はてなキーワード: 開成高校とは
俺の中でやっぱり子供は学校に行かなければいけないという結論に至った。
14歳で東大合格レベルの灘高生や開成高校の子も高校に行く無駄な時間を削って高認でとかもいいと思ったけどやっぱりダメだ。
かったるい時間でも18までの時間はあの窮屈な教室に通う時間を過ごさないとダメだ。
自分なりの処世術と言うか、感情が崖から落ちない落とし所を探す為の時間。
引きこもり→高認→高学歴を何人か見てきたが、身近な人間との関係なら何とかやれても取引先とかちょっと遠いけどこちらから気を遣わないといけない人間関係は思春期の子供みたいに全然ダメな人が多い。
自分の感情を守りつつ周囲と軋轢を生まないための訓練が圧倒的に足りていない。
Xを見ていると、低学歴教育ママを叩いているようなアンフェが、東京都の私立高校が無料で通えるにようになった!と言って批判している。
ああ、低学歴教育ママって用語を使う人たちは、制度を理解できないんだなあ、と実感。
東京都の高校授業料無償化とは、子供が私立高校に通う親に、支払った授業料の一定額を都からキックバックするということ。
一方、開成高校の初年度納入金は112万円程度。
差額の64万円は自分で支払わないといけない。
つまり、奨学金をもらって大学に行くような家庭では、どのみち金持ち私立には通えない。
なのにXでは、無料で開成高校に通える、みたいな勘違いをしている人ばっかりで、もう日本人全員が低学歴教育ママになったみたいだ。
はてなーは公立中学は動物園って言うけど、東大合格者ランキング上位の中高一貫校、たとえば灘とか開成高校のような学校だって、意外に思うかもしれないが十分に動物園である。トイレでタバコを吸う、近所の女子高の生徒の胸を触る、痴漢をする、授業をサボってラーメン屋にいく、授業聞かずに私語、修学旅行先の旅館の大浴場でカップラーメンを作って遊んで汚す、走行中の車にゴミを投げつける、万引き、もうあげていったらキリがない。
俺は公立動物園の方のサルだったが、超難関私立動物園の方のサルたちとは塾が同じで、そこで意気投合して遊んでいた。俺は最初真面目なサルだったが、彼らと遊ぶうちに真面目なことがカッコ悪いと思うようになり、犯罪行為こそしなかったがタバコを吸う、授業をサボってそいつらと遊ぶ、教師を見下すなど堕落していった。勉強は続けていたが東大には落ちた。一方で、一緒に遊んでいた超難関私立の奴らは全員余裕で受かっていった。
浪人という辛酸をなめ、大学、大学院、就職先で才能のある奴らと競争してやっと俺は気がついたのだが、真面目に生きよというのは凡人のための知恵である。凡人に遊んでいる時間などないのである。ふざけず、サボらず、目の前の師に教えを乞うてがむしゃらに努力し続けることでやっと、才能のある怪物みたいな奴らの背中が見えてくる。凡人が堕落した生活をしたらただ堕落するだけだから、とにもかくにも真面目に生きよというのを、昔の人は教訓に残したのである。
中学高校の受験が義務教育をベースにしてるのは問題だと思います。
制度という名の建前上では絶対評定から相対評定に変わりましたが、教育の格差が無くなったわけではありません。
むしろ受験によるふるい分けには格差はあってもらわないと困るのです。
だから学校は一生懸命に教えないのです。教えるふりはするでしょうけども。
本当に一律に義務教育の内容を理解させる気があるんだったら「100点取れるまで卒業できま10」みたいにしてくれないと筋が通りません。
たとえ開成高校の受験問題だろうが義務教育を履修した人間ならば全員が時間内に満点取れるというのが義務教育の趣旨であり理想です。
なぜなら開成高校の入試範囲は中学卒業までに習ったことを範囲としているからです(これは東大の入試問題が高校卒業までに習うことを範囲としていてそれ以外のことは問わないことと対応しています)。
でもさっき書いたとおりそうすると困るのは教育者側です。これが制度との矛盾です。
