はてなキーワード: 思い入れとは
譜面が楽しくて気づけば曲が好きになっていたり、
高難易ばかり好かれることはないと思う。
上級者でも低難易度曲好きだし(単に楽しさや指慣らしやスコア狙いなど)
次回作の曲がワンパターンになっていくことはさすがにないと思うけど。
音ゲーに限らず、どのゲームもマジョリティの低級者や初心者、まだゲームを初めていない層に向けての
ターゲティングはしているよ。
人と噛み合わなさすぎる。
相手と仲良くしたくて察した事、思い入れのあるものに対する解釈がことごとく外れる。それを相手から外れているよと言われるのがつらい。
普通に話しているだけで、責めていると言われることにいつもビックリする。それなら出ていけば?と言われる。ずっと自分は天邪鬼だと思っていたけれど、どうやら世の中とは価値観が真反対みたい。
アニポケが3歳くらいの時に放送始まったポケモン人生世代に生まれたけど、ゲーム禁止の家庭だったので許されたコンテンツのポケモンカードくらいしかやってなかった。
やっと小学生の時に友達が見てた景色が見れた。だいぶ変わってしまったんだろうけど。
やってる時はすごく楽しかったけど、周りの友達が厳選とかめちゃめちゃやるタイプばっかりで、フェードアウトしちゃって次の買う意欲がなく、それが最初で最後の冒険になってしまったけど。
今でも一緒に冒険したポケモンは大好きだし思い入れがあるよ。また一緒に冒険できなくてごめんね。
ポケモン人生世代のゲームコンテンツに触れてなかったコンプレックスが一生あるなと思う。人生世代なのにみんながあの時のあれよかったよね〜という話題にもついていけずとりあえず話は聞く。 ポケモンカードとアニポケとBWしか触ってないのに最新のコンテンツ追ってワーワーするのもなんか申し訳ないないから距離は置いてた。
今日公開されたMV、すごかった。ポケモン人生のみんなもすごく楽しそうだった。制作側の愛もすごかった。たいしてポケモンやってないのに博士が出たところで泣きそうになっちゃった。ポケモン人生じゃないコンプレックスまみれなのにコンテンツに心がふるえてしまった。
音楽というものは年月経っても文化が続いていくが、音楽ゲームというものはこれから廃れていくものである。
今もあるBEMANIみたいな典型的な音ゲーのサイクルを同じようにずっと続けて行くとなると、徐々に音ゲープレイヤーの人口が減っていく。
ゲーム文化全体のプレイヤー人口の縮小みたいに巻き込まれるような影響ではなく、従来からの音ゲーというジャンルに孕んでいる問題があるからで、
それは、「オートプレイなど機械でもできることを人がやる意味があるのか?」ということ。
人が機械みたいになってしまったら、人間がそれをやることに疑問になってくる。
しかし囲碁・将棋はもちろん FPSなどの他のゲームジャンルよりも、かなり早く廃れる可能性がある。
それはプレイヤー側の楽曲自体に対する価値や造詣が意外と浅はかなのではないか ということ。
プレイヤー上級者である程、難しい譜面をこなす事に集中し、楽曲自体は「(理由は明確に分からないけど)キャッチーで音ゲーっぽい」という曲であれば、プレイ中に掛かる曲が何でもよくなる。
つまりその時は曲が耳に入っていなくてもよいのである(※1)。曲の質については感覚的に大ざっぱにしか捉えてないのである。「(何となく)感じがいい」「プレイしてて楽しい」とかその程度である。または、ゲーム展開の印象や思い入れと曲自体の評価判断を錯覚している。
するとどうだろう。選ばれやすい曲は譜面難易度の高い曲ばかりになり、譜面関係無く楽曲自体が良い曲が陰になる。
それが次回作に反映され、高難易度の選ばれやすい楽曲の曲調はワンパターンとなり、高難易度譜面プレイヤー・音楽教養の無いプレイヤーによって曲が分けられていき、それをモデルにした新曲は似たり寄ったりして、良い曲目的だったプレイヤーは去っていく。
楽曲は形骸化され、譜面は目先に壁があるようなものになり、それをこなそうとするプレイヤーは機械化され、制作側はそれを繰り返す。
それにお金を落とすとなると、メーカーにとっての都合のいい鴨になっているに過ぎない。
今はまだ人間によって音ゲーの楽曲・ゲーム中の譜面が作られているが、今後譜面製作が自動化されたり、さらに曲自体もAIが作る事になるかもしれない。
まったく人の手が加えられず、音ゲーでプレイする曲・譜面などが作られるとなると、もはや工場みたいになっている。
botによって作られたゲームを人間がやってるの光景って、それは機械に振り回されてる人間ではないか。
それを人間が機械みたいにやって「人間離れしました」って。何が面白いんだ?
