はてなキーワード: 長寿番組とは
なんとなく24時間テレビを見てた流れだし、ジャニーズも出るし、別に他に見るものもないしとそのままにしてたけど、色々驚いた。
佐々木希の立ち位置がまずおかしい。色々あった彼女だから頑張ってるのはわかるんだけど、やってることが完全に花瓶に差した花。
落語家たちの彩り?お茶くみ?要するにおっさんどものご機嫌取りに徹してるのとか、いま時代おかしすぎる。
肝心の大喜利も、パワハラ上等、年寄特有の男尊女卑、挙句の果てに政権批判。
普段はそういう層しか見てないから許されたかもしれないけど、こういうタイミングで日の目をみちゃうのはやばいでしょ。
曜日と時間帯的に外せないのは仕方ないけど、もう少し作家さんが頑張るかしないと。
年寄り連中が言うことを聞かないってなったらそれはもう打ち切るかするしかないじゃん。
長寿番組なのはわかるし、これはこれで残すべき文化だと思うけど、もう少し年寄りしか見ない時間帯に移動したほうがよいよ。
さすがに冷笑もでなかった。
在宅勤務でラジオを聞く時間が増えた元関西人、現関東在住なんだけど、「『あいさつ的フレーズ』+『パーソナリティ名』」という形式の番組タイトルって、関西のみの文化なのかしら。
まあ、
……という2大超超長寿番組、および「~道上洋三です」の前進番組にして、日本で初めて司会者が「パーソナリティ」を名のった番組といわれている「おはようパーソナリティ中村鋭一です」の影響が大きいんだろうけど(あと、終了済だけど「ごめんやす馬場章夫です」もかなりの長寿番組だった)。
現在放送中の番組はほかに「朝も早よから 芦沢誠です」「ドッキリ!ハッキリ!三代澤康司です」「かめばかむほど亀井希生です!」などがあるけど、なぜ全国に広まらなかったんだろう。関西ローカルだから、って言っても、こんなお化け番組ないし、東京の制作者もあやかればいいのに。
ところで「おはようパーソナリティ道上洋三です」ってタイトル、「おはよう!」「パーソナリティ(の)道上洋三です!」ではなく「おはようパーソナリティ」でひとつの単語っぽいの、幼いころからずっと不思議。
ねるまえのまえ。パーソナリティは
、夕食を食べてほっと一息…自由な一方、
ふと感じる静寂。自分の好きに過ごしたい、
でも、誰かとつながっていたい。
というコンセプト
といった気持にさせられることを期待してしまうが、
少なくともわたしは続けて聞く気になれなかった。
「ねるまえのまえ」の放送を1か月ぶりに聞いてみた。
あれ、なかなかいいじゃん。て思ったよ。
って思った初回の放送。
うーん。2回目の放送も遠慮がちだったような。
癒しには程遠かった。
そして聞かなくなった。
今月末で終わりだけど、
余裕をもってしゃべれば大丈夫なはず。
しゃべりが速いとつかれるよ。
ことが多い。
そんな番組を録音して1.5倍で聞くこともあるけれど
それでも普通にきちんと聞こえているよ。
その時間帯はゆったりすごしているので
昨日はゆったりできたよ
まずなんといっても金曜日の20時台で30年続く大長寿番組だ。(ミュージックフェアのほうがはるかに長寿だけどあちらは若干の懐メロ感もあるので別枠とする、時間帯も夕方だし)
はるか昔には夜のヒットスタジオ、ベストテン、トップテン、などの人気音楽番組歌番組があったのに、時代の流れとともにそれらはあっさりと終わっていった。音楽番組は深い時間帯の物になり細々とやっているのが現状だと思う。
そんな中でMステは30年続いてるのだ。小沢健二が久しぶりにMステに出た時、「30年前から、今もまだこのような音楽番組があってくれたことが嬉しいです」みたいな事を言っていた。
続けられる理由はいくつか考えられる。ひとつはジャニーズ枠があること。毎週必ずなんらかのジャニーズグループが出るのでこれはもう約束事になってる。お披露目としての意味も出るのでジャニーズとMステの関係はなにかしらの太いパイプになってるはずだ。それとよくわからない街中インタビューやダンスを推しまくる最近の企画傾向、これらはやはり若者に見てもらう番組でありたいという意思だろう。音楽番組は油断するとすぐに懐メロ番組になってしまう。続けるにはなんらかの若返りをはからないといけないのだ。
それらが番組を続けさせるための努力だとしたら、音楽番組としての使命というのもMステは捨てていないと思う。海外アーティストを呼ぶ、バンドには生演奏をさせる、セットも手を抜かない、これからという売り出し中のアーティストを積極的に出す、こういった特徴に音楽番組としてのポリシーを感じる。
確かに昔に比べれば謎のランキングやダンス企画が増えた。これはもう時代として仕方ない。だってオリコンランキングとかやってもアニソンとかが上位で出演者はどんなリアクションすればいいかわからないだろう。
