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はてなキーワード: 認知とは

2024-07-23

認知おかしはてなー確率苦手民だったということだな

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/blog.tinect.jp/?p=87082

リン問題の回答について解説もされてるのに、はてなーの誤答率高すぎだろ

から話の通じない認知おかしはてなーが多いなと思ってたけど、確率苦手民だったからだな

勉強してないと、こういうカモになって共産とかカルトにいいように操られるんだな

anond:20240723054159

ご覧ください

こちらが認知の歪みです💁‍♀️

増田に沸いてる認知の歪んだキモい高齢者

昭和にクッソ甘やかされて育ったんだなって

令和だしボコボコに叩いて躾直してやらんとな

家に本が無い人達

そんなん想像したことすらなかった

でも弊社に腐るほどいるあの人やこの人の異常な社会性の無さを勘案すると、なるほどこういう人達普段一切文章読んでないからこんななのか…?と思う

というか日本大人の半分くらいの人達漫画ラノベ競馬新聞雑誌くらいしか読んでないのかもしれない

しろからネットがこんな有様なんだと言われると納得するけど、じゃあ普段一体本読まない時間何してるんだ、ゲームなのか

とはいえ本読みまくってると豪語してる都知事石丸閣下もあのめちゃくちゃな認知能力だし、逆に本読んでも救われない方が救いようが無くて救えないのかもしれない

2024-07-22

anond:20240722232720

結局成功するのは高学歴からね。

学歴関係無さそうな芸人アーティスト絵師プロゲーマーインフルエンサーみんな高学歴だもん。ごくたまに中卒高卒が特化型で成功するけど大半の低学歴有象無象のまま死ぬ運命が決まってる。

から成功可能性が約束されたインテリ存在認知するとネット低学歴自分が一生何をやっても底辺ゴミだと自覚してしまうから恐るんだ。

「俺は絵が上手い!プロになれる!イジメた奴らを見返してやる!」と執念を燃やす

現実は無情。何にもなれず孤独死する運命


そもそもインテリ努力せず才能やコネで楽に人生上がって、底辺は物凄く努力してるのに才能やコネに恵まれてないと底辺妄想するが、

実際にはインテリは常に努力し続けてコネ努力して作って環境整備している。

一方底辺は気が乗った時だけ頑張って、それ以外はダラダラゲームして自分の匙加減で努力した気でいる。コネを作って環境を整えるという重要性も理解できず人と話すのが恥ずかしいというクソみたいな理由で逃げて1人で努力することが美徳と都合良く変換して甘える。

