はてなキーワード: 町田ひらくとは
俺もなんか頑張ろうと思った…😟
というか、クジラックスもそうだけど、町田ひらく、女性ファンが多いって本当なのか…
ロリコンペドフィリアの漫画を好んで読む女性の心情がよく分からん
町田ひらく漫画はすきなんだけど、ラストで少女愛に溺れた爺さんが池で溺れて死ぬんだったか、あんな感じのオチは俺も好きなんだけど、
最近の、ヤンキーDQNゴロツキばかり登場して、ひたすらレイプみたいなのは、ちょっと読んでてつらかったよ…
ロリペドの自分が読んでもつらい、ようじょを愛でる気持ちがひとかけらもないのはちょっと無理
銭湯の男湯で女子〇学生とエッチして、ラストでその少女の家の掟だったかなんだったかで、主人公が後ろから少女にカミソリで斬られるとかは面白かった記憶がある
知名度、後世への影響、漫画史的意義などを独断と偏見で考慮した上でサブカルくそ野郎フィルターで濾した二番煎じを俺も作ってみたぞ増田ァ
追記:
とりあえず直接の疑問について。
そもそもそんなすぐバレる事確実な犯罪を何故犯すのか、って事になるんだけど。
ん。だから前文で「ある程度は衝動的な犯行ではあっただろうが」と書いている。合理的に判断すればリスクに見合わない行動であっても、時として人はそこまで完全に自分自身を理性下に置くことはできない。だからこそ間違いが起きる。
殺せばバレないと思ってた?でもそれにしては証拠残しすぎ
口封じや事件の隠匿を狙った殺人は効果的だ、という話はしていない。ただ、罪を犯してしまった人の心理として、明日捕まるのと1週間後に捕まるのでは、そこには越えられない壁があるという話に過ぎない。そのまま被害者(目撃者)を放っておけば、短時間で捕まってしまうだろうと考えた加害者が、事件発覚を遅らせるためさらに重大な犯罪に手を染める、という心の動きはそこまでおかしいものではなかろう。…それが頭の悪いものであっても。
証拠を残しすぎなところを見ても、計画性の薄いかなり衝動的な犯行であったが故の悪あがき(殺人、死体遺棄)であったように思う。
あと、なんというか、ロリコンを得体のしれない理解不能なものとして犯行の動機を探るよりは、鉄道車両で痴漢が発生するプロセスから紐解いた方が理解しやすいんじゃなかろうか。
痴漢というのは、狭い車内に沢山の人が乗り込む満員状態によって引き起こされる。これは多数の人間同士が密着することによって、誰の身体が誰の身体に触れているか判断がつかない状況が生じているせいだ。こういった状況下で気が大きくなる心理というのは、容易に理解できるかと思う。匿名のブログサービスだからついつい余計なことを書き込んじゃう心理は、自分が今味わってるそれだ。
幼児を狙った性犯罪で誘拐がセットになるのは、成人女性に比べて単独でいる時間が少ないせいというのが主な理由だろう。あと運びやすさ。性犯罪は殺人や強盗に比べて犯行にかかる時間が長い。故にターゲットを人目につかない場所まで誘導・誘拐する必要が出てくる。人気のない夜道を歩く女性や、一人暮らしの女性宅が狙われやすいのは、犯罪者からすれば自明の理だ。
だからこそ幼児を狙った性犯罪の多くが、身内や近しい人間の犯行となりやすい。妻の連れ子や、学校や塾の教え子などは長時間密室でふたりきりになる機会が生じやすく、また社会的な立場により口封じがし易い(自分が我慢すれば母親が悲しまない等)環境も整っており、多くの悲劇を生んでいる。
今回の件も、たまたま相手が誘導のしやすい子で、かつ目撃者のいない空間が整っていたからこそ魔が差してしまった、という単純な話ではなかろうか。
----
なんというか、こんな的外れなロリコン分析を真に受けちゃうのかと驚かされる。
性犯罪にかかわらず、殺人が副次的なものである場合、加害者の心の動きというのは、だいたいが口封じのためだ。