そのうえ法律で保障しているのは「受けさせる義務」であって「受ける義務」でないのも問題でしょう。だからこそ、形式的に履修させたら理解度に関わらず卒業という、本末転倒なことになっているわけです。
受験に義務教育の範囲を絡ませるべきではありません。義務教育とはすなわち「日本で生きるならこのくらいは知っておけ」というものなのですから、そこに知識の格差を前提とした受験を絡ませているのは根本的な矛盾です。
であるとすれば、より高度な「知らなくてもいい」ことで競わせるしかないでしょう。法律も変えるべきです。
私も義務教育完璧に理解できなかったから社会生活上で損してるところがあると思います。
しかし社会人になってからの独習には厳しいものがあります。義務教育で扱うような根本的で基本的な事柄こそ、人に付いて教わるのでなければ誤った理解をしがちです。
フィクションのキャラクターの定番属性の一つに『極端な低身長の天才』というものがある。
実年齢自体が周囲より低い場合もあれば同年代にも関わらず異様に身長が低い場合もあるが、どちらの場合も非現実的な存在、フィクション性の高い存在としてキャラクタライズされているケースがほとんどだ。
何故非現実的な存在として扱われるのか。フィクションと異なり現実日本の教育制度は年齢主義であり、優秀な生徒の飛び級が存在しない事も理由の一つとして挙げられるだろう。しかし、本質はおそらくそこにはない。
『天才』『極端な低身長』という属性がそれぞれ独立している状態なら「身近にはいなくても、一つのパラメータが極端なだけなので現実の延長線上で想像がつく」が、『天才かつ極端な低身長』ともなると「極端なパラメータが複数あるので人となりを想像出来なくなる」、これが本質ではないだろうか。
ゆえに、フィクション性を纏わされる。謎のひみつ道具を持ち歩かされ、こんな事もあろうかと用意周到が過ぎる人物にされる。
だが、私はそのようにフィクションを纏わされる『極端な低身長の天才』達に、親近感を覚える。
何故なら、私がそうだからだ。
私は極端な低身長だ(った)。
「成長ホルモン分泌不全低身長症」、これが私の健康診断票にいつも書き込まれていた病名だ。
症状は文字通り。原因は分かっていないらしい。
治療法も、成長ホルモン製剤の注射という対症療法的な物だ。極度の低身長という症状が明確に現れないと発覚しないものだから、身長が一般的な範囲に盛り返すまで時間がかかった。故に少年時代はチビなショタだった。治療を終えた今でも、身長は低く童顔な方だ。
毎晩の成長ホルモンの皮下注射というものは、子供心に結構辛かった。自分だけが遭わされる不条理というものと隣り合わせで育ったものだから、随分世の中は不公平なものだと絶望してしまった。
あと注射をしていたケツと太ももが心なしかデカくなった。安産体型ショタだぞ、抜けよ。
そして、私自身これを自称するのは鼻について好きではないが、少なくとも周囲からの評価を総合すると、私は天才だそうだ。
個々人の積み上げた好奇心と歴史と研鑽と努力と熱意を不可視化し、天からのギフトなどと矮小化する天才という単語はこの世で最も嫌いな単語なのだが、はてさて秀才ではつよそう感がイマイチ足りないので仕方なく天才という単語を使う。
3歳の時には、お遊びでジグソーパズルを裏面を向けたまま完成させて大人を驚かせたそうだ。私自身、出来そうだと思って挑戦し実際に成し遂げて満足した記憶がある。
看板から成分表まで活字があれば何でも読み込む子供で、よく迷子になっていた。漢字も自然に覚えたため、小1の時点で小6の教科書を漢字含め読めていた。
大人しくさせるために買い与えられたマンガ、百科事典や国語辞典の類は、それはもう食い入るように読み込んだ。寝食を忘れて読み込んだ。寝食忘れの自己最高記録は、確か留守番中に叩き出した27時間連続だったか。中国の8日間絶食読書兄貴には敵わないが、中々な記録だろう。勿論それが健康に悪いことも理解していたので、以降は気をつけるようにしたが。
