はてなキーワード: 検索避けとは
ツイステは普通に行く末を見守っている程度だけどディズニーやヴィラン好きの人間(クソでか主語ではなくて自己紹介)としては、イグニハイドにサイバーパンク感があるのはヴィランズワールドの曲でハデス様のターンの時に曲調になんとなくテクノっぽい要素があるのがモチーフになっていたりするのかなとか思っていたけど、ヴィランズ好きなのにそういう「ここを取り入れてるんだ!ここはこうかも!」っていうのを発見していく楽しみ方はできなかったんだなこのひと、と思うととても残念。
そもそもストーリーが完結していないのだからこの先ヴィランズがどう扱われていくかわからないのだし、テーマは「ヴィランズから"インスパイア"されている」なのを自分で勝手に期待しすぎて思い通りじゃなかったというだけの話。
落ち度がどうこうのあたりはこの記事を読む限りではもう「好きじゃないかも」と思ってから楽しむ方法模索している感じがしないのでそれは某氏の言うそのままの意味で「落ち度」なのでは?読みこぼしだったら申し訳ないけど。無理に好きになれ、続けろというわけではないけど、指摘されて「私が悪いの?」と言えるほどこの人の言う「落ち度」がないわけではないように見える。
たとえば飛行術に対しても箒は本来必要なく飛ぶことができても歴史の中で飛行体勢を安定させるために用いられるようになったものかもしれない、とかいくらでも自分の解釈に擦り合わせられるように想像はできる。
普段はミュートやら何やらで自衛してるだけ、無闇に楽しんでる人の邪魔をしようとは思ってない、今楽しんでる人はルールを守って煙たがられないように気をつけて楽しんでね、というのは理性的で気持ちの整理をきちんとしようと奮闘されている方なんだなという印象もある。
ただやっぱり突っ込みどころは多いとおもった。
もちろん同意できる点もあった(R絵みたいなのが普通に流れてくるとか)。ただツイステだからどうこう、という観点で見ると規模の大きいジャンルにはありがちなことでもある。
自衛に関しては「検索避け」のためにしていることが逆に「ミュート対象外」になってしまうということもあったりして難しいところだよなとも思う。
(現状、現実的に考えると一番良い解決策はSNSやめたり活動の場を変えること。根本的解決にはならない頭の悪い残念な暴論だけどね。自分の精神的負担をどうしても減らしたいならそういう手もあるという話。)
うまく折り合いつけて、過敏になってる時期もあったな〜なんて思えるようになるといいね。
NLをHLにしたい云々みたいな話を耳にしましたが個人的にはしんどいです。この話はLlGlBlTlQの推進派が読んだら泣いて倒れちゃうほど頭が硬い話です。検索避けするくらい。
いつかは時代に従わなきゃいけなくなるかもしれないので、だったら全く新しい考えに染まっていない綺麗な「古い考え方」を残しておきたいと思いました。あわよくばこの考え方のまま生きていたいけどね。
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私は頭が硬い「男女が交わって子どもを産むからNL」派の人間です。
ヨメと子どもが幸せな家庭に必須ではなくなった時代ですが、本当にそれでいいと思いますか?出生率が下がって子どもを必ずしも育てなくなって全てのお金と時間を自分に捧げるようになる、私はそうなりたくはないんです。
私はLlGlBITIQだからそんな高望みはできないって思う人もいるかもしれませんが、同性でも子どもが作れたらとしたら、子どもを望みますか?できないと望まないは違うんです。
なんの根拠もないけれど地球と生き物はみんな生存と繁栄を目標にしていると思っています。
叶わないと望まないは違う、現に私は叶わないになりかけてる。でも地球はきっと私の子どもに会うのを待ってます。男じゃなくて地球とでも子どもが作れればすぐに見せてあげられるんですけどね。
男女でも子どもが生まれなければ地球にとってイレギュラーで、ノーマルの中にだってアブノーマルはあるんです。
でも私は地球の設計を信じているから異性愛にノーマルを名乗って欲しい。
ご都合主義で同性同士でも妊娠する作品ができた!それは私にとってはBLだろうがGLだろうがNLです。それはその世界の地球がそう設計したんです。
