はてなキーワード: 看板とは
お前たちはだめだねえ。なぜ人のことをうらやましがるんだい。僕だってつらいことはいくらもあるんだい。お前たちにもいいことはたくさんあるんだい。僕は自分のことを一向考えもしないで人のことばかりうらやんだり馬鹿ばかにしているやつらを一番いやなんだぜ。僕たちの方ではね、自分を外ほかのものとくらべることが一番はずかしいことになっているんだ。僕たちはみんな一人一人なんだよ。さっきも云ったような僕たちの一年に一ぺんか二へんの大演習の時にね、いくら早くばかり行ったって、うしろをふりむいたり並ならんで行くものの足なみを見たりするものがあると、もう誰たれも相手にしないんだぜ。やっぱりお前たちはだめだねえ。外の人とくらべることばかり考えているんじゃないか。僕はそこへ行くとさっき空で遭あった鷹がすきだねえ。あいつは天気の悪い日なんか、ずいぶん意地の悪いこともあるけれども空をまっすぐに馳けてゆくから、僕はすきなんだ。銀色の羽をひらりひらりとさせながら、空の青光の中や空の影かげの中を、まっすぐにまっすぐに、まるでどこまで行くかわからない不思議な矢のように馳けて行くんだ。だからあいつは意地悪で、あまりいい気持はしないけれども、さっきも、よう、あんまり空の青い石を突っつかないでくれっ、て挨拶したんだ。するとあいつが云ったねえ、ふん、青い石に穴があいたら、お前にも向う世界を見物させてやろうって云うんだ。云うことはずいぶん生意気だけれども僕は悪い気がしなかったねえ。」
一郎がそこで云いました。
「又三郎さん。おらはお前をうらやましがったんでないよ、お前をほめたんだ。おらはいつでも先生から習っているんだ。本当に男らしいものは、自分の仕事を立派に仕上げることをよろこぶ。決して自分が出来ないからって人をねたんだり、出来たからって出来ない人を見くびったりさない。お前もそう怒らなくてもいい。」
又三郎もよろこんで笑いました。それから一寸立ち上ってきりきりっとかかとで一ぺんまわりました。そこでマントがギラギラ光り、ガラスの沓がカチッ、カチッとぶっつかって鳴ったようでした。又三郎はそれから又座すわって云いました。
「そうだろう。だから僕は君たちもすきなんだよ。君たちばかりでない。子供はみんなすきなんだ。僕がいつでもあらんかぎり叫んで馳ける時、よろこんできゃっきゃっ云うのは子供ばかりだよ。一昨日おとといだってそうさ。ひるすぎから俄かに僕たちがやり出したんだ。そして僕はある峠とうげを通ったね。栗くりの木の青いいがを落したり、青葉までがりがりむしってやったね。その時峠の頂上を、雨の支度したくもしないで二人の兄弟が通るんだ、兄さんの方は丁度おまえくらいだったろうかね。」
「弟の方はまるで小さいんだ。その顔の赤い子よりもっと小さいんだ。その小さな子がね、まるでまっ青になってぶるぶるふるえているだろう。それは僕たちはいつでも人間の眼めから火花を出せるんだ。僕の前に行ったやつがいたずらして、その兄弟の眼を横の方からひどく圧おしつけて、とうとうパチパチ火花が発たったように思わせたんだ。そう見えるだけさ、本当は火花なんかないさ。それでもその小さな子は空が紫色むらさきいろがかった白光しろびかりをしてパリパリパリパリと燃えて行くように思ったんだ。そしてもう天地がいまひっくりかえって焼けて、自分も兄さんもお母さんもみんなちりぢりに死んでしまうと思ったんだい。かあいそうに。そして兄さんにまるで石のように堅かたくなって抱だきついていたね。ところがその大きな方の子はどうだい。小さな子を風のかげになるようにいたわってやりながら、自分はさも気持がいいというように、僕の方を向いて高く叫んだんだ。そこで僕も少ししゃくにさわったから、一つ大あばれにあばれたんだ。豆つぶぐらいある石ころをばらばら吹きあげて、たたきつけてやったんだ。小さな子はもう本当に大声で泣いたねえ。それでも大きな子はやっぱり笑うのをやめなかったよ。けれどとうとうあんまり弟が泣くもんだから、自分も怖こわくなったと見えて口がピクッと横の方へまがった、そこで僕は急に気の毒になって、丁度その時行く道がふさがったのを幸さいわいに、ぴたっとまるでしずかな湖のように静まってやった。それから兄弟と一緒に峠を下りながら横の方の草原から百合ゆりの匂においを二人の方へもって行ってやったりした。
