はてなキーワード: アルハラとは
大変腹が立っているので落ち着くためどのように腹が立っているか綴る。
就業先はそこそこの専門職で先生と呼ばれる人たちが働いている。
ムカついていているのはそのうちの1人の先生の新人の教育の仕方についてである。
前述の通りそこそこの専門職であるがゆえに新卒が入社することはほぼない。
なぜか。
「質問をするときはある程度答えを持って聞いてほしい」「まちがってもいい、まずは自分で考えろ」「なんで怒られてるかわかる?」「お前は恥ずかしい行いをしていることを自覚しろ」「仕事が終わるまで帰るな。やり方は自分で考えろ」
「俺の飯をかってこい」「俺の酒が飲めないのか」「彼氏はいるのか。彼女はいるのか」「子供はいつつくるんだ。週に何回やってるんだ」
たまたま1人すごく優秀な子がいて、この上司の下でうまく育ってしまったが故に増長が止まらない。
その部下が特別優秀なだけなんだよ!!お前の手柄ではない!!
もしかしたらプライベートがうまくいっていなくて妻にも子供にも無視されているからせめて部下にマウンティングすることでプライドを保っているのかもね。
そう考えるといろんなことに合点がいってさらにとても腹が立っている。
私はもちろん誰に対してもバカにしたような態度をとりその上ボスの前では部下への不満を述べ部下の前ではボスの悪口を言う。
勤続年数が長いだけだろ!
まぁ、そうですね。
当方がパートのおばちゃんである以外は100パーセント創作です。
みんな助け合って仕事しようぜ!
減らない残業、増えない賃金、苦痛の満員通勤、足りない人手、迫る納期、偽装派遣、未払い残業代、徹夜、休日出勤、取れない有給、パワハラ、セクハラ、アルハラ、結婚・出産でいきなり辞める女性社員、介護に潰される中堅社員、名ばかり管理職、外国人労働者、みなし残業、物価は変わらないのに地域で賃金格差、ブラック企業、サイコパス経営者、ガイキチ研修、ワンオペ、営業妨害しにくるユニオン、精神病社員、新興宗教社員、モンペ付社員、こじつけで増えまくるビジネスマナー、老人共の業界団体、政治資金パーティー参加強要、無駄な会議、いらない飲み会、会社行事、リストラ、切れない不要社員、派遣切り、とびこみ営業、電話営業、談合、ヤ〇ザ、過労死・・・
飲めないというと なんで why ってみんな聞いてくる
本意は微妙に異なるけど大体同じ
日本人は昨今のアルハラとかもあってそこそこの理解はある故に体質的に飲めないのは仕方ないってそこは理解してくれるけど、今度はじゃあなんでここにいるのってなる
海外の人はここで酒飲まないことに対してはなにも言わないけど、酒の飲めない体質が理解できないので、なんで飲めないのか体質的に受け付けないとのはなんで って聞いてくる
でもこっちにしてみたらそんなんしらねーしむしろ教えてもらいたいくらい
例えばさ、目が生まれつき見えない人がいたとするじゃん
誰も目が見えない人に対してなんでここにいるのって聞かないじゃん
なんで見えないのって聞かないじゃん
飲み会に飲めない人がくるのは展示会に目の見えない人がくるのと同じって言うけど、でも展示会の人は別に目の見えない人が展示会に来ることにたいしては疑問には思うけど拒みはしないじゃん
目の見えない方のご入場は辞めたほうがいいです、なんて言わないじゃん
けど、こっちはやんわりと拒否されんのよ
飲めないなら来なくていいですって ダイレクトに言わないで、なんで来たの?って
それだけでなくて、実際に飲み会に飲めないからという理由で誘われなかったことたくさんあるから
選択肢すら持たせてもらえないわけ
そんなんが嫌で日本飛び出してバカンスしようって思って旅行にきてみると今度はこっちはこっちでwhy
体質的に飲めないのが理解できないのは文化の域だからもう諦めるしかない
例えば宗教で○○肉が食べられないとかあるがなんで食べないのか理解できない 決まり事だとしてもちょっとだったらたべることはできるのではって思ってしまう でもこれは宗教の薄い国に自分が生まれ育ったからだ
だからお互い様なのはわかってはいるが、どこに行ってもwhywhyで疲れてしまった
個人的にはアルコール受け付けない人に対する無意識下における差別は人種差別に近いと思ってる
アルコール、飲めなくても楽しく生きてるよ
けど、それによる生き辛さは多分マジョリティーにいる側にはわからない
こっちはただ人として扱ってほしいだけなんだ
酒を飲むなとは言わない、飲みたい奴は勝手に飲めばいい
飲んで酔っ払って騒ぎ出す奴は正直死んでほしいくらい迷惑だが、百歩譲ってこれも我慢しよう
だが飲みたくない人間に無理やり飲まそうとする奴は、市中引き回しの上鞭打ちの後はりつけの刑に処すべきだ
自分がハードドラッグを他人に強要しているという自覚はあるのだろうか?