全国模試でも算数や理科で何度か1位を取った。満点なのだから当然同率1位だ。中高以降は恩師のおかげで現代文も得意になったので数学、現代文、物理で経験した。
そんなんだから、大した勉強もする事なく通学圏内最高峰、数十年東大進学者数首位の開成中学校に受かった。なんか受かったから行くわ!wが正直な感想だった。
真剣に受験勉強をしていた、しかし活字中毒などの変態性はなかった学友が残念ながら麻布や東邦止まりで(勿論これも十分凄いのだが)、この時に適性の無い者へも無意味な苦難を強いる学歴社会への明確な嫌悪感を覚えた。
開成の同級生は大きく3タイプに分けられた。勉強する事が大好きで大好きで仕方がない変態と、私のように勉強は好きでも嫌いでもないが活字や知識にのめり込む気質のある変態と……学歴の威光に取り憑かれた愚かな親の犠牲者となった、凡人だ。
学歴主義を刷り込まれた凡人達に、私は恐怖と憐れみを感じた。真面目に勉強した事もなく学校や塾も寝がちだった私にとって、青春を擦り潰して校外でも毎日8時間勉強するという価値観は理解出来なかった。
そこまでして一体、一体何になるというのだ。毎日1時間、1ヶ月ほど勉強するだけで適当な資格は彼らなら余裕で取れるだろう。職に困らないために学歴を取る、なんてのはおよそコストとリターンが釣り合っていない。
私は彼らが怖くて、大学は全く関係ない某美大に学歴パンチで進学した(ここを詳細に書くとマジで特定されそうなので勘弁してくれ)。そもそも私の夢自体、漫画家とかゲームクリエイターとかのクリエイター方面だったし。
私が開成に通った途端に学歴に取り憑かれた金だけしかない親には美大進学は猛反対されたが、教育虐待で警察に駆け込むと脅したら反対しなくなった。中高当時に親から受けていた拘束を思えば、実際駆け込めば成立していただろう。
ここまで見て分かるように、私の『極端な低身長』属性と『天才』属性に、一切の因果・相関関係はない。だからこの属性が偶然重なる確率は非常に低い。
開成中学合格者数は一年ごとに400人弱、当時の小6男児の日本人口約60万人で割ると1500分の1。そこに成長ホルモン分泌不全低身長症の15000分の1を掛けると2250万人に1人となる。ちなみにそこに、『開成高校から私の行った美大にいく変人』の数、大体3年間……1200人に1人ぐらいらしい?を掛けると270億人に1人だ。地球人口こわれる!
2250万人だか270億人だかはもう大差ないし、スキーn級とか小4?だっけ?で夏富士登山完遂(同級生の平均よりも遥かにちっこい身体でだぜ!すごくね?)とか付け足せばいくらでも数字を伸ばせるのでもうどちらでもいいが、まあとにかく私は客観的に見れば超激レアキャラだという事になる。オラッ喰らえ世界に一つだけの花パンチ!
ただ、これらは全て私の大事なアイデンティティの一つだ。私にとってのそれらは見たことのない激レア属性ではなく、いつも自分自身と隣り合わせのアイデンティティだった。
どんなに希少な属性が重なっていようが、偶然の悪戯が起こればSSRキャラクターはこの世に生を受けてくる。アフリカの貧しい子供達にもたまたまマックにいた桜蔭JKにも想像を及ばせられない、二つ要素が違うだけです〜ぐ想像出来なくなるインターネッツ愚か者共に嘘松呼ばわりされようとも、激レア属性がたまたま重なった私は今ここに間違いなく存在している。マックにも行くし高校生時代に時代遅れな価値観のオッさんに物申した事もある。喝采ってほどじゃないけど周りの人本当に拍手してくれるんだね。
だというのに、ロリショタ天才達は常にフィクション上の、架空の存在として扱われている。
ならば、ここにいる私は一体何なのだ?
私はフィクションなのか?匿名の増田ですらない、完全なる架空の存在なのか?
有り得ない嘘松だけの存在として、想像力の埒外にいなければいけない存在なのか?
ただのゲーム好きな子供だった私はここに、この世に存在してはいけない存在なのか?
