はてなキーワード: 退院とは
http://anond.hatelabo.jp/20111110111334
これの従弟だけど補足してみるよ
元増田の記事を読んで心配してくれた人のために現在の状況を書くと、従姉は退院して仕事復帰、従姪は平日は俺の家で預かり週末は従姉の家に戻る形で生活することになっている
生活費についてはこちらから特に援助はしていないが、従姪が俺の家にいる間にかかる費用を請求してないので、その分は浮いているはず
一緒に暮らしていない元増田が把握していなかったことを補足する
従姉のところの問題の源は元夫のDVと虐待
娘が気に入らないことをしたら「母親なんだから躾けろ」と妻に命じて体罰を強要
号泣したところで慰めて自作自演で娘の好感度稼ぐというのが従姉の元夫の手口
これを人間関係全方位で展開して孤立した相手を自分に依存させて支配していたわけだ
従姉は自分が子供に手を上げたことをとても悔いていて罪悪感をもって娘に接している、従姪は虐待された記憶を打ち破って何とか母親を愛そうと頑張っている状況
従姪は幼い頃母親が身体に触れようとするとビクッとなって目を瞑るような状態で、心や体が弱っている時にはその傾向が特に強かった
病気になった時など、母親が側にいるとリラックスできないので看病は他人に頼まざるをえない状況だった
親戚とはいえ恋人でも夫でもない独身一人暮らしの男性に娘の身の回りの世話を頼んだり、契約社員が正社員に仕事休んで自分の子の看病してくれと頼んだり、そういう選択をせざるをえない時点で崖っぷちなのは子育て経験がある人は想像できると思う
この手の話で従姉が凹んでいたのは母親スキルの低さを実感してよりも、虐待の結果を再認識してしまうからという理由が強い
時間の経過と共に母子関係も少しずつ回復していき、最近ではお互いうまくやっていけてるんじゃないかと思っていた従姉と従姪だが、そこで従姉の入院事件が起きた
距離をおいた途端に従姪の体調が良くなったことから、従姪にとって母親と一緒に暮らしていることがストレスだったことが浮き彫りになってしまった
それに従姉が気が付いてショックを受けたところに元増田が居合わせたわけだ
後に従姪もそのことに気がついて精神的にずいぶん荒れた
本人の認識では、拒絶意識は過去のもので今は母親のことを好きでいるつもりだったので精神的ダメージが強かった
その後話し合った結果、少し距離を置きながらゆっくり母子関係を回復させた方がいいだろいうということになり、現在の週末のみ母娘で暮らすという方法いこうということになった
あれは目の前で母親が倒れてショックを受けている従姪を元気付けるため無理してやっていた時期の話なので、365日継続できるものじゃない
昨日脱腸ソケイヘルニアの手術をした。今日退院した。いわゆる盲腸より簡単な手術だ。想像していた痛みがいろいろ違った。検査や手術はすべて痛くなかった。一番痛かったのは点滴の針のシールを腕からはがした時だった。腕の毛が抜けて、点滴の針を刺すとき3倍痛かった。
手術後、傷口は数時間でほとんど痛みを感じなくなった。しかし腹の中が痛い、臓器を筋肉痛にした感じだ。腹がズキーンとするので、起き上がれない、立てない、大きな声で話せない、寝返れない、しゃがめない。。。。これが予想以上に辛かった。
ヨボヨボの70歳ぐらいになった感じだ。今もヨボヨボしている。お腹に力がかかる、笑ってはいけないシリーズなど見たら笑死する。花粉や風邪が来ても爆死するだろう。でも一泊二日で退院できる手術なので、大したことでないけど意外と辛い。
3日ぐらい入院したい。
31歳で癌になって、とりあえず治して、それから早8年。この分だと普通に60歳くらいまでは生けそうな感じだ。
癌が治って退院したときは、40歳の自分もなかなか想像できなくて、オレは生涯独身で行こうと思ったものだが、意外と人間、簡単には死なないようだよ。まあでも自分の選択に後悔はしていない。もし運良く結婚できたとして、嫁さんは分かってて結婚するわけだから自己責任だが、もし自分の子供が癌になってしまったらと思うと、ちょっとね。ましてやオレより先に死にでもしたら耐えきれませんよオジサンは。
そんなわけで今、オレの隣に奥さんはいないし、オレの膝の上に子供はいないわけだが、オレは充分に幸せなのだ。2chのまとめサイトは相変わらず面白いし、たまに東京に行って女子高生BARやメイドキャバクラで酒を飲むのは最高だ。そうそう、35歳でギターを始めた。奥田民生が弾きたいんだよ。
元記事
http://yorogame.blog137.fc2.com/blog-entry-513.html
9条には問題があることを知っている人はいるだろう。だけど、税金を使った事業、公務員などがどのような理念の元に動けと書いてあるか、そのことを強く考え思った人は日本人全体でどのくらい居るだろうか?憲法には全体の奉仕者という言葉が使われている。私はトルストイに感化されてからこの文章を読んだので、とても美しい社会を善くする概念だと勝手に思った。そしてその全体の奉仕者という概念に多くの税金により給料を得ている人間はそれほど熱意をもった意識をしていないかもしれないと思った。
また、ネットとTVの間には断絶があると言うべきだろう。ネットの人間がTVで語ることはあるが、可能性の喚起という観点でみると、相互に繋がりを持たせることに、それほど効率的なやり方ではない。なんか知識人っぽいひとがごちゃごちゃ言う番組はみんないろいろ言うから、理解するコストが高い。これだ!という正解をしめすことよりはインパクトが無い。なのでネット人がTVにでても、ネット人に興味をもってネットのそんな情報を見るのは、もともとそういった資質の高かった人と言う事も出来る。
そして、日本を本当に良くする為に私は、ある程度国民に判断の指針となる理念をもってもらうため、近代国家の行動の拠り所である、法、をそれの最上位である憲法の重要さを多くの人に見られるように説くことではないかと思う。
現状の憲法の厳密な、正しい正しくないではなく、憲法の理念に基づいた行動というのを国民が意識するようになったら、憲法の解釈は人によって多少差はあるにせよ、ある政治問題について考えるための、体系的な前提を持つことになるので、それを前提として政治意見を言えば同意を得やすくできるのでは無いかと思う。
そのための行動として最も効果的だと私が思うのは、選挙で当選する見込みがあるか既に当選した政治家が、日本の様々な問題点を全て憲法に対する意識が欠けているということに帰結させるような理屈で、日本社会を善くしようという、国民にポジティブな意識、モチベーションを喚起する理念を語ることが良いのではないかと思う。現在は断絶的なメディア間の差異で国民は虚無感を抱く可能性がとても高いが、その理念に基づいてTVもネットも語るというある種の、政治意見がとるフォーマットを構築することが効果的では無いかと思う。
そしてネットとTVと新聞の世界を繋げるために、政治家はTVで希望を語り人気を集め、その詳しい論拠はネット上にあると示すという形をとるのは効果的ではないかと思う。
大阪の政治では根源的なありようのような希望を語ることによって支持をえてるように伺える。そういったやり方を模倣してその流れを促進すれば日本は今よりもっと良くなる可能性があるのではないだろうか。
また考え方をかなり飛躍させて言うなら、多少政治色をもった意味で、中国等海外で人気があり日本でも知名度の高いこの文章は雑感のまとめであり厳密性には欠ける。
私がこの文章で問題にしたいのは、日本におけるネットのTV、新聞がどのような役割を果たしているかということある。
TV・新聞といったオールドメディアと、それと比べれば、まだ若いメディアといえるインターネットが日本全体に相互に与え合っている影響を考察し、その問題点から、今日本にいる政治的影響力を持ちうる人間はどのように振る舞うべきかと言う事までを書く。
まず、社会に対して書かれた文章というものは、文章を書く人間が、抱いた、(社会を)こうしたいという意識を、書くという方法を選択した結果生まれた成果物である。
という見知でこの文章では、各メディア(主にネット・TV・新聞)の主張を捉える。
そういった視点として、メディアの主張の厳密な正しさより、そのメディアの志した方向性によって流れされた情報と、それによって喚起さうる国民の感情について考える。
まず、311の地震では、日本の各メディアはその問題に関して様々な意見が流れた。地震発生直後は地震その物の話題が大きかったが、原発の問題が発覚してからは少しずつ原発に関する情報が増えて行ったと思う。
この時とそれ以降に、私が感じた事を書く。
私が一番中もくしたのはツイッター上で様々な見解が流された点だ。私が一番印象的だったのは池田信夫氏である。彼は原発の取材をした経験があると語り、様々な自説を展開していた。それに対して色々な池田氏に対する意見が流れていた、私には批判的な意見が優勢にみえ、池田氏はあまり信用できないなという意識をもった。しかし、他の発言力の高かった人達の発言を見ても、実際どういうことなのかよくはわからなかった。
当然である。原発問題初期は原発について情報が不足していて、推理のような部分が多分にあったからだ。色々な人が原発で何がおこっているかについて色々な意見をいっているように見えた。
そして時間が進むと、放射能の問題がでてきた、それに付いても様々な意見が流れていた。
私は無職なので、一日中でもその情報を追う事もできた。だがそんなことをしたいとは全く思わなかった。色んな意見が交錯してかつ、正しい情報すら不確かな要素をもっているこの状況に情報を追うより、ある程度(半年~一年くらい)立ってからそういった過程を経て生まれた、纏まった情報、例えば新書などを見たほうが確実に問題が良く分かるだろうと思ったから。それに、私が原発のことを知っても、対して社会に意味は生じないという思いが意識の片隅にあった。
その間のTVと、ネットの関係はどうであったかは詳しくはわからないが、様々な原子力に関連のある組織が善意でネット上で公開したものにたいして、TV側が紹介をするということはあったとだろうと思う。それによって、日本社会に対する情報の取得源としてTVの比重が大きい人間に、ネットの情報を参照するための意識を喚起した可能性は高い。
だがこのことによって、日本社会は対して良い影響を受けなかっただろう。何故なら、一般人が原発に関して詳しい情報を知ること自体に私はあまり意味が無いと思うからだ。まず理解するのがコストが高い。そこで問題にたいする意識が削がれるだろうと思う。そして一般人は政治的影響力があまり無いので、厳密に正しいという情報をもっていても有効活用はあまりできない。そしてそれらの厳密な情報は政治的影響力の高い人間にとってこそ有効であることは云うまでも無い。だが日本のネット上では政治的な問題の意識の高い人間の間で、原発の科学的に厳密な情報を求める意識が高くなっていたと思う。だが現在から見て見ると、科学的な厳密さを考える事をもっと専門化にアウトソージングして、その原発問題の結果が与える影響とそれにより、日本社会が取り得るべき選択の可能性に、日本国民の意識というコストを割くべきだったと私は感じる。これはあくまでネットの情報をあまり熱心に追わなかった私の感じたことである。本当にどのメディアも積極的に見ていなかった難しくてめんどくさくてついていけないと思ったから。