それがダメならもうヒトバースでいいです。オメガバースからはじまりなんとかバースの種類は多いので、本来メインであるべき男女もバース設定のひとつとしてカウントすればいいんです。
同性愛も異性愛も本能だと聞きます。本能じゃなきゃきっと運命です。
私にとって異性愛は重力です。対して同性愛は引力です。異性愛が同性愛を輝かせ、同性愛が異性愛を輝かせる。違うからこそ個性になると思ってます。
地球が異性愛を基本にしたと思い込んでいるので、異性愛がノーマルでなければ私にとって性別に意味なんてないんです。HLにしたい人の中には性別の意味をなくしたい人がいるのかもしれませんが。
男らしくとか女らしくとか、そういう言葉も大好きです。これまでの文化が作り上げた記号が好きですが、それを強要する人間が嫌いです。男性が男らしくいる必要はないし、おしとやかな男性もいっぱいいます。メイクをする男性だっています。でも記号があることで「男勝りな女の子」のような萌えを表現することだってできるんです。それは「元気な女の子」とも「わんぱくな女の子」とも違っていてほしいんです。
日本語も性別観もこうやって議論されて変化するものですけど、私にとっては地球と人間に尊さを感じるポイントなので、変化することで不利益を感じます。
話が戻りますが私にとって異性愛は地球上の法則によりノーマルです。でも、研究開発が進んで同性でも子どもができるようになって、ノーマルが増えていったらすごい嬉しいです。
気軽にHLに乗り換えてしまう素直な人も、意地でNLを使い続ける人も、絶対自分が正しいと思いながらHLを主張する人も、どうでもいい人も、どの表記がいいのか自分の地球に聞いてほしいです。案外ヒトバースみたいな言うだけはタダで実用性がないアイデアにつながると思います。
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ちなみにこの話のアホな点は私が地球を創造主か何かだと思っていることと、地球が人間に滅んでほしい場合は同性愛(直したやで)こそがノーマルになることです。人間増えすぎたしいっつもなんか考えてどっかの国で争ってるから地球にとって人間が解釈違いかもしれない...ごめんね地球。
https://note.com/komatsuna777/n/n1d69e89f8c59
「私にとってBLがNLだもん!」とか言われると「あ゛?」となる件について
※この記事では便宜上男女CPのことをNLと表記する個所がそこそこありますが差別的意図はありません
このnoteの人はとりあえず既に何人かから言及されているようにネットのない所でおいしいものでも食べて心をいやしてほしいなあと思います。
それはそれとしてこれを読んでてひとつ気になったのが「二次創作世界の謎ヒエラルキー」に関してです。
今でもほんのり名残はあるけど、
男性向け>>>>>女性向け恋愛なしオールキャラほのぼの>>>>BLCP>>>>>男女CP>>>>>>>>>>>>超えられない壁>>>>>>夢
ってヒエラルキーは確実にありました(※2)。なかったとは言わせないぞ。男性オタクは女性の二次創作者全般を叩くけど、女性向け同人の世界ではBL二次創作者は男女二次創作者と夢者を叩きまくってたじゃん。ついでに言うと男女の二次創作の人も夢の事は叩いてましたね。「叩いて【た】」って過去形にしたけど夢は今も叩かれがち。
っていう記述があるんですね。
で、自分はこの謎ヒエラルキーというのは全く感じたことがありません。
もちろんふわっとした「男性向けが一番偉いんだ」とか「BLや夢は下に見られている」という認識はありましたが、男女CPがBLCPより下に位置しているなんてことは思ったこともなかったですしBLって夢と同列で最下位争いしているダーティなジャンルってイメージしかなかったんです。
だから「夢は昔から叩かれてた!」と嘆き怨嗟の煮凝りみたいになっているご本人の感覚を否定したり歴史修正をするつもりはないんですが、自分とこの方でどうして同人ヒエラルキーの認識に差が出たのか疑問に感じたわけです。
まず当時の自分の同人ヒエラルキー認識についてですが、おおざっぱに書くと「男性向け>男女CP>CPなし年齢制限なし>BL≧夢」です。自身の属性としてはBLもNLも嗜む腐、というのが近いかと思います。GLは自分から見に行くことは少ないですが嫌いじゃないです。
