はてなキーワード: 著作権法とは
http://anond.hatelabo.jp/20120130150137
元増田です。友人のAさんにおもしろい指摘を受けました。
元増田 「えっ」
友人A 「えっ」
元増田 「えっ」
友人A 「えっ」
なるほど!!!
それでは、問題の画像はあくまでミッキーの着ぐるみを描いたものであることが文脈上明らかであるとして考えてみます。殺害表現でないとすると、名誉声望保持権を主張するのは無理筋に思えます。すると、同一性保持権侵害の線で押してくるのではないでしょうか。
(同一性保持権)
第20条
著作者は、その著作物及びその題号の同一性を保持する権利を有し、その意に反してこれらの変更、切除その他の改変を受けないものとする。
同一性保持権侵害を構成するには、その行為が著作者の『意に反して』いる必要があります。ミッキー(の映画(の原画))の著作者は当然ウォルト・ディズニーだと思いがちですが、実はこの点はずいぶんと争点になっていて、正直なところ「結局誰が著作者なのかよくわからない」んですよね。ウォルト・ディズニーは当然ながら、ウォルトの盟友アブ・アイワークスあるいは二人の共作、はたまた二人の作り上げたディズニー社の団体名義だとする説もあります。
しかし、彼らの意向は明らかです。彼らは口を揃えてこう言ってきました(たぶん)。
『中の人などいない!』
誰が著作者であるにせよ、中の人など決していないんだ、ディズニーランドに行くと笑顔で迎えてくれる彼はあくまでミッキーという生き物であって着ぐるみではないのだ。そういう世界を彼らが作り上げてきたことは明白です。「中の人などいない」ことが、ミッキーマウスという著作物を構成する重要なアイデンティティである。だから絶対に首なんか飛ばない。これが主張として認められれば、ミッキーマウスの着ぐるみの頭を吹っ飛ばすという表現は同一性保持権の侵害となるかもしれません。
でも、どうでしょうね。
まず、視覚的に表される「絵柄」ではない抽象的な要素については著作権が認められないという判例が多くあります。「中の人などいない」はこれに該当する可能性が高そうです。また、着ぐるみを作って売ったならともかく、着ぐるみのイラストを描いてそのイラストの頭を吹っ飛ばしたわけですからね。ミッキーマウスの著作権は既に切れているとすれば無償で着ぐるみを作ったり絵を描いたりすることは問題ないですし、あとぶっちゃけ、彼らが何と言おうと、ディズニーランドにいるミッキーが着ぐるみであることは悲しくも事実なのですから…。
この辺、本職さんの本気の弁論をぜひ聞いてみたいところです。
というわけで、あれは着ぐるみの頭が吹っ飛んだだけだよ!と主張してみるだけで、なんとも馬鹿馬鹿しいメルヘンな問題になることが判明しました。こんなにメルヘンな裁判はそりゃあ是非とも見てみたいわけですが(きっと世界中が大注目するでしょう)、怒りのメールを送ってきたのがディズニー社であるにせよディズニーファンであるにせよ、恐らくはあの画像を「ミッキーの頭を刎ねて殺害している場面」と受け取ってのことだと思います。とりあえず落ち着いていただく&名誉声望保持権侵害の疑いを回避するためには、首が飛ぶ前後の文脈をきちんと公開した上で、「あれは着ぐるみなんだよ」と説明するとおもしろいよいのではないでしょうか。
いやちょっと待てw
一つ上で書いたことは今回のディズニーの件とは関係ないですよ。まず、著作権が存続している間は著作者人格権どうこう以前に著作権上の問題が当然存在しますから、同人活動は決して合法ではありません(多くは親告罪ですが)。また、商業キャラを用いて利益をあげた場合は商標権の侵害となるケースがほとんどだと考えられます。
一方で、著作者人格権を根拠として商業/非商業問わず創作活動を制限するケース、つまり「俺のキャラの性生活を勝手に描くなんて侮辱だ!やめてくれ!」というような法的主張はあまり聞かない気がします。その辺まだちょっと詳しくないですが(※1)。著作権や商標権のみならず人格権についてもきちんと主張しておかないと、何十年後か、著作権の切れた自分のキャラクタが合法的に好き放題レイプされてしまうかもしれません。
また、あくまで一般的「エロ」表現の話をしたのであって、「首を刎ねて殺す」という表現は全く別ですよね。
他人の著作物を虐殺するなど常識で考えて許される表現ではない、どうあれ侮辱的な表現であると私は思うのですが、その認識がどんどん薄らいで今回のように「ディズニーが訴えないならミッキーの首を刎ねても悪くないよね、作者さん叩いてごめんね」なんてめちゃくちゃな認識が広く蔓延してゆくと、いつか本当に「自分の作ったキャラクタの首を刎ねられたくない権利」が消滅してしまう可能性も考えられるのです。だから我々は、断固として「そういう問題じゃねえ!」と叫ばなければいけません。
ありましたね。
性描写がない作品を元にして、性描写を内容とする作品を作成、販売したことを理由に、同一性保持権の侵害を認めたケースがあります(東京地判平成11.8.30「どぎまぎイマジネーション」事件)。被告は、同人文化の一環としての創作活動であり、違法ではないと主張しましたが、退けられました。
