はてなキーワード: 学費とは
子供全員が大学に進学出来るだけの学費がなければ娘より息子を優先する家庭がデフォ。
娘が超優秀で息子が超馬鹿ってなら別だけどな。
未来の事を断言されても。
あと男性が出産可能になるより人工子宮が開発される方が早いと思う。
大学進学率=知能というのもな。
戦前に女性が医者や科学者になるのなんて、上流階級かつ親が女性の教育に関心が高い特殊な家庭に生まれなければ不可能だろ。
現代もそこまでではないけど、「息子は大学に行かせるけど娘は大学なんて行かなくて良い」って家庭はまだまだある。
女性が大学行っても就職差別が激しく大学の学費を取り返せるほどの職に就ける可能性が低いからメリットが少ないというのもある。
ぶっちゃけ女性なら大学行くより看護学校でも行く方がまだコスパ良いのが現状。
ほんと世間知らずなんだなあ。
少子化対策?って3つあって、結婚出産についてはよく議論されるんだけど。
一番簡単なのって、もう一人欲しい人に産んでもらうことなんだよね。
で、だいたいそういう人って、お金がないっていうんよね。
だから児童手当増やしたり、高等教育の学費の免除したりってすればいいよ。
幼稚園や保育園を無料にしたり義務教育も制服代やら部活動費で結構金がいるからそれの補助金を出せばいいと思う。
完全無料ってすると、学校が教育してくれると勘違いする人いるから。
三人目まで無料とか、定額1万円とかにすればいいじゃないかね。
文系の院入学は”入院”、すなわち後戻りできない病院での長期”入院”と近しい意をもち
引き返せなくなるところまでは決して行ってはならぬ
というお達しをどこかで聞いた。
実際、大学院に進学して今年で三年。
この三年間で、色々なことに気づくことができたと個人的には思っている。
まず、上にはいくらでも上がいるんだろうなという
当たり前のことを、授業の度に痛感した。
文系院生の肩身の狭さは、まるでそれが社会貢献として役に立つのか立たないのかあやふやなままに
ただひたすらに大量の資料を読み、文章を書き続けなければならないという事実にあるだろう。
これ一体何の役に立つの?
と自問したとき、答えが返せないという恐怖と戦うために
ゼミの度に教授の語学力の高さに圧倒され、自分の能力に絶望、ゼミが終わるたびにトイレで泣き暮れる日々が続く。
また何より学部のころと比べて随分、笑いの数が減った。
周りの友人が社会人となって卒業し、大学院での友人もこの春卒業を迎え、残された今
そして研究室の隣の席には、論文が書けず、ずっと休学したままの先輩がいる。
彼の机には山積みの資料がどっさりと置かれていて、毎日毎日それを読み漁っている。
しかし議論の場になると、その人の言っていることは何やらさっぱりわからない用語を繋げた謎々みたいで
挙動からも、精神状態が徐々に崩れているのが明らかにわかり始めた。
そのような姿を横目で見ていると、さていよいよ
自分達がやっていることが、あまりに”他者”のいない閉鎖的な営みであることに気づかされて、ゾッとする。
普通に就職していれば、その倍以上のお金が、同じ時間で稼げたというのに。
さらに言えば、理系とは異なり、就職口は進学によって減るばかり。
どう考えてもこの選択、常軌を逸した愚か者の所業としか言いようがない。
そう確信したのは、去年の秋で
嗚呼、疲れた、もう大学出たい、文献読めない、いやだ、十分だ、どうして進学したんだろう、やだ、と
ぐるぐる考えてばかりいた。
諦めの境地に至ったのかもしれない。
今更、どうにもならない。
どうせ選んだ道ならば、のんびりやろう。
よく考えれば自分のことだから、大学院に進学しなければ、これほど社会と繋がることの大切さを意識することもなかった。
今後、誰かのためにという気持ちで働くための動力源に変えていければいい。
そのためにも今できることをやろう。
あれほど苦労していた英文献の講読が、それほど苦にならなくなったことも
大きいかもしれない。
文献が読めると、知識も広がり、やりたいことが増えていく。
もっともっとと欲も出てきて、開き直り、最近ではまだ勉強したいなと思うこともある。
そして何よりも
いつも冗談ばかりを言っているその姿からは学部時代、想像することもできなかったが
