低かった。漢字も常識の範囲内なので、よっぽど苦手な人でなければ悪くても1問間違えるくらいで済むでしょう。
加えて日頃読んでいた小説・随筆は役に立ったかな。乱読・雑読ですが古今東西ジャンルに捕らわれずに古本屋の投げ売りコーナーで目に留まった本を片っ端から読んでたので、過去問や模試でもたまに知っているテキストがありました。新刊でも買うような好きな作家は受験には向いていないようで、これも幸いでした。好きな作家のテキストが出ていたら「正解」ではなく「持論(自論)」を書いてしまうひねくれた者なので・・・
知っているから解ける、知らないと解けない、というわけではありませんが、抜粋されたテキストの前後や著者が分かることにデメリットはありません。「受験のため」としてはお勧めできませんが、今まで読書に費やした時間も「無駄ではない」程度の気休めに。
使った参考書・問題集:なし
暗記が苦手なので古文には多少手を焼きましたが、学校の授業で十分。むしろ暗記法があれば教えてもらいたいくらい。単語帳とかがいいんでしょうか。僕は単語帳を作るのが面倒だったので、とにかくテキストを繰り返し読んで単語の意味や用法を文脈から類推するように心がけました。おそらく全科目で一番教科書を使いました。和訳(現代語訳)では自然な日本語になるように心がけました。意味が分からないから曖昧に訳すのではなく、文理や言葉のかかりを強調する翻訳体をさらに自然な言葉に訳す感じです。英文和訳でも同じ。
センター試験対策。教科書と過去問で十分。感覚を忘れないように授業がなくても週に一度はやる。勉強期間が短いので過去問が枯渇する心配がない。
うちの高校では入学時点で日本史と地理の選択を迫られます。歴史の暗記(人名と年号)が大の苦手だったので深く考えずに地理を選びましたが、これが功奏。日本史と世界史、日本史と地理が無関係とは言いませんが、世界史(の特に近現代史)と地理は密接不可分。片方を勉強すればいやでも他方の学力もあがります。
比較的得意だった地理。これは教科書と一般教養(新聞と新書)で済ませました。とにかく視点を広くして、知らないことがあって当然、知らなければ考える。このとき世界史の知識や新聞・書籍で読んだ現代社会の知識が役立ちます。社会・政治は地理的条件や歴史的背景に帰結することが珍しくありませんから知らないことでも十分に推測がききます。
あとは地図を見ることかな。別に国名や地名を覚えようとする必要はなくて、国名や都市名とだいたいの位置が繋がればそれだけでたくさんの情報が得られます。内陸なのか平地なのか、頭の中で地形図や気候図とおおまかに重ねられればなお良し。世界でn番目に長い川の名前とかm番目に広い国土といったクイズ的な知識は不要。そこに川はあるのか、国土は山がちだが狭くはない、その程度で事足ります。
都市名と工業・農業・産業を単にセットで暗記するのではなく、そのような産業が育まれた地理的要因を考える。基本で当然のことのようですが、結局はこれにつきます。
歴史(世界史)。大の苦手。とにかく年号と人名が覚えられない。ルイとかシャルルまでは分かるけど何世かが覚えられない。清教徒革命とフランス革命の前後関係(因果関係)は分かるけどそれぞれの年号は知らない。(日本史なら足利某までは分かるけど某が分からない)それでも何とか解けるのが東大・京大の論述問題の良さ!
細かい年号はザックリと捨て拙い記憶力は人名とせいぜい事件の名称に費やす。あとは前後関係・因果関係を意識しながら歴史を概観する。
教科書や授業では国や地域で縦に切り、ついで年代で横に切って学習しますが、前後左右のつながりを考えて大きな年表を作ります(頭の中でも良いし、模造紙や今ならパソコンのソフトで実際に作ってもいいかも)。先の例で言えば清教徒革命はイギリスの歴史においてどのような影響を与えたのか、さらにヨーロッパ、アメリカのどのことがらにつながっていくのか、フランス革命はフランスの歴史、ヨーロッパ・アメリカの歴史にどのように・・・こうやって年表に→を書き始めるとすぐに→だらけで見るにたえなくなっていくと思います。そんな因果関係を大まかに覚えていく。このような大きな流れがつかめると東大の問題は急に簡単に見えてきます。
教科書と資料集を片手に短時間で問題を解けるようになれば、あとは覚えるだけ。
教科書・資料集をわたしてもキーワード(人名・年号・地名・事件)をピックアップすることしかできずそれらをつなげて論説できない人が東大・京大の論述式問題を難しいと言ってるように思います。僕の場合は逆で、キーワードが分からない(正確に覚えていない)もののキーワード部分を穴あきにした回答は組み立てられた(センター試験の問題文のような文章)。教科書・資料集があれば穴埋めは簡単。あとはキーワードを覚える。受験勉強のほぼ全てをこれに費やしたと言っても過言ではありません。
例題を解く時は分からない問題もいきなり回答を見るのではなく教科書などを見ながら一度回答を完成させてから回答を見る方がいいでしょう。「覚えさえすれば」という段階に至ることが重要。