同一性保持権については著作者の『意に反して』とされ、著作者の主観的意志がキーポイントになります。著作権者死亡後の争いにおいては、その意志を推測するしかありません。故に、うっかり事実上黙認したまま死んでしまうと、別に意に反してなかったよね!という既成事実が形成され、同一性保持権を失ってしまう可能性があるでしょう。
一方、名誉声望保持権ではその名の通り著作者の『名誉又は声望を害する』行為について禁じています。よって、著作者の死後、該当行為は特に名誉を傷つける行為ではないという認識が一般的になれば、社会的状況が変化したと見なされ権利が消滅する可能性があります。
しつこいようですが、知財関係の権利はきちんと行使しないで黙っていると、権利を失ってしまうということが往々にしてあるのです。
かもしれない。
この騒動、「ディズニーが訴えないなら問題ないな」的な空気で終息しそうな気配だが、そういう問題じゃないよというおはなし。
まず、著作権とは別に存在する権利、「著作者人格権」というものがあります。
著作者人格権(ちょさくしゃじんかくけん)とは、著作者がその著作物に対して有する人格的利益の保護を目的とする権利の総称である。著作物には、著作者の思想や感情が色濃く反映されているため、第三者による著作物の利用態様によっては著作者の人格的利益を侵害する恐れがある。そこで、著作者に対し、著作者の人格的利益を侵害する態様による著作物の利用を禁止する権利を認めたものである。
今回の問題では、日本においてミッキーの著作権の一部が既に切れている可能性を以て適法であるとする意見が散見されますが、実はこの著作者人格権に関しては、保護期限に関する規定が存在しません。
ベルヌ条約6条の2(2)が著作者の死後における著作者人格権の保護を要求していることから、著作者の死亡後も、著作者が存しているならば著作者人格権の侵害となるような行為を禁止するとともに(60条)、一定範囲の遺族による差止請求権や名誉回復措置請求権の行使が認められている(116条)。
つまり、ミッキーに関する著作者人格権は現在も法的に保護されているということになります。
著作者人格権として具体的に保護される権利として、この2つが挙げられます。
同一性保持権(どういつせいほじけん)とは、著作者人格権の一種であり、著作物及びその題号につき著作者(著作権者ではないことに注意)の意に反して変更、切除その他の改変を禁止することができる権利のことをいう(日本の著作権法20条1項前段。以下、特に断らない限り、引用法令は日本のもの)。
著作物が無断で改変される結果、著作者の意に沿わない表現が施されることによる精神的苦痛から救済するため、このような制度が設けられていると理解されている。もっとも、元の著作物の表現が残存しない程度にまで改変された場合は、もはや別個の著作物であり、同一性保持権の問題は生じない(「パロディ事件」(第1次)、最高裁判所判決昭和55年3月28日)。
著作物の改変を伴わない場合でも、その利用態様によっては表現が著作者の意図と異なる意図を持つものとして受け取られる可能性がある。そのため、著作者の名誉又は声望を害する方法によりその著作物を利用する行為は、著作者の著作者人格権を侵害する行為とみなされる(著作権法113条6項)。例として、美術品としての絵画を風俗店の看板に使用する行為などが該当するとされている。
要するに、著作物に対し、著作者が傷つくような変なイメージを付けたり改変したりしてはいけないよ、ということですね。
知財関連の権利、特に著作権に関する諸権利については、多くが親告罪であることが知られているかと思います。つまり、被害を受けた権利者が提訴しない限りは犯罪とならないし、賠償請求すらもできない。だから、ディズニーが提訴しないなら問題ないよね、という意見。これも散見されますが、誤りです。
実は、著作者人格権の侵害については刑事罰が定められており、しかも著作者死亡後の名誉声望権侵害は非親告罪なのです。(※下線部追記:著作者の生存中は親告罪です)
第60条
著作物を公衆に提供し、又は提示する者は、その著作物の著作者が存しなくなつた後においても、著作者が存しているとしたならばその著作者人格権の侵害となるべき行為をしてはならない。ただし、その行為の性質及び程度、社会的事情の変動その他によりその行為が当該著作者の意を害しないと認められる場合は、この限りでない。
第120条
第123条
第119条、第120条の2第3号及び第4号、第121条の2及び前条第1項の罪は、告訴がなければ公訴を提起することができない。
つまり、『その行為の性質及び程度、社会的事情の変動その他によりその行為が当該著作者の意を害しないと認められ』ない場合、ディズニー社の意向に関わらずお縄になるリスクがあるということです。
まぁ、実際にディズニーの意向を無視して逮捕されるかというとこれは怪しいですね。そういうケースを聞いたことがありませんし、実際のところ大丈夫なんじゃないですか。しかしだからと言って、これが合法でクリーンな行為だなんて事は決してない、というのは当然のおはなしですね。あえて非親告罪とされているというのはそういう意味です。
著作者人格権は、著作者の死後、著作権保護期間が切れた後も保護されます。作者が死んで著作権が切れているからといって、作者の意に反してキャラクタを侮辱する自由は決して「当然認められる」ような権利ではありませんし、刑事告発される可能性があります。首を刎ねるという表現が『著作者の意を害しない』と言える理由を明確に説明しなければいけないでしょう。
