はてなキーワード: 花見とは
https://anond.hatelabo.jp/20200719175126
を見ててクソデカ公園といえばやっぱり昭和記念公園だろと思ったら、敷地面積は昭和記念公園のほうが大きいのな。
多分見どころは他の人がいっぱい教えてくれると思うが、俺が気にいっているところを書く。
なんかデカい池がある。ウッドデッキがあったり葦とかも生えてて日が傾いてくると映えるぞ。
アヒルの足漕ぎボートとかあって、クソデカバブル時代のトレンディな感じが哀愁を感じさせるのも良い。
どれだけ家族が詰めかけても抱え込む度量の広さがある。
クソデカ草原に隣接する桜も良い。千本桜ってところってとりあえずクソデカ感を出すためにデカい数を挙げてる感があるが、ここはリアルに千本あるんじゃねぇの。
クソデカ花見会場なので酔っ払いとかがいても気にならない。とにかくクソデカで度量が広いのがこの公園のいいところだ。
ここもすごくいい。シーズンは本当にぼうだ…クソデカな種類の品種があってすごい楽しいぞ。
小川とかも流れててクソデカ情緒に溢れている。オランダか何かか?
古民家がデカい。整備されすぎてて作り物くさい感もあるが、風情もありいいぞ。
ここもなんか作り物くさいんだけど、ジェネリックに楽しみたいクソデカ欲ばりセットな手合にはおすすめだ。
行ったことない。楽しそう。
スマホのメモ見返してるとときどき昔書いた小説モドキみたいなのがあってゲェッ最悪!と思う
晒そうかな(自傷行為)
俺の思う最高にかわいい女の子を書くぞ!思って書いていた記憶がなんとなくある しかし…キモい
○1年・7月
黒板を隅々まで綺麗にしていく彼女の軽やかな動きをぼんやり眺めていると、突然声をかけられた。
彼女、花崎さんとはほとんど話したことがないから少し驚いたが、よくみると彼女はちょうど「明日の日直」の欄を書くところだ。いま苗字を書かんとする人間が自分のうしろに座っていることに気がついたから、なんとなく声をかけてみたのだろう。
そうだね、と適当に返事をして頷いてみせる。
「がんばってくれたまえ」
気取った調子でそう言って教壇に座ると、花崎さんは学級日誌に取り掛かった。弱くも強くもない筆圧で、今日の時間割だとか欠席者だとかを書き込んでいく快い音がする。
教室にはほかに誰もいない。男子の日直である矢野君は重大な用事があるとかで帰ってしまって、花崎さんがひとり日直の仕事を片付けていたのだ。僕はといえば特に何かがあるわけでもないのだが、なんとなく高校時代の放課後の教室というものに浸ろうと思ってぼんやり座っている。
やがて「できた!」と小さな声が聞こえた。立ち上がった彼女になんとなく目を向ける。
目があった。
「読む?」と聞かれて、答える前に「読まない!」と先取りされる。「なぜなら明日読めるから…」と少し声を低めて歌うように言いながら彼女は教室を出て行った。
読むにやぶさかではなかったのだが、明日読めると言われればそうだ。ヘンなひとだなあ、と思いながら教室に意識を戻して、そのままひとりで20分くらい座ってから帰った。
○2年、5月
たまにはぶらぶら歩いてみるのも悪くない、と思って日曜日にわざわざ高校のある町まで出てきてみた。通学定期券がなければ片道400円近くもかかるところだと思うと、なんとなくありがたみがある。
目を向けたこともなかった駅前の観光案内板を見て、コースを考える。公園の展望台にいって大きく外すことはないだろうからここを終着点にしよう。そのごく近くの城跡にもせっかくだから寄ることにする。道中に菜の花畑なるものがあるな。たぶん今くらいがちょうどシーズンだし、ここにも寄って損はあるまい。その側の用水池というのも気になる。水面が見えるタイプだと嬉しいのだが、フェンスがあるだけかとガッカリするのもこういう散歩の醍醐味かもしれない。
