はてなキーワード: レジとは
■息子と、飲む。
いつかプリキュアのキュアレモネードが変身した日にパニエを履いていた話を思い出す。
栄町のコンビニは華やかはあれど、明治の香りが煙たく漂う古臭い場所だった。
まるで、よっちゃんいかのような。甘酢の強さが強調された力強い雰囲気がある。私が過ごした40年前と大して変わらない空気。
するめいかが持つ甘さは、そこに一切存在しない。うまい棒コンポタの煙たい臭い。それが好きな人間しか受け入れられない古臭い匂い。お菓子売り場に連れられた私はそんな妄言を考えていた。
カップ麺売り場の棚が、かつて持っていた世界初の乾麺の威厳が薄れゆく中で、往時の輝きをあいも変わらず放つのは袋麺なのだろうか。
私と息子は行きつけの総菜コーナーに向かう最中に味は変わらないとの言葉を仕切りに話していた。
どの味も変わらないと。
目印的存在であった切り身魚の真空パックが売り切れてしまっても、私らは何喰っても変わらないと口にする。
おにぎりコーナーを抜けて、すぐの総菜パンとデザートの棚は永遠と広がる夢のファンタジーである。
今では5段重ねの立派なミルフィーユに生まれ変わっていたチーズケーキ。されど、心の中は小学校当時のままだという。
あぁ、中学一年生の頃に、ここの小学校のプールによく入っていたなぁ。そう話す私は立派な犯罪者だった。
それでも紅潮する息子の顔はとても粋だ。私は新装の日にホットスナックを頼んで、仲良くなった店員が今日一緒に飲む友人なんだ。
キザすぎるセリフを真実として話す私は最高にかっこつけで、かっこよく見える。
腹が出ていて、癇癪持ちに見えて、陰謀論者の私も、今日ばかりはトップガン・マーヴェリックのトム・クルーズよりもはるかにカッコよく見えることだろう。
普段は、近くにいたくもないと思える私も、なんだかきっと息子の憧れだろう。
息子が私に連れられたレジは、ホットスナックの棚に何が残っているのかもよくわからない場所だった。
入店から歩いて8分程度。大型冷凍庫の横にある、普通なら人が寄りつかないような小さなところ。
私と友人はここに100回以上来ているんだ。詭弁に思えるセリフも、今日は不思議な説得力を持って聞こえた。
どうしても話したかった話があるという。
息子が中学進学してようやく話す時がやってきた。
それは隣にいる友人の父親の話で10年以上温めておいた逸話なんだ。
自信を身に宿して、私は満を持すを体現するように話を切り出した。
その話は友人の結婚式でも話して、今日お前に話すために温めておいたと言っても過言ではない。
じゃあ今から話すぞ。友人の父親は有名な証券会社の役員だったんだ。ちょうどバブル期の頃、ボーナスが数百万円って世界で随分金回りが良かった。
だから友人は成人した時に、父親に銀座のキャバクラに連れられてったらしい。
酔っ払った父親に友人は何を言われたと思う?
その時に俺は、コイツはなんで人生の成功者なんだって思ったんだ。友人の父親がだよ。
友人は自分の父親に自分がマザコンであることを突き付けられたと感じたらしいんだが、俺はとにかく感銘を受けた。
これが人生の成功者なんだって。以来、私は母さんを俺の中の一部だと尊敬している。だからこそ決して母さんの悪口を私は一切言ったことがない」
その言葉を受け止める息子の瞳は、普段とは違った熱がこもっていて、80年間生きてきた中で、私が一度も見たことがない息子の姿。
振り返れば、完全に惚気にしか聞こえないよね。カッコつけられて、かっこいいと思わされちゃったかな。
そんな私が、私はなぜだか愛おしかった。
出勤するやいなや、シフトリーダーが事務所にとんで来て言った。
「今日の派遣の人は物凄く仕事が出来ないから、オーナーが出勤するまで増田さんは完全に派遣さんのサポートに回る感じで、フライヤーとかカフェマシンとかの掃除はする暇がないと思います。オーナーも『レジ以外何もしなくていいよー』って言ってました」
コンビニ専門派遣バイトの人がコンビニの仕事を何も出来ないって何事?