どうしたんだろう、急に向うが空あいちまった。僕は向うへ行くんだ。さよなら。あしたも又来てごらん。又遭えるかも知れないから。」
風の又三郎のすきとおるマントはひるがえり、たちまちその姿は見えなくなりました。みんなはいろいろ今のことを話し合いながら丘を下り、わかれてめいめいの家に帰りました。
九月四日
「サイクルホールの話聞かせてやろうか。」
又三郎はみんなが丘の栗の木の下に着くやいなや、斯こう云っていきなり形をあらわしました。けれどもみんなは、サイクルホールなんて何だか知りませんでしたから、だまっていましたら、又三郎はもどかしそうに又言いました。
「サイクルホールの話、お前たちは聴ききたくないかい。聴きたくないなら早くはっきりそう云ったらいいじゃないか。僕行っちまうから。」
「聴きたい。」一郎はあわてて云いました。又三郎は少し機嫌きげんを悪くしながらぼつりぼつり話しはじめました。
「サイクルホールは面白い。人間だってやるだろう。見たことはないかい。秋のお祭なんかにはよくそんな看板を見るんだがなあ、自転車ですりばちの形になった格子こうしの中を馳けるんだよ。だんだん上にのぼって行って、とうとうそのすりばちのふちまで行った時、片手でハンドルを持ってハンケチなどを振ふるんだ。なかなかあれでひどいんだろう。ところが僕等がやるサイクルホールは、あんな小さなもんじゃない。尤もっとも小さい時もあるにはあるよ。お前たちのかまいたちっていうのは、サイクルホールの小さいのだよ。」
「ほ、おら、かまいたぢに足切られたぞ。」
嘉助が叫びました。
「何だって足を切られた? 本当かい。どれ足を出してごらん。」
又三郎はずいぶんいやな顔をしながら斯う言いました。嘉助はまっ赤になりながら足を出しました。又三郎はしばらくそれを見てから、
「ふうん。」
「一寸ちょっと脈をお見せ。」
と言うのでした。嘉助は右手を出しましたが、その時の又三郎のまじめくさった顔といったら、とうとう一郎は噴ふき出しました。けれども又三郎は知らん振りをして、だまって嘉助の脈を見てそれから云いました。
「なるほどね、お前ならことによったら足を切られるかも知れない。この子はね、大へんからだの皮が薄うすいんだよ。それに無暗むやみに心臓が強いんだ。腕うでを少し吸っても血が出るくらいなんだ。殊ことにその時足をすりむきでもしていたんだろう。かまいたちで切れるさ。」
「何なして切れる。」一郎はたずねました。
「それはね、すりむいたとこから、もう血がでるばかりにでもなっているだろう。それを空気が押おして押さえてあるんだ。ところがかまいたちのまん中では、わり合あい空気が押さないだろう。いきなりそんな足をかまいたちのまん中に入れると、すぐ血が出るさ。」
「切るのだないのか。」一郎がたずねました。
「切るのじゃないさ、血が出るだけさ。痛くなかったろう。」又三郎は嘉助に聴きました。
「痛くなかった。」嘉助はまだ顔を赤くしながら笑いました。
「ふん、そうだろう。痛いはずはないんだ。切れたんじゃないからね。そんな小さなサイクルホールなら僕たちたった一人でも出来る。くるくるまわって走れぁいいからね。そうすれば木の葉や何かマントにからまって、丁度うまい工合ぐあいかまいたちになるんだ。ところが大きなサイクルホールはとても一人じゃ出来あしない。小さいのなら十人ぐらい。大きなやつなら大人もはいって千人だってあるんだよ。やる時は大抵たいていふたいろあるよ。日がかんかんどこか一とこに照る時か、また僕たちが上と下と反対にかける時ぶっつかってしまうことがあるんだ。そんな時とまあふたいろにきまっているねえ。あんまり大きなやつは、僕よく知らないんだ。南の方の海から起って、だんだんこっちにやってくる時、一寸僕等がはいるだけなんだ。ふうと馳かけて行って十ぺんばかりまわったと思うと、もうずっと上の方へのぼって行って、みんなゆっくり歩きながら笑っているんだ。そんな大きなやつへうまくはいると、九州からこっちの方まで一ぺんに来ることも出来るんだ。けれどもまあ、大抵は途中とちゅうで高いとこへ行っちまうね。だから大きなのはあんまり面白かあないんだ。十人ぐらいでやる時は一番愉快ゆかいだよ。甲州ではじめた時なんかね。はじめ僕が八やつヶ岳たけの麓ふもとの野原でやすんでたろう。曇くもった日でねえ、すると向うの低い野原だけ不思議に一日、日が照ってね、ちらちらかげろうが上っていたんだ。それでも僕はまあやすんでいた。そして夕方になったんだ。するとあちこちから
