はてなキーワード: 記念受験とは
大学に通いはじめて間もないが、既に学歴コンプレックスを抱えつつある。
「でもこの選択は間違っていない」そう思いたい葛藤。自信ばかりが影に飲まれ、じわじわと引き裂かれる。
なのでどうかこの場をお借りして、自分のあれそれについて整理をさせてほしい。
どうせ拙文には違いないし吐き出したいだけなので、てきとうに読み飛ばしてくれて構わない。
◆
略歴。
小学生のときは勉強はそれなりにできた。宿題をやらなくて何度も怒られた。元素の図鑑を好んで読んでいた。誕生日にはリトマス紙をねだった。
ニコニコ動画ではよくゲームを作る動画を見ていた。キャラクタが単調な動きを見せたり、パラメータが上下したりするのにわくわくした。
父のテレビ台の下にPCソフト(真面目なものとアダルトゲームが半々)を紹介する雑誌があったのでこっそり読んでいた。
中学生のときも特に勉強に不自由しなかった、歴史以外は。理科や国語が得意だった。
やはりここでも宿題をしなかった。それで肩身が狭くなったのと、進級前に同級生を亡くしたことにより、2年の春~夏から無力感でうつになりかけた。
学校には週3で遅刻して行った。残りは欠席した。家にいる間は見つからないようにPCを触っていた。絵を描いたりSNSをしたりしていた。
何度か見つかって死ぬほど怒られた。
3年に上がるとだいぶ落ち着いた。学校にも再び行きはじめた。ブランクがあったがすぐに追いつけたし、平均点は(社会科以外)余裕で取れた。
受験期は社会科以外の勉強はほぼしなかった。市内で2番目の、偏差値もまあまあの普通科高校に進学した。1番の学校は遠いので行きたくなかった。
高校でもやはり課題をやらなかった。部活にのめりこんだのも相まって、2年頃には成績は地へと落ちた。
部活はPCをよく扱ったので、中学時代のひきこもり経験が武器となった。
進級するにつれメインの仕事は他に任せ、PCのメンテやカットイラストを担当していた。埃をかぶったwin2000が動いたときは感動した。
こうしてずっとPCを触っていた私だが、高3夏になるまで「その道に行こう」とは思わず、進路希望に適当書いて勉強もせず遊んでいた。
さて。
それまでずっと、「楽しい」を重視して生きてきた。送り仮名を取れば「楽」となる。
行きたい学部にようやっと「情報系」と書けるようになってから、初めて「勉強」という行為をした気がする。
とはいえ勉強の仕方はわからず、塾にも通わなかったため、非効率の生み出す精神的ストレスに耐えきれず打ち込めなかった。
いや…耐えきれずと表すのは語弊があるか、心を病んだ経験があったため苦しむのに恐れをなしていた。
おかげさまでセンター1カ月前まで成績は落ちたままだった。最下位にほど近いときもあった。何も思わなかった。
センターを前にすると途端に伸びたが、元の成績がクソなので結局のところ偏差40程度に落ち着いた。
大学は私立Fラン1校、自分の偏差よりちょっと上の私立を1校、行く気のない国公立1校を受けた。
偏差ちょい上のチャレンジ校になぜか通ったので国公立は記念受験した。落ちた。
略歴終了。
◆
で、だ。
当時の偏差値ちょっと上の大学に通ったとはいえ、Fランクのラインをギリギリ超えていないレベルの学校である。肩書きは誇りづらいものであった。
周りの友人は「君が楽しそうでよかった」って言ってくれたのもあり、ブランドなどまあどうでもいいやと思っていた。
それに大学の講義は楽しい。PCを思う存分使っても何も言われない、推奨される。
勉学という面では、今が幸せの頂点だろう。
しかしながら、やはり偏差などの数値というものは偏見を呼び、そこに属していると上位から舐められる。
勉強してこなかった自分としては満足いく結果だと思っていたが、どうやら世間様から見たらそうでもないらしい。当たり前だが。
仲良くしていた友人のひとりに「君の通う学校は偏差的にちょっと…」と言われたとき、初めて自分を疑った。
どこで間違えたのか。
ほんとに肩書きはどうでもよかったのか。
まあそれも当然だが。
◆
ううん、何も結論はない。
勿体ないことしたかもなあ、というだけ。
今からでも羽ばたけることを願っている。過去を変えられるわけではないのはわかっている。
夢見りあむの件がプロデューサーをやめた自分のところにも流れて来たので個人的に思ってることを自分を整理するためにまとめてみる
夢見が3位、正直言ってここまで高い順位にはいるとは想定していなかった
ポッと出と言って差し支えのないアイドルが、こんな順位にいる事がプロデューサーってやっぱり表面しか見ていないような奴が大多数なんだなという自分の感情を肯定している気がした