今回の事件でいえば、ある程度は衝動的な犯行ではあっただろうが、徹頭徹尾パトスに駆られた人物という犯人像は、いくらなんでも現実的ではない。逮捕された容疑者の男性が実際に犯人であるなら、亡きロバートKレスラーも苦笑いしそうな心理分析は必要なく、「顔見知りに近い人物による犯行がための目撃者(被害者)の殺害」で説明は事足りる。というか地理的な要素をまず検討するってのは、殺人事件の捜査では基本じゃなかろうか。
無論、増田友人が想像するような犯罪者がいないわけでもないだろうし、上記の分析も仮定に仮定を重ねたものだが。
いずれにしても、ロリコンがすべて同じような理想を抱いているという増田友人の言は、暴論にすぎる。あまりにもモヤモヤするので、ロリ系エロマンガについての個人的な分類を語りたくなってきた。
それぞれの特徴を説明する前に、身体的にも精神的にも経済的にも未熟な幼児を性の対象とするということがどういったことか、改めてざっくりと説明しておきたい。
当然ではあるが、だからこそ幼い子供は法によって保護されている。
ロリエロというジャンルを捉えるなら、まずここが出発点といえるだろう。
・リアル系の特徴
これは現実的なシミュレーションを含んだもののことだ(リアルだとは言っていない)。上記の点により肉体的・精神的な苦痛を伴ったり、救いのない展開や、レイプ、児童売春や性的搾取といった犯罪的な要素がついてまわる。
また、リアル系の傾向はストーリーだけではなく、絵柄にもその傾向が見て取れる。
それらの特徴を内蔵的と仮称する。
内臓的絵柄とは、人体デッサンにおいて、皮下の骨格や内臓といったものをしっかりと踏まえた、解剖学的な正しさを感じさせる絵柄のことだ。かなりざっくりと説明するなら、ごつごつとしていたり、あばらを描いていたり、目の大きさが現実的なサイズの絵柄のことだ。
こういった身体的なデッサンの人体は、苦痛を表現するのに適しているのだろう。猟奇的な作風の作家にも多い傾向だ。
LOはたかみち氏の爽やかな表紙に反して、こっち系の作家が多い。というか、町田ひらく氏といったこっち系のドきつい人がいたりするので、リアル系が苦手な人には正直、キツイ。
キツイ。
・ファンタジー系の特徴
ファンタジーといってもRPGの世界といった意味ではない(お約束)。現実(リアル)の対義としての非現実(ファンタジー)だ。どうしても犯罪臭はあるものの苦痛や鬱展開はほとんどなく、概念としてのロリを具現化させた存在と戯れる傾向にある。
そのため絵柄の特徴もリアル系の内臓的なものとは対照的なスキン的絵柄となっている。具体的には、きめの細かい肌触りや柔らかさといった表層の部分を重視する人体デッサンのことである。つるぺたという表現は死語化してひさしいが、要はあんな感じだ。
LOでこっち系といって思い浮かべるのは阿骨打先生だ。個人的にトップに入る好きな作家だが、死亡説が囁かれるくらいには寡作な方である(そうなる事情も分かるので複雑だ)。
ロリエロマンガは出発点が出発点だけに、分類がはっきりしているジャンルだと感じる。
が、近年はスキン的絵柄のリアル系鬱ストーリーみたいなハイブリッド型の作品もじわじわと広がってきている。クジラックス氏の例の作品あたりが起点だろうか。
ともあれ、人の性的指向なんて十人十色だから惹かれ合ったりするわけで、一口にロリといっても、それのどこに着目するかは人それぞれなのだ。と書いたら急に口調がアライさんみたいになってしまったのだ。
フェネック、もう終わるのだ。
ここは2020年夏の東京、新国立競技場では観客たちがこれから始まるスポーツの祭典に期待に胸を膨らませていた…
「変態、凡人、年を取れ…シニタイヤツハシネ…シニタイヤツハシネ……」
