はてなキーワード: 連帯してとは
今更見てすごく楽しい。
劇場版も見た。
50話ある作品を三部作におさめるのは無理があると思うし、入れてほしかったセリフとかシーンがなかったり変わってたりで思うところもあるけど
自分も大人になったのでティターンズでブライトさんが暴行受けるシーン減ってて安心したしティーパーティーする穏やかなアーガマとか未成年のカミーユの心が守られたこととか率直に良かったな~と思った部分もある。
フォウとかロザミアのこととか薄くしてファと仲良しにすることですぐ側にいる人を思うことができるか、愛せるかみたいな隣人愛みたいなことなのかなとか思った。
(当時の監督のインタビューとか記事とか読んでないし分かんないから見当違いかもしれないけど)
すべてのガンダムシリーズを見てはいないけど、基本的にニュータイプ的な感覚で惹かれ合うのって基本男女だけど今後そうでない関係性も描かれるのかな(もしすでにあるよ~って言うなら宇宙世紀に限らず見てみたいので教えてほしい。)クィアな表現がもっと増えてほしいな~って思うところもあるので。世界的に売り出していくなら今後そういう多様性も取り入れた作品作りはされていくんだと思うけど。
今パッと思い出せるものだとニュータイプ的なアレコレではないけど鉄血のオルフェンズのシノとヤマギ(片思いだけど)とか、最終回でアトラとクーデリアが恋愛関係って感じはない気がするけどパートナーシップというか、女性同士で連帯してるようで良い関係性を築いてるんだな~と思ったり。
逆シャアでのアストナージとケーラの関係を見て男性側から食事の話を振って一緒に食べようっていうのも公開当時(約30年前)からしたら先進的だったのかな。
ファーストからだとミライさんみたいな優秀な人が家庭に入ってしまうのもったいないなあと思うものの、逆シャアのチェーンは技術者として開発にもしっかり関わっていたけどこれは独身だからがっつりやれてただけなのかもしれないな。
F91のシーブックの母とかカミーユの母も仕事楽しさに家庭を顧みずって感じだったので、キャリアを望んだり、やりたい仕事を突き詰めようと思うと子育てを二の次にしないとだめな時代がそのまま反映されたのもあったのかなあと想像する。(現実今でも完全に改善はされていないけど)だからガンダムはめっちゃ女性が活躍してるぞ!と言われても独身だからでは?既婚や子持ちには難しい仕事ではない?職場環境は良いのかな?ブライトさんも全然子どもに会えてないぞ、とか考えてしまうところがある。
余談ですがティターンズは月の有給が3日増えるって言ってたけど年間36日あるの?すごない?もらった有給は取得できてるの?って思う。
あとジェリドがライラ大尉と出会って不要なプライドを捨てて自分の弱さを認めて成長しようとするところが良かっただけにライラ大尉亡くなったのが悲しいなあと思う。だんだんジェリドもティターンズのやり方を内面化して成長が頭打ちみたいな感じではちょっと惜しいやつだと思った。
とか色々TV版も劇場版についても今期の面白いアニメみたいに語りたいのに全然話せる人がいない……
悲しい。
使わないべき派だ。
「キャラクターを歪めているのは二次創作全般に言える」だし、自虐する理由がないのに自虐しているのが問題だ。入門者にセルフネグレクトを強いるべきではない。
“腐女子”を自称するのは先行防衛のために言ってるのだと思う。ならばイジってくる人々、腐女子趣味をさげすむ連中に腹をたてるべきだ。今や界隈の規模は大きくなったし、連帯して対抗するのは可能なはず。
「既に差別的/自虐的な意味は薄まって普及している」ならばよいのだけど、もしそうなら「腐ってるんですね」とか「腐女子なんですね」とかは「ギークなんですね」ばりに自然に言われるはずだ。無害性は疑わしい。
諸事情でハサウェイ見に行けないので配信きたときのために宇宙世紀を復習してるんだけど、ガンダムにおいての女性の描き方とか気になったので
