はてなキーワード: 求人とは
一般消費者向け商売は潰れていくだろうし、それを個人で止める事なんて無理だし、求人は減ったままだし、海外旅行できるようになるわけでもない。
見慣れないマスクしてない人を病原菌扱いする人も消えないし、COVID-19ウイルスは自粛しようがしまいが襲いかかってくる。
そんなリスクを受け入れたとして、手に入るメリットは何?無くない?
俺個人は国内旅行とか行きたいと思うけど、どんなに自分が万全だと思う対策をしたとしても感染リスクを大して低減できないから行かない。
この状況で大浴場に見ず知らずの他人と入れる人って凄いなと思う。
苦しみながら生き続けるリスクを受け入れてまでやりたいことがない、と言う方が正しいか。
みんなそんなに情熱的に生きてんの?
javaの求人が多いと聞いたから一応今はjava silverの勉強してる。
俺は降りてくる詳細設計をコーディングするだけのコーダーみたいなプログラマになれたらうれしいなと思っている。
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誰かアドバイスくれ。
コンビニは社会のインフラみたいな言い方をされることがあるけれど、当店のオーナーにはそういう意識は全くない。当店は幸か不幸か立地が物凄く良くて儲けがあるらしい。オーナー夫婦はコンビニ経営で得たお金で子供達全員を育て上げて良い職に就けて全員結婚させることに成功。もはや惰性と道楽で店を開けている。なのでこれ以上頑張る気がないので、夜勤の求人をしても人が集まらなくなったら、あっさりと夜の営業をやめた。
夜間営業のないことでお客様達からのブーイングを喰らったのは、私みたいな閉店の直前まで働いているバイトだった。
お客様の訴えでちょっと気の毒だなと思ったのは、近くにある総合病院のお医者さんからのもので、当店のある一帯は近くに民家がほとんどない為に、道路に照明が一つもないのだけど、そういう場所でも夜勤の看護師さんなどが自転車や車で通勤をしていたりする。真っ暗な長い道程の途中、当店が営業しているのは、看護師さん達本人にとっても共に働くお医者さんにとっても安心感がすごくあったらしい。
そして、道路に面し、高速道路の乗り降り口も遠くない所にある当店は当然、トラック運転手達に休憩所替わりにされていたが、夜勤を辞めてからは駐車場も閉店と同時に利用を禁止してしまった。トラック運転手の人達は適応が速くて、あまり文句は行って来ず、別の店で休むことにしたようだけれど、最近の世論に後押しをされて夜間営業を辞めるコンビニが相次いだら、彼らの行き場はなくなるだろう。そして、当店の近隣地域は夜勤労働者の確保が無理という理由が最大で、夜間営業を辞めたがっている店舗が多い模様。
当店は昼間の売上の良さと長く経営してきた実績から、本部に対して強気で出られるらしく、地域でも早いうちに夜間営業を辞める権利をもぎ取ったらしいが、売上的にはダメージがでかくないことを証明できたということなので、他店でも要望すれば夜間営業を辞める申請が通りやすくなったかもしれない。
夜間営業を辞めたのと同時に、オーナーは売れ残りを出さない為に、深夜早朝ぶんの米飯とサンドイッチの仕入れ数を少なく絞るようになった。惣菜パンはといえば、主に深夜に入荷するものだったのが、午前の入荷に頼るようになったから、夜8時頃にはほぼ売り切れて無くなるように塩梅されるようになった。
えっじゃあ早朝のぶんどうするの!? って話だ。深夜営業をしていた時は、売上のピークが午前5時頃にあって、次のピークが7時頃だった。昼間に比べたら少ないかもしれないが、夕方のピークと匹敵するかそれ以上らしい。その時間帯の売上も、オーナーは切ることにしてしまったのだ。夜勤バイトの人が知る限りはすごく軽食の売れる時間帯だったそこを「どうせ売れない」とデータも見ずに切ってしまった。よって、朝の通勤途中に急いで朝御飯にサンドイッチを買っていくようなお客様達は無駄足を運ぶことになったはずだ。
でもまあ、忙しい人達の適応力は凄まじく速いので、二、三日棚がガラガラになっている所を見れば寄り付かなくなるわけで、オーナーが言った通り、朝は「売れない」時間帯となる。
