はてなキーワード: 素体とは
服のシワとかで体の厚みを表現するんだって。知らなかった。正しい服のシワを追いかけて生きてきたけど、ここでも見映えを最優先しないといけないようだった。よく考えたら完璧に正しいものなんて描けるわけがない(存在しない)んだから、そんなの当たり前だよなあ。
Instagramがいいねの数を出さないようにする試運転を始めている。もしTwitterも同じ仕様になれば、もう一度Twitterを楽しめるんだろうかと考える。好きだった絵を見れるようになるのかと思う。ただひたすら絵の練習をして、絵を置くTwitterのアカウントにアップして、通知は怖くて全て消していて、数字が出ないクライアント以外からは自分のつぶやきすら全く見れない。
数に惑わされて何もかもわからなくなりたくないから、何も見れない。
絵を描くのが好きで、1日クロッキー帳10枚くらい練習をする。描けない部分の練習と、人間と素体のクロッキーを交互にやる。ものを面で捉えるのが下手なので、そういう練習方法をとっている。
体を描くと顔が描けなくなる、顔を描いているとバランスがおかしくなる、髪が変になるなど日々対応すべきことが起こるので、飽きない。線を引くのが好き。引いた線が、ものの形になるのが好き。
ただ、ご機嫌で絵を描いて、100点満点だ! とツイッターへアップすると、それまでの楽しい気分はどこかへ行ってしまう。私の100点満点は、他者にとっては糸くずみたいなもんだと可視化する。
そんなことで揺れてしまうの、嫌ね。
ガンダムOO西暦2309年ごろ、ジンクスとともに運用することが想定されたティエレン。
当時は、擬似太陽炉の解析、量産、改良の行き先が不透明だった。
そのため先の対ソレスタルビーイング戦で辛うじて損傷が少なかったジンクスに搭載されていた擬似太陽炉は、大変貴重なものだった。
しかし、その貴重さと天秤にかけてもなお、国連軍としてジンクスを運用せざるを得ない状況は多々あった。
仰々しい説明を重ねてしまったが、要するに機体より先にパイロットが動けなくなったケースや、突発的なトラブルにより動けなくなったケースなどで、すぐにそこへ向かい太陽炉を回収するのが目的のモビルスーツである。
そのため、特に装備などはなく、モビルスーツでなくワークローダー、それどころかオートマトンでも同様の運用は可能であろうと想定される。
それでも、この素体にティエレンが使われたのは、国連軍として三大勢力がまとまったからこその人革連への忖度があったと目されている。
その性質上戦闘行為を行うことは殆どなく、またジンクスIIやIIIの量産以後は、ペルゲ・ティエレンとの同時運用がされることは無くなっていく。
声無しアイドルを担当していて、中間発表までずっと粛々と担当に票を投じ続けていた。
中間発表以降は夢見りあむに投じている。
担当はTOP10入りはおろか、属性別の最終順位にも、中間発表にも入ったことのない声無しのアイドルだ。
下手するとデレステしかしたことのない人には名前すら認識されていないかもしれない。それでも好きなので、黙々と票を投じていた。
ここまで来ると総選挙なんて単なる自己満足だった。自分だけでも彼女に票を入れないといけないような気がして、ランクインするかどうかなんて考えないようにして、ただ票を入れていた。
ダイマをした年もあったが結果は何も変わらなかった。なにか大きな波が来ない限り担当は日の目を見られないだろう。
総選挙がステ合同になってますます声付きのアイドルが強くなっていく風潮を感じながら、それでも投票行為は辞められず漫然とポチポチし続ける日々。
運営には不満だらけだった。ボイスと曲を最初から手にした新アイドルの実装。いつまで経っても来ない担当のSSR。だんだんしょぼくなる衣装、進化しないMV、挙句の果てにはモバの方にステのSSRを使い回すといったことまで始まった。
今後に一切の期待が持てなくなった時、目に入ったのが夢見りあむ中間3位の速報。