『おいサイクルホールをやろうじゃないか。どうもやらなけぁ、いけない様だよ。』ってみんなの云うのが聞えたんだ。
『やろう』僕はたち上って叫さけんだねえ、
『いいかい、じゃ行くよ。』僕はその平地をめがけてピーッと飛んで行った。するといつでもそうなんだが、まっすぐに平地に行かさらないんだ。急げば急ぐほど右へまがるよ、尤もそれでサイクルホールになるんだよ。さあ、みんながつづいたらしいんだ。僕はもうまるで、汽車よりも早くなっていた。下に富士川の白い帯を見てかけて行った。けれども間もなく、僕はずっと高いところにのぼって、しずかに歩いていたねえ。サイクルホールはだんだん向うへ移って行って、だんだんみんなもはいって行って、ずいぶん大きな音をたてながら、東京の方へ行ったんだ。きっと東京でもいろいろ面白いことをやったねえ。それから海へ行ったろう。海へ行ってこんどは竜巻たつまきをやったにちがいないんだ。竜巻はねえ、ずいぶん凄すごいよ。海のには僕はいったことはないんだけれど、小さいのを沼でやったことがあるよ。丁度お前達の方のご維新いしん前ね、日詰ひづめの近くに源五沼という沼があったんだ。そのすぐ隣となりの草はらで、僕等は五人でサイクルホールをやった。ぐるぐるひどくまわっていたら、まるで木も折れるくらい烈はげしくなってしまった。丁度雨も降るばかりのところだった。一人の僕の友だちがね、沼を通る時、とうとう機はずみで水を掬すくっちゃったんだ。さあ僕等はもう黒雲の中に突き入ってまわって馳けたねえ、水が丁度漏斗じょうごの尻しりのようになって来るんだ。下から見たら本当にこわかったろう。
『ああ竜りゅうだ、竜だ。』みんなは叫んだよ。実際下から見たら、さっきの水はぎらぎら白く光って黒雲の中にはいって、竜のしっぽのように見えたかも知れない。その時友だちがまわるのをやめたもんだから、水はざあっと一ぺんに日詰の町に落ちかかったんだ。その時は僕はもうまわるのをやめて、少し下に降りて見ていたがね、さっきの水の中にいた鮒ふなやなまずが、ばらばらと往来や屋根に降っていたんだ。みんなは外へ出て恭恭うやうやしく僕等の方を拝んだり、降って来た魚を押し戴いただいていたよ。僕等は竜じゃないんだけれども拝まれるとやっぱりうれしいからね、友だち同志にこにこしながらゆっくりゆっくり北の方へ走って行ったんだ。まったくサイクルホールは面白いよ。
それから逆サイクルホールというのもあるよ。これは高いところから、さっきの逆にまわって下りてくることなんだ。この時ならば、そんなに急なことはない。冬は僕等は大抵シベリヤに行ってそれをやったり、そっちからこっちに走って来たりするんだ。僕たちがこれをやってる間はよく晴れるんだ。冬ならば咽喉のどを痛くするものがたくさん出来る。けれどもそれは僕等の知ったことじゃない。それから五月か六月には、南の方では、大抵支那しなの揚子江ようすこうの野原で大きなサイクルホールがあるんだよ。その時丁度北のタスカロラ海床かいしょうの上では、別に大きな逆サイクルホールがある。両方だんだんぶっつかるとそこが梅雨つゆになるんだ。日本が丁度それにあたるんだからね、仕方がないや。けれどもお前達のところは割合北から西へ外れてるから、梅雨らしいことはあんまりないだろう。あんまりサイクルホールの話をしたから何だか頭がぐるぐるしちゃった。もうさよなら。僕はどこへも行かないんだけれど少し睡ねむりたいんだ。さよなら。」
又三郎のマントがぎらっと光ったと思うと、もうその姿は消えて、みんなは、はじめてほうと息をつきました。それからいろいろいまのことを話しながら、丘を下って銘銘めいめいわかれておうちへ帰って行ったのです。