ボンヤリと行きたいところを決めて、携帯電話の地図アプリと案内板を照らし合わせつつルートを確認する。ざっくりわかったところでひとつ息をついて歩き出した。幸い今日は随分いい天気だし風も適度にある。よい一日になりそうだ。
順調に歩いて菜の花畑まで来た。道沿いにそれなりの数の菜の花が咲いている様子は壮観…とまでは行かないが、天気と相まってそれなりに見ごたえがある。のどかな気持ちに浸りながらゆっくりと歩をすすめていくうち、前方に人影があることに気がついた。
あの人なんとなく知り合いっぽいな。熱心に花をみている様子だ。
近づいていくと向こうも気づいたようで、こちらをむいた。
「あれ、吉田くんじゃん」
華やかに笑って右手をひらひらと動かしたのは花崎さんだ。つられて手を振り返しながら、何してんのと聞いてみる。
案外くだらないことを言う。冗談なのかなんなのかと少し当惑していると、それが顔に出ていたのか花崎さんは笑みを深めた。
「そんな困惑しないでよ、散歩してたら良い感じの花があったから見てただけ。吉田くんこそ何してんの?この辺じゃなかったよね、出身」
いかにも僕は5駅離れた田舎の出身である、と答えると、彼女は思案顔になった。
「ここってはるばる来てまでやることある?ちょっと待って、考える……」
案外あるというのが僕の答えだが、考えるという彼女の言葉を尊重して菜の花畑に目を向ける。ときどき横の道路を車が走っていき、遠くから子供の声が散発的に聞こえ、鳥の鳴き声がする。ごく静かないいところだ。花崎さんもこのあたりに住んでいるのだろうか?気になったので尋ねてみる。
「あ、わたし?わたしはそう、この辺だよ。本当にこの辺。目と鼻の先と言っ……たら過言だけど、比較的過言じゃないと思う」
辺りを指し示すジェスチャーをしながらそう言って、彼女はまた考えはじめた。
まあ近くに住んでいるらしい。高校に徒歩で行けるというのは羨ましいなとぼんやり思っていると、声をかけられた。
「四案あります。いち、学校に忘れ物をしたので取りに行っている。つまらないね。に、だれかこの辺りに住んでいる友達と遊びに来た。これもあんまり。さん、部活。妥当だ!よん、この町が大好き。ありえなそう。わたしはいちだと思ってるんだけど、どう?まず正解ある?」
ヘンな人だなあと感嘆しつつ、この中に答えはなく僕はただブラブラしたくてタダで来れるこの町に来たと事実を告げた。彼女は少し驚いたような顔をする。
「タダで来れる!そっか、そういう価値基準もあるよね。奇特な人だ。どうこの町、歩いてみて?」
まだそれを答えるには走破距離が足りない、と伝えると花崎さんは「たしかに!」と笑った。公園の展望台に登るまでの脇道にある送電塔がけっこうオツなものであるという情報を教えてもらい、彼女と別れる。もう少し花を見てから帰るとのことだった。花崎だけに?と聞くと、花崎だけに、と笑われた。
印刷会社の者ですが
事前人気に頼らざるを得ないというのはわかります。
確かに刷り部数の決定は駆け引きというか…当初は3万部という話が、出版社内の営業と編集で争った結果5000部になりました…。
とかよくありますよね。
編集さんがプレゼンしなきゃいけないのは、買い手である読者に買ってね、書店さんへ良い場所へ置いてねこの本よろしくね、以外にも多く、
営業や社内へ向けて「出版するか」「何部刷るか」のプレゼンが大変そうです。
それには確かに、数字としての実績や人気を示さないといけなくて…「Twitterで話題で人気の原作(作家、漫画など)です!RT数、フォロワー数はこれくらいです」もひとつの指標ですよね。
「売るための下地」がなければ「部数を刷れない」のは、たしかに現実として正しいことです。
これは事務所や代理店の関わる「売ろう」と決められた本なので、あらゆる媒体で宣伝され、広告がうたれ、「売るための下地」をお金をかけて作りました。
初版1刷は2万部です。
公表につき再刷!増刷!重版(厳密にはちがいますが)!○万部突破!
