はてなキーワード: 勢力とは
迷惑かけないようにってことなんだろうけど、ボカしが強すぎてどういう体験をしたのかよくわからない。
誰からいつ離れたんだろう?
界隈全体の話としては、着ぐるみを徹底していたのは初期のキズナアイとそのフォロワーだけで、その流れも遅くとも2018年には終わっていたと思う。
四天王とか言ってねこますが注目されて、そのちょっと後に月ノ美兎が現れて、「生身の人間」性が前面に出たタイプが強い勢力になってからどんどんそっちに飲み込まれていったイメージ。
だから「VTuber界隈が着ぐるみを脱ぎ始めたから推せなくなった」という話は2018年の話なら理解できるんだよね。でも今それを感じてるっていうのはちょっと…何見てたんだろう。
もちろん、メインストリームが生身の人間タイプになっただけで、今でもロールプレイタイプでやってるVTuberはぼちぼちいるからその辺だけを増田が見てたっていうのはあると思うけど。
でも今の配信勢有利の状況でロールプレイやる人ってかなりこだわりを持って活動してるはずで、その人たちが最近着ぐるみを脱ぎ始めたっていう増田の話はやっぱりよく分からない。
どこかの箱でそういうのがあったのかな。
「私たちはトランプ大統領から承認された世界で17億人いるQです!」
「彼らは“光と闇の銀河戦争”から逃れてきた宇宙人が地球の政府機関等を支配しているというオカルト的な世界観を主張し、“大和民族”を“善なる宇宙人”や“龍神”の末裔と位置づけています。団体のマークが龍で“Q”の字を描くデザインなのも、その象徴です。昨年末から、その一群の中の数人のインフルエンサーが中心になって、いまこそ闇の勢力と戦うべきと呼びかけ勢いを増してきました。既存宗教系の“Jアノン”とは一味違ったオカルトやスピリチュアルの影響を強く受けたQアノン一派です」
新宿でのデモを、私は当然、マスクを着用して取材した。その際、デモ隊の先頭にいた参加者の一人から「あなたはどっち側なんだ!」と詰め寄られた。
――取材なのでどちらでもないが、さっきもどっち側かと聞かれた。どっちとは何と何の側なのか?
「光と闇です!」
80年代のアニメ雑誌とかって、文通欄にこういう「当方、前世は光の戦士。仲間の連絡を求む」みたいなのがいっぱい載ってたんでしょ。
← これは本当。そもそも保守主義(conservatism)の論客たるバークがそう言うてはる。曰く、近代的保守とは漸進主義であると。すなわち、結局は同じ地点に到達するにしても、権利とは人が皆生まれながらにして持っている自然権なのではなくて、歴史を通じて人々が獲得してゆく後天的社会的なものである、という考え方であるとする。だから、彼らは急進的ではないものの、行き着くところはリベラル(自由主義者)と大きくは違わない。
これは、日本の政治勢力で言うと、いわゆる保守本流と言われる自民党の主流派が最も近いと言って差し支えないでしょうね。(岸信介じゃないよw 念のため)
一方、漸進主義でも近代主義でもなくて、「昔に戻れ」「伝統に回帰せよ」と叫ぶ人たちもいるが、彼らは近代的保守ではなくて、単なる復古主義であり反動勢力。(そのくせ保守を名乗りたがるからタチが悪いw)
オランダのプロテスタントらが江戸幕府にカトリック教徒たちを惨殺させた史実、ナチスドイツや優生学もプロテスタント勢力のものだった史実からすれば
プロテスタントは、そもそも工作員で差別主義者の宗教団体として作られたのでしょう
そうでないなら、差別主義を否定した聖書の解釈を教えてくれませんか
と、プロテスタントの身内を何年でも問い詰めたい
息を吐くように嘘を付く例と言えば、例えば今日は「最近手塚るみ子さんの父上が亡くなった」旨のメールだ。彼女はニュースをチェックさせたいのだ。つまり今日なので、撃たれて死んだ医師の報道を見せたいらしい。彼女の大好物は人の訃報とそれを人に見せることなのだ。
毒親、差別主義者、策略家。ナチスの毒ガス会社の社長カール・クラウフを思わせる。窒息死というジワジワ型の手段を好む。なおカール・クラウフは死んでるんだけどね。
少年法の厳罰化で社会はどこに向かうのか:犯罪心理学から見た少年法の意義と厳罰化のリスク
https://news.yahoo.co.jp/byline/haradatakayuki/20200706-00186748
めでたい…とは思えない人間だが、
自衛隊は必要だと思う。けど、憲法を変えなくても集団的自衛権できたじゃん?
