はてなキーワード: 緊急避難とは
女性専用車両をやるにしてもあくまで一時的な緊急避難とすべきだが、
どうも現状では「恒久的で最終的な解決策」扱いされている。
さすがに「自分の好きな車両に乗る」と「女性専用車両に乗る」ではレベルが違う。
そもそも通勤時が想定されるので特定の車両まで移動できる余裕がないことも多い。
結局「女性」という区切りも「車両」という区切りも大雑把すぎる、というところに行き着く。
で、そこをより正確に管理しようとすれば鉄道事業者側の負担も増してしまう。
多くの男性にとってはそうだろう。
だが、密度問題は「女性専用車両」が抱える根本的なものだから、別の対策を模索せよという結論になる。
ちなみに女性専用車両増田は密度だけの問題とは思ってなさそう。
まあこれは難しい問題なので措く。
悪いのは痴漢。
というのは当然として。
痴漢犯罪者の倫理感には期待できない(当然だ)から「女性専用」という制度で緊急避難してるのであって、
さらに一般男性の倫理観に押しつける構図っていうのは、やっぱり歪なんだよね。
どちらか一方に偏れば(正当な理由があっても)不満が生じるのは、人間として仕方ない。
要は本音と建前なんだけど、
不満の矛先が女性に向かうリスクも減って、女性にもメリットがある話なんだよね。
犯罪者のせいで一般男性も不利益を被ってる構図ということを忘れちゃいけない。
女性にとって「女性であることの被害者性」は深刻な問題なんだろうけど、
それを反転させて「男性全体が加害者である」ことにしちゃうのは間違いなんだよね。
女性差別や性犯罪と比べたり引き換えにして語るべきものではない。
男はすぐ弱音を吐いて情けない、などと批判するべきではない。
無用の分断を生むだけだよ。
明日、今夜、それとも今この増田を開いた瞬間にあなたもご家族も被災者になるかもしれません
身を守る準備できてますか?
過去を悼むことはその後でも十分です
https://crisis.yahoo.co.jp/map/
■非常時の持ち出し品・備蓄品チェックリスト - 日本赤十字社 東京都支部
http://www.tokyo.jrc.or.jp/checklist/
https://www.amazon.co.jp/b?node=2409182051
http://www.soumu.go.jp/menu_seisaku/ictseisaku/net_anzen/hijyo/dengon.html
成年後見人には医療行為の同意を行う権限は付与されていないと解されています。民法が改正されて成年後見制度がスタートするにあたり、平成10年4月に法務省民事局参事官室が発表した「成年後見制度の改正に関する要綱試案補足説明」でその理由が説明されていますので、少し長いですが引用します。
「成年後見制度の改正に関する要項試案補足説明(法務省民事局参事官室)」(平成10年4月)(抜粋)
「成年後見人の権限は、意思表示による契約等の法律行為に関する者に限られるので身体に対する強制を伴う事項(健康診断の受診の強制、入院の強制、施設への入所の強制等)は含まれない。なお、意思表示による法律行為であっても、一身専属的事項(例;臓器移植の同意等)は、成年後見人の権限には含まれないものと解される。」
「成年後見の場面における医的侵襲に関する決定・同意という問題は、一時的に意識を失った患者又は未成年者等に対する医的侵襲に関する決定・同意と共通する問題であるところ、それらの一般の場合における決定・同意権者、決定・同意の根拠・限界等について社会一般のコンセンサスが得られているとは到底言い難い現在の状況の下で、本人の自己決定権及び基本的人権との低触等の問題についての検討も未解決のまま、今回の民法改正に際して成年後見の場面についてのみ医的侵襲に関する決定権・同意権に関する規定を導入することは、時期尚早と言わざるを得ないものと考えられる。この問題は、医療行為の全般に関する問題として、医療の倫理等に関する医療専門家等の十分な議論を経た上で、将来の時間をかけた検討に基づいて慎重に立法の要否・適否を判断すべき事柄であり、当面は社会通念のほか、緊急性がある場合には緊急避難・緊急事務管理等の一般法理に委ねることとせざるを得ないものというべきだろう。」
■成年後見制度の利用の促進に関する法律(平成二十八年法律第二十九号)
https://www.cao.go.jp/seinenkouken/law/sokusinhou.html
オレ男。昔観たマンガで男トイレに女が入ってきて男たちがぎょっとなってるシーンがあった
現実に同じことが起こっても、女トイレが満室で緊急避難的にこっちに飛び込んだのかなくらいにしか思わないだろうから
逆に男側が満室で女側へ飛び込むのはヤバいと感じる
通報されて署で事情を説明することになっても仕方ないと思う。でもそこでおわり。逮捕はされない
時代によっても変わるもんだしだからどのあたりで線を引くかバランスをとるかの問題だと思うし
上のような線引きの仕方は許せないって人もいてもしょうがないと思う
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asahi.com/articles/ASM135VDQM13PTIL006.html
こういう事件が現に起こってる。
なーにが「女が被害をでっち上げる可能性は低い」だよ。でっち上げとるやないか。
こういうケースを見、さらに一部の男の犯行を全体に連座させる女のロジック(女性専用車両、notallmenなど)を適用するならもはや女の証言なぞ全く信用に値しない。
metooなんかも全部嘘。ツイッター?嘘松オンリー。嘘ついてる女と善良な女の区別なんかつかないもんなぁ?女性専用車両のロジックだぞ?