1.既に声がついていてアニメやライブにも出ている、所謂運営に推されシンデレラガールを獲るために投票されるアイドル
2.既に声はついているがそもそも比較的人気のないアイドル、シンデレラガールなんて夢のまた夢の中だが一部の熱狂的なPから記念受験のようなもので投票される
3.声がついていないが比較的人気のあるアイドル、今回こそはどうしても声をつけたい!というP達の熱意とPRに押されて票を貰うこともある
4.明らかに声がつかない、現状でPRしてもボイス獲得まではたどり着けないので上位声なし勢が勝ち抜けてからでいいか…と思われているアイドル(表面上は今回こそは!などと言っているPも多いが心中では諦めている)
本気でやっているのは1.3の担当Pであろう、1の場合はシンデレラガールを取れれば最高なのはもちろん上位になれば運営からの扱いも良くなるし、3の場合は上手くいけば念願のボイス獲得デレステのイベントユニットなどにも参加できるようになり登場機会は格段に増えるからだ
そこの2組の争いに混ざって来たのが件の夢見だ。
初期からいたアイドル達と夢見の何が違うか、「プロデューサーとの時間」? ちゃんちゃらおかしい「今までの積み重ねて来た努力」惜しい
単純に情報量が違う
だから本当は魅力が伝わっている方が、古参アイドルの方が順位が上でなくてはいけないのだ
そうでないならこれからも声無しの子達は、ポッと出に追い抜かれ続けていつまでも声がつかない
なのでまぁ声ありP達からはそれほどヘイトは買っていないのではないかと思う。
シンデレラを掻っ攫って行ったならまだしも実際取れたのは3位、新人なのにやるなぁくらいで見られていそうだ
対象的に3のP、ひいては4のPからは目の敵にされていると思う。
特に今回健闘しつつも惜しくもボイスを逃した的場や工藤、浅利などのPからは相当怨嗟の視線を向けられるのではないだろうか
しかし"優しい世界"で有名なデレマス界隈の事だ、その怨嗟や不平不満を表に出したやつから「○○担当はクソ」といった吊るし上げを食らうのできっと表には出ず「夢見も頑張ってるし」「本人が一番テンパってる」などといったお茶濁しで表面上は終わっていくのだろう
結局、"声無し"と"声あり"の意識の差は開いていくばかりで、"優しさ"で隠れた見えない溝がどんどん広がっていく
声無しは不平不満を言えず、声ありは実力主義と突き放すこともできない
そんな歪な界隈が嫌いだった、今も結局かわってないんだな
初めまして。限界女子大生です。新4年生です。あとは言わずもがな汲み取ってくださいな。
中学受験で中高一貫校に入り、閉鎖的な田舎で思春期を棒に振る。成績だけは良かったので指定校でMARCHへ。就きたかった職のために選んだ大学で早くも挫折し、のろのろと公務員志望に変えたものの気づけば3月も終わろうとしています。南無三。
3月に入ってからの勉強時間どのくらいだと思いますか?2時間もやってないと思います。わらい
机に着くまでが長くて、ついてからも教科書を手にできない。やっと目を通し始めても全然頭に入ってこない。最初からスルスル抜けていく。絶望。同じところをループする。時間だけが過ぎていくのに頭の中を占めるのは焦燥感。ガンガン自分の声が響く。うるさいなうるさいなうるさいな!!!
て感じです。側から見たらただのやる気ない人なので誰にも言えずに3月が終わろうとしています。
あと普通の人間は頭の中で自分の声がずっと喋ってるなんてことないらしいですね。びっくりしました。
戻します。
こんな感じで公務員試験は記念受験になってしまうかなって思ってます。予備校代のこともあって就活生の今でもバイトしてるのにね。溶かすのは嫌だけど就浪してまで行きたくはないので。
勉強できるようにはどうしたらいいですか?あと過眠気味ですぐ寝落ちてしまうのもどうにかしたいです。昼寝しかり寝落ちタイム含めると1日15時間ぐらい寝てるので…大学の学生相談室的なところ行くのが早いのかなあ。
民間について。
元々公務員試験しか受ける気がなかったというのと、興味のある方向が公的機関に偏ってるのでES1社しか応募してないんですよね。
こんな状態で締切ギリギリに郵送したES、書類選考通ってました!ウケる!
とりあえずその1社に賭けようと思います。地獄の底までついていくので採用してください。覚悟してろよ、ワン。(御社の犬になりますという意思表示)
寝れない深夜のひとりごとでした。
私は大学願書郵送締め切り前日に自室で母と大喧嘩して、大学願書破られて、ポカーンとなったの思い出した。
浪人決定!
