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2024-09-17

神前藩は江戸初期に消滅してしまった藩なので、あまり名が知られていない。

 

神前藩の産業は、筆と墨の生産で、台湾との貿易もさかんに行われており、港はいつでも喧騒に包まれていた。

ところが藩の奉行たちが強欲だった

貿易には輸出租庸調がかかるうえ、年貢額も毎年割高になり、職人たちの扶持は下がる一方だった

毎年、年貢の申告日が近づくと、職人たちは親戚の通夜にきたかのようにしんみりしており、いまにも泣き出しそうな顔もあった。

一方、藩奉行たちの扶持は、事実上、毎年上がってゆき、そのことで越後藩の呉服屋が、毎年着物販売祭りを開催するほどになった

これには、巧妙な絡繰りがあった

奉行たちは、奉行所の一部を徐々に民営化してゆき、そこに天下れば、同じ仕事でも奉行所よりも扶持が多く貰えるのである

もちろんその民営奉行所には、奉行所の補助扶持が、たっぷり降りるのである

こうした偉い奉行たちの顔ぶれと政策がずっと変わらないので、毎年、奉行志願者が増えていった

このころにはもう、藩校筆墨技術科は、定員割れが起きていた

まりに筆墨の生徒が減ったので、お白洲の御沙汰文書には、筆墨技術科講習が、刑罰として書かれるようになった

職業自由はこのように強引に奪われたが、それでも職人たちの人口減少は止めることができなかった

職人たちは少ない人数でもしばしば一揆をおこしたので、斬首晒し首もしばしば行われた。

しか一揆は止まらず、あまり斬首の人数が増えた

人不足の火葬場では、火葬が間に合わず、疫病が発生した。

これは人から馬にも感染するコレラだったため、商人たちは物資を運ぶのに、隣藩から運送屋を借りなければならなかったが、

隣藩も貸し渋るのももっともで、運送料の高騰による物価高も起きた。

 

神前藩の悪い噂は、そのうち幕府にも届いた

幕府藩主家を摂り潰し、幕府直轄領とし、疫病に感染していないと思われる者は藩外に転居させた。

しかし多くが藩領に閉じ込められ農業をするしかなくなった

食料不足ときどき幕府によって補われたものの、餓死する者も多かった

コレラ対策がようやく出来たのは、藩主家のお取り潰しか10年後だった

 

追記

誤字等訂正追加したよ

2024-06-21

大岡裁き2.0

大岡裁き。それは我が子を想う母親の心情を巧みに掬い上げた大岡越前守が名裁決である

白洲に引き出されたは二人の女と幼き稚児。女どもは我こそが子供母親であると口々に申し立てる。母は己が益よりも我が子の心身を重んじるはずと考えた大岡越前守は、自らこそ子供母親であると声を上げる二人の女に子供の手を引っ張らせ、まこと母親であれば子供を諦めないはずであると、敢えて真逆行為をけしかけた。果たして本物の母親はすぐさまに我が子の身体を想い手を離したのであるが、偽りの母親最後まで子供悲鳴にも聞く耳を持たずに手を引き続けた。

この、お白洲という非情がまかり通る場所での親子の情を重んじた名裁決は、またたく間に江戸中の評判となった。大岡越前守の公正かつ賢明な裁きに感銘を受けた江戸母親達は、我と我が子が白洲へ上げられる最悪の事態に備え、こぞって相手よりも素早く手を離す訓練を始めた。はじめは隣近所で集まり細君同士で児戯の如く交流を重ねていたのだが、次第に規模が膨らみ長屋単位で集うようになり、数月経つ頃には江戸の町全体の奥方網羅した「大岡裁き番付」が作られるようになっていた。

これが大岡裁きの極限競技エクストリームスポーツ〉化である




大岡裁き」の基本ルールについては今更語るまでもないだろうが、念の為、以下簡潔に説明をする。まず試合場にて競技者たる二人の女と奉行所より公正な基準に則って選ばれた稚児が並ぶ。三者が正面の裁き手へと礼をした後、女・稚児・女の並びに移動し、女がそれぞれ稚児の片腕を取る。そして裁き手の号令にて一斉に手を離す。このとき最後まで手を持っていた方が敗者となる。お白洲に立ち裁き手の最高位たる大岡越前守より御裁きいただけるのは、番付上位のごく限られた存在だけである

競技化してから大岡裁きについて、その全貌を余さず語るには頁が幾らあっても足りることはないが、ここではその初期にあった一つの名勝負を紹介しよう。「突き」が体系化されて技法が複雑化する直前の、純粋たる「離し」の名人達による今もなお語り継がれている試合である

その日お白洲に現れたのは、枯れ木のようにやせ細った女と、それとは対象的に首や四肢たっぷりと肉を蓄えた肥えた女であった。二人は丸々とした稚児を挟み向かい合うとニヤリと笑いあった。両者とも当代一の達人との名高い見知り同士であり、両者五勝五敗のこれが通算十一回目の試合であった。