音ゲーの高難易度化特化の末路は、1000 BPM以上のSpeedcore系の楽曲をプレイしてる上級者だけが満足しているような姿なので、
新録にSpeedcoreやノイズミュージックの採用数が増える度に音ゲー文化の終焉に近づいていくだろう。
音ゲーは楽器演奏でもないのでゲームをプレイして培った操作技術は音楽分野へ応用しづらく、音ゲーのオリジナル曲はゲーム音楽に属し、その評価の共有はゲーマー内で完結されやすいので、やがて内輪でしか良さが伝わらず、二分化されるような共有に隔たりができ楽しめなくなる。
そうしたことから「音ゲーを人がプレイすることに意義があるのか?」という疑問を感じてきた人から音ゲーを離れて行く。そして音ゲープレイヤー人口が先細っていく。
そして音ゲー制作側も、従来の音ゲーの方式を変えて、音ゲーを元にした対戦など、ゲーム方式のバリエーションに力を入れていく。
例えば、ぷよぷよみたいな同時対戦型音ゲーが本格的に流行って、それだけが主流になったらもう音ゲーというゲームジャンルの終焉まで王手がかかっているのも同然。
楽曲自体に造詣がない音ゲープレイヤーって、音ゲーの何を楽しんでいるのだろうか?
大量に楽曲が消費されている中、他に似たような曲があっても、それぞれ曲構成などからの制作意図を区別・説明できる程まで意識的に嗜めていない人にとってゲーム中の楽曲は豚に真珠ではないのか?
※1:例えば、無音でビートマニアや太鼓の達人をやっても音ゲーが上手な人は目押しで大抵できてしまうわけだから、音ゲープレイ中に曲が流れてあろうが流れて無かろうが関係ないのである。それぐらい曲の価値や優先度が実際には重視されてないのだ。楽曲は添え物程度の存在でしかないのだ。
では2020年の現代においてニーチェのなにが刺さるのか教えてください ><
なんJネタ(深淵を〜)以外で2020年の現代においてなにか刺さる要素ある?敬虔なクリスチャンでも無いのに?
もちろん、子どもの頃ハマったものに深い思い入れがあるのはわかる
ワイもチョコカステラが好きだしきな粉棒が好きだし長編ドラえもんが好きだしムーミン好きだ
それっぽいものをあげるなら子どもの頃に読んだサルトルとアドラーは好きと言えば好きだ
古いマンガ(たとえば奥瀬サキとか)だけでなく最近のマンガ(ニーチェ先生 など。なお未読)やエンタメや個人創作でも
未だにニーチェ推す人々を見るのですが
なんJネタ(深淵を〜)以外で2020年の現代においてなにか刺さる要素ある?敬虔なクリスチャンでも無いのに?