シフトリーダーはその無能過ぎる派遣の人と数時間組まされてかなり大変な目にあったらしい。シフトリーダーはせめて私を助けようと思って「食洗機のスイッチを入れ」ておいてくれた。あ、ありがとう……それ、地味に助かるやつだわ……。
無能過ぎる派遣の人がどれだけ何も出来ないのかというと、お弁当をレンジで温めることすら出来ない、というレベルだった。なんでもコンビニバイト自体、初めてやったのが前々日だとか。しかも他系列の店で。
19時に出勤してきたオーナーはかなりイライラしていて、無能過ぎる派遣の人に対して気の毒になるほどつらく当たっていたのだが、ガチで何も出来ないのに当店の募集にエントリーしてきたは本人なので、なんとも言えないし、フォローする気力もわかない。
が、仕事の質問をされると無下に出来ない性分なので、メルカリ便の受付の仕方を聞かれたら(無能過ぎる派遣の人はそれを「郵便の受付の仕方がわからないです」と言ったので、あやうく私は「郵便は当店では受付してないです」と答えそうになってしまったのだが。)ただの新人バイトに教えるように懇切丁寧に教えるところだった。だがそこへオーナーが事務所から弾丸のように飛び出して来て、
「教えなくていいです! 増田さんが代わりに受けてください。ほらそこの君はこっちのレジやる!!」
と言った。ああ、まぁ……あれか。そういう教育は強いて言うなら派遣元の仕事か、あるいは無能過ぎる派遣の人本人が正式にどこかの店舗に雇われて教わるべきことだったよね、うん。
無能過ぎる派遣の人が上がった後、オーナーから聞いたのだが、無能過ぎる派遣の人は隣県の、道が全く混んでいなくても最低40分くらいはかかる地域(都会なのでコンビニなんかいくらでもある)に住んでいるらしい。
「そう本人から聞いた時点でなんか怪しいなと思ったんだけど、まさかここまで何も出来ない人が来るとは思わなかった」
とオーナーは言った。ていうか、オーナーも「やたら遠方から通って来るパート・バイトにろくな奴いない説」を信じてるんだなあ。私もだけど。かかる時間やガソリン代の事を考えたら全然得ではないという簡単な想像も出来ない人の頭は、どうしようもなく弱い。必要なのは働き口というよりも福祉である。
オーナーは、全然仕事が出来ない人が来てしまったのは、派遣バイトの募集要項の「○○でバイト経験のある方」という限定条件にチェックを入れるのを忘れてたからだと言う。確かに、当店と同系列の他店で働いた事は一度もないが他系列ではあるという人は実際何人か来たことがあるけど、そういう人達はレジの使い方さえ覚えれば即戦力になる。だが、無能過ぎる派遣の人みたいに経験者だと嘘をついてエントリーしてくる人はそれじゃ弾けないと思う……。
先々週くらいからコロナにかかって休みの高校生新人バイト君に続いて、高専5年生まで熱を出して休み。高専5年生はコロナの検査を受けて来たが陰性だったという。けど、彼は何かあるとやたら言い訳をする癖があるので、本当の事を言ってる? とちょっと疑いを持ってしまう。オーナーは高専5年生の事をかなり気に入っているので、信じきっているようだが。
高専5年生休みのためオーナーとのシフトだったから、残業はしないで済んだ。帰り際、オーナーから無能過ぎる派遣の人のことで「かえって迷惑をかけてごめん!」とめちゃめちゃ平謝りをされたが、私は一回流れ弾的な八つ当たりをオーナーからされただけで特に被害は受けてないので、そんなに頭を下げられても。その件ではオーナーこそ被害者だと思うし。
今から25年前の1997年ののこと。当時小学生だった自分の1歳年上の従兄が、夏休みにお婆ちゃんの家にこのゲームを持ってきていたのが全ての始まりだった。
「タクティクスオウガっていうゲームがあるんだ。すげーから一緒にやろうぜ。」