で、この後、反射のように悲鳴のように泣いて、出てって!と叫んで自室から追い出したの覚えてる。しばらく引きこもった。
母はハッとして&やっちゃったことに気づいて、困惑する中追い出された。
気が触れるかと心配したのか、
ドア越しにゴメンね、ゴメン。ってずっと謝ってた。
本当はほとんど記念受験だったけど、受けないのと受けるのではやはり違うのと、
母にこんなことされたのが、絶望で、私も混乱して泣いてた。
少し冷静になって、ドア開けて、
(よく覚えてないけど)記念受験だったからいいよということを伝えて、仲直りはしたと思う。
ただしばらくは受験できないの悲しくて、一人にしてもらったかもしれない。
私を思ってしてくれたことも沢山あった。
その辺は確認できないと、すべて許せなくなる。
だけどその相手を思うこころは、自分から見せなきゃ返ってこないこともあるし、
どこかで腹くくって、
破って浸けて捨てた理由をちゃんと話して、ごめんなさいって言えるといいね。
その上で、ちゃんと謝ってもらった方がいいと思う。
それでも入れたい親は多いよね。
地方在住だけど地方だと特に、それぞれでエリートコースっぽいのがあるよね。
自分は地方の国立(って言っても首都圏私立に比べれば全然大したことない)受験経験があるから、
この時期は親戚とか知り合いとかの子供の勉強みてって頼まれたり、受験の手伝いさせられることが多い。
で、よく聞かれるのが、どういう子が受かる?とかどういう勉強した?とか。
自分は親が呆れたくらいノー勉記念受験で受かったのでマジで何も言うことがないんだけど、
強いて言えばどれだけ本読んだりしてても、本人が勉強だと思ってなかったら勉強じゃないかもしれない。
趣味みたいなもんで、好きなこととか気になること調べたりしてるだけでさ。それを繰り返してるだけでさ。
周り見てたら、そういう興味の範疇がたぶん無意識に広くて、自分なりに分からないと気が済まないやつが多かった気がする。
自分はゲーム大好きだったから、興味の範疇を広げるのにゲームが入り口だったことも多いんだよなー。
だから今日は親戚に内緒で小学生の甥っ子に思う存分ドラクエやらせてあげたけど、そういうのもたぶん大事。
画面切り替えながら2次元と3次元のさわりを教えたら、すぐ「4次元ポケットはどうなってるんだ」って叫び始めたからいい兆候だと思う。
ってか、口で言える子も言えない子もそれぞれ自分が好きなものとか、気になることとかいっぱい抱えてるはずなんだ。
一見学校の勉強とかテストとかには直結しないことだけど、知識が多いことは広い意味での理解力に繋がることを無視しちゃダメな気がする。
親がわからないことはわからないで終わらさないで、一緒に調べろとか親も理解れとか言わないから、せめて調べ方を教えてあげてほしい。
上手いこと誘導したら、大抵の子供は自発的にいろんなことに興味持って、親が知らないいろんなことを教えてくれるようになるよ。
私も氷河期世代だったが運良く内定を3つ貰えた。更に私はこの人よりも恐らく愚かな学生だった。Fランクとまでは行かないが微妙な偏差値の私立文系で、しかもサボること遊ぶことばかり考えている典型的なバカ学生で真面目ですら無かった。おまけに就職活動も30社ぐらいしか受けなかった。しかし幸運なことに就職浪人にならずに済んだ。
まずほんとうにあるかどうか知らないが、どう考えても学歴フィルターがありそうなところは避けた。よくある失敗で、ポンコツ大学生が記念受験的に次々に有名企業にエントリしてはESで弾かれるというのがあるが、そういうことはやらなかった。ESを書くのも労力がいるし、受かる可能性が0に近いところにエントリするのは時間の無駄である。万が一、何かの間違いで書類選考を通ったとしても、筆記や1次面接で落ちる。そういう会社は既に自分よりもハイスペックな学生が沢山エントリしているのだ。レベルの違う相手との戦いを避けるのは当然である。
私は当時「事務職=オワコン」と考えていた。当時から事務職は派遣社員や外注、更に中国などへのオフショアが始まっていて、はっきり言って未来があるとは思えなかった。また、父親が某電機メーカーで総務をやって、パソコンや机や蛍光灯をロットで購入して事業所に分配するなどという仕事の話を聞いて、はっきり言ってつまらなそうだと思った。
一方で学生が嫌がる営業や販売、ITは積極的に受けた。ものを売る仕事や作る仕事はなくならないと思ったからだ。ただ文系なので作る仕事といえばITぐらいしか無かったのだが、それでも自分が作ったものが世の中に出て行くというのは非常に魅力的に感じた。
しかし外食産業や介護、運送業は受けなかった。理由は後述する。
就活が始まって最初の頃は、興味のない会社や業界の説明会にも積極的に参加し練習代わりに面接も受けていたのだが、やはり興味のない会社の説明会ほどつまらないものはなく、電車賃の無駄と感じるようになり、興味のある会社だけ受けるようになった。要は「受かったら入りたい会社」だけ受けるようにした。入りたくもない会社に入っても仕事が苦痛になるだけだし。
外食・介護・運送といえばブラック企業という言葉が一般化する前からブラック業界で有名だったが、これらも単に興味が無いから受けなかっただけである。
内定をもらった会社は、いずれのところも人事と仲良くなった。自分が入社したらもしかしたら一緒に働くかもしれない相手である。仲良くしておいたほうが得だし、逆に仲良くなれないような人が採用担当をやっている会社は何かヤバさを感じだので辞退したり、面接を適当にして落ちたりした。ただ2社に辞退の連絡をする時非常に心苦しかったが、ちゃんと話をしたら応援してくれた。まともな会社の採用担当はオワハラなどしないのである。
