はてなキーワード: 欧米人とは
欧米人はワキガの人が多いし日本人ほど頻繁に風呂に入らないらしいけど、海外の匂い事情どうなんだろう?
人間なんて所詮動物なんだから臭くて当然だと思うのだが。だいたいライフラインや科学が進歩していなかった昔は臭くて当たり前だったのでは?
いやもう面倒くさいし適当に吐き出したいんだけど、ここ最近の日本人って何にも未来とか見てないよね。
あんまり書きたくない固い政治の話とかでも、大体の人はメディアの情報を鵜呑みにして誰かを叩く。
逆に、目の前にいる人間に洗脳されてマルチとかニセ科学とかに嵌ったりする。
まあ知識がないのは仕方ないし、高度に複雑化した現代社会において完璧な情報収集なんてのは無理ですよ。我々パンピーにはね。
なにせ、昔からゲーム脳なんて大嘘に騙されて偏見を向けてくるような人間ばかりだし。仕方ない。
でも、結局のところ誰かが正しい情報を発信しない事には、誰もかも間違うしかない。
こういう事を言っちゃあ自称“マス”メディアと同レベルに思えて嫌だけど、結局は人間の9割ってのはバカな訳ですよ。
厳密には、それぞれに個性が得意不得意があるから絶対バカってわけじゃないけど……
どっちにせよ、どんな専門家でも専門外では素人同然どころか、専門内ですら分からない事は沢山あって、それなのに誰もが自分こそ真の賢者だと信じて疑わない。
そんな社会で正しい情報を拾えるのは、本当に極少数なわけです。
だからこそ正しい情報を得た人は正しい情報を発信する義務がある訳だけど、それを色々な言い訳で隠してしまう。
その背景には結局、世の多数派は真の意味で「正しい事」なんて求めてないという辛い現実があるんじゃないですかね。
なんでかって言えば、それ以上を求めるのは「疲れるから」だ。
楽に生きるなら長い物に巻かれれば良い。
……でも長い物、一般的な人間というのは結局のとこ「間違ってる」ワケで。
さっきも書いたように人間の9割はバカでしかなく、賢い人間ですら専門外は素人同然。
つまり多くの人間が信じてる事ってのは間違いである可能性が高い。
一見すると間違ってないように思える事でも、厳密にはニュートン力学のように雑な論理でしかない。
まあ、かくいう自分も今ここで相対性理論を語れと言われても無理なんだけどさ。
だからこそ、より正しい人間に従うってのは生物の生存戦略としては間違いじゃない。
問題は、その「正しい人間」が居ないってだけの話で…………それこそが、致命的なんだけどね。
なんせ正しい人間が限りなく少ない以上、誰かに従ったところで「そいつが正しい保証は無い」ってか9割がた間違ってるわけなので。間違ってる人間に従えば、どんな人間でも間違うに決まってるじゃんね。
ゲーム脳的に言うなら……上役ガチャ爆死したパーティで生き続けても、人生ダンジョン(難度インフェルノ)はクリアできませんよっと。
じゃあ、欧米人みたく個人主義で生きていくか?って言われても。
さっきも言ったように人間の9割はバカなので、自分ガチャも上役ガチャも基本は同じ人間ガチャなので、まあ爆死が基本なわけで。
なにせ、多くの人間はアメリカ大統領とかいう明らかに就くのが困難な激ヤバ職業の人間ですら「自分の感覚で考える」ので。もっと、こう背景とか考えれないのかなと思うわけです。
とはいえ有能な人間を上役にしようと思っても、どんな専門家でも専門外は(以下略)の理論たる「ピーターの法則」によって、有能な人間は無能になるまで出世し続けるんだけど。
下流工程で有能だからといって、上流工程で有能とは限らない……というか、下流工程と上流工程は似ているようで別の職業なわけで。
言ってしまえば、そんなのは生徒会長を教師に据える様なものでしかない。
教育職員免許状が必須やら年齢などの社会的な大前提は無視するにしてもだ。
確かに人を纏める力は持ってるかもしれないし、大なり小なり成績は優秀かもしれないが、少なくとも教える才能が無いと教師は務まらない。
それ以外の管理や企画進行とかの部分は大なり小なり共通してるかもだが。まあ、どちらにせよ細かい問題は多々とあるはずだ。
それなのに、今の社会では成績や年季といった物に応じて役職が定められていく事が多い。
もっと任天堂みたく、現場には現場の上位職を与えるとかして才覚を活かすような社会システムを構築しないといかんのでは。
……まあ無理か。何せアニメ監督ガチャでUR引いたのに個人の一存から平気で捨てるような社会だしな。
どうせなら別のプロジェクトに移動してもらって手厚く保護するとかしとけば良かったのにねー……おっと愚痴が。閑話休題、閑話休題。
じゃあ、どうすれば良いのか?