これもまた実売数を売るための下地であり、刷り部数を増やすテクニックです。
元増田さんは文芸でしょうか?なかなか下地の難しい分野ですよね。
部数を多く、という以前に発行に漕ぎつけるまでが。
コミックスであれば、現在は3000できれば5000部というロットで刷れるようになったため、とりあえず出してみよう、が以前より多く感じます。
POD(オンデマンド)本を勧めてらっしゃる方もいますね、弊社も承っておりますよ、書店サイトから注文が入り即日C1000でプリント、手作業でPP貼りし、手作業で製本して手作業で断裁、そして発送。
正直こちらは一般に流通する書籍などと同等とは言えませんし、刷り部数が確保できないほどの小ロットにしか向きません。
印税(率、または単価が高いことによる額)が良くても総合的には部数が稼げる商業印刷には収入としてはかなり劣ります。
宣伝して売るための予算を取る、初版部数を増やす、これらは買い手への宣伝ではなくて社内へのプレゼンです。このためには、事前の評価が必要なのは事実です。
どんなに編集さんが熱心でも、その予算が取れず部数も減らされてがっかりされていることは日常で、私たち印刷会社も以前より部数が絞られる傾向を感じています。
刊行タイトルが増えて、抱える作家さんが多くなったせいか、宣伝できるタイトルが絞られている印象です。
タイトル数が増えて、個々の実売数が減っている…そうすると人件費率も経費率も爆上がりですからね…。
(印刷会社から見て、印税10%は妥当かなと思うのですよ、物価が高くなったとは言え製品原価自体は微々たるものですが、あまりに一冊をつくるのに人手と時間がかかるので…。)
(売れる本だけ大量に刷れるなら別ですが、大半の利益の出ない売れない本の経費や赤を、売れる一部のベストセラー本が補っている現状です。)
作家さんが増えて「経費」も絞られていますよね、校正校閲を省くという荒業から…作家さんへの接待なども。
我々業者は、作家さんの花見の席取りや、作家さんの趣味の観劇チケット取り、打ち合わせで行きたいとリクエストのあった予約制飲食店の予約…などによく駆り出されたものですが、新人の方への接待で呼ばれることは少なくなったように感じます(大御所さんはいまだにありますが)。
桜の花を愛でる人はたくさんいる一方で、葉桜はせいぜい「通好み」にとどまる。まあどう見たってふつうの広葉樹以上のものではない以上当然といえば当然なのだが、なんだか寂しいような気もする。
モミジなんかも同じで、紅葉している間はわざわざ遠方から見にくる人もいるくらいの人気なのに、緑になるとほとんど無視される。
で、思うんだが別に緑の葉っぱだって美しいんだよな。桜の花より桜の葉のほうが美的に劣るってことはないんじゃないか?どうしてあの花が好きだ、綺麗だと思うかって言われたら「春にしか咲かないから」「儚いから」みたいな理由づけしか出てこないような気がする。モミジも似たようなもんだろう。
となると、世に言う「美しさ」っていうのはわりと珍しさで決まってるんじゃなかろうか。葉桜と花桜の見た目が逆だったら花見じゃなくて葉見が行われる世の中になっていたんじゃないか?
ダイヤモンドが美しいとされるのが貴重性ゆえなのは見た目はほとんど同じである人工ダイヤモンドがあまり好まれないことからもわかる。
葉桜を愛でるほうがお得だと思うんだけどな。ガラスのジュエリーを喜び、街路樹を美しいと思い、駅前の名も知れぬ彫刻に感動する。そういう心で生きていきたい。
その道は春には桜が咲いていているし、車通りも少なくて歩きやすい。
緊急事態宣言が解除されたからか、この1、2週間よりもちょっと多くの人とすれ違った。
人も多いし、木の近くでちょっと休憩していたら気づいたのだけど、その木の葉っぱは縁がギザギザしていて、桜餅の葉っぱと一緒だった。
そりゃ散歩がてら花見に行ったこともあるくらいの道だから、街路樹が桜なのは当たり前なんだけど
植物に疎い私にとっては花がなければあんまり分からないし、道行く人達も私とあまり変わらないみたいだった。
でも、人々が写真を撮ったりしなくても、あの綺麗な花が咲いていなくとも、桜はちゃんと桜なんだって思うとなんだか嬉しくなってしまった。
ヒグラシが鳴き金木犀が咲くような時期に入学するっていうのは相当エモいと思う
これからあったかくなるぞ!って時期に入学してたのが真逆になるわけで、なんというか大変宜しい スイカに塩振って甘さ際立つみたいなね、季節の寂しさとイベントのワクワク感がどんな相互作用を見せてくれるか期待が高まる
