はてなキーワード: うまいとは
正確さに欠ける文章を目にしたため40年名古屋に住んでいる俺が訂正する
岡崎とか豊田のほうが本場なので観光客は三河に行ったほうが良い
・あんこ
パンに付ける以外特異な点はないと思っている
だいたいアンパンがある時点でパンにあんこは普通の組み合わせである
・きしめん
名古屋駅にかぎらず昔から名古屋近辺の駅そばは「うどん・そば・きしめん」から選ぶスタイルで定着しており、絶滅の危機に瀕したことなどない
そのへんのうどん屋でも多くの場合提供されており地元民に親しまれている
・ころ
発祥は岐阜らしいですね。うどん屋で温・冷を選べる場合、冷のかわりに「ころ」と書かれていることがあり予備知識がなければ全くわからないと思う
冷たい分塩気を強く感じるため関西の人は気を付けたほうが良いかもしれない
山本屋(本店・総本家)が有名だが大抵のうどん屋で提供されているため食べる機会は多い
スーパーで冷蔵商品(麺とスープがセットになった2食入りのもの)が売られているため家で食べることもある
多くの名古屋人はうどん屋にカレーうどんがあるのは当たり前だと考えている
オフィス街のあんかけスパゲティ屋のランチタイムはおっさんで満員になっている
・みそかつ
スーパーの揚げ物コーナーの一角に味噌串カツなどとして定着しているため家で食べる人が多いかもしれない
・手羽先
山ちゃんや風来坊が会社の飲み会会場になることは普通にあるため割と良く食べられているほうだと思う
これもスーパーの揚げ物コーナーに出現する定番のため自宅でも食べる
・天むす
町中華のメニューに高確率で存在し、醤油・味噌・豚骨などに準ずる基本の味として扱われている
・すがきや
積極的な第一候補になりにくいという点ではマクドナルドに似た部分があるかもしれない
認知率の差が大きい。昔から名古屋に住んでいる人でも一切知らなかったりする
・ういろう
たまに県外の人から自分は特別ういろうが好きだと言われて驚くことがある
ただ、小田原や山口のういろうの話をするとケンカになることがあるのでやめたほうが良い
前提
で
この作品は主人公とヒロインの関係性を楽しみながら、舞台の上だけに限らない、個性豊かなキャラクターたちのやり取りを楽しむものなのでしょう。現実の歌舞伎とは全然違って、例えば歌舞伎に興味がないのに歌舞伎役者の養子になるとか、古典歌舞伎の公演に演出家がいるとか、分かりやすく現実と違います。だから実際の歌舞伎とは違うものとして読むべきものだと思っています。
「どこかで見たことのある、誰かが演じたもののパッチワーク」という言葉、なかなか歌舞伎の本質を突いた言葉だと思います。2世猿翁の言葉にあるように、歌舞伎の本質は「学ぶはまねる」にあると思います。先人に教わって、その人のやり方をまねるところから始まる。それがあるからか、歌舞伎は故人を含め、誰かに似ていること自体が悪いことではない、珍しい分野だと思います。ほかの演劇分野だと誰かに似ていることってあまりよくないこととされていますが、例えば「吉右衛門に似ている」という言葉は、悪い意味にならない。そういうところが歌舞伎の面白いところだと思うので、「誰かが演じたもののパッチワーク」という言葉はなかなかうまいことを言っていると思いした。
「歌舞伎はなんでもあり」これは本当にその通りだと思います。先日も秀吉の物語を見ていたはずなのに、突然舞台が天界に移って孫悟空の踊りが始まり、本当になんでもありだと改めて思わされました(これがとても良かった)。18世勘三郎の言葉にある通り、「型があるから型破りが出来る」「型が無ければ単なる形無し」という側面もあるので、このあたりも描いてくれたらいいのになあと思っています。
ネット上での連載では三人吉三の上演準備が始まっています。演技へたくそと言われている人がお嬢で、華も人気もある役者がおとせになったら、ファンが公演を盛り上げるどころかなぜお嬢ではないのかと暴動を起こしそうですが、そのあたりがどうまとまるか気になります。お嬢の演技も真冬の作品なのに弁天小僧のように片肌を脱いだ演技になっているので、どんな理由がつくのか楽しみです。個人的な好みを言うとお嬢の特徴的な衣装が絵的に確認できればいいのですが、こういうところは単行本での加筆になるんでしょうか?