枯れ木のような女の腕名は湖越えのちよという。彼女は軽やかに美しい所作により「離す」名人であり、彼女の「離れ」による跳躍は水辺を渡る鷺の如きであったという。ちよのあまりにも優雅な「離れ」を語る逸話には限りがないが、その中で最も有名なもの彼女の腕名となっている湖越えであろう。ある武家屋敷にて試合を行っていた彼女であったが、裁き手の号令の瞬間にはそこに残っているのは砂けぶりだけであり、その姿はもはや稚児の傍になく、邸内の池を越えて対岸へと着地していたという。池の幅は少なく見積もっても六間(約11メートル)あり、常人ではとても真似することの出来ない幅であった。彼女の跳躍を間近で目撃した御隠居は、もしあれが池ではなく湖であったとしても、彼女は間違いなく越えていただろうと語った。

もうひとりの太り肉の女は箱根のお松という。彼女はちよと異なり跳躍ではなく縮地による「離れ」を得意としていた。彼女の張りつめた四肢から繰り出される俊足は、十間(約18メートル)を瞬きの間に駆け抜けたという。暫し誤解されることであるが、彼女は純然たる江戸っ子であり、腕名の箱根はちよと同じく試合逸話に基づくものである彼女が縮地を己がモノにした頃のある試合において、「離れ」の瞬間、大砲のような轟音が響き、試合の場である屋敷全体が震えた。その揺れの源は、屋敷の塀に衝突したお松であった。塀が大きくたわむ程に突っ込んだお松の縮地は常人が捉えられるものではなく、かろうじて越前守の弟子であった見届け役が認識できただけであった。その驚くべき俊足を見た屋敷に逗留していたとある粋人は、仮に塀がなければ彼女箱根の峠まで飛んでいったであろうと称したのである

当代一の名人である二人の勝負は一回で終わることはなかった。裁き手の大岡越前守が号令をかけた瞬間、そこには土煙が残るだけであり、お白洲の両端にちよとお松。そして砂煙が晴れてふくよかな稚児の姿が現れるという始末であった。近年ますます加速化する「離れ」の瞬間に、裁き手たる越前守はこれまで辛うじて追いついていたものの、この二人の速度は群を抜いて速く、副審からくり手の技能を持ってしても勝敗判別不可能であった。

土煙が判決邪魔をしているのではないかと、砂地に水を撒き再度取り直しをさせたが、稚児の両脇に残ったのは深々と空いた丸穴と抉れた足跡だけであった。何度取り直しても決着がつかず、ついぞ判決に困った越前守は奇策を思いつく。稚児を立たせるのではなく二人で釣り上げて、先に爪先が落ちた方がより早く「離れ」た方だと。この日の稚児は二十五貫(約94キログラム)ある恵体であったが、お白洲に立つの江戸の最高番付の二人であった。両者は再びニヤリと笑い合うと、片腕で軽々と稚児釣り上げた。ちよが右手、お松が左手越前守が号令を下した瞬間、先に爪先が落ちたのは右足──即ちちよの方であった。

後年、お松は「あれは稚児の左足が短かっただけであり、離れは同時であった」と語り、自分の負けを死ぬまで認めることはなかったという。この勝負を切っ掛けに「離れ」の主流はちよの跳躍となった。彼女が残した縮地は「突き」において花開くことになるが、それを本人が見届けることはなかった。




次は、「離れ」に対して「突き」の興りを記さねばなるまい。あくまでも原点に忠実に手を「離す」ことを重視する「離れ」に対して、何よりも早く手を振りほどくことを重要視するのが「突き」である。「突く」行為のもの競技の興り時点から散見されていたものの、体系化されるまでには長い時間必要であった。

最初期にはっきりとした「突き」の使い手として名が後世まで残っているのが千手観音の桂子と呼ばれる存在である。それまでの「突き」の使い手と彼女の最大の相違点は、「突き」の「離れ」に対する優位であるといち早く看破したことにある。すなわち、「離れ」る前に「突き」押すことで、相手稚児身体押し付けるのである。この発見により、「突き」戦法が大流行し一時は「離れ」が番付から消滅寸前にまでなった。その後、「突き」に対して優位を取ることができる「躱し」が発明され、今に至るまで知られている三すくみ「離れ」・「突き」・「躱し」が完成された。

この篇の最後に「突き」の名人同士の試合を一つ紹介しよう。「突き」手同士の戦いは間に挟んだ稚児を押し合うこととなるため、両側から押された稚児が地に転がることは日常茶飯事で、中には体にかかる力の作用により、大独楽のごとく勢い良く回転する稚児の姿も見られることも珍しことではない。しかし、「突き」の達人同士となれば、人知を越えた奇跡の瞬間が興り得るのであることを示したのが次の試合である

