はてなキーワード: 日本史とは
部活に打ち込んで、都大会目指して必死に頑張って、みたいな切迫した世界、今じゃ味わえないもんなー。味わおうとすれば味わえる道はあるんだけど、そんな体力はもうないというか。ただ、あの頃は苦しかったなー。部活も趣味も一生懸命やればやるほど親が厳しくなる。かといって、勉強なんかやりたくない。
あの頃は気付いてなかったけど、「勉強」って「役に立つもの」だけが勉強かって言われたら、違うんだよな。ぶっちゃけ古文とか日本史なんて普通に生きてたらクソ役に立たないし。ゲームで強くなるためにひたすら攻略サイト巡って情報集めていた当時やってた、親や教師からすれば「遊び」「無駄」としか捉えられないものも、本質的には勉強なんだって知った時、凄く世界が開けたよ。
好きじゃないことは強制されないとできないから、今のうちにできてラッキーと思っておいても良いんじゃないですか。
大学の専攻がなんであれ、授業があろうがなかろうが、勉強したければ勝手にすれば良いかと。
そんな焦らなくても、興味があるのなら、どうとでもなりますよ。
ちなみに私は、学生時代に日本史をろくすっぽ勉強していませんでした。
日本の歴史のほうが案外知らないことに事あるごとに気付かされ(主に外国人との会話で)、
難関大学目指してる高3女子で文系。タイトル通りなんだけど、端的に言うともう日本史したくなさすぎて泣きたい。学校の指導方針?なのかは分からないけど、三年間で世界史AまたはBを選択することになってて。文系で地理選択はなし。社会の科目選択って入学したときにするから、将来やりたいことも特になかったのでなにも考えず一年で世界史Aを選択した。これがすべての始まり。悪夢。
もちろんA科目とB科目の差は分かってるつもりで、だけど自分は世界史好きだし向いてるなーと一年のとき思ってしまって。2年から今も日本史Bやってるけどクッッッッソつまんなくて泣きたい。文理混合クラスだから少ない文系の中でも日本史選択は2人しかいない。そして恐ろしいことに気づいた。大学に行って外国のこともいろいろ知りたい!と思ったとしても(もともと外国語学部志望ではなかった)、まわりは多分みんな高校で世界史やってるからわたしが大学で一から世界史を学ぶとか不可能。
ああああああああああああ
羽海野チカ…「海野チカ」では印象がだいぶん違う。音だけ聴けば無くてもいい「羽」の一字がこれほどの豊穣をもたらすとは。
大島永遠…「永遠」と書いて「とわ」と読むだけでノックダウンされてしまうチョロい人間ですまない。しかも本名らしい。
高河ゆん…「高河」のシャープさと「ゆん」の可愛らしさのマリアージュが清冽な印象を与える。
士郎正宗…名前をあえて名字に持ってきておいて、そこに合わせるのが名刀・正宗というこの斬れ味。
藤原カムイ…カムイだからね。むしろ何と組み合わせればかっこわるくなるのかという話だよね。
槙ようこ…漢字一字姓+ひらがな三文字名の黄金比よ。あと「槙」という字にはプリミティブなかっこよさがある。異論は認める。
水薙竜…厨っぽいといえばそうだけど、たとえば「草薙」でないあたりでギリギリのバランスが保たれて、むしろ粋に転化していると感じる。
数か月前、指導教官よりアジア史の研究者が下訳をつくれる人を探しているので手伝ってやってくれないか、と声をかけられた。金もない院生なので快諾し、依頼主の女性研究者とメールでやり取りをした。期日もバイト代も不明瞭なまま引き受けたのが失敗だった。
一月中旬には原稿を出します、二月には...と続き、結局、聞いていた締切日の五日前となり、この話はなかったのだと思っていたら、いまさら翻訳せよと連絡がきた。締切日を勘違いしていたらしいが、二日足しても、あと一週間しかない。一週間で20頁の論文を、査読に耐え、掲載できるレベルで訳すのは骨が折れる。とりあえずグーグルに突っ込んで、おかしなところを逐一全部直したが、分野が違えば専門用語など分からない。歴史的事件についても、英語特有なのか書いた本人が理解していないのか、曖昧な言い回しである。しかたないので内容を特定し、全部裏をとって訳した。遅れても可哀そうだろうと徹夜で訳した。