九月五日
「僕は上海シャンハイだって何べんも知ってるよ。」みんなが丘へのぼったとき又三郎がいきなりマントをぎらっとさせてそこらの草へ橙だいだいや青の光を落しながら出て来てそれから指をひろげてみんなの前に突つき出して云いました。
ちょうど20年前ぐらいになるだろうか。
地方の大学生だった俺はこれといった夢や目標を持たず、うだつの上がらない日々を過ごしては悶々としていた。
いつも降りる駅のいくつか手前で下車すると、目に入った古臭い食堂で好きなだけ飲み食いする。
これだけのことだが、たまに大当たりなどもあっては、その幸運と一種のギャンブル的な面白さに矜持を感じていたんだ。
そんなことを繰り返していて、あるとき立ち寄ったのは、これまた年期の入った食堂。如何にも地元民御用達と言わんばかりに錆びた看板を気にする様子もなく、店頭に並べられた花はどれも頭を垂れていた。
入ってみると大方普遍的な定食名ばかりが壁に張られおり目新しいものもなく、ただひとつ気になったのは『カレイライス』というメニュー。カレーライスをちょっとハイカラな言い方してるのかな?程度に気にして、注文したのは焼き肉定食。味は普通よりちょっとおいしい程度で、そこまで印象に残らず。ただボリュームはあって、そこは好印象。
完食して会計を済ませようとしたところで常連らしきおっさんが来ると「さかなのやつね」とこなれた感じて注文。すると注文を聞きにきたおばちゃんは「カレイライスね」と承諾。俺はギョッとしたが、おばちゃんは俺に気付くとレジに来たので会計を済ませ、そこで俺は店を出た。
アラサーで太田市育ち、そのまま地元で就職。大して政治に興味はないが、色々な選挙には一応毎回行っている。
市長選があることは知っていた。現職の清水氏は多選で箱モノ行政気味なところが支持できないと思って、清水氏以外に入れようと思っていた。告示日にポスター看板を見て呆然とした。
町田としみつ氏:新人/NHK受信料を支払わない方法を教える党(元N国党)
清水まさよし氏:現職/無所属/通算7期(合併前3期+合併後4期)
東ときお氏:新人/無所属/ウェブサイトなどの届出なし(ポスター看板には訴訟?の陳述書が貼ってあった。)
太田市のことを考えて、清水氏には入れないつもりだったが、太田市のことを考えれば清水氏に入れるしかない。
これが政治的無関心の末路なのか。有権者が政治に無関心になった結果、政治家も政党も有権者に無関心になった。国会で与党の選挙について批判した野党も、結局勝てる選挙にしか興味がない。
群馬は元々自民党がとても強い地域だし、現職清水さんが相当有力で(だからこそ多選になっているのだが)まともな対抗候補であっても今までも勝てなかった。
だからと言って、あるいはどんな政治的な駆け引きがあるにせよ、主要政党が誰一人として推薦候補を立てなかったのは、太田市の有権者に興味がないということなんだろうな。それもまた今までの俺たちの政治的無関心が招いた結果なのだから自業自得か。
28巻でさ、池袋シメてる葛西(不良、超強い。敵のアバラを折らずにいられない)が友達の坂本に「お前は仲間が離れてくのが恐くて止まれないんだろ」(超意訳)と痛いとこつかれて殴った後、水族館で同じく止まれないマグロ眺めてるシーンがあるじゃん。
そこ読んでて「マグロの群れが見られる水族館とかあるの?」と思って調べてみたらありました。
「葛西臨海水族園」
ていうか、葛西は坂本を殴ったあと電車乗り継いで葛西臨海公園までマグロ見に行ったの?一時間ぐらい掛けて?しかも水族館ってそこそこ高くない?マグロにシンパシー抱きすぎでかわいいんだけど。
「○ンシャイン国際水族館」とあるから、ろくでなし世界では池袋のサンシャインにマグロ水槽があるんだろう。つまんないの。
ちなみにサンシャイン国際水族館の入館料は2004年6月時点で1300円と意外にリーズナブルだった。連載当時の90年代前半はもう少しお安いかもしれない。(現在は2400円、なお2011年リニューアル時に「サンシャイン水族館」に改称)
それにしても、取り巻きに「おい、水族館のチケット買ってこい」と命令するのもなんかダサいし、自分でお金出して入ったんかな……