もう1つ、大まかな流れを雑ぱくに理解するのに新書のような読み物が役立ちました。受験用ではないので縦横に細切れにされていませんが、その分全体的な流れが見えてきます。気分転換にもいいでしょう。
最後に暗記について。当時は思いもよらず、最近になって思いついたのですが、書いて覚えるのではなくしゃべって覚えるというのがいいような気がします。英単語や漢字は書いて覚えるのも効果的だと思いますが、(ルイ)14世、15世、16世と書き連ねたところであまり役立つとは思えません。関連する人名・年号・ことがらをセットで口に出すと覚えられそうな気がします。ぼくは学校とファミレスで勉強してたので、当時思いついたとしても実行できませんでしたが。ちなみにこれは法学の勉強を通して気付きました。自分でレジュメを作ったり授業を聞いていても条番号はなかなか覚えなかったのですが、ゼミなどで口に出す頻度が増えると自然と覚えていました。
英文和訳は慣れ。知らない単語は前後の文脈で予想。そのために役立ったのは英字新聞Japan Times(とテレビニュースの英語音声)でした。朝に日本語の新聞で読んだ内容が英語に書き直されてるようなものだから、知らない単語があってもドンドン読み進められる。これを2ヶ月も読めばいやでも単語力や読解力、類推力や速読力が身に付きます。
辞書をひくのはあとまわし。類推した単語はあとで必ず辞書をひく。この2点がポイントと言えばポイント。辞書をひくのをあとまわしにするのは「考える」ことが重要だから。あとで必ず辞書をひくのは、1つの単語が持つ複数の意味を「とりあえず知っておく(覚えなくてよい)」のが重要だから。
今では多くの英語の新聞記事がネットで見られますが、日本の新聞とはフォーカスが違うので今なおJapan Timesが良いと思います。「英文を読む」よりも「大まかな内容を知っている英文を読む」ことが重要です。
趣味と実益を兼ねて好きな作家の原書も読みました。が、これはさすがに知らない単語(と専門用語)が多すぎて勉強にはなりませんでした。
あとは過去問。東大と京大ではずいぶんと傾向が違うのですが、それでも私立の問題よりは国公立の問題の方が東大受験には役立つ。私立の問題は「知らなきゃ解けない」うえに教科書にないものも多い。国公立とは別のことを問うています。
単語帳は古文同様に作るのが面倒。教科書では物足りなかったり電車で教科書を開くのが恥ずかしかったりなら、ペーパーブックを1冊だけ買って眺めていればいいのではないでしょうか。3日も同じページを読んでいればいやでも内容が分かるようになり、使われている修辞・技巧なんかにも気付くようになると思います。
DUOとか知らないしiPodは当時はない。当然使ってません。今なら英語のニュースや議員さんのPodcastをiPodで聞くのはありかも。(議員さんやニュースの英語は分かりやすいです)
例文を覚えるという発想はなかった。過去問や模試を解いているといやでも覚えてしまう文法的技巧や慣用句はありました。「覚える」というよりも「(自然と)覚えた」という感じなので「覚え方」は分かりません。
自由英作文は想定されている答えを探すのではなく「意味」が通る英文を書くことが重要。正しい文法で知っている単語の継ぎはぎする。どうしても分からなければ少し長めにあけた余白に薄く日本語を書いておき、あとで考えましょう。日本語1単語に5 words前後の余白を対応させるくらいの気持ちで。他のことを考えているうちにピッタリくる単語(1単語)が浮かぶこともあるし、そうでなくても空白のまま出すくらいなら中学校で習った単語を並べて意味を表現する。とはいえこれは苦肉の策。単語を知っていて損することはないので、時間と金と記憶力に余裕があるなら単語や例文はいくらでも覚えてください。大学に入っても社会にでも英語が足かせになることはないと思う。
模試は一通り受けたと思います。「教える」ための教科書と「考えさせる」ための試験では勉強の内実が違います。「教わる」よりも自ら「考える」ことの方が重要なので省エネ勉強のためにも受けて損はありません。嫌でも丸一日勉強したことにもなります。
東大模試は受ける。結果が悪くても気にしない。結果が良ければ安心する。結果が悪くて自信もなければそれを機に諦める(浪人するなり志望校を変えるなり)。
過去問を見るかぎり、東大よりも京大の方が正解の範囲は広いと思います(模試ではなく本番の話)。模試結果に納得いかない人は東大より京大に向いているかもしれない。
寝過ごした!電車で寝過ごしたけど、高校受験で軽く遅刻した反省をいかして少し早めに出ていたのが功奏して間に合いました。遅刻だけは気をつけましょう。
遠方からの受験生でホテルなどに宿泊する方は寝坊に注意。受験まで1年のこの時期に言っても「そんなわけない」と思うかもしれませんが、1校しか受けない本名中の Permalink | 記事への反応(0) | 18:06