はてなキーワード: モノクロとは
EVだからって目的地に早く到着できるわけじゃないし、なんか生活変わるの?
スマホのおかげでポータブル音楽プレーヤーもデジカメも駆逐されたみたいな生活の変化あるんかな?
5Gで世界はこう変わるみたいな話みたいに、充電インフラが整備されたらなんか生活変わるの?
ガソリン車では月に1回給油してた人が、車検の時に充電すれば2年くらいノーメンテで乗れる的なわけじゃないんでしょ?
二酸化炭素の問題はわかるんだけどさ、消費者に訴えてくるようなやつがもっとこうないわけ?
トラックバックとブックマークコメントを読むと、家で充電できればちょい乗りには便利、排ガス、蓄電池として利用、加速等の運転性能あたりが利点らしい。
目新しいネタがないな。
「もっとこうないの?」ってのはさ、スマホ的なイノベーションがないのか?って聞いてるの。4輪車をモーターで動かしたら、すごいことになんかないの?
個室浴場と接待を合体させたらソープランド爆誕みたいなやつってないわけ?
ガソリンで走る車が電気で走るようになったとかより、車にエアコンがついたとか、パワーステアリングがついたとかの方がらよっぽど画期的じゃねーかなと。
あんま興味ない人からすると、3Dテレビみたいな感じ。3D元年とかもてはやしたけど、モノクロからカラーになったのに比べればみたいな。
トラバとブコメで唯一、アリかなと思ったのは、蓄電池としての利用くらいかな。
太陽光で発電してBEVに蓄電、そんで夜は蓄電池で生活、最高じゃないっすか!
でもさあ、昼間に車で出ちゃったら蓄電できないし、夜に蓄電を使い切ったら車として乗れないじゃないと思うんだけど。
まあ、夜使った残りでも街乗りくらいできるのかもしれない。都民は車所有者でも1日に10kmも乗ってないっていうからアリなのかな?とか考えたけど、じゃあ、車所有しないで自転車で生活したほうがエコだと思うんだよね。
ガソリンスタンドに行かなくてよくなるとか言われてもね、時計マニアに「自動巻きだから電池交換不要」って言われてるような感じ。
今日も今日とてX(旧ツイッター)が生成AIのあれこれで燃えている。
直近の一週間だけでも、ゴールデンボンバーの配信音源ジャケット絵・プリキュア20周年・文化庁のパブコメ公開第一段……と、もはや日替わり定食かという勢いで話題が移り変わっている。
生成AIの推進派(親AI)と規制派(反AI)が互いの陣営の行儀が悪い行いをつるし上げ、ファンネルを飛ばし、お気持ち表明を行い、相手をバカにし、互いを憎み合っている。
反AIの一部ネームドアカウントを中核とした集団は先鋭化&晒し&引用リプライ爆撃を続けており、また親AI側も徹底的に文化庁資料や現行法を基礎とした理詰めロジハラでの徹底抗戦を継続。
反AI側の言動が、過去にXで繰り広げられていたツイフェミ・悪質撮り鉄・限界左翼・反ワクチン界隈の言動と重なりつつあるのだ。
そして、反AIを正面から叩き潰そうとする親AI側もまた、上記4界隈の敵対サイドに重なる要素が見えてきた。
この増田では、生成AIを巡るインターネットバトルを蚊帳の外から傍観する自分が上記の様に感じた理由を述べ、その上で生成AIを巡るインターネットバトルについて今後の進展を予測したいと思う。
温泉や献血の広報活動への二次元美少女起用やサイゼリヤで喜ぶ美少女絵への攻撃を中心にX上での活動をしていたツイフェミ界隈。
ツイフェミの電凸攻撃のせいでキャンペーンが中止となった事もあっただろう。例えば、マイメロママの発言をまとめたグッズの発売中止などである。
そんな過去の栄光(?)はどこへやら。もはや昨今では発言力を失い、2024年に至っては三重交通への物言いをした程度しか記憶に無い界隈である。
こんなシーンに覚えはないだろうか?