「俺の酒が飲めないのか!」などと言ってジョッキを押し付けてくる行為は、注射器片手に他人の袖を無理矢理捲り上げ「俺のヘロインが打てないのか!」と言っているのと大差ない
タバコの副流煙に対しては鬼の首を取ったように非難する人たちも、酒の強要に対してはやたらと寛容だが、それもおかしな話である
タバコの煙の吸いすぎが原因で急性症状を起こして死ぬ人はいないが、酒の飲み過ぎが原因で死ぬ人は毎年後を絶たない
最近では社会も少しずつ変化してきて、「アルハラ」という言葉も生まれた
「体質的に飲めないなら無理して飲まなくてもいい」と言う人もいる、だがこれもおかしい
体質的に飲める人なら無理をしてでも飲まなくてはならないと言うことだろうか
普通に「味が嫌いだから」「美味しいと感じないから」「今日は飲みたくない気分だから」あるいは「体に毒だから」と言う理由で飲まないのは認められないのだろうか
つらいね。
世間的には減っていく傾向にあるけど、残る所には残るんだろうなあ。
自分はもう40を過ぎたオジサンなので無茶ぶりもされなくなったが、若手の頃はキツかったな。当時はアルハラなんて概念自体が無く、酒に弱い若手なんて誰も守ってくれなかったから自分で何とかしてたよ。
開宴イチバンでイッキを申し出て、本当は後一杯飲めそうだけど、嘘ついて潰れたふりして、そのまま飲み会終了まで爆睡したりとか。
増田もなんとかやり過ごせると良いなあ。
とりあえず1杯目がビールなのも辛いし
ビール以外を頼むと和を乱した扱いを受けるのも辛いし
カシスなんとかなんて頼もうものなら最後「最近の若いのは云々〜〜」とマウント取られるのも辛いし
まだ飲み切ってもないのに勝手に酒注がれるのも辛いし
「まだ飲めるよ」だなんて相手の体質を完全に無視した無責任なこと言われるのも辛いし
こちらが辛いだなんてことは完全に想定外であるかのように酒を注いでくるのも辛いし
(あるいはそれらは礼儀ではなく日本特有の陰湿な嫌がらせ目的なのかもしれないがとにかく辛いものは辛い)
あと「若いから飲める」などという 猿でも20秒考えれば筋が通っていないことに気がつく謎の理屈を、違うヒトの口から何百回も聞かされるのも辛い
自分は一滴も飲めないわけではないが、パッチテストで言うと最弱の部類で、アルコールの分解が絶望的に苦手なのだと思う
ジョッキ二杯でも飲もうものなら激しい頭痛に見舞われ翌朝起きれず仕事どころではなくなる
いっそ一滴飲んだら倒れるレベルまで振り切ってしまった方が周りの理解を得られていいのではないかと思うこともある
今の環境は無理に飲まされるわけではないからマシな方なんだろうなとは思うが、
ゆとりの甘えた泣き言に映るだけかもしれないが、
ブラック企業の働き方やジェンダー問題が糾弾されまくってる今のご時世なので、アルハラ問題ももうちょい声高に叫ばれてアルコール弱者に優しい社会になってくれたらいいなと思う
俺はそれなりに気が強いから、兄弟親類がああこれ敵だなと思ったし、ほかにももう一軒同調圧力強くして確実に失敗する方向で俺を屈させよということもあったし、ごっそり大量に人間関係切る決断したから、ついでに親のほうも切る決断をした。
その結果一人になったけどね。それでもむしろうざいやつが絡んで邪魔するのよりはだいぶ進みは良いが。
ただ、ここで愚痴ぐらい言わせてくれとはおもうね。
そこまで収入源的に自立してない、社会的に一人で生きづらい女は逃げにくいんだろうなぁとも思う。
凋叶棕はこういう人間関係のどろどろしてるがきれいな曲が多くて、「無終祭」の「表面ニコニコして華やかだが、裏は同調圧力でどっろどろ」ってのがほんまぴったりだし。
伊藤詩織氏と山口敬之氏との件について、最初の彼女の会見から、事件の本質と関係ないことも含めて多くのことが語られ、多くの人がその事件の本質と関係ないことに気を取られてややこしくしてるように見えるので、整理する意味でちょっと書く。
実際、「レイプがあったかどうか」という核心にだけ絞れば出来事はかなりシンプルだと思う。で、先に結論めいたことから言うと、(真実はひとつだとしても)今回の両者の言い分や状況から第三者が客観的に判断しようとした場合、どちらかが間違っててどちらかが正しいということだけでなく、ある程度のところまで両者の言い分がともに正しいという可能性がある、ということを考えてる。
