はてなキーワード: 画期的とは
問題点を3つに絞ろうか
いやーまあ確かに最初はおおすげえ!!こっからストーリーが大きく動くのか!ってなりましたよ。
でもその世界と現代がいまいち繋がってないっていうかね、やっぱこういうのは似てないようで似てるとか、あっちの世界で起きたことがそういえば現代でこんな影響を!とかいうのがないとね。
ただ単に2つステージがありますよってだけじゃあ、世界が薄っぺらく引き伸ばされてるだけですよ。
それじゃ駄目。
大いなる流れみたいのがあってそれに逆らえないんだ―って話なのかも知れないけどね。
でもそれならそれで巨大な流れに翻弄される感じを出してほしかったな。
セーブ&ロードが出来る特別な存在ではあるけど、でもまあ結局は既定路線に乗って世界を回すだけの歯車なんでっていうのはありきたりだなーって。
当時はね、画期的だったのかもね。
未来の情報と不思議な石を持ち帰って過去で知識無双するだけなんですよね。
たとえば、シュタゲでアキバがオタクの街じゃなくなってしまうシーンみたいなね、過去を変えたことで未来が大きく変わってしまう事のアハ体験を見せてほしかったんだよなあ。
そうだね、時間が戻せたら色々先回りできるね、で? それをこういう見せ方されてもいまいち面白くないんすけど。
結局この作品の何が問題かって、折角の時間遡行っていうギミックが単なる未来視程度に過ぎないことなんですよ。
時間と空間を移動できる状況でやってるのが占い師から未来が見える水晶貰った程度でも同じこと出来るレベルなんですよね。
時間旅行してるだけで当時は画期的だったんだぞって言うかも知れないですけど、その時代にもドラえもんとかあったわけですよ。
時間遡行という最高のカードを主人公に握らせておいて、この程度っすかっていう感想がどうしても出ちゃいますねえ。
「総当りADVにセーブ&ロードで今までにないプレイ感を生み出したのが凄いんだからアニメを見ただけの奴が文句言うな」
そうね。
そのとおりね。
ごめんなさいね。
あ、だから、そういう正論アドバイスが返ってくるから相談できなくなったって話なんですよ。
ホントは気持ちに寄り添ってほしいとかが元増田の内容なんです。
何人も巻き込み、上の人がお客様に謝りに行ったりもした。
以前から小さなミスをしたりして周りからの信頼はなくなってきた時だった。
理由は色々と考えられる。ただ、自分に関する事はご法度だ(残業続きとか)。それじゃ、再発防止にならない。トヨタ式ではないそうだ。つまり、自律神経がいかれてて心療内科に通っていようが、プレッシャーとミスのスパイラルの状態にあったことは言い訳でしかなく、理由としては認められない。
上司からは理由を早く考え、再発防止策を考え、それを踏まえた施策案を求められている。振り返ってもなかなか良いアイデアが出ず、それは対策以前、そんな事言えば契約を切られてしまうと却下されまくる。嫌だなぁとボヤいても、上司はお客様から回答を求められているからねと関係ない周りは言う。
つまりは、全てはヘマをかましたお前が悪く、それ以前に対策は打てたはずだ。可哀想とは思うが、どこかで止められなかったお前が悪く、辛かろうが、しんどかろうが、反論の余地なく状況を受け入れ、粛々と怒られるしかないと言われているように聞こえる。
ただ、こういう意見を聞くたびに、辛くなる。
例えば言ったことを忘れないようにメモすればいいじゃないと言われても、メモがないところで延々と話されたり、後からメモを見ても何のことか分からなかったり、肝心のポイントを外していたり、気づいたら止めていて元の木阿弥になり、自己嫌悪に落ちる。
あなたは私に画期的で人生を変えるようなアドバイスをしたと思っているかもしれないが、それは何度も試した道で、挫折した道だ。
アドバイスをしたあなたにノートを持参せずに仕事の相談をしに行っても何も言ってくれない。諦めてるのですか?