答えは簡単で……自分の子孫、子々孫々にとって良い社会を作ってくれそうな人に、意思を投じれば良い。
いや、もっと言えば……自分が遥か未来に生まれ変わった時に、この人が生きていれば社会は安泰だと、こういう人が増えれば世界は平和になれると思えるような人にこそ投じるべきだと私は思う。
本来の話、真に民主主義だってんなら会社の同僚であろうとも近所のオジサンであろうともホームレスであろうと、誰であろうとも……皆が正しいと思える人間なら、誰でも議員になれるくらいで丁度いい。
本人の意思を無視するのは良くないが、そうでないなら……投票し当選さえすれば誰でも社会を変えれるような社会が良いのではないか?
そして、それは社会の縮図たる学校や会社でも同様ではないだろうか?
勿論、能力なり金銭的な部分での手厚い補助は必要だとは思うし、問題があれば即座に退任できないとダメだが……そうでないと、さっき言ったピーターの法則に引っかかって爆死するので。下手したらガチのファシズムとかの危険思想国家まっしぐらだし。
でも、そういう社会でないと最終的に、能力なり人気さえ有れば、どれだけ間違ってる人間でも構わない社会ができてしまう。
それが、今のブラック企業ブラック体質を作っていると思う。特定の能力しか無い人間は、その能力の無い人間を理解しない。
……結局、今の日本社会とは成功した社会主義でしかないし、失敗した個人主義でしかない。
そんな半端をダラダラ続けて何も思わない状態は、ただひたすら不健全でしかない。
だけど、こんな事を宣う自分こそが、そんな今のダラけた日本を作ってるんだなと思うし、そう考えると自分ガチャにもリセマラ機能が欲しいと言わざるを得ない。
せめてチュートリアル期間が1年、欲を言えば再インストール期間も短期に保証されてるなら、こんなこと書く前に今すぐリセットするんだけどね……
あれは日本で言えばサンデー毎日の出すランキングみたいなものだともいわれています。
英語圏での大学が特別に有利になるように発表されているだけで、あまり意味がないです。
もともとはイギリスの教育産業育成のために打ち出されたイメージ戦略であり、かなり偏っていると馬鹿にされてますよ。
日本人の英語での表現力に欠けるため研究が過小評価されているという面も大きいのでは?
さらにノーベル賞などの研究指標は欧米人や特定の人種に極めて有利なインナークラブとしての面もありますよね。
それから学力だけなら大学卒業時でも平均的なアメリカ人よりも平均的な日本人の方が遥かに上です。
ハーバード大生の数学力はマーチクラスとも言われていますから。(アメリカ人学生や米国からの帰国子女は笑えるくらい数学できないことで有名)
研究実績などでアメリカの大学がすごいのは、海外から最優秀な研究者を集めていることと、国内から飛び級でかなり若いうちに入ってくる連中(学者家系のユダヤ人も多いでしょうね)がいるためでしょう。東大にはアメリカの大学ほど給料や研究資金はとても用意できませんから世界から集められないし、日本の最優秀層も研究者となった段階で世界中からハイスペックな頭脳の人間の集まるところ(アメリカの大学)に知的な刺激を求めて引き寄せられる傾向があります。(物理で言えば南部さんとか大栗さん)
だから日本の大学生や院生が学力でアメリカ人に追い抜かれるわけではなく、入学時のリードを維持したまま卒業時も圧勝してるのが実情なんです。逆に言えば米大学のトップ層(13歳で大学に入った米国内の連中や、高い研究力のために海外から引っ張られた外国人)には最初からスペックで負けているのです。構図は世界選抜と日本選抜になっているだけなのに、アメリカ人学生の学力が彼らの努力と教育機関のおかげで大幅アップしていると錯覚しているんです。知性の高さは母集団の数と質しだいなんですよ。(ユダヤ人の数という考え方もできるかもしれません。)
そういう意味で言えば、学者になれる位にハイスペックなら、灘や開成卒業してからハーバードに行くのは英語力強化以外の面ではあまり意味がないかもしれません。(大学生の学力が東大より低すぎるため刺激が足りない)。惚れ込んだ分野があるなら日本で研究者としてしっかり結果を出して、それから知的刺激や研究資金や報酬を求めて世界選抜の集まったアメリカの学界に引っ張られればいいんです。
自分の知性に本当の意味で自信がないからハーバード大なんかを目指しているんじゃないでしょうか。学費もったいないですよね。
アメリカ人も本音と建前を使い分けて、タイトルに建前を、本文に小さく本音を書いて「察してくれよ〜」とかやるのか。
http://b.hatena.ne.jp/entry/4668323910898991586/comment/gabill