現実の高校生くらいの歌舞伎役者さんってまだまだ子供の範疇で、そんなに厳しく演技が下手だとか非難されていない気がします。例外的に小学生の頃から人気が高い人もいますが、ほとんどは名前すらろくに覚えてもらえないまま20代前半を過ごしているのではないでしょうか。高校生なのに演技が下手だの人気がないの、あれこれ言われて、物語だから仕方ないとはいえ、この作品の世界はなかなか厳しいですね。
船場吉兆って実例があるのに未だに分かってないアホが多いよな。
あれ、発覚しただけでバレてない料亭もいっぱいあるだろw
やっぱ本物をわかるのはGakcutだけやな。
地鶏って書いてるのに地鶏じゃなかったら、単純に食品偽装だからじゃない?
そらフレンチとか寿司とかエグゼクティブなものに限ればその限りではないが
外食に主に使われる高級食材が有り余ってても???|2020-07-03
定食1300-2200程度する店でも外国産の肉とスーパーの野菜
外食産業がお休みだから高級食材が消費されないなんて本当なのかな
酒なしで4000円~する店とそこに行く客なんて県内でいったい何人いるんだ
そんなので売り上げが違うものなんだろうか
↓
セントラルキッチンのチェーン店と地価のやたらめったら高い&地産してない東京だけやで
セントラルキッチンじゃない店なら
山へ行ったり海へ行く
ひろゆきって「あなたのためを思って」とかいって人生の要所要所でクソみたいなマウントしてくるジジババのカウンターとしてはうまいんだよな。「それ、あなたの感想ですよね?」みたいな。
結局橋下も石丸も
前半→https://anond.hatelabo.jp/20240718232635
勉強なんてますますしてやるかボケとなり、母が理想としていた聡明で清楚な娘なんてぶち壊してやった。制服のスカートを短くして、私服も男っぽくして、寄り道買い食い、刈り上げにして、運動部で日焼けしまくって、口も悪くなった。母が嫌いなゲーセンにも内緒で行ってた。さすがに身売りとか夜の街とか借金とか法律に反するとかのやばいことはしなかったが、できる限りで親の理想と反対を行った。
学校の授業は楽しかった。一部の先生は母みたいな上から目線で嫌だったが、大体はみんな優しかった。上から目線でバカにする人はほぼいなかった。私立だったからだろうか。勉強以外で得意なことがあるならそれを伸ばそうという校風だったからだろうか。
そうなってからはカンニングなんて頭になかった。気が付けば追試の数が減っていた。追試になったときも同じ追試仲間と一緒に勉強するのは苦じゃなかった。学校で受けた全国模試では下から数えた方が早かったけど、得意科目は上から数えた方が早かったからそれでいいやと思ってた。小学生の頃は得意科目がよくてもメインの科目ができないといけないと思っていたがそんなんど〜〜〜〜〜でもよくなった。父と夜遅くまで遊び、兄弟と旅行や遊園地に行き、母に強烈に怒られた時は友人が「じゃお泊まりしよっか!」と友人宅に何度もお泊まりした。友人の母も「子供がいっぱい楽し〜!ふぅ〜!」なノリでよく花火をして、焼き肉に連れて行ってもらった。この友人の母は「留年しない程度に勉強すればいいじゃ〜ん。あそぼーぜ!」な考えで、影響されたと思う。
一度高校の頃、地学で満点近いテストを母に見せたが「学校の勉強なんだし当たり前じゃん。しかも地学って笑」と笑われた。それ以外覚えていない。くそな思い出。勉強しろ!とお小遣いで集めていた漫画やアイドルグッズを全部捨てられたときもあったが、それでも勉強なんかしてやるか!となった。
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大学受験期に差し掛かり、母がまた中学受験の時のようにテストの点数点数点数となった時期。入りたくもない塾にいれられ、難しすぎる授業を受けた。宿題・予習の量が尋常じゃなく、難しさも相まって何もわからない。学校の点数も口うるさく聞いてくる。親が金を払っているからさぼる事はしなかった。塾の授業も遅刻せずに真剣に聞くが授業スピードはかっとんでいくのでわからない。
その時の塾の先生は優しかった。すっごく初歩的なことを聞いても「わからないの?」と責めて来ない。しかし優しすぎてずっと何度も質問するのがなんだか申し訳なくなってしまった。
せっかく中学で治ったと思った小学生の頃に身に染みてしまった質問は恥が邪魔して何度も質問に行けず悩んでしまう。
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母は教えてくれない。教えないくせに「こんなの聞いていればわかる」「私はできた」と責めてくる。「あんたはやる気がない」「大金を払っているのに」「私は自力で大学に入った」と武勇伝も出てきて家では口を開けば喧嘩だった。点数点数偏差値偏差値検定検定順位順位ばっかりだった。当時の私の偏差値は34で高校3年でようやくギリギリ英検3級が取れた(一敗している)。バカなのはわかってた。学校のテストは大丈夫だが、受験となるとレベルが違う。全くわからない。