BLと夢については底辺の腐がドンケツになりたくないからと叩いてもいいものを探した結果押し付け先として夢を選んだ、といったような感覚でして、腐としては夢を下に見ているけれど夢の人は夢の人でBLを下に見ているし男性向けとか男女CPやってる人からしたらどっちも等しく最底辺なんだから仲良くしなよくらいの認識をされている、と思ってました。
そしてこの方が仰ってるような「夢BL者は夢NL者をさらに下に見ていた」ですが、この感覚も食い違ってまして、男性主人公で更にエロとかあるような夢BLとか底辺たる夢の中でも更に下位では?という感覚でした。
で、どうしてこういった順位付けをするに至ったのか今の視点から推測しますとだいたいこんなところかなあと思います。
・生殖できて多数派である男女の関係の方が男同士の関係よりも「上」であるという前提があった
子供が産める方が偉い、という認識ですね。いくら真実の愛だとかなんだとか綺麗ごとを言ったところで同性での結婚が主流になれば人口先細りで滅亡します。個人の事情を優先して人類の未来を食いつぶすような同性同士の恋愛がいくら誤魔化したところで上にくるわけがないだろ、みたいな認識です。
もちろんそういった認識はめちゃくちゃ乱暴ですし、そもそも生物学的に子孫を残せる異性恋愛は主流ではあるものの同性同士での恋愛をするグループも一定割合で生まれるのが自然なのでそこに序列を見出す意味がないとかそういう話もあったりするんですが、ともかく当時の自分は無邪気にそういう認識をしていました。
BLと実際の同性愛は違うし実際の同性愛であれば見下していいかと言えばもちろんそんなことはありません。
とにかく、BLを好きな人は案外多いんだとか、オタクの世界ではBL愛好者が多いとか、そんなものは順位には全く関係してこないんです。というかオタクという狭い界隈でいくら人口が多くたって一般人様の感覚=異性恋愛(という認識をしていた)の方が上に決まってるだろという認識でした。
だからBLの方が尊いとかBLは偉いとか言う理論を聞くと、今は別の理由から「何言ってだお前」と思いますが当時も当時で無邪気な差別意識を根底に「何言ってだお前」と思ってました。
前提が「BLはド底辺」でありそんなBLを好きな自分は「ド底辺の人間」であって「ド底辺の人間がいくら集まろうとド底辺であることに変わりはない。クズがいくら増えてもクズのままで急に善人になったりしないのと同じ」という自虐意識の塊だったんですね。
内圧も外圧もそれらが複雑に絡み合った結果のよくわからない何かもまあ理由は色々とありましたが、とにかく腐女子って周囲のことを敵だと思って常に何かに怯えているものだという認識でした。
マナー違反に怯えて謎マナーサイトが流行するし腐叩きに怯えて検索避けが流行するし、ダミーエンターとか無断リンク禁止とかオンラインブックマーク禁止とかもうめちゃくちゃ懐かしいです。
それだけ常に何かに怯えている人たちが上にいるなんて意識欠片もありませんでした。
ところで自分は別にBLだけではなくむしろ王道の主人公×ヒロインとかは大好物でして、そういうサイトなんかも見ることがありました。
で、自分の観測してきたいわゆるNLのサイトってまあ女オタク特有の空気感みたいなものは確かにありましたけど、一般人様から隠れるために検索避けしなきゃとか、我々は背徳者なんだとか、そういう類の恐れというのはBLサイトほど臭ってなかったんですね。
いわゆるサーチサイトとかからリンクをたどって、みたいな感じじゃなくてふつうにロボット検索から調べて見つけて入るし、日記で検索避けガー一般人様ガーとか書いたりしない。
もちろんジャンルでそれぞれ事情はあるかと思いますし、叩かれて潰されたサイトだってあったのでしょう。また、閲覧者からは観測できない裏側では色々とあったのかもしれません。
自分がサイトを探す手段がロボット検索に寄っていたので、結果的にオープンなサイトを見る割合が多かったというのもあるでしょう。
しかし自分が見て来た範囲だと圧倒的に男女CPを取り扱ったサイトの方が圧力を感じないつくりになっていました。ですから判断も自然と観測結果に基づいた「男女CPの方が自由」という認識になっていきました。
(CP違いによる宗教争いはある意味ではBLよりヤバかったかもしれませんが)
・夢小説界隈は「虐げられる弱者」ではなく「底辺争いの戦争相手」だった
