はてなキーワード: 資質とは
鳥山明が新キャラを出すときは2人1組で出すとのこと、ちょっと前に話題になった
キャラも立って状況説明も出来て便利だということらしい
声に出すことで考えをまとめたり、思考に集中できるからだ パフォーマンスも上がる
その後、そこまで集中力を必要としない業務に移ったこともあり、独り言せずとも良くなったが
隣で耳に入る音量で独り言をされると、返事や合いの手を入れないとという義務感に駆られる
これがけっこううざったい
で、声を掛ける 当然自分の仕事の思考は止まる 始終独り言されるとそちらに気を取られ自分の仕事が進まない
しかし独り言を言う側は、必ずしも話しかけてほしくて独り言を言っているわけではない
1人1人に完全な防音個室の作業環境が与えられればいいけど、まあ現実的にはそうそうなく
安くて効果的な独り言対策は2人1組で仕事をさせることだと、鳥山明の話から思った
仕事は必ず2人組チームに割り振る
そうすれば独り言は不自然な状況説明ではなく、台詞になる、会話になる
まあ2人組を組む当人同士の資質やレベルの問題でなかなかうまくいかない気もするけど
一つの解決策だと考えている
君の施策は、基本的に間違っている。そもそも施策だけではないが。
彼女はタスクの管理が出来ていない状況なので分配できるわけがない。
やり方を指示したところで、その裏付けが理解されなきゃ全く意味が無い。
さらに信頼関係が無い前提で、そう言えば、理解されないのは当たり前である。
水の入ったコップに怪しい薬を入れて、大丈夫飲んで。と言われて飲むのは、ただのバカぐらいである。
では、問題を整理しよう。
成果もまちまちである。これが続ければいつか会社への損害になりかねない。
そして、この問題に対して出来ることは、いくつかある。
彼女の効率が悪い。というのは根本的な問題で無いことが、元増田の間違いである。
確かに、部下が成長することは良いが、増田のやり方を見ると、教育以前に管理が出来てない。
教育は管理より難しいことぐらい、ちまたのマネージャ本にはいくらでもかいてあるので
仕事の効率化など、別にタスクにあふれてる状況でやる必要が無い。
20%ルール等があるのは、効率化のために余裕を制度化したものである。
なので、優先すべきことは、タスク管理によるフローの正常化であり
その結果として余裕が出来たうえで、仕事の効率化にいて考えるべきである。
たぶん、こう言っても元増田は言うだろ、「彼女は、抱えてるタスクを教えてくれない。」
そして、否定しておこう。それは、お前の管理能力が低いだけであると。
究極の話で言えば、個人で閉じているタスク以外は、外部とのつながりや結果のコミットが必要であり
それこそ、抱えてる本人の存在がなくても、ほぼ確実にタスクを洗い出すことは可能である。
そんなことしてなくても、ちゃんと粘り続けてヒアリングすりゃほぼ確実に洗い出せるけど。
確かに、これは過剰に感じるが、そうではない。会社へのリスクを排除するためならやるべきだし
やらないで、何かをしたきになりたいのなら、それは丸投げと同義である。
管理というえのは、わざとらしく言えばタスクの管理方針を管理することだ。
進捗確認は、終わった量だ。
あとどのぐらいとか。いつ終わるのとか。
>それで成果を残すならいいんだけど、彼女は仕事の質が悪くて何度も修正して再提出、みたいな状況が多い。
ここについては、確かに問題である。とくに能力の問題に紐付くことが多いため改善策が無いケースがある。
それでも、チーム下ならタスク管理が出来れば、割り当てで賄えるけど。
正直、元増田の管理能力不足によって起きた丸投げ案件にしか見えないのだが
人間の赤ん坊がその人にとって可愛いというのは理解できるわけだろう?
んでさ、「うわ、こんな犬猫に比べるとブサイクなイキモノの写真を、マジで可愛いと思って送ってきてんの!?」という驚きなわけだろ?