そもそも物証一つないのに有罪になったり犯人として報道したりするのがどうかしてる。女絡みのときは特に多い。
こうなったら被害を受けないための緊急避難として「女に近づかない」ハラミ会いやハラミ会社やハラミ社会をを認めざるを得まい?
人工妊娠中絶はしばしば女性の権利の問題として語られるが、冷静に考えてみれば別に女性の権利でもなんでもないような。
胎児が人間ではないとする立場を取るならば、胎児は母体から栄養を供給されることによって成長するものであり、母体の身体の一部であるのだから、爪や髪、あるいはタトゥーといっしょで、より普遍的な「自分の身体の一部を好きにする権利」にすぎないように思う。私は髪を短くしておくのが好きだけど、長く伸ばすのが好きという人もいるし、それを配偶者や親が「いや、お前は髪を伸ばさねばならない」とか「髪を切れ!」と強制するのはおかしい。胎児もそれと同じで、ことさらに「女性の権利」と呼ぶようなものではないと思う。自分の身体に関する権利は男女がともに等しく持っているのだから。
逆に胎児が人間であるという立場を取るのなら、中絶は殺人であり、殺人をおかす「権利」はいっさい認めるべきではない。アメリカの中絶反対派のなかには、中絶には反対だがレイプでできた子は中絶してもよい、という立場を取る人がいるようだけれど、はっきり言ってわけがわからない。レイプされたという理由で罪もない一人の人間を殺してよい理由はどこにもないのだから(レイプ犯への復讐すら殺人罪に問われるのに)、仮に胎児が人間であるとするならば、レイプされてできた子供であっても人工妊娠中絶を認めるべきではない(もちろんその子供を育てる義理はないので、施設に預けるとかそういう選択肢が存分に保証される必要があるけれど)。中絶をしなければ母親が死ぬという場合に限っては緊急避難が認められる余地はあるだろうが、そうでなければレイプされてできた子供だろうが経済的に養えない子供だろうが、人工妊娠中絶を選んだ妊婦や産科医は殺人罪で訴追されるべきだ(情状酌量がされてはいけないとはもちろん言わない。裁判にかけられるべきだと言っている)。なぜなら、人を殺した者は殺人罪で訴追されるべきだからだ。
私はそもそも胎児は人間ではないと思うので中絶は自由だと思うけれど、それを「女性の権利」と言うのは上のような理由で違和感がある。また、ローマ・カトリックが中絶絶対認めないマンなのを理解不能と呼ぶ人を見かけるが、胎児は人であるという前提条件を採用するなら中絶絶対認めないマンにならざるを得ないので、理解できないという人の方がわからない(ただし、「私人が勝手に人を殺してもよい」という前提を持っているならば、「胎児は人間」と「中絶は自由」は矛盾なく両立するので、論理的に必ず中絶の禁止が導かれるわけではないことは注意したい。ヒャッハー!)。
かつてとある場所で、中絶の可否について議論したことがあった。私は「中絶は自由」派だったのだが、「胎児は人間なので中絶反対」と言っている反対派を、経済的に困窮した女性はどうなる、とフェミニストであろうと思われる賛成派が追及していて、お前の言ってることはおかしい、と横から突っ込んだ。「胎児は人間なので殺してはいけない」という主張に「経済的に困っている人もいる」と反論したら、それは「経済的に困っていれば人を殺してもよい」という主張と同じだ(「人を殴ってはいけない」という主張に「聞き分けのない子供はどうすればいいんだ」と反論したら「聞き分けのない相手ならば人を殴ってもよい」と言っていることになるよね? それと同じ)。「胎児は人間」と主張する人に対しては「胎児は人間ではない」と返すべきで、それに対して経済的困窮とかレイプ被害とかを持ち出す論者は、貧困層であることや性暴力被害に遭ったことを理由に罪も無い人を殺してよいと主張していることになる。80歳の老親が50歳の引きこもりの子供を殺したら殺人罪なのだし、長年の性暴力に耐えかねて人を殺した尊属殺法定刑違憲事件だって、「裁判を経て情状酌量が認められた結果執行猶予がついて釈放された」のであって「人を殺したのに裁判にかけられずに堂々と暮らした」わけではない。もしも仮に胎児が人であるならば、20歳の妊婦が胎児を中絶する行為も、同様に扱われるべきであるはずだ――もちろん実際には、胎児は人ではないので、中絶した妊婦も裁判にかけられる必要などないのだが(堕胎罪は有名無実化しているとはいえ悪法なのでさっさと廃止するべきだ)。