アニメキャラクタのファックを描くことはもはや黙認されてしまい実際の権利行使もそう簡単にはいかない状況ですが、社会通念上「殺害」という表現が「ファック」以上にキワドイのはもちろんのこと、首を刎ねるというのは特に侮辱的表現であるとされる可能性が強く考えられます。
作者は「悪いことをしていない」と言える明確なロジックをもって、それができないなら「悪いことをしている」という自覚と覚悟を持って、同人活動をした方がいいですね。認識が甘すぎます。
ディズニーからの正式な抗議ではなかっただろうことは想像できます。
著作者死亡後の差止請求権は著作者の孫までの遺族にのみ認められており、ディズニー社にはその権利が存在しません。また、今回のような場合は出版権にも関係しません。
(差止請求権)
第112条
著作者、著作権者、出版権者、実演家又は著作隣接権者は、その著作者人格権、著作権、出版権、実演家人格権又は著作隣接権を侵害する者又は侵害するおそれがある者に対し、その侵害の停止又は予防を請求することができる。
(著作者又は実演家の死後における人格的利益の保護のための措置)
第116条
著作者又は実演家の死後においては、その遺族(死亡した著作者又は実演家の配偶者、子、父母、孫、祖父母又は兄弟姉妹をいう。以下この条において同じ。)は、当該著作者又は実演家について第60条又は第101条の3の規定に違反する行為をする者又はするおそれがある者に対し第112条の請求を、故意又は過失により著作者人格権又は実演家人格権を侵害する行為又は第60条若しくは第101条の3の規定に違反する行為をした者に対し前条の請求をすることができる。
故に、ディズニー社からの要求としては法的根拠がなく、不可解です。(繰り返しますが、それとは別に誰かから刑事告発される可能性はあるんですよ)
ディズニーから訴えられるとすれば、商標権についての争い=商業的活動に限られると思われ、無償での同人活動には民事では関与できないものと考えられます。
島並先生のツイート( https://twitter.com/#!/shimanamiryo/status/141371781058535425 )を受けて。
冒頭の「●」は、どうしても10個に絞りたい人向け。
社会に合わせて作られるべき法律が、時代遅れのレコード業界によって社会の実情にそぐわない形で立法化されようとしているから反対されているのでは?
この考え方は言及されているブログと同じく「違法コピーが社会的に蔓延しているのだからそれを認めるべきだ」と言う事になる。
違法ファイルを麻薬と置き換えた場合、売人も買った人も同様に取り締まられる。
麻薬がアウトで違法ファイルがセーフな理由はなにか。麻薬が他の人に迷惑をかけるからと言うならば、違法ファイルはレコード業界だけではあるが人に迷惑をかける。違法のブツが麻薬か違法ファイルかの違いで罪の重さや軽さが変わる事は、サンデル教授の正義論的な感じで簡単に白黒つけられないと思うが。
社会に合わせて作られるべき法律が、時代遅れのレコード業界によって社会の実情にそぐわない形で立法化されようとしているから反対されているのでは?
が古くなってしまって、もうインターネットの普及した社会にあっていない。
参照されているブログの方は、ダウンロードの違法化による力が濫用されることを懸念しているのだと思った。
ダウンロードが違法かどうか外部から検証することが難しいうえに、ユーザーが合法ダウンロードとそうでないものを意識できるかどうか、という点が大きな問題。
ブログの方も触れている「エルマーク」なんて私の知り合いでは誰もしらなかった。
そういえば、iTunesでPerfumeの楽曲が無断配信されるなんて事件もあったけれど、こういう場合もはやユーザーには違法合法の区別がつかない。
iTunesでPerfumeのアルバム無断配信 - ITmedia News
CD買い厨とか情弱とか、割れ厨とかインターネットの先進ユーザーだとか、カスラックとか、
クリエーティブコモンズとか、フリーエコノミーとか音楽やアプリの入手に関してはとかく
いろいろな、多くは極端な意見が出てくる。なのでどの立場をとったとしても、その違う
それを承知で言ってみるんだが、ユーザーの権利を守ろうとしている反著作権・反レコード業界の
ような人達が、かえって権利者にユーザーに不利益を与えていることがある様に感じる。
音楽の違法ダウンロードに罰金が科される事が検討されていることについて、
http://fr-toen.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/post-16ff.html
『それまで違法でなかったことを違法にするということも非常に影響は大きいが、
それまで犯罪でなかったことを犯罪にするのはさらに影響が大きい。
違法にできたから今度は犯罪にしても良いなどというのは非道い問題のすり替えである。
何も知らないところに著作権侵害で警告状や民事訴訟の訴状が送られてくるのも大変な話だが、
これを超えて突然家庭に警察が踏み込んでくる話と言えばこれがいかに非道い話か分かるだろうか。』
そもそも法律は、それが先にあるのではなく、社会に合わせてそれが作られるものではないのか?