夢小説を好きな人たちが自分から底辺に収まっていたら恐らく明確に夢小説を「下」だと思っていたのでしょうが、夢小説を好きな人たちがじゃあ「自分達はBL様より下でございます」なんて言っていたかと言えば当然ながらそんなことはありません。そもそも一方的に見下す過激派腐女子の方が大いに間違っています。
それこそ「異性間での正常な恋愛を楽しんでいる私たちがBLなんていう同性同士の恋愛を取り扱うような人たちに下に見られる言われはない」くらいの認識の人もいたんじゃないでしょうか。そういう主張は見ました。それはそれで大間違いではあるんですが。
実際問題過激派夢女子によるBLバッシング自体はそれこそ自分の記憶しか残っておらずログは提示できないのですが、私の認識としては「存在しました」。
なのでそういう意味では「夢女子がBL叩きをしてきた歴史をなかったとは言わせねーぞ」と思う感覚も皆無ではないです。
ただ、結局のところこのあたりってお互いに過激派が暴れたせいで問題点ばかり目に映っていたのではないかとは思っています。そして母体数のでかいBLが周囲を叩いていた割合は他の母体数の少ない属性で見るよりは多いんだろうなとも。
なので元記事の方の認識は、まあ認知の歪みはあるだろうなとは思ってますが、たぶん概ねあってるんじゃないかな。
そもそも腐女子にしても夢女子にしても「自虐傾向が強くて隠れたがるグループ」って、つまり他グループとは必然的に干渉が最低限になるので「自分達が最底辺です地下に潜ってひっそり邪魔しないように活動するので許して下さい」なんてやってる人たち気軽に観測できるわきゃねーわなって話です。
でまあ、そういう隠れて抑圧が貯まった夢女子が自分達が見下せる相手を探して謎理論の元に夢BLは夢NLよりも上だ、とかやっていたとしたら、そういうことも十分考えられるよなあ、というかいじめられっ子が更に下位の人間を見つけ出して虐めるのはもう構造としてはめちゃめちゃよくあるパターンなので真実なんだろうなあ、と思います。
ただ、BLをNLより上位に見る人たちは個人的にそもそもジャンルが違うので腐女子として雑にグループ分けされたくねぇなあとか思わなくもなくもないです。このへんは単なるお気持ちの話ですが。
いや、常識的に考えて欲しいんですけど、そんな「夢はクソ」とかいう人たちとか「NLはクソ」とか言う人たちとかとお友達になりたいって思います?自分は思いません。
こう、ふんわりと無意識的に下に見てるくらいのあまり表面化しない差別意識とかが漂ってたりとか、それに流されて自分もいろいろと間違った認識してたよなあとかそういうのはあるんですけど、それでも「夢小説ってキモいよねー」とか堂々と日記(ブログとかで個人的な話をするやつ。今でいうSNSみたいな)とかで悪口いっちゃったり「NLなんてダサいよねー」なんて躊躇なく口にできるような人とお近づきになりたくないじゃないですか。
で、そういう過激派から距離を置いたら、あとは観測できるのってそれこそBL憎しでサイトに突っ込んでくる別派閥の過激派か、味方を増やそうとすり寄ってくる近似派閥の過激派くらいのものなんですよ。
そして自分は夢は理解できない類のジャンルなのでまあなんとなくそういうのあるんだなーくらいのふんわりした認識だから近寄らないわけです。
そんな中で「腐やNL者に叩かれて困ってる夢者」とかはなかなか観測できないし、「NL者が腐や夢者に叩かれて困ってる」とかもまず見ないわけです。
そしてたまにそういうイタタタな人がでると「ジャンルの恥さらしが」とか「ああいう基地外には近寄らんとこ」みたいにゆるやかに村八分が進行していくので「腐は○○を叩く」みたいな認識にはならないんです。
ジャンルの大半が別派閥叩きするようなやべージャンルとかはもう属性の問題ではなくあのジャンルがヤバイという認識になりますし、ジャンルから距離を置きますし。
・自分はいわゆる「ひきこもりサイト管理人」なので周囲との認識のすり合わせをする機会がほぼなかった
このへんもあると思います。自分の好きなものをかいて自分の好みにサイトの方針を決めて、あとはサイトを作ったころには過剰な検索避けに疑問を覚えていた頃だったので割とゆるめの方針を取っていたので、検索避けがっちりしたいサイトと交流すると向こうが嫌がるんじゃないかなあとか考えたりもしたことがあって、あまり自分から交流しにはいかなかったんですね。