原発の科学的情報を流すという方法とることの理由の根本は、日本社会を善くしようという物であると思う。その方法がもつ目的の効果を最大化させるために取り得る方法は何か。
国民に問題が起こっているが、対処にあたっていて良い結果を生むために努力をしているという姿勢を示すことである。それにより国民は政治に希望と期待などのプラスの感情、モチベーションが喚起される。よってあの次点で注目を集めるべき情報としては、正しいやり方でやっているという理念を示したものである。それにより希望をもてば人は情報を自分から進んで集めるか、焦りのような感情をもって科学的厳密さを追うこともなかっただろう。
当時にこういう指摘をしたひとはいたかもしれないが、正直全然探す努力をしていなかったので全く知らない。何か政治に語りたいなら積極的に情報をあつめるのが筋だろうけど、そういう動機付けが全然得られなかったんだ。そういった感情を掘り下げて得た見知で纏めているののがこの文章でもある。
それで原発初期から少しして以降の私の事を書く、私は精神病院に入院していた、院内ではTVしか見られなかった。3週間くらいで退院したが、TV軽くみたりネット軽くみても、原発に関しても地震に関しても似たような話というか、個人的に目に付く範囲で見た場合、個別の問題とでもいうべき問題について色々書いた文章ばかりにおもえて、はっきり云ってこういう物を私が読んで何か考える事に何の意味があるのかという思いを持っていた。そういう問題点を指摘したひとはあったかもしれない、だけど目に付かなかったのでどうでもよかった。
病院から退院してからは、大帝国とかランスクエストをやったりしてた、他に適当に本よんだり、読書メーターというのを初めて読書の記録をシステム的につけるようになって中々本を読むのが楽しくなったり、英語の勉強したりしていた、政治的なことに関してはそれなりに適当に見てたけどあまりよくわからなかった。だが10月02日にLeague of Legendsというゲームを始めて猿のようにやりまくっていた12月20日までやった。1試合平均35分前後かかる試合を900試合くらいしたと思う。その期間いつもみている政治的な主張の多いblogとか20サイトくらいいれているgoogle リーダーに全然アクセスしなかった。
それで、League of Legendsを止めてからまた本読むのが楽しくなってきて、色々と読んでいた。LoLで得られた経験から、本を読んで色々より強い影響を受けて、適当にblogにアホなおもいつき書きまくってた。どのような影響を受けたかというと、トルストイを読んで、社会全体の幸福を志向する事の美しさみたいなものを学んだ。
話を戻そう、つまり、色んな人が色んな目的でいろんなことを言っていたと思うが、私は2ヶ月もそれを無視してゲームやり続けても何とも思わなかったのだ。それがどういうことかというと、メディアは私の理屈で言えば、私の行動を変えさせる、メディアがしたい問題提起に私のモチベーションを喚起させる行動をとることは不可能ではなかった、何故なら凄い影響力の高い意見なら、私の見ている範囲のネットのblogにも情報は届くからだ。
そういう可能性をに影響を与える方法をとるということを考えることが大事であると思う。
その方法論を私なりに書きたい。
まず日本人には、共通のどういう社会を目指すべきかという根本的な理念が欠如しているように思う。たとえば憲法である憲法は理論上は国家のありようを書いた文書だ。9条には問題があることを知っている人はいるだろう。だけど、税金を使った事業、公務員などがどのような理念の元に動けと書いてあるか、そのことを強く考え思った人は日本人全体でどのくらい居るだろうか?憲法には全体の奉仕者という言葉が使われている。私はトルストイに感化されてからこの文章を読んだので、とても美しい社会を善くする概念だと勝手に思った。そしてその全体の奉仕者という概念に多くの税金により給料を得ている人間はそれほど熱意をもった意識をしていないかもしれないと思った。
また、ネットとTVの間には断絶があると言うべきだろう。ネットの人間がTVで語ることはあるが、可能性の喚起という観点でみると、相互に繋がりを持たせることに、それほど効率的なやり方ではない。なんか知識人っぽいひとがごちゃごちゃ言う番組はみんないろいろ言うから、理解するコストが高い。これだ!という正解をしめすことよりはインパクトが無い。なのでネット人がTVにでても、ネット人に興味をもってネットのそんな情報を見るのは、もともとそういった資質の高かった人と言う事も出来る。
そして、日本を本当に良くする為に私は、ある程度国民に判断の指針となる理念をもってもらうため、近代国家の行動の拠り所である、法、をそれの最上位である憲法の重要さを多くの人に見られるように説くことではないかと思う。
現状の憲法の厳密な、正しい正しくないではなく、憲法の理念に基づいた行動というのを国民が意識するようになったら、憲法の解釈は人によって多少差はあるにせよ、ある政治問題について考えるための、体系的な前提を持つことになるので、それを前提として政治意見を言えば同意を得やすくできるのでは無いかと思う。
そのための行動として最も効果的だと私が思うのは、選挙で当選する見込みがあるか既に当選した政治家が、日本の様々な問題点を全て憲法に対する意識が欠けているということに帰結させるような理屈で、日本社会を善くしようという、国民にポジティブな意識、モチベーションを喚起する理念を語ることが良いのではないかと思う。現在は断絶的なメディア間の差異で国民は虚無感を抱く可能性がとても高いが、その理念に基づいてTVもネットも語るというある種の、政治意見がとるフォーマットを構築することが効果的では無いかと思う。
そしてネットとTVと新聞の世界を繋げるために、政治家はTVで希望を語り人気を集め、その詳しい論拠はネット上にあると示すという形をとるのは効果的ではないかと思う。
大阪の政治では根源的なありようのような希望を語ることによって支持をえてるように伺える。そういったやり方を模倣してその流れを促進すれば日本は今よりもっと良くなる可能性があるのではないだろうか。
またこれらの考え方をかなり飛躍させて言うなら、多少政治色をもった意味で、中国等海外で人気があり日本でも知名度の高い蒼井そらが社会の理想と希望について語りながら、性的な事を行う映像を創ることもまた効果的であるといえる。
その理屈を使って、ネット上で論じられる著作権問題を憲法が持つ全体の利益という視点を重視して、多少厳密さを欠いたうえで語るなら、インターネット上の無料コピーは日本人が一般的に思っているほど、あまり悪いこととも言えないという理屈も導ける。
ネット上の無料コピーによる、著作権侵害が違法であるといっても、動画サイトで見るのは良いが、ツールを使って落とすのはよくないとかそういうのは根本的に考えたら些末な問題でやってることは本質的には同じとも云える。それを差異があるように演出しているのはあまり社会を善くするという意味は無いと云う事もできる。なぜなら、どのような方法であれネット上で無料コピーにより著作権を侵害するという行為によって逮捕される人は現状、全然居ないに等しいからだ。なのでこのような違法としていて一部はそれを遵守せよ!と感情的になっているがその視点は近視眼的ということもできる。そういったあまり根本的に考えなていない意見によって脅迫をかけるような同調圧力と化していると思う。全体の利益という視点を重視したら、違法としててもろくに取り締まりもおこなっていないやったもん勝ちみたいな、現状の無料コピーに対する意識というのは不自然です。赤信号は場合によっては無視してもいいという意識は誰でももっているように、無料コピーにしても、目立つ形でやった人間以外ととても運の悪い人以外には、取り締まりなど無いに等しいから、やるのは個人の判断で赤信号を渡ることと似たようなこと。という意識を多くの国民がもっていたほうが国家としては健全だと私は思う。その国民の意識に応じて法を変えれば良い。
そのようなそこの浅いときに、脅迫的ともいえる同調圧力意見というのはネットにはありふれていて、その思考方法を変化させるためにも、国家はどうあるべきかという形を分かり易く国民全員に伝えなければいけないと思う。
(終わり)
日本のメディア間の隔絶について 日本のおけるネットとオールドメディアの最適な関係の構築方法の模索
この文章は雑感のまとめであり厳密性には欠ける。
私がこの文章で問題にしたいのは、日本におけるネット、TV、新聞がどのような役割を果たしているかということある。
TV・新聞といったオールドメディアと、それと比べれば、まだ若いメディアといえるインターネットが日本全体に相互に与え合っている影響を考察し、その問題点から、今日本にいる政治的影響力を持ちうる人間はどのように振る舞うべきかと言う事までを書く。
まず、社会に対して書かれた文章というものは、文章を書く人間が、抱いた、(社会を)こうしたいという意識を、書くという方法を選択した結果生まれた成果物である。
という見知でこの文章では、各メディア(主にネット・TV・新聞)の主張を捉える。
そういった視点として、メディアの主張の厳密な正しさより、そのメディアの志した方向性によって流れされた情報と、それによって喚起さうる国民の感情について考える。
まず、311の地震では、日本の各メディアはその問題に関して様々な意見が流れた。地震発生直後は地震その物の話題が大きかったが、原発の問題が発覚してからは少しずつ原発に関する情報が増えて行ったと思う。
この時とそれ以降に、私が感じた事を書く。
私が一番中もくしたのはツイッター上で様々な見解が流された点だ。私が一番印象的だったのは池田信夫氏である。彼は原発の取材をした経験があると語り、様々な自説を展開していた。それに対して色々な池田氏に対する意見が流れていた、私には批判的な意見が優勢にみえ、池田氏はあまり信用できないなという意識をもった。しかし、他の発言力の高かった人達の発言を見ても、実際どういうことなのかよくはわからなかった。
当然である。原発問題初期は原発について情報が不足していて、推理のような部分が多分にあったからだ。色々な人が原発で何がおこっているかについて色々な意見をいっているように見えた。
そして時間が進むと、放射能の問題がでてきた、それに付いても様々な意見が流れていた。
