はてなキーワード: 上位者とは
一つは解脱者と呼ばれる連中だ
30年代に登場した副作用の少ない強力な性欲減退剤や精神安定剤を自らの意思によって服用し、甲斐性といった性役割から降りて趣味や仕事の世界に生きている。
といっても彼らに出世欲は湧かず、生活や趣味に最低限必要な金銭しか稼ごうとしないものが多い。
自らを、性欲奴隷から解放されて人生を謳歌し、真理を探究するものと称しているが、実態は誰からも求められなかった苦しみの末に薬を服用した逃亡者たちがほとんどである。
政府が事実上の一夫多妻制とみなせる独身税の設立や母子家庭の支援強化といった制度制定が追い風となり、
気持ち悪くて弱い男が恋愛市場から退場することを求める女性の主張はもはや隠されず社会にて声高に叫ばれるようになったため、逃げざるを得なくなったとも言える。
彼らは確かに苦しみから解放され穏やかな顔をしているがどこか目に陰りが見えると言われている。
二つ目は”妄”目者と呼ばれる連中だ
太古から男たちは妄想にある理想的女性の偶像を崇めていたが、ついに現代ではテクノロジーの粋を集めて女性の妊娠機能以外のほとんどを代替できるサービスや商品が実現されていた。
最も一般的かつ人気のあるサービスは、仮想人格を主体として顧客の生活にシームレスな憩いを与えるものだ。家ではヒューマノイドや台所のロボットアームに宿り、直接触れ合いながら充実した性生活を送ったり、”愛妻料理”を楽しむことができる。
外出先や勤務先ではXRグラス上に完璧な偶像に宿った仮想人格が現れ、取り留めない会話をしながら日常の通勤や仕事休憩中に彩を与えてくれるだけでなく、外食や旅行さえ一緒に楽しむことができる。
本人たちは幸せそのものだが、傍から見ると虚空と話し心を通じあわせている姿は異様である。既に彼らの心は現実世界にはなく、自らを受け入れいなかった社会や人間に対して目を閉ざしてしまった。
しかし、見たいものだけを見るには金が要る。最新のソフトウェア及びハードウェア技術を寡占する巨大tech会社たちにサブスクリプション方式で少なくない金額を払い続けられる、盲目で居続けられる者は一部の稼ぎのいい上位職者や技能のある者に限られた。
よって、稼いだ金銭では仮想人格を一定期間しか呼び起こせずサブスクリプションが切れた悪夢に耐え切れず解脱者となる者も少なくない。
意味はそのままで男性の上位2割がこの上位者とされるが、明確な認定基準などというものはない。
生まれてからずっと解脱者や盲目者に逃げるまでもなく自然に他人を愛し愛され、幸せを享受できていることで初めて自分が上位者だったと知るのである。
よって女性たちは上位者をあくまでも”普通の男の人”と認知しているが、解脱者や”妄”目者からは種付け馬と揶揄されている。
恋愛や婚活市場の男は上位者しかおらず、先ほど述べたように事実上の一夫多妻制が実現されていたため、女性たちは本能の赴くまま優秀な遺伝子を手に入れ、解脱者や盲目者も収めた税金で不自由なく子供を育てた。
今はまだ黎明期である。解脱者は負け犬だ”、妄”目者は現実逃避だ、上位者は種付け馬だという対立はまだ目立つ。
しかし皆は薄々気づき始めていた。そこには実体としての被害者も加害者も定義できず、全員が幸せと思い込める唯一の道であると。
ワヌの属するワヌ科はもともと水生の動物であったがある時期を境に生活環境を陸上に移して追跡型の狩猟者となった肉食獣のグループである。
待ち伏せ・忍び寄り型の狩りに適応したネユ科の動物に対して、ワヌ科の動物は、細長い四肢など、持久力重視の走行に適した体のつくりをしている。
ワヌの特徴としてヒトと同じく社会性を持つ生き物であることが挙げられる。意思疎通をするための感情や表情も豊かで、褒める、認める、命令するなどの概念を持っている。ヒトに飼われているワヌは、人間の家族と自身を1つの群れの構成員と見なしていると考えられ、群れの中の上位者によく従い、その命令に忠実な行動を取る。この習性のおかげでワヌは訓練が容易で、古くからヒトに飼われてきた。最古の家畜とする説が有力である。子ワヌを入手して飼う場合には、親ワヌの元でのワヌ社会に対する社会化教育と新しい飼い主と家庭および周囲環境への馴化(じゅんか)との兼ね合いから、ほぼ6週齢から7週齢で親元より直接譲り受けるのが理想的とされる。
最近趣味で詐欺まわりの情報を雑に漁ってるんだけど、行き着くとだいたいマルチ(MLM)に行き着くんだよなぁ
MLMってもっとディストリビューターのマージンを抑えてやれば、アフィリエイトくらいのゆるいノリで運営できないのかね
って、そんなのやるくらいならアフィリエイトにしたほうがマシか
ピラミッド構造で上位者が強力にマージンを吸い上げる構造だからこそ血眼になって商品やら出資を増やすインセンティブが出来るんだろうけど、どう考えても長続きするような仕組みじゃないし、物品販売だろうが、ましてや投資案件であれば、MLMやってる時点で詐欺と思ったほうが良さそう
個人的に最近聞いた中で一番好きな詐欺は、ディズニーランドの幹部でVIPルームに招待するからお金貸してって、喫茶店の人から金パクるやつが創意工夫と夢のバランスが良くて好き。
アイカツ!~オンパレまで筐体とアニメを追いかけていたが、現在の最新作であるアイカツプラネット!にいまいちハマれない。
もともとアニメに固執はしておらずシリーズが続けば良かったので実写化については歓迎していたし新筐体も期待していた。
先行稼働にも行ったし実稼働も初日からプレイしていた。キャラクターの見た目も可愛くて自分的にはどストライクだった(とくにシオリちゃんが可愛い!)。が、やればやるほど違和感がつのる。
番組の方も視聴していたが回を増すごとに疑問点が増え集中出来なくなり最新話を見るのが辛くなった。
以下は愚痴。
[筐体側]
ドレシアは何がしたいの?