夕方も、もちろん閉店間際に売れ残りがあると損だからということで、午後6時くらいには棚がだいぶ空いている感じで、7時半頃には大体空っぽになる。近頃はコロナの影響で来店時間をずらす人がいる。外食難民になったのかこれまで見かけたことのない人が来たりもする。そんなとき、棚に弁当は一つもない。お客様は空っぽの棚を見て怒って帰ってしまう。
去年のレジ袋有料化もすごい悪影響があったけど、深夜営業の終了やそれに伴う朝夕の納品絞まで合わさり、お客様の空気感がなんか殺伐としてきたなと私は思う。店内だけでなく世の中全体がコロナ禍にかかわる不便で膿んでいるし。
この際だからゆっくり休もう! というのはわかるんだけれども、みんな便利であることを当たり前だと思ってるんだな。不便になるとたちまち世の中はギスギスしてくるものなんだ。震災みたいな分かりやすい困難じゃなくても、人心を十分に荒ませる。
穏やかな日本人というのは幻想だって、東日本大震災の時によく言われていた。だが、その幻想を作り出した、というより、本当に日本人を穏やかなにしていたのは何だったのか? ということが語られているのは、あまり見たことがない。それは私が思うに、些細な便利の集積だ。チリみたいな便利が積もり積もって住みやすい国を作り人々を穏やかにしていたのではないか。
気軽に、もうやめよう! と言えるほどの小さな便利を諦めることによって、私達の地盤は削られていく。しかも、少しではなくけっこう一気に地盤沈下が起こる。小さいものは大事にされないからだ。我も我もと、皆が一度に小さな便利を手離していく。
いろんなところで探すのもいいけど、今仕事してないorこれからやめようかな。という場合も同じかも。
そんなときは、一旦、ハローワークに行ってみるといい気がする。
というのも、ハローワークは結構求人があったり、またまた仕事が見つからない場合はどうするの?といった不安も解消できる可能性がある。
一定期間、仕事が見つからない場合でも、失業保険の制度があったり、制度をどうすれば受けれるの?という疑問も解消できる可能性がある。
といったところから、まずは足を運ぶといった意味でも土日などの休みのタイミングなどで行ってみるのがおすすめ。
あと、案外行ってみて「今の仕事のほうがいいな」と感じるきっかけを得られるかもしれない。
約30年間自分の無能さ、凡人さに対して、必死で目をそらす事で保ってきた自我と精神がとうとう崩壊した。
今現在どうしていいかわからない状態なので吐き出させてほしい。
俺と同じようなタイプの人がいるかわからないけど、もしいたら反面教師にしてくれれば幸いです。
俺には少し年の離れた兄がいた。
その兄は色々あって10歳ごろで不登校になり、俺は常にそんな兄を反面教師にして生きた。
両親からは賢いと言われて育ったが、ただ異常なまでに俺を褒める教育方針だっただけだ。
それは所謂普通の人生から外れてしまった兄への当て付けであり、兄の教育を失敗した反省であり、
自分の子育てが間違っていない、自分の子供は優秀なんだと信じたい感情からだったと思う。
でもその教育方針は俺自身がなんとなく、他とは違う特別な人間で、なんとなく特別な事を成し遂げ、
人より素晴らしい人生を送るのだと思い込ませるのに十分だった。
自分は勉強も運動もできる、天才で特別な人間である、勉強ができなかったり学校にいけなかったり仕事ができない奴は
人間としてダメだという考え方が、この段階で刷り込まれていったと思う。
当時はなんとなく運動部を避けただけのつもりだったが、
今思えばチーム内での競争や、大会での結果で自分の平凡さに向き合う事を知らず知らずのうちに避けていたんだと思う。
吹奏楽部でも競争はあるにはあったが、男性の身体的なアドバンテージや、
大人数での団体種目という事でそれほど劣等感には向き合わずに済んだ。
勉強は隠れて死ぬほど頑張って、まあまあのレベルをキープし、そこそこの大学に入れた。
テストの前に全然勉強してないわーっていう典型的なタイプだったし、
志望の大学を決める時も、周囲には勉強しなくても入れるとこにしたと言い張った。