神学論争になっちゃうじゃないか、と言われればその通り。結局これは徹頭徹尾「人間の始期」をどこに置くかという神学論争に過ぎない。生物学的には受精卵から乳児に至るまでの過程は連続しているが、社会的にはどこかで線を引く必要がある(乳幼児から成人に至るまでの過程は連続しているが、社会的にはある瞬間から選挙で投票できるようになったりお酒が飲めるようになったりするのと同じだ。15年経てば20歳になるのだからこの5歳の幼児を成人として扱って酒を飲ませてもいいじゃないか、と主張する人は皆無なのに、1年経てばこの胎児は乳児になるのだから人として扱うべきだ、と主張する人が後を絶たないのは奇妙なことだと思う)。なので本質的に人工妊娠中絶をめぐる問題は女性の権利とはなんの関係もないのだ。これを「女性の権利」と呼ぶのはミスリードにすぎないと思う。
俺も花粉症だよ、だけど、鼻をすする行為が汚らしい行為、他人を不愉快にさせる行為だと理解してるよ。
だから鼻が出る時は、鼻をかむし、酷い時は薬を飲んだり、マスクしながら鼻にティッシュを詰めたりしてる。
人前で鼻をすする事は殆どしない。
殆どというのは、あまりにも急に鼻水が流れてきて、ティッシュを用意するまでの間に間に合わなくなりそうな時は、
緊急避難的に、音が大きくならないように、最小限すする事はあるから。
大きい音を出して、何度も何度も鼻をすすってるやつはサイテーだよ。
サイテー!
今朝、俺の隣に座ったベージュのコート着たババア、これがまたサイテーのババアで、
ずーっと鼻すすってやがった。大きい音出して。
周囲のやつらはずーっとそれを聞かされるわけだよ。
ホームレスの話で何故すぐああいう中身の無い偽善的結論がまかり通るのだろう
収入の無い者にも生存権や文化的で健康的な生活を送る権利はある
それが生活保護であったりホームレスシェルターであったりするわけだろう
ここまでは当然だ
しかしそこから何がどうなったら路上や公園を占拠する権利なんか発生するんだ
しかしホームレス支援のやつらの話は明らかにそういうことではない
永続的に公園を占拠してわがまま放題好き放題やらせろ当然の権利だと来る
そんなわけねーだろいい加減にしろ
なんでああいう道理も合理性もない滅茶苦茶な主張をするのかさっぱりわからない
ホームレス自体はともかく支援団体の思惑については推測できるところがある
要するに彼等は世間や官憲に嫌がらせをして闘争ごっこを楽しみたいだけだ
だからなるべく人に迷惑がかかる、迷惑の規模が大きい「解決策」を好んで採用する
以下、司法試験受けるどころかまともに法学で単位とれなかった法学徒崩れの一見解です。
まず、法学にもざっくり2つの分野が存在する。現実社会で運用されている実定法を研究する「実定法学」と、それ以外の法にまつわる研究をする「基礎法学」だ。
このうち、基礎法学には、少なくとも今「○○ 査読」でググった程度の範囲では、論文誌に査読がある。少なくとも法哲学・法制史・比較法学・法社会学あたりで査読付論文誌があるのは確実だ。勿論ないものもあるだろうし、そういうものに関しちゃガンガン批判していくのはありだろう。ただ、少なくとも「全ての法学分野で論文に査読がない」というのは明らかに間違い。
こちらはおそらく事実。というか、査読というシステムの意味があまりないということは考えられる。これは、実定法学というもののイメージがついていないと多分理解しにくい。
の三段階くらいレイヤーが存在する。ひとつ目は誰だろうと覚えてる当たり前の知識だけど、二つ目になると正解がないので絶対に個々人で異なってくるよね、3つめに至っては言うまでもない、みたいな話はおそらくある。
具体例を挙げよう。刑法には「刑罰は何のために存在するのか」という考えにざっくり2つの異なる立場が存在する。「ある個人が、悪とされる『行為』を行ったのでそれを罰しよう」という行為無価値論と、「社会的に悪い『結果』をもたらしたからそれを罰しよう」という結果無価値論だ。これは刑法における根本的な思想である。それらはどちらが絶対的に正しいとかではなく「どの分野でどの程度どちらの立場を優先するか」というレイヤーで争いがある。