もちろん、子どもの頃ハマったものに深い思い入れがあるのはわかる
ワイもチョコカステラが好きだしきな粉棒が好きだし長編ドラえもんが好きだしムーミン好きだ
それっぽいものをあげるなら子どもの頃に読んだサルトルとアドラーは好きと言えば好きだ
古いマンガ(たとえば奥瀬サキとか)だけでなく最近のマンガ(ニーチェ先生 など。なお未読)やエンタメや個人創作でも
未だにニーチェ推す人々を見るのですが
俺はネットで「お前が言うな」論法を使う人は全員読むに値しないと思っている。
他にも君はミスをいくつか犯している。
まず唐突に「反日テレビ局」という強いレッテルの言葉をその理由を説明する文脈なく当たり前のように使うこと。
これは普通の人にとって明らかに異常ないし不快に思える言動であり、その感覚が麻痺するほどに認知が歪んでいることを示す。
俺自身はどのテレビ局にもさしたる興味も思い入れもないが、こういう攻撃的な言動をするわりに、あとに続く誹謗めいた文章も薄弱だ。
女性の活躍を望むことは全世界的に正しい風潮であるし、女性のポストが少ないことを指摘するのはメディアとして基本的な批判の範疇であると普通は考える。
むしろ政権を批判できるということは風通しのいい自由な国であることの現れであり、それができない北朝鮮や中国のような国が増田にとっては理想なのかという疑念すら抱かせる。
番組を非難したいのであればその基本的な批判の範疇であることを超えるレベルのジャーナリズム上の欠陥を指摘しないとならないわけだが、それは読み取れない。
終始「お前が言うな」論法の稚拙な殴り返しにしか読めないのである。
俺は別にナショナリズムが必ずしも悪いことだとは思わないが、ナショナリズムを抱く人ほど知的な思考をしてもらわないと困る、安易な憎悪に囚われてもらっては困るとも考えている。
そもそもソシャゲに手を出したのが初だから他ゲームのシステムとか全然知らないし、
幸いなことに自分は不具合出てないし過剰請求とかされてないし、
でずにーさんに特別な思い入れが無いゆるいユーザーだから能天気に言えることかもしれないけど。
公式に思うことといえば、メンテナンスは普通に2~3時間くらい取ればいいのでは。ってくらいか。
最近は延長しなくなったけど、なんで1時間でやろうとするんだ。
こんなにやり込んだゲームないってくらいハマッてるよー。
起きてる間は「お、そろそろ2時間半経つな~」って見計らって割とマメにスマホ触って授業受けさせてる。
仕事中もまぁ2時間半おきに休憩取っても問題無いんでその間にループ掛けて放置してる。
寝てる間は流石に無理。アラーム掛けてアプリ立ち上げて~とか、そこまではしない。それはしんどい。睡眠大事よ。
3月下旬に配信開始だったっけな、初日の夜にダウンロードしてそんな感じで今日まで毎日触ってる。
そろそろ半年になるんか?我ながらなかなか続いてるなぁ、かんとくせい。
そうだ、あと公式さんに言いたいのは日替わり授業でメモ帳出る確率もうちょっと下げていただけたら嬉しい。
メモ帳は死ぬほどある、一種につき1,000個くらいは貯まってる。しかし教科書と魔導書が足りない。
教科書と魔導書を下さい。もしくはメモ帳何個と交換システム下さい。生徒たちの魔法育成できない。
教科書ねぇ、魔導書ねぇ、マドルもそれほど貯まってねぇ。授業を毎日ぐーるぐる。
好きなキャラはねぇ、先生たち。自分は成人してるし元々大人キャラが好みだから生徒はあらーかわいいね~くらいの感情だなぁ。
推しは学園長。学園長のでっかい声聴くと元気が出る。愉快な人(人か?)だよね、好きだわ。いつか仮面の下を拝める日は来るのかなぁ。
先生たちのプロフィール出たときはもうテンション爆上がった。特にわんちゃん先生32歳で非常にニッコリした。いいね、32。101回いいね押したい。
無理だろうけど先生たち実装してほしいなぁ、ホーム画面に学園長設定して突っつきまわしてあのデッかい声で「コラー!!!」って言われたい。
どんだけ追っかけるか分かんないけどまぁ楽しめるところまでとことん楽しむわ。
よくよく考えればこれといった理由がない
俺は安倍は無能で不誠実な悪人だと思っているがだからといって逆らう理由にはならない
後々痛い目にあうのだろうけど、先のことなんて考えても仕方がない
後者だよ。
元増田の母親が何歳位なのかわからんが、今年結婚する子供の親なんだからたぶん昭和後期~平成前期に結婚したんだろう。その時代なら結婚の価値観は新旧入り乱れていたはずなので、元増田母は何かしら自分の結婚にわだかまりがあるんだろ。自分の好きなように式を挙げた友達を横目で見ながら、自分は全部親の言いなりにされたとかな。
