「魔女の宅急便」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 魔女の宅急便とは

2020-12-27

実写版魔女の宅急便アマプラにあったから見始めたけど、キキが家から出る前の段階でギブアップしたでござる

2020-10-26

anond:20201026162111

宮崎駿監督だってカリオストロラピュタトトロと来て魔女の宅急便までは世間一般では誰それ?状態だったしな

確実に鬼滅の刃TVしろ劇場しろ続編が出ると思うからそれらに人気が出たら認知されていくんじゃない?

2020-08-13

ユーミンのこと

ユーミンは昔から歌が下手だし自虐ネタにしている」

という言説を見たけど、ものすごく癖の強い歌い方ってだけで下手だと思った事はなかった。

私は多分世代では無いけど親がCDを持っていたし、小さい頃は輪舞曲まちぶせが好きでカラオケでいっぱい歌ったし、魔女の宅急便の歌も学校で歌わされた卒業写真も繰り返したくさん聞いた。

最近発表されたゲームのオープニングを聴いて愕然とした。

下手なおばちゃんコーラスのようなファルセット

不思議独立したがっている音符。

正直「ひっでえ歌声だな。誰だよ歌ってるの」っていう第一印象

だってそんな耳の良い方でも歌の上手い方でもないけど。それがユーミンだったのが本当にただただ悲しくなってしまった。

彼女だったと知ってから曲を聞き返したら確かに歌い方に面影を感じたのが余計に辛かった。

ファンでは無かったからもうずうっと彼女新しい歌を聞いていなかったけど、この感じはいからなんだろう。

あの外国楽器ような柔らかくて凛とした可愛らしい歌声はなくなってしまっていた。

声帯筋肉から人生を重ねていけばいつかは衰えてしまうのは仕方ない。

仕方はないけれど悲しいものは悲しい。

2020-07-05

1歳児がら好むアニメ

我が家の1歳児がアニメを見るようになった。

きかんしゃトーマスに夢中。

よく言われるアンパンマンにはまったくの不感症。

初めてハマるアニメ3Dってすごい。

ディズニーアニメもおおむね好感触だが、やっぱりトーマスにはかなわない。

最近トーマス、いろいろ配慮してるのか、男の子女の子は半々だし、アフリカからきた女の子は丸鼻に厚い唇だし、中国女の子は細目でアジア人顔。

みんな機関車なんだが、ちゃんとかき分けが出来てる。

いろいろ考えると、昔ながらの2Dアニメこそ、アニメ文脈理解出来ないと楽しめないのかもしれない。

アニメ漫画の顔は、デフォルメの域を超えて、記号化してる。

単に目が大きく、鼻が小さくではない。

あの顔は怒ってる、あの顔は嬉しい、そういう記号的な解釈が出来る様にならないと、楽しめない。

人形劇に興奮できるのに、2Dアニメは駄目なのは、やっぱりそういうことなのかと。

その点、3Dアニメは、やっぱりわかりやすい。

各パーツの誇張はしてても、動きに誇張はあっても、原型がちゃんとある

とかなんとかいろいろ書いてみたが、1歳児、魔女の宅急便には大興奮。

途中で奇声をあげたり、びっくりして走って逃げたり、そしてそのたびテレビの前にもどり、結局2時間みやがった。

パヤオは異才。

2020-04-23

anond:20200423213346

違うぞ。ホットケーキミックスこそ貧乏人の真理だ。

魔女の宅急便で、キキも毎日ホットケーキを食べていただろ。

パン屋で働いていたにも関わらずだ。

まりホットケーキパンよりコスパが良いということだな。

2020-03-29

魔女の宅急便みたあと黒猫みるとジジっぽいと思ってしま病気、なんていうんだろう

2019-12-23

anond:20191223083252

魔女の宅急便でキキがトンボを助けるとき「がーんばれ!がーんばれ!」って周りのひとが応援するシーンを思い出すんだ。

2019-10-03

平日のミッション増田ポッするスッポ出す間をんょ質美のつ爺へ(回文

おはようございます

今日事務所閉めてオフにしたのでルンルンです。

って今からもう予定いっぱい夢いっぱい詰め込んでるので慌てて支度して増田書いて出かけるわ。

あ実際には増田書いて支度して出かけるが正解なんだけど、

でも時間なかったから、

支度して電車に乗りながら増田書くって言うのが正解な的に

もうこれ竹中直人さんばりに笑いながら怒る人、

あれ大河ドラマでも一瞬やってたの知ってた?

