「異形の男性を愛する普通の女性を描いた作品では真実の愛と評価される」
「異形の女性を愛する普通の男性を描いた作品では歪んだ愛と評価される」
「その為か前者の作品と比べて後者の作品はとても少ない。ここでも無意識のうちの性差別が表れているのではないか」
と。
本当に少ないのか、歪んだ愛と評価されているのだろうかと考えてみた。
異形の男性を愛する女性の作品と言われれば、真っ先に思いつくのが美女と野獣だろう。
千と千尋の神隠しやハウルの動く城等のジブリ作品が思いつくが、こちらは人間の形をとることもでき、実際作中の大半を人間の姿で過ごしているので、今回は少し違うと思う。
千尋は龍の姿のハクを愛したわけではないし、ソフィーもハウルの魔物の姿を愛したわけでもない。
しかし異形の姿をとっても愛を失ったわけではないから同じことか。鎌爺なんか作中ではっきりと「愛だ、愛」と言っているし。
ゲームの世界だとピーチ姫を攫う大王クッパが思いつくが、こちらはピーチ姫が好意を寄せているわけじゃないので除外。
しかし作品のテーマ、もしくはキャラクターの設定としてよく見かけるものではあるといえるだろう。
異形の女性が登場する作品となると、一番に思いつくのは人魚姫だろうか。
しかし彼女は王子に会うために声を失い、激痛を受け入れながらも人間の姿になっている。
それにそもそもその恋が叶わず泡となって消える悲恋の物語である。
また古くからある日本の物語で思いつくのは妖怪、とりわけ雪女だろうか。
しかしこちらも姿は人間であり、氷柱や雪だるまの姿で登場するという話は聞いたことが無い。さらにこれも人魚姫と同じく、結ばれることのない悲恋の物語。
ファンタジーに登場する魔物のラミアやケンタウロスなど、上半身のみ人間の女性の形を取り、下半身は動物または魔物の体をしているキャラクターもいる。
デュラハンやろくろ首のように首から上だけ異形の形を持つ者もいる。
それらと恋愛関係になる作品はいくらか思いつくが、特殊性癖だとの扱いを受けることは否めない。
暴論になるかもしれないが、ジブリのように子供も見る場所においても問題無いかと言われると、微妙なところだともう。
余談だが格闘ゲーム『Guilty Gear』シリーズにはジャスティスというキャラクターが居る。
作中用語でギア、素体と呼ばれるが見た目は完全にロボであるが、独立した思考と女性の人格を持っています。
ただ恋愛関係にあったか、といわれると、正直微妙なところかと。
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