笑った。まさかここまで上位にくい込むとは思わなかった。
正直、夢見りあむのことが嫌いだった。ネット上にいそうなサブカルメンヘラ女子の悪い所を煮詰めたような彼女はシンデレラガールズという世界にふさわしくないとすら思った。
けれどなんだかんだ彼女は必死だ。自分の承認欲求を満たすという浅ましさを隠そうともせず取り繕わず、アイドルをやろうとしている。
担当になるまではないにしろ、まあそこまで悪いやつじゃなさそうだ。少なくとも声もなければSSRもないし。
実はそれが一番重要だった。運営からの推され方が、あの4人とは違う。要は私にとってあの4人の方がよっぽど夢見りあむより許せなかった。彼女たちは最初から、私が担当に与えてあげたくても絶対に与えられないものを持っていた。
正直あの4人がいなければ夢見りあむのことは許せないままだっただろう。
けれどもう私は許してしまったし、夢見りあむは中間3位の座を勝ち取った。
おおよそアイドルらしからぬアイドルである。まだバックボーンも十分でない。エピソードもない。見た目と設定だけの産まれたばかりのアイドル。
そんな彼女が1位になったらどうだろうか。なんにも持たない、運営に推されもしていない、そんな彼女が1位になってしまったら。
結局、いいエピソードがもらえたり出番が多かったりと、運営の匙加減ひとつで人気は決まる。
プロデューサーがいくらダイマに精を出したところでたかが知れている。夢見りあむはそれを別方向から証明したと言えないだろうか。まだ彼女にはダイマするための材料なんてほんの僅かしかない。
プロデューサーであるお前の頑張りが足りないから、お前の担当アイドルは7年間も声がつかないんだと、そう言われることにもう疲れた。
夢見りあむにシンデレラガールになってほしい。総選挙丸ごと茶番にして欲しい。
あの上位の子達の中で、シンデレラガールになることで、総選挙自体に大きくヒビを入れられるのは夢見りあむだけだろう。
私は彼女を神輿に使っている。シンデレラガールになったら運営に持て余されて雑な扱いをされて1年後には忘れ去られてしまうかもしれない。
それでもいい。彼女がこのコンテンツで長く息づいていくことを望んでいるプロデューサーが一体どれだけいるだろう。きっとそこまでいない。彼女はまだ産まれたばかりだから。
そしてガラスの靴に価値を見出すことなく粉々にして、シンデレラガールなんてチョロいって笑ってくれ。
そのために票という薪をくべる。
夢見りあむが嫌いなPaPが自然発生して多くのオタクが待ちに待った最高の泥沼展開が繰り広げられているので、そのテンションに乗りつつここに持論と呪詛を振りまいておく。
個人的にあれを読んで思ったのは、「で?」である。新キャラに負けたとすれば、たとえそのキャラがクズであったとしてそれを超える魅力(というか性癖)が多くの人に刺さっただけのことであり、ぶっちゃけ認めるしかない。
あれを書いた人にも色々あるのだろう。確かに、今年ボイス圏内に入りそうだったのにいきなりりあむに殴られて怒りを抱いてしまうのも分かる。夢見りあむの発言は噛み合わない人間には本当に噛み合わないし、アイドルは使い捨ての嗜好品と言われてキレる人もいるだろうし、そんなこともあるよ。うん。やっぱ見てて面白いは夢見りあむ。言ってることが割とあってるのがおもしろくんさんだわオタクはちょろいし。
話は変わるが、夢見りあむにはなんだか才能がありそうらしい。だが、夢見りあむの一番の才能とは何か。
それは、前を見ないことが出来るところだと思う。
いや、見てるかもしれない。というか見てる。詰むってわかってる時点で見てはいる。コミュ見てもわかるけど見てはいる。でも詰みかけな時点で先が見えてないでしょ。あなた一年後何してるか想像出来ます?人生の転機にいる時って一年後マジでどうなってるか分からないじゃないですか、不安でとにかくいい方向に持ってこうとするじゃないですか。でも夢見りあむはそれをしないことが出来る。出来たから詰みかけでPに出会ってしまった。そんな夢見りあむのメンタルは、建築を25mプールみたいな量のボンドでかためてるようなもん。何がザコメンタルだ、素体がザコなだけで補強剤が強すぎるわ