その日の最後の取り組みは、寅と辰という、うら若き双子の「突き」手の試合であった。二人は千手観音の桂子の孫であり、祖母から直々に手ほどきを受けた若き俊英であった。二人が公式の場で手合わせをするのは今日が初めてであり、観衆は期待を胸に見分け難い二人を見守っていた。

裁き手の大岡越前守の声とともに同時に二人の体が動き、稚児を押した反動で揃って稚児から半間(約90センチメートル)ほど離れた位置にゆるりと着地する。はじめに異変に気がついたのは観衆であった。

お裁きを見守っていた観客の間から「ホウ」という感嘆の声が上がった。続いて興奮を隠せない小声が観衆の間から漏れ聞こえ始めた。その段階に至り、判決を下すのに集中していた大岡越前守はようやく気がついた。彼が注視していた稚児が、まるであやかしに持ち上げられるように宙空へ浮かんでいることに。稚児は宙に「丁の字」を描くように腕を開いて静止していたのだ。

双子が全くの同時に両側から稚児を押したことで、稚児に伝わった力が正中線でぶつかり合い、その力が幼き肉体を地から持ち上げたのである。しばらくの間稚児は宙へ浮き続け、やがて萎れるように地上へと降り立った。その間、双子たちは周りの喧騒に顔色を変えることもなく、裁き手の判決をただ待ち続けていたという。記録には、さしもの稀代の裁き手大岡越前守も、この妙技の前には両者引き分けを言い渡すしかなかったと記されている。

2022-12-15

あかね噺」がめちゃくちゃ面白いぞ!!

このマンガがすごい!2023』の4位になったらしい名作なんだ

月曜にジャンプラで電子版が公開されてたので読んでみたが、めちゃくちゃ面白い!!

一気に引き込まれ無料公開分の3巻、25話まですぐに読んだ

そして、続きが読みた過ぎるし、電子版じゃなくて紙の単行本が欲しいわ!ってなったので本屋に行って4巻を買ってしまった

単行本買ったのなんて鬼滅の最終巻以来だよ(ブームの中、最終巻だけ買った)

こんな面白いマンガ、読まずに過ごしていくのは絶対に損だと思うので、プレゼンしていくぞ!

読んだことない人への布教のつもりだから勿論ネタバレには気を付けるけど、面白みの紹介のためには序盤数話分はどうしてもストーリー踏み込む必要があると思う

そこは申し訳ない

少しのネタバレも嫌な人は今すぐジャンプラへGOだ!

無料12月25日までなのでお早めに!

https://shonenjumpplus.com/episode/316190246999430065





…では、いいかい?

タイトルが「あかね噺」なわけだけど、噺とは「はなし」と読む

「話」と意味は変わらないのだけど、「話」よりも「噺」のほうが「語って聞かせる物語」的なニュアンスが強い漢字となる

現代で「噺」の漢字が使われる場面は「噺家(はなしか)」くらいかなと思う

噺家」とは物語を語って聞かせる職業の人で、ほぼ落語家同義

まりおわかりの通り、このマンガ落語を題材としたマンガ

これは主人公少女あかね」の、「あかねに関する物語」という意味と、「あかねの語る落語」という意味ダブルミーニングだと思う

長くなりそうだから章立ててくよ



基本ストーリー

じゃあ序盤のストーリー、少しだけ要約するよ

主人公あかね小学生時代から物語は始まる

あかねの父は落語家、阿良川志ん太

志ん太は落語家階級としては中堅で、最終ランクである真打」への昇進を目指している

中堅どころなので稼ぎはよろしくなく、妻、つまりあかねの母の稼ぎで家計が成り立っている

父はヒモだとクラス男児からかわれてケンカするほど、あかねは活発で気が強く、父を大切に思っている

そしてあかねは家で練習をする父の落語が大好きで、幼いころから父の真似をして、落語に親しんでいた

志ん太は家族のためにも真打へ昇進するための最終試験に挑むことになる

落語家一門の「阿良川一門」の重鎮たちが揃う中、昇進試験落語を行ったが、阿良川トップ、阿良川一生がなんとその日の受験者を全員破門にする

それ以降、志ん太は落語家を続けられなくなり、一般企業就職し、経済的にはむしろ裕福になった

しかし、あかねは父の落語が断たれたことに納得できない

そしてあかね高校生になり、父の落語を認めさせるためにも落語家への道を進んでいく…

というのが第一



ラスボスライバルの描き方がすごい

まず、落語マンガではあるのだけど、バトル物かと思うくらい、ライバルラスボスの描き方がうまい

最後までラスボスヴェールに包まれてわからないようなマンガも多くあると思うけど、このマンガ第一からラスボス良川一生がはっきりと描かれ、そこに向かってあかねが成長していくような熱い展開となっている