それはね、セルフィーって言うよりも、飯食いに行った時に「うわコレ美味い!ちょっとコレ食べてみて!」というのと同じなのよ。
あのね、人間はあまりにも美味しかったり感動したりすると、それを教えてあげたくなるの。好きな人に。
自分の感じた美味しさや感動を、その人にも味わってほしいと思うから。
だからね、あなたの周りからビミョーなサルっぽい写真ばっかりが送られてくるのであれば、それはあなたが愛されている証拠だよ。
嫌いな奴にはね、そういう風には送らない。
この感動を分かち合いたい、むしろ「こんなに愛らしいのであれば、あの人にもこの感覚を!」という善意なのだよ。
さらにね、「あ、コレもしかしたら伝わらないかも」という相手には送らない。FBひっそり載せるくらい。
メールにしてワザワザ送りつけるということは、「あの人にはこの愛らしさが伝わるはずだ」という、私に似ているだろうという推測のもとなのよ。
いずれにしてもだよ、親がその感動を分かち合いたいと思う立ち位置に居るあなたは、好かれているし、愛されている。
前民主党政権は失敗だったという結果は共有されているとして、その原因って本当に各総理大臣の資質の問題なの?
鳩山はいいとして、管、野田がそこまで能力が低いとも思えないんだけど。
で、能力が高いか低いかも一旦棚上げして、一般的にその「政権運営能力」が充分な野党でないと政権交代しても上手くいかないというなら、そもそも政策より先に政権運営能力を選挙でアピールしないとおかしくないか?
本来は官僚がその辺をサポートしなきゃいけないんだろうけど、まあその辺うまく行かなかったということだよね。じゃあ、これをうまくやれるための土台作りは常に進めていかないといけないんじゃないか?
その辺がはっきりしないと、選挙で票を入れる意味がぼやけてしまうと思う。
野党に票を入れて野党が勝った場合は、ちゃんと政権交代が起きてちゃんと政府が運営されますって保証が無いと、そもそも投票する意味が無い。それってもう民主主義じゃないのでは?
まあしばらく選挙無いけど。
苦しさを一杯味わったひとほど、人の痛みもわかるようになるし、
人にも優しくなれる。
また、我満を強いられる人生であれば、忍耐力もつくよ。
けれど、同じほど苦しい人生でも、
悪に染まるか、善に磨かれるかは、
資質があるのだろうか…
自分が人間に興味が持てない原因。それは1つは親の養育。もう一つは生まれつきの資質。まあ、どっちも親由来だな。
親の育て方が悪いって思ってたし、それは確かに正しい原因と判断している。しかし、自分は、そういうダメな親の生体コピーにすぎない。それを納得するのに大分かかった。
親とは1年に5分も会話していない。存在を意識すると気持ちが黒く染まる。数年、ほとんど会わなかったら本気で顔を忘れたことがあった。急に同じテーブルにきたオバハンが居て、なんだこいつ??怖い、、、、 と思ってたが、声を聞いたら親だった。冷汗がでた。ちょっと脳がまずい??と思った。
親を憎んでも親の影響からは逃れられない。でも完全に忘れれば、影響が消える。 そういう理屈はわかるし正しいと思う。だが忘れてみると冷汗がでた。生体システムなんだろうか?
あ、人間に興味を持てない原因だった。親との関係が1つ。そういや恋愛(?違うかもしれない。寂しさの埋めあい?)的になる女性は、みんな親とダメな関係だった。ダメなとこで惹かれあうんだな。。
もう一つは能力だな。
自分は100人の中でならトップをとれる確率5割以上。リーダーをはれてしまう。上位1%だな、すごい。100万人の都市では、上から1万番目くらい?? あれ??
このスケール感の違いを成長中にうまく実感できないと、変な万能感とかリーダー意識を持ってしまう。受験戦争とか、広い社会を見るとか大事だな、ほんと。
人への興味もここらへんかもな。100人のなかだと、全員の意思を無視してすら、結果をだせる能力がある。だから、他者をシンシャクせずにモノだけを見てしまう。モノだけに集中するからテストは上々だ。早く気付くべきだな、これには。
ダンまちのこと?