まず、俺はとりあえず男な(一応、これは最初に言っておこう)。伊藤詩織氏の最初の会見、先日のFCCJの会見をはじめ、公になっているインタビュー記事やそれへのネットの反応などは一通りチェック済み。Blackboxは申し訳ないが未読。山口氏のフェイスブックでの投稿や先日上がったHanada動画は視聴済み。
法律の専門家じゃないのでそのへんの解釈や定義は曖昧なところあるかも。いずれにしても素人の感想ではあるので、そのつもりで。
就職を斡旋してやるからセックスさせろとか、就職を世話してやる俺の酒は断るな、ということはなかったようなので、そういう点でのセクハラ、パワハラ、アルハラというのは除外していいよね。あくまで二人で食事に行ったきっかけに過ぎない。
これは重要かつ決定的物証となり得ると思うけど、実際どうだったかを今の段階で科学的に検証できないのであれば、この論点に拘り続けることはできない。
この辺はやや重要なところではある。刑事事件としては一応結論が出てしまったわけだけど、この件の本質的な争点は、当時の伊藤氏の状態が準強姦の定義である「心神喪失」「抗拒不能」に当たるかどうかだと思うから。
でも、タクシーの中では「駅でおろしてほしい」とわりとまともなことを言ってたようだし、このタクシー運転手の証言だけでは、山口氏が挿入した際に「心神喪失」「抗拒不能」だったとまで断定することは難しいだろうと思う。一目撃者に過ぎないのでは。
これについては山口氏がHanadaの動画の中で自分で確認したと言っているが、伊藤氏はふらふらながら自分でカバンを抱え、自分の足で歩いていたという。ここで伊藤氏の主張と食い違いが見られるが、民事でこの映像が証拠として出ればはっきりするはずなので、これ以上はここでは触れない。何か明確なものが写ってることを願う。
2軒目の寿司屋のトイレあたりから記憶を失っていた伊藤氏。目を覚ましたときには山口氏に挿入されていたという。それに対して山口氏は、伊藤氏は嘔吐して水を飲んだり土下座して吐いたことを謝ったりしていたという。ここは完全に二人にしか分からない上に、伊藤氏は自身でも記憶を失くしていたと言っているので、証言という点で伊藤氏は不利にならざるを得ないだろう。
ここで俺が引っかかったのは、「行為中に目を覚ました」ということだ。
ちょっと本筋から外れるけど、これまでいろんなテレビドラマや映画、漫画など創作の世界(敢えていうが欧米のも含めて)で、羽目を外して飲み過ぎて記憶を失い、翌朝目が覚めたら見知らぬ男の部屋のベッドで事後だった、みたいなのってあるよなぁって。
物語だと、だいたい自分の失態として、あちゃーやっちゃった、みたいな後悔と二日酔いを抱えてとぼとぼ家に帰るってことになるんだけど、考えてみれば、それもほとんどレイプ(準強姦)と同じなんだなってこと。だけど、自分が楽しく酒を飲んでたっていう記憶と、行為中の記憶がないっていうことによって、「レイプだ」とまではなかなか本人(また、そういう創作物を見ている側)は思わないというのも、人の心理というか、人情なのかもしれない。
(断っておくが、俺は、だからこうした演出や筋書きをすべて準強姦的だと非難したいわけじゃないし、そういう女性は「レイプ被害者」だと自覚を持てとか言いたいわけじゃない。まあ、なんていうか人の営みってそういうところあるよねって感じ。何でもかんでも法律だ警察だってことではないだろとは普通に思う)
ともあれ、伊藤氏がここまでこの件を引っ張るのは、行為中に我に返ったからで、実際に痛みと恐怖を感じたからなんだろうな、と察することはできる。
あと、アルコール性健忘症というのもなかなか厄介だ。その時は普通に受け答えをしているけど後になると本人は覚えてないってやつ。これも、後から本人がそういう状態にあったということを科学的に立証することはできないんだろう。