いや、やっぱ金だけ巻き上げてそうだな……
話が逆
「普段マイノリティの側に立つ人たち」でもきっと救いたくないであろう(だが確かに当てはまる人々はいる)キモい存在というものを逆算して生み出されたのがKKOという言葉
それを自称弱者の味方に突きつけることで「ほら救ってみろよ?あっやっぱり嫌なんだ?じゃあその看板下ろしてちゃんと偽善者の顔しろよ」とカウンターするための言葉だったわけ
だから彼らがKKOに味方しないのは最初から計算通りだし、もし味方する人が現れたらそれはそれで予想外に一貫性ある人ということで一目置いてもいい
それがここ数日KKOじゃなくて「弱者男性」っていうなんか普通っぽい言葉に置き換えられちゃったもんでみんな混乱して話がリセットされただけ
娘もはれて小学生になり、班を組んで登校が始まった。
朝7時50頃に子ども達が集まり、8時に出発。これを見守る保護者が必ず一人は必要とのことで、登校班の親が週1回のペースで見守り当番を担当することになる。
……朝8時に見守り当番なんてやっていたら、9時始業の会社には勤められないね。ここから都心まで1時間あるから。
だからといって登校班が悪ではないと思うんだよ。むしろ、地域で協力して登校中の事件・事故を無くしましょうっていう善の取り組みなのはわかる。
学校に登校中の安全を押し付けるのも違うと思う。公共の安全対策でやるべき話でもない。(すでに子ども飛び出し注意の看板などは立ててくれている。)
みんなが良くしようと頑張ってるのになんでこんなに苦しいんだろう。
バリアフリーになってない施設であることを障害者が受け入れてくれて成り立ってんだもん、
障害者が健常者に配慮してんだわ。自分は障害者の当事者じゃないけど病気してやっと気づいたよ。
自分は障害者ではないけどさ、去年会社がタダでがん検診受けさせてくれるって言うからラッキーて思って受けたら
30歳で癌が見つかっちゃって手術してこれから抗がん剤なんだよ。まったく何の自覚症状もないのにびっくりだ。
数年前まで現場職だったけど転職してたまたま今はデスクワークで
コロナでも在宅勤務にしなかったのに抗がん剤の話したらあっさり在宅勤務認めてくれてさ、
在宅勤務できる仕事と、させてくれる会社、理解ある上司と同僚、数年前に入った保険と癌の特約、、、これらのおかげでめっちゃ助かってる。
どれか欠けてたら、って思うとこわいよ。どうなってたんだろう生活…。
在宅勤務にしようって言ったうちの社長は「いつ自分だってそうなるか分かんないからだいたいのこと何とでもなるようにしといた方が良いよね~」って言ってた。
そうなんだよ。
抗がん剤始めたら体えらくなって階段とかきつくなるんだろうなって思ったんだけど、
今の勤務先、親会社のオフィスを間借りしてるんだけど階段しかないんだ。エレベーターもないんだよ。
来客の中に車椅子の人を想定してないんだ。つくろうと思えばつくれる広さはあるのにさ。
これから抗がん剤とか言ってるけどさ、明日事故って下半身不随になるかもしれない。
池江璃花子だって白血病になるし、アイドルが看板か何かの下敷きになって車椅子生活になってた、弱虫ペダルの実写の俳優とか、
誰だってなるんだよ。それがずっと先か、明日か、そうならずに一生を終えるのか分かんないけど。
めちゃめちゃ怖いよ。
自分に急に癌が見つかったみたいに、いつそうなるかなんて分かんないのに、そうなったらいきなりハシゴ外されて誰も受け止めてくれない社会だよ。
重度障害者が国会議員になるまで国会議事堂だって大きい車椅子が使えるように整備されてなかったのもおかしな話じゃないのか。
国民のことを話す場なのに、まるで彼らはそこに勘定されてこなかったみたいだ。
ちなみに話題のブログのことでJRの職員を責めるつもりはない。
会社のルールにしたがって対応したんだ、彼らは彼らの仕事をした。
でもこの10年くらいで大して変わってないんじゃないのか。
声を上げてる人がいるから点字ブロックもエレベーターも色々整備されてきた。
今でも声あげてる人はいるけどどれくらいの人が本気で耳を傾けてる?