なあ。答えてくれよ。
長くなったが、言いたい事は一つだ。少しの想像力を働かせてほしい、これに尽きる。
そこの道を歩いているくたびれたオッさんは、もしかしたら自由研究で賞を取った事があるかもしれない。そんなちょっとしたかもしれない運転が、他者への敬意を払う第一歩となる。勿論何も前提無しに他者の歴史と人生に敬意を払えられれば、それが一番だ。
空腹を感じた時には、アフリカの貧しい子供達はいつもそれ以上の飢餓に苦しめられている事に思いを巡らせてほしい。そして思い出した時にでも、コンビニ募金にお釣りを入れてくれればいい。
激レア属性の天才や奇才たちと接しても、更なる激レア属性の……私含めた疾病や障害を抱えた天才や奇才たちと接しても、たまたま希少な属性を引いただけの、ごく普通のありふれた存在として接してほしい。
本人が殊更に主張しているケースでも無い限り、恐らくわざわざ言い出したりはしたがらないはずだろう。傷に触れないであげてほしい。天才たちは目立つこと、特別扱いによる疎外にもういい加減ウンザリしているだろうから。
というか私の知人の天才たちは大体皆そうだった。そして私もそうだ。もう、奇妙奇天烈な見世物小屋の人外として扱われるのは沢山だ。
目の前にいる相手は雲の上の存在ではなく、マリオとポケモンが好きだったり、でんぢゃらすじーさんで爆笑したりしていたかもしれないただの人間だと思って接してほしい。
フィクションの箱に押し込んで、相手を遠ざけることをしないでほしい。ロリショタ天才を、フィクションだと思わないでほしい。
私をフィクションにするな。
私をフィクションにするな。
私をフィクションにするな。
気が向いたら上京カッペがやりがちな見栄っ張りで物知らずで差別的な地域マウンティングについて書くかも。こんな感じの内容の予定
え、浦和…
江東区はNTTデータのお膝下である豊洲を有し、高層マンションも多いエリアなので、北区荒川区と並べるのはおかしい。板橋区か足立区が妥当。
↑上記のような上京カッペがやりがちな見栄っ張りで物知らずで差別的な地域マウンティングについて気が向いたら書くは
浦和は、単純に便利じゃん、文教地区じゃん、以前に歴史的に年収1000万以上の割合が高いんだよな
たとえば、小学校区ごとに取ってる年収でも公立の常盤小学校あたりなんか 850万だよ。わーお
都道府県 所在行政区 学校名 平均年収 埼玉県 さいたま市西区 宮前小学校 694万 埼玉県 さいたま市北区 大砂土小学校 745万 埼玉県 さいたま市大宮区 桜木小学校 791万 埼玉県 さいたま市見沼区 七里小学校 692万 埼玉県 さいたま市中央区 上落合小学校 862万 埼玉県 さいたま市桜区 土合小学校 661万 埼玉県 さいたま市浦和区⭐️ 常盤小学校 850万 埼玉県 さいたま市南区 浦和別所小学校 784万 埼玉県 さいたま市緑区 大門小学校 701万 埼玉県 さいたま市岩槻区 上里小学校 593万 埼玉県 子どもの教育環境NO.1は旧浦和市?文教エリアに中高層マンション265棟。 年収の高い学区ランキング2016年版
https://www.sumai-surfin.com/lab/gakku-child/nensyu/11/
あと上京カッペに見下されがちな東京東の 足立区、葛飾区、荒川区 についても
まぁ正直、山手通ってる開成高校のある荒川区以外は無理して住むところじゃないとは思うけど、
『コスパコスパと騒いでる上京カッペ』、『まさかの徒歩20分でドヤ顔語りしている上京カッペ』がいるからな
家を買うとしたら今も何もないエリアだし立地的に発展も望めないので止めるけど、
国家公務員宿舎があるので、公立小学校の葛飾区立西小菅小学校辺りは 年収922万 を叩き出してる
なお、葛飾区立西小菅小学校は、タカラトミー・NTTドコモと連携してプログラム推進をやっている公立校なんだけど
国家公務員宿舎が近くにあるのたぶん無関係じゃないよなぁ・・・
[ロボスタ] 葛飾区とタカラトミー、NTTドコモがプログラミング教育で連携
https://robotstart.info/2019/11/21/katsushika-embot.html