ですので自分の認識、特にふんわりとした主観に基づくヒエラルキーの答え合わせなんてする機会はとんとなく、だから認識が変わるようなこともありませんでした。
同人やら二次創作って大元の公式から隠れてやれって20年前くらいからずっっと言われてる。
例えばTwitterで公式タグをつけたままそのジャンルのキャラのリョナエロ画像投稿したらいけない。
理由は公序良俗に反するような画像を不得的多数に見せてるから。
「えっ、このキャラってこんな目に遭うっけ?こんなキャラだっけ…?」
それって考える間もなく不愉快だから。最悪その人は公式から離れるかもしれないから。
あと、これはよく二次創作界隈で聞くものだけど、「ナマモノ」というジャンルも公に出すと混乱を招くとされている。
そりゃそうだ。
例えば好きな芸人の名前で検索したらモブに犯されてる芸人の画像が出てきたら、不快でしかない。
そんなの恐怖でしかない。本人からすればたまったものではない。
もしイメージが湧きづらいのならば、しらない誰かが描いたあなたの死体の絵を浮かべて見てほしい。
そういうわけで検索避けだとか、ベッター(別サイト)だとか鍵だとかをするようにと暗黙のルールで決まっている。
このルールに反しているものは、こっそり同じ趣味の人から注意を受ける。
「これは公の場で出すと危ないですよ」
と。
まぁなんとなくだけどエロ・グロ関連を公式タグとかで投稿してる人なんかほとんど見ない。
ただ問題なのはそれがBLとか夢とかなのは最近ちらほら見るようになったかなということ。
今のインターネット上、BLや夢は、過剰なエロ・グロが含まれない限り特殊なものでは無いと考える。
でも、検索避けしてないそれをもしBL・夢、その他公式にはない情報がつけ加われた二次創作は、
混乱を招く材料になる、といっても過言はない。
「なんで検索避けしてないの?」
と怒るのだ。
「公にしないでアカウントを鍵にしてください」と注意されても改善しない人は、最終手段としてスクショされ捨て垢で晒される。
でも、そうやって晒すと何が起こるか。
……隠れるべき?
不快?
なんで捨て垢?
私はそこがとてもひっかかって気になった。
それ、なんか、お互い誤解していないか?
こればかりはケースバイケースなのだろうけど、なるべく晒し行為は控えた方がいい。
「やめたほうがいいですよ」「はいそうですか」で済まなかった場合、明確に理由を述べることが大切だと思うのだ。
「これは公式のタグを使ったまま、キャラの名前にも検索避けをせずに、公式にはない設定をつけ加えて投稿されていますよね。これは公式の情報が見たい方にとって混乱を招く可能性が高いと思います」
「それにこの作品は二次創作は容認されていないので、公にするのは控えていただきたいです」
こんなふうに、どうしてそれがだめなのか、どこに迷惑がかかるのかと正確に明記する。
私が思うに、「公にするのやめてください」といわれてやめないような人間はそれをすることによりどこに迷惑がかかるのかイメージがわかないのだ。
よく「この界隈や、公式に迷惑です」と簡潔に注意する人もいるが、それだとどう界隈と公式に迷惑がかかるのかがわからない。
だから優しく詳しく教えてあげるのが最適だと思われる。
そうすればきっと正しく理解してもらえるはずだ。
そして、もう1つ私が引っかかったこと。
「不快だ」
「隠れるべきだ」
という言葉が使われること。
しかし、その不快なものが「好きな人たち」からすればどうだろう。
好きなキャラを他のキャラと恋愛させようと、おいしいもの食べさそうと夢主と絡ませようとレ〇プしようと包丁で刺そうと、本当に考えるだけなら自由である。
100%公式ということ は絶対にない。それが二次創作というもの。
100%公式ではないものの、自分の好きを不快だと踏みにじられてはあちらだっていい気持ちはしない。
そんなことしたら、同人マナーを理由に誰かを傷つけているのと同じだと私は考えた。
だからなるべく「不快」「隠れるべき」という言葉は使うべきではない。
「混乱を招く」「密かに楽しむ」など、相手を傷つけない言葉を選ぶべきだ。
公式を守るためとはいえ、匿名でジャンルのファンであること以外明かされない相手に汚い言葉を吐かれてしまえばそれはただのいじめと同じだろう。
さらに晒しあげた者がいなくなれば自分もそのアカウントを捨てるだって?