ラスボスを隠すパターンは謎解き感が演出されるのに対して、ラスボスがはっきり序盤で出てくるとそこに到達するときの盛り上がりがすごく熱くなる

ワンピースシャンクスとか、鬼滅の鬼舞辻無惨とかね。

あかね噺はそっちのパターン

父はその後もちゃんと生きているはずだが、マンガではその後単身赴任として描かれず、バトルマンガで言えば「父は阿良川一生に殺された」状態

まあ落語家としては殺されたんだけど

ラスボス良川一生と父、またあかねとの因縁がこれ以上なくはっきりしてて、かつ、阿良川一生は落語界最大の重鎮

そこに挑むために成長していくのだから熱くないわけがない

それに加えて、志ん太の元師匠で、今のあかね師匠である良川志ぐまも、何やら阿良川一生と因縁があるようで?ここははっきり描かれていない伏線になってそう


あかね初舞台出会う阿良川魁生もいい

おそらく中ボスという感じで、あかねと年齢は近いけど、天才的な実力で若くして中堅ポジションに昇格したカリスマ落語家で、阿良川一生の弟子

学生大会で戦うライバルたちも熱い

この辺の演出は本当にバトルマン王道物って感じの熱さがあってすごくいい



展開がめちゃくちゃスピーディ

ジャンプと言えば努力友情勝利だけど、あかね噺もそのパターンが組み込まれている

そしてそのサイクルがめちゃくちゃスピーディに展開する!

あかねが壁に当たる→兄弟子のふんわりした助言→あかね解釈努力→成長!

だらだら失敗したり、だらだら修行したりしない

何か掴んだ描写があったら、その後の練習は描かず本番に移るので、ダレるタイミングすらない!

なのに説得力はすげえあって、あかねの成長がすごくよくわかる

こんなにグングン成長していく様子が、読んでて気持ち良くないわけがない!

ここの展開の速さが、このマンガにぐいぐい引き込まれる最大の要因だと思っている




ここまで読むと、王道バトル物をスピーディな展開で飽きさせないだけなのかな、って感じたかもしれない

当然それだけじゃないんだわ

落語マンガならではの強みがある

ちょっと専門的になるけど、ここを書きたかたからこの増田を書いているので頑張ってついてきてね

劇中劇のお手本になるような名作

このマンガの最大の魅力は「劇中劇」がふんだんに盛り込まれながらストーリー展開するところだ

劇中劇」とはなにかというと、「作中作」とか「物語物語」とかいわれるように、お話の中にさらお話入れ子になっている構造を指す

あかね噺」という物語の中で「饅頭怖い」という落語が語られれば、それは物語の中の物語なわけだ

で、その劇中劇がなんだってんだよ、と思うだろうけど、劇中劇で語られる物語が、外枠の物語リンクすることで、物語中で語られない意味合いを伏線として提示することもできたり、外枠の物語登場人物が感じていることを劇中劇人物リンクすることで強調したりすることもできる

まり劇中劇を上手に使えば、本編で深く語らない内容を読者に伝えることができるようになる

あかね噺」はこの劇中劇の使い方がめちゃくちゃうまい

文学理論教科書に載せたいくらいだ



あかね噺」は落語マンガなので当然、物語中に落語を演じる場面が多く出てくる

もちろん知らない人のために、最低限の演目の内容紹介はある

さらっと読むにはそれでじゅうぶん足りているし引っかかりもない

しかし、この劇中劇である落語が分かると、めちゃくちゃマンガ解像度が増すんだ

読者もyoutubeなどで探せばどの落語も全編視聴することができるし、その演目の見せ場や意味も読者はネットで調べて知ることができる

ぜひ、一度マンガを読んだ後、時間がある時に扱われている落語を視聴してもらいたい

そしてもう一度マンガを読んで欲しい

例えば冒頭の場面、あかねの父、志ん太が寄席で演じて、さら帰宅後にも練習する演目は「大工調べ」という落語

これは経済的に貧しくて家賃を滞納した人物が、大家商売道具である大工道具を取り上げられ、大工棟梁と一緒に大家に道具を返してくれるよう交渉するという話だ

これは、落語ほとんど稼げない志ん太そのもの立場と重なっているし、商売道具を取り上げられてしま未来を暗示しているとも読める

(その後最終的には奉行所までいって道具は取り戻すストーリーなので、最終回では大工棟梁あかねが父の落語を取り戻す、つまり父の落語(のもっと上の師匠落語?)を継承するエンドの暗示かもしれない)


父が真打昇進試験でやった演目は「芝浜」で、これはこんな話

日々真面目に働かない亭主がある日、浜で大金を拾ってきて、大酒飲んで寝てしまったので、妻が大金を拾ったのは夢だということにして金を隠し、亭主が真面目に働くように訴える