こんなやり方じゃ…っていうけど、丁寧に、わきまえて、健常者が聞いてやっても良いぞ~って気持ちになる話し方でお願いしたら取り組んでくれたのか?
大声あげなきゃなんともならなくなってるんじゃないのか?
自分は障害者になっても感謝を忘れずわきまえて生活しますなんてそんなこと自分は言えないよ。
どっか行きたいって思ったときにどっか行けた方が人生楽しいじゃん。
友達が障害者になっても色んな施設がバリアフリーになってたら自分も楽しく一緒に旅行できるじゃん。
自分だってそうなるかもしれないのに、健常者が当たり前にやってることを自分もしたいって言うことをワガママだなんて言えないよ。
なんかとりとめなくなっちゃったけど、自分が健常者だっていうのはほんとに、たまたまなんだと思って生きたほうが良い。
それが言いたかった。あとがん検診受けようね。
今なら大看板だな
ジェンダーネタが盛んだが、そろそろ女子アナの存在も槍玉にあげていいと思う。断っておくと、個々の女子アナを批判しているのではなく、民放テレビ局における女性アナウンサーの扱いを批判しているのである。
女子アナほどジェンダーバイアスが露骨に出ている職業はない。最近ニュースキャスターに女性は確かに増えているが、番組編成の現場は圧倒的に男性であり、そこで求められているのは明らかに広告塔としての役割である。かつての国谷裕子のように番組そのものを仕切っている女性は皆無に近い。
バラエティでは相変わらずひどい。多数の男子芸人と女子アナ一人という配置で、芸人のセクハラまがいの発言を女子アナに投げて笑いをとるという手法が、依然として多く見られる。クラスの優等生女子を下ネタでからかうという中学生男子の悪ふざけを、テレビ番組として公然とやっている。爆笑問題は好きだけど、太田が女子アナをセクハラでいじることを、いつまでも彼のキャラということで許容すべきではないと思う。
これも昔からだが、男子アナは年齢に比例して任される番組が大きくなるのに対して、女子アナの場合、入社2年目ぐらいの女子アナが、その局の看板番組に抜擢されるということが多い。結果、現場では中堅男子アナと入社2年目頃の女子アナという組み合わせが多くなり、必然的に女子アナのミスを男子アナが突っ込むという場面が定番になる。テレビ局もそれを狙ってやっているわけだが、これが「男子は普通に実力主義なのに、女子は見た目だけで評価されている」という偏見をまき散らしている。
番組で着ている服も、圧倒的にコンサバなファッションでゆるふわなスカート姿が多い。実際にそういうファッションをしている女性は、職場でも街中でも明らかに少数派であるが、女子アナにはそういう服しか許されていないかのようだ。過剰な笑顔や、元気印のポーズ、甲高い声なども、これを誰が喜んでいるのかを考えるとうんざりしてくる。
女子アナは高学歴で就活の勝ち組トップの女性である。就職先はそれこそいくらでも選べたはずである。社会の最先端で活躍すべき優秀な女性たちが、中高年男性を喜ばせるためだけに存在しているとしか思えない、旧来のジェンダー規範を全身に身にまとった職業を積極的に選択する(せざるを得ない)というのが、日本でジェンダー差別の解決の困難さを象徴している。
本当の意味で女性主導で、女性が仕切っている番組は、ラジオで恐縮だがジェーン・スーぐらいしか思いつかない。普通の番組では男性に対して受動的な役回りに徹している女子アナたちが、彼女の番組に出ると活き活きと発言しているのが象徴的だ。とくに「オーバーザサン」は、男性の性的視線や興味本位を一切排して女性の美容や生理の問題などを正面から扱っていて、掛け値なしにすごい番組だと思う。知名度が知る人ぞ知るレベルなのが残念だけど、こういう番組が普通に増えれば女性差別も減っていくのだろうと思う。