まりに尺が短すぎてなかなか明るみに出ないのよね。

かいことはどうでも良いんだけど、

日頃平日にしか出来ないことをエンジョイしたいじゃない。

今日最大のミッションインポッシブル安産祈願の御守りをお受けしに行くこと。

いやね〜もちろん私じゃなくて事務所の子お腹ポンポコリンなので、

予定日ももうすぐらしく産休に入っちゃうからサンキューね!って意味も含めて御守りもらいに行くの。

産休だけにサンキューって!

このダジャレフリーダジャレです。そのままお使い頂けます

これ言いたかったのよね。

でもなんかこれってロールプレイングゲーム的じゃない?

ゴールド札を握りしめて神社に行くわよ。

ほんとミッションインポッシブルみたいに

命綱付けて高いところから飛び降りて、

地上ギリギリのところで寸止めセーフ!

はいセンサー感知されませんでした!と思いきや

滴る汗が床について結局センサーが感知しちゃうのよね!

小説で読んだ、違う違うミッションインポッシブルフィルムコミックで見た、

あの名シーンをやりたいわ!あのシーンを!

その時のビージーエムは、

デッデデッデ、デッデデッデ、タララ〜ン、タララ〜ン、デデーン!のお馴染みの曲じゃなくて魔女の宅急便の海の見える街!

うそれなんて世界観?って思っちゃうわよね。

そんな訳でもう電車がついてしまったので降りて神社に行ったら、

あと仲間二人揃ってなくフラグが立ってないか神社に入れもすら出来ないとか!

本当にロールプレイングゲームじゃない!

ちょっと残りの仲間の王子王女を探してくるわ!

王女は知ってるの海の見える街のあの犬だってことをね!

謎解きはディナーの後だから朝飯前よ。

うふふ。


今日朝ご飯は、

とりあえず今日ゆっくりできるから街中でブランチでもしてそれが楽しみよ。

デトックスウォーターは、

最近続いている梨ウォーラー

今一番梨が美味しい季節シーズンから

頂いてちょうだいね


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2019-06-07

anond:20190607215848

デジモンもタワマンかに住んでる選ばれしガキしかパートナーにしないか

特に取り柄もなく、学校休みがちな陰キャのガキにはトトロデジモンキングカズマも見えないよ

トトロの歌は子どもの時にだけあなたに訪れるって言ってるけど、訪れない子どもいるからね

あと、魔女の宅急便の歌は大人になっても奇跡は起こるよって言ってるけど

あれもトトロが見えてた子が大人になってから奇跡が起こるだけ

トトロが見えてなかったガキには関係いからね

2019-03-29

魔女の宅急便で聴き間違えてたこ

お店出来なくて残念だわ〜 → お見せ

クラスって物入りねー! → 暮らす

2019-02-05

原作本が映像化された時にキャライメージ・声が脳内のものと違う

この現象名前が欲しい

俺の中で、キノの旅エルメスの声は魔女の宅急便のジジの声だったんだよ

傷 -KIZ/KIDSふたりサイコキネシス持ちのイタい大人なんかじゃなくて自己破壊的な優しさとふしぎな力(≠サイコキネシス)を持った12,3の少年なんだよ

逆に、ディシディアファイナルファンタジージタンとクジャはFF9プレイ時の脳内ボイスとピッタリ過ぎて感動した

あとは、貴志祐介の硝子のハンマー(鍵のかかった部屋)と悪の教典ドラマを先に見ていたのでそっちに引っ張られてたけど、割といい配役だったんじゃないかと思う

2019-01-07

意外とお腹が大きくならない妊婦もいる

俺の中の妊婦イメージは、魔女の宅急便パン屋のお母さんだ。妊娠すると米俵を担ぐように大きくなると思っていたが、それは人によるらしい。妻は細身だったせいなのか、控えめにポコンと膨れたくらいだった。