営業職→WEB関連に転じ、何故か人事で採用をやっている。あれだけ事務職はオワコンと思っていたのに仕事はそれなりに楽しい。しかし現場への未練もある。なんというか人生はままならないものである。ただそれでも「この人と一緒に働きたい」と思ってもらえるように努力しているつもりである。
もしお祈りメールに悩んでいる学生がいたら、あまり深く悩まないで欲しい。単にミスマッチなだけで、あなた自身に問題があるわけじゃないから。
http://anond.hatelabo.jp/20150119185257
点数と志望しか書いてないけど、ご両親はどういう意見なのかな。
一人暮らしはありなのかとか、浪人はありなのかとか(どっちもお金がかかるよね)、その辺の事情は軽視できないと思うんだけど。
あと志望を変えることをそもそも視野に入れていたのかどうかというのも。
志望変更は視野に入っていなかったという前提で書くと、個人的には志望を変えない方が安全だと思う。
これまで阪大基礎工目指してきたなら、二次対策だってそのためにやってきたと思うのだけど、今から志望を変えるとそっちに向けた対策を相当な急ピッチですることになる。
たぶんそれなりに情熱がないと難しい。
とりあえず私は京大のことしか知らない(おまけに文系だし受験生だったのは10年以上前なので間違ってるかもしれないけど)のでその話をしてみよう。
二次試験は文系だろうと理系だろうと国英数があって、そこに文系なら地歴、理系なら化物生から選択だったかと思う。
基本的にどの科目も記述がメインなので、もしそれに慣れていない場合にはまず記述形式で答案を書く訓練が必要になる。
それと同時に過去問の傾向も把握しないといけないわけだ。
センター後から二次試験までにそれができるかどうか。正直あんまり分のいい賭けじゃない気はする。
あと京大工は桂キャンパスにおいやられてしまったので楽しい学生生活という意味では条件はよくないかもしれない。
おおむねネガティブなことを書いてしまったけど、あくまで「その方が安全」という観点からの意見なので、もしもやってみたいと思うんならそれはそれでいいし、あんまりその気になれないけど先生の顔を立てた方がいいというなら後期で記念受験という手段もある。
もしも志望変更も視野に入れて二次試験の勉強してたのであれば、B判定が出てればそこまで無理ゲーってこともないと思う(自分もセンターでようやくB判定出たけど受かったし)。
いずれにしても、自分にとって何が重要なのか考えて選ぶのが大事じゃないかな(家から通える方がいいとかでもそれは全く問題ない。人によってそんなのは違うし)。
小学生のころは滅茶苦茶に勉強ができた。中学入試で誰もが知っている名門中学に受かった。ただそれは記念受験だったので、地元の優秀な私立に行った。中学生の間はその中学の中でも常にトップ5に入っていた。
ただ、高校に入ったころから、何もかもつまらなくなってしまった。何かと理由を付けて勉強をサボることが増えた。それでもそれまでに積み上げた貯金があったから成績は良かったし、模試の成績も安定していた。
高1の夏ごろから勉強をサボって街をふらふら歩いたり、ネットを何時間も徘徊したり、漫画を読み続けたりすることが増えた。それから恋をした。絵を描いたり、ギターを弾いたり、どれも長続きしなかったが色々なことを試した。学年順位が5位以下になるようになり、10以下になるようになり、気付いたら50位を割るようになっていた。
それでも、昔成績が良かったのだからちょっと努力すればすぐ成績は上がるだろうと高をくくり、やりたいことをやり続けた。他校の女子生徒に恋をして付き合った。うちは裕福だったから小遣いもたくさんもらっていた。あり得ないほど貢いだ。総額20万を超える。ただ結局僕は金づるだったようで、あっけなく振られた。俺は精神的な危機に陥り、1か月学校を休学した。ネットを徘徊したり、街を出歩いたり、映画を見たり、やりたい放題遊びまわった。
学校に復帰してからもただボーっと生活した。何も楽しくなかった。感動したかった。心がパッサパサに乾いているのが分かった。愛されたいと心から願った。
高3になるころには成績は平均以下だった。勉強を少しずつ始めたが、驚くほど頭が悪くなっていることに気付く。ハッキリ言って「何も分からない」という状態だった。それに、これまでの怠け癖のせいで勉強に打ち込めるだけの集中力を失っていた。3日勉強して1日休むという感じだった。結局そのまま、今に至る。
今俺は高3である。今週の土曜日にセンター試験を控えている。けれど、1週間前から昨日まで、全く勉強していない。ひたすらネットを徘徊していた。怖い。心の底から試験が怖い。学年の7割が、現役進学、残り3割もほぼ全員が浪人して大学へ進学する学校だ。言い忘れていたが両親はふたりとも医者だ。逃げ場がない。俺はなにもしたくない。けれど勉強しなければならない。どうせ今から勉強したところでセンターの点なんぞ10点も変わらない気がする。
なんなのこれ?
今回のオールアバウト様の企画は、記念受験や受験料回収といった、本気のないエントリーを促すものであり、批判を覚悟で一石を投じようとした我々の取り組みを茶化し、無効化しようとするものです。これは学生の人生に真摯に向き合う姿勢を欠くものとして、大いに抗議したいところですが、判断は学生のみなさんにお任せいたします。
結局なんだかんだで炎上目当てで、実は裏で話があったの?
話はなかったけど乗っかるの?
「抗議したいところですが」とか本気で思うなら、まず、その会社のエントリーとか載せないだろう。
普通に、「一緒に注目集めようぜ、ふふふふふ」としか見えないんだけど。
思いっきり受験生をおちょくってるんだけど、そう捉えるのが正しいんだよね?
敢えておちょくってるんだよね?
