はてなキーワード: ゾーニングとは
むしろ男女は分ける。ゾーニングの方が幸せになれるんではないかな。
まなざし村の一には村つくってほしいし、彼女観点でもコンビニにはエロ本は無い方が良いでしょう。
法的根拠がなかろうが会社が「このように使用して下さい」とお願いしたことを「法的根拠がないから」と言って従わないのは営業妨害になりかねない。
例えば入口の前に座ってたむろすること自体に違法性はないが「どいて下さい」と言ってもどかないで通行の邪魔をするのは円滑な営業を妨害している。
また、「男性がいると怖いので電車に乗れません」という痴漢被害者に対しても「円滑に利用」できるようにするには車両で分けてゾーニングするのが最も簡便である。
女性専用車両が「誰でも円滑に利用」できることに背いているのならば、この痴漢被害者も円滑に利用できる方法を示していただきたい
女子トイレと多目的トイレしかない(男子専用トイレがない)建物もあるが、女子トイレがあるから男性が多目的トイレを使用できないわけではない。
同様に女性専用車両があるからすぐ隣の乗車の制限のない車両を男性が使用できないというものではないのだから男性排除にはあたらない。
産経新聞の報道が詳しいけれども、表向きの理由は、政権批判に結びつくからではない。
例えば薬物使用を美化していたり、女性蔑視するような表現が問題になった。
ついでに言っておくと、テレビ放送と一部のネット配信が禁止されただけなので、ヒップホップが全面禁止されたというわけではない。
時と場所と内容をわきまえれば、ヒップホップをやる自由はある。
あー。これはポリコレと同じだよね。
「ゾーニングは表現規制ではない」と言っている奴のアホらしさがよく分かる。
リベラルは否認するだろうけど、お前らは中国共産党とそっくりだ。
中国では昨年末ごろから、人気ラップ歌手の男性の曲に「白い粉末を並べておく」「恥知らずのくそ女」など薬物使用や女性蔑視の表現があるとしてネット上で攻撃対象となった。
今年に入り、共産党機関紙、人民日報や国営メディアも「青少年に悪影響を与えている」と批判。
http://www.sankei.com/world/news/180123/wor1801230030-n1.html
よく「セクサロイドが実現したら女性は性的役割から解放されるのにフェミニストはなんで反対してるの」みたいなこと言う人がいますが、「産業機械の誕生によって労働者に何が起こったか」と「性サービスやポルノグラフィは女性を性的抑圧から解放したか」の2つを考えれば簡単にわかる話です。
結論から述べると、私はinumashさんの意見に賛成できない。仮にセクサロイドの普及と、女性の人権状況の悪化のあいだに因果関係があるとしても、それの何が問題なのだろうか?
inumashさんの意見が誤りであることは、次のような事例を考えれば明白だ。
このように、リスクがあることや損害があることをあげつらって、人の自由を奪うことを正当化するというのは、典型的な詭弁である。
リスクや損害が相当に具体的なもので、かつ直接的なものでなければ、人の自由を奪っていい理由にはならない。
例えば現代では、女性たちの社会進出が進むにつれて、弱者男性(いわゆるキモくて金のないおっさん)が増加した。 しかし、だからといって過去の時代に戻ることはできないし、女性の社会進出を止めるわけにはいかない。弱者男性には福祉政策の充実で対応するべきだ。
セクサロイドの場合も同様である。もしそのせいで女性の人権状況が悪化するとしても、セクサロイド利用者の自由を奪っていいことにはならない。たとえ両者のあいだに因果関係が認められるにせよ、それは別個の問題として対策すればすむ。
憎むべき悪があるとすれば、それはセクサロイドという機械ではない。女性の人権を守ろうとしない政府である。つまり、もし女性の人権状況に懸念が生じるならば、我々は政府に性暴力の取り締まりと、被害者へのケア体制の充実を求めればよい。これは至極単純な話である。
ところが反対に、セクサロイド利用者の自由を抑圧することで問題に対処するとしたら、どうなるであろうか? 仮にそのような抑圧が正当性を持つならば、女性の雇用機会を抑制することで、仕事にあぶれた弱者男性を助けるという政策にも正当性が生じてしまうだろう。
また、「セクサロイドを欲しがる人たちが知恵をしぼって解決策を出すべきだ」という意見もあるが、そのような課題の丸投げをして、無責任な態度を取ることはよくない。自由のツケは、社会全体で支払うべきものだからである。
現在は女性の社会進出に伴って、弱者男性が増えただけではなく、少子化にも歯止めがかからなくなっている。女性が自由を享受したかわりに、日本は危機的状況に陥ってしまったのだ。しかし、この事実をもってして「女たちが責任を取れ」とは言えない。まして「解決策を出さなければ自由を剥奪する」と脅すのは論外だ。
inumashさんは、女性の人権が傷つく可能性があるという根拠で、セクサロイドの規制を求めている。
それならば、恋愛・結婚は、現実の女性を相手にしている分だけ危険が大きいのだから、そちらの方を厳しく規制しなければならない。
すでに現在、男たちが恋愛・結婚をやっているため、カップル間ではDVや性暴力が多数発生している。すべての男に童貞を強制し、恋愛・結婚の自由を規制したならば、たちまちこの問題を解決することができるだろう。
これはもちろん、突拍子もない話ではある。しかし、「俺たちの自由はきれいな自由、お前の自由は汚い自由」という不公平の一例だ。
冷静になって考えれば、人権侵害が起こりやすくて危険な恋愛・結婚がほぼ全面的に許容されている状態で、弱者男性が自宅にひきこもってセクサロイドを使ってオナニーすることを禁止するというのは、さすがにちょっと意味が分からない。
もっとも、「恋愛・結婚はすばらしいものだ」という価値観の方が一般的だと思う。それに、恋愛・結婚を禁止していたら社会は立ち行かなくなるという現実もある。だが、なぜそのことがセクサロイドの規制を肯定するのか?