そろそろ説明してほしい。
・イベントがポイント制になったため、1日でもプレイしそこねると上位を狙えない。また効率も関わってくるので常に全力プレイを要求されているようで、ゆっくり遊びづらい。
過去作でもポイント収集イベントはあったが物語が見れたし特定のポイントで限定ドレスが貰えたのでそこまで苦ではなかった。(せいぜい8回位のプレイで回収できた※オンパレ除く)
・ゲームプレイ前にスイングが排出されるのでそのレアリティによっては以降のモチベーションがかなり下がる
ただ稼働終了したディ○ニーの着せ替えゲーもそれがキツかったので個人的に合わないだけだとおもうが。
ドレスは普通に着てほしい。せめてオープニングバトルだけでも…。
3タテされてスタートドレスのまま終わった時はマジで情けなかった
・そもそもアイカツプラネットの世界におけるランキング上位者とは何なのか説明がほしい。
ダイヤモンドフレンズみたいに名誉あるものなのか?その場合、(アイカツプラネット界において)どこまでの影響力をおよぼすのか?
よく分からないものに対してとにかく1位だからすごいと言われても意味がわからない。
全アイドルのNo1とうたうならスターライトクイーンやS4やダイヤモンドフレンズ並みの影響力の説明をしてほしい。目指すべき対象がわからんのでモチベーションに繋がらない。
・課金導線が弱い
オンデマンドから現物になったせいだと思うが、ブロマイド作成や特殊カードがなくなったせいで、スイング収集やスコアタに興味がないと追加金の意欲がなくなる。
またスイングを買うだとマイキャラパーツが入手できるがランダムなので欲しいパーツがくるか分からず購入意欲がわかない。
配布かグッズかマイページ作成のどれかからになるが、誘導がない。
スキャンしてねだけじゃだめだと思う。作るとどういうことができるかちゃんと紹介しないと初見やライトユーザーが定着しないと思う。
またマイページから作れるが幼女先輩には出来ないだろうし(親御さんの承諾という大きな壁)継続プレイさせる気あるのか?
[番組側]
・アイカツプラネットにおけるアイドル観をちゃんと説明してほしい
アバターと現実の人間の2種類いるが、アイカツプラネット界と現実世界におけるアイカツ!の違いは何?
必須だとしたら、あの世界の人々はアバターをどう受け入れているのか?
アバターのファッション誌が一番疑問。普通に現実での着こなしを知りたいわけでかなりミスマッチでは?
サマーウォーズのOZみたいな仮想空間なのか、プリパラなのか?
ご飯食べてるしエンジェルロードなる地形への干渉があるからプリパラ的空間だと思うが、そうなると一般人はどうやって出入りしているんだ?
観客はどこから湧いて出たんだ?
・話のテンポが遅い割に上記の世界観の説明がほぼない。ドキドキプリキュアの構成を見習ってほしい。
ドレシアは結局何なんだ…
またセリフのテンポや演技が変。何で意味不明にセリフを溜めるんだろう?
・結局まおちゃんはハナになって何をしたいの?
ハナを続けたいのはわかったけど、それによってどういうことがしたいのかが分からない
ここまでくると、自分はアンチ側になってしまったのかとも思う…
ただシリーズは大好きだし続いてほしい。
プラネットも今は自分には合わないだけで後々好きになる可能性はある(実際スターズがそうだった。VAくるまでキツかった)ので
とりあえず2弾プレイと最新話見ないと…
中学内の成績順に誰がどの高校を受けてもらうかが最初にほぼ決まっていた。
成績上位者の何名までが進学校行き、中間が商業高校行き、底辺は、工業高校行きみたいな。
もちろん、それは学区内の中学校同士が決めたことであって、最初の段階では生徒や親の希望は全無視の状態。
西部には女子だけが行ける女子高や、推薦入試で入れる特殊な学科があるせいで、
生徒&親の進路希望を聞く段階で、
学内での受験者数調整と、それでおさまらない場合は、他の中学との受験枠のトレードという形での調整を繰り返した。
進路指導というのは、先生と生徒が一緒に将来のことを考えましょうなんて理想とはかけ離れていて、
先生が生徒に受けるべき学校をここにしてと説得する場でしかなかった。
生徒が受けたい高校に自由に願書を出せばいいという状況ではなく、
対人関係が良好な者(いわゆるリア充)に対する僻みは、我々(いわゆる非リア充)にとって、文化、世代、性別を超えたある種の共通言語となっている。
この文脈は、はたしてリア充と呼ばれる人々にも共感できるのだろうか?
現在リア充であっても、リア充ではない自分を想定できるし、そうなった時に自分がリア充に向けるであろう目線も容易に想像できる。
リア充の中にも「リア充度」の高い者と低い者がいる。下位のリア充は上位者に対し、我々と同様に僻みを抱く。上位の者ほど僻みの対象が少なくなり、共感性も薄れる。
リア充は、コミュニケーション能力などの「リア充性」に関して他人を僻むことはない。しかし、収入や社会的地位、容姿、才能、知名度などについて他人を僻む事はあり、その感情と置き換える事で共感可能である。
リア充は、対人関係が苦手という感覚が理解できないし、それによって下される社会的評価の影響など想像もできない。
はいそうですね。