障害を持った人が感謝をしない理由

例えば駅員の補助などに対して、障害を持った人が御礼を言わないことについて、憤るポストを見た。

自分なら礼を言うのに」「助けて貰って何も思わないのか」「傲慢」「健常者を奴隷と思っている」などなど。

まず大前提として、障害を持っている人にも持っていない人にも、傲慢な人もいれば謙虚な人もいる。

全員が傲慢でも全員が謙虚でもない。その人は傲慢だったのかもしれない。

次に、一般的に、店員さんなどにしてもらったことについて、全てのことについてお礼を言うわけではない。

でなければ、誰もがお店などであらゆる行動についてお礼を言い続けることになるだろう。

普通、お礼を言うタイミングは限られる。特別感謝を表明したいと思う、もしくは表明するべきとされる場面だ。

さて、問題は、この「タイミング」についての認知が、障害を持つ人と持たない人で異なりうることだ。

障害を持たない人は、「障害への対応特別配慮=お礼を言うべき」という図式で考える。

それは例えば、自分たまたま病気怪我入院したとして、短い期間のみ車椅子に乗ったとしたら、

おそらくそれはその人にとって「特別状態」であり、お礼をいうタイミングになるだろう。

さて、一方で、障害を持っている人にとっては、それは「特別状態」ではない。

死ぬまで続く「通常の状態である

この時受ける対応は、「特別配慮であるのか、それとも「通常の配慮であるのか。

社会多様性障害を受け入れる、というとき、それは後者を指す。

特別配慮なのだから、お礼を言うべき」という時、その人は社会の「通常の状態から障害者を排除していることになる。

言い換えれば、「障害者に特別配慮する」は福祉社会第一段階で、「障害者への配慮特別なことではない」が第二段階だ。

おそらく今、日本社会は、第二段階へ移行しようとしている。だから軋轢が起きる。

第一段階の考え方で「自分障害者に優しい」と思っている人は、お礼を言わない障害者を見るとムッとする。

傲慢で、礼儀知らずな奴らだ」という考えになる。

一方障害を持った人は、第一段階で生きていくのは、配慮されたとして、なお苦しいだろう。

それは、常に社会に対して負債を負いながら生きていることになるからだ。

「お前は迷惑をかけている」と思われながら生きることになるからだ。

自分は、全ての人が第二段階の考え方を持てるわけではないと思うし、強制できるものでもないと思う。

だけど、自分がもしムッとしたら、そこにはこのような、「特別配慮をしてやったのになんだ」という

第一段階の意識がないかどうか、考えたいと思う。

2024-07-21

anond:20240721203250

あの界隈、そもそも認知してる人間社会の中のごく一部なのでどれだけ騒いでも大した影響力ないんだが、

SNSエコーチェンバー効果自分達がすごく注目されてると勘違いしてるんだろうね。

anond:20240721150432

横だけどマジで認知が歪んでて笑っちゃった

これが真正

anond:20240721131748

それこそお前の僻みじゃねーか

認知の歪みがヤバすぎるんだよな

客観的事実から目を背けて願望ばかり書いてる

最初の話に戻るけどその勘違い事件は起こすなよ

anond:20240721131136

30分前に自分で書いた単語さえ覚えてないのか

こんな脳みそでは事実を認められないし、認知も歪んで勘違いするわな

anond:20240721124138

素晴らしいまとめ

これはもっと認知された方がいい

bioにAI学習禁止系の文言つけてる反AIイラストレーターリスト化していきたい

anond:20240721123902

降りたいのにゲームから降りられないような人間が何を言ってるんだろ

認知の歪みがやばそう

反さんのツイートを食わせて整理分析させてみた

古今東西どこもかしこもやることは同じだからか次々と出てくるが、似たような事しか言わなくなったので終了

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現代社会において、生成AIはその革新的技術で多くの注目を集めていますが、その影響力を懸念する人々も少なくありません。私たちが目にするSNS上の活動キャンペーンの背後には、影響力を行使しようとするフリーランスイラストレーターたちがいます。彼らは、生成AI使用に対する反対意見を広めるために、さまざまな群衆心理操作する手法を駆使しています。今回は、その中でも特に顕著な手法について詳しく見ていきましょう。

  1. 感情的アピール
  2. 誤情報拡散
  3. 偽のレビュー評価操作
  4. 偽の被害者キャンペーン
  5. 倫理的な疑問を強調
  6. 偏見の利用
  7. AIムードの創出
  8. 文化的アイコン悪用
  9. 法的な挑戦
  10. 無知を利用した啓蒙活動
  11. 意図的スキャンダルの創出
  12. セレブリティ不正利用
  13. 偽のデータ統計提供
  14. 集団的誹謗中傷
  15. 逆説的なプロパガンダ
  16. コントラストを利用した比較
  17. 自己正当化批判回避
  18. フィクション事実混同
  19. 直感的な反応を促すデザイン
  20. 利用者個人的な経験の強調
  21. 擬似専門家によるインタビュー
  22. メディア偏向報道の利用
  23. 急進的な未来予測
  24. 連続的なスキャンダル配信
  25. リアルタイムニュースと連動したプロパガンダ
  26. 感情的証言の利用

沖縄お笑い面白くない

沖縄お笑い面白くない。

それは特にO-1グランプリ沖縄グランプリ)なる、沖縄ご当地お笑いコンテストを見ているときに感じる。そこで行われている惨状は、恥ずかしくて見ていられない時すらあるほどだ。

そんなひどい感想には、あまりにも個人的偏見が含まれていると思っているそこの心優しき人も、「ありんくりん」というお笑い芸人は存じあげないであろう。なんとその得体のしれないコンビが0−1グランプリを3度も制覇しているのである。由々しき事態だ。

ありんくりん」はよしもと沖縄所属お笑い芸人だ。そもそも沖縄にも吉本があったことに驚かれる方も多いと思う。「ガレッジセール」や「スリムクラブ」などの、世間一般にも認知された沖縄芸人はともに東京吉本所属である。結局のところ、沖縄の才能がある人たちは活動拠点本土に移してしまうことが多い。