最初に登場したのはグラミー賞など名だたる賞を総舐めにした国民的バンド、Theピーズだ。この突然のサプライズには会場も大歓声を上げた。スクリーンには様々な言語で映し出された「増え続ける若年層の自殺率」「止まらない少子高齢化」凶悪犯罪…ブラック企業…テロの脅威…国の借金などの文字が映し出されては消えてゆき、最後に「この国はもうお終いだ!!!!」と赤文字で大きく映し出され、会場は拍手喝采だ。それに合わせステージを取り囲むように垂らされたロープで大槻ケンヂ、五十嵐隆、鬼束ちひろ、木下理樹等、錚々たる鬱ミュージシャン達が首を吊って次々と自殺してゆく。やがて彼らは動かなくなり、日本の情念を映し出すエキゾチックな演出に誰もが息を飲んだ。
演奏が終わり大木温之が遺書を書きはじめると「Neko Mimi Mode」が爆音で流れ出す。七色の光線やLEDライトが目まぐるしく点滅し、新国立競技場はダンスホールと化した。なんとなく呼ばれたDJのTeddyroidは投石で死亡、会場のボルテージはマックスに達した。全方位に設置されたハイビジョン4Kスクリーンには日本が誇るサブカルチャーであるアニメが映し出される。作品は勿論『鬼父~小生意気なホットパンツ』だ。
煙幕が白い光とに照らされ、入場門からは会田誠に四肢を切断された千体を超える幼女たちがワラワラと這って登場、その中から遂に選手団が入場する。セーラー服の少女達が会場を囲い、日本刀で自ら腹を掻っ捌き鮮血が噴き出す。内臓もボロボロ飛び出している。(この際会田は町田ひらくとキングオブコメディ高橋をエグゼクティブマネージャーとして招集、全国から人材を手配した)
「HARAKIRI女子校生だああああああああああ!!!!!!」
日本のカルチャーを愛する台湾の文系大学生とロンドンのゴス少女が抱き合って喜びを爆発させた。台湾の大学生は初めての女子との接触に勃起が止まらない!まさにCOOLJAPAN。
しばらくして対向から巨大なローラー車で騒音をまき散らしながら登場したのは山塚アイだ。国旗を笑顔で振っている選手団を「ブチブチブチブチブチ!!!」と踏みつぶしていく。会場は血の海と化し、観客席は闘牛のように湧きたち、山塚は爆死した。続いて、桜井誠率いるネトウヨ、ほなみん率いるSEALs、薄ら笑いを浮かべるアルファツイッタラー、打倒シンゴジラを掲げる増田、中田考率いるアル・カイーダ、又吉直樹を十字架で磔にし燃やす文学賞ワナビ、Hikikomori、ゆ虐絵師、モバゲーの掲示板に入り浸る派遣社員などがそれぞれプラカードを持って入場し、また我々を感動させた。最後には酒鬼薔薇聖斗氏、ネオ麦茶氏、加藤智弘氏、片山ゆうすけ氏が登場、奇跡の世代が共演を果たした。彼らが手を繋ぎ国際社会に世界平和の実現をアピールしたことは歴史に残る名場面となるだろう。
選手入場(九割が死亡)が終わると暗転し、スポットライトに照らされて松任谷由実が「ひこうき雲」を歌い、上空から二機の飛行機が登場。そこには手を広げた庵野秀明と宮崎駿が吊るされていた。思わぬ大物ゲストに会場は大盛り上がり。しかし「空をおおお、かっけぇえええっ↑てぇっ↑↑」に合わせ二人は落下するもパラシュートが開かず地面に激突、冷笑的な雰囲気が会場を覆い駿と庵野は無駄死にとなった。
開会式もとうとうクライマックス。緊張感に包まれる中、遂に最後の聖火ランナー折部やすなさんが到着した。バラード『キルミーのベイベー!』がしっとりと流れる中、あぎりさんがガソリンを頭からかぶせ、燃え盛る炎の中「助けてソーニャちゃあぁあぁぁぁ!!!いやだあああぁぁあぁ!!!」と絶叫しのた打ち回るやすなをソーニャが斬り、生首は聖火台まで飛び見事点火、会場は感動の涙に包まれた。
小澤征爾指揮するNHK交響楽団に合わせ背後の床が開き、原寸大の福島第二原発オブジェが登場する。サビを迎え登場した、世界的映画監督である北野武扮する火薬田ドンはこの日最大の割れんばかりの拍手と歓声に迎えられた。フガフガと手を振って応え、不敵な笑みを漏らしレバーを押す。原発は核爆発を起こし競技場の7割が焼け野原となり、火薬田は突如クレーン車で吊るされ触手プールに落下し一人よがり狂った。少しブラックなジョークに生き残った数少ない観客は最後の盛り上がりを見せた。嬌声が響きわたる中中継は終わり、フジテレビのスタジオでは肉塊となった岡村隆史が弾け飛び、大盛況のうちに開会式は終了した……