この件を、確定的な出来事に即してシンプルに見れば、男と女が飲みに行き、女が飲み過ぎか体調不良で意識が朦朧とし、男がホテルに連れ込んでセックスがあった、という、ありきたりといえば言い過ぎだけど、珍しくはない話でしかないだろってこと。そして、アルコール性健忘症を鑑みたときに、伊藤氏と山口氏のどっちが正しいということでなく、伊藤氏が記憶を失くしているときに山口氏の主張したとおりの行動をしたのかもしれず、たまたま挿入中に目覚めた伊藤氏が痛みと恐怖で逃げ出した、という、両者の言い分が相当なところまで両立することも有り得るんじゃないの、という可能性を指摘したかった。
だって、最近伊藤氏の応援側は、酩酊した女性を病院に連れて行かずにホテルに連れ込むとは何事だ、ぐらいなことしか言えなくなってんだもん。いやまあ、そりゃあそうだけどさ。実際、本当に明らかになっていることで第三者がはっきり言えるのってこれぐらいのことなんだよな。そりゃメディアも取り上げにくいだろ。
伊藤氏がまるきり嘘ついてるとは思わないし、望まない性行為があったのは事実のようだからいろんな意味で彼女の行動が報われてほしいと思うけど、実際、これからメディアで発言していくにしても、「刑事事件としては不起訴処分」みたいな注釈をいちいちつけられるわけだろ、なんか運が悪いっつーか。
で、最後に、敢えて触れなかったが、逮捕状が出たけど直前でもみ消された件。
人によっては、この点こそがこの件の本質だと思ってるんだろうが、これについては俺にはよく分からん、ので特に言えることはない。そもそも、ここまで書いてきたようにこの件で本当に客観的に準強姦が立証できるかというのもなかなか難しいんじゃねって俺は思ってるけど、実際に政権上層部の人間の恣意的な判断があったならぜひ明らかになってほしいとは思う。安倍政権にかかわらず、権力に何ができるのかということは国民は知るべきだろ。
以上、読んでくれてサンクス。山口氏に肩入れするつもりはないけど、まあ、そう読めるかもしれん。何度も言うように伊藤氏が嘘をついているとも思ってないので、山口氏に味方していると言われるのは本意じゃない。念を押すが、両者の言い分がある程度までともに正しいという可能性がある、ということを主張したかっただけ。あと、行為中に我に返ったというところが事態のかなり大きな分かれ目になってるのでは、ということは言われてないように思えたので。大した結論出てなくてすまん。民事でどうなるかは、ここで俺が書いた以上の決定的な新事実が出てこない限り、どっちかが完全勝訴みたいにはならないんじゃないかな。まあ、裁判のことはよくわからんが。最後に、デートレイプドラッグはきちんと啓蒙すべきだ。これ大事な。
営業。
配属された部署は20代から30代中盤までが多く、若いゆえの活気で溢れていた。
仕事でも血気盛んにガツガツするタイプが多く、午前様が見えても残業は当たり前、何ならそこから飲みに繰り出すという、営業らしいといえばとても営業らしい雰囲気。
一方で若いゆえかコンプライアンスはゆるゆるで、10年前といえば管理職でも大概なものであった。上場企業であるにも関わらずだ。
アルハラセクハラパワハラが縦横無尽に跋扈し、新入職員は時に鬱になり、時に離職し、時に異動していった。
その矛先は当然私にも向けられ、飲みに行けば二次会三次会当たり前。カラオケに行こうものなら一気コール。
用を足すふりをしてトイレに向かい、口に指を突っ込んですべてを吐き出し、涙目を隠しながら午前二時の薄暗いカラオケルームに戻ることはしょっちゅうだった。
戻ってみれば酒にタバスコが入ってる事まであった。疲れて寝そうになれば氷とお絞りが容赦なく飛んできた。
苦労して就職活動を終え、大人の仲間入りしてやる事が飲みサーの延長以下という事実はあまりに腹立たしく、土日は怒りが頭を支配していた。
酔いつぶれるのは嫌いだし、翌日の仕事にも良い影響を与えないということはわかりきっているのに、やれ「お前は潰れないからつまらん、もっと飲め」だとかで酒を注がれ、頭の悪すぎる先輩に至っては「寝坊して出社して怒られるのが新人」みたいな夜迷いごとを言いながら笑っていた。
たった10年前だ。
私はこんな職場に絶対に染まるもんかと心に決めた。ニコニコしながら酒を飲み罵声を浴びてそれでも耐えた。