だらだらと書いたが結局、愚痴ったり、その状態から逃げだしたいと思って相談しても、正論が返されるだけだ。
お前の努力が足りない。工夫が足りない。向こうの事も考えてやれよ・・・
本音は辛くて逃げ出したい。可哀想だと同情されたい。ただ、ストレッサーを悪者にしないようにオブラートに包んだって正論で返される。正しいことができないお前が悪い。
口にできない苦しさを抱えて今日も帰る。
別にうんこを漏らさない方法とか、僕が今現在うんこを漏らしていて、それをどうやって処理すればいいか?とかそういった話ではない。きっとこのエントリーからはうんこの匂いは全くしないはずだ。それどころか、最近はデオコをつかっているからこのエントリーからは女子高生の匂いがするはずだ。そう。このエントリーを書いているのはうんこを漏らしていない女子高生だと思ってもらって構わない。その点を踏まえて読んでくれればと幸いだ。そうすればきっと温かいコメントで埋め尽くされることだろう。
ここに書いているのは僕の純粋な悩みだ。単純明快。「自分が作ったWebサービスに人が来ない」というものだ。
もともとサービスを作った理由は自分が使いたいからだ。僕は本を読むのが好きで、Twitterやはてぶで流れてきた面白そうな本をメモしたり、本屋巡りをして目についた本のあらすじで買ってみたり、帯で面白そうだからと買ったりしているのだが、気に入る本に当たる確率が非常に低い。これは読んで良かったと思える本に出会える確率は1割にも満たない。本を読んでいる途中で投げ出したくなる本と出会うことも多々あるわけだけど、「最後に驚愕のどんでん返しが!」という帯があると帯を書いた人間の策略通り最後まで読まざるえなくなるわけだ。そして僕には「驚愕」と感じられないオチを見て、「なるほどね」と落胆をしてまた次の本を探し出すことになる。これを繰り返していると、新しく本を探しに行くのがどんどん億劫になっていくのだよ。
そこで、僕はひらめいたんだ。「欲しい物を書いておけば勝手に誰かがおすすめしてくれるサービスがあればすべて解決するんじゃないか?」と。
僕なんて本当に本を読む人から比べたら鼻くそぐらいの量の本しか読んだことがないのだし、めっちゃ読んでる人が気まぐれにでも「これ面白いよ」って軽い気持ちでも教えてくれるサービスが存在すれば、僕は日々本屋を回りながら面白そうな本を探すということをせずとも勝手に面白い本がガンガン集まってくるんじゃないかと思ったわけだ。Twitterバイラル的なサービスも流行っているのでこれに乗っかって、自分が欲しい物をTwitter上で公開すれば自分のことをなんとなく知っているTwitterのフォロワーから好きな本を教えてくれるサービスがあれば便利だなと思ったわけ。いろんなサービスが機械的におすすめメールを送ってきてくれたりするけどそんな冷たいものではなく、もっとぬくもりを感じられるゆるくつながって教えたり教えられたりするサービスができたらきっと素晴らしいだろうと思うんだよ。
そんなゆるーくつながるサービスをイメージして「積んでけ」ってサービス名も考えたわけ。「積ん読」をモジッてだれかが適当な置き場を作ったら、そこを通りがかった人が知ってるやつを気軽にポーンと積んでいってってほしいなという願いを込めてつけたわけ。ひらめいたときは我ながらダサかっこいいところを攻めたいい名前をひらめいたと思ったもんだよ。いいと思わないか?気軽に目に止まった置き場に自分が知っているやつを積んでって、それを見た人がありがとうって言ってくれる世界って。それが面白かったんだったら、こっちも面白いと思うぞってなってほしいし、じゃあ私からもなんか教えよっかなって思ったりするじゃんか。アフィリエイトもできるようにしてるから、ブログで紹介するなら1冊に付き1回までしかかけないかもしれないけど、面白かった1つの本を沢山の人間におすすめすることができるんだぞ!これも画期的だと思ったわけだよ。
で、頑張って作ったわけだけどまーーーーったく人が来ないわけだ。
それとも誰の目にもとまっていないから使われていないだけなのか?