日本の戦国時代についての記述があり、なんとも微妙な言い方をしていたので「戦国大名たちが天下の覇を争う群雄割拠の時代」と分かりやすい日本語に直したら、語訳だとの指摘が入った。んなことはないだろうと、たまたまメシをくった、神楽坂のもっとも校閲部が優秀だと言われる出版社の編集者に話をしたら、同じく、んなことはないだろうと爆笑していた。つまり、依頼主の日本語能力の限界が、そこにあった。
海外在留の際、親切にしてくれた人もあり、今も続く友人もいるので、できるだけ外国人には優しくしようと思い、苦心して英文の意を酌み、日本語を考えて提出した翻訳のバイトだった。しかし再度校正しろやと戻ってきた原稿は、どうしようもない翻訳日本語に変わっていた。ついでに、研究費から落とされるバイト代について、依頼主の日本語能力に難アリと判断したので、僕が依頼主を介さず、教授経由で事務方とやり取りしたことが駄目だったらしい。「妊娠して病院にいる自分にとって死ぬほどストレスだった、今すぐ返信せよ、今日中にこちらの指示に従え」という発狂した内容で連絡してきた。
こいつ、流産しねえかな。おまえの妊娠なんざ知ったこっちゃねえよ。てめえがどこの誰とパコろうが好きにしろや。ただ、そんなもんは他人には何の関係もねえんだよ。さっさと国か土に帰れ。
そもそも最初に額を明示していない依頼なんか、尊敬してる教授に言われなければ蹴ってるんだよ。あと、おまえ、日本史の研究してるとかいうけど、冗談は顔だけにしてくれよ。最低限の日本語の素養身につけろや。日本語書けないなら、英語だけで書いてろよ、ファッキンPh.Dさまよ。ケント・デリカット、パックンやモーリー、ドナルド・キーンを見習え。
戦国大名や群雄割拠って単語も分からないのに、日本史研究するとかって頭の悪い妊娠発狂BBAのために待機してるわけじゃないんだ。忙しいのよ、僕も。
ムカついたので、とりあえず、明日の朝までに修正せよ、と言われた内容を全部終わらせて返信した。まだ金もらっていない仕事なので、金を蹴って、相手を罵るという選択肢も魅力的ではあるが、尊敬する教授の顔もあるので、それは我慢。依頼主が完了を判断した時点で「額を明示せず、院生という下の立場の者に対して、無理な工期で翻訳作業を指示することはアカハラめいており、日本の商習慣に合わないし、さらに、その理由を自身の妊娠だと開示してきたことは、セクハラ的な恫喝だと思うので、今後お気を付けください」と慇懃無礼にメールを送るつもりだ。もっとも、こんな駄訳に自分が関わったと思われるのも嫌なので、金をもらわずに、関わらずに消えるのも考えている。
私のフォロワーに、世界史が本当に好きという人がいた。(仮にその人をAさんとする。)Aさんは、模試で早稲田A判定をとる実力がありながら、地元九州の私大に進んだという異色の人だった。
彼に「世界史の授業でアルプス一万尺のメロディで中国の歴代王朝を覚えるっていうのを教わったよね」と聞いたら、Aさんは
「いや、そんなもん知らないな」と答えてきた。じゃあどうやって中国の歴代王朝を覚えたのと聞くと、
「自然に覚えた。年号とかもゴロで覚えたことなんてない。」という答え。頭をハンマーで殴られたような衝撃だった。
よく考えてみれば私自身も鉄道が好きであるが、歌とかゴロ合わせで、「なんとか系はどこを走っててどんな車両で~」みたいなことはやってなかった。
ゲームとかもそうだけど、本当に「好き」なものって、なんもしなくても自然に頭の中に定着しちゃうんだよね。
私も日本史が好きだと自覚していたが、年号とかはゴロ合わせで覚えたので、まだまだ日本史好きを名乗る資格はないなとそのとき思わされた
ちなみにAさんは現役のアイカツおじさんでもある。
高校によって違うだろうし、一概にも言えんが、少なくともうちの学校は授業の質においてはお話にならなかったよ。