ファースト三部作見て今Z(TVアニメ版)の23話くらいまでと、逆シャアも見た時点でちょっと書いとく。
30年は前の自分も生まれる前の作品に対して女性差別だ~!とか言いたいんではなく、
当時の一般的な考え方ってこうだったのかな?みたいな、掴みにくい部分もあったり、自分が大人になってジェンダーとかフェミニズムも考えるようになってから、こういう意味でも捉えられるな~と感じた部分もあったので覚書き。
エマ・シーンさんがたしか24歳?で中尉って肩書ってそこそこすごいのかなって思うんですけど(階級よく分かってない)、wiki見たら軍人家系だそうなので本人の実力以外にもコネもあったんだろうか。
自分が地方公務員と仕事したときに今でもすごいコネッコネのコネッコネな感じでうわ~となったので…。ティターンズの閉鎖的で横暴な組織ってそういうことがありそう。
1話でブライトさんをタコ殴りにしてんの引いたわ。(エゥーゴも修正と称して暴力振るいまくるけど)
ティターンズがエマ中尉にバスク・オムの親書の中身を秘匿したまま持たせてアーガマに行かせる作戦、あれはエマ中尉をバカにしてると思うんだけど、
エマ中尉が女だからというのもあるなら、今で言う「ガラスの崖」的な登用の仕方だし、ティターンズのクソっぷりをより表現しているなあと思った。
そもそもこれ書こうと思ったのはカミーユのこのセリフの意図がうまく掴めなかったから。カミーユが「女が男の戦場に入ってきやがって!出ていけ~!」みたいな激烈な女性差別的に言っている雰囲気は個人的にはそこまで受けない。だけど差別意識が内面化しすぎて悪意はなかったんですよ~というミソジニー政治家の言い訳的な女性差別発言の可能性も0ではないけど。
エマ中尉、レコアさんだけでなくファも加わってたしかに女性パイロットが増えたタイミングなんだけど、
これは少し前まで民間人だったファも使うくらいなりふり構ってられない戦況だ、という意味なのか、性差に関係なく自分の意志で動く人が増えたな、異常だと今は感じるけどこれが普通になっていくんだろう、みたいな気持ちなのか…。どっかでインタビューで富野さんが答えてたりするんだろうか。
すべてのガンダムシリーズを見てはいないけど、基本的にニュータイプ的な感覚で惹かれ合うのって基本男女だけど今後そうでない関係性も描かれるのかな(もしすでにあるよ~って言うなら宇宙世紀に限らず見てみたいので教えてほしい。)クィアな表現がもっと増えてほしいな~って思うところもあるので。世界的に売り出していくなら今後そういう意識も取り込んだ作品作りはされるんだと思う。
今パッと思い出せるものだとニュータイプ的なアレコレではないけど鉄血のオルフェンズのシノとヤマギ(片思いだけど)とか、最終回でアトラとクーデリアが恋愛関係って感じはない気がするけどパートナーシップというか、女性同士で連帯してるようで良い関係性を築いてるんだな~と思ったり。
逆シャアでのアストナージとケーラの関係を見て男性側から食事の話を振って一緒に食べようっていうのも公開当時からしたら先進的だったのかな。
ファーストからだとミライさんみたいな優秀な人が家庭に入ってしまうのもったいないなあと思うものの、チェーンは技術者として開発にもしっかり関わっていたけどこれは独身だからがっつりやれてたのかもね。
F91のシーブックの母とかカミーユの母も仕事楽しさに家庭を顧みずって感じだったので、キャリアを望んだりやりたい仕事を突き詰めようと思うと子育てを二の次にしないとだめな時代でもあったんだろうなあと想像する。(現実今でも完全に改善はされていないけど)だからガンダムはめっちゃ女性が活躍してるぞ!と言われても独身だからでは?既婚や子持ちには難しい仕事ではない?職場環境は良いのかな?とか考えてしまうところがある。
余談ですがティターンズは月の有給が3日増えるって言ってたけど年間36日あるの?すごない?取得できてるの?って思う。
