喉に熱い球がつかえて塞がっているようなヒステリーが表現の原動力であっていいと思うんですけどね
と
M君事件のときにホラービデオ規制論を作文で書いてクラス中の顰蹙を買ったかつての中学生が言ってみる
このタカ派の論は先生の意を汲んだものではないかと当時疑われたのだがまったくそういう意図はなかった。うちのヒステリックな母親の影響は大きかったのだろう。彼女がM君についてことさら批評した記憶もないのだが
ついでにいえば中高一貫の天主教の男子校だった。さあ晒せ叩け(といって要するに自分に対するヘイトをあつめている、まるでタンクのごとく)
こうやって荒らすだけ荒らしてぼこぼこにされるというのが自分のいじめられ体験の本質なんだというのをいまさら他人をみていてうんざりするほど理解するこのつまらなさ‥