昔の価値観だと子供の結婚~第一子出産から七年くらい、自分の結婚でも子の出る幕はなく、全部を両家の親が仕切るものだった。そういう価値観で来た親世代にとっては子の結婚は子の為のものではなく「私のターン」だ。まあ現代人の我々には相容れない価値観だが。
元増田が結婚式にさして思い入れのないタイプなら、逆に結婚式を上げることにし、地味な所だけ元増田夫婦がプランナーや夫両親と片付けちゃって、母親に美味しい所を予算の範囲内で好きにさせて溜飲を下げさせるという手があるってことだ。ウエディングドレス選びとかな。義実家がすげー古風で可哀想wwwと思われるなんて上等だ。元増田の母親みたいなのは自分よりも娘が幸せになるのが気にくわないんだから、てきとーに苦労してるように見せかけといた方が満足するだろ。
これぐらいが必要だとちょっと考えたらわかるのにわからんって時点でプログラマ10年ってのすら怪しいってこと。
大学研究職にでもなって一生かけてのテーマならまだわからんことはない。けどそこまで思い入れのあるものでもないだろう。
起業やイノベーション周りはちょっと思いついたらすぐ儲かるはずだ!ただ隠れているだけだ!って連中が山のようにいる。そうして生贄を探し続けてる。
生贄になればホント地獄を見るだけだし、最後はもともと能力がないくせに何故歩んだのかみたいなクソみたいな扱いでポイ捨てされる。
あんなクソな界隈関わらんですむのなら関わらんほうが正解だよ。かかわるのなら、まだ見ぬ技術に全力をかける意志と、金の算段と、頭浮ついたり足元見て嫌なことを強いる奴らを交わして逃げるスキルが絶対必須だ。
まあ大学研究職はまず必須だな。ビジネス系の金は技術と顧客とそのマッチングがもうできて、売上が見えている必要がある。だけど大学研究職なら科学としての成果でいいから。
最も科学としての成果も厳しいがビジネスとしての売上を求められるよりは優しいだろう。というかビジネス系の金は基本的にそれほど難しいものってこと。
のだけど、どうだろうか。
この歌は”find me somebody to love”という歌詞が繰り返し出てくるわけだけど、大抵の場合ここの対訳は「誰か僕に、愛すべき人を見つけてくれ」という風になっている。でも、どうにも俺には違和感がある。
この曲の主人公(僕)は、報われない日々を送ってきている。
I have spent all my years in believing you. But I just can't get no relief, Lord!
(神よ、僕はこれまでずっとあなたを信じ続けてきたのに、何の救いもない!)
I work hard every day of my life. I work till I ache in my bones.
(僕は毎日一生懸命働いている。骨の髄まで痛むほどに。)
Everyday - I try and I try and I try. But everybody wants to put me down.
(毎日毎日、僕はトライし続けているのに、それでも奴らは僕を抑えつけようとしてくる。)
そんな人間が、「ああ、僕には人を愛するということが足りないんだ」なんて思うだろうか。「誰か僕に、愛すべき人を見つけてくれ」なんて叫ぶだろうか。
俺は思わなかった。俺が求めたのは他者から愛される(=承認される)ことによる救済だった。
もうひとつ、気になることがある。
主人公が愛すべき人を求めているのであれば、歌詞としては”I need somebody to love”のように、主人公が主語となるような一節があって然るべきだと思うが、それに類するようなものはどこにも現れない。
その代わりに繰り返されるのは、”Can anybody find me somebody to love”という、特定の人物ですらない「誰か」への投げかけだ。
つまり、”find me somebody to love”は「誰か僕に、愛すべき人を見つけてくれ」ではなく、「誰か、僕のことを愛すべき人だと気づいてくれ」なのだと思う。
さらに言い換えると、「誰か僕を、愛するに値する人間だと認めてくれ」なんだと思う。
と、ここまで長々と思い入れたっぷりに語ってきたけど、俺は残念ながら英語を使いこなせるわけではない。
「そんなわけねーだろ」といいことがあれば、ご指摘頂けると有難い。
銀河英雄伝説は長い歴史のある作品だから最近の作品が受け入れられないという気持ちは分かる
30年以上前の作品だけどOVAも原作小説も面白かったし特にOVAは10年以上追い続けた人の思い入れは相当な物だろう
道原かつみ先生のコミカライズ版も現在連載中断している物の30年近く連載していてやっぱり長い歴史と熱心なファンが居る