俺はもう、Mステがあってくれるだけでありがたい。最近だとあいみょんみたいな新人をちゃんとフューチャーしてくれたり、チャットモンチーの最期の出演をフォローしてくれたり、そういうのが、金曜20時に流れてくれる事がほんとにありがたい。
かつての音楽番組の華やかさみたいなもの、スタジオできれいなセットを組んでたくさんのカメラワークで見せてくれる、これを今も高いレベルで見せてくれるMステは本当に頑張ってると思う。ジャニーズ全然いいよ、ダンスもいいよ、素晴らしいアーティスト達が輝ける舞台を用意してくれる、紅白ほどじゃないが贔屓のアーティストが出た時に「緊張します」と言ってるのを聞いて一緒にハラハラしちゃう。そういうMステが生き残ってくれてることが本当に嬉しい。
アニメや漫画の中年〜老年の顔って、なんかどれも似たり寄ったり。
デフォルメされた場合でも、幼年基準でキラキラしたキモい老人だったり、バランスが滅茶苦茶。少女漫画とか。
(脱線するが、アニメ月詠の主人公・森丘は最高にキモいデザインだと思う。美少女準拠は崩せる範囲が少ないから大変そう)
幼年〜青年は絵柄で個性が出せるのに、おっさんおばさん以降の描き分けとなると酷い。
そんな作品の数々を見てきた。
まるで中年以降はわざわざデフォルメしてやるほどのビジュアル価値がないという事実を突きつけられているかのよう。
ご長寿番組のドラえもん、忍たま、コナン、クレしん辺りは個性もあって、おっさん画像だけでもどの作品か区別つくけど。
昨夜、数年ぶりにめちゃイケを観た。
終わるのなら、せっかくだし観てみようかなと軽い気持ちで視聴させていただいた。
社会人になって以来、テレビ番組自体をあまり見なくなっていた。
世間で話題になっているニュースはネットで確認出来るし、若い頃と違って毎週の様に発表される音楽を必死にチェックすることもない。芸能人の誰々が結婚しただとか熱愛発覚だとか、そういうものも自分の生活には何ら関係ないことだし興味もないからワイドショーなどを見ることもなく……というか、その時間は仕事だから見れるはずもなく、結果的にテレビから遠ざかる生活をしてきた。
それでも、幼い頃に自分が笑って観ていた番組が終わるのだからと久方ぶりにテレビを点けた。
テレビの中で、幼い頃から変わらないメンバーと噂に聞いていた新しいメンバーが笑っている姿は、見慣れていないこともあり新鮮だった。
めちゃイケらしい、お決まりとも言える展開は単純に面白く、ああそうだ、昔からこんなだったなと妙に懐かしく思えた。
幼い頃、母親に顔を顰められながらも兄弟達と笑い転げながら観た数々のコーナー。
クイズ濱口優、しりとり侍、Mの三兄弟……ただただ懐かしかった。懐かしかったし、面白かった。
くだらなさに笑いながら酒を飲む休日前夜―何よりも贅沢な時間を与えてもらったと思う。
今回の最終回に関して、つまないと思った人もいるだろうし、様々な意見がめちゃイケという番組に対して寄せられることだろう。
だが、今回に限っては、出演者もスタッフも、その声に耳を傾けることはない。
最終回まで見ていなかった自分が言えたことではないが、今回の最終回はそういった批判や否定を寄せる人々の為に作られたものではないと私は感じた。
彼らは恐らく、番組を愛してくれた視聴者―めちゃイケという番組を心から好きだと思っているファンの為だけに、この最終回を制作したのではないかと感じた。
笑っていいとも!、ごきげんよう、スマスマ、みなおか、ポンキッキーズ。
数年前から今年までの間に、それなりに思い入れのある長寿番組が次々と終わった。番組の最後を見る度に幼い頃を思い出し感傷に浸っていたのだが、この度のめちゃイケ最終回を見終わった時、私はひとつの時代が本当に終わったのだと心から思った。
私は、三十代である。昭和終期の生まれだ。そして、平成初期から中期にかけて子供時代を過ごしてきた。
それをまざまざと実感したのが、この度のめちゃイケ最終回だった。
私にとって、めちゃイケは平成の象徴であったのかもしれないと今更ながらに気がついた。
否、もう既に始まっているのだろう。
今後、どのような番組が作られていき、その時代を象徴するのだろうか。
番組を作る人々には、どうか、その番組を心から好きだと思ってくれるファンを大事にしてやって欲しい。
最後に。
長い間、お疲れ様でした。
さっき「zip」という日本テレビのニュース番組をはじめて見た。
名前だけは聞いたことあるので、おそらく長寿番組なのだとは思う。
けれども見ているだけで嫌な気持ちが積もっていった。
・前列にいるTOKIOの人が一人称「俺」で話している(コメンテーターだからいいのか?)