ジェリドがライラ大尉と出会って不要なプライドを捨てて自分の弱さを認めて成長しようとするところが良かっただけにライラ大尉亡くなったのが悲しいなあと思う。ライラ大尉とジェリドの関係性も良かったな。
弱者男性が自分の窮状を「女の高望みが男の条件を爆上げし非モテが救われない」「フェミニストは自分の性別の差別にしか声を上げず弱者男性を救わない」とか女のせいにしまくってんのは見て見ぬ振りで、
結局何が望みなんだと問われて「女をあてがえなんて言ってない、ただ俺達の存在を認めてくれればいい」と言い出すと全力でオ〜ヨチヨチとあやし出す。
直前まで女に救いを要求していたのに、「救ってくれなんて言ってない」とかいう歴史修正を簡単に受け入れて、
「じゃあ女叩きやめろ」という意見には「フェミニストは偽善者!行政が救えない本当の弱者には冷淡!何故ならフェミニストは差別主義者だからだ!」と大人数で非難。
で、旗色が悪くなってきたら、「男性は自殺率が高い」だの「性役割を担わされることへの圧力が強い」だの、「これが弱者男性の現実だ!」と突然非モテ論を封印し、弱者に限らず男性全体が晒されている問題だけをピックアップした記事を持ち上げ始める。
それこそフェミニストやらジェンダー学者やらが男性学として散々論じてきたことなのに、それは無視して
「フェミニストは弱者男性にキモいと言った!」とどこかの誰かの発言を根拠に大合唱。
いやいや、弱者が困ってんなら優しくするのは問題ない。むしろ褒められるべきことだよ。
問題はお前ら、ホッテントリに上がってるまとめ系ブログ記事の女をマンコ呼ばわりしたりバカ呼ばわりするような発言は無視するよな。
それどころか、女は感情的だから云々とか賢ぶって差別丸出しのブコメつける奴もいるよな。
そういう連中には何も言わない、それどころか嬉々として加担することさえあるのに、自分はリベラルやフェミニストに何を要求してんの?
「弱者男性も救うのが真のリベラルだ!ネットのフェミニストは偽物だ!」ってドヤ顔で言うのはいいけど、じゃあお前は真のリベラル・真のフェミニストとして、はてな村で野放しになってるあからさまな性差別に対して何をやって来たの?
というかそれ以前に、お前は真のリベラルなの?それともリベラルを腐したいだけなの?後者なんだったらお前は一体何者なんだよ?
女の顔色をチラチラ窺ってる暇があったら男同士で連帯して助け合うための方策を考えろよ。
そこで「男はジェンダーロールのせいで他人を頼りづらいから無理」とかのたまうならもう二度と「弱者男性はジェンダーロールから降りた存在」とか言うなよ。
「新型コロナウイルス感染症緊急経済対策」(令和2年4月20日閣議決定)において、「新型インフルエンザ等対策特別措置法の緊急事態宣言の下、生活の維持に必要な場合を除き、外出を自粛し、人と人との接触を最大限削減する必要がある。医療現場をはじめとして全国各地のあらゆる現場で取り組んでおられる方々への敬意と感謝の気持ちを持ち、人々が連帯して一致団結し、見えざる敵との闘いという国難を克服しなければならない」と示され、このため、感染拡大防止に留意しつつ、簡素な仕組みで迅速かつ的確に家計への支援を行う。
フェミニズムにそうやってラベリングして憂さを晴らしても、弱者男性当事者のおかれてる立場や抱えてる課題は何も良くならないでしょ。
個人のもつ色々な属性の複合的効果によって社会的な強さ/弱さの立場(スタンドポイント)が決まるというインターセクショナリティ論は、フェミニズムの内側から出てきたものだよ。そもそもフェミの内部にも人種問題とか経済階級問題とかがあって、フェミニズム自身もそれと向き合う理論的必要性があった。さまざまな権力関係のなかで相対的に他の男性や女性より弱い立場にいる男性は当然いるし、そのことを否定するフェミニストはほぼいない。いるとしたら、それは背景となる理論的裏付けを持たずに男性への憎悪を募らせたミサンドリストで、そういう人はフェミではないし、フェミの代表として語ってほしくもない。