ハンカチ王子やまーくんと同世代というだけでなにか運命めいた物を感じていた。
運動については、運動部の人たちには到底敵わなくなり、勉強しなくても成績がいい天才なのだと信じ込んでいた。
兄とはたまに一緒にゲームをしたりしたが、基本的に部屋でずっとパソコンをしていたのであまり関わる事はなかった。
ただ、兄のようにならないように頑張ろうという軽蔑のこもった念を持っていたと思う。
俺が何か落ち込むような事があった時は、内心でこいつよりは1万倍マシだと言い聞かせたりもした。
大学に入ってからは、受験の時に陰で勉強しまくっていた反動で遊びまくり、成績はひどかった。
高校までの自分の理想像では勉強しなくてもできる天才の筈だったが、更に妥協する事にした。
学校の勉強なんて社会で役にたたないし、もっと本当の意味での賢さが自分には備わっている。
大学の勉強よりも、もっと価値のある事に時間を使っているし、その才能がある。という路線にしたのだろう。
そこからは、友達・人脈を増やす為に頑張った。まずは先輩に媚びて、可愛がられて、それがすごいと思ってた。
交友関係を学外にもどんどん広げていき、フェイスブックは顔見知り程度ならどんどん友達申請した。
そのうちに、ストリートアートの才能がある人物と出会って、イベントをやる事になった。
結果、そのイベントはそこそこ成功し、俺は何かを作りあげるクリエーターとしての才能があるのだと思うに至った。
実際は、自分では何も作り出す事ができず、ただ誰よりも彼の作品に憧れただけだったのに。
あげく、彼とはイベントの打ち上げで大喧嘩して仲違いしたきりだ。
絵を書かないお前の方が主役みたいだ、自分では出来もしないのに口ばっかり出してくるな、
自分以外はみんな馬鹿だというような態度をやめろ。そういう事を言われた。
同じ天才の仲間だと思ってたのに、急に梯子を外された気分になった。
彼が憤慨して帰った後、とりまきと彼の悪口を言いながら記憶が無くなるまで飲んだ。
二十歳を過ぎてからは六本木に入り浸って、色んな経営者やらとも知り合いになった。
知り合いと言っても、今思えば知人の女子大生を宴席に連れていくだけの、便利な愛人斡旋係だった。
そんな社長たちすら、ランクを5段階くらいにわけて下のランクの人達は馬鹿にしてた。
でもいざ同席している間はぺこぺこへりくだって、そのギャップから、家に帰って目眩がして吐く事もあった。
今日〇〇の社長とキャバクラだから。それだけを同級生に言っている間だけは自尊心が満たされた。
その人達ですら、自分で事業を作り上げて必死に改善して、本来は尊敬すべき人だった。
あまりにも授業に出なかったので、留年しそうになり、慌てて学生ローンで借金してインドで1ヶ月ワーホリした。
俺の行動のすべては、順調な人生に見せかけるための、ハリボテのアリバイ作りのためだった。
一浪した就活では、人材系大手のRから内定を得ることができた。
面接の時は自分の経歴を何百倍にも膨らませて、嘘もふんだんに織り交ぜて通過した。
今思えば入社前のこのタイミングが軌道修正する最後のタイミングだったように思う。
入社したRでは、退社した人材が起業したり有名企業の要職を務める事が多く、元Rというブランドができていた。
自分もそこで頑張って、起業すればそういうキラキラした何者かになれると思っていた。
そもそも自分の理想に対して、人材紹介のエージェントという仕事はあまりにもつまらなかった。
転職希望者の話を聞いて、内定がでそうな企業を紹介して日程調整をする。
当然転職希望者は培った専門性を軸に、次のキャリアを考えるが、その専門的な内容がさっぱりわからない。
そりゃそうだ。こっちは他で働いた事もない新卒なんだから。職種も全然違うし。
同期たちは努力やホスピタリティーやら自分の長所を活かして成長していったが、俺にはそれができなかった。
今まで努力や反省といった所からひたすら逃げてきたのだから、当然の結果といえばその通りだ。
自分の才能について信じていた”なんとなく”というのは、試行していないが故に可能性が潰れていないだけで、
何の成長性もなく、ただただ自分の現実と向き合ってないだけだった。