それまでは特に問題ないとして世の中で扱われていた広告や広報コンテンツに対し、ツイフェミ界隈の大御所が苦言を呈すると、まるでゾンビ映画のワンシーンの如く大量のツイフェミアカウントが群がって攻撃をする。
半年以上当たり前のように掲示されていたポスターや、一年以上サービスを継続していたゲームに対し、突如として大量のツイフェミアカウントが群がり、襲い掛かり、電凸を行う。
襲い掛かるツイフェミアカウントの中の人にとっても、もっと早くからそれら攻撃対象は目に入っていただろう。
何なら、ツイフェミアカウントの中の人の通勤経路上にそれらコンテンツの広報ポスターなどはあたりまえに掲示されていただろう。それを一切問題としてとらえる事なく、平穏に日常を過ごしていただろう。
そんな、静穏な日常を送っていたツイフェミアカウントたちが大御所ツイフェミの攻撃指示を受信するなり、
突如狂暴化して攻撃的になり、「ツイフェミのルールで攻撃して良い存在」めがけて攻撃を開始する。
この行動を、「犬笛を吹くと突然ファンネルが襲い掛かる」と形容した次第である。
某イラストレーターや某同人作家や某漫画家、あるいは正体不明のよくわからないネームド反AIアカウント(もやし、水玉、赤髪、モノクロ男性など)が取り上げるやいなや、
彼らが取り上げた存在は「攻撃して良い存在で社会悪」と認識され、無数の有象無象によって攻撃が行われる。
言いたい事があるのならば、犬笛や攻撃指示の有無にかかわらず、個人として行動をすれば良いのだ。
しかし反AIもツイフェミも、鉄砲玉が自らの意思で攻撃をする事はない。鉄砲玉は鉄砲玉として、攻撃指示を待っているのだ。
ネームドの攻撃命令によって「攻撃して良い存在」と化した相手へのみ攻撃を行う習性が見受けられる。
まるで日頃から攻撃して良い存在をギラギラとした血走った眼で探し求め、攻撃して良い存在が出現するなり暴力性を解き放つ怪物の様だ。
はっきり言って、異常である。
まず、感情を持つ事は問題ではない。好き嫌い、支持不支持、良いと思う悪いと思う…など。人は感情を持つ生き物だ。
筆者にも好き嫌いはある。パクチーは嫌いだし、きのこの山派だし、野球はオリックスファンだ。
擬人化ゲーではアズレンが好きだし、ブレイバーンは正体判明後も気持ち悪いと思う。
ウマ娘ではヒシアマゾンが好きで、スマホはiPhoneの方が好き。FateシリーズではZeroがイチオシだったりする。
何が好きか? 何が嫌いか? という感情を持つ事。それ自体を筆者は否定しない。
二次元美少女イラストが嫌いだ。生成AIが嫌いだ…そういう感情を持つ事自体は、特段問題ではない。
問題となるのは、何か世の中のシステムを変える(=社会運動をする)時に、感情をベースとする事だ。
「私が嫌いなものは社会悪だ!ケガレだ!この世界から排斥しなけれはならない!死刑にしろオオオオオオ!!」……こんな主張をする政治団体が存在したら、貴方はどう思うだろうか?
例えば、某漫画家はかつて、生成AIを批評する際にケガレ思想に通じる発言をした事がある。
あるいは、某イラストレーターや某説教騎士アカウント(凍結済み)については、生成AI利用者を盗人・泥棒・反社・スジモン…と形容した事がある。
生成AI問題を追い続けている人であれば、そんな事もあったなぁと懐かしい気持ちになるのではないだろうか。
ここで断言したい。現代日本で社会変革を求める際、ケガレ思想を持ち出して対抗勢力を叩くというのは最悪中の最悪。悪手である。
なぜケガレ思想を持ち出してはいけないの? あいつらはケガレだぞ? 人権の無い存在だぞ? など真顔で言い返す人はいないと思うが…もしいるのならば、道徳の勉強をして頂きたい。
議論をするのであれば、感情を表向きでも排し、徹底的に理詰めで話をしなければならないのだ。
「キモいモンはキモい!」「ケガレはケガレ!」「キモ男はタヒね!」「生成AIは犯罪者だから死刑!」……先鋭化した人物の言葉は、やすやすと社会通念上許されないラインを超える。
そうなれば、もはやその発言者は社会運動の場から排さなければならなくなるのだ。
少なくとも、謝罪を行い、過去の無礼を詫び、相手側がその謝罪を受け入れるまでは議論の場からは出禁処置が妥当であろう。