権利者でもないのに自分は正義のつもりは控えた方がよろしいと思う。
それだけは本当にやめて欲しい。
マナーを守らなくても相手は同じ人間。そんな人間に捨て垢・愚痴垢で素性を隠し汚い言葉をなげかけるなど言語道断。
なので晒しは最終手段の最終手段くらいの覚悟でしてほしい。もっともない事が1番だが。
つらつらと長文を殴り書きしたが、私はこういう同人マナーみたいなのが好きではない。
と、
なのだと私は思う。
権利者ではないいちファンが怒ってるのも好きではないし、検索避けしなくていいよというのも好きではない。
でもここでいっても仕方ないのでしょうね。
他サイト(ニコニコpixivetc)だと検索避けできててもTwitterだと拾う検索避けしてることに気づいてない奴らが多すぎる
そういう奴がヒステリックに「APHはデリケート()なジャンルなので検索避け推奨()です!><」とか言ってたりするともう地獄
つーかいつまで加害者ヅラしてんのかなこの界隈は、黎明期はともかく最早数ある擬人化ジャンルの一つにしか過ぎないのに自分らで加害妄想しては先回りの取り越し苦労してさ
人名表記推奨も割と意味わからん文化だよ 作者が積極的に使ってるわけでもない、Web漫画にも単行本にも載ってない情報を普通に強要する
「そりゃ新規はわかんないの当たり前だから都度教えていけばいい」とかそれが検索の都合だけだってんなら教えなくていいよ馬鹿馬鹿しい公式がみーんな国名でガシガシ情報発信してるところを 少なくともライト層にはまるでいらねえ知識なんだよ こういうのもあるよぐらいでいい
腐向けは検索避けすべき、は別にヘタリアだけじゃなくて二次創作BL全般の問題として考えろ 個人的にはツイッターで情報収集する奴のことなんて考えずR-18だけ配慮すりゃいいんじゃねと思うけどまあこれは完全に個人の考え
要約すると経緯も現状も分からずなんとなく義務感で言われたまま検索避けしてるならやめていいんだよ 腐向けとかじゃない妄想ならなおさら
かれこれ15年以上、実在の人物に関わるBLの創作をしており、今はよく荒れる界隈の、わりと近くの界隈で過ごしている。
「荒れる」とはどういうことか。
本記事では、「SNSで閲覧制限を掛けずにカップリング名やキャラ・俳優名を出して萌え語りや創作をするアカウント(以下、鍵パカ)が出現すること」とする。
鍵パカが現れると、閲覧制限を掛けているアカウント(以下、鍵垢)が回覧板のように注意喚起を回し、
各自スパム報告・ブロックをすることで、当該アカウントを凍結させようとする、という流れが確認されることがある。
この流れが、某ジャンルではここ数ヶ月頻繁に起こっている。
(わたしは自分が関わるところの事例しか知らないが、活発なジャンルであればよく起きていることだと思う)
鍵パカはなぜ鍵パカでいるのか。
彼らが注意に対して反論するとき、以下のような言葉を使うことがある。
・当事者が傷付くというが、傷付いたという事例がない。
2では、そもそもなぜ鍵パカをやめてほしいのか、注意する側の視点から記す。
なお、本記事は実在の人物やその隣接区域を取り扱うジャンルについて主として述べるものであり、
述べていないことについては触れていないから問題ない、思うことがないというわけではない。
同じようなジャンルで過ごす方々にとって、本記事が何かの思考の一助となれば幸いである。
本項では「はじめに」で述べた鍵パカによる反論について、ひとつずつ私見を述べる。
そもそも注意する側は「『BLだから』隠れろ」とは言っていない。
「『他人の意志を勝手に妄想し、時には性的な部分まで考えているから』隠れろ」である。
誰かを想うこと、特に性に関わる部分は、人の思考の中でも極めて繊細だ。
それを勝手に他人に決めつけられたり、自分のいないところで話されていたりしたと知ったとき、ショックを受けるひともいる。
我が身に置き換えて考えてほしい。
ただの友人であるAとの仲について、別の友人Xが「Aのことが好きなんでしょ?」と言ってきた。
けれど、Xは「またまたそんなこと言って」、「否定すればするほど怪しい」と言って、あなたの言うことを一切信じない。
そのようなことがあったとき、あなたは一切不快に思わないだろうか。
また、Xは共通の友人であるYやZにも「Aが好きらしいよ」と話す。