みんなが色んなチャレンジをして、失敗して反省して、試行錯誤をしていた時に、
自分の限界に挑戦しないから自分の能力がわからず、低いハードルを超えるだけで失敗しないだけだった。
周囲には、人材紹介はビジネスモデルが良くないから本気になれない
より良い新たなビジネスモデルでの起業の準備が忙しいのだ、と言い訳していたが、苦しかった。
アラサーと言われる年齢に近づいた頃、仕事でとあるクリエイターに出会った。
大学時代のストリートアートの彼すらも遠く霞むような、本物の天才だった。
その人は天才故にずっと苦労していて、話を聞けば聞くほど天才のノブレス・オブリージュみたいだなと思った。
高IQゆえの他者・社会との隔絶。そこから来る生きづらさ。それこそが天才の証明だったのだ。
天才は友達が少ない。それだけ普通とは隔絶し、突出した人間だから。
自分がいつか凡人だと気づく不安なんて感じたことはない。人と違う事で、恐れ、疎まれて来たから。
話を聞けば聞くほど絶望していった。中途半端に器用に生きてきた自分とは、真逆の人生だった。
自分はコミュ力と友達の多さを誇って天才だと吹聴してた。それが真逆で本当に恥ずかしかった。
意を決して、精神科を訪ね、IQの検査を受けた。IQ120弱くらいだった。
天才とメンバー間を通訳できる、いいリーダー・つなぎ役になれるという解説がついていた。
天才じゃないという死刑宣告だった。上位10%。クラスで3、4番目。それが俺の本当の実力だった。
だけどまだそれを信じる訳にはいかなかった。
天才だ特別だと言い張っていたのに、そうでない人生を今日から歩めと言われても飲み込む事はできなかった。
IQは一つの指標。そう考えるしかなかった。そうでないと生きて行けなかった。
検査の結果を聞いてから毎日、気が狂うほどの焦燥感が常に付き纏っていた。
本当に24時間何をしていても、少しでも気を抜いた瞬間に、
何かを成し遂げなければならない、特別である事を証明しなければならないという強迫観念が絶えず襲いかかってきた。
幸い、人材系のエージェント・採用代行は独立のハードルが非常に低かった。
同業他社と比べると、有料のオプションが1つ無料になる。程度の差別化だったが、
それを新しいビジネスモデルという事にして打ち出していった。
本当にちっぽけなしょうもないアイデアだけど、それに賭けることにした。
勝ち目なんて無いに等しいのはわかっていた。でもそれに全てを賭けるしかなかった。
特別な人間であるというアイデンティティだけにすがって、他者を馬鹿にし、虚構の優越感に浸り、
生き続ける為には、この道で食っていくしか無かった。
あると思っていたコネクションは、俺ではなく会社と繋がっていたのだ。
元々ないホスピタリティーは更に枯れ果てた。
余裕の無さが更に成功を遠ざける。
うまくいくはずが無かった。
どんどん追い詰められていった。
兄は学生生活こそうまくいかなかったが、こつこつとプログラミングの勉強をして実力をつけていた。
いくつかの現場を経験していたので、人脈もあった。それを使う事にした。
子供の頃から兄を馬鹿にするのが俺のアイデンティティの一部だったのに、その兄にすがって何とか生きている。
兄は優しかった。逆境に負けず、こつこつと努力を重ねられる強い人間だった。
でもそれもだめだった。三度、天才に打ちのめされることになる。
求職者が企業と面談をすると、3万円もらえるという転職サービスが現れた。
人材業界のビジネスモデルには問題があると先述したが、それについては紛れもない本心だ。
既存の人材紹介業は、求職者が入社すると理論年収の35%程度を手数料としてエージェントに支払うのが慣例だ。
年収600万円の人材を紹介すれば、200万円以上の手数料を払う事になる。
求職者を集めて求人を紹介し、履歴書を送って日程調整をする報酬にしてはあまりに高すぎる。
人材系のエージェント・採用代行は独立のハードルが低いというのは、それが由縁だ。
中小企業や、スタートアップ・ベンチャーがおいそれと手を出せる金額ではない。
加えて、エージェントはとにかく求職者が入社すれば高額な手数料が得られるので、