呆れ顔を浮かべながらも
ちょちょいと頭の中で辞書を広げるように、色々な助言を次から次へと加えていく恩師の姿を見て
世の中には本当に、恐ろしいくらい頭の良い人間がいるものなんだな、と思いつつ
あと十年二十年、学び続けることができたのなら
私もいつか
こんな風に楽しそうに、学びを得ることもできるようになるのかしら、と夢を見つつ
はてなブックマーク - 年収1500万円未満の家庭の学生は学費がタダという超名門大学とは? - GIGAZINE
スタンフォードの話しらしいが、まず最初に、スタンフォードは私立で学費が年間500万程。
年収が1500万だとしても辛いくらいだろう。
「タダ」という聞こえがいいが、大学は学生に対し、年間50万ほどの労働を要求しその金銭を巻き上げると言うシステムらしい。
それから文中に「中流階級を含む多くの家庭が子どもの学業のために負債を抱える必要はなく、学生が勉学に打ち込めるようになるはずです」
というのが引っかかる。
まあ、これが原文でどういう表現なのか分からないが、あくまで「中流」である。
ヘタすると、この「中流」は年収1000万程度の事を指してるのかもしれない。
スタンフォードの50万も別に親が払っても良いらしいので、日本の国立と同程度の授業料を払ってるのと全く一緒。
さらに、日本の場合、流石に年収1500万では免除されないが、授業料免除の制度もあるから完全に無料にもなる。
勿論、アメリカにはもっと給与の奨学金が多いとかスタンフォードでもさらに寮費の免除等もあり日本のが良い、と言い切るつもりはないが、
元金480万円、利子を入れて約550万円を3年6ヶ月かけて返済した。
車や時計といった高価な物には興味を持たないようにと自分に言い聞かせて
ただがむしゃらに賞与と毎月の給与の中から捻出したお金を返済に注ぎ込んだ
この気持ちをわかってくれる人はほとんどいないと思うけど、
ようやく社会人として 一人の大人として
スタートラインに立てるような気がして
肩の荷が下りたという安堵感と
少しの開放感と
「なんだったんだろう」という
虚しさというか虚無感に包まれて
完済の引き落としがされた瞬間、涙が出た
利率が低いから繰り上げしなくてもいいんじゃないかという意見もあるんだけど、
第二種奨学金を完済するまでは結婚しないと自分に言い聞かせてた
今考えるとそれは、もしかしたら
そういう記事をよく見かけるし、目につく
大学に通って、学ぶ事もできなければ
今ある交友関係や、就職先なんかも見つけられなかっただろうと思ってる
自分で払うから大学に行かせてほしいと親に言った、あの時の決意と覚悟が
ようやく報われたというか
清算できたような気がする
家がお金持ちの人を妬んだり、
すごくすごく無力な気持ちになってたけど
ようやく自分も
胸をはって
一人の大人として
生きていけるような気がする
初めて自由に使える給料の使い途がわからなくて、変な感覚に陥ってる
これからどうしようか
あの頃の目標も
第二種奨学金という壁もなくなって
虚無感が酷い
とりあえず今日は
飲めない酒を、浴びるように飲みたいと思う
たぶん
なんだったんだろう
なんだったんだろうな
人生って難しいな
20~49歳までの未婚者のうち、年収400万円未満の男性は83.9%
結婚を希望する女性の八割は年収400万円未満の男性と結婚するしかないのです。
年収1000万円以上男の「結婚の条件」【1】:PRESIDENT Online - プレジデント
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[上層ノンマニュアル][文化資本][文化的再生産]裕福な家庭の子が進学で有利
原告の男性は家計を助けるため、中学卒業とともに町工場へ就職しました。
一方で、本来B家にいるはずが、裕福なA家の長男として育てられた男性は対照的な人生を送ります。
自宅は庭に池がある豪邸。両親が教育熱心だったこともあり、大学進学時まで家庭教師がついていました。
訴状によると、男性は1953年、産湯の後、別の母親の元に戻された。
男性の戸籍上の父親は55年に死去。生活保護を受け、兄2人とともに母親に女手一つで育てられながら中学を卒業し、町工場に就職した。