この国には改憲派と反対派の大きく2つの勢力があるわけで、その2つがちょうどいい具合に拮抗するのが改憲なし集団的自衛権だと思うんだよね
ありがたい存在けどその存在について議論され続ける、っていうのがベストだと思う
つーか、米軍がんばれよ、って話よ
しかし3年前に中国のChaoJiプロジェクトと共同で次世代ハイパワー急速充電器を共同開発する事になり解決の目処は見えた。
現行の日本CHAdeMOと中国GB/Tが「ChaoJi/CHAdeMO3.0」で統一するという一大アジア勢力になる。
とにかくテスラを筆頭に見慣れない(個人的な主観で率直に言うとキモい)車が多い。
エンジン車のフロントフェイスはフロントグリル(ラジエータに空気を取り入れるための風穴)がデザインの中心核にあることは言うまでもないが
ほとんどのBEVはラジエータ要らないので機能的にグリルも要らない
バッテリーを冷やすためにラジエータを必要とする場合でもフロントに置く必要はない。
なのでグリルレスなデザインのモデルが多い。よく分からん人はテスラモデル3を画像検索してみよう。
日本車だと初代リーフがそれ(余談だがかつて初代リーフは世界のEVシェアの3割あった。今は3%)
ところが2代目リーフではフロントグリル風デザインになって見た目は「普通の日産車」になった。
違和感がない。日産車のあのデザインが好きな人なら現行リーフは迷わず買えるだろう。
というわけでフロントグリル風デザインを採用してるメーカーを雑に書いてみる。
現在のマツダ車はBMWと同じくグリルそのものがメーカーの顔になってるが
MX-30は最初からEV化を意識してたのか縦方向が薄くてのっぺらぼうみがある
しかしあの車格で最低451万円するので、だったら素人さんはテスラを買うだろう
個人的にこういう面白い車がバカ売れする余裕のある世の中になってほしいと思う。
あまりベンツっぽくない。エンブレムがなければベンツと気づかないレベル
ウクライナ侵攻で和リベが終わる。
・・・ んなわけないだろw そもそもリベラルなんてハッキリした定義があるわけでもないし現実に一枚岩なわけでもない。戦前から戦後にかけての政界でリベラルと呼ばれた勢力は基本的には吉田茂や石橋湛山あたりであって、その対抗勢力は岸信介あたりだよ。で、吉田茂の派閥の後継者といえば今は誰だか知ってるかい?
https://www.y-history.net/appendix/wh0102-091.html
ローマにおいても共和政時代は市民が重装歩兵として軍事的基盤をになったが、次第に有力者が没落した市民を私兵として雇うようになり、マリウスの兵制改革で職業軍人制が導入され、市民
個々の論点について何か言う気はない(というか知識不足なので何も言えない)んだけど、結論のとこの「すでに社会的に受け入れられてない優生思想」とか書くのはやめてくれ。障害者福祉に関わってる人間からすると、「受け入れられまくってる」としか思わないよ優生思想。多くの人間が、優生思想を内面化した上で「自分は優生思想なんて『悪い考え』とは無縁だ」と思ってるだけだよ。
例えばこの記事を見てみろ。
https://news.yahoo.co.jp/byline/abumiasaki/20181118-00104575
「キリスト教保守のバックラッシュに対して怒れるフェミニストが立ち上がった」という論調で書かれてるし、これをTwitterとかで肯定的にRTしてるリベラルも多く見かけた。でもこれ、優生思想以外の何物でもないだろ。
(ダウン症などの人間に対する差別と捉える人もいる)ってカッコ書きがついてるけど、「障害者か健常者かで堕胎OKのラインが変わる」のが、「差別と捉える人もいる」なんて言葉で済ませていいものだと思うのか。障害者にとって「お前らは生まれるべきでない存在」というメッセージになるという想像ができんのか。
もちろん堕胎自体は全面的に個人の自由だ。差別的な内心に基づくものであっても構わない(内心は覗けないしな)。でもそれを口に出したり、法制度上で明確化したりしたら、それはやまゆり園犯人と同じ川岸に立ってるということだよ。
欧米なんかの場合、キリスト教保守などの「堕胎の全面反対」勢力が日本より遥かに強いため、ファミニズム内で「どのようなものでも、わずかなものでも後退は許されない」という「蟻の一穴」的な考えがどうしても強くなってしまう
(こういう考え、「表現の自由戦士」と揶揄される人らにもよく見られてどうも乗れないなとはなる。それと、「表現の自由戦士」「ツイフェミ」「ネトウヨ」「パヨク」みたいな「嫌いな集団を揶揄する、内向きな言葉」、例外なくクソだと思うね)