10年間意識が戻らない女性が、何者かにレイプされ出産したというニュース。おそらく寝たきりだっただろうし、かなり細かったと思う。気づかなかったというのもありうるなと思った。

2018-11-08

追記有り】なんか気に入らないブクマカ

自分でも理不尽だと思う事を書くんだけど

とあるオタク系のブクマカが気に入らないので非表示にした。

そのブクマカがつけるブコメは、確かに正しい知識を書いているのだろう。

ただ、オタク一般的に共有する知識の外にある内容ばかりなんだ。

誰もが知ってる範囲ってあるじゃない。例えばドラクエFFなら7まで、ドラゴンボールNARUTOなら原作者が描いた所まで。

そういう、当たり前の範囲から逸脱した内容を「ファンなら知ってて当たり前」みたいな体でいるんだよ。

マニアックすぎるんだよ。

ノベライズとか二世もの続編とかゲーム化とかアニメオリジナルは知ってて当たり前の内容じゃねーから

・・・みたいな事をIDコールで言いたかったけど、言ったら言ったで俺が叩かれるんだろうなと思って増田に書く。

常識範囲から逸脱したマニアック知識を振りかざされるのなんかヤダって思うのは俺だけじゃないハズ。

追記

ブクマつくとは思わんかったし、トラバもついたけどなんつうかさ

例えばみんなジョジョの奇妙な冒険は好きでも6部以降読んでる人そんないないしノベライズとか買わんでしょ?

俺にとってはそうなの

でもファンなら全部読んでんだろみたいなのは違うだろって思うの

そういう感覚持ってる俺を、マニアックブコメする人はさかなでしてるように感じるの

もっと感覚的にみんなに伝わるように書くと

魔女の宅急便風の谷のナウシカ話題の中に原作の話ぶちこまれる感じ

そんなキャラや展開知らねえっつーの

2018-10-24

anond:20181021184452

落ち込んだりもしたけれど、私は現金です。(魔女の宅急便

2018-10-10

[]若おかみは小学生!

若おかみは小学生!』を見てきたので感想。いつものごとくネタバレ気にしてないのでネタバレ嫌な人は回避推奨です。あらすじ解説とかもやる気ないので見た人向け。またこ作品書籍漫画版アニメ版あるけれど、それらは横に置いといて映画の話します。

総評

これは120点っすな。点数の基準は「上映時間映画料金を払ったコストに対して満足であるなら100点」なので、「見れて大満足! もうちょいお布施したい」でした。

演出とは裏腹に内容的にはかなりヘビー(というのを見越して爽やかで明るい演出を用いていた)なので、児童文学原作でお子様向け痛快娯楽活劇とは言い切れないんですが、個人的にはクオリティさえ伴えば子供を思いテーマや悲しい作品でぶん殴ってもええやないか、いてもうたれ、子供ってのは子供なりに受け取るんだ派なので、クオリティでぶん殴ればいいと思いますふるぼっこドン

この映画に関してはTwitter児童労働がどうのこうのという話もちらりと耳にした程度で事前情報収集もなく見に行ったんですが、そういう物語じゃなかったですよ。

喪失を乗り越えるという話

じゃあ、どういう物語だったかといいますと、大きく2つの柱が絡み合うストーリーでした。それは大きなテーマで言えば「喪失を乗り越える」と「自分自身と居場所を見つける」という話。

初っ端から重いですが、主人公である女子小学生・関織子(通称おっこ)は、本作冒頭の交通事故において両親を失います。もうこの時点で軽い話になりようがないわけですよ。にも関わらず事故被害のシーンはグロカットされ、葬儀とそれに続くドタバタのシーンも描写はされず、おっこは新生活の場であるところの、祖母の営む温泉旅館「春の屋旅館」へと向かいますトランクひとつ持って別に落ち込むわけでもなく、ちょっと大変なだなあくらいの顔色で一人旅をして、到着し、新しい部屋(いままでのマンションとは違う昭和的な和室)を与えられ、転校して新しいクラスメイト挨拶をして、ひょんなことから家業である温泉旅館を手伝うことになります