(追記)
「たまむすび」はどうなんだという意見にコメント。赤江さんは確かに「女子アナ」の枠からは外れた人だし、小さなことに悩まない安心感・安定感のあるキャラは決して嫌いじゃないけど、やはり男性芸人たちに天然ボケを突っ込まれる側の役割で、「意見」や「分析」という「男性的」なことには決して手を出さない(他方で優等生コメントは器用にできる)という意味では、ジェンダー平等という観点からはそこまで高い評価はできないかな。
ビジネス右翼が景気よく陰謀論やミソジニーに満ちた「嘘」をバラまいて弱者男性の救済をうたう(実際には何もしない)横で、現実的にはさえない地味な救済策を真面目に説くリベラルに勝ち筋が見えない。
そうして、救済されないと騒ぐ弱者男性たちに理を説けば「そういう理屈言う時点で弱者男性の現実が見えてない」とけなされ、「そもそも君らビジウヨなんぞに騙されるからそうなるのでは……」と愚痴を言えば「リベラルは弱者男性を見下してる」と騒ぐビジウヨの餌にされて、また新たな弱者男性たちをさらわれていく地獄。
ぶっちゃけ普通の商売でも、「嘘アリアリ、マズければ店潰して逃亡アリ」のやり方がまかり通れば、看板背負って真面目に商売やるつもりの人は太刀打ちなんてできないのでは? だからこそ商売なら法的な規制があるわけなので……。
今の立民を代表する代議士と言えば、世間に名前が売れているのは、蓮舫、福山、安住、枝野
かつてはと言えば、有田、原口、小西、鳩山、玉木、山尾などで、やってたことを思い起こすと錚々たるメンツだし
こんな馬鹿の煮凝りみたいな議員が党の顔なんだから支持層が多数派になるはずもないんだけど
かつても、今も、馬鹿の煮凝りを看板メニューにする姿勢は変わってない
本当にこれを正しい在り方と考えてるとは思えないし、国民も多くはまともな野党を求めてると思うのだが
何故彼らは頑なに馬鹿を演じるのだろう?(演じてるだけで、本当はちゃんとしてると信じたい)
そんな方針を貫いてるのは何故なんだろう?
鬼滅の刃は主人公がジョナサンジョースター的な超絶優等生。ジョジョシリーズは日頃から優等生なジョナサンと喧嘩慣れがすごい城太郎は修行せず、杉田智和ボイスが似合い過ぎるちゃらんぽらん男ジョセフだけが修行描写があるのがグッとくるのだが、鬼滅の刃は一般庶民としての優等生が戦う優等生のための努力をするという内容。
呪術廻戦は脚本的に編集者こそが「劣化ドラゴンボールに劣化ワンピース」と嘆きたくなるけと人としてはいい意味なジャンプ主人公。
僕のヒーローアカデミアは女性キャラを極力減らしたラブコメ主人公でPTAやフェミニストの評判が悪い。修行シーンの説得力が鬼滅の刃と比べて説得力が無い。
何が言いたいかと言えば、正に作者より頭のいいやつがいない創作の典型っていうか脳筋脚本。ヒロアカだけ脳みそ贅肉と言えば満足するの? 結局バカである事に変わりはない。
ちなみにジョジョ枠というのはまともな知性があるのがデスノートと約ネバだけという意味であり、デスノート人気は基本的にテコ入れで出来ている。
樹林伸という高学歴のマンガ原作者が週刊少年マガジンでサイコメトラーEIJIや金田一少年の事件簿といった変わり種とはいえ普通にサスペンスが成り立っているマンガを乱発。
週刊少年サンデーが名探偵コナンという看板サスペンスを成立させる。当時のジャンプはジョジョとデスノート以外バカ。
今はジョジョの遅すぎるアニメ化もさる事ながら「サンデーもマガジンも言うほど知的じゃない、所詮少年マンガ」というイメージが定着したせいか、当時ほど必死にならなくていいものの、「流石に尻切れトンボなアニメにするのはアレだから」強引に最終回まで1クールに収めようとしたのでしょうね。