このコメントとそれにスターを付けてるユーザーはこんな風に思っている。
「アメリカ人は俺たち日本人と違って忖度だとかお気持ちドリブンだとか無縁の世界でノーと言うべき事に毅然としてノーと言える人たちの集まりなんだ」。
アメリカ人だけじゃない特に欧米人に対してだいたいそう思っている。
実際そんな事無いんだ。
だから思考停止してしまう。いい意味でか悪い意味でか、外人は自分たちには真似できないロジックで動いてるんだと安易に諦めた思考に流れてしまう。
それは負け犬の発想だ。外人は人間だ。ホモ・サピエンスだ。俺らと同じような思考回路のムラがある。そこを理解できない限りお前らはいつまでもレイシストだ。その心が己の行動を改める動機を生むんだ。だからレイシズムは美しいんだ。
そういうのを追求して「困り」が出てくるのは当然だし、障害者だ福祉だと言ったところで、一生解決されることはないから。
一時的に自己不全感でおかしくなる年頃があるのはむしろ健全に発育していると言えることだけど
一生その精神状態なのは、「知能の低さ」や「自己愛の問題(抑圧の高さ)」ゆえだよね。一部例外を除いて。
知的障害じゃない人格障害じゃない、発達だサヴァンだって定番の返しには
韓国人顔に整形したブラジル人と、欧米人顔に整形する東洋人と同じ問題なんだと返しておきます。
物の売れない時代でもあるし、政治のせいだ親のせいだってキレられても困るから、物語を信じさせるのが大人の知恵というものなんだよ。
子どもは作らないでね。
「自分と他人の好きが違うのなんて当たり前、だから楽しいのよ!」って言う弦巻こころみたいな純粋なリベラルマインドを持っているから自信をもって勧められるんだよ。弦巻こころが分からんなら典型的なポジティブ欧米人のノリと思えばいい。
全体的に、自分がどう(悪く)思われるだとか、相手をどう(悪く)思う、みたいな事には関心がなく、勧めたいモノが主役と考えているし、うまくマッチすればハッピーという事しか考えていない(それ以外を考える意義はない)ということだね。
世間のオス共はコンドームにサイズがあることをご存知だろうか?
20代後半あたりから遅漏に悩まされ射精まで至らないこともたまにあった。
単純に交尾の刺激になれきってしまったのか、マスターベーションのやりすぎなのか等
原因を色々考え、策を講じてみたがこれといった解決策も見つからなかった。
薬局でしかコンドームを買ったことがなかったので普段はMサイズを使っていたと思う。
驚くことにコンドームにはLサイズもあり、なんとその上のXLサイズまであるのであった。
自分の陰茎のサイズを客観的に知りたかったのと、XLは欧米人のサイズであるだろうから、その欧米人の陰茎を感じてみたいという気持ちもあった。
コンドームを一つ切り離し、包をちぎり、中身を取り出してみた。
確かに大きい。
心の準備が整い、欧米サイズのXLコンドームをオスに被せてみようと思い立った。
コンドームというものは被せてみなければ意味がない。バルーンアートの風船ではない。
被って見なければわからない。そういう事はまれにあるものである。
そして現実を知るためにはこのXLサイズを被らなければならないのだ。
オスは精子溜めを押さえ亀頭にXLサイズのコンドームを被せたそれをスルスルと下ろし陰茎に這わせたのである。
欧米人のサイズだと思っていたXLサイズのコンドームはオスの陰茎にぴったりっと収まったのであった。
オスは欧米人ではない。
しかしながらオスの陰茎はXLサイズのコンドームにピッタリと包まれたのである。
そして、この絶妙なフィット感、そして根本まで包まれるこの安心感と幸福感。
オスは悟った。
そして思った、オスは遅漏を超えたであろうと。試すまでもなく直感でそう思えた。
自分の陰茎にMサイズのコンドームは単純にきつかったのだ。MサイズとXLサイズの直径の差は10mmもある。
10代や20代前半の脳の半分が性欲だったような時期ならいざ知らず交尾というものを客観的に捉えられるように
なってしまった今、その10mmの締め付けを弾き返すだけの勢いは心にも体にもなかったのであろう。
思えば思春期、多感な時期から欧米人に比べ陰茎が小さい事や散々に陰茎のイメージを刷り込まれてきたオス達はお前達は陰茎が貧弱なのだと
これではコンドームのサイズが合っていなかったという考えに至らなかったのは必然であろう。
正に今、オスは本当の童貞を捨てたのだ。締め付けられるようなこのMサイズのゴムからの開放。
どうだろうか?オスよ。
我々は自分自身の陰茎のサイズを過小評価せず、勇気を持って自分の陰茎にXLサイズを被せてみるべきではないだろうか?