説明会もすぐにキャンセルする、エントリーシートが通過しても面接をブッチしてしまう、
馬鹿だねえ、勿体ないよと皆に言われる。
当たり前ができない。
当たり前ができないなら、新しい事をやってやろう!という気概もなく、常識に嫌悪感を持ちながらもレールに乗っかるしか発想がない。
最終までたどり着けたのが本当に奇跡のようなもので、そこはエントリーだけで1万人くらいのいわゆる大手企業。
12月から今まで就活をしてきて面接が通過したのはベンチャー企業1社のみ(しかも二次選考ブッチした)だった。(そもそもそんなに数受けてないんだけど)
ESには自信があったのだが、破滅的に頭が悪いのにテストセンターを通過できたのが第一の奇跡。
グループディスカッションでは、就活始めて以来初のメガンテ君に遭遇しイライラしつつも通過。これは第二の奇跡。
一次面接は、面接後に好きな人に会う約束があったので初めてウキウキしながら会場に向かった。嬉しそうなオーラが伝わったのか通過。第三の奇跡。
二次面接は、自分なりに頑張って業界やら企業やら研究したり、色んな人に話を聞いた。その結果面接の手応えばっちりで、案の定通過。
記念受験のつもりでエントリーしていた企業なのに気がつけば最終まで来ていた。
最終は全く手応えがなかった。
面接官3人のうち、いちばん偉いのかなーと思われるおっさんは一言も言葉を発する事はなかった。
私と同日に受けた人には内定の連絡はとっくに来ているらしいし(byみんしゅう)
けど、こんなクズな私でもここまで選考に残る事ってできるんだというのは発見だったので
最後の最後にチャンスをものにできない自分にとっても嫌になるけどね。
私ってどこまでも馬鹿で、勿体ない。
初めてリーダーを任されたプロジェクトが成功したことで、私は会社を辞める事を考え始めた。
もちろん、以前のように仕事が辛くて辞めたいと思ったわけではなく、
全力で仕事をした結果、私ができることはやり尽くしたと思ったからだった。
医療のSEは激務で、女が長く続けていけるような仕事ではなかった。
こんな生活を続けていたら、いつか体を壊すだろうと思っていた。
どうしても一人暮らしがしたくて、わざわざ東京の大学を受けた。
就職する時地元に戻ろうかと思っていたけれど、まだ少し東京に未練があって
でも地元を離れて時間が経ち、帰りたいという気持ちが強くなっていた。
そんな思いもあり、転職活動を始めた。
活動を始めて1ヶ月、あっさり内定をもらった。
東京の会社ではあったものの、タイミング的に新年度を新しい会社で迎える事ができ、
また、思ってもない程の好待遇。仕事の内容も興味があり、それまでの経験も十分に生かせるものだった。
でも、どうしても会社を辞めるという決心がつかなかった。
5年間勤めた会社。そう簡単に辞められるわけもない。
でも、それだけではなかった。
それを見る事で、彼がそこにいるような、見守られているような気がしていた。
それらをもう見る事ができなくなる。
そう思うと、辞めるという決断がどうしてもできなかった。
最初に内定をもらった会社は辞退し、その後も悩みつつ転職活動は続けた。
これで地元に帰れる。妹や友達にも相談し、その会社に入社しようとほぼ決めた。
そして会社を辞める事で、彼のことにけじめをつけようと思った。
彼の事を忘れたいと思った事は一度もなかった。
でも、どこかでけじめをつけなければいけないということはいつも考えていた。
業界最大手であるその会社の内定をもらえるとは、正直思っていなかった。
その会社が、中途はほぼ契約社員でしか採らない事を知っていたので、
更に悩む事になった。
仕事内容や待遇など総合的に考えると、最後に内定をもらった東京の会社が良いのは分かっていた。
でも、地元に帰りたいという気持ちも強かった。どちらかに決める事ができず、悩み続けた。
回答期限を何度も延ばしてもらった。
最終的には、東京の会社から、希望があれば数年以内に地元への転勤も可能という話を聞いて、入社を決めた。
会社に未練が全くないわけではなかった。
最後は、その気持ちを半ば強引に断ち切った。
会社の寮に住んでいた私は、辞めるとなれば当然引っ越さなければいけなかった。
就職する時に、寮に入らない荷物を実家に送っていたため、まずはそれを取りに行こうと思った。
車を持っている友達に頼んで一緒に行ってもらおう、と思いつき、例の男友達を思い出した。
以前から、私が引っ越す時は手伝ってね、と言っていた。これもある意味引越しだ。
金曜の夜に出発して、西宮へ向かった。
大好きな街。やっぱり帰りたいという気持ちが出てきてしまい、東京の会社を選んだ事を少し後悔した。
帰ってくるのが数年遅くなっただけ。あと少し、東京でやりたい仕事頑張って、必ず戻ってくる。
自分にそう言い聞かせた。
その日は一緒にホテルに泊まった。
こいつ一応彼女いるのにいいのかよ。。とは思ったが、お互い全く異性という認識がなく、
一晩一緒に過ごしたところでどうこうなるなんて考えられなかった。
その日は広いベッドで、くっついて寝た。
5年間友達でいて、しょっちゅう一緒に遊びに行ってはいたけれど、あんなに近付いたのは初めてだった。
体温がものすごく気持ちよくて、離れたいとは思わなかった。
帰りの高速で、「私たち恋人同士にはなれないけど、夫婦にだったらなれそうだよねー」
という話をした。昔から、私たちはよく似ていた。食べ物の好みは見事に一致していたし、
何故か同じタイミングで同じことを考えていたり、相手が考えている事が分かったりする事が多かった。
「でも実際結婚したとして、結婚10年目ぐらいの熟年カップルからのスタートだよねー」
「新婚の初々しさなんてきっと皆無だよねー」なんて話をしていた。
あり得ない事だけど、もし本当になったら、きっと幸せだろうなあ、と思っていた。
無事帰宅し、疲れて寝ていたら、その友達から「彼女と別れた」という報告の電話があった。
車の中で「別れるかも」という話はしていたが、まさか本当に別れるとは思わなかった。
