はてなキーワード: 浅野いにおとは
吾輩は猫ですか?
恥の多い生涯を送って来ましたか?
長い歳月が流れて銃殺隊の前に立つはめになったとき、恐らくアウレリャノ・ブエンディア大佐は、父のお供をして初めて氷というものを見た、あの遠い日の午後を思い出しましたか?
ロリータ?
(ウラジーミル・ナボコフ『ロリータ』)
本を書く人なら誰でも、読者が自分の本から得た知識をどんな場面で活用するのか、頭の中に思い描いていますか?
(ダニエル・カーネマン『ファスト&スロー』)
われわれの誰もが知っているように、人類社会の歴史は世界のさまざまな場所でそれぞれに異なった発展をとげてきましたか?
(ジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄』)
国語教師の平塚静は額に青筋を立てながら、俺の作文を大声で読み上げましたか?
葉、茎あるいは根の中に貯水組織が発達して多肉化した植物を総称して多肉植物と呼びますが、園芸界では、同様の特性をもちながらサボテン科に属する約5,000種(含園芸品種)の植物を「サボテン」と呼び、サボテン以外の種類を「多肉植物」と呼んで明確に区別していますか?
【追記】
…………ブウウ――――――ンンン――――――ンンンン………………って何ですか?
ダンボールの空き箱は、縦、横、それぞれ1メートル、高さ、1メートル30前後のものであれば、どんなものでも構いませんか?
ある灰色にくもった日のことですか?
本書を手にとってくださり、ありがとうございます。メンタリストDaiGoですか?
(メンタリストDaiGo『人を操る禁断の文章術』)
俺は学生時代ずっとモテなかったボンクラ男子だが、漫画が好きなこともあって
ボンクラ男がのめり込みやすい典型的な作品なので、もちろん俺もハマった。
で、なんかの雑誌のインタビューで押見先生が「惡の華は安達哲のさくらの唄に多大な影響を受けて描いた作品」と答えているのを読み、以前からタイトルや評判を聞いてはいたが
自分が産まれた頃の作品であり、なかなか読む機会が無かったのだが
これを機に読んでみようと、古本屋を探し回った。(電子書籍は嫌なので、絶版本を手に入れるには古本屋しかない)
やっと見つけて読むと、なるほどこれは思春期に読んでたら気が狂ってたわ…大人になってから出会ってよかったー
と思えるほどすごい作品だった。
これは惡の華が好きなら読まないと損!
と思い、友人たちに勧めた。
男の友人たちは「読んでて気分悪くなった!最高!」と絶賛だったが
女の友人たちからはことごとく不評。
「言うほどのめり込めなかった」「男の妄想って感じで不快だった」
彼女らは惡の華も全巻読破して、おれたちボンクラ男が大嫌いな浅野いにおの漫画も大好きな人たちばかりなので
似たような作品というか、そういった作品の元祖とも言うべき「さくらの唄」が女性に全く受け入れられなかったのは驚いた。
俺の周りでは女性には全く駄目だったなあ。
俺の周りでは完全に男受け漫画だった。
あーもういい加減にしてほしい。お互い30超えてるんだよ? 「私一人じゃ寝れない人間だから」って知るかボケ! そんな駄ドラマみたいな台詞声に出して言う人間初めて見たわ! ばーかばーか! 勝手にやってろよ、でも俺を巻き込むんじゃねえっつってんの! 君に届けこの思い! 届け!!!
もう嫌なんですー自分を卑下してるくせに卑下してる自分のことが世界で一番大好きなクソナルシスト女どもに付き合うのはー。大抵部屋の本棚に浅野いにおの漫画が置いてあるんだよーなんなんだよあのいにお率はよーうんざりだもう何もかもうんざりだ腕が洗濯板みたいになってる女ももういいようんざりだよ本当に明日都内のラブホが一斉に潰れて男は交尾したら金玉一個づつ落ちる生物になってればいいよ俺を含めて
CAの社員くらいちんちん主導で生きられれば楽になるんですかね。無理だー虚しいー。俺を含めた全てのクソどもが一週間で死に絶えますように。
浅野いにおの新境地
客観的には浅野いにおのマンガはエロいしおもしろいけど、個人的には嫌い
うみべの女の子もソラニンも読んで面白かったけど個人的には嫌い
でもこのデデデデは違った
浅野いにおらしいふわふわした地に足が着かないアトモスフィアでくるんだ、カタストロフィへ刻一刻と近づく毎日が描かれている
絵柄もメインキャラがかなり萌よりになっててエロくてこのままCOMIC LOに転向してもいいのよ?と言いたくなったレベル
はにゃにゃフワーッ!!!