従兄に勧められるままゲームを始めたのだが、タクティクスオウガが『すげー』ことはすぐに分かった。
中世ヨーロッパ風の権謀術数渦巻く世界観。重厚なBGMの中で敵味方がターン関係なく立体的なマップで繰り広げるリアルな戦闘。
背中に翼の生えたキャラクターが民家の屋根の上に移動して弓を射ると放物線上に矢が飛んでいくわ、ふわふわと宙に浮かぶ幽霊が魔法を唱え敵が炎に包まれると足元の草が焼けるわと細部までこだわったビジュアル。
とにかく衝撃的なゲームだった。いてもたってもいられなくなり、従兄がお婆ちゃんの家から帰った直後にお小遣いを握りしめて町のゲーム屋さんに走った。
お店のレジで商品を買うときにすごくドキドキしたのを今でも覚えている。スーパーファミコン版のタクティクスオウガの商品パッケージは英語でタイトルが書かれており、フォントが英語の旧字体みたいな形だったので、読み方があっているかな、間違って別のソフト買っちゃうんじゃないかなとすごく緊張したのだ。ぜんぜん自信が無かったが、店員さんにタイトル合ってるか確認して無事に買うことができた。
ワクワクしながら商品を持ち帰り、ゲームを始めたが小学生にとっては、難易度が高く難しいゲームだった。初回プレイ時にはキャラクターの強さを表すパラメータが多すぎてさっぱり分からなかった。
だけど作りこまれたチュートリアルとオンラインヘルプ等の親切な機能がたくさんついていたおかげで何とかゲームを進めることができた。一番助かったのは戦闘中の中断セーブ機能だ。小学生の時には、1日ゲームは30分までというルールがあったので非常に助かった。
さて、ゲームを買ってから2週間くらいの時のこと。難しいながらも俺はどうにかChapter1の終わりまでシナリオを進めていた。このゲームはプレーヤーが会話中の選択肢を選ぶことでシナリオが分岐するんだけど、途中で出てきた選択肢が衝撃的だったのは今でも忘れられない。ネタバレになるので詳細は伏せるが小学生には重たすぎる内容だった。無茶苦茶悩ましい選択だったが、片方を選んでゲームを先に進めてみた。だが、すぐにゲームに行き詰った。キャラクター育成をよくわからずに進めていたので自軍のユニットが弱く戦闘で勝てなくなったのだ。このまま先に進めないのも悔しかったので攻略本を買うことにした。
ここで話は少々脱線するのだが、俺の生まれ育ったのは日本海側の田舎町だ。町の本屋さんはあまり大きくない。なので、地元の本屋さんの攻略本コーナーにはメジャーな作品のものしか置いてないわけだ。ゼルダの伝説とか、ドラクエとかFFとかまあそれくらい。それらに比べるとタクティクスオウガはマイナーだった。苦労を重ねて隣町の古本屋さんで偶然攻略本を見つけて手に入れるまで1か月かかった。その後は攻略本を熟読してゲームシステムの理解を深めて1から再挑戦したのだが、家の方針で1日のゲーム時間が30分に制限されていたので、クリアするまでにはさらに2ヶ月ほどの時間を要した。だけどその分クリアしたときの達成感は大きかった。興奮冷めやらぬ俺は、小学校の同級生たちにタクティクスオウガのすごさを布教したが上手くいかなかった。俺がタクティクスオウガに出会った1997年当時、家庭用ゲーム機の主役はスーパーファミコンからプレイステーションに移行しつつあり、同級生たちはファイナルファンタジー7やファイナルファンタジータクティクスといったスクウェアの大作ゲームに夢中になっていたのだ。
同級生のN君に、「タクティクスオウガってファイナルファンタジータクティクスのパクリでしょ?」と言われたのは傷ついたなあ。なんていうか、自分がイケてると思ったゲームをディスられるという経験がなかったので。残念ながら、うちの地元では最初にタクティクスオウガを紹介してくれた従兄以外に周りでタクティクスオウガファンを見つけることができなかった。