また話は変わるけど、私は別に夢見りあむに悪い印象は持っていない。夢見りあむがいようがいなかろうが、クズだろうがクズでなかろうが、それはなんの害も持たないからだ。
先程言った通り、夢見りあむは今のところ多くの人間の性癖パズルピースにベストマッチしてるからこそなんかのびてる。昔流行ってた角栓ゲームの中級者上位層みたいな伸び方をしている。そんだけ。
言ってしまえば悪意、もしくは邪な意思が存在しない。運営にはあるかもしれないが、少なくとも可視化された悪意はTwitter上には流れてこない。むしろ悪意の受け皿になってくれてるレベルだと思う。
あと、そもそもガチの担当がまだぜんっぜん少ない。実装2ヶ月で15万円分入れ込める人は皮肉ぬきで尊敬出来るしそういう行動力とか好きなものをとことん好きになれる精神性とかほんと羨ましいが、そんな人間は多くない。
だから、無理矢理にでも票をりあむに寄せようとしたりしていない。いたとしても全く目立ってない程度しかいない。
良くも悪くも、担当Pの印象はアイドルにもかなり反映されてしまう。夢見りあむPはそもそもまだほとんど白紙であり、夢見りあむ自身はともかくそれを拡散する夢見りあむPには汚点が極めて少ないのだ。比率は知らないけど少なくとも絶対数は少ない。だから印象が悪くないのだ。
随分と書き散らかしてしまったのでまとめると、
「夢見りあむはクズ」
「夢見りあむにはメンタルを崩さないタイプの才能も備わっている」
「夢見りあむに人の悪意は見える形では絡んでいない」
である。だから私は夢見りあむについて悪印象はそこまでないし、声つくならついて炎上するところを見せてほしいくらいである。あとAKRコンビにもついてほしい。
少なくとも無根拠サプボ説流布して票誘導するPがいるアイドルとか気に入らないアイドルの大百科を誹謗中傷に書き換えるPがいるアイドルよりは印象いいよ。少数でも見られたら印象ガラッと変わるから皆さん気をつけて。
意志の力が生体構造を凌駕できるというならそういう人もいるで済むが人の体の構造は意志の力ではなんともならん
意思がどうであれそういう時期がくるとかそうすべき時期というものがある
制限がゆるくなり個人が選択できる幅が広くなったものを自由だとしてそれに選択肢があり対象も広くあるとすれば
それは性別においてグラデーションになるべきで男女の垣根は超えない
超えることができるとすれば肉体を改造するか肉体の機能を諦めた時になる
どこまでいっても女性は女性だし男性は男性で 機能はあるが使用しないを前提にするならそういう規約でもないかぎり
機内では発砲しないし、発砲をするつもりもないし、発砲してはいけないことを十分に理解していると言ってもやはり持ち込みは全面禁止になる
結果において性別を問うものではなかったという事象があったとしても逆説的に性別的な差はないものとする理由がない
性別にかかわらないと言うのであれば女性が活躍するために男性ホルモンを接種して生理をとめて身体能力を強化することになんら疑問を感じないはずだし
男性が職場環境に適すためと女性ホルモンを接種し服装を女性にして女性用の設備を利用することも問題ないはずである
仕事、賃金については平等であるべきだとするならばその素体について差が発生しない条件によるはずだ
つまり賃金があがらない理由が発生する場合それぞれの身体の基本的構造と労働形態の一致不一致があり差が発生するということだ
そういう局面の切り出しを行えばそうなるということだ
女性の給与が低いということについて女性の特徴が多くみられるから一概にそういう傾向であるという視野においてなら逆説的に女性であることを等価とできるだろう
そうでない場合はそうでないという傾向として一概に言える業界や職場もあるだろう