我々、オスは自分で思ってるよりも小さくはないのである。そして遅漏も治るのである。
追記:
ある程度の数読まれて、いろいろと気が付かれた方も多くいらっしゃったようなのでさっさと種明かしをしようと思う。結論からいえばソーカルやユニバーサルメルカトル図法という語がもっとも的確にこの記事を表現している。
「ある本から引用した」というのがまず第一の欺瞞である。引用ではなくぼくの創作である。また「ちゃんと読める?俺は読めるけど。」は煽っただけの惹句である。
必然的に、引用と銘打ったその後の文章はすべてがでっち上げたものである。この「引用文」はシンタックスは問題ないながらも言葉の意味をデタラメに並べ書き連ねて意味ありげにしたものである。ただしいくつか罠を張ってある。最初の煽りも罠の一つであり大いに楽しんでもらえたように思う。
「引用文」のはじめに出てくる「敬虔のない状態」というのはデタラメで意味不明である。「敬虔」という言葉は神学・キリスト教史観などの語を後に出現させて煙に巻くための布石であって、ここではそれ以上の意味はない。「構造化」も「構造主義」「認識論」につながって哲学の要素を暗示するための適当な言葉である。だいたい「○○化・○○的」と言えば立派に聞こえるものだ。
「最新医療技術によっても問題提起されたこの貢献」は文の構造からみるに「神経医学における漸進的な貢献」と等価であるが、これに関して特にエビデンスはなくデタラメであるし「漸進的な貢献が最新医療技術によって問題提起される」とはナンセンスであろう。「如実に現している現状〜は自明だろう」は「そんなことも知らないの?」と煽るために付加したもので、もちろんこちらもエビデンスはなく適当である。
「エリファット=フォン=ハッシュヴァルツ」なる人物は架空の存在でありでっちあげたものだ。19世紀後半にスウェーデンから移民というのもよくある話を適当に追加しただけである。フォンやヴァルツなどの音はそれっぽいので採用した。音がそれっぽく聞こえること以上の意味はない。「あまり知られていない」「詐欺師と言われていた」と弁解しているのはググっても出てこない理由をそれらしくするための装飾である。察しの通り、Kalmia Theoryも架空の理論である。Kalmiaはツツジ科の花でスウェーデンの植物学者カルムが命名したものである。つまり構造主義とは何ら関係がない。また「構造主義の前置き」とあるが正しくは「構造主義の前提条件」などとするべきである。また、構造主義は20世紀に登場した実在の概念である。
「誤解を恐れずに言ってしまえば」というのは、Kalmia Theoryまでの大きな嘘を覆い隠すため、ろくに調べなくてもいいように逃げ道を作ってあげたものである。続く文は「神経医学においてもキリスト教史観での認識論を改めて多角的に世界を認識しなければいけないというものだ」というわかりやすそうで意味不明な文である。「キリスト教史観での認識論を改める」とはめちゃくちゃであり「欧米人が考える哲学的な何か」くらいのざっくりした暴論の衒学的表現である。「神経医学においても」とつけたのは更にデタラメさを助長したかったためである。
「経頭蓋磁気刺激法というものは磁気増幅器を使用するために神経パルス信号」は、似ている言葉を並べただけで何も関連性はない。こちらはひとつひとつの専門用語が実際に存在しているために「そういうものがあってそういうことがある」ぐらいの気持ちで読み流されるのを狙ったものである。直後の「しかしこれが危険であるか否かというのは一般的に明瞭ではない」によってなんとなく納得するように仕向けているが、結局デタラメである。そのデタラメさは、ひとつひとつの語の意味を知ろうとすれば見抜くことができる。
「ミクロ的事象」の意味はない。流れで「評価」というワードを思いついたのでなんとなく経済用語でもぶちこんでおくかくらいの気持ちで追加したものである。
最後に「問.」とあるのは最後の煽りであって、意味などないし「引用文」の中に答えがあるはずもない。心理学で言うダブルバインドに近いとぼくは勝手に考えている。
また、この文章はぼくが適当に独自に創作したものであるから英文から和訳したものではない。内容が欧米っぽいことは否めないが。
少子高齢化問題にしろ、平均寿命のインフレにしろ、車離れにしろ、格差社会にしろ、移民問題にしろ、労働革命にしろ、これまでの欧米人が「過ぎた道」を日本人は今まさに歩んでいる。それだけのことだ。日本の風情がなくなるだのいう言説は、実にばかげているということに気づく。ではそういう欧米の人たちも、社会の成熟なんてなく、ブラック社会のような感じが首都級の大都市のそこら中にあった方が理想だったのだろうか。日本を上から目線で消費する人ほど、自分がそこに暮らすことは絶対にイヤだろう。
そういう親日派ほど、政治家や官僚のような世界で暮らし、肉体労働者や運送業や非大手の労働者などまるで他人事なのだ。あるいは実家も、無秩序や貧困とはとっくの大昔に決別したような悠長な住宅街の中にあったりして、おそらくは欧米の平均よりも豊かな暮らしをしている。