若おかみは小学生!』って言うタイトルから当たり前ですが、こうして女子小学生おっこの若女将修行生活が始まるわけです。

「春の屋旅館」がある「花の湯温泉」は歴史のある温泉街で、古都然としたまちなみに浴衣姿の観光客が歩く割合賑やかで、カラフルな町です。この辺音楽美術演出あいまって、しみじみと明るく暖かく描かれていて雰囲気良いですね。美術レベルは高かったです。

でも、この明るく爽やかなあたりが(とうぜんそれは演出意図に沿ったものなんですが)、ある意味ホラーでもあるわけです。

小学生児童にとって、両親を失うというのは、最愛家族を失うということであるのみならず、加護者も生活基盤も導き手も失うということです。もう、それは世界崩壊かいレベルでの悲哀なわけですよ。

にも関わらずおっこはそこまでの苦しさを見せない。両親を思い出してちょっとうつむくことはあっても、笑うし、日常生活を送るし、新しい出会いにも前向きでいる。それはよく考えればとてもとても異常なことなわけです。

異常なおっこの新生活は、やはり物語後半に向けて徐々に破綻してゆきます。「両親がまだ生存していて自分と一緒に暮らしている」という幻想を何度もみてしまうおっこは、あるシーンにおいて事故の原因となった(もちろん別のですが)大型トラックを見て、事故フラッシュバックから過呼吸になってしまう。おっこは、両親の喪失という悲しみを乗り越えたわけではなくて、ただ単に今まで封印をして日常生活を演じていたに過ぎなかったわけです。

あらすじなんかにおいて本作は「主人公おっこの成長を描く」なんてサラリと書かれているわけですけれど、それは不誠実な欺瞞であって、おそらくおっこの身になってみれば、それは成長じゃなくて引きちぎられてバラバラにされてしまった自己の修復というサバイバルなわけです。失った何かから目を背けて、決定的な破綻をしないようにごまかしながら疾走するというのが、この物語の前半部分でした。

自分自身と居場所を見つけるという話

そういう意味で、おっこが若女将をやるというのは、児童労働とかそういうレイヤーの話ではないのです。両親を失って加護者も生活基盤も支えも失ってしまったおっこにとって「いまできるなにか」に必死に飛びついて自分を騙そうとしていたとも見ることができます祖母である旅館経営者(現女将)の後継者問題という、旅館側の都合があったにせよ、おっこが旅館雑務に飛び込んで笑顔で充実していく背景にはそれがあるはずです。

事実おっこの若女将雑誌に取り上げられて評判を呼ぶという広告的な価値はあったものの、従業員としてみたとき、お客さんに感情移入しすぎて夜闇の中に駆け出すなど(一般的社会人価値からすれば)行き過ぎな面もありました。

でもそれも仕方がないと思うのです。両親という生活基盤を失ったおっこは、同時に目指すべき将来の自分像も失っています。「将来こういう自分になったらいいな」です。その空隙を、目の前に提出された安易な「若女将」で埋めてしまったわけですから、その意味では、おっこの若女将労働としての若女将ではなく「若女将ごっこ」でもあって、つまりはある種の自分の居場所探しなわけです。

たとえおっこ自身がそれを言語化できるレベルで気づいてなかったとしても、まだ収入もなく住む場所自分では決められない小学性にとって、他にできることなんて事実ないじゃないですか。それはせめて居場所を獲得するという生存努力です。

おそらく祖母はそのおっこの悲痛に気がついていて、周囲が無責任に「若女将誕生!」とはしゃぐなかで、決して自分からは手伝え、継げとはいいませんでしたし、おっこの労働危惧してた素振りも見えました。経営者として「子供接客なんてさせられない!」と拒絶することもできたでしょうけれど、おっこから女将をとりあげて、じゃあ不安定彼女精神に何をしてあげられるかと言えば何もない。だから黙認しかないわけです。

だいたい「自分自身と居場所を見つけるという話」なんてもの現代社会において、大学卒業して就職して一年二年経った青年が、俺はどうやらこういう方面には我慢が効くがこういう方面は苦手だぞ、どうやらおれはこういう仕事とこういう人間関係の中でなら生きていけそうだ――みたいなのをやっとこさやるものなわけで。そんなものを、小学生が引きちぎられるような喪失を乗り越えるのと二正面作戦でやるのは無茶というものです。