多くのフェミニストは「弱者男性なんかいない」なんて思っていない。でも「男性は(学歴や所得やコミュニケーション能力や身体的属性や容姿ではなく)『男性であること』自体によって、女性よりも相対的に弱者だ」ということに同意するフェミニストもほとんどいないだろう。
構造的にみれば、我々が暮らしている社会はまだまだ男性優位だけど、とはいえ男女雇用均等法とか他のさまざまな社会的前進によって、過去に比べれば、平均的男性像を超える所得や実績を得るような女性も出てきやすくなった。
そのいっぽうで、1980年代後半からの格差社会化の進行によって「一億総中流階層」という幻想は崩れ去り、男性内部の格差は広がっている。正規/非正規という雇用形態の違いは以前はきれいに性別ごとに割り当てられていたけど、今は男性の非正規雇用層、男性の低所得者層が以前よりずっと拡大している。
そういう男性のなかで社会に対する被収奪感、「誰かに何かを奪われているから幸せになれない」という感情が生まれるのは当たり前のことだと思うけど、それを女性に向けるのは間違っている。それは女性非正規就労者の減小数と男性非正規就労者の増加数を比べてみればわかる。「何か」を奪ったのは女性ではなくて資本主義だ。正規雇用の人件費・法定福利費・社会保険料など労働コストの重さに耐えられない企業が非正規雇用化を進めていったからだ。
そういう弱者男性がいること自体は認識していても、それを救うことまでが自分のやるべき役目だと思ってるフェミニストは少数だ。フェミニストは何よりも男性-女性という軸における不均衡・不公正を是正することを意識してる。所得という観点で弱者の立場にある男性が、同様に経済的弱者である女性と連帯して社会福祉制度の拡充や最低賃金のアップを求めるなら、それを歓迎するフェミニスト達はいるだろうけど、それは女性の境遇を改善することに繋がる限りにおいてだ。フェミニストは弱者男性のママではない。みんな自分のことで忙しいのだ。
弱者男性論者は自分たちよりも相対的に強い立場にある「強者男性」との対立関係をちゃんと見据えるべきだ。自分が貧しいから弱者だと思ってる人の敵は労働者から収奪してる高額所得者(ほとんどは男性)だろうし、自分がモテないから弱者だと思ってる人の敵は、自分に振り向かない女性じゃなくてモテてる男性だろう(女性に認められたいならまず自分が女性を認めるべきで、女性を叩いたらどんどんモテから遠ざかるに決まってる)。強者男性と直接戦えないやつが、その恨みを女性にぶつけるのは虚しい。ママに泣きごとを言う前に、弱者男性は「強いパパ」を直視すべきだ。
無党派と言うのは政治不信なので、自民党も信じてないし野党も信じていない。理由は恐らく民主党政権の印象がすこぶる悪いのと今の自民党のコロナ対策がなかなか上手くいってないと思われているところだろう。
話からズレるが念の為書いておく。このように書くと間違いなく民主党政権の良いところや自民党のコロナ対策の良いところを挙げる奴が出るが、政治というのは実際がどうであれ今国民がどのように感じるかが全てなので極端な話実際の結果なんぞ関係ない。
話を戻すと、自民党のコロナ対策がダメでもそもそも無党派は政治不信なので政治に携わっている野党もまた信用に値しないと考える。だからそれぞれが自分の裁量で考えて自粛したり出かけたりするようになる。無政府状態の地域では自分の身は自分で守らなければならないがこれに近い事が日本では起きている。そしてこの無党派は政治を信じないのでどんな政党がどんな政策を打ち出してもほとんど関心もないし、信用もしない。当然彼らを票田にすることはできない。
彼らは自分と自分の周りにいる人を守り、連帯していくことを考えている。彼らを唯一取り込みうる勢力があるなら外部から政治を破壊する団体だ。具体的には革命家やテロリストと呼ばれる人々だ。今はまだ現実的ではないが、自民党や立憲民主党が無党派を票田として囲い込むよりはまだいくばかの実現性がある。