そして彼女の愚痴でも聞かされるのかと思ったら、何故か私たち結婚したらどうなるかなぁという話をしていた。
まさかそんなことあり得ない、とお互い分かっていたはずだったけど、そんな話をしているのは楽しかった。
彼を亡くした後、誰も好きにならないと決めていたわけではないけれど、実際誰も好きになる事はなかった。
今後も、誰も好きになることはないのかもしれないな、と思っていた。
そもそも結婚と恋愛は別物だ、と思っていたから、恋愛を飛ばして結婚だけできるなら、それもありだなぁと思った。
夜は沖縄料理屋で飲み、さてこれからどうする?という話になり、どっかのホテルで飲もうということになった。
帰る心配をしなくて済むからいくらでも飲める、という考えからだった。
飲みながらDVDを見た。見終わってベッドに入ると、彼は突然
「結婚しよう。舞といつか生まれてくる子供を、一生愛せる自信あるよ」と言った。
まさか本当にそんな事言われるとは思わなかった。信じられなかった。でも嬉しかった。
この人と一生一緒にいたいと、本気で思った。
そして彼は「んじゃーまぁ、一応付き合っとく?」と言った。
知ってる人は少数派であろうレーベルで細々と書いている。
自由に出来る時間が一般的な社会人に比べ多いのは執筆上幸いしているけれど、専業になるのは考えていない。
理由は「食べていけないから」の一言で終わってしまう。
今も掛け持ちのアルバイトの一つという扱いに近い。
清貧を貫いて創作活動を続けるほどの表現欲求はないと断言できる。
私が書くのは娯楽、エンターテイメントであって、ブンガクしたいわけではない。
書き物という趣味の始まりは表現欲求だったものの、ある時期から承認願望を満たすためというものに変わった結果として今がある。
自分の中の「作家像」に自分を重ねて憧れていたとき、運良く今の立場を得る事が出来、そこでようやく頭が冷えたのだけれども。
当たり前のことだけれど、「立場」には「責任」が伴う。
無論、(無名とはいえ)作家としての立場を得る前にそれについて考えたことはある。
仕事としての辛さは、趣味と仕事を分けている人間の比ではないだろうと。
実際にその立場になるまで理解はしていなかった。
結局、肩書きとしての職業に憧れていた自分は、子供のそれと一緒だった。
ただ、後悔はしていない。
収入、社会的承認、双方の理由で作家という立場と責任を自分から降ろすことはないだろう。
ただ、時々だけれど、迷う事がある。
趣味として楽しんでいた頃の気持ちを思い出そうと、商業で書いていることを伏せて参加した文芸サークル。
メンバーの多くに、「作家」という肩書きと、自分の創ったものが書店に並び、人が買うという光景に憧憬を抱いていたあの頃の自分が重なる。
「進んでないのに、別のネタばかりを思いつく」
「執筆してたものより、途中で思いついた話のほうが筆が進む。こっちに鞍替えしようかな」
などと語り合う彼らは、安易に期限を延ばすし、記念受験でろくろく推敲もしていない作品を応募する。
自分はちゃんと前に進んでいる、行動していると自分に言い聞かせたり、周囲に主張したいらしいことが見ていてよく分かる。
発奮材料になっている人もごく稀にいるけれど、彼らの殆どは行動している自分に満足している節があり、結局「(彼らにとって今の)ゴール」に辿り着かない。
壁を越える事がない。
それは今後も(彼らにとってのゴールに辿り着けないことも含め)変わらないと思う。
きっと、過去に作家の卵だったことがあると(何らかの公募で選考に通った経験があるなら尚更)語るだけになるのだろう。
もしくはなかったことにするのだろうか。
そんな彼らの中の一人にならなくてよかったと思う私と、責任が自分自身の範囲で収まっているが故の自由を羨ましいと思う私とがいる。
こんなものは、就職して働いている人ならば誰でも思っていることなのだろうけれど。
http://anond.hatelabo.jp/20100405171419
下読みのバイトした人がこないだ投下してたけど、俺が丁度真っ最中。
現実逃避にこれ書いてる。
酷すぎ。
何を思って応募してきたんだっての多すぎ。
出版される前提ってのが分かってるとは到底思えない。
商品になるんだぞ。
人が金を出して買うんだぞ。
過去の受賞作読んでれば、雰囲気だけでもわかるんじゃないのか、自分がそれだけの力があるかなんて。
記念受験とか運試しとか、そういう理由で応募した奴は今すぐ死ね。
実力足りてない自覚があるなら、余計な手間増やすような真似すんな。
見覚えのある奴(複数応募してるとか、他賞や以前の応募を覚えててロクな印象が残ってないとか)の作品に当たった日には、読む前に萎える。
応募作品の審査はちゃんとやってるけど、何度も落ちてるとそういうのがあるってのは心に留めとけ。
下読みする側も人間だから。
とりあえず「下読みのバイトした」の人みたいに俺も並べてみる。
1.話が始まらない
物語開始からしばらくを設定解説やそれに順ずるものが占める。
前の人も書いてたけど、これが多すぎる。
どこから話が始まるんだよ。
いつになったら話が進むんだよ。
舞台と人物の詳細設定やそれに関わるサイドストーリーなんて今はどうでもいいんだよ。
登場人物動かせ。
起承転結の起にすらなってない。
即ハネて次にとりかかりたくなる筆頭。
でも、ただ単に特徴列挙してるだけの描写のキャラってなんなの。
BOTか何かかよ。
登場人物を書く本人が把握してないのか、テンプレが素体のままでキャラクターにもなっておらず、黙ってると空気キャラになってることも珍しくない。
それを避けるためか無理矢理喋らせて、ありがちな掛け合いになってたり。
会話ブロック、地の文ブロックというように塊が並ぶ傾向も高く、テンポが悪い。
下手な芝居を見せられてるのと同じ気分になる原因筆頭。
3.勢いだけ
あらすじで「ハチャメチャコメディー」とかご丁寧に申告してくれるアレなケースもある。
実際にハチャメチャなのは構成なんだけども。
話が進んでるようで進んでない、転がってるようで転がってない。
起!