中高一貫校で6年間英語をやっているのに、ぜんぜん読めるようにならない。文法の穴埋め問題集やらせて教科書の日本語訳言ってるだけなんだから当たり前だよね。
結局生徒の大半が高校2年生から伊藤和夫の参考書を読んで、英文が読めるようになっていた。今までの5年間で出来なかったことが、2か月で出来るようになっちゃうんだからみんな唖然としていた。
日本史に関しても、武士が発生した理由とか、緊縮財政の仕組みとか、全然分からない。板書をひたすら写してるだけなんだから当たり前だよね。そもそも現代史までたどり着かなかったし。
結局みんな予備校に通って旧石器時代からやり直して、夏が終わるころには基本的なところはあらかた分かるようになっていた。
「高校は受験予備校じゃない」ってのはよく分かるが、上みたいな事態に対するエクスキューズになってんのかなぁその理屈は。まぁうちの学校だけかもしれないから一般化はしないけど。
明日は日本史上初のプレミアムフライデーだが、この制度に政府、自民党、経産省、経団連が込めた真意を説明しておく。
ポイントは2つ。
1つ目は、制度策定に厚労省が一切絡んでいない、財界主導の制度であること。
月末の金曜日という時期は、普通の会社員なら月末事務とかでかなり忙しい時期である。そう、普通の会社員ならば。
しかし、そうならない層がある。
大手企業の幹部以上や、上級官僚を始めとした「上級国民」層だ。
例えば、多くの大手企業が、月末の金曜日の午前中や昼過ぎに、当月の業績を振り返る「経営会議」を行っている。この経営会議に出席するような幹部層は、月末までに完了しないといけない「作業」は一切持たない「口を動かして人を動かす」人達なので、月末金曜日は経営会議が終われば暇になる。遅くても15時までには。
だから、プレミアムフライデーは15時からに設定している。
プレミアムフライデーの15時を過ぎたら、同日の23時59分までに終わらせないといけない仕事が残ってる「普通の」人達を横目に見つつ、「お前らも早くこういう立場になれよ」と彼らに声を掛けながら、晴れやかな顔で繁華街に繰り出す…そういう制度なのである。
言い換えれば、近年向上心がなくなってきたという調査結果も出ている日本人に対して、向上心を喚起させる施策なのである。手を動かす作業者ではなく、口で人を動かす上級国民を目指せ、と。
高橋まつり事件を受けて、作業の外注化が進んでいる。ビッグコミックスピリッツの「気まぐれコンセプト」でも描かれていたが、広告業界では、事件後、夜にまたぐような作業は下請けに投げ、自分たちは遅くても20時には退社するように、仕事のやり方を変えている。勿論、下請け業者はその分残業が増えるが、売上は増えていない。
厚労省が絡むと下請けの人達ガーとなるので、始めから厚労省は除外して制度設計を進めているのだ。
つまり、元請けの立場に居て、口で人を動かす立場に居られる人達を愛で、彼らのような人になりたいと普通の国民に思わせる制度が、プレミアムフライデーなのである。
主観的にはそんなに支持しないのだけれど、客観的にみれば安倍首相というのは、ここ数十年の日本の総理大臣のなかで「名宰相」のほうなのだと思う。
日本にしては長期政権だし、評価はまた別としても政治的な成果は出している方だし、経済的にも「安倍政権になったせいで明らかに不景気になった」ということもない。
多分、後世の日本史の教科書には、それなりの行数をとって、その事跡が記載されるのだろう。
自分がリアルタイムに記憶がある「日本の総理大臣」というとかろうじて中曽根以降なのだけれど、その範囲で言えば、中曽根、小泉クラスの「大物総理」と評価されるのだろうと思う。
だが、この二人にくらべると、どうしても小物感が否めない。
「お前が年取ったからだろう」といわれれば完全に否定できないが、でも安倍の場合、メディアや野党相手に簡単に「逆ギレ」したり、知性のなさが端々にもれ出ていたり、なんとも「小物感」が否めないのだ。
「云々」を読めないってのは、やっぱりねえ。