その日から更生し、財を成したある日、あの時は夢ではなく妻がお金を隠して亭主を騙したこと告白し謝るが、亭主はお前のおかげで身を立て直せたのだと感謝する

そんな人情話だ

これがなかなかすごい

志ん太は芝浜の亭主とは逆で本当にまじめで、家族のために昇進したいと、真面目に芸に取り組んだ試験だったのに、その挑戦は夢と散るという、芝浜のストーリーとは逆の構造を見出せすことができる

しかし、経済的意味では芝浜と同じで、落語なんて食えないことをやってたのが、夢から覚めてサラリーマンになって稼ぎが増えた、とも言える

この場面の志ん太と、芝浜の対比を考えるだけでいくらでも飲めそうな話になっている



あかね初舞台は「まんじゅう怖い」

これはこんな話

みんなが何かしら怖いものがあるだろう、と言いあってた時、何も怖いものなんかないと言い張る男がいたので、さらに追及すると、本当はまんじゅうが怖いと言い出した

そして寝込んでしまったので、もっとからかってやろうとみんなでまんじゅうを買い集めて、男の枕元に並べた

起きた男は、怖いーとおびえるふりをしながら美味しくまんじゅうを食べてしまった

怖い怖いと言ったらみんながまんじゅう持ってくるだろうと思っただけで、本当はまんじゅう大好きだった、という話

まり、怖いものなしの無敵感満載の男が躍動する滑稽話なんだけど、これをあかね初舞台で堂々とやるわけさ

あかねの強さの演出にはこれ以上ないよね、とうならされるわけ

いやもう、これで終わらずずっとこの調子で色んな落語が出てくる

劇中劇考察だけでいくらでも読み直せるよこのマンガ

と思うと、まじで電子書籍で一読するだけじゃダメなんだよね

マンガ読む→落語見る→漫画読み直す→落語見直す→また漫画読み直す、ってサイクルをずっとできる

紙で欲しいね、これは


その他

あとはですね

逆に、落語への理解度も増すよ

三方一両損」って落語があるんだけど、あれ、序盤の掛け合いは面白いんだけど、後半のお奉行様が出てくるところは別に面白くないのよ

それがこのマンガで、真面目過ぎると面白い、みたいに書かれてて、ああ、確かに、そう見ればそうかも、ってなった

おかげでイマイチわかってない落語についてもちょっとわかった気がする

マンガから落語落語からマンガ、どちらも理解度が増すってめっちゃ得だよね


もう少し魅力を語るならば、落語ってひとりの人物複数キャラクターを演じ分ける形態だけど、落語の語りを声色も何もないマンガで見せるわけなので、表情の描き分けなんかも面白い

あかね可愛い

絵の技術、というか、マンガ技術もしっかりある人じゃないと、このマンガ面白く描けなかっただろうなってのはちょっと思います

作画の馬上鷹将先生ありがとうございます

まあそんなわけだ

読んでみて

2022-03-16

anond:20220316115719

幕府メンツを立てて奉行所経由でお手紙出して丁寧に交渉しようとすると砲撃する癖に、黒船砲撃すると急に歓迎ムードになる国

2022-01-28

anond:20220128070716

奉行所経由でお手紙を出して丁寧に外交交渉していても、幕府軍大砲で撃たれるだけだから

日本人は目下とみなした相手意見など鼻で笑う人間国民の全員だから外人日本と会話する前に砲撃したほうがいいと歴史教科書に書いてある

2021-02-13

anond:20210213192433

黒船はいきなりやってきたわけではない

最初はお手紙補給交渉があったけど江戸幕府無視したんだ

二度目に使節団の海軍士官が来たらその人は末端水夫にからかわれてボートからけり落されて笑われた

手紙奉行所ストッ

黒船は三度目

日本は話し合いができない国だから砲弾で脅す作戦に切り替えてそれがうまくいったから以降アメリカ日本にずっとその姿勢

2019-12-14

米一俵が1両って高すぎやろ

しか最近ガンガン改鋳されてるっぽいから公定価格だとマジ粗悪な米しか売ってこねえしあかん

奉行所はもうちょっと真面目に米問屋を取り締まってほしい

2019-11-28

最近年貢に詳しいやつちょっときてくれ

武蔵国北多摩郡の令和元年付年貢っていくら?昨年と同じで四公六民

ちょっと国を離れてて、奉行所に問い合わせの飛脚をだしてたら間に合わなさそうなので増田だれか頼む!

2019-11-12

警察捜査をするだけだし犯罪にあたるかどうかは裁判所で決めるっていう単純な話なのに、なんで逮捕の有無がどうとかいってるのか。

裁判所はお代官様が6とりしきる奉行所じゃないんだぞ?