それともデザインがしょぼすぎて使う気にならないのか?
まーったく判断がつかない。このサービスの特性上、人が集まらなければ面白くないサービスなので、最初は面白くないサービスに人を呼び込んでくる必要があるわけだ。そんなアクロバティックなことをどうやればいいのかと考えても全く案が浮かんでこない。Amazonギフト券を配って書いてもらおうかとも考えたが、そもそも「サービスを使ってくれたらAmazonギフト券がもらえる」ということをみんなに知らせる手段が存在しない。人がいないところに人を呼び込む最初は一体みんなどうやっているんだ・・・?試しに1万円ほどTwitter広告を出向してみたが全く無風だ。こうなることがわかっていたなら、1万円分の本を買えばその中にあたりの1冊ぐらい混じっていたのではないかという自分の本末転倒ぶりに呆れたりもしたもんだ。全くどうすればいいのかわからん。
だれか、僕にサービスの広め方を教えてくれ!
2013年7月11日から2019年7月11日まで稼働していた。
実に6年のアケゲ人生だった。
前の日記を書いてCOJSになってから引退してそのまま一切プレイしなかった。
遊ぶか遊ばないかではなく、今後このコンテンツが成長して自分をより楽しませてくれる。
そういう期待が投資に繋がる。
引退するっていうのは今後見込めなくなり、改善されることもないと判断して課金を一切やめること。
それがアケゲの真の引退。
さて、何か思い出的なことを書こうと思ったが熱中していたのならいざ知らず、今はそこまで興味ない。
良い点を述べよう。
カードとカードを重ね合わせると同一のものを1つにすることができ、レベルを上げることができる。
そしてオーバーライドを行うと新たに新しくデッキから1枚ドローすることができる。
ノーコストでドローを回せる画期的なシステム。革命と言ってもいい。
しかしこれは同じ種類を1枚ずつ入れるデッキ(ハイランダー)には相当不利になるので、
これに関してはシリーズ終了まで解決することはできなかった。ある意味宿命ともいえる。
その分、ORシステムの楽しさの方が上回っているのでこれ時点に楽しさを阻害する点はない。
また、ORされたカードは捨て札に送られるため、敵がどのカードをORしているのか確認することができる。
相手のデッキの予測や敵の手札を捨てさせるハンドデスデッキの仕掛け時・標的にされる可能性もあるため、一方的に有利な行為であるとも言い切れない。
また、ORの最大レベル3にすると場に出した状態からすぐにアタックすることができたり、特別な効果を発揮するカードも存在する。
開始時のごく限られた秒数の間だけ、何度もカードを引き直すことができる。
豚を引いても即引き直すことができるが、表示を見てすぐに引き直すか決めなければ豚で開始してしまうし、
引き直して豚だと時間切れになってしまうので、絶妙に運と実力が融合した仕様になっている。
何度でも引き直しとはいったが最速で入力しても限界回数はある。
これと比べると他のデジタルカードゲームのマリガンはテンポも悪く退屈そのものに感じてしまう。
3.ジョーカー
各キャラごとに特別なカードを所持していてゲージが溜まると手に入り発動できる。
ジョーカーの種類もいくつか存在し、相手キャラをみて何を使ってくるのか読みあいが発生する。
攻撃を受けることでもゲージが溜まるため、ゲージ調整を行うなどの駆け引きも行われた。
手札やユニットカードの他に、魔法カードとしてトリガーとインセプターを差し込むスロットが4つ用意されている。
属性こそ確認できるがどんなカードが差し込まれているかは分からない。
手元からはカードを発動できなく、スロットからしか発動できないため、
お互いの不明瞭・未確認要素と確認できる要素の2つが絶妙に融合している。
本作はこのように今までカードゲームにおける不確定・運要素と実力・確認できる要素がうまく融合されたゲームシステムで構成されている。
本作のユニットは攻撃力と防御力が分かれておらず、攻守一体のポイントとして設定されている。
ユニットのBPを攻撃することで0にすれば破壊することができる。
面倒な計算を必要とせず、見たままにBPの高い方が打ち勝つため、カードゲームになれていない層にもとっつきやすいのも本作の魅力だろう。