という事情もあるので、一概に非難だけはできない(荻野美穂先生みたいにこの辺をちゃんと問題として捉えてるフェミニズム学者もいるしね)んだが、しかしそれでも「優生思想は現役だよ」とは言わなきゃいけないし、生殖技術の進歩に伴ってなし崩し的に内面化が強化されてるフシさえあるよ。
色々雑でツッコミどころは山ほどあると思うけど今はこれで精いっぱい。
ワンチャンスある?→もしかしたらもう一度やらせてもらえる!?→もしかしたら○○(ポジティブな意味合い)→もしかしたら△△(肯定的な意味合いでも否定的な意味合いでも) だもんね
だから「もしかしたらいけるかもしれない」の意味合いでもワンチャンは使うし
「もしかしたらダメかもしれない」の意味合いでもワンチャンを使う勢力はいるだろう。
でもその使い方したら「じゃあチャンスってなんだよ」って指摘されるから
本当は本来の意味合いを理解してて、ただ友達の中国人の王(ワン)ちゃんが酷い目にあったのかもしれないアル
結構昔からの友達に、色々ちゃんと自分で考えるタイプで、波長が合うし尊敬してるタイプの子がいるんだけど、その子の様子が最近ちょっと変わっていて。
何かというと、所謂『能力主義は正義か?』的な話(成功は本人の努力によるものではない的なやつ)と、フェミニズムにすごい傾倒してて。
こうやって、特に"フェミニズムに傾倒"って書くのは実はかなり抵抗がある。
というのは自分自身そういう考えを持ってるし、そもそもこうやって"フェミニズム"って日本語で書いた時、それが何を指すのか今はすごい曖昧になってしまってるからだと思う。
※ここでいう"フェミニズム"は、所謂揶揄されるときに使われる"行き過ぎたツイフェミ"みたいな意味ではなくて、女性の人権を守ろうとする考え方や運動、つまり本来の辞書的な意味のフェミニズムです。
そういう"真っ当な"ものだと考えているなら、なんで"傾倒"なんて言葉を使うのかというと、そうとしか言えない状態に友人が見えたからで、それがこんな長々と文章を書いて自分の考えをまとめようとしている理由でもある。
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その友達は昔から本当によく考える人で、ともすれば面倒臭い人なんて扱いを受けることも多かったそうだが、こちらも"自分の頭で考えずに生きるなんて"、という方だったのですごくウマが合った。
ウマが合うといってもずっと一緒につるんでいたわけでなく、中学の時から接触が増えたり減ったりしながら、社会人になった今でも繋がってるといる感じ。
で、最近電話で話し込む機会があったんだが、そしたらなんか友達がその、ちょっと変わっていた。
能力主義は正義か?という話も、フェミニズムも、今ある当たり前を疑うという話ではあるし、それ自体に自分もアレルギーがないどころか、特にフェミニズムについてはかなり友達と似た意見を持っていたはずだ。
ただなんだろう、自分の頭で考えていたはずの友達の口から、インターネットやそこらで聞き飽きたような話がつらつらと出てくるのには結構な違和感を感じてしまった。
能力主義のあれそれやフェミニズム的な話を"聞き飽きたような話"と書くのもすごく抵抗があるが、じゃあ例えばそれが何かというと、エリートへの怨嗟、結婚制度は家父長制を助長するであるとか、現状に対する特権側の無知厚顔さであるとか…。
それらの主張や感じ方自体に反対かというと、そうでないどころか自分も同じような考えを持っていさえする。
だから、所謂"ウワッフェミニズムの人だ!(笑)"みたいな気持ちには当然ならなかったし、途中までフンフンそうだよな的な気持ちですらいた。
のにも関わらず、だんだんと違和感が大きくなっていった。だって、あまりにもその、聞いたことあるし思ったことある話だから。
いやそりゃ、同じ問題について課題意識を持ってるんだから、同じことを考えるのは必然だろうというのもわかるし、それはそうだと思うんだが(例えばフェミニズムじゃなかったとしても)。
ただ、あまりにもその単語の全て、怒りの方向性、結論、雰囲気(としかいいようがない)などがあまりに既視感のあるもので。
似たような人間が同じ本を読んで感想を熱く語っているような、そんな印象を受けた。
で、じゃあその何が問題なのか?というと、それでその友達がものすっっごく生きづらそうだったのと、自分にも同じ生きづらさについて思い当たるところがあったというところ。
いやさ、フェミニズムなんて女性の生きづらさに対する考えや運動なんだからそれを意識すれば大変なのは当たり前で、でもそれに無関心、無知で生きるよりよっぽど良いだろと思うし、それは別に間違ってないとも思う。