平等というものをそれぞれの差を埋めることで得られるものだとするとか多様性を認めることが平等であるということとするならば
それぞれが完全に別個で異なる条件をもっているものに平坦にフィットすべく完璧に不平等を施さざるを得なくなる
大きく出っ張った突起と低くくぼんだ穴が入り混じるでこぼこの壁を埋めるために平にセメントを塗ったとすると
セメントの厚みは薄い所と厚い所ができる
どのような局面においても平坦に平均を行える人造人間のような性別や身体構造を改造した人間でもないかぎり性別の問題も特徴の問題も一概にまずくくられてこそ平等を目指せる
もはや男女の性でも個の問題でもなくというのは身体構造を機能させたまま人間的な生活を希望する上で平等を模索することについて非常に差別的だといえる
鏡のように磨かれたタイルの上に電話ボックス程の機体が一台置かれている。
見た目は真っ白なただの箱かな。
4面のうち1面にカーテンが取り付けられていて、その奥にタッチパネルとタッチペンが用意されている。
液晶に「画面にタッチしてね」の文字がピンクで点滅していて、タッチすると画面が切り替わった。
画面の左側には三頭身ほどの人間の素体が表示されていて、のっぺらぼうでばんざいの格好をしている。
画面の右側には目、口、鼻、顔の形、のボタンと、その下に顔のパーツが複数並んでいる。そのスクロールバーがどえらく小さくて大分下までスクロールできる事がわかる。
ただ、中には選択できないパーツもあるみたいでグレーアウトしてるパネルもチラホラあった。
そして画面の右上端には60の数字が。
この数字は刻々と変化していて、59、58……どうやら制限時間らしい。
初めは目のパーツ、口のパーツと選んでいたがなにぶん数が膨大で選びきれそうも無い。
画面の数字が30を切ったところで諦めておまかせボタンで作ることにした。
が、これもくせ者でなかなか思った顔にならない。作った顔の一時保存もできないので次にいい顔が出る保証もない。
制限時間が終わり、画面に「この顔でいいですか?」のピンクの文字と「はい」のボタンが表示された。
あ、これキャンセルとか無いんだ。
「異形の男性を愛する普通の女性を描いた作品では真実の愛と評価される」
「異形の女性を愛する普通の男性を描いた作品では歪んだ愛と評価される」
「その為か前者の作品と比べて後者の作品はとても少ない。ここでも無意識のうちの性差別が表れているのではないか」
と。
本当に少ないのか、歪んだ愛と評価されているのだろうかと考えてみた。
異形の男性を愛する女性の作品と言われれば、真っ先に思いつくのが美女と野獣だろう。
千と千尋の神隠しやハウルの動く城等のジブリ作品が思いつくが、こちらは人間の形をとることもでき、実際作中の大半を人間の姿で過ごしているので、今回は少し違うと思う。
千尋は龍の姿のハクを愛したわけではないし、ソフィーもハウルの魔物の姿を愛したわけでもない。
しかし異形の姿をとっても愛を失ったわけではないから同じことか。鎌爺なんか作中ではっきりと「愛だ、愛」と言っているし。
ゲームの世界だとピーチ姫を攫う大王クッパが思いつくが、こちらはピーチ姫が好意を寄せているわけじゃないので除外。
しかし作品のテーマ、もしくはキャラクターの設定としてよく見かけるものではあるといえるだろう。
異形の女性が登場する作品となると、一番に思いつくのは人魚姫だろうか。
しかし彼女は王子に会うために声を失い、激痛を受け入れながらも人間の姿になっている。
それにそもそもその恋が叶わず泡となって消える悲恋の物語である。
また古くからある日本の物語で思いつくのは妖怪、とりわけ雪女だろうか。
しかしこちらも姿は人間であり、氷柱や雪だるまの姿で登場するという話は聞いたことが無い。さらにこれも人魚姫と同じく、結ばれることのない悲恋の物語。
ファンタジーに登場する魔物のラミアやケンタウロスなど、上半身のみ人間の女性の形を取り、下半身は動物または魔物の体をしているキャラクターもいる。