私は無職なので、一日中でもその情報を追う事もできた。だがそんなことをしたいとは全く思わなかった。色んな意見が交錯してかつ、正しい情報すら不確かな要素をもっているこの状況に情報を追うより、ある程度(半年~一年くらい)立ってからそういった過程を経て生まれた、纏まった情報、例えば新書などを見たほうが確実に問題が良く分かるだろうと思ったから。それに、私が原発のことを知っても、対して社会に意味は生じないという思いが意識の片隅にあった。
その間のTVと、ネットの関係はどうであったかは詳しくはわからないが、様々な原子力に関連のある組織が善意でネット上で公開したものにたいして、TV側が紹介をするということはあったとだろうと思う。それによって、日本社会に対する情報の取得源としてTVの比重が大きい人間に、ネットの情報を参照するための意識を喚起した可能性は高い。
だがこのことによって、日本社会は対して良い影響を受けなかっただろう。何故なら、一般人が原発に関して詳しい情報を知ること自体に私はあまり意味が無いと思うからだ。まず理解するのがコストが高い。そこで問題にたいする意識が削がれるだろうと思う。そして一般人は政治的影響力があまり無いので、厳密に正しいという情報をもっていても有効活用はあまりできない。そしてそれらの厳密な情報は政治的影響力の高い人間にとってこそ有効であることは云うまでも無い。だが日本のネット上では政治的な問題の意識の高い人間の間で、原発の科学的に厳密な情報を求める意識が高くなっていたと思う。だが現在から見て見ると、科学的な厳密さを考える事をもっと専門化にアウトソージングして、その原発問題の結果が与える影響とそれにより、日本社会が取り得るべき選択の可能性に、日本国民の意識というコストを割くべきだったと私は感じる。これはあくまでネットの情報をあまり熱心に追わなかった私の感じたことである。本当にどのメディアも積極的に見ていなかった難しくてめんどくさくてついていけないと思ったから。
原発の科学的情報を流すという方法とることの理由の根本は、日本社会を善くしようという物であると思う。その方法がもつ目的の効果を最大化させるために取り得る方法は何か。
国民に問題が起こっているが、対処にあたっていて良い結果を生むために努力をしているという姿勢を示すことである。それにより国民は政治に希望と期待などのプラスの感情、モチベーションが喚起される。よってあの次点で注目を集めるべき情報としては、正しいやり方でやっているという理念を示したものである。それにより希望をもてば人は情報を自分から進んで集めるか、焦りのような感情をもって科学的厳密さを追うこともなかっただろう。
当時にこういう指摘をしたひとはいたかもしれないが、正直全然探す努力をしていなかったので全く知らない。何か政治に語りたいなら積極的に情報をあつめるのが筋だろうけど、そういう動機付けが全然得られなかったんだ。そういった感情を掘り下げて得た見知で纏めているののがこの文章でもある。
それで原発初期から少しして以降の私の事を書く、私は精神病院に入院していた、院内ではTVしか見られなかった。3週間くらいで退院したが、TV軽くみたりネット軽くみても、原発に関しても地震に関しても似たような話というか、個人的に目に付く範囲で見た場合、個別の問題とでもいうべき問題について色々書いた文章ばかりにおもえて、はっきり云ってこういう物を私が読んで何か考える事に何の意味があるのかという思いを持っていた。そういう問題点を指摘したひとはあったかもしれない、だけど目に付かなかったのでどうでもよかった。
病院から退院してからは、大帝国とかランスクエストをやったりしてた、他に適当に本よんだり、読書メーターというのを初めて読書の記録をシステム的につけるようになって中々本を読むのが楽しくなったり、英語の勉強したりしていた、政治的なことに関してはそれなりに適当に見てたけどあまりよくわからなかった。だが10月02日にLeague of Legendsというゲームを始めて猿のようにやりまくっていた12月20日までやった。1試合平均35分前後かかる試合を900試合くらいしたと思う。その期間いつもみている政治的な主張の多いblogとか20サイトくらいいれているgoogle リーダーに全然アクセスしなかった。
それで、League of Legendsを止めてからまた本読むのが楽しくなってきて、色々と読んでいた。LoLで得られた経験から、本を読んで色々より強い影響を受けて、適当にblogにアホなおもいつき書きまくってた。どのような影響を受けたかというと、トルストイを読んで、社会全体の幸福を志向する事の美しさみたいなものを学んだ。
話を戻そう、つまり、色んな人が色んな目的でいろんなことを言っていたと思うが、私は2ヶ月もそれを無視してゲームやり続けても何とも思わなかったのだ。それがどういうことかというと、メディアは私の理屈で言えば、私の行動を変えさせる、メディアがしたい問題提起に私のモチベーションを喚起させる行動をとることは不可能ではなかった、何故なら凄い影響力の高い意見なら、私の見ている範囲のネットのblogにも情報は届くからだ。
そういう可能性をに影響を与える方法をとるということを考えることが大事であると思う。
その方法論を私なりに書きたい。
まず日本人には、共通のどういう社会を目指すべきかという根本的な理念が欠如しているように思う。たとえば憲法である憲法は理論上は国家のありようを書いた文書だ。9条には問題があることを知っている人はいるだろう。だけど、税金を使った事業、公務員などがどのような理念の元に動けと書いてあるか、そのことを強く考え思った人は日本人全体でどのくらい居るだろうか?憲法には全体の奉仕者という言葉が使われている。私はトルストイに感化されてからこの文章を読んだので、とても美しい社会を善くする概念だと勝手に思った。そしてその全体の奉仕者という概念に多くの税金により給料を得ている人間はそれほど熱意をもった意識をしていないかもしれないと思った。
また、ネットとTVの間には断絶があると言うべきだろう。ネットの人間がTVで語ることはあるが、可能性の喚起という観点でみると、相互に繋がりを持たせることに、それほど効率的なやり方ではない。なんか知識人っぽいひとがごちゃごちゃ言う番組はみんないろいろ言うから、理解するコストが高い。これだ!という正解をしめすことよりはインパクトが無い。なのでネット人がTVにでても、ネット人に興味をもってネットのそんな情報を見るのは、もともとそういった資質の高かった人と言う事も出来る。
そして、日本を本当に良くする為に私は、ある程度国民に判断の指針となる理念をもってもらうため、近代国家の行動の拠り所である、法、をそれの最上位である憲法の重要さを多くの人に見られるように説くことではないかと思う。
現状の憲法の厳密な、正しい正しくないではなく、憲法の理念に基づいた行動というのを国民が意識するようになったら、憲法の解釈は人によって多少差はあるにせよ、ある政治問題について考えるための、体系的な前提を持つことになるので、それを前提として政治意見を言えば同意を得やすくできるのでは無いかと思う。
そのための行動として最も効果的だと私が思うのは、選挙で当選する見込みがあるか既に当選した政治家が、日本の様々な問題点を全て憲法に対する意識が欠けているということに帰結させるような理屈で、日本社会を善くしようという、国民にポジティブな意識、モチベーションを喚起する理念を語ることが良いのではないかと思う。現在は断絶的なメディア間の差異で国民は虚無感を抱く可能性がとても高いが、その理念に基づいてTVもネットも語るというある種の、政治意見がとるフォーマットを構築することが効果的では無いかと思う。
そしてネットとTVと新聞の世界を繋げるために、政治家はTVで希望を語り人気を集め、その詳しい論拠はネット上にあると示すという形をとるのは効果的ではないかと思う。
大阪の政治では根源的なありようのような希望を語ることによって支持をえてるように伺える。そういったやり方を模倣してその流れを促進すれば日本は今よりもっと良くなる可能性があるのではないだろうか。
また考え方をかなり飛躍させて言うなら、多少政治色をもった意味で、中国等海外で人気があり日本でも知名度の高い
この文章は雑感のまとめであり厳密性には欠ける。
私がこの文章で問題にしたいのは、日本におけるネットのTV、新聞がどのような役割を果たしているかということある。
TV・新聞といったオールドメディアと、それと比べれば、まだ若いメディアといえるインターネットが日本全体に相互に与え合っている影響を考察し、その問題点から、今日本にいる政治的影響力を持ちうる人間はどのように振る舞うべきかと言う事までを書く。
まず、社会に対して書かれた文章というものは、文章を書く人間が、抱いた、(社会を)こうしたいという意識を、書くという方法を選択した結果生まれた成果物である。
という見知でこの文章では、各メディア(主にネット・TV・新聞)の主張を捉える。
そういった視点として、メディアの主張の厳密な正しさより、そのメディアの志した方向性によって流れされた情報と、それによって喚起さうる国民の感情について考える。
まず、311の地震では、日本の各メディアはその問題に関して様々な意見が流れた。地震発生直後は地震その物の話題が大きかったが、原発の問題が発覚してからは少しずつ原発に関する情報が増えて行ったと思う。
この時とそれ以降に、私が感じた事を書く。
私が一番中もくしたのはツイッター上で様々な見解が流された点だ。私が一番印象的だったのは池田信夫氏である。彼は原発の取材をした経験があると語り、様々な自説を展開していた。それに対して色々な池田氏に対する意見が流れていた、私には批判的な意見が優勢にみえ、池田氏はあまり信用できないなという意識をもった。しかし、他の発言力の高かった人達の発言を見ても、実際どういうことなのかよくはわからなかった。
当然である。原発問題初期は原発について情報が不足していて、推理のような部分が多分にあったからだ。色々な人が原発で何がおこっているかについて色々な意見をいっているように見えた。
そして時間が進むと、放射能の問題がでてきた、それに付いても様々な意見が流れていた。
私は無職なので、一日中でもその情報を追う事もできた。だがそんなことをしたいとは全く思わなかった。色んな意見が交錯してかつ、正しい情報すら不確かな要素をもっているこの状況に情報を追うより、ある程度(半年~一年くらい)立ってからそういった過程を経て生まれた、纏まった情報、例えば新書などを見たほうが確実に問題が良く分かるだろうと思ったから。それに、私が原発のことを知っても、対して社会に意味は生じないという思いが意識の片隅にあった。
その間のTVと、ネットの関係はどうであったかは詳しくはわからないが、様々な原子力に関連のある組織が善意でネット上で公開したものにたいして、TV側が紹介をするということはあったとだろうと思う。それによって、日本社会に対する情報の取得源としてTVの比重が大きい人間に、ネットの情報を参照するための意識を喚起した可能性は高い。