――――ちょうどその頃、精神病棟のテレビでこれを見ていたtehuくん。
車椅子から立ち上がり、「これ僕が作ったんだ!ほんとだよ!全部僕が作ったんだ!」と叫び、裸になって踊りだした。彼が言葉を発したのは3年ぶりの事だった。彼を心配し、これまで暖かく見守っていた看護師さんたちは歓声を上げながら抱き合い、喜び合った。涙を流している者もいる。他の患者もみんなニコニコと楽しそうだ。男性器がペチペチする音が病院中に響き渡った。
「今日はケーキを買ってお祝いしなきゃね。だって、tehuくんの演出した開会式が大成功した日なのですから」
僕たち、よかったね、うれしいねって、言われたかっただけなんだ。ただそれだけなのに、何故こうも人の運命は分かれていくのだろう。何故闇に飲まれるかもしれないと分かっていながら何かを求め、苦しみ、そして死んでいくのだろう…
だけど今は、ただtehuくんの回復を喜ぼう。だってそれは、僕らが生まれてきた意味を知る数少ないチャンスなのかもしれないのだから。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。
ついでにネットゲリラの古い記事あさっていたら、米沢氏の話がでてきた。
http://shadow-city.blogzine.jp/net/2007/12/post_1352.html
米沢氏のコミケに対する方針というのは徹底していて、とにかく「中身には干渉しない」という姿勢だった。本人は水木しげるマニアで、自分でも漫画を描いたりするんだが、コミケも当初は「創作同人誌」の売買の場として作られたんだが、蓋をあけてみると、1970年代は少女漫画、80年代はアニメ、それからロリコンと、目論見とはまったく違ったモノで占領されてしまう。それでもイヤな顔しないで黙々と参加サークルのために開催し続けてきた。
もう語り尽くされていることではあるだろうけど、こうした場をつくるということ(そのために多大なリスクを負いチャレンジするということ)、この倫理観、もう大分議論は収束/終息したのだろうけど、Pixivのナントカさんもよく考えた方がいいんじゃないかなー。
町田ひらく、うさくんといった、ロリコン雑誌から出てきた(あるいは育てられた)漫画家がのびてきたこともそうだし、あるいは青林工芸社やコミック・ビームも90年代のアングラ感をまるでかんじさせず2000年代にはいって目覚ましい成果をあげた。人が何かを表現するそのエネルギーに場を与えるということは、札束に書かれた数字より富んだ意味があると僕は思うけどな。
女性が喋るテンプレートっぽい台詞が全部ダメ。というか、女性の関節無理な方向に力入りながら「イクーッ!」っていうアングルも超萎える。
そもそもさ、セックスしてるとき、女性が何か喋ると、大抵は萎えるぞ。
耳元でこっそり「気持ちいい」とか「今のよかった」とか、せいぜいそれぐらいだろ。
二次は、AVを更に支離滅裂にしたような、何というか実際に口に出すとものすごく萎えるような台詞が多い。
---
そんな俺が認める数少ないエロ漫画家は、町田ひらく、しのざき嶺、さらだまさき、エビオス、などなど。
テンプレ的な表現を使わなくても第一級で頑張れるはず。そういう人いるんだもの。
何故テンプレ的、実際にやられると萎える的な表現にしちゃうのか。
以前聞いた話だと、編集がそういうのを求めているという。女性は全部口に出して「それがいい」とか「あっ、そこだめ」とか「いく」とか、何から何まで全部口にしないといけない、という編集さんが多いらしい。
それっていいのか?
そのうちしゅべすたみたいに台詞で画面6割埋まるぞ。