……それが、できない。感情一辺倒のケガレ思想混じりでは、冷静な議論ができない。敬語も使わず相手に罵倒の言葉を繰り返すのみである。
その結果、ツイフェミ界隈は「話を聞くだけムダな人達」「どうせウチの客じゃないから電話ガチャ切りでOK」……という認識をされてしまったのが現在である。
筆者としては、このままでは先鋭化した反AI界隈が「話を聞くだけムダな人達」「あいつらは無視してOK」という認識をされる様になるのではないか…と思う次第である。
もちろん、礼儀を尽くし、感情的にならず、相手を敬い、発言は常に敬語で接し、その上で徹底的に理論的で理詰めの会話ができるのであれば、反AI界隈も議論の場に参加できるだろう。
なので、まず、感情的になっている反AI貴兄らにおかれては、常に敬語で相手に接するという人間社会の基礎中の基礎から学んで頂きたい次第である。
言わずもがな、パブコメに喧嘩腰で罵倒文章を書くなんてのは論外である。
殺したいくらい憎い相手であっても、八つ裂きにしたい存在であっても、文をしたためる際は常に敬語と丁寧表現を心掛ける。それはもう、義務教育を終えた人間の基礎であろう。
悪質撮り鉄……電車撮影に熱意を燃やし過ぎた結果、迷惑行為や危険行為に及ぶ一部撮り鉄の存在である。
例を挙げると、電車撮影のために田畑や私有地に入る。ホームに脚立を立てる。街路樹や柵を破壊する。子供を恫喝する。江の島自転車ニキに罵声を飛ばす…など。
定期的に問題行動がインターネットを賑わせ、時にニュースでその姿が取り上げられる集団。それが、迷惑撮り鉄である。
これは驚くべき事なのだが、迷惑撮り鉄界隈というのは独特の秩序は敷かれており、一応の平定が為されている。というのも、昔の上司が撮り鉄だったので、そこで聞いたのだ。
場所取り一つ取っても、現地撮り鉄界隈の大御所センセイに顔を覚えて貰わなければ良いポジションには陣取れない……らしいのだ。
また、新参者が先輩方よりも高いレンズを使うのは失礼。まずは陣取った撮り鉄集団の後ろの方で撮影を行い、大御所の撤収準備や車の運転を務め、徐々に顔を覚えてもらうことでベストポジションでの撮影が許されるようになる。……らしいのだ。
昔の上司がいた撮り鉄集団が独特のルールを敷いていた可能性はあるが、
少なくとも、こういった先輩・大御所優先の風潮というのは、撮り鉄以外の界隈でもある程度共通して敷かれているものである。
例えば、芸能界や体育系の部活などだ。先輩がクロをシロと言えばシロになる。社会通念や法律よりも、目の前の大御所の言葉や感情が優先される。そこには、一定の秩序が存在している。
……その結果、時に芸能界ではとんでもないスキャンダルが起き、体育会系の部活では暴力や薬物の蔓延がニュースになるのだが……。それはつまり、彼らの秩序・ルールが法律を侵してしまったという事であろう。
反AI界隈、特に絵師・同人作家を中心とするメンバーの中では、こういった傾向が散見される。
大御所センセイが言っているから正しい。法的な正当性は二の次。だって〇〇万人フォロワーで〇〇の案件を受けて、企業Vの〇〇のママであるセンセイの発言なんだから、正しい!
あの先生の発言の邪魔となるルールは間違っている! 法律がおかしい! 即売会のルールがおかしい! 文化庁がおかしい!
愛があれば二次創作は合法! コミケでウン百万の利益が出ても合法! skebで小遣い稼ぎをしても合法! 著作権は親告罪だから権利元が文句を言わなければ合法!
生成AIは愛が無いから違法! こんな技術は違法! コミケから叩き出せ! 権利者が誰かは知らないけど違法! 生成AI使用罪を作れ! 非親告罪だ!
……いや、ちょっと待ってくれ。
大手企業Vのデザイナーである事と、著作権法に精通している事は何の関係もないではないか。
フォロワー50万人の大手絵師で、ソシャゲで絵を描いていて、同人誌にプレミアが付く事と、法解釈の妥当性については何の因果関係も無いではないか。
大手絵師のセンセイが今まで十年単位で絵を描き続けた修練の期間を、文化庁の職員は法律の勉強を行い、法解釈と政務の実践をしていたのだ。
なのになぜ、大手絵師のセンセイの方が文化庁の職員よりも著作権に詳しいと言えるのか? 私には分からない。
そういった学習、勉強のプロセスも経ず、なぜいきなり法律の新解釈を叩きつけられるのだ?