だがこのことによって、日本社会は対して良い影響を受けなかっただろう。何故なら、一般人が原発に関して詳しい情報を知ること自体に私はあまり意味が無いと思うからだ。まず理解するのがコストが高い。そこで問題にたいする意識が削がれるだろうと思う。そして一般人は政治的影響力があまり無いので、厳密に正しいという情報をもっていても有効活用はあまりできない。そしてそれらの厳密な情報は政治的影響力の高い人間にとってこそ有効であることは云うまでも無い。だが日本のネット上では政治的な問題の意識の高い人間の間で、原発の科学的に厳密な情報を求める意識が高くなっていたと思う。だが現在から見て見ると、科学的な厳密さを考える事をもっと専門化にアウトソージングして、その原発問題の結果が与える影響とそれにより、日本社会が取り得るべき選択の可能性に、日本国民の意識というコストを割くべきだったと私は感じる。これはあくまでネットの情報をあまり熱心に追わなかった私の感じたことである。本当にどのメディアも積極的に見ていなかった難しくてめんどくさくてついていけないと思ったから。
原発の科学的情報を流すという方法とることの理由の根本は、日本社会を善くしようという物であると思う。その方法がもつ目的の効果を最大化させるために取り得る方法は何か。
国民に問題が起こっているが、対処にあたっていて良い結果を生むために努力をしているという姿勢を示すことである。それにより国民は政治に希望と期待などのプラスの感情、モチベーションが喚起される。よってあの次点で注目を集めるべき情報としては、正しいやり方でやっているという理念を示したものである。それにより希望をもてば人は情報を自分から進んで集めるか、焦りのような感情をもって科学的厳密さを追うこともなかっただろう。
当時にこういう指摘をしたひとはいたかもしれないが、正直全然探す努力をしていなかったので全く知らない。何か政治に語りたいなら積極的に情報をあつめるのが筋だろうけど、そういう動機付けが全然得られなかったんだ。そういった感情を掘り下げて得た見知で纏めているののがこの文章でもある。
それで原発初期から少しして以降の私の事を書く、私は精神病院に入院していた、院内ではTVしか見られなかった。3週間くらいで退院したが、TV軽くみたりネット軽くみても、原発に関しても地震に関しても似たような話というか、個人的に目に付く範囲で見た場合、個別の問題とでもいうべき問題について色々書いた文章ばかりにおもえて、はっきり云ってこういう物を私が読んで何か考える事に何の意味があるのかという思いを持っていた。そういう問題点を指摘したひとはあったかもしれない、だけど目に付かなかったのでどうでもよかった。
病院から退院してからは、大帝国とかランスクエストをやったりしてた、他に適当に本よんだり、読書メーターというのを初めて読書の記録をシステム的につけるようになって中々本を読むのが楽しくなったり、英語の勉強したりしていた、政治的なことに関してはそれなりに適当に見てたけどあまりよくわからなかった。だが10月02日にLeague of Legendsというゲームを始めて猿のようにやりまくっていた12月20日までやった。1試合平均35分前後かかる試合を900試合くらいしたと思う。その期間いつもみている政治的な主張の多いblogとか20サイトくらいいれているgoogle リーダーに全然アクセスしなかった。
それで、League of Legendsを止めてからまた本読むのが楽しくなってきて、色々と読んでいた。LoLで得られた経験から、本を読んで色々より強い影響を受けて、適当にblogにアホなおもいつき書きまくってた。どのような影響を受けたかというと、トルストイを読んで、社会全体の幸福を志向する事の美しさみたいなものを学んだ。
話を戻そう、つまり、色んな人が色んな目的でいろんなことを言っていたと思うが、私は2ヶ月もそれを無視してゲームやり続けても何とも思わなかったのだ。それがどういうことかというと、メディアは私の理屈で言えば、私の行動を変えさせる、メディアがしたい問題提起に私のモチベーションを喚起させる行動をとることは不可能ではなかった、何故なら凄い影響力の高い意見なら、私の見ている範囲のネットのblogにも情報は届くからだ。
そういう可能性をに影響を与える方法をとるということを考えることが大事であると思う。
その方法論を私なりに書きたい。
まず日本人には、共通のどういう社会を目指すべきかという根本的な理念が欠如しているように思う。たとえば憲法である憲法は理論上は国家のありようを書いた文書だ。9条には問題があることを知っている人はいるだろう。だけど、Permalink | トラックバック(0) | 04:44
2010年になった。
彼を亡くして半年近くが経っていたものの、もちろん彼の事を考えない日など1日もなかった。
その時の私は、大きな問題を抱えていた。
私は心臓病で、ペースメーカーを入れていた。その電池が既に切れている状態だった。
電池が切れてもバックアップで3ヶ月は動き続けることができるものの、
設定は初期値にリセットされるため体調は悪く、また、完全に電池がなくなってしまえば突然死の危険もあった。
電池が切れていることは、もちろん知っていた。
でもその時の私は、とにかく目の前の面倒な事や嫌な事から逃げようとしていた。
だから電池の問題も後回しにして、考えないようにしていた。
しかしいよいよ電池が完全になくなろうとしていた。
私の心臓の状態から言えば、電池が完全になくなるということは死を意味していた。
でも、電池を交換する手術を受ける気にはならなかった。
死にたい、と思っていたわけではない。彼を亡くしてからも、後を追おうとは考えなかった。
でも、積極的に生きたいとは全く思っていなかった。
通っていた病院の、循環器の師長が私に言った。
このままだと、本当に危険なのよ?どうなるか分かってるでしょ?
ねぇ、お付き合いしてる人とかいないの?その人も、悲しむ事になるのよ?
どんな言葉も響かなかった。悲しむ人は、もういなくなってしまった。
それから数日後、彼が夢に出てきた。亡くなってから一度も出てきた事はなかった。
彼は、ただ微笑んでいた。何も話さなかった。手を伸ばして、追いかけようとして、目が覚めた。
結局その後、私は手術を受けるために入院した。
しかし入院したその日、主治医から思ってもいなかったことを告げられた。
ペースメーカーと心臓を繋いでいるリードがだめになっている可能性があるけど、開けてみないとわからない。
だめになっていた場合、今入っているリードはそのままにして、新しいものを新たに入れる。
そんな話は全く聞いていなかった。外来で検査を受けた時にも言われなかった。
リードはずっと使えるものではなく、いつかだめになるかもしれないのは知っていた。
でも、使えるかどうか、開けてみないと分からないというのは知らなかった。
ペースメーカーを入れたその日から、体内に異物が入っているという違和感を、
ずっと抱えて生きていた。自分の胸部XPを直視することもできなかった。
仕事で行った病院で、たまたまペースメーカーを入れた人の胸部XPを見てしまい、ひどい吐き気に襲われたこともあった。
私は手術を拒否して、同意書を書かなかった。
このまま退院させて欲しいと言った。もちろんだめだと言われた。
そんなわがままな患者に、ついに循環器科の一番偉い先生まで出てきた。
先生、というより、威勢のいいおばあちゃんだった。
旦那さんと離婚して、女手ひとつで医師を続けながら娘を育てた事。
その娘も今は医師をしているということ。高速道路で事故を起こし、死にかけた事。
それを聞いて私も、少し自分の話をした。
大学2年になる直前に意識消失発作で倒れ、ペースメーカーを入れた事。
大学を休学しなければいけなくなったこと。手術の後遺症の事。両親に理解されなかったこと。
その事を、人に話したのは初めてだった。
一通り自分の身の上話をして、私の話を聞いて、先生は病室を出て行った。
もしもリードが使えなくなっていたら、古いリードを抜去できる病院に転院する。
その病院には既に受け入れの体制を整えておいてもらっている。
自宅からは遠かったものの、循環器が有名だったその病院は良いはずだと思っていた。
でも、検査の度に嫌な思いをさせられていた。患者の事なんて全く考えていない対応だった。
そんな話を彼にしたら、こんな事を言われた。
嫌な思いをして通い続ける事ないよ。別の病院探そ。
その後、彼を助手席に乗せて家の近所を走っている時、ある病院を見つけた。
最近の病院って、スタバとかタリーズとか入ってるよね。仕事中の息抜きにいいよねw
あの病院、いいんじゃない?綺麗だし、確かあそこはウチの電子カルテ入ってないよw
その後彼はその病院の事について調べてくれた。
神奈川県内では一番ペースメーカーの症例数も多く、評判のいい病院だった。
その後、私はその病院に通うようになった。
そしてその2日後、私は手術を受けた。
結局リードはそのまま使える事が分かり、3時間程度で無事手術は終わった。
手術が終わった後、あのおばあちゃん先生が私に言った。
あんた、よく頑張ったよ。頑張ったから、神様が味方してくれたんだよ。
先生は「神様」と言ったけど、私は彼が助けてくれたんだと思った。
入社当初は会社を辞めたいばかり言っていたが、彼のあの言葉によって
この仕事を続けられるところまで続けてみようという気持ちになった。
嫌になって途中で諦めて投げ出すのだけはやめようと思った。
ただ、入社して5年目という区切りの年に、これから先どんな仕事をしていきたいか
ちゃんと考えようと思った。このまま電子カルテを作りたいかどうか。
これからの1年、どんなに辛くても全力で仕事をしよう、と決めた。
全力でやって、そのまま続けたいと思ったら残る。思えなかったら、別の道を探す。
復帰後すぐに、かなり大きな仕事が入ってきた。
当時27歳のひよっこSEには重すぎた。
でも、これだけはやり遂げないといけないと自分に言い聞かせた。
そのプロジェクトの定例の会議は福岡で行われたため、毎週金曜日に福岡に行っていた。
でもあの時のように、彼との事を思い出して押し潰されそうになることはなかった。
1年前のように現実逃避から仕事に打ち込むのではなく、自分の目標のために仕事をした。
他読んでもまともに調べてるのか?どこソースだ?っつー記事だなあ。
日本円換算で年収300万円以下の貧乏在米日本人だけど、年間保険料は40万くらいだよ。
これでPPO(自分で病院を選べるし、いきなり専門医にかかれる。安い保険だと選べない&家庭医の紹介無いと専門医にかかれない)だ。
同じ保険の知り合いがこの間出産したけど、自己負担額は日本より安い程度で無痛分娩まで付いてた(但し48時間で退院させられたが)
医学的必要性が無くても妊婦の好みで帝王切開にする事も出来るらしい。
まあ日本より高いっちゃ高いけどね。
会社によって負担額が違うらしいから、特別高い(会社が負担してくれない)所だと100万くらいするのかな?
