はてなキーワード: 山田隆夫とは
2013年6月28日付けの毎日新聞夕刊の山田隆夫のインタビュー記事に驚くべきことが
書かれていたので記しておきたい。「1985年8月12日。その日の夕方、笑点メンバーは
徳島に向かうため羽田空港にいた。悪天候で予約便を大阪行きのJAL123便に変更しよう
としていた時、林家こん平師匠が『予定の飛行機で行こうよ』と切り出した。123便に乗って
いた坂本(九)さんは星になり、山田さんは命をつないだ」。当時の笑点メンバーと坂本との
交流に関して具体的な言及はないのであるが、つまりは、こん平師匠の一言が無ければ、
日本航空123便墜落事故で笑点メンバー全員が亡くなっていたところだったのである。
https://blog.goo.ne.jp/tama-4649/e/7a27c0c12c3a02f01c3e5be9bd3b5e89
※実は今日の笑点見てないし、最近の笑点も見たり見なかったりの人が書きました。
その結末になるのかという気持ちになった。
大喜利メンバーへの加入が決まって以来、いつ見てもハマっていないな…という印象が離れなかった。どうにかしてテコ入れして、いつかは馴染むだろうと考えていたが、そうなる前に限界がきてしまったようだ。
ネットのご意見としても三平はつまらんというのが大勢で、好楽=つまらんという笑点内でのキャラクターを塗り替えてしまうかのようだった。もちろん悪い意味である。
しかしながら、三平=つまらんの図式は、ただ三平の面白くないことが原因なわけではない。
笑点は言わずと知れた長寿番組だが、長寿であるが故に、出演者が固定されている大喜利コーナーは完全にマンネリ化している。5代目圓楽時代に培われた出演者のキャラクター設定、出演者同士のいじり合いは、歌丸司会期に完全に固定された。
慣れ親しんだ視聴者にとって面白いのは、正統派の大喜利よりも、木久扇が回答する前に客席から答えが出てしまうことや、昇太を独身ネタでいじること、たい平と山田隆夫の小競り合いを見ること、歌丸死亡ネタで全員が座布団を没収されることだった。アイドルバラエティ的な面白ささえ感じる。円熟した文化が内輪ネタに走ってしまうというのはしばしば言われることであるが、笑点もまた、その傾向から外れることはなかった。
その中で行われたのが、歌丸の卒業、三平の加入である。ただ出演者の交代という表現では不十分で、芸人が相方を変えるような、アイドルグループに新しいメンバー入るような、そういう変更だ。
そこに入った三平がすべきことは、面白い回答をすることではなく、ボンボンキャラを演じることでもなく、大喜利メンバーの人間関係の中に入っていくことだった。特に隣に座る人との関係構築が最重要で、言い換えれば木久扇に対してはこういうことを言い、円楽にはこういうことを言われる、という関係性を構築することだ。その形成に失敗したのが、三平つまらんの根本的理由だ。
以前三平の席にいた昇太は、木久扇に対しても、6代目円楽に対しても、構い、構われていた。三平はそのような絡みができていただろうか。必ずしも喧嘩だけでない、木久扇を介護するポジションに立つとか、円楽に媚びるとか、そういったことでもよかった。誰に対してもヨイショするというキャラ設定もできたと思う。
番組を作る側が、この点に全く気付かなかったとは思っていない。絡むにしても、円楽と毒舌でやり合ったら本当に嫌味なやつとしてイメージを悪くすると思ったのかもしれないし、彦六(8代目正蔵)の弟子であった木久扇に対して、海老名家の三平は強く出にくかったのかもしれない。その他のメンバーに対しても関わりが薄く、どうしていいのか分からなかった可能性はある。表に出ない事情は数多くあるだろう。
そうは言っても、三平は大喜利メンバーの中で一人、可哀想なくらい浮いていた。
歌丸と6代目円楽(楽太郎)のエピソードとして、大喜利に出演することになった楽太郎を気遣い、歌丸は自分とのやり合いをネタにすればいいと言った、というものがある。三平にはそういう配慮が十分にされていたのだろうか?
いてもこの結末になったのだろうか?
今後も笑点の大喜利というコンテンツを存続させようという気持ちがあるのなら、次に入る人には最大限のフォローを入れてほしいと思う。
追記:
先代の圓楽が死んだときである。まあ、うろ覚えの話なので違ってたらすまん。
当然笑点も追悼モードで、大喜利のお題も追悼用のそれであった。それ以外はまあ通常モードで進行していたのであるが、途中で、山田隆夫が「私も」といって回答権を得た。たしか歌丸のすぐ脇に座った気がする。
ここで、山田はなんのひねりもなく「師匠有難うございましたぁぁぁ」といって泣き崩れたのである。これは、割と素に見えた。
どう拾うのかな、と思ったら歌丸はこれを「これだから素人は怖い」と斬って捨てたのである。当然っちゃ当然だが、その線の引きように感じ入った記憶がある。