・男性アナが女性アナ(芸能人?)を名字でなく「名前+ちゃん」で呼ぶ
何だろう私の嫌いな雰囲気満載のこの感じ。
でも長く続いているということは、この空間に違和感を覚えている人は少ないのだろうか。
私自身、リアルでこの発言をしたら「若い女子アナに嫉妬するBBA」と思われそうで、言えない。
でも、私の社会に対する不満や居心地悪さみたいのが番組に凝縮されていて、
某脳科学者がツイッターで、日本のお笑いは批評性がなくてつまらないって書いてた。
批評性云々はともかく、自分もお笑い(てかお笑い芸人さん)は昔から苦手で、
芸人さんたちの上下関係に基づく、イジリイジられとか、目立つためのアピールとか
(そのおかげでM-1とか長らく見ず嫌いだった)
で、さっきふと、テレビとかあまり見ないのでよくわからないのだけど、
芸人さんたちによるものだったらどうなってたんだろうな、とか想像してみたんだ。
なんとなく長寿番組にはなって無かっただろうって思った。
でも自分は、同じジャニーズでも学校へ行こうとか苦手で、見てらんなかったので、
出てくる人と企画の両方がよくないと面白くないんだろうなって思った次第。
お笑い芸人の上下関係に基づくイジリイジられを楽しめる人って、どういう人なんだろう?
現実世界でイジる担当しかやったことない人?イジられるのが好きな人?
上下関係のある世界と無縁の人?現実世界からテレビの世界を切り離して考えられる人?
どうなんだろうな。
神武天皇が御即位した頃から続く(ギネス認定)長寿番組『新婚さんいらっしゃい』の鉄板ネタで、
最初にエッチしたのはいつか?と、桂師匠が間接的にゲスト夫婦に尋ねる場面があるんだけど、
その手の回答に時々「あれ、それってレイプじゃねーの?」と首をかしげてしまうことがある。
もちろん、結果として夫婦になっているので、それは本人たちの中では「思い出」として美化されているんだけど、
女性(時には男性)を自宅に呼んで、成り行きで突然背後から襲いかかったとか、
嫌がっているのを押してやってしまったみたいな、みたいなエピソードが多いこと多いこと。
(交際開始当時に未成年女性と成人男性という組み合わせの若夫婦に多い。稀に女性が男性を襲うパターンも)
確かに恋愛においては、時に「押しの一手」が必要になるフェイズはあるんだろうけど、
「付き合ってなきゃやらない!」って嫌がっている女性に「じゃあ、今から付き合おう!」
と言って無理やりやっちゃうとか、どうなんだろう。
結果として責任取れば、つまり結婚すればレイプしても許されるのか? 性犯罪に目を瞑るのか?
しかも、そういう場面では決まって会場では笑い声が上がって、師匠も椅子から転げ落ちるパターン。
女性が半ばレイプされたことが「お笑い」になってしまっている。ハメれば官軍か?
それとも、世の多くの女性は「相手の自宅に上がった時点でOKサイン」という「神話」を内面化してしまっているんだろうか。
まるで昭和のホモソーシャル的な価値観(「女はやっちまえば黙る!」)が依然としてまかり通っているのか?