働きながら定時制の工業高校を卒業し、今はトラック運転手をしている。
一方、男性の実の両親(いずれも故人)は経済的にゆとりがあり、誤って引き取られた子も含めて、兄弟計4人はいずれも私立高校から大学に進学した。
無事に便秘を解消した俺は、これからは便秘して遅刻しないように気をつけていた。
でも俺には一つ気がかりなことが会った。
「またあの夢の中で会った女ABに会いたい・・・」
そりゃああんだけ優しくされたらまた会いたくもなるよな。
似てる娘はいないか近所のデリヘル店を片っ端から探したが見つからなかった。
だが、会うためにはまた便秘しないといけない。
考えた俺はある名案が浮かんだ。
「精子を溜めてみるか。」
遅刻することもない。
精子が溜まっていてもあの子達は来てくれるんじゃないかと思った俺は禁欲を始めた。
そうして一週間が経った。
まるで寄生獣のミギーのように右手の先がおっぱいが寄生している。
「ええええ。なんだこれ。でもきれいなおっぱい。俺好み・・・いやいや、なんなんだまじでこれ。」
するとおっぱいがしゃべり始めた、
「溜まっとるんやろ?」
おっさんの声だ。
乳頭が「口」になっているようだ。
「どや?」
「どや?ってなんですか?」
「このおっぱいどやってことや。」
「まあ、好きですね。完璧ですよ。」
「そやな、だれのおっぱいや。」
「知らないですよ。」
「知っとるやろ。」
俺は今まで見たことのあるおっぱいの色や形から想像して答えた。
「蒼井そらさんですか?」
「ちゃうわ。」
「じゃあ、飯嶋愛さんですか?」
「全然違うわ。」
「一体誰ですか?」
「ママや。」
「え?」
「お前のママや。」
「え、気持ち悪い、おえおえ。」
「それとこれとは話が。」
「きれいなおっぱいなんだからええやん。今まで色んなおっぱいになってきたけど今までで一番きれいやで。」
「他のおっぱいにもなれるんだったらこの前夢で会った女の子のおっぱいになってもらえませんか?探してもなかなか見つからなくて。」
「そやな、じゃあハーゲンダッツ大きいサイズのやつ買うてこい。そしたらな。」
「わかりました、買ってきます。」
「他のおっぱいになれるて嘘やねん。」
「え?」
「ず、ずりいな。」
「触れ。」
「え?」
「揉んでや。」
「嫌ですよ。」
「頼む、触ってくれ。」
「あ、ああん。」
「まじで気持ち悪いです。」
「嫌ですよ。」
半ば強引に腕を捕まれ揉まされた。
「あれ?堅いです。ゴリゴリ、ピーナッツが入ってるみたいです。」
「それや。」
「なんですか?」
「ママはそれで死んだんや。」
母は乳がんで死んだ。
「お前、お母さんが一人で育てて、仕送りもしてもらって大学も行かずに、全部その金風俗に溶かしたんやろ。お前が学費で金ない、金ない言うてママは寝ずに働いて病院にも行かんかったんや。リアルおれおれ詐欺におうたようなもんや。ママに申し訳ないんか?」
「ほんまか?この前うんこもらして遅刻した時ママめっちゃうけとったで。うんことかマジで止めとけや!って」
ここで目が覚めた。
朝パンツはカピカピになっていた。
10年ぶりの夢精だ。
俺はパンツを履き替えず出社した。
仕事上がりに母のお墓に10年ぶりに線香上げてきた。
現状、日本では動画しか描けない人間に、普通の生活できるだけの賃金は支払われていない。これは中間搾取とかなんとかでなく、経済原理からそうなるしかない。
日本の動画は単なる見習いジョブであって、原画に上がるための修行期間に過ぎない。
そして、将来原画として一本立ちできるだけの才能がある人間であれば、動画でも餓死しない程度の収入にはなる。そうやって1年程度生き延びて原画に上がれれば、一応は生活できる額のお金はもらえる。
ビックリするぐらいアニメーターの収入が低い、と騒ぐのは未熟練の動画の話がほとんど。だがしかし、アニメは伝統工芸ではないので、歩合の収入が伸びない、つまり手が速くない人間に価値はない。
動画ってのは、才能のない人間をふるい落とすためのサバイバルレースなので、そこに金渡すというのは本末転倒だろう。情熱はあるが才能のない人が「補助金」に頼って業界にしがみつく期間が延びることになったら、それは本人にとっても不幸なことだとは思わないかね?