この事実を踏まえると、大阪東京のどちらでもなく、敢えてよしもと沖縄所属するということは、よくてご当地テレビお抱え芸人に甘んじる選択に他ならない。歴史が浅いこともあるが、よしもと沖縄から全国に羽ばたいた芸人存在しないし、今の若手にもその萌芽すら見受けられない。

ありんくりん」はもともとトリオだったが、一人のメンバーが脱退し、今のコンビになったそうだ。トリオから抜けたメンバー本土風の笑いがしたかったらしいが、残りのメンバー、つまりありんくりんの二人は、沖縄らしいお笑いに拘ったそうだ。

O-1グランプリに出場している多くの芸人が、本家M-1グランプリにも殆どネタを使い回しの上で出場している。沖縄芸人本土風のお笑いをするにしても、沖縄らしいお笑いをするにしても、どちらにせよ、すべてが中途半端に見える。

まず第一に、東京大阪芸人がやるようなスタンダードネタ沖縄芸人がやると、積み上げてきた経験の差が如実に現れ、ただ芸人っぽいものを集めてまとめたようなネタが見られる。それはプロを名乗りつつも、芸人の真似をしているだけだ。これは養成所のライブ大学学園祭お笑いライブにも同じ感想になるので、沖縄芸人特有のものではなく、単純な技術不足と恥ずかしさを捨てきれていない情けなさからくるものだろう。売れている芸人でも養成時代ネタなんて黒歴史として封印していることのほうが多い。

誰しもはじめから立派な漫才はできない。出来ないことは問題ではない。失敗をしないと成長もない。沖縄芸人問題なのは東京大阪芸人がやるようなスタンダードネタから逃げて、安易沖縄にすがることだ。それが非常にダサい

自分たち個性模索するのは結構なことだが、彼らの選択はただ勝負から逃げているように見えてしまう。それはおそらく、本人たちも自覚していないことだろう。彼らにこんなことを言うと、顔を真っ赤にし、自分たち沖縄を愛しているから、沖縄らしいお笑いをすると言うだろう。もしかしたら、匿名攻撃している私に向かって、「この内地かぶれは黙ってろ!」と叫びだすかもしれない。

ありんくりん」本人でもないし、何ならファンですらない私が、彼らのネタから彼らがいう沖縄らしさを抽出したところ、

沖縄県民の見た目ネタ(顔が濃い、髭が濃いなど)

・強烈な訛りと方言(ボケ典型的沖縄訛りで多くの若者普通は使わない方言を多用。ツッコミアメリカとのハーフこちらも訛っている)

・どこの地元にも存在するような、県民だけに伝わる細かなあるあるネタ(どこどこの交差点交通ルールが分かりづらい、地元スーパー台風でもいつも空いてる、など)

しかない。

これらを、沖縄らしさと呼ぶのなら、まごうことな沖縄県民の私だが、別に沖縄らしくなくていいと思う。

2024-07-20

anond:20240720195738

そっか

でも増田認知の歪みは治るかもしれないかカウンセリング受けると良いよ

anond:20240720121121

AIなんて「マスコミにとりあげられない!」と言ってる暇空よりもマスコミに取り上げられてない。

まさにエコーチェンバー

AI世間的には存在認知もされてないゴミ

anond:20240720111806

二次創作って熱意の表れだったりオリジナル認知を広げることにもなるから黙認している作者も多い

タグ付けして二次創作だって分かるようにしてるし、一種オマージュ(尊敬)だよね(お金を稼ぐための人もいるだろうけど

絵師がどんな権利を主張をしているのか分からないけど、AI作品二次創作次元が異なる話であるように感じる

2024-07-19

anond:20240719144906

あいつ、妾腹の三男で最初認知されてなかったし、それでグレて非行に走っていたからな。意外と苦労してるんだよ。

anond:20240719085903

一番最初の頃は暇空の正体があんまりわかってなくてシュナムルの件でなんか勝ったみたいな幕引きだったか

追及や分析能力があると信じてる人たちがいたんだよね

認知プロファイリング()の正体がすぐにバレてまともな知性のある人たちはすぐに我に返った

anond:20240718221807

こういう認知と推論能力が歪みまくった社会的孤立した男性東京11万人いるんだなあ

2024-07-18

人間関係おしまいにするのは難しいなあ〜という長文


※注:長い

先日、数年ほどFF相互関係を築いていた人物(以下、Dさん(仮名)と表記から離れるために、私はTwitterアカウントを削除した。

ひとまず目標通りDさんから離れることができたものの、まだ消化不良の気持ちが残る。この文章ではそれらを吐き出しながら、整理していきたい。

Dさんとは、近からず遠からずな趣味共通言語として、それなりに親しい間柄ではあったと思う。しかし、ほかのFFさん相手場合とは異なり、交流期間が伸びるにつれて、Dさんの人格とその言行に私が苦しさをおぼえることが増えていたのも事実だった。また、Dさんと私の母との類似自覚してから彼女ストレスを感じるたびに母へのトラウマストレスフラッシュバックするという悪循環があった。