そういう意味では、周囲の大人たちはもうちょいどうにかフォローしてやれなかったのかよ、とも感じるんですが、でも逆にそれこそ大人視点傲慢物言いであって、大人だろうが子供だろうがどんな人間でも自分自身の心の中の悲しみや未来とは、自分一人で向き合うしかないというのも一面の真実です。

おっこは画面上の軽やかさやおっちょこちょいさに隠されがちですが、実は誇り高い女の子です。特に自分が設定した自己目標に対しては愚直なまでに誠実です。だからこそ、宿泊客のために対立している真月に頭を下げて教えを請うこともします。その実直さが両親を失うという危地の中で彼女孤立してしまった原因だし、それが巡って彼女の味方を増やす原因でもあったのは素敵だったと思います

ふたつの話の交差点

おっこは「喪失を乗り越えること」から逃避して、目の前のロールである女将に飛びつき、そこで必死に働くことによって苦しかった過去ある意味塗りつぶそうとしたわけですが、その逃避が「自分自身と居場所を見つける」ことにつながってゆきます

幾つかの出会いがあって、目指すべき未来のヒント、ロールモデル出会います。たくさん登場人物がいるのですが特筆すべきなのは三人でしょう。

まずは旅館女将である祖母。登場シーンは少ないのですが、彼女個人人格職業倫理が融合してしまったあの佇まいは、今は亡き母経由もふくめておっこの誠実さの根っこのように思います職業倫理がついには人格化しちゃうって、昭和的な善人のあり方としてすごく共感できるんですけど、今の時代では流行らないのかもしれないと思ってちょっとロリしました。

二番目には、おっこの同級生、秋野真月(大旅館の跡取り娘、通称ピンフリ)でしょう。この娘は小学生女子なのですが、広い視野旅館業と湯の花温泉京の未来を見つめていて、顧客に対して誠実であろうという、幼いながらある種の達人系キャラです(傲慢物言いをする残念キャラでもあるのですが)。この娘と同年代として出会うことができた、ライバルとして対立したり和解したりできた、というのはおっこを取り巻く幸運の中でも格別のものでした。彼女との交友は、悲痛から逃げ出して飛びついた「若女将ごっこ」に、その内実の精神性を加えて「本当の若女将」へ進化させてくれたと思います

(余談&劇中では語られませんが、温泉郷に住まう子供の中でも誰よりも本気で町の未来について抱え込んでしまってる真月の孤独にとって、その孤独の闇に現れて、自分の高さまで登ってくれると約束してくれたおっこの存在は、想像すると涙がこぼれるものが有ります。真月からみてもおっこは救いであったと思うし、そうだと良いなあ)

三番目は宿泊客である占い師グローリー水領です。長い黒髪をたなびかせたこ宿泊客は、都心部事務所を構える凄腕の女占い師なのですが、私生活での失意から「春の屋旅館」で飲んだくれ生活をしています

抑制的な演出描写される彼女鬱屈をおっこはどうにかして励まそうと、浴衣を着たことのないという彼女着付けを手伝います浴衣経験のそんな彼女艶姿におっこが感嘆した感想が「格好いい!」でした。

ものすごくさり気ないシーンだったのですが、それはおっこが喪失していた「自立した憧れるべき大人の女性像」を見出した場面だったんじゃないでしょうか?

私生活で辛いことがあっても他者に当たらず、それどころか宿泊先の幼い従業員おっこに気を使っておどけてまで見せる。グローリー水領はおっこ視点では「素敵な大人のお姉さん」です。その素敵な年上のお姉さんに、「可愛い」でも「素敵」でも「綺麗」でもなく「格好いい!」と小さく叫んだおっこに、少し泣けました。お洒落で(←女子小学視点では重要です)、颯爽としてて、自立をしてて、視線を合わせて話してくれる。そんなお姉さんはおっこにとってどれほど輝いて見えたことでしょう。暗闇の中で我武者羅に迷走していた、それでも笑顔だけは守っていたおっこにとって、それは小さな灯火で「未来自分」「目指すべき形」です。