まあ相変わらず話の進みは遅いし、余計な描写ばっかでうざったく感じることもあるけど
★★★☆☆
萌はお嬢様。
昔両親を殺したけど心神耗弱で釈放された天才科学者真賀田四季が世間で話題。
所長のオッサンも殺害される。
もともと原作も気になってはいたけど、実際に手が伸びるところまではいかなかった。
アニメ化するってきいて、ちょうどいいと思って見た。
原作の膨大なテキストを適度に取捨選択してバランスよくまとまってた感じ。
直近で見たノイタミナがガリレイドンナだったり残響のテロルだったりしたせいで、12話で過不足なく構成されていたということだけで普通以上の評価をしてしまうくらいには、ノイタミナへの期待度は下がってる。
各話ごとだと書きづらい感じしたから全部まとめて書こうと思ったけどそれはそれで難しい・・・
1.6倍速で見たのもあるけど、結局真賀田四季が両親を殺した理由とオッサンを殺した理由がよくわかんなかった。
愛の形はいろいろあるからって感じの会話を犀川はやってたけど特別な理由はないってことなのかなあ・・・
なんか釈然としない。
これに浅野いにおのキャラデザが割り当てられた意味がよくわかった。
スカした気だるげな空気とか意識高い系が好きそうな会話だらけで、
浅野いにおっぽさがムンムンしてた。
でも実際のアニメで動いてる絵は、いい意味で浅野いにおっぽさがなかったからよかった。
原作とか漫画版はしらんけど、浅野いにおのスカしたキャラデザはどうも好きになれないから。
カメラワークによっては作画が大変になるところとか、物理演算的な無機物にCGをうまく使えば、アニメ制作のコストも下がるし視聴者も違和感を持たないからウィンウィンだね。
もともと、原作の一番最初のページに書かれている文字だけ見てオチがわかったとか豪語してるヤツがネットにいたんだけど、自分で文字を見てもそれがわからなくて悔しかったから読んでなかった。
今考えたらそんなことありえなくて、それは書き込んだ人間のただのハッタリ、自分を賢く見せようとする幼稚で見栄っ張りなプライドの現れでしかなかったけど、それを見抜くことができるほど自分も大人ではなかった。
なんつって。
西尾維新読んだあとに影響されるのと一緒で、作中のやりとりに影響されてこんな文章書いてしまいたくなる。
うーんしかし長台詞は、半現実とでも言えるアニメに持ってくると、不自然極まりないな・・・
大きな展開やアクションなどの派手なシーンがないから、記憶に残りにくい。
毎週見てたら先週の話を忘れてて見る気なくなってたと思う。
テンポも遅いし。
イッキ見で正解だった。
つーか劇場版にすればよかったのに。
あと印象的だったのは英語ネイティブのキャラ(真賀田四季の妹)がちゃんと英語で話してたところ。字幕つきで。
ジョジョで多国籍のメンバーがみんな日本語話してるのおかしくね?っていうはてな人力検索があったけど、このアニメはそういう現実に即したところはちゃんと気を遣ってるんだなと感じた。
これメフィスト賞第一作なのかー
クビキリサイクルでの天才をテーマにするところとか、孤島をテーマにしたところとか、サイコロジカルでの密室研究棟での殺人事件とか、最後のネタばらしの仕方とか、至るところにオマージュがあったんだな・・・
なんで今さらこんな古いのをと思ったけど。
確かにアニメより実写向きだわな。
犀川が考えこむとなんか内面世界みたいな描写になるけど、そこに何の意味もなかったのがいただけなかった。
本人も再三言っていた、その人物にしか見えない世界っていうのを表現したのかもしれないけど、あんなの見せられても結局何の意味もなかった。
変な鳥っぽいのやら黒い苦しんでるような人が地獄っぽいところにいるような描写やら。
アニメならではのトリップ表現といえば聞こえはいいけど、ぶっちゃけ見せ方は空振ってたと思う。