絵師界隈であれば、あなたのお言葉は法律であり、教典であり、条例であり、判決だったかもしれない。
だが、フィールドが違うのだ。界隈が違うのだ。界隈のローカルルールは通用しないのだ。
なのになぜ、あなたは絵師界隈のルールで戦おうとするのか? 法律の世界に対して、なぜ絵描きとしての実績で殴り込むのか? 私には分からない。
端的に言うと、生成AIを著作権侵害で叩き潰そうとするのであれば、相当抜本的な法改正が必要となる。
その結果、著作権侵害の非親告罪化や絵柄・画風・アイエデアの保護……あるいは類似性と依拠性といった判断基準の見直しが発生する可能性があるのだ。
そうなると、同人誌は権利元以外から著作権侵害として叩かれる可能性がある。(非親告罪化である)
また、類似した絵柄や画風、塗りや作風、ストーリー展開について、先駆者しか書けなくなる可能性がある。(画風やアイデアの保護である)
現在の日本で二次創作がおおっぴらに認められており、堂々と著作権侵害コンテンツで金稼ぎができるのは、現行の著作権法がユルユルであるという特殊な状況の恩恵を受けているからに過ぎないのだ。
その著作権法をAI憎しで締め付けるとなると、回り回って全ての二次創作作家が焼き払われる……など。
……これで理解できれば良いのだが、「愛があれば合法」のムラルールで動いている界隈に響くのか、不安である。
後半戦、限界左翼界隈・反ワクチン界隈との類似については以下の通り見出しだけ書いておくので……。
まあ、こういうことだよね…と思っていただければ幸いである。
まあ、絵自体は下手だろうなと思いつつ表現が面白いからという感覚が皆無ってわけでもない。
https://www.pixiv.net/artworks/110374178
↑たとえばこれはモノクロページ見ると指とかが崩れてるというかこなれてないとは思うが、アウトラインのタッチがなんか幅太で「もあっと」しててあまり見ない描き方で面白いなとは思う。
あとは決して非エロで数万ブクマ稼ぐ絵師と比べれば上手いわけはないという絵師もこの描き方が好きというのはある。
その描き方というのははっきり言ってしまえば、模範的な画力を学ぼうとした結果の学習失敗例なのかもしれないが、その失敗例の具体的なあり方というのが作者個々に異なっていて面白いのかもしれない。
ようはこのおっぱいの描き方がエロい、今日はこの描き方の絵じゃないと満足できないと代えが効かないことがありえるのだが、それは、標準的な画力の定義からみて「変じゃないこと」からの逸脱の仕方がある種の傾向性を持っているからじゃないのかなと。
平たく言えば手癖かな。
んでもしその絵師が下手に向上心を働かせて今より絵が「改善」されてしまったら、そもそも私にとってのその作者にのみ見て取れる絵の個性は、「逸脱」によって実現していたのだから、もはや私には何の個性も見いだせない絵になってしまいうる。よくいるラノベソシャゲ絵師と同等になってしまって、そいつじゃなきゃいけない理由がなくなっちゃうんだよね。
絵なんで学んでない人のプリミティブな絵が面白いなどと軽々しくいうつもはないんだ。創作者でそういう人に限ってプリミティブという枠で見てもなんの個性も見いだせない魅力のない絵としか思えないのもあるから。さすがにそういうのには守破離だろって言いたくもなる。
それに一般にはうまいとされない絵に「逸脱」を「良さ」として感じ取ることができる(手前みそな言い方だが)のも、一種の立派な感性じゃないのか。この種の逸脱は個々人に依存する度合いが高いために再現性が低く神秘的だなとも思う。アートの妙というのはさすがに言い過ぎか。
これは発達障害特有(俺発達障害なんだ)なのかもしれないが、絵自体を見る感覚がないわけではない。むしろ今発達障害と診断されるような人間の方が人口としてもし多かったら、俺みたいなのが魅力的に感じる絵が社会的にも上手い絵(パースとかじゃなく感覚のレベルで)とされてる可能性まであると思う。
うまくなった?せいで俺が魅力を感じなくなった作家の例
上手くなる前の好きだった絵。バキュームベッドでの顔のつぶれ具合が醜すぎずちょうどよいぶちゃいくぐらいで抜ける。
https://www.pixiv.net/artworks/110374178
そのあと
https://www.pixiv.net/artworks/112869300
↑もうただのジェネリックきらら風絵師になっちゃって抜けなくなった。半分見限ってる。うまさと引き換えに、バキュベッドの良さを引き出せなくなった「わかってない」絵師になってしまった感がある。
・表紙フルカラー
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・A5サイズ