1年生 国語「むかしばなしがいっぱい」話の順序に沿って簡単な構成を考える
2年生 生活「うごくうごくわたしのおもちゃ」おもちゅの動きを組み合わせる
3年生 音楽「ドラムで音遊び」リズム・パターンを組み合わせて音楽を作る
たまに弟がその友達を家に連れてきた時などは増田も彼と直接会話することがあるのだが、先日の話。(ちなみに弟は買い物のため外出中)
友「この前、高校に顔出してきたんですけど、その時に部活の後輩と勉強の話になって、彼が『高校レベル以上のことを知りたいと思った時、専門書を買うのはコスパが悪い』って言ってたんですよ」
友「ゆとりか! と思って詳しく聞いてみたらですね。そいつに言わせると『専門書を買うよりもコスパが良い方法は、教師を問い詰めて専門知識を吐き出させることだ』って」
俺「そうなの?」
友「授業が上手いかどうかは別として、開成の教師なら誰でも何かしらの専門知識は持ってるし、物理の先生なら物理、数学の先生なら数学で本人の専門以外の分野についても教養学部レベル(←東大的な表現だなと思うby増田)の幅広い知識は持ってるから、まずひたすら質問すれば良い。すぐ答えが返ってくるし、『僕がどこが分かっていないか』もある程度把握してくれるし、タダだしって」
俺「さすがは開成だなあ(というか正しく予想の上を行かれた!)」
友「だから時間的にもお金的にもその方が効率が良いし、それで先生でも分からないレベルだったらその時に初めて専門書を買うなりすればいいって。言われてみたらその通りだな、って」
え、浦和…
江東区はNTTデータのお膝下である豊洲を有し、高層マンションも多いエリアなので、北区荒川区と並べるのはおかしい。板橋区か足立区が妥当。
↑上記のような上京カッペがやりがちな見栄っ張りで物知らずで差別的な地域マウンティングについて気が向いたら書くは
浦和は、単純に便利じゃん、文教地区じゃん、以前に歴史的に年収1000万以上の割合が高いんだよな
たとえば、小学校区ごとに取ってる年収でも公立の常盤小学校あたりなんか 850万だよ。わーお
都道府県 | 所在行政区 | 学校名 | 平均年収 |
埼玉県 | さいたま市西区 | 宮前小学校 | 694万 |
埼玉県 | さいたま市北区 | 大砂土小学校 | 745万 |
埼玉県 | さいたま市大宮区 | 桜木小学校 | 791万 |
埼玉県 | さいたま市見沼区 | 七里小学校 | 692万 |
埼玉県 | さいたま市中央区 | 上落合小学校 | 862万 |
埼玉県 | さいたま市桜区 | 土合小学校 | 661万 |
埼玉県 | さいたま市浦和区⭐️ | 常盤小学校 | 850万 |
埼玉県 | さいたま市南区 | 浦和別所小学校 | 784万 |
埼玉県 | さいたま市緑区 | 大門小学校 | 701万 |
埼玉県 | さいたま市岩槻区 | 上里小学校 | 593万 |
埼玉県 子どもの教育環境NO.1は旧浦和市?文教エリアに中高層マンション265棟。 年収の高い学区ランキング2016年版
https://www.sumai-surfin.com/lab/gakku-child/nensyu/11/
あと上京カッペに見下されがちな東京東の 足立区、葛飾区、荒川区 についても
まぁ正直、山手通ってる開成高校のある荒川区以外は無理して住むところじゃないとは思うけど、
家を買うとしたら今も何もないエリアだし立地的に発展も望めないので止めるけど、
国家公務員宿舎があるので、公立小学校の葛飾区立西小菅小学校辺りは 年収922万 を叩き出してる
なお、葛飾区立西小菅小学校は、タカラトミー・NTTドコモと連携してプログラム推進をやっている公立校なんだけど
国家公務員宿舎が近くにあるのたぶん無関係じゃないよなぁ・・・
[ロボスタ] 葛飾区とタカラトミー、NTTドコモがプログラミング教育で連携
https://robotstart.info/2019/11/21/katsushika-embot.html
1年生 国語「むかしばなしがいっぱい」話の順序に沿って簡単な構成を考える