http://anond.hatelabo.jp/20150410150200
トラックバックに物凄いアホが沸いてるので追記
普通の企業みたいに一般的に必要な給料を払ってまで雇う価値を見いだせない人間は 「うちじゃあ雇えないね」 って切ればいいだけなのにね
これやると2秒で日本国内から動画の仕事が消滅する。現状、動画作業は中国に投げればすぐに完成して戻ってくる。半導体のファウンドリーみたいなもんで、あっちの動画会社は規模が桁違い。
そこに頼り切らずに国内に動画の仕事を残している理由は、全部中国に投げると、いずれ原画を描ける人がいなくなって困ることになるから。
このアホの提案を実現しようと思ったら、専門学校か何かを作って、そこの学費を何百万円か払って原画になるための勉強をした人だけがアニメーターになれる、という仕組みを作る必要がある。もちろん、アニメの産業競争力は低下するし、業界も特に潤わない。元増田の真逆を向いた提案だろう。
http://anond.hatelabo.jp/20150404214436
その後の生活を考えると、上手なことが多いからね。実家から通学できる大学だと、かなりの費用節約になる。
大学生活だって、東京でアパート借りて、さらに学費も、となると、かなりカツカツになってくるからさ。
学力的に余裕で東大行けても「東大?そんなとこ行ってどうすんの?」みたいな気付きが国民の中に出てきてる。
それにさ、東京で生まれた人間が、地方の医歯薬系に出願出しまくってるのが日本なんだよね。地方自治体への就職出願にしてもそう。
別に東大行くことは否定しないけど「東大なんか出てどうするの?」という意識は人々のなかに浸透し始めてることは実感としてある。
人々が自分自身で立身し、その財産を管理し、その事業を盛んにして、そうすることでその一生を全うすることができるのはなぜかというと、それはほかでもない、身を修め(=自分の行いや心を整え正し)、知識を広め、才能や技芸を伸ばすことによるのである。そうして、その、身を修め(=自分の行いや心を整え正し)、知識を開き、才能や技芸を伸ばすことは、学問によらなければ不可能である。これが学校を設置してある理由であって、日常普段の行い、言葉づかいや書道・算数を始めとして、役人・農民・商人・様々な職人・技芸に携わる人、及び法律・政治・天文・医療等に至るまで、およそ人の営むもので学問が関係しないものはない。人はその才能のあるところに応じて勉め励んで学問に従事し、そうして初めて自分の生活を整え、資産をつくり、事業を盛んにすることができるであろう。そうであるから、学問は立身のための資本ともいうべきものであって、人たるものは、誰が学問をしないでよいということがあろうか(=人間誰しもが皆、学ばなければならないのである)。
あの、路頭に迷い、飢餓に陥り、家を破産させ、わが身を滅ぼすような人たちは、結局は学問をしなかったことによって、このような(結果をもたらす)過ちを生じたのである。
これまで学校が設けられてから長い年月が経っているとはいっても、場合によってはそのやり方が正しくないことから人はその方向を誤り、学問は武士階級以上の人に関することと考えて、農業・工業・商業に従事する人、及び女性や子どもに至っては、学問を自分たちとは関係のないものとし、学問がどういうものであるかをわきまえていない。また、武士階級以上の人で稀に学問する者があっても、どうかすると学問は国家のためにするのだと言い、学問が立身の基礎であることを知らずに、
ある者は文章を暗記するなど瑣末なことに走ったり、空理(=実際とかけ離れた理論)や虚談(=事実に基づかない話)に陥り、その言っている論は高尚であるかのように見えるけれども、これを実際に自分自身が行い、実際に実施してみることができないものが、少なくない。
これはつまり、長い間従ってきた昔からの悪い習わしであって、文明が行き渡らず、才能と技芸が伸びないために、貧乏な者や破産する者、家を失う者といった連中が多い理由である。こういうわけで、人たるものは学問をしなければならないのである。学問を学ぶためには、当然その趣旨を誤ってはならない。このために、このたび文部省で学制を定め、順を追って教則を改正し布告していくので、今から以後、一般の人民(華族・士族・卒族・農民・職人・商人及び女性や子ども)は、必ず村に学ばない家が一軒もなく、家には学ばない人が一人もいないようにしようとするのである。人の父兄である者は、よくこの趣旨を十分認識し、その子弟を慈しみ育てる情を厚くし、その子弟を必ず学校に通わせるようにしなければならないのである。高度の学問に至っては、その人の才能に任せるといっても、幼い子弟は男女の別なく、小学校に学ばせないのは、その父兄の手落ちであることになること。