でもそのOVAだったり道原かつみ版と内容が違うからといって新アニメやフジリュー版を無条件で叩く人はどうかと思う
元は徳間ノベルスで刊行された小説作品で、漫画にしてもアニメにしてもその小説を下敷きに独自の展開をしているんだから内容が違うのは当たり前なんです
原作小説から内容が違うから気に食わないというなら、昔からのファンが好きなOVA版だって道原かつみ版だって原作小説からの改変は結構ある
作品が自分の好みじゃないから・改変が気に食わないから許せない、嫌いだというのは分かるし理屈でも正しいと思う
ただ原作小説と、OVAと、道原版は良くてフジリュー版とDNTは改変が気になって許せないというのはアンフェアだとこちらは感じる
結局何が言いたいかというと、人が楽しんでる物に対してヘイトを吐き出されると不愉快になるんでやめてもらいたいなぁ…という事です。「黙れ!下衆!」とまでは言わないけど、言いたくはなっちゃうよ。
MCのぐだぐだをすっとばせば無料配信ライブとしては最高の部類。以下忍者に降りかけの他担が見た感想。
・総勢100人(出演者談)のJr.、大体がユニットだけど、バックに無所もいるし、忍者が22人でわさわさ動いてる図はオタクが大好きなやつ。
・ユニットの定番曲メドレー。始まった!って思うから好き。(たぶん)ハピグルとハイジェの英単語いっぱい入れた歌詞を聞いていると、ジャニーズだなあと思うしすごく楽しい。歌詞のジャニーズ感。
・特に忍者、SPあたりの団体芸が良すぎる。アクロフラッグバレエ。それそれそれ〜!ってなる。たつるのバレエってオンリーワンでとても目立つね。
・スマホの画面で見る分には画質良し。TV(たしか40インチくらい)に映すとガッサガサだがまあ無料配信だしスマホで手軽に見ることを考えると、良し。忍者や無所をじっくり見たいがまあ仕方ない。
・カメラワークは普段の少年からカメラマンが走り回って撮ってる激寄りと、客席映す後ろからの撮影が無くなった感じ。十分。
・無所は若い子ばかりだったのでフレッシュ。自分の名前団扇持ってるやつあれ良いよ。名前わかりやすくて「あの可愛い子誰!?」ってならずに覚えられる。ありがとう。でも3秒は普通に踊る忍者無所が見たかったです!それは強く言いたい。
・リアデラ。CDCGとかきーぽんとかじゃなく総出のときの課題曲はこれからリアデラになるのかな。自担絡みでリアデラは思い入れある。大人数リアデラってやっぱいいよね。サビの『飛び込んでおいでよここへ』の振り全オタク好きだよ。
・とらの一部ソロでバック付きだった。Jr.がメインになるのも勿論歌って踊って楽しそうで良いが、センターの一人を輝かせるためにバックをまっとうするJr.は最高に美しい。とらもJr.だけど結構風格あった。選曲も個性出てる。
・何よりこのライブのタイトルにもなっているWYH!総勢100名のWYHは圧巻。全員があのわくわく手洗いソングを歌って踊ってにこにこしている。これだよこれがジャニーズだよ。やっぱりジャニーズ最高だよ!序盤ではいくつかのグループに別れて曲リピートして5回くらいやった?もう洗脳。大好き。最後に皆でWYHでは無所がガチで泡付けて手洗ってんの。すげえや。最近忘れてたけどちゃんとにぎにぎウォッシュやらなきゃな。おざなりにしてしまっている自分をJr.達が戒めてくれた。
ぐだったり、ん?というところが無いわけではない。クリエCまでしか高齢無所いないの残念だし。そして出演Jr.全体みーんなまるっと好き🥰とかでも無いのでぼけっと見たところもあるが、ジャニーズJr.というのはやはり最高集団なのだった。
Jr.を知らない人の入門としてまあまあ適している(個人的には少年が一番だと思うがBSがネックと感じる)ので、ネット環境がある人は是非
『緊急生配信!! Johnny's World Happy LIVE with YOU Jr.祭り ~Wash Your Hands~』
を見ると良い。配信は土曜までだ。
私は小学生のときから、GARNET CROWというアーティストがずっと好きだった。というより今も大好きだ。
今日まで四半世紀とちょっと生きてきて「夢みたあとで」以上の楽曲に私はまだ出会っていない、本気でそう思っている。in little timeやholy groundも未完成な音色も、全ての楽曲がたまらない。捨て曲なしだ。これを読んでくださった皆様もどうか一度騙されたと思って聴いて欲しい。
"幸せの中に潜む不幸せ""大切なものをなくす痛み""過ぎ去ってしまったものが戻らない無情感"そういったものを拾い上げて歌ってくれる、そういう楽曲が当時小学生だった私には衝撃的だった。解散しても何年経っても、彼らの曲の魅力は色褪せない。今も私は魅了され続けてる。