でもそういう人ならもっと安い保険入るよねえ。メディケイドだかメディケアだかの公的保険もあるしね。その辺はよく知らないけど。
っつーのは
だね。
書き手の日本語を常識的に読めば、顔を出せば許して育児スキルなりサポートなりしてくれる程度の情はある親だったと。
日本語読解出来るようになってからキャンキャン言いなよ低学歴が。
・「和解しないこと」を選択したというより、選択から逃げてる間に親が死んだってだけだよね。
・過去の間違いを認識してない馬鹿には「間違いだったよねお馬鹿さん」て言ってあげないと成長できないよね。
・過去に間違えたのと全く同じ選択肢が今目の前に現れてるよね。「助けてくれそうな人に頭下げるかどうか」。
・過去の間違いと向き合わない限りまた同じ間違いを踏むからこそ、こうして複数の人にそこについて言われてんだよね。
和解しなかったことをこの母親が悔いた瞬間に育児環境が激的改善する状況だよね。まさに。ボーナスチャンス。そして瀬戸際。
全く反省できない馬鹿だから、このままだと退院した後また一人でやろうとするっぽいよね。
ほんとうに、生まれ変われるかどうかの正念場だよね。
実際に得られるのは、助けてくれようとしてる奇特で親切で有能な従兄弟達からの継続的サポートだよね。
実に下らん。
全くだ。
日本語読解すら不自由な人間に同じ話を何度も教え諭すこの時間と言ったら。
助けてくれようとする人に頼らないでこうなった。
一人で出来てやしないくせに。
本当に一人で歯を食いしばってる人間が大勢居る。
どっちが良いご身分か考えてみろバカが。
元増田の文からは問題の母親が子供のことを考えてるらしき部分がほとんどない。
でないなら周囲の親切な他人に頭下げて頼ってるよ。
…って何回同じ話をさせるんだ?
至れり尽くせり面倒見てくれてる従弟への感謝もなく
自分がかわいそうって泣く奴だけど
っへー。あほくさ。
新米母としてはよくやってる方だと。
これで「よくやってる方」だったら、「よくやってない方」ってのはどんな親なんだ。恐ろしいな。
あと、新米なんて書いてねえだろよく読めよ。
駆け落ちで作った子供で今30代なんだから、10年選手ぐらいじゃねーか?
駆け落ちなんてことを20代後半でやってるパーだったらしらんが、
普通はせいぜい十代か二十歳そこそこでやる愚行だよね。
あ、やっぱりきみにとってはこういうの「攻撃」なん?w
だってあんな発想、幼少期につらい目にでもあってなきゃ出てこないもん。すぐわかるさ。
なんとか仕事も順調に進み、対人関係の面でも努力して前向きに進んでいたけれども
人生の節目ともいえる30歳の時に、実家内で殺すか殺されるかくらいの勢いの暴動が起きた。
(実際に事件にはならなかったが、いつそうなってもおかしくなかったと思う)
この程度のことで前向きな気持ちが萎えるくらいならそれは嘘で塗り固められた「前向きさ」だったのかもしれない。
家族が病院に運ばれた。今をして思えばあれは「自殺」するつもりだったのだと思う。
病院に運ばれた理由を馬鹿正直に上司に伝え(直属の上司の上司)早退した。
その翌週から仕事が暇になった。仕事を任されるということがなくなった。思い込みかもしれないし、自分が何かをやらかした結果のかもしれない。
しかし、早退前と早退以降で上司の私に対する接し方に変化が生じたことはたしかなことだと思う。
僕はこの日を境にして全てが嫌になってしまった。1人暮らし、転職も諦めた。家族に寄り添おうと決めた。これは事実。
これは言い訳なのかもしれない。いや、言い訳なんだろう。今となってはこんなことをすべきじゃなかったって後悔している。
家族喧嘩の域を超えていたと思う。よく近隣、階下の方から警察を呼ばれなかったというくらいの騒ぎが深夜に起きていた。
時間が問題を解決……したようにみえて解決はしていなかった。そして、そのしわ寄せは全て私のところにきた。
暴言の数々。でも、僕はその全てをじっと我慢して聞いていた。時には、僕自身の本音をぶちまけたこともある。
すると案の定、「キチガイ」扱いをされた。家族が精神的に参っていた時期の事だから致し方の無い面はあるかもしれない。
けれど、「キチガイ」扱いをされたあの言葉を忘れることはないと思う。
そして、苦しんだ。「僕は、こんな人達のために人生を棒に振ってきたのか」と……
「環境の責任にするのはおかしい」と言う人がいる。僕もその通りだと思う。環境がどういったものであれ自分自身の努力でなんとでもなるだろう。
しかし、良い方向に進んだとしても悪い方向に進んだとしても「生まれ育った環境」の影響はついて離れることはないと思う。
「生まれ育った環境」に身を捧げて自分の道を諦める人達だっているんだ。それも「言い訳」と切り捨てていいのか?
切り捨てていいのだと身内に言われました。もうこんなクソみたいな人生終わりにしたい。死をもって抗議しようか。
あー、なんかわかるな。妙にハマるように巻き込まれ期って思い当たる節がある。
自分の場合も「派手じゃなく」「遊んでなく」、それなりに「気安い」あたりだった。昔から休日は家で手芸なんかしてるようなインドアタイプだった。交友関係はそれなりで。26くらいの時に一番仲のいい友人がリラクゼーション関連の仕事でやっていくことに決めたので、マッサージや栄養学なんかの勉強に付き合ったりしてた。それがきっかけて体調管理って大事だなーと思ってジョギング始めたり、料理の基礎から学んでみたり、外見にもほどほどに気を使うようになった。「最近、元気そうになったねー」とか言われたりしてました。そうしてしばらくしたら、やたらに男性に食事に誘われるようになった。最初はそれが好意だとは気付かなかったんです。アホな話だけど。料理の話題が多いせいだから誘われるのかと思ったら、どうにも違うんだと告白されて気づきました。「あ、これはよくわからいけど、まずいんじゃないか?」と思って慣れないながらも誘いを断ったりして気をつけたんだけど、対応がまずかったのか当て擦りのようなことばかり起きるようになってしまってストレスで物が食べられない状態→入院コース。数か月で退院はしたんだけどなんやかんやあって退職。そこから数年間は思い出したくないことばかり。
他人の好意を背負い込んでしまう時期っていうのはあるのかもしれない。モテ期って呼ばれる奴なのかも。でも、そういうのは自分みたいなタイプには本当に毒だった。他人の好意が本当に怖かった。
知人が小学生の子供を亡くしました。病気の発見から約1年の闘病を経てのことでした。その子の病気はグレードⅢの脳腫瘍で手術ができないタイプのがんだったので、放射線と抗がん剤による治療しか選択肢がなかったそうです。
知人は子供の死後にブログで1年間の闘病生活の成行きを公表しはじめました。そこには、最初はただの体調不良でかかりつけの小児科にかかったこと、すぐさま大学病院で検査入院することになったこと、がんとわかって別の大学病院に転院したこと、日に日に悪化していく我が子の体調への不安と絶望、なにか打てる手はないものかという知人夫婦の苦悩、インターネットで見つけた「統合医療」で「重大な脳疾患の子供が完治した」ことに一縷の望みをかけるさま、(医師の制止を振りきって)大学病院を退院し遠方の統合医療の医師のもとに向う様子、などが綴られています。
ブログに登場する「西洋医学」の医師たちは、当時の病状と治療方針、薬の効果と副作用、治療の限界、今後のあり得る成行きについて、最大限誠実に説明しているようです。しかしその誠意は知人には届きません。知人に届くのは「決して大丈夫といってくれない」「我が子の今この時の苦痛を取り除けない」「強い副作用のある薬をたくさん飲ませなければいけない」「我が子が次第に元気をなくしていくのに、医師は何もできない」といった、ただただ西洋医学の先生が執り行う西洋の治療の限界とそれへの不信や不満、であったようです。
一方の「東洋医学や漢方を勉強し統合医療のクリニックを立ち上げた名古屋のO先生」は、電話で経緯を聞いただけで「なんとかなります、一度いらっしゃい」と請け合います。そしてクリニックに赴いた知人に対して「この程度なら大丈夫」「原因不明の脳の難病の子供を助けた」と話すのです。そして知人は続けます。「先生は不思議な機械で体のあちこちに金属の棒を当ててあらゆる臓器の数値を測定しました」「遠赤外線で体を温め免疫力をアップする施術を受けました」と。
知人は以前からいわゆる代替療法や「ナチュラルなもの」への親和性が高い人でしたから、このような成行きはある意味当然のことだったのかもしれません。もとより治癒の見込みの殆ど無い病気ですから、なにをやっても(やらなくても)所詮は同じことだったのかもしれません。であれば、残されたものが「できることは全てやった」「これでよかった」と悔いを残さないことこそが一番大事なのかもしれません。
しかしやはりぼくには件の「統合医療の医師」の悪辣さがどうにも我慢なりません。彼(女)はいったいどんな心持ちで「大丈夫、なんとかなる」と言ったのか、何百キロも離れた土地に「一度いらっしゃい」と軽く呼び寄せたときいったい何ができるつもりでいたのか、「不思議な機械の金属の棒」を子供の体に当てながらなにを思ったのか、何の効果ももたらさないだろう「施術」を施して高額の治療費を受け取ることに何の良心の呵責も感じなかったのか。