車の発明以前に道路交通法はなく、車が普及して事故が増え、ルールが必要になったから法が出来た筈だ。
インターネットが普及する前からある著作権法では既に(私的な利用以外)権利者の許可無く音楽を
コピーしてはいけなかったわけで、インターネットが普及してそれがネットで行われるようになれば
それを違法化するのは当然だと思うし、抑止するために罰金やペナルティーを科すことも当たり前だと思う。
路上駐車は違法だけど、罰金や減点がなかったらもっとする人は増えるだろうし、渋滞も酷くなるだろう。
それと同じ話だと思うが、著作権の話しになるとそう言った普通の話が通じなくなる。
このブログの人はCDの売り上げが下がっているのは海賊版のせいではないと断言しているが、原因はともかく
違法なダウンロードはかなりの数が行われているはずだ。もちろんそれが無かったとして全てが売り上げになった
わけではないと思うが、そうであっても影響を受けているはずだ。だし、レコード業界の業績が下がっていることと
関係なく違法行為は違法行為なのに、それはおかしいというこのブログの人の意見は全く理解出来ない。
その前に、このブログの人は何を主張したいのだろうか? フリーエコノミーに支えられる音楽を目指したいのならば、
レコード業界を敵視せずにそう言う活動をする人を支持すればいいだけのことだ。フリーで提供される音楽の
クオリティーが低くて満足に行かないのならば、音楽業界のプロが作る音楽に価値があると言うことだから買えばいいのだし、
フリーの音楽で満足ならばそれを楽しめばいいだけのことだと思うのに、なんでわざわざ屁理屈で敵視するんだろう?と思う。
何となく思うのは、このブログの人って音楽業界に憧れていたけど入社試験に落ちたとか、業界に入っても上手く行かなかった
というのではないかと思う。だって、いっている事がなんとも屁理屈だし、文章が感情的だし。
http://ebook.itmedia.co.jp/ebook/articles/1109/06/news064.html
出版社からスキャン代行業者への質問状を全文公開、潮目は変わるか
等々の反応が見られるわけだが、ここで合法的な自炊業者を作るにはどうしたらいいかと言う事を考えてみる。
なお
と言う意見は、権利者が「そんなもん許諾した覚えはねえ」と言えば終わりなのでその説はとらない。
というか件の質問状「依頼者に私的使用目的であると申告させています。」と言う言質を取って非許諾リストを送りつける前段であろうから近々破綻するだろう。また日本の著作権法はオプトアウトは不可である事も考慮が必要である。
自炊業者が合法的になるには
これは、とりあえずいろいろな法律家が頭を悩ませたがどうやら判例から言っても揺るぎそうにない。なので、私製複製の範囲をなんとかして広げてやることを考える。唯一何とかなりそうなのが
第五条の二
著作権法第三十条第一項第一号及び第百十九条第二項第二号の規定の適用については、当分の間、これらの規定に規定する自動複製機器には、専ら文書又は図画の複製に供するものを含まないものとする。
で、この著作権法第三十条第一項第一号及び第百十九条第二項第二号の規定と言うのは
第三十条 著作権の目的となつている著作物(以下この款において単に「著作物」という。)は、個人的に又は家庭内その他これに準ずる限られた範囲内において使用すること(以下「私的使用」という。)を目的とするときは、次に掲げる場合を除き、その使用する者が複製することができる。
1.公衆の使用に供することを目的として設置されている自動複製機器(複製の機能を有し、これに関する装置の全部又は主要な部分が自動化されている機器をいう。)を用いて複製する場合
で、第百十九条第二項第二号はこの三十条の罰則規定になる。つまり、今のところ、図書については「公衆の使用に供することを目的として設置されている自動複製機器」でコピーする行為も私的複製の範囲に含まれるのである。
ただこの条項、文化庁のページにこんなもんが乗ってる(PDF注意)ように、書籍出版協会、雑誌協会は廃止したいみたいでロビー活動を実施中なんで下手するとどっかのどさくさに紛れて廃止されてしまう可能性もあったりするがそれはとりあえず置いておく。
するとどういう方法論が考えられるか、だが…素直に考えると、たとえば書店・新古書店の店頭に裁断機とスキャナとパソコンが用意してあって自分で読み込んで持って帰るのは合法だし、裁断済みを固定してレンタルしてるレンタルショップがあって、その店頭にスキャン装置を置くと言うのも、まま合法であると言う考え方になる。内容は全然違うが、書店の店頭にコピー機があるのと一緒だからだ。
実際には、裁断済みの書籍を、装置にセットしないと外れないクリップで束ねて貸すような業態が考えられる。
貸した書籍をばらばらにされると商売あがったりなので、クリップは特殊な構造にしておき、店頭に設置してあるスキャン装置に入れ、USBメモリなんぞを差し込んで書籍を挿入すると、後は装置が自動的にクリップを外して読み込んでデータをUSBメモリに書き込むと言う一連を商売にする。書籍は一冊数十円でレンタル、装置使用料は一回100円のような形にすればいいのではないか。コミックなんかは一冊数百円なので10回ほど回転すればいいとか考えれば全く楽な商売であるが、正直極悪、流行したら出版業界を根絶やしにするに近い事になり、出版社も対抗して儲けにならないぐらいまで価格を下げ、焦土作戦のような事を決行して日本の出版業オワタ、結局最後は焼け野原が広がり誰も幸せになりませんでしたと言う事は目に見えているので可能性としてはありだが実際にやる会社はなかなか出ないだろう。また始めた直後に訴訟を起こされて大変なのは目に見えているし、専用の装置の開発などある程度の初期投資が必要になるので、先駆になる企業はなかなか現れないだろうと思う。ただ一度合法になれば爆発的に増えるだろうが。
またこの形だと店頭に足を運ぶ必要がある。ではどうするか。
完全にオートメーションにしてしまって、自分で自動複製装置を操作して複製した、と言う建前にするのである。
自分で専用の箱に組み込んで送ると、現地ではそれがラインに投入される。ラインの中では人の手を介さずに自動的に全てが処理され、データはレシピ通りに本人の所に届く。トラブルがあった時は多少人間が関わってもいいだろう(装置のメンテナンスをしていると見なせないか?)