ただし、これまで長い間従ってきた悪い習慣であるところの学問は武士階級以上の人のことだとすること、そして学問は国家のためにすることだと言うことによって、学費及びその衣類や食事の費用に至るまで、多くを官に頼り、これを給付してくれるのでなければ学ばないと思い、一生を自分から駄目にしてしまう者が少なくない。これは皆惑っていることの甚しいものである。今から以後、これらの弊害を改め、一般の人民は他の事を投げ捨てて自分から奮って必ず学問に(自分自身を)従事させるよう心得るべきであること。
右の通り仰せ出だされましたので、地方官において、片田舎の身分の低い人民に至るまで漏らすことのないよう、適宜、(学制の)意味を説き明かしてやり、詳しく細かく申し諭し、文部省規則に従い、学問が普及致しますよう、方法を設けて施行すべきであること。
・現実問題として、普通の社会人は平日の夜間に大学に出られない
大学への通学時間も考えると、これに出られるような社会人は全体の何パーセントなんだろう。
社会人学生が居ない=本来想定している勤労学生という需要がない。
学校・教員の負担の問題は、夜間に需要が増えるのなら簡単に解決できる。
↓
それでも定員を設けて人を集めるのだから、本来想定している勤労学生の代わりに誰かしらがくる。
その質が悪い。
働いていないのに何らかの理由で昼間活動できない・したくないという人がくる。
夜間は一般的に学費が安い。大学生という身分で何らかの活動をしたい人がくる。
↓
歴史ある夜間が廃止されたところはこれが大きい。
学業のために在学するのではなく、学生という便利な身分を使用したいだけで在学する人が増える。
他には、学生に大麻を売りさばくためのダミーサークルを作る、宗教に勧誘するためのダミーサークルを作る。
有名大学の夜間が相次いで廃止された時期には学生運動よりも不適切サークルの問題のほうが多かった。
↓
・廃止
偏差値40代、30代の大学を普通に卒業すると多くの場合、高卒や専門卒が多くいる所に就職することになります。新卒の時は偏差値50以上の大学を卒業した人達とあまり給料が変わらないかもしれませんが、就職して10年、20年たつとどんどん差が開いてきます。実質高卒と同じような給与体系の職場で働くことになるので、年をとっても給料が上がりません。学費や仕送りは親が全部やってくれる、という場合はそれでもまあ生活はできます(大学の学費として投資した分が無駄といえば無駄ですが)。ただ、親御さんに余裕がなく、奨学金を借りた場合、高卒レベルの給料で奨学金を返済していくのはとても大変です。同級生や似たような感じの異性と結婚すれば夫婦で借金を抱えることになります。片方の稼ぎで子育てができるような給料ではないし、子育て、介護にもお金がかかることを考えるとかなり厳しい状態に追い込まれます。
高校の先生は商業高校や工業高校の学生に高卒で就職をさせるよりも偏差値40代、30代の大学に進学することを薦める人もいるようです。高校生の就職の世話をするのは大変だし、せっかく就職が決まっても離職率が高い、だったらとりあえず大学に行かせてしまったほうが楽だからです。親御さんもとりあえず大学に行けば就職できるんじゃないかとぼんやりと思いこんでいる人がいます。両親ともに大卒であれば高卒、専門卒の人生を想像することができなくて、とにかくどこでもいいから大学に入れて大卒にしようと思うのも無理はありません。大学側も定員割れしていればとにかく誰でも入ってくれる学生は入れます。そういう大学で教えている先生たち(概ね偏差値50くらいの大学の出身)は他の大学に就職するのが難しい(一部業績をあげてもっと上のレベルの大学に移っていく人もいますが、年配でうつることはまずない)、他に就職先もない、教授、先生、と言われてすっかり誇り高く給料もまあまあもらっているから今の仕事を手放したくない、なのでとにかく誰でもなんでもいいから学生を入れます。知的障害でも認知症でも学費を払ってくれるならなんだっていいのです。本気で学生の将来を考えてくれているわけではなく、表面的に優しく接して学生を逃がさないことに必死です。