2017-08-22

https://anond.hatelabo.jp/20170822205005

法律という概念がなかった江戸時代にも奉行所はあって治安を守っていたわけですが。

警察法律上必要から存在しているんじゃなくて、治安必要から存在しているんですよ。

警察国家法治国家の対語として用いられ、内容的に不確定な「警察権(ius politiae)」に基礎をおいた行政執行が、合目的性には従うものの格別法的な形式や法的原則に服していなかったことに特徴がある。国家統治するための高権と人民との間には事実的な権力関係存在し、司法行政名目上の区別にもかかわらず法学上の根拠をもたないため行政法行政法学ではなく、法学上の分野としては成立しえない「警察学」により統治される。19世紀の中葉にはドイツ社会政治理念憲法構造革命により警察行政法に、警察学は行政法学にとって換わられた[2]。警察権の行使については警察公共原則警察責任原則警察比例の原則警察消極の原則の4原則があるとされる[3]。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AD%A6%E5%AF%9F#.E8.AD.A6.E5.AF.9F.E6.A8.A9

https://anond.hatelabo.jp/20170822204331

法律という概念がなかった江戸時代にも奉行所はあって治安を守っていたわけですが。

警察法律上必要から存在しているんじゃなくて、治安必要から存在しているんですよ。

法律上必要があって警察存在しているなら民事担当する警察があっても良さそうだけど、警察基本的刑事しか見ないでしょうが

2017-05-09

時代劇水戸黄門」が健全民主主義を阻害する

日本では時代劇高齢者を中心に人気を博している。

特に、40年以上放映され、今なお毎日再放送されている「水戸黄門」は、その代表である

今回はそのストーリーいかに非民主主義的、非現代であるかを検証する。

水戸黄門主人公である水戸光圀の一行は、「越後ちりめん問屋」と身分詐称諸国を漫遊しているが、その先々では必ず商人の不当な物価の値上げや、代官の課す重税に庶民が苦しめられている。それを聞いた一行が、屋根裏に潜入し、また色気を使って捜査証拠をとる。そうして悪事を暴いた「越後ちりめん問屋」は、悪事を起こした者の怒りを買い、刀を交えることになる。最大の見どころであるチャンバラシーンのあと、権威象徴である「印籠」を見せつけることで、「先の副将軍である自身の正体を明かす。それを見た者はみな平伏し、悪事を働いた者は自分の過失を認め、登場した藩の者がその身柄を拘束する。最後は一件落着と一笑しまた旅を続ける、というのがストーリーの梗概である

この作品には

権力者の悪はさらに上の権力者しか裁けない」

庶民は無力で虐げられる存在である

権力者はどんな手段を用いても許される」

という世界観が透けて見える。これについて持論を述べる。

まず、「権力者の悪は更に上の権力者しか裁けない」という点について述べる。

本作の世界では、いつ来るかわからないような、国家から派遣された、さらに上の権力者しか悪を懲らしめられないことになっている。水戸光圀はその土地の者でなく、また問題解決した後は旅を続けてしまうため、対処療法的な解決しか行えない。地方にも自浄能力がなく、一回水戸光圀問題解決したあと、また同じような悪事不正が起き続ける。地方はそれを解決する術を持たないため、水戸光圀が来るのを待っているだけである住民当事者意識民主主義原理が欠落した「他人任せ」の政治は、今日日本の政治通底するものがある。

また、ある放送では、朝廷中納言悪事を裁いた際、「私は徳川の家来ではないので従わない」と反発したが、更に上の役職である左大臣が登場し裁いたという回もあり、「権力者の悪は更に上の権力者しか裁けない」という世界観をより強固なものにしている。

次に、「庶民は無力で虐げられる存在である」という点について述べる。

水戸光圀が「越後ちりめん問屋」と詐称しているにもかかわらず、庶民からは色々な苦情が持ちかけられる。旅する隠居にまで相談しなければならないほど、それほどまでに事態悪化してしまっていることがわかる。作中ではこのように圧政不正に苦しめられる庶民の姿がよく描写されるが、反対に実力行使に出ようとする庶民水戸光圀が宥める場面は皆無である。先述した住民他人任せの意識がここでも顕在化している。

欧州市民革命においては、圧政に苦しんだ市民の流血によって民主主義が獲得されたが、日本においては明治以降主権者の変更は市民革命ではなく、支配者同士の権力争いの結果に過ぎない。このように市民自らが流血し民主主義を獲得した経験がないことが、権力者任せの日本人気質形成しているのではないか