ただこれも一つ無理があって、宅配業者がどうしても間に入ると言う事だ。たとえ宅配業者が投入した後ラインが自動的に処理するように作られていたとしても、宅配業者が自動複製装置への投入を代行したことになってしまうのではないかという事である。なかなか厳しい。
また多種多様な本、完全なんて無理にしても、多くを自動処理なんてできるのかといえば相当金をかけても難しいと思う。
と言うわけで、この抜け道だと宅配型のサービスは不可能である。
また店頭型もやり方を誤るととんでもないしっぺ返しを食って大変なことになるだろう。
次に著作権者に許諾を取る方向を考えてみる。許諾さえとれればいくらやっても問題は無い。
まずは「そんなことが可能なのか」という話から入る。
今回の記事
http://ebook.itmedia.co.jp/ebook/articles/1109/06/news064.html
にもう一度注目して欲しい。賛同しているひとがずらずらと並んでいる。しかし。これは出版社や出版点数に対して、決して多くはないのではないかという印象を抱かないだろうか?
私は自炊という行為についても、きちんと紙の本を購入している限りであれば、賛同する出版社や者は多いのではないかと見ている。
そういった事を期待して、
許諾の形式を柔軟に
と言うのと
と言った形で段階を選べるようにしたり、多少たりとも権利者にバックがあるようにして、権利者は一度売った権利でまた金が得られるようにしておけば、かなり許諾はとれるのではないだろうか。
これは大変地味な作業だ。特に当初は大変である。ただ許諾を得たなら、それだけで大変な武器になるのは間違いない。まただんだん一般的になって行き「あの作家の本は自炊サービスを利用出来ない」と言った話が広まれば圧力になりらだんだん楽にはなるだろう。
また、必要であれば
http://www.bunka.go.jp/1tyosaku/c-l/index.html
著作権者不明等の場合の裁定制度
もできる限り利用していく。はじめは行政の壁があってなかなか大変だろうが、大量に出していけば行政も対応せざるを得ないだろう。少なくとも著作権法を改正させるよりはよほど現実的な対応だ。
従来は書籍名で管理すると、完全に真っ黒の商売なので変に突っ込まれることからそういった管理は限定的だったが、このようにデータベースにすれば、書籍ごとに(著作権者への権利支払い料金も含め)価格を設定することもできるかもしれない。
そしてデータベースはWebで検索できるようにしておくほか、依頼があった物は一つずつ検査をして許諾有り無しを仕分ける。
あるいはお客が領できる許諾判別サービスなどを利用して、そこでチェックしてリストを添付させるなどとすればいい。誰の家でもある日常の道具、バーコードリーダーがつながるようにしておけば照合作業も楽に出来るはずである。チェック漏れや許諾がない書籍については実費で返却と言う事にする。
価格は従来の非合法なサービスよりも高くなるのは間違いない。しかし、許諾を受けて合法であると言う錦の御旗を掲げれば、利用者もなんのひきめを感じることなく堂々と利用出来るし、また、その効力でそれ以外は非合法と言い切る事ができる様になる訳である。
ユーザとしては、すべて丸投げすることはできなくても、これで多くの書籍が一度に片付けばかなり便利なのではないか。抜けた奴は自前でスキャンするか、スキャナのレンタルサービス、自炊スペースなどを利用する方法である程度カバーできる。
やはりサービスで一番難しいのはなんと言っても著作権者の許諾である。なので結局ぽっと出のベンチャーがやるのはよほどの後ろ盾がない限り難しいだろうなと思う。
バカ丁寧な解説にも関わらずこの点に触れないということは、意図的なんだと思うけど。
それまでは、収奪されたオタク系の諸コミュニティ側からの「作品を勝手に使うな!」という類の非難は許され続け、カオス*ラウンジが許されることは決して無いだろう。
ここが一番重要で、そしてカオス*ラウンジが一番理解していない部分。
オタクコミュニティは「俺たち」が二次創作によって収奪することはコミュニティ繁栄のため許容され、「彼ら」からの収奪は許されないというダブルスタンダートでひどく不寛容な文化だ。
自己を律して倫理的に二次創作を展開しているのだと極めて高く自己評価している一方で、外敵に対しては冷静さを見失い、とても倫理的とは言いがたい過剰防衛を行う。
直接の被害者(著作権保持者)ではない構成員の群れが、例えカオス*ラウンジや家族やその周辺の肖像権その他権利を侵害し、関わった人間すべての人生を破滅させたとしても、正当防衛が成り立つと思い込んでいる。
だから「謝罪しなければ許さない」という態度でいられる。
現代アートコミュニティは確かに著作権法を違反してはいるが、法自体、要するに著作権者の申し立てまでもに反逆する気はない。
対してオタクコミュニティは法に背き、コミュニティからの収奪を企てたカオス*ラウンジに人誅を下そうとしている。
果たしてどっちが正しい態度なんだろう、と考え込んでしまうね。
*
ああ、謝罪させるのは落としどころとして悪くないと思うよ。というより、もはやそれ以外の道は残されていない、というのが正しいだろうね。
それは彼らの作品群を見るに、同人誌絵描きに「利き手を潰せ」と言うのに等しい、魂の殺人行為だから、自分だったらとてもじゃないけどそんな要求を当然のように出すことはできないけれど。
*