まず前提として
・武器は元々貧弱、神様によるステイタス更新で持ち主とともに強くなる武器
・ステイタス更新してる暇があるなら逃げるのが(逃げられるうちは)まともな判断だった
ということを理解してほしい
追い詰められてしまい、モンスターに勝てるとも思えなかった主人公は神様を助けるために死ぬ覚悟を決めた
しかし、追い詰められた状況だからこそ、神様も主人公を死の危険へ飛び込ませる覚悟を決めた
以前、主人公は憂さ晴らしにダンジョンへ突入して死にかけたことがある
だから「危ないことはするな」と神様は諌めたのだが、それだけでは冒険者の資質として不十分だった
冒険者は、時として死の危険に立ち向かわなければならないからだ
「自ら死を選ぶなんて卑屈だ、強い敵でも戦って勝とう」という言葉はあの状況だからこそ、正しい意味で主人公に伝えることが出来たわけだ
この部分は実ははかなり練りこまれたシーンだよ
1巻のほとんどすべてがこのシーンのためにあると言ってもいい
大学時代の話。
ある日学寮で数人の寮生と共に留学生と雑談をしていたとき、彼の出身地が話題に上った。
恥ずかしながら浅学なもので、アルジェリアという国がどういう国なのか、想像が及ばない。
モロッコあたりならこう、『カサブランカ』のイメージで、いやそれだってフィクションの中の一都市でしかなくて失礼な話だが、まあ、なんとなく。
誰ぞ気の利いた話題をひねりだせないもんかと他の学生に目を向ける。
え? どこやっけそれ。
しかもひとりではない。仮にも旧帝国大学の学生のくせして、アルジェリアの位置を把握していない人間がぼろぼろいやがるのだ。
まあ、慣れているのだろう。アルジェリア人の彼は自国の位置を説明してくれる。だがまだ終わらない。
あろうことか目の前に居るアルジェリア人の彼が黒人でないことに驚くのである。
なに言ってんだこいつ。
アフリカ北岸は古くはローマ帝国の版図でその後はずっとイスラムの支配圏だったろうに。
選択科目の関係で習ってないにしても、ではまさかハンニバルが黒人だとでも言うのか。
だが俺が呆れかえるより早く、周囲の人間が膝を打つ。あ、ほんとだなんでなんで。
ヨーロッパとは内海である地中海を隔てているに過ぎず、シリアと地続きで、黒人の版図との間にはサハラ砂漠が立ちはだかるあのアフリカ北岸なのだ。
自分の周囲にホワイトアフリカとブラックアフリカの区別のつく人間がひとりもいないという事実に愕然としつつ考える。
旧帝の一角たる国立大ですらこのザマだ。私学など恐るべき状況に違いない。
三教科入試など序の口、幼稚舎エレベーターやら帰国子女枠やら意識高い高いAO枠やらの跋扈する人外魔境である。
ここに至ってようやく俺は気付く。
高学歴の人間に教養を期待するのはてんで的外れである、ということに。
しょせんデータベースとして蓄えられる知識なんぞより、それら知識の有機的結合から導き出される中学生でも納得できるような当然の推論の組み合わせ(つまるところ要するにまあ教養)のほうがはるかに広範囲に及ぶ。
あれはお受験というふるいに対して、どれだけ最適化されているか、抜け道近道を知っているかでしかないのだ。
結局、学歴とは能力の指標というよりも既得権益の可視化という性格のほうが強いのだ。
名前を書けば最寄の高校に入学できるクソド田舎の公立中学から始まって、ずいぶん長い間くだらない幻想に囚われていた。
こんな程度のことに気がつくのに馬鹿みたいに時間をかけてしまった。
おかげで論理的思考だとかリベラルアーツに努力値極振りしていた俺は当然の結果として就活に失敗するのである。
