小学生や中学生レベルの参考書はさすがに読もうと思わない。さすがに発見がないだろうことがわかるから。
高校受験の赤本?とかならさすがに全部初見で問題解けるわけじゃないだろうし解説見ることによる発見もあるかもしれないが、所詮応用の利かないパズルの解き方知識としか思えず、また現代との学問とのつながりを感じられる内容でもなかろうから、知的興味をそそられない
これが高校の参考書になると物理・化学でも数学でも、一つ問題集を(皮相を)完璧に理解したところで、別の問題集が解ける保証など少なくとも私の一を聞いて1.5を知るのが限界な頭にはどこにもない。
だから問題集を解くたびに新たな発見があると思ってる。というか現に新たな発見を繰り返してるのと、一体どれほど問題集の解き続ければ「何見てもわかりきった問題しかないな~」と小学生向けのドリル解いているときのような境地になれるのか予測するのが不可能だから、なかなか高校レベルの参考書から興味が離れられない。国語も英語も当然そうだ。
化学とかは同じ著者が書いてる新理系の化学と、化学の原点シリーズって何が違うんだ?どっちかがどっちかの内容を完全に内包してるんじゃないのか?とも思えるのだが、何か少しでも新たな発見があるのではないかという感じも捨てきれず、興味を捨てられない(なんか塾の策略にはまってる気がするなあ)係数比較法に関する小技みたいなのがその参考書独自のだったりするとわくわくしてしょうがない。
もちろんこんなの大学レベルから見れば何も難しくないことなのかもしれないが、そもそも私レベルには大学以降で扱うことなど理解の範疇を超えてしまうので「ありがたいお経の暗記」のような状態になってしまい、知的活動というより単純労働の趣が強くなってしまう。
私がしたいのはあくまで知的活動の方で、それには高校レベルが「すごく難しいが頑張れば頑張るほどちゃんと理解が深まる」ぎりぎりのラインなので、そのレベルにこだわってしまう。
知的活動できるくらいにはヒマなのね🙄
知的活動できないぐらい仕事増やした方がいいかなあ…
羨ましかったから口撃してしまいました 申し訳ございません
原点からの化学も新理系の化学あたりになると、大学一年の教科書と被る内容も出てくるし、丁寧な大学の教科書に着手してもいい気がする。大学の本も難易度は様々なので。ちなみに...
もちろん最先端の道具で問題を解こうとするのも立派な選択だと思う(その道具を形作る理論が私には理解できなそうだが) 高校レベル以下の「使える概念に制約があるなかで限られた道...
出題者のパズルの中で踊らされてるのがむなしくならないか。
少なくともあのレベルで何が出ても絶対に解けるようになるまではむなしいとかいう資格は自分にはないと思ってしまう
> 少なくともあのレベルで何が出ても絶対に解けるようになる 東大ですら6割で受かるのに、全問正解は歴史に残るよ
全問正解するような人はそもそもすでに研究者になってるような生粋の学究の徒などであって、そんな人が今更大学受験する意味がないからしないだけでは
受験と研究は全く違うんだよ・・・
それネットとかでよく聞くけど流行り言葉・受け売りの類じゃないの 研究能力と受験の才能は相関あるでしょ
研究と受験はモチベーションが違うから。
じゃあ最初から「モチベーションが違う」ってはっきり言えよ それに扱う問題の難しさというような内的な問題じゃなくてただのやる気の違いを受験と研究の違いとするのは論点がずれ...
こんな感じの、受験問題の内容が研究対象とは全くならないみたいな考え方をする人が一定数いるけど、なんか固定観念ありきで自ら視野というか可能性を狭めてる感がある。
ということは歴史に残るようなレベルになりたいということなのだから、別にむなしいことだとは言い切れないのでは
🦁オマエそれゲーマーにおなじこといえるの?
スポーツも、数学すらも、ある種この文脈で言うゲームみたいなもんだよな。 定められたルール(公理)のなかで、どれだけのプレイ(定理の発見)ができるかに、興奮があるだろう。踊らさ...
言える
生きてること自体むなしいと思ってそう。逆に生きることはむなしくないというならその違いはなんだと考えているのか知りたい 人の一生はうたかたの夢ともいうだろう
難関中学の受験算数とか 特別にそのための問題集を解くみたいなことを一切しないで むしろ趣味の感覚で普通に中学とか高校の勉強自主的にしてるような人で初見でなんでも解けるみた...