卒業が7月あたりになる(?)っていうのはどうなんだろうな ただでさえ消えかけの「第二ボタンください」文化が消滅することは確かな気がする 夏服のボタンちぎるのって嫌だしな
地味に振袖文化にもけっこうダメージ行きそう 3月なら全然いけるけど7月にゴテゴテした振袖着るのはいくら着飾りたい人でも御免なんじゃないか
卒業式が終わったあと海に行く、みたいな習慣ができたりするとカッコいいな あんまり想像できんけど
桜の地位は落ちそうだなあ まあ流石に綺麗だから花見はするだろうけど、学生にとっては「後期の途中に咲く花」程度の思い入れになるわけでエモさみたいなものは目減りしそうだ
後で片方に問題があることが分かっても両論を書いておけば逃げられるという姑息な計算もあるのだろう。
この週末では江ノ島や吉祥寺などに頭の悪い連中が出掛けていって
もちろん出掛けていく馬鹿が一番悪いのは間違いないのだが
馬鹿が馬鹿な判断をするのはマスコミの報道にも原因があるだろう。
そう、お得意の両論併記だ。
それを見た視聴者はどう思うだろうか。
もともと意識の低い人は、「そっか、みんなやってるんだったら……」
そうして不要不急の外出が拡大する。
いい加減に「こんな考えの人もいるんです」と紹介することで
あまり昼休みに公園とか行かないのですが、今日行ったら子どもだらけでいつになく賑やかでした。
屋台でも出したら繁盛するだろうなーって感じです。自粛自粛で子どもも疲れるだろうなーと。
犬の散歩の人も多くいたので、寄ってくる犬にもれなく撫でてあげました。友好的に寄ってくる犬は可愛いです。
ソメイヨシノじゃない桜か何かが満開で、ちょっとした花見も出来て、こんな厳戒態勢外出控えめにと言っても外に出るのはいいなと思います。
今日も少し増田を書きましたが、トラバやブクマがつきませんでした。
安倍からすれば、何度も自分の足を引っ張る行為をやらかしてくれる人なわけだけど、昭恵は反省して気をつけようとかそういう感じはなくない?
今も、屋内花見で叩かれたから外出は気をつけなくちゃ。とかじゃない。大分行ってるってまたスクープされてるし。無邪気なままに見える。
安倍はアッキーにとやかく言ったりしてないんだろうか?そう思うと、夫としての安倍の姿が垣間見える気がする。夫としてはいいひとなのかも。でも総理大臣には向いてないと思う……
未知のウイルスを理由に言ってることがコロコロ変わるし、過去に言ってたこととの整合性を指摘すると怒りだす。
変わるのは仕方ないとしても過去の発言をなかったことにするのは人としても科学者としても失格だろう。安倍夫人の花見を糾弾した立憲議員が緊急事態宣言後にセクキャバに行ってたようなものだ。
8割減らすには3月の雪の日のような行動をしばらくしてくださいと言った結果、休日に郊外の商店街やスーパーが買いだめ客で大混雑する事象を起こした。雪の日のような自宅完全引きこもりを何週間もやるにはそれなりの備蓄が必要なのが分からないのだろうか。バカすぎる。
「一般人ではない人が多くかかってる」とか、物体扱いするなど、感染者に対する差別発言をする専門家が目立つ。その結果、一般人が感染者を差別的に扱っている事案が頻発している。
せっかく自治体が「感染者は悪くありません」とアナウンスしても、専門家が打ち消してしまっている。彼等はハンセン病の悲劇やHIVを封じ込められなかった歴史を学んでないらしい。
専門家が混乱と一般人の憎悪を扇動させてるのは事実なので、ワクチン開発現場に居る少数精鋭以外は専門家の看板を下ろして物流業にでも転身したほうが世の中のためになるだろう。
桜散らしの雨とかなんて言うけど、
なんだか花見って感じでもないし、
私は近所の神社の桜を愛でたぐらいで
そこでスタンレーのデカい水筒にルービーを入れて1人お花見と意気込んでパパッとグビッと決めて帰ってきたところよ。
暖が欲しいわ暖が。
というか、
ここは通常通りの勤務態勢なのかしら?とも思うけど、
きっと5月ぐらいまで休校なのが関係してるのかも知れないってことに今気付いたわ。
でね、
コロナコロナで客足が遠のいてるのかどうかはまだ微妙だと言うことで、
そのお店はそう言ってたわ。
なんだか新人さんも入ってきたようで、
なんかこっちが気を遣っちゃうわ。
なんでこっちが新人さんに気を遣わなくちゃいけないのよ?とまでは思わないけど
とりあえず頑張ってね!とは言ってみたわ。
長く続くといいわね。
その新人さん見てるとなんか余裕がないというのか一生懸命なのか、
威勢の良い美容院みたいで、
ほんと笑っちゃうけど、
ちょっと待つどころじゃないところがよかったです。