デュラハンやろくろ首のように首から上だけ異形の形を持つ者もいる。
それらと恋愛関係になる作品はいくらか思いつくが、特殊性癖だとの扱いを受けることは否めない。
暴論になるかもしれないが、ジブリのように子供も見る場所においても問題無いかと言われると、微妙なところだともう。
余談だが格闘ゲーム『Guilty Gear』シリーズにはジャスティスというキャラクターが居る。
作中用語でギア、素体と呼ばれるが見た目は完全にロボであるが、独立した思考と女性の人格を持っています。
ただ恋愛関係にあったか、といわれると、正直微妙なところかと。
ROBOT魂の方がガンプラより可動範囲も広くアニメのイメージがキチンとトレースされてる問題。
なんでガンプラではプロポーションのアレンジをいつもしちゃうのか理解できない。
頭小さく足が長く、どんなキャラクターのガンプラでもバカの一つ覚えのようにこれやってくる。
あげく表面を細かく凸凹させてアニメのイメージはまるっきりどこにもなくなってしまう。
ROBOT魂はまずそのキャラクターを代表する場面をちゃんと再現することをスタートとしているような気がする。
ちゃんと再現できるとプロポーションが良い!って思えるしそうそうこれが欲しかったんだよ!って気になる。
そのあとこんなとこが動きますよ、とかシーンを再現するのにこういう可動をしますよってのを見てなるほどな!とまた欲しくなる。
俺は自分で作って出来る範囲で改造して塗装して楽しみたい派なのでなるべくならプラモデルという形で欲しい。
ROBOT魂は完成品だからパーティングラインとかふちの厚みとか塗装とかディテールの入り方などの細部がやはりちょっと厳しい。
ROBOT魂レベルの素体があればいいなっていつも思ってるけど、どうもプラモデル部門は別の爪痕を残したいようだ。
近年の製品でいうとドライセンとバーザムとハンマハンマはアニメイメージで作り直してほしい。とくにハンマハンマは完璧な別物だからアニメ風にするのはフルスクラッチレベルだ。
最新作のガルバルディはわりとちゃんと映像イメージが反映されてると思う。
なんとか頑張ってほしいと思う。
スクショ見ただけだけど、
あんな三下悪役みたいな台詞吐く役を一話使い捨てのモブじゃなくてサブメインくらいのキャラにやらせてたの?
うわー。
かつて彼女は、園児の泣き声で集中力が乱れるからと保育園にクレームを入れ、その時のトゲパワワがオシマイダーの素体に利用されたことがある。
うわー、うわー。
そこは「うるさくすると困る人がいるから静かにしましょうね」じゃないの?幼児向けで、幼児を教育する目的ならさあ。
「今の母親はこういう事考えてるんだからそれに媚びてりゃ許されるだろw」と言うノリで作ってる感じ。
まあ分かるよ、育児なんてろくにやってないであろう男性が育児という地雷原をテーマにして母親が見るアニメを叩かれないように作れと言われたら
今の育児界で話題になっている事柄をリサーチして、そこで表向き「正論」とされてる事に従う、って方針になるだろうとは思う。
ネットでも割と話題になっているのでなんとなく知っている人が多いと思うが、今年のプリキュアはとりわけ出来が良い。
ベテランの佐藤順一監督がこれまでのキャリアを全部ぶち込んで全力で殴りに来ているような出来の良さである。
ストーリー・セリフ・キャラクター造形に関して、よく練られているというか、あらゆるツッコミを想定して作られているような盤石ぶりを感じた。
あらゆることに対して相当な配慮がなされている作品だと感じた。
しかし、それ故に私は少しその「正しさ」が怖かった。
吉見リタがファッションショーのテーマに「女の子だってヒーローになれる!」を掲げた時、私は「こんなにわかりやすくメッセージ性を掲げてしまって大丈夫?」とかなり不安になった。
もうこの時点で、放映後にはジェンダー的論点から語る人がたくさん出てくるのが想像できて、いやになった。