ブログはまだ半年前の日付までしか進んでいません。なので、半年前から今日までの間に事態がどう進展したのか、ぼくはまだ知りません。それでも最終的に知人の子供は亡くなりました。それが事実です。もしも例えば彼らが根気よく「西洋医学」の治療を続けていれば、治癒はともかく寛解の時期が訪れて、短いながらも一時的にでも学校に戻れる日がきたかもしれない、そうでないかもしれない。ぼくには「統合医療の医師」がなんの裏付けもなしに、ただ己の商魂からいい加減な安請け合いをすることで、一人の子供の一縷の可能性を奪ったように思えてなりません。
知人は子供の死後、同じような難病を抱えた子供たちとその親を支えるボランティアに参加しています。自分と同じ境遇の親子と関わりながら、我が子にしてやってよかったこと、できなかったこと、してやりたかったことをひとつずつ思い起こしながら伝えること。それはきっと今の知人に必要なことなのだと思います。子供を亡くした親の気持なんてぼくにはきっとわからないし共感もできません。だけど知人にはできるだけ早く、元気に穏やかに暮らせるようになってほしい。今ぼくが望むのは、知人が己の確かな経験をもとに、他所の誰かに「西洋医学の限界」や「統合医療の素晴らしさ」を軽々しく吹聴しないことです。
統合失調症で苦しんでいる人の症状ってこんななまぬるいもんじゃないと思うんだが、そうなのかな。
実はわたしは仕事のストレスで既に「うつ状態」という病名をもらっているんだ。
で、最近別件で内臓の手術をしたあと、病室で親と医師が「この娘、精神分裂(※親の誤認)なんですけどw」「じゃあ麻酔が切れた後暴れるかもしれませんので縛っておきましょうw」と会話をしていて(全身麻酔は、切れてもしばらくは周りには気づかれにくい。意識は戻っているけれど傍目には眠っているように見えるため)、退院までかなり不愉快な思いを強いられたので(結局わたしは暴れていない)、今度またあれを経験することになるのかと思うと滅入る。
必要な措置だったのかもしれないけど。
今回、内臓のさらなる悪化があったので今度はもっと大々的に摘出手術をすることになりそうなんだが、またそういう理由で縛られたら嫌だなあ。論点はそこじゃないけど、最近は最初に挙げた中傷が酷くて(統合失調症の症状ではない)参っているので。
褒めすぎて気持ち悪いかもしれないけど、それも書こうかと思ってたんですよ。でも、関係ない話だし、推測も交えるし、、と思ってやめたんだが
後で、よく考えたら、実際にそういう言葉をネットで書いてた人で、その人の親と合った事もある人がいる。 (合ったのは植木を預かってもらうためで、直接この話とは関係ない) その人は通院中だった。 入退院を繰り返してたという話だった。 なんで知ったかというと、本当におかしくなって、住所を書きまくっていたから。 止めないと危ないのではないかと思ったので連絡したから。 自分の痕跡を残したいのか、メアドを一々入れて書いてる人だったから、メアドで検索すると全書き込みが出た。その中で、医者に行った方がいい、とよく書いていたのがわかった。 心配するような言い方で、書いてる時もあった、この人普段自分が言われてる事を言ってるんだ、と思った。
教えてgooの事も同じような状態の人かもしれないと思った、が推測でしかない。
ここの所立て続けに被害(?)に遭っているので過度に毒を撒き散らさせてもらう。
障害者の元ってのぁやっぱり障害者なんだよな、ふつーのニンゲンからならふつーの子が生まれたハズ
確かに一概にゃ言えねーだろうがそれでもなっちまったってんなら運にも見放された劣等種なんだろう
誤解を招かないように言うが、劣等種だからって卑屈になる必要はねぇ事だけぁ言わせてもらうぜ
最初のはオレが悪いんだとは思う、
アスペルガーテストで会社の問題児達が軒並み高得点を叩き出して欠陥が浮き彫りだったのが面白かったから他の連中にもやらせてーなwwwってボイスで言ったんだ
よくよく考えたら最近会った高校の同級生の息子が自閉症だかなんだかって書いてあったから失敗したかなーと思ったよ
案の定切られたね
んで何ヵ月か後にいついつに送別会兼プチ同窓会を開こう!って事になった、オレの親友が国外へ年単位で転勤っちゅー非常事態だったから募集したさ
個人的にはヤローだけでヤりたかったんだ、言うてもオタクだらけの集まりだしオンナに気ぃ遣うのもかったりーしな
ただまぁA型連中は「ご婦人も呼ぼう!」っていきまいてたからまぁ勝手にしてくれって言ったんだ。
それが1ヶ月前。
コースで予約するから1週間前に出欠を確認したらとあるご婦人は行けるけどその友人は来ない、って話でまとまってたのよ
でーまぁうまく席も取れて飲み放題でこんぐらいだよ~って連絡すらぁな?後は当日を待つばかりですよ
したら前日の夕方に人数変更イケる?ってきたんですよ、お前バカだろ 思いながら相当イライラしたけどなんとか店側も対応してくれて事なきをえたんだわ
やれやれ、大所帯になったなぁと感慨に浸りながら家に帰ったさ、明日はゆっくり寝てよう、4時半頃出発してゲーセンで涼んでいよう、って微睡んだよね
当日
4時頃に「アタシ行けないから」「○○が行かないなら私も行かない」etc
さすがにおじさんも怒り通り越して笑っちゃったよね
これぞまさしく土壇場キャンセルってヤツだよね
まぁ理由が凄かったよね、親戚のおじさんが退院する日だったからとか子供がぐずってるとか
前日に行くって わ ざ わ ざ 連絡してくんのにそうなんだ。
で○○が行かないなら~とか今日び中学生でも言わないような言い訳をしたアラサーが冒頭のソイツですよ。
もうね、一言の謝罪も無しに用件だけ言ってなかったことにするとか
当然キャンセルなんか出来ねェから幹事のオレが立て替えとこうと思ったけど、そいつらを呼ぼうっつったヤツが責任感じて被ってくれたよ
マジ手続きに奔走したオレにも謝ってもらいたいけど、ソイツにはちゃんとワビ入れといてほしい。
当然ソイツはブチ斬れてた
モノモライが出来たからって理由でグラサンしてたけど凄ェ怖かった。
あのオンナ共無事かな…
まぁいいか
仁義弁ぬ不貞の族にかける情けなど無し。
迷惑かけないように自閉症の息子共々生きたまま検体に回されろ
「先生の現実なんて何になりますの?正義がすたれ、不正がはびこり、信をまもる者が苦しんでいる時に。ヘレンはエリスの約束を守っていましたわ、私だってよ。その時に先生の現実なんて何の役にも立ちやしない」
「分かっているでしょ?」<フェリイ>は言った、「私は決してばらの花園を約束しませんでしたよ。私は決して完全な正義など約束しませんでしたよ。(博士はふとティルダを思い出した。ニュルンベルクの病院を退院して、かぎ十字の支配する町へ出ていったが、やがて戻ってきて、やすりのようにかたい作り笑いをして言った。『恒久平和!先生、あいつらはわたしよかずっときじるしよ!』)……平和も幸福も約束した覚えはありません。私がお手伝いするのは、あなたがそういうものと自由に戦うことができるためです。私が差し上げられる唯一の現実は『挑戦』です。よくなるということは、あなたに可能なそのときどきのレベルで挑戦を自由にうけいれるかどうかということです。私は嘘を約束しませんでしたよ。そして、ばらの花園、完全な世界はうそです……もっとも、そんなところはたいくつな世界でもあるでしょうけどね……」
ハナ・グリーン(1971) 佐伯わか子・笠原嘉(訳) デボラの世界 みすず書房 pp140-141
5年ほど前に、夕方に職場で突然倒れて救急車で運ばれ、そのまま入院した。
両親には連絡がつかず、実家近くに住んでいる妹に連絡がとれたので、会社の人が来てもらうようにお願いしてくれた。
当時の妹は身重で、近所でパートの仕事中。なんとか都合をつけて、電車で1時間半くらいの距離をかけつけてくれた。
すぐに必要なもの(下着とか)を買ってきてくれたり、手持ちがないだろうとお金を貸してくれた。
ありがたく受け取って、入院生活を乗り切った。(借りたお金+経費相当分は退院後すぐに返しました。お礼つきで)
ここまでは「姉妹ってありがたいなぁ」と感謝してたんだけど、問題はそのあと。
ことあるごとに「私は身重で大変だったのにあんなにしてあげた」と言われる。
最初の半年は「ほんと感謝してる」。次の半年は「ありがたかったよ」。
でも1年以上経っても同じように恩を売ってくるのには閉口して、次第に腹が立ってきた。
結婚のお祝いをあげて食事をご馳走しても、式にも呼ばれず妹ダンナと顔合わせもなくお祝い返しもないことも、
(海外で2人だけの挙式+新婚旅行。新婚旅行のお返しは数ドルのチョコレート)
出産後の退院帰宅を手伝ったことも、(妹ダンナからはアドレス確認用テストメールと「生まれました」メールのみ)
子供に障害があるかもしれないと騒ぎ立てるのをなだめ続けたことも、(夜中に電話とメールを3ヶ月ほぼ毎日)
妹の気晴らし雑談につきあうために毎月呼ばれることも、(休日に片道2時間かけて行く。食事代とかもろもろはこちら持ち)
頻繁な子供話日記メールにつきあわされて、返事を強要されることもいやだった。
短い返事で済ませたり子供を大げさに褒めないと「愛情が足りない」あげく「たった一人の甥がかわいくないの?」
当日の夜8時までに返信しないとイヤミのメールが届く。こっちが残業でヘトヘトな終電帰りであっても。
突発とはいえたった1回お世話になっただけで、こんなにもご奉公しなきゃいけないのか?