承!承!承!承!承!承!承!承!承!承!承!承!
とか思ってたら、いきなり
結!
最初から最後までずっと同じところでダバダバして、強制的に話を収束させるようなのが多い。
話の展開って知ってる?
求められてるのは物語であって実況中継じゃないんだが。
4.描き込みが足りない
今どういう状況なんだよ。
それぞれのキャラはどこにいるんだよ。
何してんだよ。
申し訳程度の情景描写とか、書割かよ。
下書きや絵コンテみたいな描写しかできないのに、なんで小説書こうと思ったの?
スレ小説みたいに台詞とト書きの台本みたいな読み物のほうが、割り切ってる分マシ。
ちょっとストレス発散できた。
次の読む。
年間にラノベ新人賞に応募する人間の数が5000を下回ることはなくて、受賞したり拾い上げられてデビューするのはその中の1/100くらい。
まぁこれの上位よりはマシってくらい。
http://2chreport.net/com_88.htm
中学のときの受賞歴なんて過去の栄光だってのは言われなくても分かってるはず。
見込みのある人間はあちこちに応募してるとどこかしらに引っかかるんだよ。
受賞にしろ拾い上げにしろね。
応募するレーベル絞ってたのなら広げてみれば可能性は広がるだろうし、片っ端からだったのなら見込みがないということ。
それぞれの賞に応募する作品を用意してから片っ端に応募してごらん。
落ちても選評をもらえたのなら、それを反映して別のところに応募する。
記念受験じゃない限り、こういうのは大体2年もあれば結果が出るよ。
絶賛現実逃避中です。
さて、今日はリクエストのあった、新司法試験の出題趣旨についてコメントしたいと思います。
と思ったんですが、今年のは受けてないので、新司法試験について一般的なあたりを述べてみたいと思います。
旧試験は、大卒なら免除になる一次試験の後に、択一と論文からなる二次試験、最後に三次試験として口述試験がありました。
そして、択一の合格発表は論文試験前に出るので、択一対策と論文対策を分けて行うことが出来ました。
しかし、新制度では、一次試験と三次試験がなくなった代わりに、択一と論文を同日程で行うこととなりました。
そして、択一の出題範囲は、旧試験では上三法(憲法、民法、刑法)だったのに対して、上三法に加えて、商法、民事訴訟法、刑事訴訟法、行政法も出題範囲に加わっています。
論文科目についても、行政法が加わっていて、さらに、専門性のある科目が選択科目として追加されています。
論文では、公法系、民事系、刑事系、選択科目について、それぞれ3~4時間かけて、超長文の問題を扱っていきます。
そして、ロースクール卒業後5年以内に3回しか受けられません。
よく、新司法試験の合格者は、旧試験の合格者より質が劣る、という言説が聞かれます。
実際に、今の司法試験の合格率は非常に低く、合格者が少ないので、質が高いのは間違いありません。
もっとも、以下のような事情もあります。
つまり、新制度では受験回数の制限があるので、記念受験などあり得ないが、旧試験ではそういう受験生が多い。
また、上述のとおり、試験自体が過酷になっていて、法律知識以上に、高度な情報処理能力が要求されている。
そう考えると、言うほど質が粗悪というわけでもないような気がします。
そして、質が低いの一例としてあげられている、2回試験の合格率の低下ですが、これもおかしい。
というのも、質が低いと言われ出したのは、司法試験の合格者が増え始めた時期ですが、これは同時に、司法修習の期間が短くなった時期でもあるのです。
また、かつては司法修習は2年間でした。それが現在では1年です。身につけるべき事項は、新制度の施行とともにどんどん増えていきます。
もっといえば、「弁護士と1度酒を飲みに行ったら就職が決まった」というようなかつての牧歌的な就職状況とは違って、現在では、弁護士業界は超氷河期です。
出来なくなって当たり前のような気がします。
今回2振した下位ロー卒でよければ。
この2点を満たせば可能だと思う。
何せローは課題が多い。
えんしゅう本のコピペで済まないような課題を、矢継ぎ早に出される。
東大とかは課題が少ないようだけど、俺の所は1年目から夜10時まで学校で判例検索とレポート作成で必死だった。
実力があっても進級がヤバいという馬鹿げた事態がありうる。
駄目な教授は課題の出し方がおかしくて、1年目から地裁判例を比較させたりする。
幹となる条文と基本的な要件効果の理解、最高裁判例も押さえてない段階でだぜ。
加えて、リーガルマインドだのなんだの、試験と関係ない科目でも課題を課される。
特に純粋未修は悲惨。大学は入学者の最低レベルに合わせて講義するわけではない。
条文に初めて接しましたというレベルなのに、瑕疵担保責任の法定責任説と契約責任説どっちがいいね、なんて訊かれるんだぜ。
基本書を調べようにも、自分のやってるところが体系上どこに位置するかもわからない。
夏までは自分の勉強が出来ないまま消化不良で駆け抜けるのが恒例行事で、うちの場合脱サラおばさんが最初の学期で3名辞めた。
俺は夏で追い上げて2年目で人並みになった。
早慶既習者レベルじゃないと苦行になるぜってのは、そういうこと。