途中までは割とまともに推理してやるーって思ってたけど、これが出てきてから諦めた。
原作ではどういう表現になってて、それをなんでこういう表現にしたのかが非常に気になる。
密室に入る時点で真賀田四季は妊娠しており、密室内には二人存在していた。
そんで本当は殺害されていたのは真賀田四季の娘で、真賀田四季は逃げおおせる。
子どもがいるっていうネタバレは後から考えてみるとちょっとあんまりな気がするな・・・
追記
ネタバレ部分は移動させました
増田だから名前言っちゃうけど、浅野いにおとか田口ランディが嫌いだ。
前少し読んであまり近寄りたくないなって思ってたけど、完全に嫌いになった。
主人公に浅はかな悪口を吐かせたり、やんちゃさせつつ、主人公がもっと深い闇を抱えてるらしきことを示唆したりしてさ。
誰かを殺す夢を見たりとか、実際に誰かに暴力をふるったり殺しちゃったりとか。気持ち悪い宗教がでてきたりとか。誰かと誰かがセックスしてるのを見ちゃったりとか。アブノーマルなセックスしたりとか。そういうのを生々しく描写してさ。
こんなクズみたいな僕を愛してくれる人と一緒に罪を背負って生きていく、みたいな。
主人公もそれなりに悪いけど世界はもっと悪い。でもそんな世界だからこそ美しい、みたいな。
ほんっっと生理的に受け付けない。
「人間臭さ」の度が過ぎてる。吐くほどの悪臭って感じだ。澱んでるし、酔ってる感じがする。
というか現実世界、こんなに酷いかな?見方が歪んでるんじゃないですか?
暴力とかセックスとか世の中のタブーとか、その他何か汚い物とかを、いい感じの思想と一緒に混ぜて作品にすれば文学的になると思ってる感がある。
実際はセンセーショナルでインパクトのある題材じゃなきゃ何も語れないんじゃないかな?なんて思っちゃうよね。
どこがいいのか理解したくていくつか作品読んだけど、作風が一緒だし。
もう勧められても読まない。終わり。
セックスなんてどうでもよくなるぞ。
浅野いにおは大嫌いだけど、うみべの女の子でリアルのセックスはどうでもいいものだと思わせてくれたことだけは感謝している。
勘違いしないでほしいんだけど、もともとオナニーで十分だとは思っててそれを補強してくれたってだけ(ドヤ
基本的にジュブナイルものでセックス描写出されると途端に白けるんだよね。
若い人間は早熟でマセてて高校生も半分以上セックスしてるみたいなアンケートとかたまに見るけど、実際そんなことねーと思ってるから。
俺だけ?俺の周りだけ?別にそれでいい。俺が思考の中心なんだから。俺の主観が世界。
中学生とか高校生がメインキャラでなおかつセックスが絡む小説は一気にファンタジー臭が出て嫉妬マックスになる冷めるからほんとやめてほしい。
とりあえずジュブナイル全般、未成年のセックス入れとけば箔がつくみたいな風潮あるだろ。
大人のやつでもそうだな。とりあえず濡れ場入れてーみたいな。
貴志祐介の童貞臭いセックス描写なんかほんと見てて笑っちゃうレベルだよ。
俺も童貞だから同族を嗅ぎ分けられちゃうのよね。(作者にとっては)悲しいことに。
思うにセックス描写を入れるのは作者の非童貞非処女アピールにしか感じられないんだよね。
別にセックスを描けるからって人間として偉くもなんともないんだけど。
セックスくらい知っとかないと人間じゃない的なオーラまで感じるわ。
結局自縄自縛なんじゃねーの?
おハロー。
聖おにいさんはオサレというのよりサブカル臭。それも悪いタイプの。
http://anond.hatelabo.jp/20081210172325
とても根が深いサブカルミーハー問題。『このマンガがすごい2010』を読んで。
http://anond.hatelabo.jp/20091216230059
「このマンガがすごい!」は罪深い延命装置。もう犠牲者を増やすな!!