祖母の言う「誰も拒まない花の湯」、同級生真月のいう「客を癒やすレストスペース」、女占い師自分仕事を「他人を励ます仕事」だと評したこと。それらは全て本作テーマに重なるパラフレーズです。そしてそういう人々の輪の中に、自分も入っていける。癒やしたり癒やされたりしながら前へ進んでいくコミュニティの一員になる。「若女将」という「自分自身と居場所を見つける話」は、おっこにとっては生存努力であり逃避だったわけですが、それを誠実に、ごっこから実体にしていくのならば、結局逃げていた「両親の喪失という苦しみを越えていく」につながっていくのだ、という脚本はすごく良かったです。

別れ

ここまで触れてませんでしたけれど、おっこには霊感があるという設定で「春の屋旅館」にきてから騒々しい幽霊少年やおませな幽霊少女出会い、励まされています。両親が今でも生存していて日常は壊れていないという幻想に悩まされていた頃おっこを支えていたこ幽霊たちですが、物語終盤でおっこから見えなくなってしまうという形で別れが示唆されます

でもそれは、おっこが人間社会のなかで居場所確立した――七つまでは神のうちといういわばまだ神様たちの一員であり神楽の主役でもあったおっこたちが、社会の中で着地して、痛みも悲しみも乗り越えていく季節がやってきたのだというエピソードです(おそらく魔女の宅急便黒猫ジジが喋れなくなる、も同様の構造ですよね)。

見終わってから気づいたのですが、この作品幽霊や鬼たちは、幼いおっこが空想したイマジナリーフレンズだとしても物語が成立するように設計されています

おっこは自分の中の勇気かしこさと一緒に自分の悲しみと戦った。「春の屋旅館」はその舞台であり、若女将はおっこが戦うための姿だった。

すべてのフィクションファンタジーなので現実視点を持ち込みすぎるのは野暮というものなわけですが、今後おっこは中学入学卒業して、大学はともかく高校くらいは出るはずで、一人前になるまで十年近い時間があります。(このお話のおっこは絶対旅館業一筋だと思うのとは別に一般化するのならば)そのなかで、旅館から離れるかもしれない。現実に寄せて考えるならその可能性は高い。

でもそんなことはおっこの戦いとそこで得たものとは関係がないわけです。おっこは若女将というコスチューム身分を手に入れたわけではなく、戦いの中で手に入れた人間関係自分自身がある。将来どこでなにをしようと、おっこの手に入れたものが曇ることは二度とない。それがこの映画の中心であって、それは児童労働とかそういうのではなく、もっとパーソナルで尊いものだったと思います

ps.おう真月ちゃんパート書き足したで!

2018-09-24

くまのプーさんはイマジナリーフレンドではないのか?

公開中の映画プーと大人になった僕」についてです。

ネタバレ配慮してませんので未鑑賞の方はご注意を。












まぁタイトルのまんまなんだけど。

私はくまのプーさんとその仲間達はクリストファーロビン空想上の友達だと思ってたわけ。

プーたちとの別れはクリストファー大人になった証拠、みたいな。魔女の宅急便でキキがジジの言葉がわからなくなったのと同じで。

からクリストファープーに再会するってストーリーだけ聞いて、「仕事に追われ疲弊して精神的にヤバイ状態になったクリストファーが幼き頃のイマジナリーフレンドを思い出して、何やかんやで立ち直る」話だと思ってた。予告で社畜感出てたし。

でも違ってた。プーたちは普通に現実存在して動いて、誰にでも見えてたし喋ってた。しかクリストファーの娘とも邂逅するし最終的にはクリストファーの妻&娘も100エーカーの森に遊びに行った。

100エーカーの森もクリストファーの頭の中にだけ存在する場所だと思ってたのに!

なんだろう、これが解釈違いってやつか……

キャラクターは可愛かったしそのへんは不満はないんだけど、そもそもの部分にモヤモヤしてしまって、素直に楽しめなかったわ。

私と同じように解釈してて素直じゃないタイプの人にはオススメしにくい映画でした。

そうじゃない人には普通に面白いと思うからオススメ

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