以上は修了して法務博士になるための最低限で、司法試験に受かるには全然足りない。
東大ですら相当数が落ちているように、条文学説判例に答案演習を年中ガリガリやっても落ちる人は落ちる。
何せ受験生は記念受験なし、全員が院生、数百万円と就労機会を捨てて挑む連中だ。
そんなガチンコ集団が磨きに磨いて勝負して7割以上が落ちる。
これは厳然たる事実だ。
そんな試験で勉強以外の余技にかまけていたら、よほどの天才でない限り勝てっこ無い。
社会人でも働きながら学べるというのは5年も前の謳い文句で、今信じちゃダメだ。
参考までに、司法試験の問題と参考答案を。(俺のじゃないよ)
短答式ってのはマークシートで、得点率6割が最低ライン。配点システム上8割正しくマークして6割得点というところ。
修了するまでにこういう答案をほぼノーミスで書けなきゃならない。
問題
http://www.moj.go.jp/SHIKEN/SHINSHIHOU/h21-22jisshi.html
http://www.moj.go.jp/SHIKEN/SHINSHIHOU/h20-21jisshi.html
再現答案 下のほう
地方中堅国立大学卒後,東大院のM2俺の意見は元増田と逆だなぁ…。
以下,理由。
1.就職しようと思ったら,有利
2.研究職に就きたいと思っても,有利
1.については色んなところで言われてると思うんで,割愛してさせてください。
で,2.なんだけど。
なんで,有利かっていうと,
書き方のノウハウやそれに向けての業績の作り方がとても大事だと思った。
Dに学振持ちが何人もいるってだけで,成功した申請書を参考にできるわけだし。
研究室として「学振出すよね?じゃあ,M1からそれに向けて学会発表や論文出してね。」って感じだと色々と違ってくる。
一方,こないだ出身大学に遊びに行って,同期でそのまま挙がった人と喋ってたら「学振ってなに?」って言われたし。
自分でアグレッシブに行動できない俺みたいな人こそ東大のがいいかも?
(アグレッシブな人ほど周りの評価を気にして,東大とかは辛いのかもしれませんが…)
俺の分野は社会科学なので,そんな研究費ははあまり関係ないだけど。
自費じゃなくても,国際学会に行かせてもらえたりすることもあるらしい。
あと,地味に利用できるジャーナルの数も出身大学よりも東大の方が多くて助かってます。
優秀なDが多いから,自分の研究のアドバイスや論文のチェックをしてもらえたりもする。
なんていうか一言で言えば,「ここで研究者になれなかったら,自分が100%悪い」という環境です。
もちろん,地方大学の院が全部ダメなんてことはまったくないです。
ただ,東大や京大の方が研究者になりやすい環境である確率が高いんじゃないかなと思ってます。
自分の環境も,東大と指導教員という2つの要因によって成り立ってるから,東大だけじゃだめなわけだし。
あと聞いた話でほんとは知らないだけど,指導教員の名前で学振の今後の計画の実現度が判断されるかもとも聞いた。
つまり,○○先生の指導なら,この計画は実現可能だろう的な感じかな?なんで,先生の名前も大事だと思います。
で,結局,何が言いたいかっていうと。
良い指導教員と良い研究環境に東大だと出会える確率が高いってことかな。
案外,自分の専門どんぴしゃじゃないと優秀かどうかは周りはわかんないんで,
東大・京大でも別に見捨てられるってことはないんじゃないかな~。
(学会発表もしないくらいだったら,別だろうけど……)
落ちこぼれな俺が言うんだから,間違ってないはず…。
ちなみに俺が東大院に入った理由は
指導してもらいたい先生がたまたま東大に居て,記念受験したら受かったからだけだったりします……。
自分の経験だと(現在職歴なしのストレート博士課程在籍だが、学部卒・修士了の新卒向け就職活動も少し経験有)、
学部卒・修士了の場合、オンラインのエントリーサイトで履歴書(相当内容)と志望動機を入力させた上で、さらに、
本当のエントリーや書類選考、面接の段階では、手書きのエントリーシートを提出させる会社がほとんど。
で、そのエントリーシートの内容が、事実上の会社指定様式による履歴書だから、
やっぱり事実上、就職試験のために手書きの履歴書を要求していると言っていいと思う。
で、そういう手書きの書類を作製させて、大雑把な性格ではないか、ちゃんとマメな仕事ができるか、
コピペでなく手書きの労力を払ってでも受けたいと思っているか(記念受験のゴミエントリー排除)、
といったあたりを会社は見ているみたい。
で、これも会社によるっちゃそうなんだけど、
博士了の場合には、一般的な就職ルートよりも人事や研究所と直接掛け合って就職することが多いから、
やっぱり手書きで市販の履歴書に記入して用意すると思う(僕がいまお世話になってる就職相談所は、そう指導してる)。
もちろん、博士の就活の場合は業績一覧とか研究来歴なんかも添付するから、
履歴書以外のページは計算機で作製してるし、履歴書自体も計算機で作っていいところもある。
それでも、オンラインで一貫処理するためというよりは、xlsやwordの指定様式に記入して印刷してね、
という発想で。