http://anond.hatelabo.jp/20111224192828
を書いたぼくだよ。みなさん自意識丸出しでごちゃごちゃ言ってくるんで、胸焼けするぐらい非常に切ない気持ちになりました。なんというかもう……。
「かわいそうだね?」
って言葉しかでてきません(おっと、つい芥川賞受賞作家ネタが飛び出しちゃったよ。やべー、まさかここで芸術に携われる人間だったら絶対にチェックしておくべき、芸術を理解できないやつは興味ないふりして精神防衛していることでお馴染みの芥川賞のネタが飛び出すとは、俺のセンスパねえ)。
はてなブックマーク、およびツイッターの皆様がたは心のホメオスタシス機能をフル稼働させて自分の殻に閉じこもっちゃっていますね。みなさん図星を突かれたことを必死に隠そうとしていますけど、何で等身大の自分を直視できないのかねえ。
「格好をつけないことで、格好をつけている」
「「ホメればセンスいいと思われる記号」を批判すればセンスいいと見られると思ってる人の典型的批判」
やれやれ。春の熊に全員屠殺してもらいたいよ(センスある村上春樹ネタ)。
ぼくはきみたちの断末魔の叫びで心が汚れちゃったんで、ストラヴィンスキーを聞いて洗い流していました。グッドなアートはエバーグリーンな輝きでディ・モールト・ベネだね。
ということで、本題。反応を見ていると、ぼくが批判したい対象がイマイチ伝わっていないようなんで、ここでまとめて表明してみようと思う。
これ以上、この惨状を放置しているとホント取り返しのつかないことになるからね。砂漠に水を与えるようなものだけど、何もやらないよりはマシ、かな……。
きみらの軽い脳みそでも理解できるように4つに大別してあげているから熟読してほしい。2010年代はこういう奴らをいかにカルチャーシーンから排除するかにかかっているので、宇野常寛さん、荻上チキさん辺りは参考にしてほしいね。東浩紀さんは河原で石でも積んでてください。
では、いきますよー。
「ボンクラ」なんていう安っぽい価値観で連帯して、「中学生マインド」なんていう恥ずかしい心性を至上価値にしちゃっている一派。やっていることはひよこのオスメスの仕分けみたいなもん。ライムスターの宇多丸や町山智浩辺りが「いい」といったものを「味方」と見なして手放しで褒め称えて、けなしたものを一緒になって叩けば、「センスあるポジション」にいられると思っている。
「売れてる邦画はテキトーに叩いておけばおk」みたいな頭からっぽな行動も平気でしちゃう。そんで周りも見てもいないのに賛同しだすから目も当てられない。
中身をまともに分析しないで「大沢たかおが出演しているから、これはクソ映画だ」みたいな論理で動いていて、そんで「バカな大衆」と「審美眼のあるセンス抜群の俺」という謎の対比をしだすんだよね。「なぜこういう内容の邦画がいま売れるのか」なんていう深遠なトピックに触れることは一切ないし、考える頭もない。
自分の物の見方だとか価値観だとかが一切抜け落ちた、ゾンビみたいな奴ら。サブカル年長者の金魚のフンをやることに、羞恥心の欠片もない。「独自な物の見方をする人間」についていけば、「独自な物の見方をする個性的なわたし」が出来上がると思っている。
彼らの反応は非常にわかりやすい。ちょっと宇多丸のラジオを聞いただけで、習性がまるわかりで、「ああ、この映画はこいつら叩くだろうな」ってことがすぐに判別可能になる。その分かりやすさが蔓延の原因だといえよう。映画リテラシーがないのに、センスいいと思われたいやつらの格好の逃げ場になっている。
そんで、こういう奴って美意識がないから恥ずかしげもなく部屋に映画のポスターをべたべた貼って、ダサいバンドTシャツを着ていたりするんだよね。それでいて、オシャレに過剰なコンプレックスを抱いているから、「無理してオシャレしているやつは上辺だけの中身のない単なるカッコつけで、ちょっとダサいくらいの自分が本当は一番センスいいんだ病」にかかっていて非常に厄介。自分のダサさまで理論武装しなきゃ生きていけないなんて、ほんとに可哀想だ。
この病気を完治させるには映画について語りだすたびに「それ、ウィークエンドシャッフルで宇多丸が言っていたことだね」って言い続けるしかないと思う。「あ、その映画、町山智浩がキラキラで紹介してたやつか」、「昔、みうらじゅんがその映画をネタにしているのを見たことあるよ」でも可。