どれだけ辛くても定時の一時間前には平然とした顔で来て、仕事をこなした。
今思えば可愛くない後輩である。目をつけられるのも当然なのかもしれない。
後輩が来た。この子は辞めるのだろうか、残るのだろうか。その子はそう時間がかからないうちにパワハラアルハラセクハラが当たり前な人間になって行った。
どうやればこの状況を打開できるだろうかと考えた。
一つは経時的な変化を待つこと。
営業職お馴染みの異動がある。
数年ずつクソみたいな先輩は異動し、別の先輩がやってくるか新人が入る。
別の先輩がクソではない保証がないこと、新人が残るクソみたいな先輩に染まる恐れがある事から耐え忍ぶだけでは環境は正常化しない恐れもあった。
これまた営業職らしく数字が上がっている奴は一目置かれる。発言力が増すのは会議時に限定されない事がわかっていた。
三つ目にコンプライアンス違反を通報すること。これもやんわり狙ってみたがクソ先輩共はクソ上司(直属以外でも)と繋がりがあり、まだまだコーポレートガバナンスがゆるゆるな当時はリスクでしかない様子が伺え、断念した。
何なら当初コンプライアンス違反と認識し(感じ)ているのは私以外に居ないような状況で、分が悪すぎた。
四つ目に後輩教育の徹底。入り口で「染まらないように」コンプライアンス遵守を求めた。
時の流れには人の入れ替わりを促す力とともに遵法意識を少しずつクソ先輩方に浸透させる力もあったのか、少なくともハラスメントがリスクであるという認識をクソ先輩方が有するようにはなってきた。
自分の社歴が増し、一方で結果を出せたことから支店内における発言力はかなりの勢いで増していった。
時にクソ先輩の業務を引き継ぎ、いかにクソ先輩が仕事をしていなかったかを詳らかにしても、私の発言であればそれは十二分に説得力を持ち、上司や後輩、また別のクソ先輩方に響かせる事ができた。
それから間もなくして私に業務を引き継いだクソ先輩には懲罰人事が下された。
ここ数年になり、上司も変わり、ますます私の影響力は増していった。
クソ先輩や後輩の仕事を上司とすり合わせるところまで来た。何ならクソをクソと言い続けるだけでクソコンセンサスを得てクソは他部署に飛んでいった。
ここまで来るとクソ先輩方はもうただの先輩になっていて、特に脅威を認識する必要はなくなってきた。
後輩たちに関しても、少なくとも私が入社した頃のような理不尽を享受することはなくなった様に思う。後輩が後輩を傷つけることも無さそうだし、仮にそんな事があれば私がクソのレッテルを塗りたくってやる。
一方でやや後輩たちの個が過ぎたり、ポリティカルコレクトネス感が強い気もしないでもないが、それはまあ私が古い人間なのか、自分が受けた苦労を無意識に美化しているのか、うまく言語化できないがまあそういう事として、ハラスメントが溢れていた時代より100倍マシとニコニコできている。
強いて言えば自分がクソ先輩になっていないかという強迫観念が自縄自縛的に気になるときが最近少なくない。
ここまで書いておいて、私が職場に何か良い影響を与えられたのかというと、何だか怪しい気がしてきた。
結局辞めずに残り続けたから発言力が増しただけで、自分がハラスメントを受ける立場を卒業し、後輩に恵まれただけの気もする。
それでも、この春の異動で最後のマキグソ級のクソ先輩が居なくなるとわかったとき、私は真っ先に「お世話になった先輩の送別会」の幹事を買ってでた。
サプライズとして、みんなで行った温泉や海外の写真をスライドショーとして流してやった。
どの写真も先輩は笑顔だが、その裏で私は酒を飲まされ続け、吐いていた。
社歴を鑑みると私の異動もそう遠くない筈。
次はどのような職場に異動するのか。願わくば栄転であって欲しいが、ハラスメントなどの問題が無い所ならどこでもいい気もする。
きっと問題のある職場は依然少なくないだろうし、きっと問題のある職場は依然わが社だけではないのだろう。
クソを駆逐するのは難しいが、私は諦めない。
そして自分がクソにならない事も、諦めないでいたい。
「性犯罪に遭わないように自衛する」ことはよく「泥棒に入られないないよう家に鍵をかける」ことに例えられるけど、
