2015-06-06

公共建築にこそお金をかけて欲しい

国立競技場の件がようやくマシな方向に動き出したようだけど、こういう公共建築物を巡る話でいつも

お金をかけないで作って欲しい」「無駄は省いて欲しい」という話が出てくるのが気になっている。

俺は、公共建築こそ多少のコストがかかってもいいからきちんと考えられた素晴らしい物を作って欲しいと思う。


ちょっと前に地元図書館が建て替えられた。

省エネエコらしいが、なんのこだわりもないただの箱みたいな建物になった。

建て替えられる前の図書館には愛着が持てたけど、このプレハブみたいな新しい図書館には愛着を持てる自信がない。


一方、武蔵境に出来た武蔵野プレイスという図書館に行ってみたらこれが素晴らしかった。

老若男女が思い思いに使える自由雰囲気図書館だった。

多分あの建物地域住民に多大な影響を与え、愛されながら成長していくだろう。


でも、この武蔵野プレイスは明らかにうちの地元図書館よりコストがかかっている。


省エネ性能が優れていてコストも安いけどただの箱みたいな図書館と、

建築家自治体の創意工夫が詰まっているけどコストがかかっている図書館

今の日本なら、前者のほうが「正義」とされることも多い気がするけど、

本当に低コスト環境負荷が低いことだけが正義なのだろうか。


別に無駄お金をかけろとと言っているわけじゃない。

建築家がしっかりと知恵を使い、使う人や社会の事を考えた設計をしたものならば、

多くの人が利用する公共建築物は、かけたコスト以上に社会を豊かにできる可能性を持っていると思う。


今の日本では、建築家に頼む=使い勝手が悪い、無駄コストがかかる、建築家自己満足

しか思われていないが、上で挙げた武蔵野プレイスのように、俺は建築家からこそできる社会への提案もたくさんあると思っている。

(と同時に、社会ネガティブイメージを持たれるに至った経緯を建築家はきちんと反省して欲しいとも思う。)


代々木体育館だって当時はべらぼうなお金がかかったと思うんだけど、丹下健三はそれに応えて

2015年の今なお輝きを放ち続ける素晴らしい建物を作ったし、あの建物は当時の日本人の誇りであり希望であったはず。


価格.comのように最安値の案だけが正義になる社会は寂しい。

今回の国立競技場の件をきっかけにして、「コスト削減」ではなく「うまいお金の使い方」の話ができる社会

変わっていってほしいなと思う。

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