「人生で大切なことは、すべて伊集院光のラジオから教わった」とか真顔で言っちゃう恥ずかしいやつら。
映画秘宝系との違いは、映画を見たりする気力も何もなくて、横になってラジオを聞くぐらいの体力しか残されていないのに、自分が第一線にいることを疑わずに最新のカルチャーを必死に否定してくる。「最近のアニメって萌えばっかりで中身がないよね」って見もしないくせにしたり顔で口を挟んでくるのがこいつら。
自分が中年化し、ついていけないことを認めることができなくて、漫画やアニメは伊集院が褒めるものだけが絶対だと思っている。『わたしは真悟』だとか『アストロ球団』だとかね。
映画秘宝系はまだ自分の足で作品を鑑賞しようっていう根性があるけど、こういう奴らにはそれすらない。平気でCMカットのMP3音源を違法ダウンロードして、「やっぱり伊集院さんって聡明だよなあ」なんてアホ面下げてる。その続きはもちろん「本当に頭が良い人って伊集院さんのことを言うんだよな。やっぱり人は学歴や職業じゃなくて、物の見方で頭の良さが決まるんだよな~」なんて考えいて、「ダメな自分は本当は感性が鋭くて、周りのくだらない奴らよりもずっとずっと頭がいいんだ!」って泣きながら自己肯定をしている。
もうなんでもあり。
こういう奴らのためにはっきり言ってあげるけど、「感性」っていうのは行動で示さなきゃ形にならない。布団のなかで自分を慰めるための感性だなんて、ありゃしないよ。ゴミクズよ、もうよせ、こんな不毛な自己肯定は。
「センスがいい」というタグを貼られた商品を必死に買い集めて、なんにもない空っぽな自分を必死にデコレートしようと頑張っている。ビレバンに下駄を履かせてもらわなきゃ、外を歩くことすらできない可哀想な人。自分がビレバンから与えられる餌を食べているだけの家畜だってことに気づけない。
こういう奴がセンスいいと思われたい一心でカルチャーシーンを引っ掻き回して、むちゃくちゃにしていく。「このマンガがすごい!」で上位に入る漫画が悲惨な犠牲者なのは、前の記事に書いた通り。
なんにも作り出せない、作ろうともしないくせに、必死に消費物で「ぼくちゃん、クリエイティブなんだじょ!」とアッピールしたい厚かましい愚鈍なマリオネットたち。
こういう奴には「お前、ひょっとして浅野いにお漫画の登場人物を気取ってない?」って聞いてみよう。ズレてない眼鏡を何度も押し上げながら、「き、きみぃ、いにお漫画はね、単なるセンチメンタルじゃなくて実験的な手法にも取り組んでいて云々」って聞いてもいない作品論を震えながら語りだすぞ。
さらに「そのボブ、もしかしてつぶやきシローをリスペクトしているの?」って言ったら卒倒しちゃうので注意。
もし友人にこの手合いがいたら適度に自意識を潰してあげて、「やっぱビートルズが一番だよな」ぐらいのレベルに留めさせてあげるのが吉。弾けもしないのに部屋に置いてあるギターは、親切心で河原で燃やそう。
そう、お前らだよ。お・ま・え・ら☆
はてブやツイッターなどの安全圏からお手軽に一言批判して、「ふふ~ん、ぼくちゃん、こいつらよりも頭がいいもんね~。見てみて! ぼくこの人否定しているよ!! こいつより頭いいんだよ!! ほら、見ろよ、もっと! 見ろっ、見ろぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!!!!!!」と汚い欲望を身体中の穴から漏らしている。
文字数制限を盾にして根拠もなにも示さずに、自分の頭で否定できる一文をなんとか見つけ出して、「やれやれ。きみはなんにもわかってないね」とただ否定するだけ。熟議に何の貢献もしない、耳を汚すだけのノイズ。
大抵のバカなネットユーザーは脳の大部分が「最新情報の暴飲暴食」でスカスカになっているため(俗に言う「グルーポンおせち状態」)、比較検証なんていう基本的なこともできない(本人は「できない」とすら気づいていない。そこを突かれると「時間がないから」「忙しいから」と言い訳して、何も届いていないメールボックスをチェックしだす)。だから、「最後に勝利宣言をした人間」に説得力があると思っちゃう。
このような「つぶやき批評家(気取り)」と「情報ジャンキー」はまとめてネット中毒矯正院にぶち込むべきですね! そこで『アルプスの少女ハイジ』でも見せて、少ない情報をいかに咀嚼するかを学ばせたほうがいい。こいつら、醜く太っていることが勲章だと思っているからさ。