なおこの後クッソド田舎な地元の飲食店でバイトして、自分の先入観からずれた発言はどんなに滾々と事例をあげて諭そうと一顧だにしない低学歴の人間にふたたびカルチャーショックを受けるのはまた別の話。
なんつーか動き速えなw 風林火山か。
会社勤め向いてない、っていったかもしれない増田です。久しぶり。好調なようだね。
ややこしい言い方をしたと思うのだが、「お前さんが会社勤めに向いてないテゴリに入るかはわからない」って言ったんだぜ。
特に気にしないってなら全然いいと思う。うまくいくように祈ってるぞ。
>お金かかる
それな。証明写真は
http://www.ex-it-blog.com/shoumei-shashin
が安くつくぜ。
空白期間は、病気になったのが誰かのせいだったなら、わかりやすい言い訳がつくな。
「職場でキチガイに絡まれて、精神病みました」って言えば、雇う側としては「うちにはそういうのはいないから、大丈夫かも」と思える。(と思う。)
それらと適切な距離で付き合い、良好なアプリ/サービス/サービスの向こうにいる他のユーザ、etcにうまく巡り合わせる、といった事が出来る確率がめちゃくちゃ低い気がする。あくまで自分の今の性格で考えて、だけれど。
親がリアルな世界で様々な事を体験する機会を用意してくれたり、ネットを厳格に管理されたり、自己管理能力が高い素質に恵まれていれば大丈夫なのかもしれない。
あるいは子育て世代の方、自分の子をちゃんと育てられるだろうかと不安など無かったりする?
親の資質や家庭環境がすんごく重要な時代な気がするのだけれど、共働き前提の家庭が多いし、生活に余裕のある一部の層を除くと非常に難しそうね。錯覚かしらん。
実際、人に仕事を振るのは難しい。仕事を振る相手は自分ではなく他人なので、きちんと説明しないと伝わらないし、相手のスキル等も考慮する必要がある。
これってさ。もともとの話はマンガ家のアシスタントに、マンガ家と同等のスキルを求める云々の話だよね。
だったら、後半の「相手のスキル等も考慮する必要がある」部分はともかくとして「きちんと説明しないと伝わらない」っておかしくね?
そこにマンガ家の絵があるんだからさ、同じように描くってことが、そんなに説明しないとわからないものなの?
それって、実際に自分で描いて同じように描けたかどうかもわからないって話なの?だとしたら、それはマンガ家のアシスタントとしての資質が決定的に欠けてない?
この部分だけはどうしても納得がいかないんだよな。
(承前)
http://anond.hatelabo.jp/20150214223556
――スティーヴ・レイシーは独立独歩のソプラノ・サックス奏者です。サックスといえばアルトかテナーだった50年代からソプラノを吹いていました。
Evidence (1961) http://youtu.be/X9SBzQw2IJY?t=5m42s
( ・3・) 面白いテーマの曲だな。真面目な顔で冗談を言っているような。
――セロニアス・モンクが書いた曲です。レイシーはモンクの曲をたくさん演奏しています。一方、ハリウッドやブロードウェイの曲はとりあげない。レパートリーに関しては人文系の古本屋の主人みたいなところがあります。
( ・3・) みすず書房とか白水社とか、そういう本ばかり並んでいるわけだ。
――白水社といえば、レイシーはサミュエル・ベケットと面識があって、ベケットのテクストに基づいた作品も発表しています。
( ・3・) 「真夜中だ。雨が窓に打ちつけている」
――「真夜中ではなかった。雨は降っていなかった」――と、ベケットごっこはともかく、演奏はどうでしょう?