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そんな中、塾で模試を受けたとき、ふと横の人をカンニングしてしまいそうになった。目が横に動いたと意識した瞬間に前に戻した。カンニングという選択肢が常に頭にあることに気が付いた。小学生の頃に常態化していたカンニングが邪魔をしてくる。
それから模試の最中は目の前の答案用紙ではなく、自分との戦いだった。駄目だ駄目だとペンを握る。時間を見ようと顔を上げたときに他の人に目がいってしまう。そして自分を責める。カンニングの文字が頭に浮かんでしまう。結局集中できずに模試が終わる。
自分はこんなにもカンニングがすぐ思い浮かぶ人間だったのか。最低だ。でも点数が悪いと怒られる。否定される。もう親は自分に関係ない!と言い聞かせても思い出すのはあの冷ややかな目。「あ、今から怒るな」とわかる表情。思い出すだけで耳が痛くなる甲高い声。早くこの受験戦争から脱しないとカンニングをしてしまう。絶対にしてしまう。早く脱したい。でもどうやって脱するんだ。だめだ、だめだ、だめだ、と模試を受けるのが怖くなった。その後も模試を受けたがカンニングしては駄目だという戦いをしていたことしか思い出せない。いつも終わった後はお腹が痛かった。
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勉強してカンニングしないようにすればいいと勉強しても「カンニングしちゃえば楽なのに」と悪魔のささやきが頭にこだまする。勉強しても頭に入らない。覚えられない。勉強していると何故か頭が痛い。喉が苦しい。お腹に激痛が走る。自習室にいるのに母に怒られてしまうと怯える。母の視線が怖い。怒っていない時でも怒っているんだと毎日思う。あの耳が裂ける金切り声でキレてくる。突然来る。負けないぞと立ち向かおうとする。でも朝「おはよう」とあいさつするのも精いっぱいだった。「おはよう」から何に転じて怒られるかわからない。同じ屋根の下というだけで朝から晩まで、いや寝て意識が飛ぶまで怯えていた。「おはよう、そういえば模試の結果まだ届いていないの?」と言われるのではないか?「おかえり、今度テストだよね?」と言われるのではないか?眠くなって自室に戻ろうとすると「受験生なのにこんな早く寝るの?!」と怒鳴られることがある。母の気分次第だ。
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そんな時、行きたいなと思った大学のAO入試を知った。自分は勉強と指定校推薦は無理だったので早急にAO入試にシフトした。論文と面接は楽しかった。自分の考えを丁寧に文と言葉として落とせばいいので、公式を覚えなくていい。面接も自分の会話ペースに引き込んで、延長するくらいには自信があった。
大学は有名どころに受かったので母は喜んでいた。「あんたはしゃべりがうまいからね!」とドやっていた。「何自分手柄にしてんだよくそが」と反抗期真っ只中の私はキレていた。今までさんざん「勉強できないあんたは大学なんか行けない。受験を舐めている」と言っていたくせに都合のいいやつと思っていた。私が成人した現在は「あの中学に行かせてよかった」とほざいている。お前のせいでカンニングしたという過去が存在しているのになと時たま思い出してしまう。
受かった後に、とある大学入試を本気で真面目に解いて、マーク試験なのに200満点中18点だった時は父は大爆笑、母は呆れていた。「択一式なのにwwwwwま、真面目にといて?wwwある意味天才だwwww」といった父の言葉。なんだかその時に呪縛が解かれた気がした。
母は既に大学に受かっているという体があったから呆れで済んでいたと思う。それか父と兄弟がその点数で大爆笑していたからか。怒られなかった。
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AO入試を受けさせてくれた母には感謝している。大人になってから聞くと「AO入試なら受かると思った」と。「お前にとりえなんてない。おしゃべりがうるさい子。反抗期長すぎて親を何だと思っている」とキレていたくせに。母には感謝している部分とぶん殴りたくなる部分がある。
中学受験についても感謝している。受験させてくれたことには。小学生の終わりかけのころはいじめられていて、近所の公立に行ったらそのままいじめられ続けていたと思う。受験で救われることもあったから、受験を完全なる悪だとは思わない。むしろ受験をして出会えた素敵な人たちがたくさんいる。
当時、いじめられていると母に言ったら「あんたが弱弱しくするからだよ。勉強で見返せば?」と助けてくれなかったので、ま、いじめで受験させたのではなく、母の自己満だろう。それでも私は良かった。複雑な感情だ。
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大学生時代の時は授業と勉強が楽しすぎて単位上限を超えたので聴講もしてずっと大学にいた。