それから2年後の1999年。俺は中学生になり、田舎町の我が家でもインターネットが使えるようになった。ネットが使えるようになってすぐに、以前はまっていたゲームのタクティクスオウガの攻略情報を調べてみた。地元の田舎町にはいなかったタクティクスオウガファンは、ネットの向こうにはたくさんいるようだった。ファンの集めた情報は膨大で、攻略情報にとどまらずゲームの舞台背景の考察やクリエイターの音楽の趣味までカバーしていて、中学生の俺の知的好奇心はガンガン刺激された。ディレクターの松野氏の名前もこの時に知った。余談だが、「タクティクスオウガとファイナルファンタジータクティクスは主要な開発スタッフが同じ」というのも同時期に知ったので、小学生の時にパクリ呼ばわりしてきたN君に対して「両方同じ人が作ってんだよ、適当言うなざまあ」という気持ちが芽生えたのはここだけの話である。
ネットの情報から刺激を受けた俺はゲームの世界観をもっと味わいたくなって、前作の「伝説のオウガバトル」もプレイしてみた。ディレクターの松野氏が好んでいたらしいQueenの楽曲を聞いてみたくなり、生まれてはじめて洋楽のCDを買いにも行った。コーヒーを飲めるようになった時のように、背伸びして少し大人になった気分がした。
そのうち自分でも似たゲームを作りたくなって、おこづかいでVisual Basicを購入したりもした。プログラミングの入門書片手にそれらしい画面までは作ったが、しょせんは中学生。体系だったプログラミング言語の知識がないためサンプルコードのコピペに終始し、1年くらいかかって紙芝居のようなものが出来て終わった。その後は、高校入試・大学入試で忙しくなったのでしばらくゲームから遠ざかっていた。
そこからさらに時が流れて俺は社会人になった。中学生の時のゲーム作りの経験から、ソフトウェアエンジニアの適性は無いなと思ったのでハード系のエンジニアとして就職した。タクティクスオウガから受けた影響は俺の人生を変えたのである。ゲームから遠ざかっていた俺だが、2010年にタクティクスオウガの1度目のリメイクのニュースを聞いて再び情報を集めだした。そこでたまたま開発者の松野氏のプロフィールを見つけたのだが、なかなかの衝撃だった。
まずはスーパーファミコン版のタクティクスオウガ開発時の年齢。発売日の時点で29歳なのである。ゲームの開発期間が2年くらいだとすると、開発開始時は27歳くらいだろうか。その若さであの革新的なゲームの開発指揮を執ってたのかよ!松野氏と面識のあるゲームクリエイターがインタビュー記事で天才という理由が分かった気がする。次に出身地。新潟県の妙高市となっている。地方出身であのゲームの重厚なシナリオを描くだけの知識を身に着けたのか!というのがもう一つの驚きだ。
先に俺の出身地が日本海側の田舎町だと書いた。地方で育ったからわかるのだが、地方はゲームの攻略本に限らずあらゆる情報が都会に比べて乏しい世界だ。タクティクスオウガの世界観を形成している中世ヨーロッパの歴史や文学の知識を松野氏はどこで得たのだろう?世代的にインターネットが無い時代なので、俺が田舎で育った時よりもさらに情報は手に入れにくいはずである。これは今でも気になっているので、今度出る予定のリメイク版の開発者インタビューでだれか聞いてみてほしいところである。
最後になったが、今回出る2回目のリメイク版もすごく楽しみにしている。なんていうか2回もリメイクが出るだけでもすごいのに、2回ともオリジナルの開発メンバーがかかわっているのがまた驚きなのだ。
発売元のスクウェア・エニックスはFF・ドラクエ等の過去の作品をよくリメイクしているけど、オリジナルのスタッフが何度もかかわるケースは珍しくないだろうか?しかも開発者の松野氏はリメイク前にスクウェアを退社しているのだ。それでも声がかかるのだから、本人のカリスマ性がメチャクチャ高いのだろう。過去に会社を辞めた人が2回も開発現場に呼ばれるって相当なことだと思うんよね。