具体的には、「心が壊れた人間による殺人」と「自分の赤ちゃんを殺そうとした人間を殺した母親」などだ。前者は刑法39条の規定により無罪となるとしよう。なぜなら、心神喪失状態での行為は「自分の行った行為に対する責任」を問うための刑罰を化しても無意味だからだ。その人は自分がおこなったことの意味を理解していないから、刑罰を科すことに意味がない。ふざけるな、という意見は多数あるだろう。心情的にそれは俺も理解できる。しかし、それでもなお刑罰を科すとするならば、それは「誰かが人を殺したという『結果』が悪いことである。だから、本人が自分の行為を理解していなくても、社会としてその結果をもたらした人間を罰しなければならない」という立場をとる、ということにならざるをえない。
では、「自分の赤ん坊を殺されようとしている母親が、殺そうとしていた人間を殺した」といった場合、その人間に対してどういう立場をとるべきなのか?「人を殺したという結果は社会にとって変わらないのだから、赤ん坊が殺された母親であっても刑罰を科すべき」という立場になり得るのか?
この話は、実のところ論理的には適切な例ではない。結果無価値論と行為無価値論は違法性阻却の議論で出てくるものであり、前者は心神喪失による有責性の阻却の話で、後者の緊急避難(追記:ブコメで「正当防衛ではないか」とありましたがそのとおりです。ありがとうございます……)による違法性阻却の話でしか出てこないからだ。もっと言えば刑法と民法と憲法では基礎になる論理が全く異なる。ここで俺が言いたいのは、実定法における「本当に基礎の基礎の大前提になる考え」は、法解釈において多くの矛盾を生み出す、ということだ。そこには「正解がない」。どの場面でどのような立場をとるか、それは1か0かで決められる問題ではなく、「ある場面ではAの立場を肯定し、別の場面ではBの立場を肯定する」、そういった解釈違いが、刑法民法刑法何百何千もの事例において発生する。それらに対して、「ある事例でAの立場をとり、別の事例ではBの立場をとる」という判断の組み合わせに、論理的な整合性をどのようにつけるか。それを生み出すのが、ざっくりと法学における「学説」と呼ばれるものになる。繰り返すがこれは刑法の例であり、民法や憲法では細かな部分は異なるだろう。だが、どの分野でも「学界の多数説」「学界の少数説」「実務における判例」の3つが異なる立場にある、というものが1つや2つくらいあるのは当たり前だ。それが実定法学の実情だ、と思っていいはずだ。
そんな現実において、あくまで俺の認識に限って言えば、その「矛盾しない解釈の論理体系を構築する」というのは研究をやる上では当たり前のことだ。論文出す以前に、研究ができるかどうかという前提の話。何の話をしているかというと、その能力を持っているかどうかを確認するのが「司法試験」であり、司法試験程度(そう、司法試験「程度」)を合格する能力がないと、法学研究なんてできない、というのが現実なのだ。全体的な解釈の整合性をとれているのは当然である。司法試験に合格すらできない人間は研究者になれない。「最低限の研究能力」という点で、院なりなんなりに進んでいる時点で最低限の自然淘汰が発生しているのは実定法学研究では当たり前の前提である。したがって「最低限の論理的整合性が取れてるかどうか」という意味での査読はそもそもない……というのが、院生の友人知人を持たない俺の、推測レベルでの解釈だ。そもそも論文を出せる環境にいる時点で、能力が保証されているからだ。
そして、そこからさらに「構築した論理体系による学説が『受け入れるに値するものか』」って話にまで踏み込むと、そのための「査読」ってなによという話がある。たとえば、心神喪失状態で何十人と殺した人間を無罪にすべきという、法学の論理的に整合性がとれている説を唱える人がでてきた場合、それを査読する意味とは何か。論理的には正しい解釈体系が、何十人もの法学者によって何十個と出来上がっているなかで、誰の立場をとるか。ここまでくると、正直なところ、査読がどうこうという話ではないのだ。はっきり言えば、「その学説を社会が受け入れるかどうか」って話なのだ。