ベルゼブブや白夜刀のカンナ、ハッパロイド、ブロックナイトなどカッコよく、可愛く、愛らしいキャラクターデザインが本作の大きな魅力の1つ。
キャラクター特性を加味したデザインでありながらも、どこかしらにユーモアを加えたテイストにはデザイナーのキャラクター愛を感じさせる。
これはCOJという世界観をデザイナーが理解していなければ実現できないことであり、稼働当初はスタッフたちからいかにこのゲームが愛されているのかが理解できる。
少なめのポリゴン数でも特徴を抑えたモデリングができており、指示書にも細かな指示を書き加えられたデザイン原案が公開された。
使用順位の低いカードを使って構築するとデッキポイントが加算され、一定数値以上超えると段階評価が付く。
要するにマイナーカードで勝利すれば、ランクポイントにボーナスが加算されるというものだ。
当初はマイナーカードに脚光を浴びせるための仕組みになっていたが、ある程度強いカードの発掘が進むと、
循環されるようになってしまい、ボーナス目的でも採用できないカードの使用は最後までされることがなかった。
これぐらいかな。
以上。
DQ信者が一時期調子乗ってFF叩きまくってたけど、今回の映画ではっきりしたな。
お前らが「やっぱつれえわ……」「そりゃつれえでしょ……」「思い出がカップヌードルしかないんだけどwwww」と馬鹿にしてたFFXVだけどさ、間違いなくDQVよりはちゃんとしてたよ。
唐突に時間が飛んだり、なんか分からんままキャラが敵になったり味方になったり、後半にいくほど何がしたいのか分からなくなったり、色々共通点はあるけど、決定的に違うところがある。
FFXVが描きたかったのは思い出の肯定を通したスタンドバイミー、DQVが描きたかったのは思い出の否定を通したゲーム脳論。
FFXVはバランスがちょっと微妙だったりストーリーが歯抜けだったり、サブクエストやってる前提で作られてたり、世界の危機が迫ってる状況でのんきにカップヌードルの材料を探してたり、色々どうしようもないけど、それでも旅を通して得た思い出こそが宝だってプレイヤーに語りかけてくれる。
作品にのめり込んだプレイヤーであればあるほど、エンディングに感動できるように作られている。
それに比べて、DQVはなんだよ。
たけしの挑戦状が一度通って失敗するのが分かりきった道をわざわざもう一度なぞり直して「画期的でしょ?」か?
は?
その為に制度を変えたい→わかる
まずは自分たちの介護費だけ負担してもらう→????????????????
なんで国会議員のあの二人だけ介護費負担してもらえんの?全国の働いてる障害者の方たちの介護費も国が負担して頂けるんですか?党の金から出して応援していきます、なら分かるけど、税金が使われるのは納得がいかない。そもそも国会議員の給料貰ってれば自分で出せないなんてことはないし、れいわは募金募ってそこそこの金額集まってるよな?その総額からしたら端金を使う覚悟もないなら立候補するなよ。税金から出すのであれば、働いてる障害者全員の介護費国または勤めてる会社が負担する法律がないとおかしいじゃん。どんなに理不尽だろうと今はその法律がないから自己負担するしかないし、それが嫌なら作る為に働くのが国会議員の仕事だろうが。れいわは嫌いだったけど、ALS議員は画期的だなと思ってただけに残念。結局大金欲しくて立候補したんだろ。辞めちまえよ。
https://anond.hatelabo.jp/20190628121556
なんで「BLUE DROP」がないんだと思ってよくよく考えてみたら、百合漫画はタイトルに青を含む作品が多いかも。
アニメ化もしたSF百合。新作「リリィシステム」もよかったよ。
「ブルーフレンド」
「blue」
FEEL YOUNG系百合不朽の名作。映画もいいよね。
これもFEEL YOUNG系。
「青い花」
トラバ元がアオアシOKならこれもいいよね?説明のいらない百合の代表作品。
「青のフラッグ」
百合と括るにはややきついか。この作品の面白さは百合を楽しむところではないもんね。
「エクレア bleue」
アンソロジー。でもお菓子名と青の組み合わせは食い合わせ悪くない?