どうしても耐え切れなかったので、連絡を絶つことにした。まずはメールの返信をしなくなった。
それでもずっと送ってきたので放置していたら、「返信しないなんて人間としてありえない」と言われた。
私が連絡したいことはほとんどないし、妹からの返信に困る日記メールを受けたくないと言ったら、
「じゃあ○○家と一切縁を切れ」「両親とも連絡するな」
(両親の葬式の喪主の話を振って「私はもう○○家の人間じゃないから」と言ったくせに)
なので、両親には申し訳ない気もするが、実家もひっくるめて連絡しないことにした。
一度メールがきて「そろそろ謝ったら許してあげなくもないよ」と書いてあったけど、鼻で笑い飛ばして削除した。
ついでに迷惑メールフィルタに登録したのでもう届かなくて済む。
妹と親は近居でべったり。親には妹に都合のいいような話が伝わってると思うので、連絡したくないし。
さすがに先日の地震のときは親に連絡を入れたけれど、それだけ。
いい年して大人気ないのも十分わかってる。
あれだけの爆発を起こしても死亡者が出たとは日本のメディアは一切報道していない。
それどころか負傷者のことすら表に出てこない。
不思議・・・・・・
と思っていたら、先日作業員3名の被曝が明るみになった。でも退院するらしい。
その反面、米・英の一部メディアは死亡、負傷、行方不明のそれぞれの人数を報道している。
http://www.nytimes.com/2011/03/16/world/asia/16workers.html?_r=2
真実はどちらなのかはわからないけど、もし政府や東電が隠していて、それが事実として
明るみになったら、民主党は間違いなく潰れるし、東電もどっかに吸収されちゃうかもね。
マスコミも当然情報は得ているはずだから、あえて報道しない何らかの理由があるんだろう。
まぁ、同罪だけどね。
※結婚しないのは不幸だという価値観を押し付けるつもりはありません。
「結婚したい人がいるのに、地震のせいで結婚できない」なんてことはない、ということを説明するために書いています。
※当然のことですが、病気や障害のある方のことを、それだけで不幸と決めつけるものではありません。
被災地にいらっしゃる方、特に福島近郊の方の中には「これが原因で、将来結婚できないのではないか」と不安に思っていらっしゃる方がいるかもしれません。
けれど、決して不安に思う必要はありません。
1 放射線量
すでに報道等でご存知かと思いますが、現在(3月24日午後)のところ、福島県内であっても、被ばく量は際立って多いというものではありません。CT検査の方がずっと多くの放射線を浴びることも周知のとおりです。ですから、現在までの状態が続けば、健康被害が生じるものではないし、将来生まれる子どもに影響することももちろんありません。
2 不安
それでも、「福島出身の娘なんて」と結婚を断られるのではないか、と不安にお感じの方がいらっしゃるかもしれません。多くの方が亡くなった未曽有の大災害の中にあって、今も食料や燃料が十分にはなく、ライフラインも滞ったままという状態で、いろいろと不安が募るのも当然のことかと思います。ですが、ちょっと聞いてください。
3 個人的な経験
私の兄は統合失調症です。入退院を繰り返しています。かつて、精神病者の親類が、それを理由に縁談を断られるということは現実にありました。ですから私は、10代のころからずっと、「私は結婚できないかもしれない」と思っていました。
ところが、私は昨年、望んだ相手と結婚しました。夫にもその両親にも兄の病気について話をしてあります。
4 出産
目に見えないものを不安に思う気持ちは誰にでもあります。なるべく健康な子どもや孫を産んでほしいという願いも自然なことだと思います。でも、出産は誰にとってもリスクのあるものだし、どんな子が生まれてきても愛して育てていこうと思えるからこそ、その出産を望むことができるのではないでしょうか。
5 試金石
きちんとした人は、つまらない偏見に惑わされたりはしないものです。ほんとうに大切に思う相手が現れたら、周りに反対されようがどうしようが一緒にいたいと思うものです。
親類すべてに理解され歓迎されるわけではないかもしれません(私の個人的な経験からいってもそうでした)。でも、それはどんな結婚でも同じです。親類皆から歓迎される(そして歓迎され続ける)結婚は稀です。まずはただ一人、夫(あるいは妻)になる人が、あなたを愛して理解してくれさえすればそれでいいのです。そういう人は必ずいます。そして、今回の経験は、「その人」を探すための試金石になるかもしれません。「福島出身」というだけでひるむ人がいたら(正直にいって、若い世代にそういう人はもうほとんどいないと思いますが)、その人はいずれにせよあなたにふさわしい人ではないと思います。その人の両親か親戚の誰かがつまらない偏見でもって結婚に反対したとき、その人が毅然とした態度でいれくれないのなら、その人はあなたを本当には思っていないのかもしれない。試金石は相手の本質を見抜く力を与えてくれるかもしれません。
6 むすび
長く書きすぎました、申し訳ありません。
悩みは悩んでいるときにはとても大きいものですが、実際に立ち向かってみると小さくしぼんでいたということはよくあります。
不安に思う気持ちを取るに足らないというつもりはありません。ですが、私は相当の確信をもっていうことができます。
あなたが将来、「この人とずっと一緒にいたい」とか、「この人の子どもを産みたい」と思ったとき、そしてその人に「私はあの頃、福島に住んでいたの。それでもいいの?」ときいたとき、相手の方はこういうでしょう。
「え?なんで?福島出身なのはもちろん知ってるけど、それがどうかしたの?」
2011年2月初旬、はじめての妊娠がわかって、とてもうれしかった。
昨日、稽留流産の手術をした。まだ、気持ちの整理がついていないけれど、幸いに術後の痛みもほとんど無いので、記憶が確かなうちに記録する。
様々な方が経験を手記やブログとしてネットで公開されていて、それがおおきな助けになったので、自分も増田として一助になれればと思う。長文お許し下さい。
筆者、36歳、自宅で自由業。結婚10年目。夫は38歳、研究職。ふたりぐらし。
仕事が落ち着き、経済状況も安定してきたので赤ちゃんをむかえることに、2010年秋からとりくみはじめた。
基礎体温は2010年7月から記録をはじめた。葉酸は、1年ほど前から意識して摂取するようにしていた。
夫は頭の中が研究のことばかり。いつも帰宅が遅く、ごはん食べてそのまま泥のように眠るのが日常。
仕事を家にもちかえって、私がデータ整理を手伝いながら、夜半まで趣味とも仕事ともつかない作業をする日も多い。
そんなわけで、いままでかんばる回数は月に2回あればいいほうだった。
夫の妊娠についての知識は「排卵日にがんばれば命中する」というもので、
「顕微鏡でためしに自分の精子を観察したところ、活動も活発で数もいた」という自負がある。
私の周期は28日で、サイクルはわりあい正確、基礎体温もはっきり2層に分かれる変化をしていた。
基礎体温記録、周期の予測、予告などで、下記のサイトを有効活用させていただいた。
記録をまとめて印刷することもできるので、医師に妊娠の経緯を説明する時にとても便利だったし、「がんばる日」の予想もしやすい。
上記の通り、夫の妊娠に対する知識はかなりアバウトであったし、私もネットを使って本気で調べるまでは、知らない事が多かった。
挑戦して、3ヶ月くらいまでは、基礎体温から予測した「だいたいこの日が排卵日」という日を中心に一晩か二晩、がんばった。
夫が仕事でつかれていて、お願いした日に寝てしまったり、お酒を飲んでいい気持で忘れて寝てしまうこともあった。
年齢の事もあり、また自分に自信がなくなってきたので、不妊治療の事も真面目に調べた。
とてもお金がかかり、体への負担も大きい事が分かった。
20代で子供を産み、子供を小学生に育て上げてから、仕事をはじめた友人や、
私の20代には、経済的にも精神的にも余裕はなかったし、夫も自分の身を立てることで精一杯だった。
たいへんでも、親に援助をもとめても、もっとはやくに赤ちゃんをむかえることにすればよかったのかな……
冬になってから、もっと真剣になった。排卵日に関係なく、回数を増やした。それでも週に1度くらい?
妊娠しやすい体にしていくためには、普段から夫婦の接触が大事で、がんばる日が多いと、
お互いのホルモンが活発になって、生殖機能が活性化されていくらしい。科学的根拠は不明?
そして、妊娠しやすい期間の前に4日やすみの日をつくり、排卵日周辺に2日おき、または1日おきにがんばった。
カレンダーに「がんばる日」の印をつけて、多忙な夫が忘れないようにしてみたけど、それでも夫は忘れることがあった。
夫は、理性では、子供と私への気持から、その「予定」に前向きだったが、仕事の締切りや年末進行などで体力的にきつかったし、プレッシャーも感じていた。
私も強制して性交させるのはとても嫌だったので、時に喧嘩になることもあった。夫はいつも一方的に謝るばかりだった。
夫が最大限に努力してくれている事はよくわかっていたはずなのに、自分は焦って思いやりを忘れていた。
年末年始、大掃除もてきとうにして帰省をせず、はじめてふたりだけの大晦日とお正月をすごした。
いつもは組立てない炬燵を出してきて、パソコン並べて仕事しながら、お雑煮やおせちをたべてゆっくりした。
その甲斐もあって、1月のおわりにくるはずの月経が来ず、基礎体温も高いままだったので、
妊娠検査薬を使わずに、2月の初めに産婦人科にいった。病院は、近所の奥様がすすめる病院を選んだ。
子宮のなかに小さな黒いまるがうつっていた。なかみはまだ見えないけど、子宮外妊娠ではない事がわかりほっとした。
妊娠が確定して予定日を告げられてから そのママ に夫婦で登録し、
2月の半ばに2回目の検診にいった。
先生がカーテンをあけて、心臓が動いているのを見せてくれて「順調です」と言ってくれた。
黒い楕円の中で、ちいさい心臓がぱくぱく動いていて、思わず涙腺がゆるんだ。
赤ちゃんは週数のわりに少し小さかった。
調べると、後から追いついて大きくなったり、排卵日が遅かったりしていたために小さく見えたりするそうで、
あまり問題はないということだったけど、今思うと、その時のことがとても気になる。
つわりは、吐くようなつわりでなく、とにかく眠くて眠くて夜も早く眠くなり、昼寝で夕方まで寝てしまう事もあった。
つわりは人それぞれで、これで赤ちゃんの状態を推測する事はできないということだった。
回数を増やすようにがんばってから、夫が活性化したらしく、要求が増えたので、手などを用いて別の方法でお世話をした。
3月の初めに3度目の検診に行った。
この日に母子手帳の手続きができるはずで、その後に、しかるべき人々に報告しようと思っていた。
ちょうど夫の仕事が休みだったので、いっしょにうきうきしながら行った。
いつものように、エコーの検査をしてもらうと、時間がいつもより長く、先生が焦っているようだった。
何度も確認してみても、前回の検診から大きさもあまり変化していなくて、あんなに動いていた心臓のあたりがしんとしていた。
先生によれば、大きさからみて一週間前に心臓が止まってしまったそうだ。
稽留流産、といわれ、先生から説明を受けた。自分では一週間前に何の心当たりもなかった。
夫によれば、ちょうど一週間前から私が吐気でえづくことが増えたので、変化?と思っていたそうだ。
ネットで調べればいろいろ書いてあるので、細かい説明は避け、私個人の体験を記す。
丁寧な説明を受け、自分でもどうして良いかわからなかったけど、