レジが混んでくると店内放送が流れて品出しとか別の作業してる店員がやってきて客が捌けたらまた元の場所に行くだろ
レジ作業が長引いたら元々やってた作業が終わるのも遅れて残業対応になったりするんじゃない。販売員したことないから想像で書いたけど
となるんだよね。
素晴らしい!ありがとう。
確かに店員にとってレジは本当に流れ作業だから、これを全部やってくれてるとしてもプラスではなく0なんだよね。マイナスではない、みたいな。
・並んでいる間に財布出せ
・ポイントカードを出し忘れたお前が悪い、後付けさせるな
・会計終わってから、あ、クーポンあったわ、というカス客。諦めるか別のもの買え
・たくさん買ってくれてありがとう。こちらがピッピしてる間に己で袋詰めしてくれ。夫婦で来てたら1人は手が空いているだろ、ぼーっとするな
・お札やら小銭やらレシートやらさっさと財布にしまえ、もしくはレジから離れてからやってくれ
・財布のチャック閉めたり鞄にしまうのもレジから離れてからやってくれ
・コード決済使ってくれてありがとう。でも並んでいる間にアプリを立ち上げててくれ
・全員コード決済か電子マネーにしてくれ、クレジットカードは時間がかかる、現金は論外
・手書きの領収書書かすな、自動で出てくる奴はあかんのか、せこいことするな
・老人たちよ、耳が遠くて金額聞こえなかったら自分でモニターを見てくれ
・レジ並んでる横から○○どこ?とか聞くな、なぜレジより自分が優先されると思う、ほかの店員探せ
・会計中に○○買うの忘れたと言って取りに向かうな、おまえが帰ってくるまで何も出来ん、後ろのみんなお前待っとる
・終始むすっとしてるやつは悪印象、最後にありがとうって言ってくれる客好き
あと呂布カルマのCMのせいで、このような意見を持つこと自体が悪みたいな風潮になってる。レジに来る前に準備をする努力を少しはしてくれ
増田で挙げられたものについて、我が町(某県県庁所在地)はどんな感じか振り返ってみる
模型店の一角にそういう箇所があったような。今は新古書店(要はブックオフ)とかにある
PCショップは10年くらい前にあらかた潰れて、今はPCデポと家電量販店しか無いな。企業向けのシステム屋に業態変更したのは増田と同様
ゲームショップも10年ほど前に全滅した記憶。ブックオフ・ゲオ以外の独立系の新古書店・中古CD店・レンタル店の退潮と同時期だったような
駅前にある。できたのは15年くらい前だっただろうか
関東に出る前、地元だった地方工業都市の旧来オタク系コミュニティはズタズタだった。
狭くて薄暗いラジコン屋。店内で話すだけに睨んでくるエアガン屋。電気がいつも半分しか点いていないTRPGコーナー(文具屋のプラモコーナーのさらに奥)。PC屋の隅っこの暖簾の奥のエロゲコーナー。レジのねーちゃんが初恋だった個人
経営のゲーム屋。地元のオタク臭のする場所のどれもこれもが、なんだか近寄りがたく、なにか卓越した技能を持つか、誰かの紹介無しには入り難い。そんな場所ばかりだった。
例外はアニメイトくらいか。あの誰でもウェルカムな明るさはいろんな意味で眩かった。
そしてアニメイトに一歩遅れてやってきたインターネット普及。当時は衛星放送が無ければレンタルが来るまで見れなかったアニメもP2Pという今思えばろくでもないアレのおかげでリアルタイム気味に楽しめるようになったし(後のネット配
信はまさに福音であった)、定価販売ではないエアガンの存在はすごい衝撃だった。
あと同人誌!存在はエロゲ雑誌なんかで知ってはいたが、実際に手に取れるようになったあの感動!通販だとメロンブックスの無地の箱はうれしい!