男女雇用機会均等法(1986)で「女性の社会進出」というフェミニズムの具体的課題が一定の達成を遂げた後、主流派フェミニズムの売れっ子研究者達は社会における女性表象の批評や男性性批判など、より抽象的な男女差別の話に目を向けるようになっていった。それはそれで大事なことだと思うけど、女性の貧困というリアルなテーマについては結果的に徐々に主流派フェミニズムから言及されなくなった。1990年代には『ふざけるな専業主婦』の石原里紗(彼女はフェミニストではない)が火を付けた「専業主婦論争」というのもあったけど、このときも専業主婦についてのフェミニズム側の評価ははっきりしないまま下火になってしまった。私見では、当時の主流派フェミニズムでは専業主婦というのは「間に合わなかった人」の扱いだったような気がする。女性みんなが(男性並みの待遇・給与で)働く女性になれば、女性の生活をめぐる諸課題は解消に向かうけど、いま専業主婦をやっている人達はそれは難しいかもしれませんね、でもシャドウワークにも価値があるんだからちゃんと評価しましょうね、みたいな。認めてるけど結果的にバカにしてる、みたいな。
「女性の貧困」というテーマについて地道に調査・研究していた女性/男性研究者達はその後もずっといたけど(後述)、そういった人達が上野千鶴子や小倉千加子のようなスター研究者になることはなかった。当事者の声では、自分の知る範囲だと、専業主婦たちによるオルタナティブなフェミニズムの読み解きをしていた「シャドウワーカー研究会」が、そうした主流派フェミニズムに対して同人誌(模索舎とかで売ってた)で非常に辛辣な指摘をしてた。最近だと『ぼそぼそ声のフェミニズム』栗田隆子もこの系譜に連なるものだと思う。
あと、もうひとつ女性の貧困と密に関わるテーマとしてセックスワーカーの問題があるけど、これも主流派フェミニズムでは微温的な取り扱いのままだった。SWASHの要友紀子さん(『売る売らないはワタシが決める』)ほかワーカーの当事者運動が出てきて、ようやくフェミニズムの界隈でもそれなりの認知を得た形だけど、未だに主流派フェミニズムにとってさほど重視されているテーマとはいえない。特に地方の女性支援センターみたいなとこに巣くってる公務員フェミニストは毛嫌いすることも多い。
いまは働く女性、専業主婦、セックスワーカー、みんなを支えるような「お金と労働の話をするフェミニズム」が求められてるんじゃないか。これは新しいフェミニズムというより、伝統的なフェミニズムへの回帰だ。かつて山川菊栄というものすごい女性解放運動家がいた。明治生まれで、山川均の妻で、戦後は労働省の婦人少年局長をやった。母性保護論争で与謝野晶子と平塚らいてうの論争に乱入して歯に衣着せぬ論理的批判で両方ともノックアウトし、ついでにモブ役だった伊藤野枝までボコボコにした驚異のつよつよフェミニストだ。後期江戸文化についても造詣が深く文化史家としても評価されているがそれはまた別の話。このひとはもともと社会主義者だから女性の労働問題というのを生涯のテーマにしてきた。戦前に家事と育児の社会化を主張し、60年代に日本の高齢化社会について警鐘を鳴らし、70年代に北欧の福祉政策を紹介した。未来学者としても卓越していたんじゃないかと思う。
その彼女の名前を冠した山川菊栄賞という賞があった。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%B7%9D%E8%8F%8A%E6%A0%84%E8%B3%9E 受賞者の研究テーマをみれば、決して社会的には目立たなくても、さまざまなかたちで「社会的に弱くある立場の女性たち」に注目して課題を掬い上げる実直なフェミニズム/女性学の伝統がみてとれる。声の大きいスター研究者にも山川菊栄の精神に立ち戻って、具体的に実践的に女性の生活を良くするような取り組みに力を貸してあげてほしい。