離れる決断の決定打となったのは、ストーカー被害をめぐるDさんの対応だった。

あるとき、Dさんが企画した鑑賞会の参加者2人(ともにDさんのFF)が、その会での発言きっかけに揉めた。2人が揉めだしたさなか、Dさんはその一方に安易に助太刀するような発言をしていた。それでトラブルヒートアップすると、事態を冷却しようとしたらしいDさんが一方のFFを急にブロックした。結果、Dさんはブロックした相手から連日にわたりフォロリクやブログへのコメントが続く事態となっていた。

その上、Dさんが助太刀をした人物(以下、A(仮名)。私とは一切交流がない人物。)は、その勢いでつけ上がってか、「犬好きはサイコパス」のような、揉めた相手ターゲットとする大雑把で攻撃的な発言を繰り返すようになる。それが理由でDさんはその後Aとの関係も断ったが、Aの粘着行為はDさんが何度も恐怖を表現する程度に続いていた。

第三者の私から見ても、Aの粘着行動は先の人物のそれよりもずっと深刻だと感じられた。Aは、拒否され続けても1日に何度もDさんの鍵垢にフォロリクを送ったり、Aの別垢と思しきアカウント2、3個からもフォロリクをしかけたり、Dさんの相互関係にある公開垢たちを少しずつフォローしていくなどの偏執的な行動を続けながらも、Twitter上では、あいかわらず揉めた相手とDさんのことも誹謗するようなツイートを続けていた。Dさんへの攻撃的な発言を繰り返す一方で関係を保持することに固執しているAの行動は、矛盾しておりむちゃくちゃで異様に思えた。

何より、DさんがAの粘着監視下にあるような状態を怖がっているような発言を繰り返していたのが痛ましかったので、私は被害の解消が早まるようにと一言二言、心ばかりの助言はしていた。

 

ただ、次第にDさんへの疑念も私の中で膨らんでいった。そもそもAが日頃から攻撃的な発言を繰り返していることは少しツイートを見ていれば明白だったし、検索すればAはその舌禍のために趣味の「界隈」からさえ煙たがれ、ヲチ誹謗発言まとめページがつくられているような要注意人物だったからだ。Dさんは、「嫌いなもの悪口を言いあえるフォロワーが増えることのほうが嬉しいから」との理由で、Aの言動をあえて見過ごして相互関係を続けていたという…。

また、Aの粘着に困っている状況にもかかわらず、真偽不明なAの過去発言をまだ信じているような姿勢を見せるDさんに、私は度々戸惑いを覚えた。そうこうしているうちにDさんが、「別SNSアカウントならフォローしてもいい」と積極的にAを誘導するような発言ブログに明記した(実際、その後にAと思しきアカウントがDさんのフォロー欄に現れていた)ことも、私には理解しかねた。Dさんのプライバシー心理的安全を本気で心配していただけに、軽率に見えるこうしたDさんの言行に内心で愕然としてしまっていた。

Dさんの、「猫好きなら(「良い人」だろう)」とか「相手が同性なら」みたいな安易判断で、過剰に攻撃的な言動をする人でも平気でフォローする軽率さ…。ストーカー粘着に困っていた最中に、Dさんはトラブって閉じた鍵垢とは別に新しいアカウントをつくり、公開垢として使用すると宣言していた。公開垢の運用方針相談を兼ねてDさんが相互内で行ったアンケートでは、「(公開垢では)大人しくしておいたほうがいい」に投票した相互割合が圧倒的に最多だった。にもかかわらず、Dさん曰く「正当な機会を得て他者攻撃したいから」と、マウント承認欲求を結局優先するような発言をしていたことにも引いてしまったし、結局DさんはFF内のアンケート考慮することはなく、公開垢をやたら攻撃的な「思想」垢として稼働させるという、軽率さを再び発揮していた。また、いざその「思想」垢のツイートがプチバズしたら、焦ったのか急に鍵に戻す…Dさんの軽率さ…。その連続に、目眩がするようだった。