この辺りを、法学を勉強したことがないひと、いや法学を勉強したひとですら勘違いしていることがあるけど、法と社会/法と政治というのは、ものすごく漸近している。法学の学説が受け入れ良レルかどうか、というのには少なからず社会的価値観/社会通念が影響しているし、法は決して固定的なものではなく、社会のなかで変動している。法は社会に内在しているし、社会に対して法は影響力を持つ。
そうした実定法学の特徴が生み出すのは、ある一定のレベルを越えると「学説が正しいかどうか」が「その学説が多くの人に受け入れられるかどうか」という問題に近づいていく、ということだ。法学部にいればよくあることだったが、どんなすごい教授でも、講義のうち何か1つくらいは、その人独自の(少数派)学説をとっていることはざらにある。だから、そういった場合に「査読があるかどうか」は問題にはならず、「発表した学説が受け入れられるか/無視されるか」という話が、業績や信用性、実力の評価として組み込まれるんじゃねえかな、とは思う。
まあ、それが客観的指標とは言いがたいのが問題だ、というのは絶対ある。だが、その場合はどのようなかたちであれば「客観的指標」による評価を法学が下せるのか、というのも問題になるだろう。
このように、「研究ができる/研究論文を出せる」という環境にいるというスクリーニングの上に、「それが社会的に受け入れられるか」が重要視されるという事後的なスクリーニング、その二つがあるからこそ、実定法学に査読の文化がない、というのはおおよそ雑な話としては、言えるのではないかと思っている。
で、これを読んで異論があるガチの法学研究者の人、補足というか訂正頼む。ぶっちゃけ法学でまともに単位とってない俺みたいなアホが補足いれないといけない状況にうんざりしてるんだ。真面目に誰か解説してくれ。
○調子
はややー。
台風の影響で電車が止まると告知されていたので、今日はもう仕事はお休みにした。
会社に連絡すると「今日はもうみんな朝の10時には解散する予定になったから、来なくて正解だったね」と言われたので、よかったよかった。
そんなわけで、午前中は買い物行ったりドラマを見たりしてむっきゅりすごせた。
ところが、午後からは台風の影響で停電、さらに水道も止まりとトラブル。
日が落ちて、スマホの充電も切れそうだったので、かなり早いけど寝るしかないなーと、外を見ながらぼーっとしてたら
向かいのマンションの電気がついたので「あっ電気が復旧した」と思った、本当に直後、どこからか爆発音と何かが燃える音。
「火事だ!」と思った瞬間、財布とスマホを持ってアパートを飛び出した。
正直、この判断がよかったのかどうか微妙なんだけど、その音を聞いた瞬間「隣の部屋だ!」と思ったので、緊急避難的に外に飛び出し、階段を駆け下りた。
結局、火事になってのは隣の部屋ではなくて、アパートの横の電柱。
どうも、停電から復旧して電気が流れ出したタイミングで、部品が壊れてしまい燃えてたみたい。
「誰も通報していないのである」状態になるのが嫌だったので、重複覚悟で119にかけた。
結果としては、僕以外にもかけてくれた人はいたみたいだった。
とはいえ、現場にいたのは僕だけだった上に、電柱から日の塊が断続的に地面に落ちていて非常に危なかったので、そこを通ろうとする人に「電柱が燃えてるから気をつけてください!」と声をかけるなど、消防車が来るまで色々してた。
どうでもいいっちゃどうでもいいんだけど、その道ゆく人の一人が「こっわ」と火事を確認した後、おもむろにタバコを吸い出して「度胸!」と思いました。
(これ、ラジオのコーナーにできそう、度胸のコーナー)
消防車が来た後は、特に問題なく消火された、よかったよかった。
めちゃくちゃ疲れたけど、今はもう電気も水道も問題ないので、本当にインフラ周りの人たちや、消防署の人たちには凄い助けられた。
ありがとう、市のみなさん。
○グラブル
部屋が停電してたので、家にいたのにスマホゲーしか遊べなかった。
今日はセラフィックウェポンを星三にするための素材集めをしていた。
土は星三にできて、炎と水は覇者の証以外は集めた。
それから、ずっと怖くてほったらかしにしていた、共闘クエストを……