( ・3・) まっすぐな音だな。あまりヴィブラートをかけない。アタックの瞬間から音程の中心を目指している。必ずしも正確な音程というわけではないけれど。ソロのとり方としては、テーマとの関連性を保って、構成を考えながら吹いているように聴こえる。言うべきことだけを言って余計なことはしゃべらない。
――そういう点では、プレイヤーの資質としてはマイルス・デイヴィスに近いのかもしれません。マイルスとも少しだけ共演したことがあるのですが、もし正式にバンドに加わっていたら歴史が変わったかも。 [6]
Reincarnation of a Lovebird (1987) http://youtu.be/FbaKNB4cIlc
――こちらは後年の録音。ギル・エヴァンスという編曲の仕事で有名な人がエレピを弾いています。この人も指だけ達者に動くのとは対極にいるタイプで、柔らかい音色で中和されていますが、ずいぶん込み入った和声です。
( ・3・) そこらじゅうで半音がぶつかってるな。
――でも美しい。
――昔、レコードを扱う仕事をしていたので確信をもって言えるのですが、日本でいちばん人気のあるジャズ・ミュージシャンはビル・エヴァンスです。マイルス・デイヴィスよりもリスナーの裾野は広いかもしれません。
( ・3・) 俺でも『ワルツ・フォー・デビー』を持ってるくらいだからな。でもどうして「とりあえずエヴァンスを聴け」みたいな風潮になってるんだ?
――まず、彼がピアニストだということ。もしベース奏者だったらここまでの人気は得られません。それから、ロマン派や印象派に慣れた耳で聴いても違和感がないこと。ジャズに関心がなくてもエヴァンスは聴く、というケースは大いにありうるでしょう。最後に、みもふたもない言い方ですが、彼が白人で、細身で、眼鏡をかけていたこと。
( ・3・) 知的で繊細に見えるのな。
――知的で繊細なジャンキーでした。もっとも、最後の要素はなかったことにされがちなのですが……。
――はい。エヴァンスやチェット・ベイカーに深く共感してしまう人は、モルヒネの代用として聴いているのではないかと思います。「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」という有名な曲をとりあげたいのですが、エヴァンスの前に、まず歌の入ったものから。フランク・シナトラのヴァージョンです。
My Funny Valentine (Sinatra, 1953) http://youtu.be/z9lXbgD01e4
( ・3・) 金の力に満ちた声だな。His voice is full of money.
――マフィアを怒らせるようなことを言わないでください。折り目の正しい編曲で、ポップスとしては非の打ちどころがありません。ボブ・ディランの新譜はシナトラのカヴァー集らしいのですが、ディランが子供のころにラジオで流れていたのはこういう音楽です。当時のアメリカ人にとっては、ほとんど無意識に刷り込まれた声と言っていいでしょう。
My Funny Valentine (Baker, 1954) http://youtu.be/jvXywhJpOKs
( ・3・) 出た、いけすかないイケメン。
――チェット・ベイカー。午前三時の音楽です。もう夜が明けることはないんじゃないかという気がしてくる。どんな曲か覚えたところで、エヴァンスを聴いてみましょう。
My Funny Valentine (Evans and Hall, 1962) http://youtu.be/ReOms_FY7EU
( ・3・) 速い。
――速い。そしてちょっと信じられないクオリティの演奏です。ジャズではいつでも誰でもこれくらいできて当然かというと、そんなことはないので安心してください。
――別のテイクではちがうことをしているので、ほとんど即興だと思います。決まっているのはコード進行だけ。
( ・3・) コードの構成音をぱらぱら弾いてもこうはならんわな。自分の頭の中にあるモチーフを発展させるのと、相手の音を聴いて反応するのと――そういう意味ではチェスに似ている。
――この演奏は一対一ですからね。集中力は同じくらい必要かもしれません。しかも持ち時間はゼロという。互いに相手の出方を読んでいるうちに一種のテレパシーが起こって、3分50秒あたりにはふたりの脳がつながっているような瞬間があります。
( ・3・) このギターを弾いてるのは?