「セイキマツブルー」
「リズと青い鳥」
優生思想の話とは少しずれるが
世の安易に「ナチスを擁護するオレ格好いい斬新画期的」と思ってる人には一言したい
絶対に自分をその優秀な人間に分類される側だとか脳天気に思ってるだろ?
で、ナチス時代のドイツではユダヤ人や非アーリア人は嫌な思いをしたけど
世間の大多数の普通のゲルマン系ドイツ人はみんな幸福だったとか思ってるだろ
ところがどっこい
世の中は「純血のゲルマン人は神/ユダヤ人はゴミクソ」とかいう
単純な二分法では割り切れず、大量の「白でもない黒でもない中間」がいるわけ
善良なドイツ人が皆お互いに
「お前、祖父の代までさかのぼったら純血のアーリア人じゃないだろ?」
「お前こそ、曾祖父の代までさかのぼったら純血のアーリア人じゃないだろ?」
「お前こそ5代さかのぼったら同上」
一生懸命に「理想的なゲルマン人」の骨格に合致しているかどうか
顔の額の広さや顎の広さをミリ単位で測って競い合うようになった
なまじ、ある一種類のみが優等、逆にこれは劣等なんて基準を作ると
際限なくこーいう相互疑心暗鬼で「こっちが優等」争いになるわけ
「みんな違ってみんな良い」などという綺麗事は言わぬw
想像だけど、そもそも夫自身が「我が子が生まれる」というライフイベントを前に、不意に自分の趣味に疑問をもったのがコトの始まりだったんじゃないか。あなたは夫を、同じ「ヤバい」趣味もち、として「同士」と認識してたのかもしれないが、夫にとって「趣味」は、何かの代替にしか過ぎなかったという可能性。そう整理すれば、それはよくある「音楽性の違い」みたいな話になる。
高校生がバンドを組む、お互い、他の人と違って「音楽好き」でNo Music,No Lifeだよななんて言いながら楽しく仲良くやってたりするんだけど、しばらく経って双方に彼女できたら、片方は以前と変わらず音楽に打ち込んで依然ガチ勢だけど、もう片方はなんか以前ほどの熱量で音楽やらなくなって、あれひょっとして俺ってモテたいからバンドやってただけなんじゃね? って今更のように気付いたりして、そうなるまでは分かんなかったりするんだよね。そういうの。で、後者はその自分自身への疚しさからつい口に出してしまう。「音楽とか、そろそろいいんじゃね? 俺らもいい大人なんだしさ」
たぶん、夫は、これまでその趣味で人生の何らかの空白を埋めてきたのであって、それがとても深刻な空白であるほど彼は自分自身を趣味ガチ勢だと認識してきただろうけど、子供ができたこれまでの過程の中で、ふっとその空白が満ちてしまったのかもしれない。その瞬間彼は、自分がもはやガチ勢ではないと気付いてしまったのではないか。あるいは、これまで完全にファンタジーとして機能していた自分の趣味が現実と強い関わりを持ち始めた瞬間に、ファンタジーとして機能しなくなり始めたのかもしれない(妹のいない妹属性マニアが、突然妹ができて妹がファンタジーで無くなるとともに、妹属性マニアでなくなるような現象)。だが、その場合は、あらたなファンタジーをどこかに求めるだろうし、それなら、突然安易に他人の趣味に踏み込んだりはしないだろう。おそらく前者の想像が正しいと思う。あなたの夫は、実は同士ではなかったのだ。最初から。それは彼の勘違いに過ぎなかった。