はてなブックマークに、いかにもリベラル的な、あまりにも愚かな意見があった。
quick_past 女を穴としか考えてないやつが言うそれは、女性解放のために言ってるんじゃなくて、むしろ女性をその程度の存在だと蔑むためのレトリックだしね。卑劣なミソジニストのいつもの詭弁。
いくらなんでも、ひどすぎる。
悪意があったら規制しろって、こいつは内心の自由を侵害するつもりか。
例えば「女を性処理の道具として扱ってやりたい!」と考えている男がいるとして、彼が自宅でその妄想にふけりながらオナニーするというのは、悪意に満ちている行為ではあるが、完全に合法である。それを法律で規制する道理もなければ、倫理的に悪いことだと非難するだけの道理もない。
そのオナニーをやるための道具としてセクサロイドが加わった途端、その行為には悪意があるから規制しろと言い出すつもりだろうか?
そして、実はこのことは、エロ漫画の表現規制問題につながっている。
リベラルは「私たちはゾーニングを求めているだけで、表現規制派ではない」と宣伝していたのだが、あれはやはり大嘘だったようである。
inumashさんをはじめ、quick_pastさんのような連中が言っていることは、「ゾーニングしている物でも難癖をつけて潰してやるぞ」ということに他ならない。弱者男性が自宅でこっそりとセクサロイドを使ってオナニーする自由を奪おうというのだから、オタクが自室にひきこもってエロ漫画を読む自由を奪ってやるという話も、当然起こってくるだろう。
世間の目にふれないように工夫して、ゾーニングを徹底したとしても、「お前には悪意がある」とか、「こんな漫画は女性の人権状況を悪化させている原因だ」と言われまくって、結局そこから表現規制を行うことになってしまうわけだ。
inumashさんのツイートについて、あれはセクサロイド規制派のフェミニストの見解を紹介しているだけだとの指摘がありました。
ブコメの皆さん、ありがとうございます。
inumashさん自身は必ずしもセクサロイド規制派というわけではなさそうです。その点は私が迂闊な勘違いをして、勢いあまって批判をしてしまいました。申し訳ありません。
ただ、私が自由について論じた趣旨は、全く変更がありません。この記事の「inumashさん」という部分を「セクサロイド規制派のフェミニスト」に読み替えてください。
(追記、終わり)
ポリコレに厳密になっていくと、公序良俗の基準をどんどん厳しくしていく&公序良俗に反してるけどお上からも世間からもお目こぼしされてた部分を見逃さなくしていくことで、表現からどんどんアクもコクも旨味も毒も辛みも苦みも抜いて痩せさせていく。
ゾーニングなんつうのはわざわざ流通形態を分けたりすることで余計なコスト負担させるし、売れる場所も減るしで収益が目減りするのがわかりきってるわけで、直接禁止はしないけど儲かりづらくすることで真綿で首を締めるように衰退に向かわせることになる。
それでもギャグやバラエティやポルノなどなどは残るだろうけど、毒にも薬にもならぬ、学びも刺激もない、白湯みたいなもんになっちゃう。
それは、形としては残ってるけど、形骸化して死んだのと一緒だわな。
もともとポリコレ推進派って、規制反対派だよ。「規制派だ」とレッテル貼られて叩かれただけで。
そこから嫌気がさして規制やむなし派になった人もいるみたいだが。
「ポリコレがあると何も表現できない」というのが、ポリコレ推進してる側から見ると嘘なんだよ。
どんなメディアのどんな表現にも、自主規制みたいな配慮はもともとあった。
それを現代の社会通念に合わせて修正していこうってだけだから、ポリコレに配慮したぐらいで表現できなくなるものなんて、あまりない。
公序良俗に反する表現というのは、ポリコレ言われる以前にも規制や批判の対象だし。
同意の上でビジネスとしてやっているのかと思ったら、仕事だから仕方なく耐えていたけれど本当は苦痛で病んでた、みたいなハラスメント構造が根っこにあるんだよ。
頭悪い人や子供なんかは本当だと勘違いしてしまうケースが有り、度々問題になる
いや実際の所芸人もやり過ぎる人が居るので、本当にプロレスなのかどうかは定かではない
視聴者も「これはプロレスだ」と100%わかっているわけではないはずだ
むしろそういった「どうせヤラセだという安心感と、若干の恐怖」がいい塩梅でエンターテイメントになっているのだと思う
「きっと嘘だけど、ひょっとしたら」というのが楽しさになる
これは不思議なもので、例えばイジメ自体に嫌悪を覚える人でも、イジメの「振り」は楽しめたりする
エンターテイメントの歴史とは、そういう人たちとの戦いの歴史でもあると思う