性犯罪への自衛と施錠では実行する場合の難易度がかなり違うから、この例えを見るたびに違和感を覚える。
「鍵をかける」事は多くの人にとってはさほど手間でもないし、鍵をかける事で他のものを犠牲にすることもまあないだろう。
「鍵をかける」という行動自体が難しいという状況もあまり思い浮かばない。
しかし性犯罪への自衛としてよくあげられる「夜道を一人で歩かない」「男性といる時に酔っぱらわない」「欲情を煽る服装をしない」という行動を
多くの女性が実行することは、この社会で生きていく上で実際問題難しい部分も多いのではないだろうか。
「夜道を一人で歩かない」については、夜遅くまで残業をしなくてよい仕事に就ける人ばかりではない(ブラック企業の多さ、ブラックとまではいかなくとも看護師等職種の都合上夜働く女性も一定数存在する)、中学生・高校性も塾や部活で帰りが遅くなる事はある。同僚や友人に毎回家まで送ってもらうわけにも、家族に毎回迎えに来てもらう事も実際問題難しいだろう。
夜働かなくてよい仕事に就けた女性が「夜道を歩かない」事を徹底することは可能かもしれないが、日本に住む女性全員が「夜道を歩かない」事は実際問題難しいだろう。
「男性といる時に酔っぱらわない」「そもそも酒の出そうな集まりに顔を出さない」についても、ある程度の年齢の大人であれば食事の席で酒を断る事が難しいことも多々あるだろう。
もちろん「本当は飲めるけれど飲めないと嘘をつく」という処世術を使っている人も多いだろうが、それで納得してくれる相手ばかりでもない。
あまりに酒を断るとそれはそれで空気が読めない人だと思われる可能性もある。
酒を勧められて簡単に断れる場合ばかりなら、そもそも「アルハラ」なんて言葉も生まれないのではないだろか。
「欲情を煽る服装をしない」については、実際どのような服装が欲情を煽るかは加害者の好みの問題もありわからないという問題がある。
そもそも服装については「弱そう、おとなしそうに見える人が狙われる」「制服を校則通り着ている中学生・高校生の方が痴漢に遭いやすい」という説もある。
おとなしい恰好をすれば弱そうだと思われ被害に遭い、派手な格好をすれば欲情を煽り被害に遭う可能性がある、と言い換えられるのかもしれない。
そもそも服装というものもプライベートならともかく、通学・通勤の際にはある程度周囲に合わせた服装をしないといけないという問題もある。
「制服を着ていると痴漢に狙われやすい」からといって、全国の中学生・高校生が全員私服登校可能な学校に通うという事は現状不可能である。
「性犯罪に遭う事に比べれば、仕事が制限される事も、職場やプライベートでの人間関係への影響も、服装が周囲から浮くことも大した問題ではない」
という立場もあるだろう。
しかしそもそも世の中で言われている「性犯罪に対する自衛」を徹底的にではなくとも全員が実行するという事は上記のような理由から難しく、
それにもかかわらず「少し気を付ければいいだけ」「鍵をかけるのと同じ」と言われる事には違和感を感じる。
「それでも少しでも気を付ければその分リスクを減らせる」という意見もあるだろう。しかし「どうしても仕事が長引き灯りのない夜道を歩かないといけない」等の
自衛ができない状況は日常生活をおくっていれば普通に発生するだろう。
「性犯罪への自衛を勧めるアドバイス」を例えるなら、まだ「○才の時点でこれだけ貯金がないと老後の生活が厳しいというアドバイス」が近いのかもしれない。
確かに今後年金ももらえない可能性が高い、貯蓄はあった方がよいがそこまで貯金できるほど高収入の人ばかりでもない。もちろん実行できる人もいるのだろうが。
そもそもいくら貯金があった所で老後を迎える頃に社会の状況がどうなっているかは誰にもわからない。
「性犯罪への自衛を勧めるアドバイス」をすべて実行しても、性犯罪に遭う時は遭う。
自衛を実行したが性犯罪被害に遭った人(校則通りに露出の少ない制服の着方をしていたら朝通学電車の中で痴漢に遭った等)から
「実際問題多くの人が実行する事は難しい事を、簡単に実行できる確実性のある方法のように言われても困る」という事情から来る反発が起こっても
さもありなんと思う。