――ああ、忘れていました。ジム・ホール。偉大なギタリストです。悪魔に魂を売って人並み外れた演奏技術を手に入れるというブルースの伝説がありますが、ジム・ホールの場合は魂ではなく頭髪を犠牲にしました。
( ・3・) また好き勝手な話をつくって……。
――いえ、本人がそう語っています。ジミー・ジューフリーのバンドにいたころ、どう演奏すればいいのか悩んで髪が薄くなったと。 [7] でも、髪なんていくらでもくれてやればいいんですよ。肉体は滅びますが芸術は永遠です。
( ・3・) ジミー・ジューフリーって、あのドラムのいない現代音楽みたいなジャズをやってた人か。そりゃ大変だったろうな。
持参したCDを一通りかけて、そろそろ日が傾いてきた。彼はライナーノーツをめくりながら「はーん」「ふーん」などとつぶやいていたが、夕食の邪魔にならないうちにおいとましたほうがよさそうだ。
「もう帰るのか?」
「そうか。わざわざ悪かったな。よし、ちーちゃん、お客様にご挨拶だ」
彼はそう言って猫を抱き上げたが、ちーちゃんは腕をまっすぐにつっぱって、できるだけ彼から離れたがっているようだった。
「きょう持ってきてくれたCDは、うちに置いていっていいからな」
「置いていっていい?」
「だってほら、いちど聴いただけじゃよく分からんだろ。そのかわりと言ってはなんだが、シュニトケの弦楽四重奏曲集を貸してやろう。何番が優れていると思うか感想を聞かせてくれ」
まだCDは返ってこない。「返してほしけりゃ取りに来い」と彼は笑うが、その目はハシビロコウのように鋭い。ただ来いというだけではなくて、また別のCDを持って来させる魂胆なのだ。わたしはどうすればいいのだろう? ただひとつの慰めは、彼の娘さん――父親との血のつながりが疑われるかわいらしさの娘さん――の耳に、エリック・ドルフィーやオーネット・コールマンが届いているかもしれないということだ。サックスを始めた彼女の頭にたくさんのはてなが浮かばんことを。
http://www.nicovideo.jp/mylist/34787975
[2] http://www.nytimes.com/2009/10/18/books/excerpt-thelonious-monk.html
[3] http://nprmusic.tumblr.com/post/80268731045/
[4] Frederick J. Spencer. Jazz and Death: Medical Profiles of Jazz Greats. University Press of Mississippi, 2002. p. 36. "A diet of honey is not recommended for anyone, and especially not for a diabetic, or prediabetic, patient."
[5] http://www.furious.com/perfect/ericdolphy2.html "'Eric Dolphy died from an overdose of honey,' arranger/band leader Gil Evans believed. 'Everybody thinks that he died from an overdose of dope but he was on a health kick. He got instant diabetes. He didn't know he had it.'"
[6] http://www.pointofdeparture.org/archives/PoD-17/PoD17WhatsNew.html
[7] http://downbeat.com/default.asp?sect=stories&subsect=story_detail&sid=1111
だからってわけじゃないんだけど最近の中等教育周りの話を簡単にだけしておくよ。
という感じの話だよ。
「2020年からセンター廃止されて新テストになるんでしょ?総合的な人間力試される的な。知らんけど。」くらいな認識の人が多いんじゃないかな。
その背景がどのように認識されてるのかは自分はちょっとわからないのだけど、詳しく知りたい人は中教審の答申を読むと良いよ。
新しい時代にふさわしい高大接続の実現に向けた高等学校教育、大学教育、大学入学者選抜の一体的改革について(答申) - 1354191.pdf
センター試験に替わる新テスト。この辺はよく知られている通りだね。