もちろん「分からない人」が常に悪いというわけではない
ボーダーラインというのは人によって違うんだ
悪ふざけが過ぎる人に嫌悪感を覚えるのと同じで、人によっては皆が楽しめるラインで嫌悪感を覚えるんだ
かと言ってその人のボーダーに合わせたら何もできなくなってしまう
彼らの存在はそれだけで場を白けさせる
ゲームや創作に影響される人、現実と区別がつかない人は一定割合居る
ゲーム業界ではどうにかそういうのを回避しようとゾーニングが行われている
個人のボーダーラインや、現実と虚構の区別が付くかは加味されていない
これから先のエンターテイメントが生き残るには、彼らを制御しなければならないのかもしれない
彼らは「嫌悪」し「区別がつかない」ので、義憤にかられて突撃してくる
最近は、彼らの見つからないマイナーな場所でエンタメを発達させる手法が上手く行っていたが
もうそろそろそれも難しいのかもしれない
情報はSNSで簡単に拡散され、簡単にそれを海外メディアが取り上げる
彼らは確かにマイノリティではあるが、炎上してしまうと突撃者の数はとんでもなくなってしまう
より強い仕組みのゾーニングが必要なのだと思う(手段はまるで思い浮かばないが)
また、制御しなければならないのは楽しむ側にも居る
「嫌悪」はしないが「区別がついていない」人が、真似をしてしまうからだ
多くのブコメをみたけどいろいろな論点があるなと感じたので、整理してみたい。
まだいくらでも互いに反論できると思う。なお私自身は結論を持っていない。
個人的には、ヨーロッパに住んでたときに何度も釣り目のジェスチャーでからかわれたり「チンチャンチョン!!!」とか言われたりしてちょっと嫌な思いをした経験があるので、今回のやつを見て怒る黒人にとても共感する。
でも世の中にはいろんな立場の人がいて、それぞれ利害も異なる。
「いいから基準を教えろ」「~~したらとにかくダメなの?」という人が多いけど、残念ながらそう簡単な話ではなく、面倒でも大勢で時間をかけて合意を形成するしかないのだと思う。
「めんどくせえ」という人も多いな。どうでもいいと思う人が多数派じゃなかったらそもそも「問題」にならないので、まあ当然の反応ではある。
(追記)
他にも整理してる人がいらした anond:20180104015530
じっくり読んだけどさ。結論が「すり合わせしましょう」だと、結局、「話し合ってみないとわからないよね」っていうだけになってしまうのでは。
それより気になったのは、ここ。
これ、言い換えれば、「日本人しか見ないことが保証されていれば、海外でタブー視されていることをやってもいい」って元増田は思っているってことだよね。
多分、そこから「そういう問題?」と思っている人が多いと思うから、整理した方がいいと思う。
1)見たくない人が見てしまう確率が一定以下に抑えられるなら、不特定多数が見るテレビで放映していい
2)たとえ少ない確率でも、見たくない人が見れてしまうことは問題。見たい人にだけ見せられる仕組みが必要
3)見たくない人が見れてしまうかどうかにかかわらず、タブー視されているからやってはいけない
1)や2)は、要するに、ゾーニングの問題なんだよね。例えば、最初に警告を流すことでテレビで放映していい1)みたいな作品もあれば、絶対にテレビでは放映されないポルノ映画みたいな2)の作品もある。
コレクトネスはシチュエーション、聞いている人たち、そして自分の状況によって常に変化してるのでは。
別に身内でワイワイしてるときにその場で傷つく人がいないことがわかってるネタで笑ってもいいと思うのよ。
そこに1人また1人と人が増えていくと段々と色んなバックグラウンドが増えていくわけで「言っちゃいけないネタ」が増えていく。
で、政治っていうのは全国民(もしくは全世界)を対象に行われているわけで言っちゃいけないネタっていうのはめちゃくちゃ多いわけ。
ポリティカル・コレクトネスってこういうことじゃないかなあ。
それを一般市民の会話レベルに適応しようとして「なんもしゃべれねー!ポリコレ死ね!」みたいなのはなんか違うと思うのよ。
逆に言うときちんとお互いを尊重した上でゾーニングしてれば何してもいいと思ってる。
レイプされてるのに感じちゃう系エロ漫画を見て蔑まれていると思う女性も興奮する男性も両方間違ってるわけじゃない。
自分のネタで不快になる人の目に届かないよう全力で対策して絶対目につかないぞって確信が持てるのならば自由に差別すりゃええんじゃないかなあ。
でもインターネットは基本的に全世界に発信されてるのでSNSでの発言は70億人が不快にならない内容にしようね!