そして、アンリに対してはなが「いいんだよ!男の子だってお姫様になれる!」と言ったとき、ああ、この回は「そっち」に持ってかれちゃうな、と思った。
どういうことかというと、
私が恐れていたのはこの三つである。
一つ目。
この回では、「女の子だってヒーローになれる」「男の子だってお姫様になれる」という二つの言葉によって、「ジェンダー」という特定のテーマばかりが強調されてしまっている。
しかし、物語は特定のメッセージを伝えるだけのものではないはずで、あらゆる側面を持っているはずである。
この回はシリーズの第19話であり、当然それまでのお話と地続きの物語であるわけで、そのテーマ以外のあらゆる側面が存在するはずである。
例えば、佐藤順一監督がツイッターで言及していた、えみるとルールーの関係。
『HUGプリ』19話の脚本は坪田さん。ルールーの方がえみると二人であることを大切に思ってて、えみるの方がルールーと自分は違うと感じている事がセリフでなく会話から自然に感じられて、そして子供たちに伝えたい事はきちんとセリフにする。届けたい思いのある脚本、素敵ですよね。 #プリキュア— 佐藤順一 (@satojumichi) 2018年6月10日
この二人の、「ふたりでプリキュアになる」という目標につながっていく感情の動きがこの回では描かれていた。
他にも、正人のトゲパワワをもとに作られたオシマイダーに対し、アンリが「君も苦しいんだね」「自分を愛して」と言ったこと。
一言では片づけられないような正人の苦しみが存在していること。
そして、「自分を愛する」という言葉に対し、ルールーが反応していたことにも、ジェンダー的テーマ以外の側面が感じられる。
別にジェンダー的なメッセージは、お話の一つの側面に過ぎないわけで、その一つの側面のみで作品が語られてしまうのは、正直残念である。
二つ目。
「ジェンダー」というテーマが独り歩きし、キャラクターに、そのテーマに対応する「役割」が付されてしまっている。
代表的な例が、えみるの兄、正人だ。
彼は「ジェンダー」的な観点でいえば、いわゆるステレオタイプな古い価値観を持った人間として見られるように描かれている。
だがしかし、キャラクターは、物語を動かすための「装置」ではない。
否定されるべき古い価値観のメタファーとして彼が見られてしまうのは、非常に残念である。
キャラクターは、特定の役割のために存在しているのではなく、あらゆる側面を持った生きものである。
兄としてえみるに向ける感情は一言で片づけられないものであるだろうし、ただ「男の子らしさ・女の子らしさ」の価値観に縛られているからそれを逸脱するアンリを敵視したのだと断言することも出来ない。
彼には彼の物語というものが存在していて、この回における彼の言動は、その結果でしかない。
また、「女の子だってヒーローになれる」を掲げたファッションデザイナーの吉見リタにしても、単にこの回のために用意されたキャラというわけではない。
かつて彼女は、園児の泣き声で集中力が乱れるからと保育園にクレームを入れ、その時のトゲパワワがオシマイダーの素体に利用されたことがある。
さらに、前回ではアイデアが浮かばないスランプのトゲパワワで再びオシマイダーの素体にされている。
そんな彼女が、今回のファッションショーでこういうテーマを掲げるようになった経緯についても、小さいながらも物語があるのだと想像できる。
特定のテーマに対する「役割」という考え方では、人間的な深みがオミットされてしまうし、作品の世界観を狭めてしまう。
私は典型的な優柔不断で、断定するのが怖いタイプの人間である。
それが原因なのか、今回登場したような、「人の心を縛るな!」等のメッセージ性がはっきりとした強い言葉が苦手だ。
彼女たちの言葉は正しい。しかし、正しいことを断言することで切ってしまう何かもある。
アンリというキャラクターが初登場時どうであったかを思い出してほしい。