自分は自分のことをオタクコミュニティの一員なのだと思っていたけれど、この不寛容さに恐怖を感じるということは、実は別の人種だったのかもしれないな。
タイトルで言いたいことは言い切っているのだけど、以下補足。
「カオス*ラウンジがこうなら二次創作同人*1は〜」という言説は比較として正しくない。「カオス*ラウンジ」は現代アートの活動主体のひとつであり、「二次創作同人」はジャンルを指す言葉だからだ。正しく比較するなら「カオス*ラウンジがこうなら【ここに個々の二次創作同人主体(サークルもしくは作家)】は〜」もしくは「現代アートがこうなら二次創作同人は〜」である。
では「カオス*ラウンジがこうなら個々の二次創作同人主体は〜」という比較を考えてみる。文脈はもちろん著作権である。著作権法をあくまで愚直に適用するならば、原著作者の許諾を得ない限り、前者も後者も違法であることに疑いはない。ここでよく持ち出されるのが「二次創作同人は黒ではなくグレー」「〜版元から黙認されている」という言葉である。これは、二次創作同人でも言わば「一線」を越えてしまった事例が存在する(有名なものでは、ときメモビデオ事件*2、ポケモン同人誌事件*3、ドラえもん最終話事件*4など)ことを考えれば、全ての二次創作主体に対して適用できるものではない。しかし、それでも、多くの二次創作同人サークルや作家は原著作者から訴えられることなく活動している。
なぜか。もちろん、主体の数が多すぎて原著作者が訴えきれない、あるいは主体の経済的な利益が小さすぎて訴え損になるという考えはある。しかし、それに加えて、私は彼/女らがコミュニティにその成果物および/または価値を(結果的)に還元しているからだと考える。ここで言う「コミュニティ」とは、原著作の送り手、受け手、その他一切合切の関係者の集まりという意味である。彼/女らの成果物はそれが二次創作物であるがゆえに、必然的にコミュニティに還元される。二次創作物によって原著作のファンが盛り上がり、その盛り上がりがより深いコミュニティを形成し、さらに新たなファンを呼ぶ事例を、私はこれまでに何度も見て来た。とある作品の同人イベントに原著作者がお忍びでやってきて、参加者に対してこっそり「ありがとう」という言葉を残していった例も知っている。また、価値の還元としては、二次創作同人活動がきっかけで、その原著作者と関係がある商業媒体に登用された二次創作同人作者も知っている。価値とは何も経済的なものに限らない。むしろ長期的に見れば、人的な価値の還元は経済的なそれよりも利得が大きいだろう。
さて、カオス*ラウンジである。彼らは他のコミュニティから収奪を行っていると言える。彼らのホームグラウンドたる現代アートからでなく、オタク系の諸コミュニティから、だ。彼らはその「アート」の素材をオタクコミュニティに依存しているにも関わらず、その成果物は現代アートコミュニティに向けて公開されており、しかし彼らが得た価値はオタクコミュニティに還元されることはない。控えめに言っても、カオス*ラウンジからオタクコミュニティに向けて、オタクコミュニティが有する価値(=カオス*ラウンジにとっての素材)の利用について対話の申し出がなされた例を、私は知らない。この申し出は価値を利用される側であるオタクコミュニティからでなく、利用するカオス*ラウンジからなされて然るべきであろう。この対話を行わないまま、または不十分なまま事を進めるのならば、カオス*ラウンジはオタクコミュニティからの批判を甘受しなければならない。その上で、アートの力でもってオタクコミュニティを納得させる、素晴らしい作品によってグウの音も言わせないのが筋だろう。このふたつができないのならば、彼らの括弧書きの「アート」はアートではなく、ただの収奪に過ぎない。そして事実、オタクコミュニティからは彼らの「アート」活動に対する批判が上がっている。「水かけアート」に対するデザイナーからの批判*5が最も分かりやすい一例だろう。
そう、カオス*ラウンジの「アート」の諸問題の本質は、著作権法論でもなく、同人論でもなく、実はアート論でもない。コミュニティ論なのだ。対話が不十分なままに収奪する者と、収奪されることに反発するコミュニティの問題なのだ。したがって、この問題は次のいずれかが為されなければ解決したとは言えない。カオス*ラウンジがオタクコミュニティからの収奪行為を謝罪し、今後一切の収奪を行わないという宣言をし、それを履行する。あるいは、カオス*ラウンジが行う「収奪」行為が収奪でないとオタクコミュニティに対して対話または括弧書きでないアート作品の発表による説得を行う。それまでは、収奪されたオタク系の諸コミュニティ側からの「作品を勝手に使うな!」という類の非難は許され続け、カオス*ラウンジが許されることは決して無いだろう。
別の人も指摘してるけど、
一次権利者がNGを出したら、二次創作同人だろうとネット上の二次創作絵だろうとコラ絵だろうとカオス作品だろうと、
法的にはほぼ同等に真っ黒になるのがほとんどだと思う。
商売して利益出してるかどうかは権利者側の訴えるかどうかの判断材料になるだけで、
法的な黒白の度合いには基本的には関係がない。(よね?)
で、訴えたのに対応してないのが問題。
同人は黙認しているものも多いし、訴えられたものについては対応してる。
それを発端として、水掛アートとか作者を侮辱してるとしか思えないものとか、
多くの人の中で「カオスラウンジ=悪」の認識が定着したから大騒ぎになってる。
ところで、東は自業自得として、破滅ラウンジって叩かれてるの?