古事記でも川でトイレしてる女性をレイプして嫁にする(「赤い矢」)というエピソードがあったね。
まあ、こういう番組に出演しようと思う時点でカップルの母集団の特質が偏っている可能性も否定できないけど、
こんな平成の世の中になっても、レイプされた結果、オキシトシン分泌して相手に恋愛モードに入っちゃう
ような女性が多く残っているのが不思議な感じ。デートレイプ問題にも通じるし、シャレにならんと思うが。
ぶっちゃけ、みんなはそういうのってどう思う?
営業マン、社長、駅弁の売り子、自動車工場の社員、空港職員、人形浄瑠璃の演者、農家、伝統工芸の職人、撮影スタジオのカメラマン、楽団員等々、様々な職業の人の働く様子とともにその人のランチ風景を紹介する。
全く知らなかった職業、各人の仕事への取り組み方や職場の雰囲気を知れる面白さと、日本各地の美味しそうなランチが魅力的。
その家独特のおにぎりを紹介する「おにぎり百景」や、お昼どきのオフィス街で道行く人に声をかけスタッフと一対一でランチをさせてもらう「サシメシ」、視聴者の投稿したお弁当写真を紹介する「みんなのサラメシ」等、毎回3〜4つのコーナーに分かれている。
印象に残っているのはおにぎり百景で紹介された桜おにぎり。桜農家が収穫時期に1日だけ満開の桜の木の下に集まり、桜の塩漬けを混ぜ込んだピンク色のおにぎりを食べている様子は素敵だった。
何の気なしに見れるので録画しておいて見たいものが無い時に見ている。
「おくのほそ道」、「風姿花伝」、「般若心経」、「アラビアンナイト」、「遠野物語」等、大抵の人が題名くらいは知っている名著を、25分×4回の計100分で月に1冊ずつ、その分野を専門とするゲスト(基本的に大学教授、たまに僧侶や詩人)が分かりやすく解説してくれる番組。
本の内容はもちろんのこと、毎月登場するゲストの人となりも楽しみの一つ。いかにもその分野っぽい人が登場することが多いのだ。
毎回伊集院光が面白い着眼点で質問したり感想を述べたりしていて感心する。
「いい質問ですね!さすがです!」なんて派手なリアクションの先生もいれば、興味無さそうに受け流しちゃう先生もいたりして掛け合いも面白い。
印象的だったのは「種の起源」の回で紹介されたダーウィンの生い立ちで、ダーウィンは医者の息子だったので医者になることを望まれていたが、当時は麻酔がなかったので子供の手術なんかに耐えられないタイプで医者になれず研究者になったというエピソード。昔って麻酔無しで手術してたの?!という衝撃が…。全然本の内容関係無いけど。
録画して100分まとめて見ている。
視聴者のお悩みを専門家の手を借りて解決するという極めてシンプルな内容の番組。司会の松嶋尚美と三宅裕司のおかげで重たい悩みでも番組の雰囲気は明るい。
強烈だったお悩み1「キレイと言われたい」
容姿に自信のない相談者(女性48歳・既婚子持ち)は過去の経験でがんじがらめになって自分に本当に似合う服を受け入れることが出来なくなっていた。解決策としてスタイリストが提示した方法は、町や駅で見ず知らずの人に「今日の私の服、似合っていると思いますか?」と聞いて回ること(!)。見ていてほんとに居たたまれなくなったけど、みなさん案外フレンドリーに答えてくれていてホッとした。
最終的には結構いい感じに解決していた。
家には大量のマニュアル本を揃える婚活中の相談者(男性)。「女性には寒くないですか?と声をかけよう」とのマニュアルに基づき、人混みで熱気ムンムンの婚活会場で「寒くないですか?」と声をかける相談者。みんなから「むしろ暑いです」と答えられていた。
お悩みを解決してくれるきわめびとは冒険家、解決方法としてグループで山登りをするというよく分からない展開になるのだが、山登りのために買ったマニュアル本を山に持ってくる相談者。コントか?!