彼は自分がいいと思ったもの、正しいと思ったことに対して真っ直ぐに行動する人間で、それは今回の話でも同様であった。
しかし、かつてアンリは、自分の信じる正しさでもって、ほまれをはなたちから引き離そうとしたことがある。
アンリは間違ってはいなかったが、その正しさで別の何かを切ってしまった。
ツイッターでよく「正論で相手を論破する漫画」を見るが、それに感覚としては近い。
正論をはっきりと示すということは、何かを正すことになる。
「僕は君のために僕を変えることはできない」
これは正人が、自分の価値観に合うようにアンリを変えさせたかったことからくる言葉と捉えられるが、逆であっても同じことが言えるのだ。
正しさをもって他人の価値観を否定することは、「人を変えさせる」行為であり、攻撃的側面を持つのだ。
だから、今回、メッセージ性がはっきりしすぎている言葉が出てきたとき、その正しさが、何かを攻撃することになるのではないか、と思ったのである。
それが正しいのだとしても、それは自分にとっては少し怖いことでもあった。
マクロス:歌う
ギアス:何それ
ボトムズ:アストラギウス銀河を二分するギルガメスとバララントの陣営は互いに軍を形成し、
もはや開戦の理由など誰もわからなくなった銀河規模の戦争を100年間継続していた。
その“百年戦争”の末期、ギルガメス軍の一兵士だった主人公「キリコ・キュービィー」は、味方の基地を強襲するという不可解な作戦に参加させられる。
作戦中、キリコは「素体」と呼ばれるギルガメス軍最高機密を目にしたため軍から追われる身となり、町から町へ、星から星へと幾多の「戦場」を放浪する。
その逃走と戦いの中で、陰謀の闇を突きとめ、やがては自身の出生に関わる更なる謎の核心に迫っていく。
以上
戦時中に人体実験の論文で学位を取った731部隊将校の学位取り消しを求める記事を読んで、
凶悪な犯罪(死刑に相当する最低ラインを遥かに越える)を犯した人間は、
死刑ではなく人体実験の素体になるという刑罰を設けるのはどうだろう、と考えた。
もちろん死刑を越える受刑者への恐ろしい人権の侵害だとは分かっているが、
死んでも贖えないような罪を犯している人に対して、
全人類の更なる医科学発展の礎になるという建設的な形で償ってもらうというというのは、
良いのではないか、と。
ただ、現行法の定める最大限の処罰のレベルを引き上げる(死刑よりえげつないものにする)というのが、
他にどういう影響を及ぼすかの考えがあまりできておらず、
趣味で漫画を描いてるんだけど、いつもカメラワークと不慣れなポーズのデッサンに手間取ってしまい時間がかかりすぎて悩んでいた。素体を補助に使ってもうまく落とし込めなくて、素体の変な癖まで描いてしまい補正ができずしっくりこなかった。
デッサン練習すればいいんだけど練習するなら漫画を描いていたいし、でも練習しないと描けない。描けないので進まないというダメな時間の消費をしていたと思う。
そんなある時、知人がDAZ studioというフリーでも使える3Dソフトを教えてくれた。日本語版がなく本も古いものしかないので慣れるのに時間はかかったものの、ポーズとボディの調整のコツを掴んだら複雑なポーズやカメラワークの確認が容易になって前よりも格段に作業が捗り始めた。
自分が何度もデッサン直すよりポーズ作る方が早い。そして、全然悩まないのでストレスがない。そのままトレスしたって誰にも怒られない。苦手なカメラワークもぐるぐる回して構図を色々検討できる。
また、このソフトとても動作が軽いのだ。2人並べてもぐいぐい動かせるので使いやすい。
なんと素晴らしいソフトなんだろう。
CLIP STUDIOにも3Dキャラクターはあったが絵柄の問題もあってDAZ stidioの方が自分には合っている。作業が捗り始めたので漫画を描くのも楽しい。プロならいちいちポーズなんて確認してられるか!って感じだろうが趣味なので何も問題ない。ストレスないのが嬉しい。
ありがとう知人。