そして検定を好んで受けた時、カンニングを意識することはなかった。自分のペースで勉強するのは楽しい。誰にも怒られず、自由に勉強して好きに試験を受けるのは楽しいので、カンニングなんて微塵も思わない。試験が楽しくて試験中は解くのに夢中になっている。落ちたって「あちゃー」と自己責任で終わるからプレッシャーもない。
検定で〇級受かったと母にいうと「まだその級なの」とバカにしてくる。そんなもんだ。
勉強以外では仲良くしている。受験も就活も終わったからか母は丸くなった。怒らなくなったが、勉強の話になるとこんな感じだ。
社会人の今は帰りに図書館に寄って気象の勉強をしている。今度は地震の勉強でもしようと思う。
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カンニングしたというニュースを見るとカンニングをした子が心配になる。ニュースだから家庭環境は知る由もないけど、気になってしまう。カンニングをしてバレてしまい、退学、そして親から怒られるのだろう。思春期に親から怒られるあの形容しがたい恐怖と不安は自死すら考えてしまうだろう。詳細は分からないが、「この子がカンニングした理由が私と同じならかわいそうだな」と思う。カンニングは悪いことだ。悪いことだという大前提での話だ。金銭の取引をしているようなカンニングは知らん。
ましてやカンニングで責められて自殺、親が学校を訴えるなんて察するものがある。なんで子供がカンニングしたのか親はわかっているのだろうか。(処分の内容は一旦置いといて)
出来心だったとしても何でカンニングという行為をしてしまったのか。いじめとか、学校側がカンニングを仕向けて嵌めたのなら訴えるのはわかるが、そうでないのなら親がどんな思想で訴えたのか、何となくわかってしまう。子供の心情を察する。
定期的に話題に上がる教育虐待を受けて親を殺してしまった女性までは酷くないとはして、テストの点数によって怒鳴られ・責められる子はたくさんいるのだろう。バレていないだけでカンニングをしている子もいるだろう。
それを思うだけで辛くなる。私も反抗期がこなかったらカンニングを続けていたかもしれない。親に逆らえない性格だったらと思う事がある。勉強以外を認めてくれる人に出会わなかったらどうなっていたか。父、祖母や兄弟も私を勉強でいじめはしなかったという家庭環境も助かったと思う。
カンニングをする子は本人の意識の問題もあるかもしれないが、環境も強い気がする。カンニングが悪だとはわかっているが、少しでも点数を良くしないといけない事情がどこかにあるのではないかと思ってしまう。私はモラル<親の優先順位になっていた。悪だと思ってもやらなければいけない。そんな環境があるのだろう。
点数を気にしない人と出会うしかない。そんな環境にしないと抜け出せない。どうにかしてその環境から逃げ道を見つけてほしいと思う。カンニングをしてしまった事実を消すことはできないが、その子がカンニングを続けないという選択肢を選べる環境になってくれ。そう願うばかりだ。
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カンニングした人、ごめんなさい。カンニングした私は最低です。カンニングだと気が付かずに点数を付けてくれた先生たち、ごめんなさい。
今は勉強をすることが苦ではないです。大学に入ってから勉強が楽しくて仕方が無いです。だから昔の分、大学生から今まで勉強しています。カンニングなんて、ニュースを見なかったら思い出さないくらいには存在を忘れています。今は勉強が楽しいです。自由に、好きに、勉強できるのが楽しいです。
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不法会計の指摘にはだんまりで「タコ部屋」という部分だけ訴えて地裁ガチャ。
私はたまにしか夢を見ない
まあ覚えてないだけとかいうよね
起きてその日くらいは覚えてても
数日後にはもう思い出せない
そんな私が一瞬だけど何度も見る夢が
うまく走れなくなる夢
走り方とかはいつも通りなんだけど
急に重力がよわ~くなって一歩蹴るとしばらく地面につかない
だから一生懸命足を回しても腕を振ってもぽよーんて感じで進めない
そして今朝初めて走る以外でできなくなる系の夢を見た
覚えてる限りでは多分なんかの公務員の採用試験で国語のペーパーテストだった
制限時間が迫っているんだけど、まるで文章の内容が頭に入ってこなくて焦る焦る
文字がわからないとか意味が分からないのではなくて、とにかく目が滑って内容が入ってこない
かろうじて記号とか選択問題は埋めても記述がまるでできなかった
学生時代はどちらかといえば国語は得意な科目だったからワケが分からなくていつもより早く目が覚めた
最近はなかなか集中力が持たなくて一冊の本も通読できないことに焦ってるのかなあ
少しずつでも自分の中に何かを積もらせていきたい
Xかなんかで、本は広告も出ないし最高の濃度の読み物って見た
確かにその通りで、流れる雑多な情報からうまいことコスパを追い求めることに慣れてしまっていた
今だになかなか集中力はもたないけど
少しずつ形作って彩っていきたい