帝大卒の海軍将校であった中曽根や、首相在任中もほぼ毎月歌舞伎座に通う程度には文化的素養のあった小泉では考えられない。
まあ、鳩山とか菅よりましじゃないかといわれればそうなのだが、彼らが「ダメ」なことは結構早い段階で露呈して、だからこそ早々に見切りを付けられたわけで。
中身はともかく、しゃべり方とか議論のときの落ち着きで言えば、野田佳彦の方がよっぽど「総理」ぽく見えたりする。
「民主党に比べればマシ」という一点だけでここまできたとも思えないし、自民党に安倍しか政治家がいないわけでもない。
一つ想像できるのは、あまり知性がないだけに、「明治から戦前の、偉大なニッポンの精神を取り戻して、おじいちゃんみたいな政治家になる!」ということ以外にそれほど政策にこだわりなどなく、それゆえ結局、官僚の振り付けどおりに動いているだけなのではないか?ということ。
ゆえに大失敗もしないし、足を引っ張られることもなく。
ツイート主の赤城毅(大木毅)は1961年生まれで西洋史の院生時代が長く、その後どうやらアカポスに就けずにライターになったっぽい。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E5%9F%8E%E6%AF%85
院生だったのは1990年代だから、西川正雄の晩年とも一致する。
院生時代に同じヨーロッパ現代史の分野で学会にいた「(アカポス就けなかった自分よりも)駄目な奴」の話を、ここぞとばかり吹聴したかったんだろう。
ツイートのメンション先の呉座勇一は1980年生まれだし専門も日本史なので、この話は赤城毅と共通話題というわけではない。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%89%E5%BA%A7%E5%8B%87%E4%B8%80
赤城が言及してる院生とは誰なのか、西洋史学会の過去のプログラムから割り出せないかと思ったけど、2003年以降のものしか載っていなかったので無理かも。
http://www.seiyoushigakkai.org/
まぁ、言及相手が特定できようができまいが、hokusyuと赤城の同年輩辺りの元院生の両方の名誉を毀損している赤城が最悪なのは確定的。
最近、恵比寿マスカッツと、仮面女子っていうアイドルグループのユーチューブ動画を見ている。
メッチャ面白いのな。
アイドルって、個性とか歴史があって、なんだろう、世界史とか日本史のある時代のオタクにでもなったような。三国志とかそういう感じに近い。
実際に講演とかは、ハコイリムスメっていうグループしか見に行ったことないんだけど。
しかもさ、クラスでかなりかわいい娘たちがやってるわけ、しかも10代とかなら人生かかってたりして。
人生かかってる女の子が必死に媚び売ってる先が、まさかのキモオタブサメン。
こいつらが美少女に媚び売ってもらえるとか、マジで人生でありえなかったことだと思うんだよ。
そりゃ、全力で応援するわな。
これ文学ですよ?
百万単位で金を注いでる人たちね。
それぞれのグループのトップオタ達って個人情報流しまくりで、最高に面白い。
会いに行けるユーチューバーって感じ。
桐蔭学園。
かつては文武両道の名門校と呼ばれていたが、近年、凋落の一途を辿っている。理由は明白である。
「生徒は強引に従わせるべき、奴隷同然の存在である」という、戦後の軍隊教育さながらの教育マインドが、現場で延々とまかり通っているからだ。
教師が生徒を過剰に怒鳴る、叩く、長時間椅子の上に立たせる、といったパワハラ、モラハラは日常茶飯事で、教師が生徒を「学校を辞めさせるぞ」「進学させないぞ」と脅す事も当たり前。
桐蔭学園に通う生徒達にとって、この学校で過ごす時間は、刑務所同然なのだ。
当然、苦痛に耐えられず、大事な受験期で不登校になったり、学校を辞めていく生徒も続出する。ある年では、成績下位の生徒複数人に、学校側が脅しをかけ、自主退学を促した事実もある。そして学校側は無論、辞めていった生徒達の人生に対しては何の責任も取らない。