・1冊
・東京への送料込み
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ざっくり比較です。
・綴じ方:中綴じ
・価格:890円
最安。表2-3が基本料金内。
・セット名:同人誌中綴じ冊子
・綴じ方:中綴じ
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・セット名:OneBooksオンデマンド
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・価格:2,158円
何冊刷っても1冊あたりの価格が固定という料金体系。
カバーが基本料金内。
・綴じ方:中綴じ(共紙)
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表2-3が基本料金内。
無線綴じPPありも4000円ぐらいで表2-3基本料金内。ペンタローはPPと表2-3が両立できず、コミグラだと5000円ぐらいになる。
・綴じ方:無線綴じ
・価格:4,409円
通常価格は12,209円だが、毎割という早割システムにより〆切を60日早めると7,800円引きになる。
用紙の解説ページに利用者のレビューが載っているので用紙選びに便利。
装丁凝りたい人やモノクロ本文をマットに刷りたい人向けなイメージ。あと対応が丁寧らしい。
4色型色覚の人は三色型には見えない色が見えているということについて疑問があります。たとえば黄色い花を見ても、三色型には一面黄色い花びらしか見えないのが、4色型だと花の中央側と外側で色が違って見えるみたいなことが起こるといいます。
また4色型の人は三色型からみればサイケデリックと感じられる色遣いで絵を描くことがあると言います。それは彼らの見えてる世界の反映だと言います。
しかしこれらを総合すると色々引っかかることがあると思いました。
色覚の違いによって花びらがよりカラフルに見えることがあったとしても、おそらく絵の具の色は色覚に左右されず単一の色で構成されているように見えるのではないのでしょうか。
たとえば三色型が黄色い花と黄色い絵の具を見たとき、同じものを4色型に見せれば花の方は確かによりカラフルに映るのでしょうが、絵の具の方は違った色に見えるということはあっても、複数の色がそのペーストのなかに見えるということはないと思います。
それはそもそも4色型色覚というのは紫外線を感じる細胞をも余分に一つ持った状態なのであり、絵の具は花びらと違って紫外線を発さないのだから、三色型と4色型で見え方が違うということはないと思うからです。またわずかに紫外線を反射するのだとしても、絵の具の各部分で紫外線を反射する割合に差はないはずだからです。もしその割合が異なるなら、その他の波長を反射する割合も異なっているべきであり、黄色とか青色とか単一の色を持った絵の具というのがそもそもありえなくなってしまうと思います。
そうすると4色型はサイケデリックな絵を描くというのも矛盾点があり、仮に花びら一枚でも紫外線が見える影響で4色型には2色以上のグラデーションに見えるのだとしても、そのうち三色型とは異なる色に見える部分に対応する絵の具は4色型でも見出せないはずです。なぜなら絵の具は紫外線を反射しないからです。
そうするとサイケデリックな絵を描くのはその人が自身の見え方を同じ色には同じ色の絵の具をという使い分けによって忠実に反映した結果というよりも、ただの趣味、画風という感じがします。
これらのことを総合すると、4色型の人も見える色の種類は3色型と同じで、光として受け取る波長域が広い分、三色型と種類数自体は同じ色の、受け取った波長に対する割り当て方が三色型と異なっているだけなのではないかと思いました。
これはたとえるなら、カメラとモニターをつなげたとき、カメラ自体はrgbで光を受け取っていても、モニター自体が白黒表示しか対応していないならモノクロ映像しか映らないようなものです。
光の受容体(カメラ)が4色型の人も、視覚野(モニター)まで三色型に対して突然変異を起こしているとは考えづらいですから、4色型の人の視界に映りうる色の種類数自体は三色型と同じなのではないかと思うのです。ただ波長に対しての割り当て方が違うだけで。
これはたとえば2色型の人でも夢を見ている時は起きているときには見たことがない色を見ることがあるみたいなことを確認するとかいった方法で裏も取れると思います。つまり人間が潜在的に見ることが可能な色の種類数自体は受容体側ではなく視覚野すなわち情報を処理する側に依存しているのであって、何色型でも同一なのではないかと思いました。どうなのでしょうか?