山登りで自分の殻を一枚破れた様子の相談者だったが、まだまだ道のりは遠そうであった。
タレントやクリエイターが母校の小学校に出向いて6年生の1クラスに2日に渡って授業をする番組。
テレビで見たことある人が先生だからなのか子供達が素直に授業を楽しんでいる様子が好ましい。
詳しく紹介しているブログがあったので貼っておく。てかすごいブコメ付いてるから今更感が…
http://d.hatena.ne.jp/yyamaguchi/touch/20140516/p1
子供達が今までと違う視点を身につけて少し自由になれたように思えるいい授業だった。
まず自分で思い出せるだけのことを詳しく年表に書き出し、次に家に帰って親に書き足してもらう。ここで「お母さんこんな話知らなかったよ」と親が子の事を知る事が出来たり、子が自分の覚えていない小さい頃の事を親に教えてもらう事が出来たりと、家族にもよいきっかけになっていた。
次の日はクラスメイトがそれぞれの相手に持つ思い出を一つずつ書き加えていって年表は完成。体育館に全員分を貼ってみんなで読んで回って授業終了。「クラス替えの後初めて話しかけてくれた」なんて思い出を書き加えてもらい「そうだっけ?全然覚えてない!」とまた新たな自分を発見。中学校に上がる前に一つのいい区切りとなる授業だった。これは水道橋博士がいなくてもどこでも出来ていいと思った。
http://anond.hatelabo.jp/20150708154932
まあ、実際にはフジテレビが凋落した理由は幾つかあってリモコンの並びはその中のひとつなんだろうけど。
主要民放4局 5点
NHK総合 5点
テレ東 3点
で振り分けると、アナログ放送の場合は、リモコンの並びで言えば、第1列・第2列が5+1+1+5+5=17点、第3列・第4列は5+1+5+1+3=15点で、そこまで差は開いていなかった。
これが地上波デジタルになって、第1列・第2列が5+1+1+5+5+5=22点、第3列・第4列は3+5+1+1=10点で前半部分にウェイトが集中した。
そのため後半部分が切り捨てられやすくなったとは言えるかと思う。
もちろんこの並びは首都圏の話なので、別の地域については別の見方をする必要があるだろうが、視聴率は首都圏のもの、あるいは首都圏のウェイトが高いものがとられるので、首都圏で構造的な劣勢を強いられるデメリットは大きい。フジテレビが10chであったテレ朝に負うていた部分は思いの外大きかったということだ。
それ以外の部分では、フジテレビには中程度の長寿番組が少ないことが弱点として挙げられる。
「サザエさん」「ミュージックフェア」「めざましテレビ」などだが、日テレやテレ朝に多い、10年以上続いている長寿番組が少ない。なぜ、打ち切られたか分からない番組も多い。「トリビアの泉」や「世にも奇妙な物語」などは続けていればそこそこ視聴率を稼げていただろう。
日テレやテレ朝は、少々不振になってもしゃぶり尽くせる限り、番組をしゃぶりつくす。フジテレビでそれに相当するのは「アンビリバボー」くらいで、日テレやテレ朝は「不調でない限り好調」のスタンスが垣間見られるが、フジテレビは「好調でない限り不調」で、番組を切って来た。それが調子がいい時は、全体の視聴率が底上げされる結果になったのだが、リモコンの並びのように構造的な負荷を負うようになってからは、長寿番組による安定票が望めない、という結果になってしまったのだと思う。「世界まる見え特報部」と「ナニコレ珍百景」がないのがフジテレビの今の弱さの原因だ。
リモコンの並びはいまさらどうにもならないので、フジテレビは現状に合わせて戦略を根底から再構築する必要があるだろう。フジテレビはテレビ朝日になったのだ。
もはやトップは目指せない立場だ。人件費もせめて日テレ並には下げる必要があるだろう。
フジテレビが目指すのは長い時間をかけて長寿番組を育てる、ということだ。月9などはそもそも長寿番組にはなりようがないので、ああいう短期ドラマ枠は削るべきだ。ドラマでも「相棒」や「水戸黄門」のようであれば安定票を望める。
というかも知れないが、水谷豊だって相棒が始まる前は、過去の栄光はあってもものすごい人気者というわけでもなかった。沢口靖子だってそうだ。番組が俳優を育て、俳優によって番組が育てられるのだ。舞台俳優などを中心にまったくの新人を起用するのもいいだろう。ジャニーズのように、短期ドラマしか駄目、ネットでの宣伝もダメというようなのと付き合うから置いて行かれるのだ。