現実化する結果というのは確率が低かろうが高かろうが関係なく事象する。
むしろ確率がどれだけ低い事象であっても現実はおかまいなしにサイコロを振り続けている。
そして結果として残し続けている。
冷静に考えて欲しいが太陽系があり地球があってこの文章を読んでいるお前が生誕してここまで生き延びてきた確率は宇宙生誕から計算すれば0に等しい程度の確率です。
ところが現実にとっては結果が全てであり確率が高い事象しか常に起こさないと思い込んでいるのは人間の脳だけです。
例えばの話、青信号で横断歩道を渡ってても信号無視のトラックにひき殺される確率は0.001%程度ある中で
お前が渡るときは死ぬわけないと思っているし平気で渡るわけだが、
実際に事故が起こり死んだ人間にとってはどれだけ低い可能性でも現実として結果が残る。
現実というのは人間の期待や計算を平気で無視して現実化してくる。
どれだけ交通整備ができて事故が起きないような世の中に変えても
横断歩道を渡ることで発生する死亡リスクは0%ではなく確かにそこに存在し続ける。
障碍者にしたくないから女児を産みたい、というのも恐ろしく現実への理解力が足りていない。
女児を産んだところで障碍者が産まれる確率は出産という行為に必ず紐づいてくる。
そのあとに出るのは障碍者ではないか、障碍者か、その結果だけしか答えない。
いくら可能性が高い方に賭けたとしても、現実は容赦なくそれを裏切る結果を出す準備ができている。
生きる以上は常に現実側が出す無慈悲な結果とどのように付き合っていくのかということだ。
大きな決断を迫られるとき、弱い人間は常に可能性が高い方へとベットしたがる。
しかし、可能性が高い方に賭けたからと言って必ずしも希望の結果になるわけではない。
もし希望した結果になったらその時は喜べばいい。
しかし現実の出した結果が希望と反対なら?可能性が低かった方なら?
そういった事態に陥ったときに人間として自分がどう行動するのか、
可能性が高い方に賭けたのに運が悪く現実が希望の結果を出さなかったとき、
彼、彼らは真に不幸である。常に落胆の底から出ることはできない。
いかに現実が非情であり、無機質であり、抗うことのできない存在だったとしても、
可能性の高い方だけが結果をもたらしてくれることだと信じ切っている。
ここ10余年の間にも発生するまでは誰も信じておらず可能性も低かった事象が平気で発生している。
長くて回りくどいから全部読んでないけど、結果から見れば「そうなる」か「そうならない」かの二択ってことですよね?