入手した同人誌からはるか遠き聖地、コミケへの憧憬を募らせた。何が欲しいという訳では無かったけれど。
こういった物質的情報的なアクセスの活性化は俺のような消費するだけのオタクには福音であったが、同時に旧来のコミュニティはそれらに追いやられる、あるいは経営悪化によって存在感を失っていた。
それから結構な歳月が経ち、俺は色々あって地元に戻った。長男だし。
改めて見てみると、そこには新たなコミュニティが芽生えていた。インターネットの強力な直射光に焙られて存在感を失ったように見えたコミュニティは、その環境変化に適応し新たな形を築いたり、新たな芽生えが発生していた。
これは盆正月の里帰りにも感じていたが、ネット配信の普及はライトなP2P層をほぼ駆逐した。面倒な時間もかけず、ちょっとした月額でどうにかなるなら多くは月額を選んだ。アニメ以外も視聴できるので家族からお金も出やすい。
映画館が減り、レンタルビデオも消えつつある現在、地元でもお手軽に映画を見ることができる手段でもある。
アニメイトは移転こそしたが元気だ。店舗面積こそ減ったが女性向け同人で賑わっていた。
ラジコン屋はインターネット通販によって焦土と化したように思われたが、生き残った店舗が郊外へ小さいながらレース場付きの新店舗を作り、大きく明るくなった店舗は周辺地域の需要を総取りしている。残存者利益という感じ。
ちゃんと運営のいるサバイバルゲームフィールドも出来ていた。昔はグループが地主と交渉して管理していたなぁ。
土建屋の中の行動力ある趣味人が余った土地(元農地や資材置き場)を転用して開いている感じ。関東のフィールドを参考にして整備した、見劣りしないと豪語するだけのことはある出来だ。
フィールドにありがちな常連問題はありそうだが、まあ関東でもそれは一緒だしそういうものである。
個人ゲーム店はほとんどが消え去ったが、行きつけだった店はカードゲームやTRPGのプレイスペースを売りにあれこれイベントを開き、地域のイベント中心の一つとなった。初恋だったレジのねーちゃんまだレジのねーちゃん、いや、もう奥さんだった。左手の薬指の指輪がまぶしい。ゲオごときには潰されませんよ、と語る逞しさは歳月を経た今でも魅了を失っていない。幸せであってほしい。
その他、俺にはよくわからないがボードゲーム店なんてものもできていた。コロナも耐え抜きしっかりと地域に根を張っているようだ。
他方、PC屋は周辺企業のサポート業務がメインとなってしまい、店としての機能はほとんど失われてしまった。マウスみたいなちょっとした周辺機器くらいは今でも細々と売っているが。
TVゲーム系コミュニティもネット対戦の普及で細切れと化した。ゲーセンはかなり最近まで粘っていたがコロナでついに倒れた。今はファミレスなんかで集まってゲーム、はあっても専門の場所みたいなものはもう見当たらない。これも時代か。
ある程度の濃淡は有れど、地方都市にもオタク的な趣味は根付き、生きている。自分が中学生くらいだったころを思い出すと隔世の思い。
東京の人間から見れば稚拙な都市部の模倣であろうが、それでも有るのだ。我が故郷にはなんでもある(何にもない)。東京には何もない(なんでもある)。
自転車で狭い道ですれ違ったら降りてすれ違うとか、
車で歩行者や他の車に道を譲るとか、
レジの人にお礼を言うとか、
それで何か報われた事が無い
そんな見返りを期待してる事自体間違いって分かってるけど
世の中他人に酷くしても仲間内では優しくて好かれてる人っているんだよなあ
俺周りに誰もいない
これって本当にそうだと思うし
コンビニの店員に連絡先を渡したり個人的に親しくなるとして話しかけたりしたりしようものならまず間違いなく犯罪者扱いされてネットで拡散されるものなあ…
昔だったら個人商店の看板娘or息子と常連客との恋愛だって有り得ただろうに
今の社会においては売買では売買以外の目的が許されていないものね
https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20190624/1561360692
「もちろん。街で未婚の異性といくらすれ違っても「出会い」にはならないし、レジで未婚の異性といくら会話しても「出会い」にはならない。
職場に「出会い」を求めることも容易ではない。うかつなことをすれば、セクハラとみなされるだろう。」
「現代社会のコミュニケーション、特に大人同士のコミュニケーションは、契約社会のロジックに従っていて、そこからはみ出すことはほとんど無い。
コンビニでのやりとりは売買に最適化しているし、職場では仕事についてやりとりするべきなのであって、私生活に立ち入るようなやりとりは避けられる。
「出会い」という名のノイズは、売買に最適化されたやりとり、仕事に最適化されたやりとりが当たり前になっている社会では発生しなくなる。
いや、発生しなくなるというと言い過ぎかもしれないが、発生しにくくなる。」