それどころか、成績上位の生徒のデータだけを抜粋して、さも学校全体の進学実績が伸び続けているかのように偽装して保護者に配ったプリント冊子もある。
また、ある年では、学校上層部の一方的な思想で、「高校の卒業アルバムからピースサインを全て削除しろ」という要請を強引に通し、生徒のピース写真が全て強制的に切り取られた事もあった。卒業アルバムが実際の証拠だ。
さらに、某教師が電車内で泥酔痴漢した事件など、学校側がこれまでに起こした不祥事は枚挙に暇がない。
校長は教師を、教師は生徒を縛り付け、保護者からは法外に高額な学費を納めさせ、現場の教師は薄給でこき使われ、不祥事は校長が揉み消す。
皮肉にも、「エリート教育」と称して、この学校で実際に行われているのは「奴隷教育」に他ならない。
もし、検察側が介入したら、間違いなくあらゆる問題が明るみに出るだろう。
学校上層部や教師陣による、生徒に対しての組織的な人格抑圧、人権侵害、思想弾圧。
その負の連鎖を、一刻も早く断ち切るべきだと断言できる。
そして、もしこれを読んだ貴方にご子息がいらっしゃったら、ここではない別の、思いやりがあって、温かな雰囲気の学校にどうか通わせてあげて欲しい、と切に願う。
終わった。
終わってしまった。
この上なく終わってしまった。
毎週日曜日のお楽しみ。最初から最後までかじりついて見たのは『毛利元就』以来20年ぶり。いやー本当に面白かった。
だけど『真田丸』を見返そうとは思わない。ビデオ録ってないけど、録ってたとしても見返さないと思う。総集編も見ない。
大坂の陣ってのは、戦国の終わりを告げる戦いだ。槍働き如何でいかようにも立身出世できた日本史上における最後の時を終わらせる、不可逆的な戦いだ。
関ヶ原で没落した連中が、夢よ今一度とばかりに大坂城へと篭って幕府に抗うけど、時代はとうに転換していて、大坂方が勝つことは、泰平の世へと進んだ時代が許してくれない。戦国の亡霊たる大坂方が勝つということはまた戦国乱世の世に戻るということであって、それは許されることじゃない。連中は時代によって完膚なきまでに滅ぼされるべきなのだ。
勝頼も、室賀も、氏政も、秀吉も、三成も、昌幸も、そして信繁も、時代の波に乗り切れなかった落伍者は、時代によって淘汰される。それは万物の理とでもいうべき不変の法則で、何人も逃れることはできない。
しかしながら敗れてなお名を残すことはできる。
死に様はどのように生きたかが決める。死したときその者の評価は定まる。
真田信繁は人生のほとんどを歴史に埋没させながら生き、最後の最後でひょっこり顔を出して歴史にその名を刻んだ。
それは信繁が成したことというより、戦国という時代の亡霊が、かくありたいと希い、信繁を依代として成したことと言えはしないだろうか。
その馬印を倒し、日ノ本一の兵と讃えられるほどの奮戦の末に死ぬこと。
そのような死に様は日本史上において信繁を除いて絶無であり、みなが憧れるような最期だったからこそこぞってその戦いぶりと名を残そうとしたんじゃなかろうか。
そう感じてやまないのは、『真田丸』という物語が、時代に敗れていった者たちの生き方、そして死に様をいくつも積み重ねていったからだと思う。
『真田丸』の信繁は決して完全無欠の勇将なんかじゃない。政治的センスに欠け、他者と真正面からぶつかることを避けて策を弄するような、敗れるべくして敗れるような凡庸さがあった。
だから信繁が日ノ本一になれたのは彼の力というより、めぐり合わせ、言ってみればただの運だと思う。しかしそれは何千年という時の流れの中でようやく一回あるかないかというような奇跡。
でも、だからこそ消費し尽くさないで、たとえば夜空に一瞬またたいた流星をぐうぜん目にしたときのような鮮烈さを噛みしめるに留めるべきだと思う。
またいずれ真田信繁の物語が別に語られるとしても、『真田丸』は大坂の陣のような不可逆さとともに鮮烈な印象のまま留めるべきだと思う。
2016年という年号とともに『真田丸』は終わる。終わったままにしておく。
別れの時が来た。