以上、今すぐカルチャーシーンから撤退すべき害毒な消費者4タイプでした。こういう奴らが蔓延っちゃったのは「個性が大事」という間違った教育と、「作品の解釈は受け手が決める」なんていう甘やかしの成果だと思う。
確かにある程度の解釈は読者に任されるだろうけど、それを理由に笑っても怒っても何しても構わないなんてことはない。それだとスタンリー・キューブリックの『博士の異常な愛情』を見て、原子力礼賛だと思っちゃうようなことを許してしまう。
ぼくのような高い視座に立てているクリエイターって本当に少ない。名前を挙げるとしたら、映画監督の紀里谷和明か、小説家の岩崎夏海くらいか。
特に岩崎夏海の『「小説の読み方」の教科書』は上記であげた連帯のためだけや、センスいいと思われたいだけに消費する行為の解毒剤として最適なので、みんな読みなさい。早く読まないと、時代に取り残されちゃうよ。2010年代のクリエイターズ・バイブルだね、この本は。
みんなもうさ、中身のない自分を無理やり肯定するためにアートを利用するのはやめようよ。空っぽな自分を直視して、中身ある人間になるために努力するべきじゃない? ソクラテスもプラトンも、みんなそうやって大きくなっていったんだよ。
ちょうど今モテキ3巻読んだとこで、この文章読んだ。
3巻の後半に、ソラニンの作者であるところの浅野いにおの連載中の漫画の「おやすみプンプン」のパロディというかモロパクリの描写が出てくるんだが、それがまた面白い。この場合は、物語上必要なパロディであった、と言えるんだけど、引用の仕方に工夫は無い、つまり隠そうとしないものだったんだけど、そういうパロディはどうなのかね?それもふまえて「仲間意識で囲い込むためだけの引用」という事だろうか?
そもそもモテキは実は最初からずっと引用しっぱなしの漫画だと思う、物語に触れる部分でも台詞の中にも、物語のテーマ自体がネットの特にはてなでもよく言及されている非モテについてである。明らかに作者はネットを見ている、そういう引用もある。
この神聖かまってちゃんというバンドもネットの寵児のようなバンドなので、物語のスジは実は通っている。ネットを通して明るみになったこの非モテという問題を、非モテというだけで人を殺してしまうような奴が出てくるこの問題を、男性だけの問題と思われがちなこの問題を、女性の作者が解体しようとしている、そういう漫画だと思ってる。
その為の引用だとしたら、女性作者が男性に仲間意識を持ってもらう為の引用だとしたら、どうだろう。
「お笑い」の言説の中に大真面目な顔でジョークを言え、みたいなのがあるけど、もはや現代のお笑いではこれが絶対に正しい訳じゃない、誘い笑いというのもまた一つのテクニックになっている。
仲間意識を持ってもらうための引用も一つの物語を紡ぐテクニックだ。
あと、台詞やタイトルやキャラ名が物語に関係していないといけない、あるいは必然性を持ったもので無いといけない、というのもまた古いというか、お手本通りすぎる、真面目か!
思うところがあったので書いておく。
浅野いにおの漫画がムカつく理由、あるいは一つの自虐風自慢 「童貞だったあの頃に戻りたいよ・・・orz」
http://anond.hatelabo.jp/20081213165716
その雑誌のレビューには「昔の彼女とヤってしまったような、若者なら誰でも持っている憂鬱さ」
言いたいことはよくわかる。憂鬱をファッションとして消費している人たちが気に入らないというわけだ。
浅野いにおを消費する層がナルシシズム的に「ぬるい悲劇」に浸っているのが許せない。
でも、ちょっと待ってほしい。こんなのは奴隷自慢と一緒だ。
残業30時間だという人に対してそんなことがどうした俺は100時間だと言うようにそんなことがどうした俺の方が悲劇だと言っているようなものだ。
非リア充じゃなくても非モテじゃなくても等しく憂鬱な気持ちにはなる瞬間はある。
憂鬱はキミだけの特権ではない。それに「30で彼女いない暦年齢といった危険な範囲の悲劇」だってそんなのは「ぬるい悲劇だ」「安全圏の悲劇」だと感じる人がいるだろう。
そして、どろどろの「憂鬱競争」が始まってしまう。俺の方がもっと悲劇だなんて言い合ってたらそんな悲惨な光景はない。
キミがいうところの「ファッショナブルな憂鬱」が一掃されたとしたらどうなるか?