そして、「権力者はどんな手段を用いても許される」という点について述べる。

苦情を持ち掛けられた水戸光圀の一行は、全員が証拠裏付けのために捜査を行うことになる。しかし、その捜査方法卑劣である。「越後ちりめん問屋」と身分詐称した捜査は、当然警察権を保持する藩の奉行所許可を得ていない。令状なしに現場や物的証拠を取り押さえるという、現在の「法の支配原理からはかけ離れたものであるが、作中では身分詐称私人の警察権行使について議論されることは一切ない。奉行所水戸光圀の一行のおかげで吐かされた自白を聞いた後に、身柄を連行するだけという、警察組織の体をなしていないものであるが、水戸光圀がこれを一喝するシーンもない。

なお、作中で水戸光圀は「先の副将軍」と自称しているが、居候の身であるはずの前任者が悪を裁くことについての是非も議論されていない。これは現在においても、我が国では一線を退いた者が強大な発言力を持ち続ける事例が、政財界ともに存在している。

法の支配原理」「地方自治原理」「民主主義原理」すべてが欠落したこのストーリーを、多くの高齢者再放送毎日視聴し続けている。これでは、日本の政治に対する認識を歪めるものであり、健全民主主義国家としての市民意識が育たないことは当然である

2016-08-22

辻斬に切られて幕府すごいと思ったでござる。

http://anond.hatelabo.jp/20160822143611

先日、回向院のあたりで辻斬に腕を切られたときの話をするでござる。

(※清河八郎殿の事件とは別件です)

まりに突然なことだったのでもちろん驚いたでござるし、

下手人への怒りの感情もあるでござるが、

なによりこの件で一番強く思ったのが、

幕府すごい」

ということで候。

…拙者の語彙力のなさはさておき、

地方ではアンチ幕府的な噂が目立つ中、

幕府は良いところもあるよ、ということをまとめたくてこの武露愚に筆をとった次第。


【その1】捕方すごい

まず事件当日

詳しくは伏せますが、とにかく回向院で知らない人に刀で腕を切られましたでござる。

下手人から逃げつつ、番所へ駆け込み、場所や状況などを説明しつつ…

と、番所へかけこんでから2〜3分経ったところで後方から

鬼平犯科帳でお馴染みのテーマソングが聞こえてきたでござる。

まりの迅速さに、

拙者の事件とは無関係たまたま火附盗賊改方が通りがかっただけかと思ったでござる。

しか長谷川殿はすぐに近くに止まり

別方向から忍者と来た旗本の若殿?と共に犯人を捕まえてくれたでござる。

もしあの時、すぐに来てくれなかったら

第2、第3の被害者が出てもおかしくござらぬ。

また、長谷川殿の後追いでやってきた同心たちも、刃物を持っている下手人に対しても怯むことな

しっかりと取り抑えてくれ候。

町方にはなかなかできないことです。

本当にすごいでござる。


【その2】藩の同輩すごい

下手人が捕まりほっと一安心

間もなく拙者の忠勤する藩から同輩も到着し、

すぐに拙者の腕を何かで包んでくれ候。

その時の拙者は呑気に、

「とりあえずなんか包んでくれたし、医者のところへ行かなくても良いんじゃないかな」

なんて思っていたのでござるが、

周りの人達必死町医者を探してくれているので

余計なことは言わず大人しくしていたでござる。

何件かの医者に断られ、

やっと受け入れてくれる養生所外科先生が不在と由。まあ小石川療養所には本道(内科)の医者しかおらぬとは聞いた話ではござる。

とりあえず診てもらえるだけありがたいので、そこにお願いすることにしたでござる。

後になって分かることでござるが、拙者の傷はそれなりの深さがあったため

縫わないと血が止まらないような状況だったそうでござる。

藩の方がそこまで分かってくれていたかどうかは分かり申さぬが、

拙者はただぼーっとしていただけで、

色んなところへ早馬を飛ばし必死に受け入れ先を探してくださったり、

本当にすごいと思ったでござる。

また、養生所へ向かう最中に、同乗した鬼の平蔵がわたしの気を紛らわせようと

色々と話しかけてくださり、それもとてもありがたかったでござる。


【その3】小石川養生所すごい

養生所へ到着すると、本道の先生

自分は専門ではないので、明日また専門の先生に診てもらってください」

と前置きした上で、診てくれたでござる。

とりあえず血止めしようとしたようでござる、

血が止まらないので縫うことになったでござる。

今まで体を縫ったことがない拙者は驚き申したが、

なにより先生自身が、覚悟を決めたような神妙な雰囲気を出していたので

拙者は「先生がんばれ」とだけ思ってかしこまってござる。

先生は、慣れていないのが拙者でも分かるぐらい

一生懸命に、丁寧に、一針一針確認しながら縫ってくれたでござる。

時間ほど経ち、なんとか縫い終わって

誰よりも安心しているのは先生のように見えたでござる。

慣れないながらもしっかり対処してくれた先生すごい。

そして、終始汗だくで目が泳いでいた拙者に、優しく話しかけてくれた蘭方医さんすごい。


【その4】再び捕方すごい

治療が終わり、今度は奉行所へ移動し事情聴取でござる。

みんなが想像するあの御白州

子どもの腕を引っ張るところでござる(違います)。

担当のお奉行が、事件の様子を細かく文章でまとめてくれるでござる。

時々質問されるので、できるだけ的確に答るでござるが

(こんなことを申すのも何でござるが)

基本的被害者は暇でござる。

でももしお奉行がいなかったら?