ただその"フェミニズム"的考えが本当に全部自分のものなのか、考えたほうがいいなと思った。
別に自分の原体験じゃなくたって、他の人の怒りに同調することは全く悪ではないし、実際日本はジェンダー格差がやべ〜のは事実だし、それに怒ることはマジで大事だと思う。
でも、そういった考え方や感情のどこまでが本当に自分のものなのかを間違えたり、わからなくなると、なんというか現実までそれに歪められてしまって、目の前の人間や現実をそのまま受け入れられなくなってしまう気がする。
"よく考える人である"はずの友達をあらためて客観的に見た時に、あまりにも『能力主義は正義か?』とかフェミニズム的な考え…イデオロギーを外からガッツリインストールしてしまって、それに雁字搦めになっているように見えた。
そこで改めて自分や"フェミニズム"というものを顧みてみると、やっぱりかなり思うところがあった。
今のツイッターの"フェミニズム"ってさ、まぁあくまで自分の観測範囲内であることは先に強く言っておきたいけど、こんな感じじゃん:
・みんなが個々で色々考えて言っているように見えて、そのベースにはある程度共通のイデオロギーがある(ように見える)
・そのイデオロギーは別に特定の有名人一人の考えではないが、複数人拡散力の強い人はいる(本の著者やSNS上のインフルエンサーなど)
・対抗勢力めいたものがいる(その雰囲気を帯びた投稿にめちゃめちゃ噛み付くユーザとか)
・程度の差はあれ、現実の認識がそのイデオロギーに影響されている
これってさ…この特徴って、フェミニズムだけじゃないインターネット上の"運動"でよく見かける気がしないか?
ネトウヨとか、スピリチュアルとか、陰謀論とか、そういう、「自分の頭で考えれば良いのになぁ」って感じの人達。
↑の箇条書きのテーマをフェミニズムからこれらに読み替えてみてほしいけど、どれでも結構当てはまると思う。
まぁ、だからどうなのかと言われると、少し困る。
ジェンダー格差は現実の切実な課題としてそこにあることも、それを自分が問題に感じることも変わるわけじゃない。
ただ、少なくともインターネットで多く繰り広げられてる"フェミニズム的なもの"については、↑のような要素や部分も少なからず有るようには感じる。
人間というものがなんらかのイデオロギーを持って活動しようとすると、多かれ少なかれ似たようなことになるのかもしれないな、とも。
だから、これもどこかで聞いた話だが、"その怒り(じゃなくてもいいけどなにかの強い感情、そして多くの場合は怒り)は本当にあなた自身の怒りなのか?"というところがわからなくなったら、一旦距離を置くというのも(その人自身の人生にとって)良い選択肢なのではないかな、と思う。
別にインターネット上のフェミニズム自体を全く否定するわけではないし、拡散力がある以上その手の運動にとってインターネットの活用は不可欠だと思う。
具体的に名前が浮かぶアカウントも、普通に応援したいというか頑張れ…とは思っている。でも、俺は一旦離れようかな、という感じ。
こんだけつらつら書いて結論弱?!って感じだが(笑)、自分が信じ込んでるものについて、リアルで他人の挙動を見せられたのは結構衝撃だったし、それをみて自分にも思い当たるところ(振る舞いもだけどそれより特に考え方について)があったのも衝撃だったし、それを整理するのに分量が必要でした、という感じだ。
その友達も変わらず俺の大事な友達なので、別にそのイデオロギーめいた部分以外は変わってないし話してて楽しいし、同じ考えを持つことを強要されだすとかしない限りは(そしてそういうことはしない人だとは思う)、仲良くしていきたいと思う…(書いてて改めて思うけどほんと陰謀論の人とかに対する感じ方だな…)。
ちなみに自分の振る舞いや考え方で特に思い当たったのは、同性パートナー(男)への評価の仕方がなんか、毒されてるな(あえてこういう日本語を使う)と思った(し実際相手から微妙に指摘された)という感じです
こういうちょっとした違和感が重なっていた所に、ドーンと友人の挙動を見せられたのがトリガーになった感はある
蛇足にしたのは本編でしていたイデオロギー云々の話に、自分の個人的な話(特に属性)を入れると話が発散しそうだなと思ったので…
男でフェミニズム?モテたいの?とかよく言われるけどゲイだと結構色々思うところはある。
ただあんまりこの話をするとそもそもフェミニズムは女性の権利の回復の話であって(勝手に男のものにするな)、みたいな話にもなるし、別にその話をしたいわけじゃないのであまり脱線させたくなかった