公開御礼という言葉が書かれた紙をおじいさんが勝訴みたいな感じのポーズで見せびらかす姿が右側に描かれていて、左側には正面を向いた黒髪ロングの女の子(モノクロなのでカラーだろ違う髪色かもしれないが)が描かれている絵が、透けるスマホカバーに挟んでる人がいて、なんの漫画あるいは誰が絵師か気になりました。ちなみに女の子の画風は遠目なので、なんとも言えないですがなぜか横槍メンゴのクズの本懐かレトルトパウチで見たことあるような感じの女の子に見える画風でした。
写真があればわかりやすくなったと思いますがさすがに盗撮するわけにもいかず…
この手がかりで思い当たる漫画等あったら回答よろしくお願いします。
私は動作性IQが80台しかない。それとの兼ね合いだと思うが空間認識能力も弱い。
例えば車のタイヤの空気を入れるのを任されることがあるが、あれはタイヤにある空気の出入り口に大して空気を入れる器具を垂直に押し込めていないとまともに入っていかない。
普通の人はすぐ慣れて一発でできるようになるし初めてでも数回で垂直に押し込めるようになってしまうのだが、私はこの作業を数百回とやってるのに未だに10回とか連続で失敗して空気を作業前よりもかなり減らしてしまうこともざらだ。
二つの目を結んだ中点と、器具の入れ口、タイヤ側の孔が垂直に一直線の位置関係になるように意識した姿勢をとって、そのうえで垂直性を認識しようとしているわけだけども、うまく垂直になっていないらしい。
健常者には理解できない事態らしいので頼んでる人には呆れられる。いや呆れることにも飽きてる段階に達している。
でもさあ目って根本的に二つあるからそれで垂直かどうかを認識しようとするのは原理上無理があるように感じるんだよね、ハッタショには。スナイパーだって片目瞑って狙うじゃんみたいな。
そういうレベルの空間認識力だと漫画を読むにも困難が生じてくるのだ。
アクションシーンで揉み合いになってる場面とかだと、腕が別のキャラに向かって一定のポーズで近づいているところでは、その腕とその腕の持ち主のキャラとの位置関係がいまいちよくわからなかったりすることがある。
つまり腕をひっくるめたそのキャラが全身として大局的にどういう姿勢をとってるのか、またなんのためのそもそも腕を出してるのか(単純に殴りかかろうとしてる?それとも押し当てて牽制しようとしてる?)のかよくわからなかったりする。
飛びかかるとか、高いところから急降下して別のキャラの手をとって助けようとするシーンみたいなのは、その一瞬一瞬に対して「カメラ」を切り替えて描写されることがあるが、あれもコマ間でキャラが空間内でどう変位しているのか把握しづらいものがある。一つの連続した動きを時間経過ごとにいろんなアングルから描写したものとして統合的に認識することに困難を感じる。同じアングルだったらまだ理解できるから(じゃなきゃ放物運動とかのグラフも理解できないことになる)、そこで自分はこんなアングルでも整合性を保って描けますよみたいなアピールしなくていいのにと自分勝手なことを少し思う。多分別のアングルで、前のコマで描写されてる物体の向きは本来描かれるべき向きとは逆になっていても違和感としてすら認識されないと思う。
こうした事情との関係で、進撃の巨人よりメイドインアビスの方が絵が上手いと言ってる人に対して、全く共感できないということも起こる。
ストラディバリウスと初心者用楽器、どっちが前者の音色なのかというのが分からないが、あれとは似て非なる問題だと思う。
音色の場合自分の好みで判定してもストラディバリウスにはたどり着けないこともある。高い音色というのはどういうものかという主観の集合を知識として持っている必要がある。また比較対象間の音色について、そもそも有意な差を感じない場合もある。
一方で漫画の作画の良し悪しの場合、音色と違い、全くものとして違うことは明らかだ。違う漫画作品を比べてるのに「全ページ同じ絵に見えるから判定できない」ということは起こりえない。これが楽器の場合だと同じ人に同じ曲を演奏させた場合「全く同じに聴こえるから分からない」ということが起こり得るわけだけだから、ここは明らかに性質として異なる。