2年生 生活「うごくうごくわたしのおもちゃ」おもちゅの動きを組み合わせる
3年生 音楽「ドラムで音遊び」リズム・パターンを組み合わせて音楽を作る
たまに弟がその友達を家に連れてきた時などは増田も彼と直接会話することがあるのだが、先日の話。(ちなみに弟は買い物のため外出中)
友「この前、高校に顔出してきたんですけど、その時に部活の後輩と勉強の話になって、彼が『高校レベル以上のことを知りたいと思った時、専門書を買うのはコスパが悪い』って言ってたんですよ」
友「ゆとりか! と思って詳しく聞いてみたらですね。そいつに言わせると『専門書を買うよりもコスパが良い方法は、教師を問い詰めて専門知識を吐き出させることだ』って」
俺「そうなの?」
友「授業が上手いかどうかは別として、開成の教師なら誰でも何かしらの専門知識は持ってるし、物理の先生なら物理、数学の先生なら数学で本人の専門以外の分野についても教養学部レベル(←東大的な表現だなと思うby増田)の幅広い知識は持ってるから、まずひたすら質問すれば良い。すぐ答えが返ってくるし、『僕がどこが分かっていないか』もある程度把握してくれるし、タダだしって」
俺「さすがは開成だなあ(というか正しく予想の上を行かれた!)」
友「だから時間的にもお金的にもその方が効率が良いし、それで先生でも分からないレベルだったらその時に初めて専門書を買うなりすればいいって。言われてみたらその通りだな、って」
熊澤親がかわいい盛りの愛息を育てていたころに起きた有名な事件
高学歴でどちらかと言えば裕福な家庭で子供が親を殺し、世間を驚かせたこの事件を覚えている人多いだろう
よく学歴社会の歪みとして例えられ、その後の「自分らしさ」や「生きる力」などのふわっとした子育て論の根っこに、これらの事件は大きく影響したと思う
ところでこの数年前には、似ているが逆転している殺人事件が起きている
家庭内暴力が激しかった息子を親が殺した事件である。「息子が犯罪者になるのを防ぐ」という動機で子供を殺したといわれている
これらの事件が起きたとき、引きこもりの子供を抱えた親世代が、わが子を膝の上に乗せながら、またお腹に宿った命を前にしてどのような親子関係・教育論を持つにいたったのか、その影響は分からない
古市憲寿は社会学、落合陽一は学際情報学で分野は確かに違う。だが、古市憲寿を使うほとんどの場面で、落合陽一の方が良い仕事をすると思う。
http://d.hatena.ne.jp/lonlon2007/20090317/1237298299
※に尽きます。
でも、それだけでは何なので英才教育について
大事だと思うポイントをいくつか挙げたいと思います。
エリートに共通しているところは何か。
それは早期教育がなされてることです。
うちの開成高校では運動会が一大行事としてあるため、殆どの人は運動会が終わってほとぼりも冷めた6月頃から受験勉強を開始します。
一応数3Cまで高二の段階で学校の授業は一周していました。
ごらんの通り、彼はやるべきことはやっていたわけです。
ちなみに私が勤めていた進学塾では
超難関校向けの高校受験では中学3年時に高校1年生の内容の授業を行っていました。
決してそうではありません。
経験からするとこの場合、早慶やMARCHに落ち着くのがほとんどです。
単純に1番であるだけでは意味がないのです。
英才教育で求められるのはすでに学習過程を終えた上での好成績なのです。
目安として最低でも、1学年上の単元を常に取り組むような状態になることが必要だと思われます。
スピードがとても大事なのです。そこを気に留める必要があります。
子供の認知能力は経験上、小学校5~6年生くらいにかたまっていきます。
このころになると、中学生や高校生くらいの論理能力は備わっていると思います。
逆を言えば、それまでは認知能力に大きな個人差があり、それにともない進度にもばらつきが生まれます。
その間に成績が悪くとも落ち込まないでください。
このような学習の進め方をすれば、申し分のない英才教育といえるのではないでしょうか。
方法論については紙幅を割いてしまいますのでまた別の機会があれば。