こっちの小言が増えて申し訳ないんだけど
話変わるけどさ、
日本語学習者にとって、
いま別のフロアにいる子がいるんだけど
「びよういん」と「びょういん」の区別がとても難しいらしく
これもまた学びの春ならではと言ったところで
無理!と手を上げる前からお手上げって感じで、
私だってびゃんびゃん麺のびゃんが書けたところで、
なんの特にもならないし、
ほんとうに漢字圏じゃない国の人が漢字を学ぶことは鬼難しってことを聞いて
春だなぁーって。
私も春だから何か習いごとでもしたい気がするのは気のせいなこともないかも知れないわね。
うふふ。
というか慌ただしかったので食べてなかったわ。
寒気がしてなんでだろうと考えたら朝ご飯食べてなかったんだわ!って
やっぱり朝のご飯の朝食は
身体をスタートさせるためにも温めるためにも重要だっつーことよ。
ホッツ白湯飲んだところで確かにちょっとは暖かくなるんだけど、
てへ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
毎年人でぎっちりの桜並木に囲まれた芝生の上がほぼ貸し切り状態。
毎日のようにこの公園に来て、水筒のお茶を飲みながら本を読むのが日課になっている。
今日は定休日だったので、朝1番に起きて、公園に行く途中にあるお気に入りのカフェで
腰を下ろして持ってきた本を読む。
芝生の上なので、疲れたらストレッチをしたり、何なら寝転がって
桜の枝ごしに青空を眺めたりする。
パラパラいる家族連れが距離をとって花見を始める頃には、お昼になっていて
目をつけていた新しいコッペパンの店に出向くも残念ながら定休日。
仕方ないんでそのまま自転車に戻って、公園のすぐそばにある所大型ショッピングモールへ。
受け取ったらすぐにテラスへ移動。
もちろん念のために、念入りに手を消毒している。
テラス席も人がまばらで、静かで快適。
桜は見えないけれども、青空を見ながら食事をして、フードコートの
マックで食後のコーヒーを買って、しばしテラスで日記などを書き散らす。
いい具合にお腹がこなれてきたので、席を立ってまた自転車に乗り
本も1冊読み終わりかけた頃には、今日は少し寒く、防寒対策をしてても体が冷えたので
そうこうしてるうちに、家の猫と犬達のご飯の時間になったので帰宅。
ちなみに夕飯のメニューは、今日1日あまり食べれなかった野菜がメインのポトフとぶどう。
そろそろ犬が散歩に連れて行けとそわそわし始めたので、犬の散歩をして、
帰ってくる頃にはきっと暗くなっているので、冬のダウンコートを出して
もう一度また公園に行くつもり。
毎年だったら、ぼんぼりがついて宴会客でやかましいだろうけど、今年は
ライトアップもなし。
多少薄暗いけれども、外灯はあるし、夜桜が綺麗だったと友人が言ってたので
今散り始めている1番きれいな時期を逃したくない。
今年、40年近く生きてきて、初めて本当の意味での花見をしたような気がする。
花が咲き始めてから、毎日花見をしに公園まで来てるけども、桜がこんなに
きれいだったなんて多分今年初めて知った。
もちろん日本人なので、毎年花見は子供の頃からしてきたしきれいと思ってたけども
花より団子になってしまっていて、大人になってからは、アルコールも入っていたし
みんなでドンチャン騒ぎすることが楽しかったから多分あんまり花見てない。
今年は読書をしながらなのでほんとに端を見てるかと言ったら、違うかもしれないけども
今しか見れないこの桜の姿を、この時間を、一緒に過ごしたいなと思って今日は1日
桜の木の下にいた。
満月は昨日だったと思うけども、きっと今夜の月も綺麗だと思う。
夜桜越しに見る月、とても楽しみだ。
来年はコロナも落ち着いてるだろうし、きっと例年の宴会場と化すであろうこの公園の静けさを
今年は桜が散るまで、味わい尽くしたいと思う。
ごめん、元増田は幸せそうだし、幸せのおすそ分けももらったけど、どうしてもこれフラグに見えてしまう…
来年以降はまた通勤で疲弊してパワハラ上司と仕事する……じゃなくて、コロナが終息しなくてものすごく荒廃したポストアポカリプスな世の中になってしまい、もしかして自分もこの世にいないかもしれない私の、破滅と絶望の前の小春日和の感じ。
まぁ厨ニといえば厨ニなんだけども……。
ほら、ドラマなら本能寺の変の前にちょっとしみじみと幸せなシーン挟んだり、朝鮮出兵の前に醍醐の花見のシーン入れたりする演出みたいな。
幸せな春はとてもエモい文章で。だからこそ、そのエモさを味わう自分が、悲劇的な結末を知った上で切なくなる型にハマったような居心地悪さを感じてしまう。