無理ゲーだね!
「私以外がやってる童貞表現はどうなん?」という糞みたいなお前はどうなんだ論を展開し始め、
まんまと乗せられたはてなーが混乱しつつあるので、表現の自由からこの点について整理しておく。
表現の自由という観点で言えば、「童貞いじり」も表現の自由の範疇であり、地震おっぱいしかり
特定個人に向けてなければそれをやるのも、またそれに対して批判するのも自由、嫌なら見るな、フォローするな
だが、問題はそこではない。
セクハラ要素を含むが、興奮するエロ漫画 (強要系エロ漫画など)
など加害的な表現を現実に影響しない範囲でどこまで許すかというものである。
つまり、それらが加害的な表現であるということが確認された上での議論である。
一方、当のはあちゅうは
「特定の誰かを童貞として笑ったわけではなく、童貞「的」なものについて語っていた」
と、そもそも童貞いじりそのものが(相手が不特定多数でも)「加害的・差別的なセクハラ表現」そのものであることを未だに理解できていない。
これは例えるなら、ある強要系エロ漫画が是が非かを問うているときに
「登場人物の女がセックス中に快楽を得て喜んでいるからこれは和姦表現であり強要表現ではない」
表現の自由以前に、こんな主張をする人間を野放しにしておいたら社会の危機である。
つまり、はあちゅうの童貞いじりが表現の自由の範疇であろうとなかろうと、
「童貞いじりはセクハラである」と認識・理解できてない時点で自らが告発した加害者と同じ思考回路であり、
「童貞いじりは特定個人にやったらセクハラ、不特定多数でもセクハラ表現」
この認識が出来てない以上、彼女は表現の自由の土俵にすら立てていない。
みんながダメと言ってるからやめるのではなく、まずは素直に自分の童貞差別感情と向き合って欲しいと思う。
なお、性的表現をする際の自由の範疇についてはゾーニング論などより深い議論が必要なので後で別にゆっくりやればいいと思います。
独身時代、上半身裸でサウナに入るドカタのおっさん風の格好をして、普通に乳放り出して爆笑をかっさらった大島と違って
かなり下品で男芸人が下半身露出するの当たり前なドキュメンタル、いけるのか?と思ってたら
生理でメンタルやられて泣き出したシーンはうわこれやばいんじゃないか、って確かにぎょっとした
しかし次回予告で元気にサンバのカーニバルみたいな衣装を着てる姿を見て何だよ立ち直りはえーなwwwって安心して
次の回では、まだ涙が引かないところから始まって、次回予告で元気な姿を見たとはいえちょっと心配してたら
黒沢を慰めてたフジモンを巻き込んで、まだ目が潤んでるのに気がついたら「黒沢ワールド」を展開して全員を引き込んだあの瞬間はすげえ!!って感動した
気がついた時にはもう遅い、なんてバトル漫画のワンシーンみたいだった。あの瞬間は黒沢が男たちを掌握して頂点に立っていた
シーズン1だっけ、松本が「うるさいクソジジイはアマゾンプライムの契約なんてできないから好き放題やってやる」みたいなこと言ってたの
元増田はたぶん女だろうけど松本の言う「うるさいクソジジイ」なんだと思う。ゾーニングってやつ
分かってると思うけど間違えて見ちゃった増田が悪い。ちゃんとお前みたいなのはこの線から入ってくるなって言ってる以上入って来る方が悪い
こういうの好きな奴らだけで楽しむ場をせっかくアマゾンと吉本が作ってくれてるのに、いくらゾーニングがされていても駄目!この世からなくすべき!みたいに言われるのは迷惑だ