Dさんの行動は、人の話を聞かないまま軽率に行う自発的社会行動のせいで自分の首を絞め、そのたびに周囲に自分感情をわめき、まき散らす点で、私の母にそっくりに思えた。咄嗟に「もう付き合いきれない」と思う発言も何度もあった。なぜ娯楽の一環で利用しているインターネットでまでそんな人間と関わらんといけないのか、それともこの痛苦の感覚は私の認知の歪みの産物しかなく、私の自他境界曖昧さの問題で「他責思考」に由来しているんじゃないのかとも、あてどもなく何度も自問もしていた。

いずれにしても、Dさんとの関係が、母とのトラウマを思い出すトリガーとなりつつあった。彼女相手にすると、いわゆる「カサンドラ」、適応障害のような心理に私が飲み込まれしま状態になることが避けがたく、また耐えがたく感じられたため、Dさんから離れる必要性を度々意識していた。

以前から蓋をしていたDさんへの違和感や不満が、何度も爆発しそうになっていた。また、いつか怒りで我を忘れて、ひどいかたちでDさんに感情をぶつけてしまうかもしれないと想像されることも、私には怖かった。

そうはいいつつ、象徴的なエピソードとして記憶している出来事にも触れたい。以前、私が趣味に関するつぶやきをした際に、ポロッとDさんが「自分カバーしてない知識を持っている人をフォローしておくと相手知識を食えるのでお得」といったツイートしたことがあった。私自身や私にとって面白かった趣味の良書たちの情報を、Dさんがそんなふうに雑に消費しているものとは思ってもみなかったので、今思い出しても全身が脱力するくらいに、とても悲しい気持ちになる出来事だった。親しい相手と思っていたはずのDさんからは、便利な情報源、もっといえば「遊び道具(モノ)」としてしか認識されていなかったのだろうかという落胆と不快感の両方を意識せざるを得なかった。また、私の適当ツイートを眺めるだけで「知識を食」っているつもりになるDさんの知的不誠実さにも不信感を抱くようになった。

もちろん、彼女としては軽い気持ちつぶやきだったのかもかもしれない。私に、自分の信念に決定的に反するような発想と発言をする人間を受け流しながら適当交流を続ける余裕がないという問題があるのは確かだ。

それでも、他人言動に対して積極的かつ軽率対処をするDさんの癖が、彼女にさまざまなトラブルを引き寄せているように感じるようになっていた。

つまるところ、私としてはもう限界だと思ったのだった。

こうした経過があって、私は自分精神健康を保つためにはDさんとの関係を断つことが最善の選択だと、最終的に結論づけた。

話が伝わりがたくトラブルを誘発しやすい人と関係を続けることは自分を消耗させるだけなので、こうして見切りをつける勇気必要だったように感じている。

Dさんと交流のあったアカウントを削除した結果、このさき私とDさんが直接衝突する事態は未然に避けられたわけだから、こうしてあらかじめ身を引けてよかったのかもしれない(と、思うほかない…)。

私に見えないところで私とは無関係に、これからもDさんがどうか楽しく過ごされていますようにとは願っている。

おしまい

anond:20240429145049

障害とまでは言わんが、アンタ、平均より大きく認知等力が劣ってるんだろうな

まずそこを自覚して、その上でどう生きていくか真面目に考えたら人生少しは上向くんじゃなかな

負け惜しみと受け取る認知の歪みを見せる人はどうでもいいけど(前置き)、

自分たちの勝訴よりも相手方名前を出して「⚪︎⚪︎敗訴」とマスコミ記念写真撮らせるのは(その裁判の内容にかかわらず、またその相手方いかに暴虐無恥の大悪人か否かにかかわらず)勝訴した側の行動としてどういう意図でそれをやったのか気になる。

そんなに相手を貶めて辱めて袋叩きにしなければ自分たち尊厳を保つことすらできないのか。それほどまでに相手尊厳完膚なきまでに叩きのめし廃絶しなければ社会の公正さを維持することができないのか。マスコミ無自覚なのか構わずバンバン報じてるから問題無いんだろうなあ。じゃあ考えすぎかあ。

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