あと「弱者女性と弱者男性のどっちがしんどい」みたいな議論は、ぶっちゃけ言えば低付加価値寄りの労働者階級が男女でいがみ合ってるだけで、どっちが勝っても勝った側がすごく得するような対立じゃないと思う。抜本的に良くするには、横(異性)から取るより、上(上の社会階級)から収奪されてるものを一緒に取り返したほうがいい。幸いこれからしばらくは働き手は不足し続ける。労働運動の軸では弱者女性と弱者男性は協力できる部分もある。ミソジニー持ちのクソ男やそれを再生産する社会構造のことは批判しつつ、それでも「もらってない人間」同士で連帯していったほうがいいんじゃないかと思う。
コロナ禍で街頭募金活動ができなくて、援助を必要とする対象も増えて困窮しているというニュース(https://www.ashinaga.org/media/news-media/5174/)を聞いて、ほんとうに少額だけど寄付をしたら、丁寧なお礼状が届いた。同封の資料を読んで、つくづく立派な活動だとお思いながら(そしてなぜ国がこれをやらないんだ、せめて控除対象にしないんだと憤りながら)、でもお礼状が達筆すぎて読めない。紙モノは捨ててしまうことにしているから、書き起こして残しておこうと思う。だれか同じものが届いて読めた人は是非教えて…。(■が不明箇所です)正直、整った文章ではないけれど、高齢の父親の手紙のようでホロリときてしまいました。会長85歳だって、スゴイ。校正せずに送った広報さんも素晴らしいな~。鳩居堂の桃色の便せんに両面でびっしり書かれていたよ。
コロナ不況の中で街頭募金を春秋2回8日間完全中止したにもかかわらず、募金額は最高額を記録しそうです。あしなが募金の中心は学生たちがやる街頭募金です。昨年暮れに■■(念願?)の「百回募金」をやる予定でしたが、コロナ禍で中止。全国の200箇所の募金■所に1人の学生も立てませんでした。その悔しさと遺児の奨学金の必要性をマスコミに訴えました。50年間唯一人からやり始め仲間を■の1回に全国で2万人以上で連帯して遺児の進学させる集団にまで仲間と共に闘ってきて、私はついに記者団に叫んでしまいました。「遺児たちの進学は私が守る。どうか私たちと遺児を守って欲しい、と。キザといえばキザ。ドンキ(ホーテ)といえばドンキ!とこがその雰囲気が新聞テレビにそのまま伝わり、大反響となり、SNSが情報を拡大増幅されました。あしながの子を今助けないととばかり、4月には奨学生6,500人に1人15万円の奨学支援金を贈りました(返還不用)。第2回目として12月には20万円を年越■■支援金として奨学生全員7,600人(春より1,000人増)に1人20万円を送金した。これが15億2000万円。2回の給付金は小計25億円でした。
私が50年間私1人から仲間を増やして該当募金から諸々の寄付集めをし、推定1,100億円を集め約11万人の遺児の高校・大学等への進学を進めてきました。もちろん私たちは親を亡くした■■■に上の学校へ進学できなくなるという「不幸」「不運」を取り除き、両親が健在なら大学へ行けるという”現実”を私たちあしながが用意するということにすぎません。それをご支援くださったのがみなさま「あしながさん」です。御礼が後になってしまいましたが、”人の世は情けの貸し借り”です。誰が偉くて誰が悪いということではありません。誰ができることをやりみんながそれぞれの人生を送れるのがいいんじゃないでしょうか。ご恩を■■■いるあなたさまへの御礼が遅くなってご免なさい。感謝です。
最後に朗報です。こんどの運動の主役はSNSを巧みにあやつる10代後半から30代の私とは50才も若い仲間です。ここに一番の喜びと、運動の未来を感じます。頼んだよ!!未来はいつも若者の手にあります。多くの若者の新たに参加されんことを願って‼
ご支援者とくに新たに参加された人々へ