自分自分の状況を、矛盾がないようにまとめるのはとても難しいでござる。

およそ二刻ほどかかり、まとめられた文書(もんじょ)と証拠物件

事件概要が的確に抑えてあり、

第三者が見ても状況がわかるものとなったでござる。

詳しくはよく分からぬでござるが、この証拠たちをもとに

今後、下手人の罪を裁いていくことになるようです。

下手人を捕まえ、事実関係を明らかにし、もろ肌を脱いで桜吹雪を見せることまでやってくれる

奉行すごい。本当にすごい。


【その5】三味線屋すごい

翌日、外科先生の代わりということで紹介された三味線屋へ行ったでござる。

三味線屋は傷口を見てすぐ、

「縫い直しだね」とおっしゃっていて

せっかく前日に一針一針一生懸命縫ってくれた糸を切るのは小川先生申し訳が立たない気持ちになったでござるが

糸の専門家が言うことなので素直に従って候。

そして三味線屋は、さすが専門なだけあって

こちらが心配する暇もなく、手際よく糸を張っていくでござる。

結果的に、三味線屋曰く「数えきれないぐらい」縫ってくれたでござる。

首も吊った(テレビ用の糸なので来週には消えているらしい)

ので、傷口はおそらくほぼ残らないだろうとのことでござった。

前日の本道の先生には充分感謝しつつも、

やっぱり仕事人はすごい。


【その6】江戸すごい

以上のように、たくさんの方々、たくさんの江戸の仕組みによって

拙者は事件以外の不満を感じずに、傷を塞ぐことができたでござるが、

1つ気がかりなのが、治療の費えについてでござる。

下手人へは怒りもあるでござるが、

拙者は死んだり不便が残ったりした訳でもないので

そこまでの恨みはないでござる。

ただ、もう、本当に大した額ではないのでござるが

治療金子ぐらいは払って欲しい…と思っていたでござる。

すると、そのことを話した訳ではないのに、、

お上の方から

拙者の治療費を上様が払ってくれるという話を聞いたでござる。

どういう流れでそうなるのかは不明でござるが、

徳田新之助なる旗本の正体を口外しないとかの条件があるらしいでござるが)

こちらはまったく刀を抜かないのに一方的にケガをさせられて

治療費まで被害者が払うのはおかしい、ということで払ってくれるそうでござる。

吉良殿をよってたかって惨殺した赤穂のテロリストどもに聞かせてやりたいでござる

そのような仕組みがあることは全く不案内でござったし、

そのような仕組みがなければ本当に被害者は損ばかりでござる。

僅かな金子でござる、そのおかげで拙者の心は大分軽くなり申した。

江戸すごい。

そしてそんなお金があるのはもちろん、

普段からお国のために尽くしてくれる幕府の皆様のおかげです。

本当にありがとうございまですでござる。

普段奉公していると気付かないことばかりでござるが、

江戸にはこんなにたくさんの仕組みがあり、うまく機能しているでござる。

中には問題があることもあるかもしれない、それでもなんとかうまくいくように

今日自分の知らないところで誰かが尽力してくれている。

そう思うと、幕府ってすごいでござる。

2015-07-04

http://anond.hatelabo.jp/20150704073058

後日、奉行所に出向き与力に事の次第を伝えるとその日の捕り物は無きと。

当方も混乱し沙汰は無いのかと訊ねると帳簿にも記載してない忙しいので

町人が侍を煩わせるなとけんもほろろに追い出そうになる。

確かにと昨日の同心の特徴を語ると

次第に与力も青ざめて曰く、御真理さんという怪異ににて候

2011-07-16

http://anond.hatelabo.jp/20110716173919

五条大橋身投げが頻発しているので何とかしろと奉行所から命を受けた役人は、夜を徹して橋を見張ることにした。

夜もとっぷり暮れた頃、人気のないはずの橋に怪しい人影が現れた。人影は橋を通り過ぎることなく、橋の真ん中を迷うように行ったり来たりしている。

しばらく後、人影は意を決したように橋の欄干から身を乗り出そうとした瞬間、物陰からそれを見ていた役人は飛び出して叫んだ。

「とうとう見つけたぞ!お前だな、毎晩のように身投げする不届き者は!」

2007-11-24

http://anond.hatelabo.jp/20071124182824

そうやって高みの見物から奉行所気取りの一言居士

あんたが一番下劣だって話だよ。てやんでぇ。

 
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