とにかく、早めがよいということで、4日後に手術の日を予約した。
待合にいた夫を呼んで、小さな部屋で、助産師さんからより詳細な説明を受けた。
「わからないことや不安な事は何でも聞いて下さい」といわれたけど、何が不安なのか、何がわからないのかも見当がつかなかった。
あまりに突然の事で、夫婦して感情が固まってしまった。とにかく、私の母と夫の両親に報告した。
母が祖父の看病で家を離れられないため、義母が私の手術前から家に来てくれる事になった。
義母がくることに私はとても不安を感じていたが、案の定、相変わらず、無邪気に笑ってはしゃいでいたので、応対にひどくつかれた。
夫があとで「こんな時に笑うな」と言ってくれたので、助かった。
未婚の友人は、よく「夫を産んでくれたお姑さんに批判的になるのは変よ」と言うが、誰でも最初はそう思うのだ。
誰が好き好んで尊敬すべき立場の人に嫌な感情をいだくだろうか……それなりの経緯というものがあるのだ。
これを書いている今も、横で笑顔で孫がはやく欲しいなどと言っているが、赤ちゃんが亡くなった直後の無神経な発言に気分がささくれ立った。
前夜に話を戻すと、義母ひとりで付添いをするとはりきっていたが、頑なに拒み、夫ひとりについてきてくれるように頼んだ。
義母は多分いい人かもしれない。しかし、いい人がよいことをするわけではない。私は自分が我侭だと思ったが、あとでこの判断はよかったことがわかる。
海外で稽留流産をされた経験のある方の手記をネットで読んだ。その人は夫が激務でひとりで手術に行く事になったそうだ。
手術前夜からの入院で、夜中に耐えられずに泣いてしまったら、年配の看護師さんに抱きしめられて慰められ、
夫を病院に呼ぶようにすすめられ、夫が来てくれたのでとても助かった、と書かれていた。
手術前夜は、飲食禁止だったが、家で留守番をする義母と付添の夫のお昼に炊き込みご飯でおむすびをつくり、
病院に持っていく分と帰宅後の安静時に飲むための番茶をたくさん煮出して、空のペットボトルにつめ、
夫は、手術の前夜も仕事を家に持ち帰っていた。年度末の仕事がギリギリで、とても忙しい時期だ。
そういうわけで、夫は、赤ちゃんがいた実感も、赤ちゃんが亡くなった実感も薄く、私も事務的に手術の仕度をするだけで、
何が起こってどうなるのか、わからなかった。ただ、ネットで様々な人が書かれた手記や質問の応答などを読んで、
「こういうことがある」のがわかり、ふたりで「痛いことはたくさんあるようだけど、いちばんつらいのは赤ちゃんだから、耐えよう」と思った。
当日、3月7日朝9時、夫と直接、産婦人科病棟のナースステーションに行き、書類を出して手続きをした。
病院には自家用車で行った。服装は、お腹をゆるく保護する妊婦用のやわらかい部屋着のズボン、Tシャツ、パジャマの上着、フリースの長いコートで、
家に帰ったらそのまま寝られる服装で行った。手記をみると電車で行き帰りする人もいて術後は歩いて移動できるようだけど、楽にできるならその方がいいと思った。
ナプキンをつけてから、担当医とは別の当直の先生が、子宮口を開く処置をしてくれた。
赤ちゃんは最後の検診の時と変わらず、動いておらず、形も少しいびつになってしまったように見えた。
この処置はとても痛いという手記が多いが、私の場合は、それほど痛くなかった。痛覚が鈍いのかも知れない。
それから点滴で輸液をし、午前中の外来が終わるまで病室で安静にしていた。
午後になり、手術着に着替え、点滴をつけたまま、手術する部屋へ歩いていった。夫は病室で待機。
多分、分娩とおなじ場所だと思う。途中の廊下で元気な赤ちゃんの声がたくさん聞こえた。
担当医の先生が手術の道具を調えていて、天井には大きなライトがあったり、
計器をつながれたり、看護師さんがてばやく準備を整えはじめたので、急に怖くなった。
台の足の部分が開かれて持ち上がり、足にカバーをかけられて、足首を固定された。
肩に麻酔を効きやすくする筋肉注射を打たれた。これが全ての経過の中で最も痛く、
思わず呼吸が大きくなり、その痛みが引かないうちに、アイマスクをつけられ、看護師さんに点滴を刺している手を胸を載せられると、
先生の「麻酔を入れたら、手術を始めます。子宮口に詰めた消毒綿をとります。はい麻酔を…」というとこで、
器具の冷たい感触があって、下腹部が激しく痛くなったと感じたら、麻酔が効きはじめ、突然、幻覚が始まった。
事前に「意識はうっすらとあって、声が聞こえるくらい。眠くなったら寝て下さい」といわれていた。
しかし、私は意識はしっかりあったと思う。ただ外とつながっていないだけで。
もし、赤ちゃんが次に何処かに生まれることができるなら、できるだけ暖かくて自然がいっぱいあるとこへいけるといいなと考えて、出張した時に見た熱帯の森を手術中はイメージしていようと思い、痛みをこらえて、その木々の茂る風景をイメージしてみた。
だけど、アイマスクで暗いはずの視界が急に明るくなって、上からレゴブロックの白いのみたいな小さなものがザーッと落ちてきて、自分の体がとても小さくなってしまったように感じた。痛みも体がある感じも消え、白と灰色と黒の格子みたいのがある空間の底にいて、格子がうねりながら昇っていった。うねった隙間から、キミドリとピンクの光がでてきて、渦を巻いてまるくなってくっついたり離れたりして激しく動いていた。私は自分の家や猫のいる温かい感じがあるとこへもどりたい気がしたけど、仕事や、大学のころに勉強していた事、その意味が、バラバラに浮かんできて、消えていって、その間、気持ちいいテクノみたいな音楽(フロアに流れるかすかなオルゴールの環境音がアップテンポに聞こえた?)がずっと流れていた。格子の四角がだんだん大きくなってきて、その合間にフラッシュバックみたく家にいて西日が当たる暖かい感じが懐しく浮かんできて、そして、キミドリとピンクの光がうすれ、シューッシューッと機械が動く音が聞こえて、視界がもやもやした暗い灰色になって、人の話す声がなんとなく聞こえてきた。
しばらくして、アイマスクがはずされた。目を開けようとしても薄くしか開かず、まだ視界がぼやけていて、遠くから声が聞こえた。
「お腹はいたくないですか?」 「わかりません」と答えたと思う。
顔を横にして時計を見てみたら、20分くらいしかすぎていなかったのがぼんやり見えた。
ご主人を呼んできます、と看護師さんが出て行き、夫が来て手を握ってくれた。
すごく暖かい感じがして、涙が出てきた。夫も泣いていた。
麻酔がしっかり醒めるまで、一時間ほど、その場所でそのまま2人でいた。
時折、看護師さんが来て出血を確認していった。
いつの間にかパンツを履かされていて、看護師さんがナプキンを交換してくれた。
持参したナプキンのうち未使用の2コをとり、交換したナプキンと今着けたばかりのナプキンの空袋を持って、計量にいった。
重さの差から出血の量を計測しているのだろう。種類を混ぜて持ってこなくてよかった。
なので、手術の日に持参するナプキンは全部を同じ種類のものにしておくとよいと思う。
麻酔が醒めてくると、点滴の支柱と夫に支えられて、歩いて病室にもどった。不思議とどこも痛くなかった。
病室でズボンをはいて横になり、点滴がはずされると、遅い昼食がでた。
夫も昼食をとっていなかったので、いっしょに食事をした。
夫は前日まで、「手術してる間にちょっと外でごはん食べてくるから、おむすびいらないよ」と言うほど、
手術の時にどうするか何も知らなかったし、手術の間は待機しているようにと説明された事も忘れていた。
私は飲み物をのんでおかずを少し食べてみたが、点滴のせいかお腹がすいていないので、勿体ないけどほとんど残してしまった。
夫は「自分がここにいるべきだし、おむすびとお茶を持ってきてよかった」と言った。
薬がでて、会計が終わると、手術着を脱いで、帰る仕度をした。このときも、お腹は全く痛くなかった。
看護師さんが手術前に、担当医の先生は手術がはやいと言っていたが、きっと処置が上手だったのだろう。
子宮を収縮させる薬を飲むとお腹が痛くなるというが、薬をちゃんと飲んでいる1日後も痛みはほとんどない。
来週に検診があって、また病院にいく。
元気になったら、赤ちゃんのことをおぼえておけるように、地元で名木の桜の保護をしている会から苗木を分けてもらって、実家の土地のいい場所に植えようと思う。
その木がもっと時間が経って大きくなって花をたくさん咲かせたら、それとは知らなくても、いろいろな人が見に来てくれると思う。
・次の月経以降の周期に、「妊娠したい 私はこれで妊娠しました」 を参考に、排卵検査薬を使って、排卵と基礎体温変化の様子を観察し、今後に役立てる。
7話までのこと。海外サイトでは、早くからさやかが1話の夢の中の敵と予想されていたが、これはどうも正しそうだ。
魔法少女にあこがれるも巴マミの死で、それは完全に止まってしまったまどか。まどかには強い願いが無かったが、さやかには上條君のケガを治したいという強い想いがあったため、魔法少女になってしまう。そして杏子とのやり取りの中で、自分の身体が変質してしまっていることを知る。
これにショックを受けたさやかは、学校を休んでしまう。人間でなくなった自分は上條君への想いが実らないと思ってしまっている。
この描写、展開について説明、表現不足と見る人もいるようだが、こう考えてはどうだろうか。少女は、少年でも取るに足らないことを気にする。背の高さや体型、親の仕事、流行りの消しゴムを持っているかどうか。もちろんソウルジェムが本体になってしまったことは大事件だが、幼い心には、自分がモンスターになってしまったように強く強く感じられたのではないか。それは、流行りのアイテムのあるなしとは、完全に別世界。さらに、マジでありえない位の力を持っても、変身を解けば日常生活に戻れる巴マミのような優雅な魔法少女になろうとした代償が、戻れない完全な変容。
そう思ってしまえば、上條君が好きとはっきり言えないさやかは、その反動で魔女と戦い意図的にリミッターをオフにしたとも見える。
突然の根拠ない良そうだが、ほむらは何度も時間を戻してやり直しているとのではないか。ループ説はよく言われているが、無感動で無反応なのも、諦念があるのではないか。繰り返すたびに細部が違う、あるいは大まかな記憶しか引き継げないという風に考えれば、行動の不首尾も説明はできる。
さやかの展開だが、志筑仁美が上條君に告白することを宣言された。黙って退院したのは、さやかに興味がないかあるいは大事に思い密かに練習を積み、さやかの前に現れるためか。仁美はさやかの背中を押すために、嘘の宣言をしたのか、本当に好意があるのか。仁美の描写を見ると、退院した上條君を見ても、有名人が帰ってきた程度の薄い反応だったからこれは前者だろうか。ただ、ずっと言い出せなくて、幼馴染で見舞いに通うさやかを羨んでいて、さやかに強くぶつかるという展開もありえる。
今後のこの展開がさやかが1話の魔女化する大事な過程となるだろう。
杏子は、ネットで言われているように、さやかに倒されるだろう。ステンドグラスの天使が杏子を切っている暗示というのは強い印象を与えている。
杏子の大食は7つの大罪ともとれるし、エデンの林檎を意図的に多量に摂るという欲望の強さを示しているようにも思える。力の差、リミッターの外れ具合でさやかに対して、何らかのアクションを起こすだろう。
上條君の目の前で対峙して、魔法少女二人、杏子かさやかのどちらかに嫌悪の言葉をかけるかもしれない。それも鍵の一つだろう。
流れとしては、仁美が上條君の気持ちを確かめようとするとさやかへの想いを明かし、その一方で魔法少女の力へ恐怖を抱く描写があれば、さやかは魔女になれるだけ引き裂かれるだろう。