「求職者が望む転職になるか」「企業に本当に必要な人材か」を無視して、
「内定が出そうな企業」に求職者を押し込む事で、売上を伸ばす事ができる。
つまり、エージェントが売上を追求すると、求職者・企業の利益を損なうケースが出てくるのだ。
3万円もらえるという転職サービスでは、企業は面談時に費用がかかる代わりに、入社時の手数料はいらないらしい。
企業がエージェントに払っていた費用の大部分を、求職者が受け取る形だ。
これは、既存の転職市場・人材業界の諸問題を一気に解決し得るポテンシャルがあると思う。
このサービスを見た瞬間、正気を保ってられなかった。ケチの付けようがないすごいサービスだった。
転職市場・人材業界のパイの全てをテーブルごとひっくり返す、この上ない破壊的イノベーション。
最初は思わずネガキャンした。悔しかったから。でもどうしようもなく憧れた。
どうして自分がこれを考えつけなかったのか、今まで何に時間を使ってきたのか。
自分を責める事しかできない。感情はもはや支離滅裂でどうしようもない。
仕事を続けられる気がしない。全て終わりにして消えたい。ネガティブな感情が無限ループしている。
一番恐ろしいのは、ここまで書いた事全て、自分は薄々気づいていたという事だ。
それでも、特別な人間でなければ、優秀な人間でなければ意味がない、
という自分自身にかけた呪いからそれを絶対に認める事はできなかった。
ここまで絶望的な状況になって、認めるしかない現実が来て、やっと認める事ができた。
自分の心の中の薄々気づいていた部分は、こうなってしまった事をホッとしている気すらする。
このままどこまでも狂って、「コロナがなければ・・・」「精神を病まなければ・・・」
という言い訳ができればいいと、ただそれだけをずっと泣きながら祈っている。
塾って家賃や広告費・管理費など他の事業でも必要な費用を除けば、基本的には人件費がメインだから
ってなんか変な勘違いしてそうなんだよね。
低レベルな塾講師の給料が安いのは、塾講師(学生アルバイト含め)も塾自体も供給過多だから。
それでもトップクラスの講師は高給だし、高額から低額まで幅広い塾があり塾講師の求人があるのは市場が上手く働いてる。
待機児童が出て、保育士の人手不足がニュースになる状況なのに、保育園も増えず保育士も足りないような業界とは構造がぜんぜん違う。
A:保育士の給料が低いのは政府の価格統制により市場競争が無いため
B:保育は(質さえ無視すれば)誰でもできる仕事なので自由化してもダメな人材がガンガン入ってくるだけで待遇は上がらない
A:実際には消費者や事業者や労働者は質を無視しないから、低価格から高価格まで幅広い園と幅広い給料の求人が生まれる
B:保育というのは誰がやっても同じで、高い金を払えばその後子供の成長に差がついたりとかそういうことはない。だから「超高級な保育」というものは存在しない
A:実際には幼児教育を重要だと思ってお金を出していいと考える人たちはたくさん居る
B:高い金払って高級認可外使う階層ってのが限られてるんだよ。夫婦フルタイム会社員でようやく世帯年収一千万とかじゃ無理
A:それは認可と補助金という規制によって中価格帯が存在しないから。保育だけして安い園もあり、多少の教育も加えたり、遊びを重視したり、食事を気にかけたりなど各自特色を出す中価格の園もあり、それらがすべて高品質な高額な園もあるのが自然だし効率的。
B:高級認可外で働いている人の給料が認可より高いかっつーと別にそうじゃないけどな
A:認可外全体と認可全体の給料比較ならそうかも知れないけど、"高級"認可外のとの比較なら違うと思うよ。
B:税金なしで全額親からの保育代で賄うとして、出せる親どの程度いると思う?
A:税金による補助と市場競争は完全に矛盾するものではないよ。例えば教育バウチャー制度などで市場競争をしながら補助する方法もある。
読解力がないと批判されたので、流れを簡単にまとめてみたけど合ってるかな?
自分は最初から、「政府による価格統制を止めろ」と主張しているのであって、「教育に全く税金を入れるな」なんて主張してないんだけど。読解力は大丈夫?