2009-08-11

差別に関する公共の議論は根本的に無意味

喉に熱い球がつかえて塞がっているようなヒステリーが表現の原動力であっていいと思うんですけどね


M君事件のときにホラービデオ規制論を作文で書いてクラス中の顰蹙を買ったかつての中学生が言ってみる

このタカ派の論は先生の意を汲んだものではないかと当時疑われたのだがまったくそういう意図はなかった。うちのヒステリック母親の影響は大きかったのだろう。彼女がM君についてことさら批評した記憶もないのだが

彼女が結局自殺したのもそのヒステリーと関係があるわけだけど

ついでにいえば中高一貫の天主教男子校だった。さあ晒せ叩け(といって要するに自分に対するヘイトをあつめている、まるでタンクのごとく)


こうやって荒らすだけ荒らしてぼこぼこにされるというのが自分いじめられ体験の本質なんだというのをいまさら他人をみていてうんざりするほど理解するこのつまらなさ‥

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