周囲の大人たちは学生のことを本気で心配して、将来を考えてくれているわけではありません。ですから、偏差値40代、30代の大学に入る皆さんは、こういう大人たちから距離を置いて自分で将来を考える必要があります。高校までの学力が、大学に入って突然のびるというのはごくまれです。仮に伸びたとしても偏差値40代、30代の大学出身という学歴は(学部から別の大学に入りなおさない限り)一生ついて回ります。そういう現状を踏まえた上で、自分は何をやったら生きて行けるか、なんだったら人からお金をもらえるくらいの働きができるのか。勉強が苦手でも何かモノづくりが好きだとか、手先が器用だとか、根気があるなら、そういうのを生かせる仕事を探した方がいいかもしれません。体力に自信あり、コミュニケーションが得意(接客のバイトが苦にならない)の場合も同様です。今だったら偏差値30代、40代の大学を出たとしてもサービス業であれば引く手あまたかもしれません。建設、飲食、引っ越し、携帯ショップ、書店、介護などサービス業なら容易に就職できるでしょう。ただ、企業が大量に採用して大量に離職する業界はあまりお勧めしたくありません。専門性がつかないとかやたら厳しいとかそういう話をたくさん聞きます。こういう、わかりやすい形で求人が出ている業界以外にも人を募集している業界はあり、使い捨てにされない業界もあります。コミュニケーションがそれほど得意でなくても、コツコツ何かを作ることが評価される業界もあります。そういうところをうまく探せたらまだいいんじゃないかな、と思います。大学の勉強以上に、自分が何ができて何ができないのか、どこなら使い捨てにされずに、長く働くことができるのか、本気で考える必要があります。
今時は珍しくないのかもしれないけど、まあまあ複雑な環境で育ちました。片親、親戚に預けられる、義理の親などなどは体験済みである。
辛気臭いことこの上ないので、子供の頃から自分の家族話は人様に言えるものではないのだという自覚があったため他人に相談したり話したことはほぼありません。でもやっぱり、吐き出したいので増田になります。
経済的には良くも悪くもなく、人間関係がこじれた系家族です。親はお金を出してくれる人くらいの感覚しか持たずに育ちました。この感覚はは世間一般に好まれない感覚だろうというのは想像できます。いくら複雑だったとしても養われてきたのだから感謝の気持ちを持つ方が美しい心根というものだろうとわかっていても持てません。
そんな身の上だったからか生来のものなのか、根暗に性格悪く育ったうえ、特技もなく、就職活動時期はリーマンショック直撃で面白いくらいに面接に落ちまくる。
そのため自分には絶対に向いてないと避けていた教育系の仕事に足を踏み入れました。それがもうショック療法かなというくらいに自分のコンプレックスを激してくるんですね。結局は家庭教育が全て、問題行動を起こしたりするのは家庭環境が複雑な子供が多い、エトセトラエトセトラ。そんな話題が出るたび、自分のことを話してるのではないとわかってても動揺するよわよわメンタル。
しかも周りは大体がお育ちの良い方々ばかりですので、ますます育つコンプレックス。
あなたには想像できないかもしれないけど、大変な家庭も多いのよ、と言われるも、むしろ大変な家庭に親近感を持っていた。これは人によっては強みになったかもしれませんが、いまだその壁を乗り越えられていない私は強みにはできませんでした。
暴力を受けた訳ではないし、学費も出してくれたけど、家族はみな不器用で余裕がなく常に誰かが誰かにやつあたり怒鳴り散らし喚く家庭で育ったやつが、他人の子供を良い方向に導くことができるだろうか?いや、できないだろうと日々育っていく劣等感。
子供の頃は、この家さえ出れば何とかなるのだと思い生きてきましたが、家を出て一人暮らしを始めても、この育ちの悪さとそれによって形成された私という人格からは逃れようがないのだという確信を強くする日々です。
でもこの精神不安定さは、大人になった私にとってはもはや家族のせいにはできない、自分の問題なのだというのはさすがにわかります。理由はどうあれこの非常に個人的な問題を解決できるのはやはり自分だけなのですから。どうしたらこの劣等感を受け入れてることができるようになるのだろうか。家族のせいにしても意味ないし、ただつらい。