あれはさすがにとばっちりだと思うけどな。
キャッシュだけでも有罪にできるように法改正されていた。ということは、著作物を買う資力の無い者でも、大量の著作物を保有・公開できるわけで、それをターゲットにしたビジネスが可能になる。
1)時代遅れのコンテンツを抱え込んだコンテンツ会社の株式を第三者割り当てで脱税したい人に売り、事実上のオーナーにする。
2)自己破産予定の人を用意する。
3)コンテンツをP2Pネットワークに流し、自己破産予定の連中にキャッシュさせる。
4)密告してガサ入れしてもらい、有罪が確定した後で、莫大な額の民事損害賠償を起こす。
5)自己破産予定の連中は欠席し、被告欠席の為原告の言い分が丸ごと通る。
6)判決が確定した後で、自己破産予定の連中に自己破産させる。
8)旧経営陣は責任を取って辞任、繰越欠損金を抱え込んだコンテンツ会社のオーナーを脱税したい人に書き換える。
9)7年後、繰越欠損金が償却し終わったら、コンテンツ会社を買い戻し、1)に戻る。
コンテンツ会社の売買は必要無いように見えるが、理不尽な額の民事損害賠償を起こすという悪名を金持ちが被るのは、世間体が悪いし、理不尽な額の民事損害賠償が確定すると、著作者に対しても配分しろという圧力が加わるので、それを踏み倒す為に、会社が破綻して身売りをしたという外形を整える必要がある為である。お金の世界は、お金持ちの人が自分でやると世間体が悪かったり前科が付いてしまうような事を、貧乏人を高給で雇って身代わりにやらせる世界である。
この手法では、会社を実質的に譲渡してから繰越欠損金が発生するので、租税回避にはならない。コンテンツは、動画でも写真集でもコミックでも、何でも良く、古いコンテンツは売れないゴミだったのに、この法改正で金の卵になったわけである。しかも、現行法では初公表後50年間の権利が保障されているから、最初の仕込みに1年かけて7回転させて49年間というスケジュールも可能になる。もう、コンテンツから儲ける必用は無い。その内容がどんなにくだらなく、売れる見込みが無くても、著作物でさえあれば、脱税の道具として使えるのである。売り上げの為に、無理してポルノコミックやポルノDVDを作る必用は無くなったのである。脱税したい人と自己破産予定者を探す能力さえあれば、コンテンツ会社の売り物はいくらでもあるので、美味しいシノギになる。
著作権法は、文化の発展に寄与することを目的としていた筈なのに、著作者よりも著作権者の言い分を聞いている為に、文化とは無関係な方向に発展させてしまっているのであった。
一番最初の公開者が権利関係を処理していると判断するのが消尽理論であり、ネット上に出ているコンテンツは、一番最初の公開者によって、その公開方法における権利関係が処理されている筈というのが当然の結論となる。権利が処理されていないという主張をするのであれば、ネット上において公開されているデータと、権利の対象となっているデータとが同一である事を証明する必要があるが、この証明の為には、権利の対象となっているデータを公開しなければならないし、訴人がオリジナルであり権利者であることを証明しなければならない。それには、ネットでの公開や継続して新作を発表し続けているという実績が必要となる。それらを裁判所が判定するというのであれば、裁判所は、オリジナリティの判断や、権利の対象となっているデータが公衆の要求を満たすだけの複製が公開されている事を最初に判定しなければならないとなる。
現代において、ネットによらずに公衆の要求を満たすだけの複製を公開する事はナンセンスであり、ネット上で無制限無条件の公開をしていない以上、公衆の要求を満たしていない著作物であると判定する事になるのだが、さて、裁判所にそこまでの判断を下せるであろうか。民事裁判は、損害賠償金を確定させる事が目的の連中しか出てこないから、民事で判例を作るというのは通用しない。
(というとすぐ「オリジナルガー」「二次創作公認ジャンルガー」が出てくるかもしれないけど
自分自身で同人とか作らないしリアル店舗の同人ショップは行ったことすらないから良く知らないけど、そんなに非公認二次創作が大半を占めているものなの?
以前電子出版・同人ソフトの流通に関する仕事をしたことがあるんだが、その時は二次創作がそもそも禁止だった。エロは有り。二次創作OKな他の大手でもオンラインだと二次創作の占める割合はたかだか1/3~1/4くらいしかないと思うんだけどなぁ。著作権法は親告罪なので二次創作は怒られてから撤去という扱いでもいいんだけど、俺が携わったサイトでは二次創作の方が市場が狭く面倒が多いと判断して最初から除外して、後の話を聞く限りではそれで商売はちゃんと成り立っているようだ。電子系とリアル本では違うのかもしれないけど、だから9割9分二次創作みたいに言われると「えっ」と思った。
その仕事で同人と言う時は商業系の倫理審査を受けているか否かで区別していた。倫理審査ってのは警察OBの天下りを背景にした組織の審査ってことね。警察のさじ加減次第で何でもありな青少年保護育成条例(全年齢の場合)や猥褻物陳列罪(18禁の場合)をどう回避するかがビジネス的には著作権以上に問題で、これを確実に回避するためには加盟企業で金出し合って警察OBを凄い給料で顧問にする……という端的に言えば一種の袖の下しかないわけだけど、それをしないのが同人なわけだね。官僚腐敗大国(笑)
同人というと全年齢なら東方とかひぐらしとかを多分みんな目指してて、18禁は個別のは良く知らないけど多分それに相当するものがあるんだと思うし、オリジナルしか取り扱わない仕事に携わった者としては同人こそが創作の理想郷だキリッとか思ってるくらいなんだけどな。