また進撃の巨人が上手くないとされるのは、そしてメイドインアビスがその逆とされるのは、デッサン狂い(架空のものを描くのにデッサン狂いという言葉を使っていいのか自信がないが)とかパースの狂いの有無といった要素があるだろうが、特にパースが正確かどうかはおそらく数学的に定量的に算出可能なもので、つまり単に主観の集合としての擬似的な客観性ではない、数理・物理的な真実に基づいた純粋に客観的な要素であるのがこれらの要素だ。
空間認識力がないため、そういった要素を直感的に把握して優劣を認識することができないのだと思う(補助線引かされてその線とこれだけずれてるよねみたいな理詰めで説明されることで「納得」するのがせいぜい)。
画力の優劣を判断する要素は他にもあろうが、むしろこの明らかに違う二つの漫画、絵の一群の間から、なんらかの判断に役立つ何かを抽象化して得ることが逆に難しいというのもあると思う。今回は巧拙に関係する要素を抽象化して捉えたいわけである。でもそれは違いが大きすぎるから、抽象化は難しい。
伝わるかどうか分からないが、🍙と🗻からなら簡単に三角形といい概念を抽出できるが、漫画同士を比べてなんらかの評価軸になる要素を抽出するのはわたしには難しいということだ。
そういうわけで私にも二つの漫画は明らかに違う漫画だけども、巧拙という点で区別することは特性的にできないといいことである。
これが普通の人には下手な漫画もそうは見えないということで面白く読めるという点で得なことなのか、作品のいいところについて根本的な次元で認識できるのが人より少ないという点で「作品を余すことなく楽しめない」不幸なことなのかは分からない。
以前には漫画の方が自分のペースで楽しめるし音とかなくて疲れないと思っていた時期もあったが、さらに一周回ってアニメの方がアクションシーンを直観的にちゃんと認識できて自分に合ってると思うようになった。カラフル(モノクロだと地と絵の解釈(輪郭の認識)に混乱が生じる例がある)かつ動きを連続した動画で表現してるアニメは私にとってもほとんど混乱の余地がない優れた媒体だ。
あんまりアニメ見ない自分ですら挙げきれないほどたくさんあるから、本当に才能が集まってる業界なんだろうと思う。
みんなが挙げてるシティハンターも好きだし、エヴァのOPをリアルタイムで見たときは好きを超越した衝撃を感じた(VHSビデオを何回コマ送りして見たことか)。
TK from 凛として時雨「unravel」の曲がボーカルのみでスタートして画面はモノクロ。ボーカルに楽器の演奏が加わるのと合わせて真っ青な空と海(?)に切り替わる場面転換(海外の人だとよくトランジションとか言ってるやつ)、序盤のボーカルが終わってギターの激しいリフが始まるのと同時に画面にガラスが割れたようなヒビが入る場面、ボーカルの「ゆれて」でまた画面にヒビが入ってガラスが砕け、「歪んだ世界」に入るところでまた思い切り背景が転換するところ。
山下清悟さん以外だと鬼滅の刃 遊郭編OP、呪術廻戦シーズン1 EDでレトロスコープ? でダンスしてるやつ、 シーズン2 懐玉・玉折のOPとED、渋谷事変のOPも良き〜。
日常風景を背景にした主人公の語りから曲がフェードインするの好き好き大好き
オープニングの最後でポーズとったハルヒがそのままモノクロのロゴになるの好き
蛇足だけど冒険でしょでしょがEDっぽい雰囲気でハレ晴レユカイがOPっぽい雰囲気なところも好き
作中の季節変化に合わせてタイトルロゴの背景色が淡く変化するの大好き
イントロの切り方で微妙にAパートの尺調整してるところも丁寧な作りで好き
本編の進捗に合わせて歌ってるメンツが増えていくのが良い
TARI TARIと似た演出だけど話数が進むとメインキャラクターの絵が追加されていくのが好き。似たような演出多いけど、これは追加されていく絵を描く工程そのものがエンディングアニメーションになってる
季節違いの同じシーンを2ループすることでクラスの仲が深まっている様子を表すのが良い。本編はコメディなのにエンディングは物悲しい曲調でアニメーションもモザイクタッチなのが独特で良い