この想像が当たっているなら、おそらくあなたが混乱しているように、あなたの夫もまた混乱の極みにあることと思う。あなたはまだ夫を遠ざけることが(何なら物理的に)できるが、夫が本当に「やめさせたい」のは過去の自分自身の行為であり、それは、何をしても消すこともできなければどこまでもつきまとう呪いである。自分の過去、変化した現在の自分、どちらも受け入れがたい彼は、いま救いのない混乱の中にあるだろう。普段なら、今までならしなかったようなあなたに対する一連の言動も、つまるところその混乱が生んだやつあたりに過ぎない。正直、彼の心がどうすれば、どのようになれば元に戻るのか、想像もつかない。
これは、何か目の覚めるような画期的なアドバイスとかではない。事態を分かりやすく整理しようとしただけの何かだ。余計なお世話だ分かってるよバカヤローと言われればそれで終わる、ただの落書きだ。ただ一つ言いたいのは、結婚というのはだいたい勘違いでできているのだから、勘違いが即「婚姻を継続しがたい主な原因」とはならないってこと。そして私が期待するのは、こんな風に整理したとき、たとえ勘違いに根ざした絆であっても、「情」に基づく対応があなたの側からは可能なのではないかってことだ。あなたは結婚するとき、病めるときも健やかなるときも……と誓ったのではないだろうか。あなたの夫はいま、明白に病んでいる。100%夫自身の責任であると思うが、病んでいる。病んだ夫の病んだ行動を、自分に益がないものと切り捨てる判断をするなら、それはもちろん止めようがない。だって、あなた自身もいま明らかに平常ではないのだから。妊娠・出産という、およそ通常ではない時間を過ごしているところなのだから。無理をして夫に寛容になれ、とはとても言えない。ただ、平常ではない二人が、意地を張ったまま早急な決断をしても、それは誰も幸せにはしないと思うな。あなたの幸せとはいったい何か。
あなたは問題なく善なる人であり、そして、おそらくあなたの夫もただの善なる人なのだ。お互いにまだその一点について同意し合えるなら、そこには落としどころというものが必ず存在し、幸福な未来もあり得るはずなのだ。
それにしても「俺も止めるからお前も止めろ」はないね。それは卑怯だ、だって全く等価じゃないんだから。オタマジャクシと魚の友情。お前は実は蛙だったのかもしれないけど、私は魚なんだ。「そろそろ陸にあがろうぜ」なんて言われてもどうしようもない。そんな気分だろう。それでも蛙が無茶さえ言わなけりゃ、水の中でなら仲良く暮らせたりするかもしれないんだよ。願わくば時間が万事うまく解決しますように。やれやれ。
それなりに信頼してた人から騙されるっていうのは酷なものだ。相手は私を騙そうとしているのだから、信頼も友情もそこには無いのだろうが、私に取ってはお世話になった先輩だったんだ。
詐欺の内容はオプザイルといわれる手口のものらしい。グーグルで検索かけるだけでわんさか記事が出てきた。ざっくり言うと、失敗しない投資法を見つけたからそのシステムが入ったUSBを買わないかって話だ。
気持ち的には相手の話を信じたいのに、話が余りにも詐欺の常套手段であり、話の裏を取るまでもなく信じられる要素がなかった。疑うより信じた方が楽で気持ちが良いって言うのは本当だなぁなんて、先輩の話を聞きながら思っていた。
騙されたフリをしてその日は先輩と別れたが、その後も苦しかった。部活を共に頑張っていた時期も何もかもその人との思い出が嘘になったような気になった。
先輩、あなたはもっと賢くて優しい人間だと思ってましたよ。稚拙な計画で後輩を嵌めようとする浅はかな人間だとは思いませんでした。そんなあなたを慕っていた自分が悲しくて悔しいです。