別の友人から「Aのこと好きなんだって?」と聞かれる。ついにはAから「わたしが好きなのか」と問われる。
友人としては好きだが、恋愛対象ではない。
周りにそう噂されても、あなたもAもお互いに今まで通り振る舞えるだろうか。
「わたしは今までどおり振る舞える」というひともいるだろう。しかし、相手がそうだとは限らない。
そうでなくとも、他人から勝手に恋愛対象を定義付けられることで不快になることも十分考えられる。
こういうことを伝えると「不快にならないかもしれないではないか」と返すひとがいる。
しかし、それは「不快になること」の可能性を否定するものではない。
二次創作をする場合、妄想する対象はえてして(広義で)自分の好きなひとであるはずだ。
その対象を不快にさせる確率が決して低いとは言えないとき、それでもそのような行動を取るのだろうか。
「不快にならない」と自信を持って言えるひとは、ただのファンにすぎないのに対象の何を知っているというのだろうか。
おそらく「自分はただのファンにすぎない」という自覚も無いのだろうが。
適切な事例を知らないので自分語りをする。
高校生のころ、ジャンルは違うが腐女子仲間がいた。彼女は創作をする腐女子だった。
当時、わたしには片思いの相手(以下、Pとする)がいて、彼女にも相談に乗ってもらっていた。
ある日彼女が「あなたとPの恋愛小説を書いたから読んでみる?」と言ってきた。
当時のわたしは深く考えず「読む」と答えた。
その日、メールで送られてきた文章を読んだが、あまりにも気持ち悪く、落ち込み、彼女とは数日後に絶交した。
内容の詳細は省くが、性的描写が伴っていた。オプションで特殊性癖が付いてきた。
共通の友人である子(仲直りをさせようとしてきた)には、ざっくりと話したが、ほかの友人には話せなかった。
内容について、想像させたくなかったからである。これ以上、Pを誰かの勝手な妄想で穢したくなかった。
当事者として言う。他人に勝手に妄想されるのは、性的に消費されるのは不快である。気持ちが悪い。吐き気がする。
Pがわたしの想い人だったからわたしの受けたダメージも書ける程度のものなのだろうが、
これが全くどうでもいいひとだったら、あるいは友人だったらと思うとぞっとする。
わたしが「BLに限らず隠れろ」と思うのは、この実体験に基づくところも大きい。
わたしはアニメやマンガ、ゲーム等の二次創作を通ってきていないので、界隈のことは知らない。
そのため、一般論を語ることは避ける。
個人的な思いで言えば、アニメ等を扱う二次創作についても原作者や一般のファン(二次創作をしないファンというべきか)のことを考えれば
公式で触れていないレベルのものについては隠れた方が良いのではと思う。
ただし、アニメ等の創作をする鍵パカにいちいち注意したりスパブロを行う義理は別界隈の人間にはない。
萌え語りや創作の公開に関して閲覧制限を掛けるというのは、何もSNSになってからのことではない。
わたしの知る限り(00年ごろ~)でも、個人サイトでパス制、クイズ制、URL請求制はよく見られた。
htmlタグでロボット検索避けを埋めているサイトも数多くあった。
すべては「本人や関係者、二次創作を好まないファンに見せないため」である。
これは「ルール」とまでは言えない。
しかし、そもそも二次創作には著作権や肖像権を犯す恐れが充分にある。
鍵パカを注意する側は「外部から各権利の侵害を訴えられることや、それを理由に二次創作を禁止されること」を危惧している。
鍵パカはこれらふたつの可能性を高める。だからやめてほしい(「隠れろ」と言う)のである。
なお、言うまでもないことであるが、これらの可能性の「有無」について適切に回答できるのは公式(本人、関係者)だけである。
以上、わたしの考えを綴ってきたが、決して他者に押し付けるものではない。
納得できないひともいるだろうし、ジャンル内の自浄作用には限度があるだろう。
わたしだって上記の経験をしながら、当時から変わらずずっと実在する人物を餌に創作を続けている。
(だからせめて、本人の目に触れるようなことは絶対避けたいと思っている)
個人的には、どこの界隈も荒れることなく創作の節度を守って、公式から目溢ししてもらえればと思う。