二次創作は出版社の方も内々では黙認してるっつーか広報要素としてカウントしていることも多く、かといって明示的に公認するのは面倒だし本家のグッズ販売食うほど大掛かりにやられるのは止めたいしで、ナァナァで黙認しておいて度を過ぎたらストップ掛けるという形にしているのが普通。これはこれでwin-winになってはいるんだけど仕組みとしてはあまり健全とは言えないので何とかお互い損しない枠組みをちゃんと作った方がいいのだろうね。もっとも前述の通り同人ビジネス的には単純に二次創作禁止としても問題はないのだけど。
ホットココアの新サービス、クラウドノートの本質はソーシャルキュレーションという名の著作権へのソーシャル集団レイプです。
クラウドノートは虎の威を借りるどころか、虎の衣を集団でひっぺがしていくサービスと形容するべきだと思います。
著作権侵害の構成要件とクラウドノートの構造を照らし合わせ、いかに違法性があるのか?を検証していきます。
また、Youtubeやニコニコ動画はセーフだけれど、クラウドノートがアウトな理由もあわせて解説します。
著作権法は著作物が著者の意図を離れて、他者に濫用されない為の法律です。
です。芸術性がなくても、個人の感情や思想が少しでも反映されていれば著作物にあたります。
故に、ネット上の書き込み、ツイート、コメントは全て『著作物』にあたります。
著作権者として保護される権利の代表的なものに「複製権」があります。
他人がみだりに著作者の著作物を複製することは出来ません。
よって、他人の書き込みや記述を他者が許可無く「まとめる」のは著作権の複製権の侵害にあたり、違法です。
著作権が制限される場合のひとつ「引用」がクラウドノートの場合はあたりそうです。
引用は
公表された著作物は自由に引用して利用することが出来る。ただし、それは公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道・批評・研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない
しかし、クラウドノートの場合は、キュレーションという名で単に複製しているだけなので、
また、引用には「あくまで著作物が主従関係の中で従になっていなければならない」という決まりがあります。
つまり、著書等で一部引用されている場合は良いのですが、引用がメインじゃダメよ!ということです。
クラウドノートの場合は明らかに著作物の引用が主従関係のうち、おもいっきり主であり、引用にはあたらないといえます。
以上の理由からクラウドノートは著作権法侵害サービスであると言えます。アフィリエイトサイトで他者の著作物を掲載して逮捕された
ちなみに、この理屈でいうと2chまとめもアウトです。なぜ2chまとめは訴えられないのか?2chまとめがセーフなのは単に著作権者が訴えていないからです。著作権は親告罪(侵害された人が訴えたらアウト)である為に、全ての書き込みの著作権者である管理人が訴えない限りはセーフなのです。
Youtubeやニコニコ動画は著作権法的には「場を提供しているだけで自身が著作権侵害をしているわけではない」のでグレーでセーフとされています。
要するに、自身が積極的に著作権侵害をしているわけではなく、ユーザーが勝手にやっているのだから関係ないじゃん。ということですね。
なぜなら、クラウドノートは利用者全員が「ソーシャルキュレーション」という名の著作権侵害を行うことを前提として作られているサービスだからです。
例えていうなら、Youtubeは「公園でたまたまレイプをした人がいても公園管理者のせいじゃない」という理屈ですが、クラウドノートは「集団レイプをしましょう公園」なので、公園管理者自体もアウトということです。自らの営利目的の為に、他者というフィルタを通してキュレーションを著作物侵害を行っているだけで、本質はホットココアのサービスによる著作権侵害だからです。
以上の理由からクラウドノートの違法性は非常に高く、2chまとめをやっている内はまだしも、他のサービスのキュレーションをした瞬間に訴えられて即ドボンしそうな予感です。
あと、togetterの場合は、議論の過程の「報道」ともいえるんじゃないかなと思います。
著作権の濫用はウェブの進化を阻害する!プンプン!という方もいるかもしれませんが、あくまで現行法の法律にそって違法性を論じただけなのであしからず。
終わり。
2chに書こうと思ったがなんとなくこっちへ。
芸術が繰り返してきたのは「パクリパクられながら少しずつ新しいアイディアを取り入れ」ることであって、
別に「敬意を払う」必要は必ずしもあるわけではない。
大昔の時代には音楽も劇も似たようなアイディアしかなくてそこらじゅうに似ている曲が溢れてた。
それを少しずつ変えたり、他の民族の発見したアイディアを真似したり(ルネサンスや印象派の日本ブームなど)してここまできた。
そもそもアイディア自体がそんな高尚なものではなくて、誰かが先に思いついたのを「偉大だ」と言っているだけ。
これは言い換えれば「先に生まれた奴がエライ」とほぼ同義であり、
未来に生まれる人間ほど愚かだということになるんだけどそんなことを了承する人間は誰もいない。
過去の時代の人間が未来の俺たちを嗤うことなどありえない(彼らは既に死んでる)
パクったアイディアで作ったものをさも自分で作ったかのようにふるまったとしても、それは「先に生まれた奴がエライわけじゃない」んだから当然であり、
著作権法は自分が最初かどうか分からない(もしくは最初でないと明確に分かっている)アイディアを無理やりオリジナルに仕立てあげる醜悪極まりないもので、
芸術家が収入を得るためにというが、芸術で金を稼げる人間なんてほとんどいないだろうから副業程度でやるべきだと思う。
あと、芸術品自体は自由にダウンロードさせて寄付を募ったほうがいい。それで金が集まらないならその程度ということで、ネットが発達した現在ではCDの売り上げを見るよりよっぽど明らかな数字のはず。
もちろんまだネットでは流通させられない芸術品(壺とかフィギュアとか)はあるにはあるが、それらがネットでダウンロードできる日もそう遠くはないだろう(主に3Dプリンターとかの技術の発達で)