「教科型」に加えて、現行の教科・科目の枠を越えた「思考力・判断力・表現力」を評価するため、「合教科・科目型」「総合型」の問題を組み合わせて出題する。具体的な作問に向けた検討の状況を見据えつつ、将来は「合教科・科目型」「総合型」のみとし、教科・科目に必要な「知識・技能」と「思考力・判断力・表現力」を総合的に評価することを目指す。
将来的には教科型、つまりこれまであったような数学ⅠAなどのような科目を廃する方向みたいだよ。また受験生達に均等に機会を与えるために複数回実施するらしいよ。
2019年から「高等学校基礎学力テスト(仮称)」なるものが実施されるよ。
全ての生徒が共通に身に付けるべき資質・能力の育成という「共通性の確保」と、多様な学習ニーズへのきめ細かな対応という「多様化への対応」を両者のバランスに配慮しながら進める必要がある。
提言されている「共通性の確保」と「多様化への対応」のうち、「共通性の確保」、つまり高校生ならどこの学校で学んでもこれくらいの能力は身に付けておかなきゃね、というためのテストが導入されるよ。
内容としては「思考力・判断力・表現力」を評価する問題も含めるけど共通性・基礎の確保の観点から「知識・技能」メインだよ。すなわちテストとしてイメージしやすい、各科目の学習事項が身についているかの確認テストだよ。
センター試験が替わるというだけの認識では、「これからは数値化できる学力じゃなく総合的な思考力うんぬんだ」となりがちで危険だよ。
「確かな学力」によるため「思考力・判断力・表現力」に寄る面はあるものの、答申にある通り「高等学校基礎学力テスト(仮称)」の結果なんかも出願時に大学に出す調査書に載るみたいだよ。
こうなってくると、ただ「新しいテスト始まるよー」だけでなく大学進学に向けて高校での取り組みも色々と見直さなきゃいけなさそうだよ。
自分の住んでいる東京都を例に出すけど、高校教育の中身と出口での変化に合せるために、先ず入り口から見直しは始まっているよ。
中学2年生の皆さんへ
http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/pickup/p_gakko/28leaflet_koukou/besshi.pdf
学校により受験科目数が違ったのが5科目入試になるよ。また知・徳・体すべて大切なので調査書の点数化方法で美術や技術家庭なんかの比率が大きくなるよ。
答申にある通り学習指導要領の見直しが始まってるよ。2016年度に答申が出て実施は2022年度からみたいだよ。
その中ではPISA型学力の発育を目的とした思考力・判断力などの育成や、アクティブラーニングを取り入れなさいといったことが明文化されるよ。授業の雰囲気もこれから変わっていきそうだよ。
またこれも東京都に限った話で恐縮だけど「都立高校学力スタンダード」なるものが始まってるよ。
http://www.metro.tokyo.jp/INET/OSHIRASE/2013/03/20n3s300.htm
学校ごとに「この科目ではここまでできるようにしますよ」みたいな目標を掲げるようになったよ。
そしてそれだけじゃなくてその事業の一環で共通試験を行うようになったよ。その実施がつい最近の話で、Twitter で「学力スタンダード」と検索してみると「なんの事やら」と思いながらもただの外部模試の感覚で受けてる高校生たちのつぶやきが見れるよ。
そしてその目標達成度なんかも公表されるみたいだよ。これでかなり全体像が見えてきたよ。
今後の変化の全体像には先の中教審の答申PDFの最後のページが資料としてわかりやすいよ。
高校の中での勉強ではセンターに替わる新テストを突破できる総合的な力を身に付けさせなきゃいけないよ。それだけでなく高校在学中にやる新基礎学力テストでも得点を取れるようにしなきゃいけないよ。その結果なんかも中学生が先を見据えて高校を選択する上での新しい指標になるかもしれないよ。どちらもできるようにしなきゃいけないよーと試行錯誤してるうちに新学習指導要領が降りてくるよ。大変だね!
これに向けて東京都なんかは先述の通り高校の入り口を変え、中身を変えと取り組んでいるみたいだよ。例えば学力スタンダードの点数公表なんてのも新基礎学力テストの先駆けにも思えるよね。
こんな風に、これから数年間、大学入試改革前後は本当に変化の多い数年になりそうだよ。
先のPDFリンクにあった今の中学2年生なんかはこれからのこの流れに、波の先っぽに突き動かされるみたいに綺麗に乗る形になるよ。大変だね大変だね!