不幸な人間を増やすだけじゃないか。余計息が詰まるどうしようもない世界が待っているだけだ。
では、どうしたらいいのか。他人の憂鬱にケチをつけたって何も意味はない。醜い嫉妬心が露になるだけだ。
浅野いにおを消費する層が「安全圏の悲劇」から「非安全圏の悲劇」に直面したってキミ自身は何にも救われずに不幸な人間が増えるだけなんだよ。
自分と見つめ合うしかない。自分を救えるのは自分だけであり、何かを落としたってそれは救われたことにならないんだ。
こんな「底無し沼の中での足の引っ張り合い」はもうやめようじゃないか。
浅野はこの漫画がすごいに選ばれた作者だし世間では人気があるようだ。
mixiなどでも彼が中高生から絶大な支持を受けている様を観察できた。
自分でもその理由がわからなくてなぜこんなに嫌いなのか不思議だったのだが
先日雑誌で彼の新刊のレビューを読んでその理由がストンとわかった。
その雑誌のレビューには「昔の彼女とヤってしまったような、若者なら誰でも持っている憂鬱さ」
が浅野の漫画に通低してるという趣旨だった。あぁ、僕はこういうファッショナブルな憂鬱さが大嫌いなのだ。
こういう憂鬱さを感じられる若者は彼女をつくることができるという、人格が壊れない程度の安全な範囲で悲劇を消費している。
といっても僕は30で彼女いない暦年齢といった危険な範囲の悲劇を経験しろ、といってるわけではない。
そんな経験ができるのはある意味限られた人間だけだし、不幸なら不幸なほどエラいという認識も好きではない。
「自分には何かが欠落していて、それを埋めるために漫画を描いてる」
と浅野は書いていた。読者も自分の中の欠落したものを埋めるために彼の漫画を読むのだろう。
だがその欠落したものとは、実は欠落したままでも人生にほとんど影響がない。
それは絶対に硫化水素や秋葉原トラック無双にまで至らない、安全装置のつきの欠落にすぎない。
にも関わらず浅野や読者が自分の(爪の垢くらい取るに足らない)欠落へとナルシスティックに"耽溺"している様がたまらなく気持ち悪いのだ。
じゃあ、そういう女の子と、いわゆる非モテ男子がくっつけばいいと思うよ!ってなるかと思うと、やっぱりならない訳で。
そういう女の子の「多分、私は(自発的に色々頑張って手を伸ばせば、恋愛に手が)届かないわけじゃないけど、そんなに恋愛というモノにエネルギーを消費したいと思えないし、別にいーや」って感じで非モテ女子で居る、というのと、
いわゆる自分で非モテとか喪男とか言っちゃう男子の「多分、俺って一生恋愛とかいうモノに縁が無いまま死ぬんだろうな(それでいて近づけば近づこうとするほど恥をかいて傷が大きくなるし)」っていう絶望と諦観を持って非モテで居る、ってのと、
同じ非モテでも両者は残念なくらい似て非なるモノって感じがする。
その辺が「女の子は非モテでも可愛い子がいたりする(けど、男でそういうのは稀だよね)」って感想になってたりするんだろうし。
だから実際、多分そちらのエントリーには「そんな女の子が好きだby非モテ男子」なコメントやトラバがズラッと届くけど、それ自体がもうイヤでしょ?
男子はチャンスがあれば付き合いたくて仕方ないけど、女子は付き合いたくないから付き合ってないのに、フリーだと勘違いして軽ーくアタックかけられちゃ。
ってな事を思った。
(それでもどうしてもそういう女の子と付き合いたければ、自分もそういう男の子になればいいんだと思う。
少なくとも非モテとか喪男的なメンタリティーとは120度くらい違う、浅野いにおの『ソラニン』に出てくる種田みたいな感じの。
・・・なれねーなぁ。)
だから非モテ男子は時々そっちの方向にオアシスがあると思って駆け出しそうになるけど、間違っちゃいけない。
・・・ほら、すげー嫌でしょ?w