けど、この思いを私は信頼できる1人の友人と夫以外には伝えていない。他の友人はGARNET CROWを好きなことすら知らないと思う。友人に嘘をついているわけではない。答えたアーティストが好きなのも本当だ。ただ一番ではないというだけで。
私は自分が本当に一番好きなものを誰かに打ち明けられずに、今も生きてる。
別に最初からこうだったわけじゃない。少なくとも小学生のときはこんなんじゃなかった。
変わったのは中学生の時。
私の中学は田舎ということもあって、荒れた学校だった。幸いにも私は人数の多い運動部に所属してたおかげもあっていじめなど被害を受けたことはない。けど、俗にいう"陰キャ"をバカにする空気がそこにあって、なんだか生きづらいなと思っていた。
きっかけとなったその出来事のことはいまだによく覚えてる。中学に入ってすぐ「どんな曲聴いてるの?」なんて話になった。小学生高学年から中学生になるとみんな、音楽に興味が出てきだして好きなアーティストの話にもなったりする。同じクラスになったばかりの子に私は「GARNET CROWとか好きだよ」と答えた。好きだから。他のどんなアーティストよりも大好きだから。
でも返ってきた言葉に私は衝撃を受けることになる。GARNET CROWにピンときてない様子だったその子の隣にいた別な子に「コナンの歌でしょ。なんでそんなの聴いてるの?」と言われた。なんでって、好きだからじゃだめなの?そんなのって、なんだよ。
やっとのことで「好きだからだよ」と返した私にその子は「普通聴かないよ、変なの」と言い放った。きっとその子は何の気なしに放ったその当時の率直な感想なんだと思う。GARNET CROWがじゃなくて、中学生の私が聴くのが変わってるって意味だったんだろう。けど当時の私には衝撃的だった。
今まで自分のすること、興味があることを否定されたことがなかったわけじゃない。けどそれは私が何かをするという行動が伴っているからだと思っていた。つまり否定されるのは私の言動であって、私の気持ちや趣味嗜好ではないとそう思っていたのだ。
けど今回は違う。そこに目に見えた私の言動はない。"ただ好きなだけ"という誰にも迷惑かけてないはずの嗜好ですら否定の対象になる。
私の勝手でしょ、なんて言ってやればよかったのに言い返せなかった。変に反論してこじれるのも大好きなGARNET CROWが否定されるのも怖かった。彼らが悪いわけじゃないのに、あんなに素晴らしい曲を作る人たちなのに、私が好きってだけで変なの呼ばわりされるのも耐えられなかった。
その子とはそれなりの友達ぐらいの距離感のまま卒業して、それ以降私から連絡することはなかった。同じ部活で汗を流しても結局あの印象が抜けなくて最後まで本当の意味で心を開くことができないままだった。
高校はやりたいことがあって、知り合いのいない少し遠い都市部の学校を選んだ。そこでも同じ質問をされる。正直に答えようとして、名前が喉の奥につっかえて出てこなかった。
このまま唇を跨いだとして、本当のことを言ったとして。また否定されたらどうしよう。その時私は目の前の、これから仲良くしていきたいクラスメイトのことを好きでいられるだろうか。そう考えたら一番好きなものを好きだというのが途端に怖くなった。
結局当時一番ではないものの、好きだったチャットモンチーの名前を挙げた。「私も好き」と返してくれたことにひどく安堵した。そのまま仲良くなって、友人も増え、知り合いが一人もいない学校にきたにも関わらず私は友人に囲まれ穏やかで楽しい高校生活を手に入れたのだ。
その時分かったことが2つある。
1.好きなものを好きだと馬鹿正直に打ち明けなくてもいい。自分がわかっていればそれでいい
2.下手に答えてその人を嫌いになってしまうくらいなら、当たり障りのない答えをしておいた方が圧倒的に楽だ
人生を穏やかに楽しく生きるためのコツを掴んだ気がした。あの質問をされるたびにその時聴いているアーティストのなかから、流行ってて人気がある人を答えるだけでよかった。答えたそのアーティストが好きなのも一部分では本当のことだから、すんなり信じてもらえた。
自分の友達にそんなことをする人がいると思いたいわけじゃない。実際多分いないと思う。けど誰にも迷惑かけていないただの自分の嗜好を否定された時、その友達を好きでいられる自信がない。友達ならまだしも、生きてく都合上ある程度関わらなくてはいけない程度の思い入れしかない人だったら尚更許せる気がしない。
だからこれは私なりの予防線だった。なるべく人を嫌わずに生きていくために必要だった。
大学に入ると自分が大人に近づくにつれ、周囲も大人になり、人との違いに寛容になっていった。当たり前だけど大学にはいろんな人がいる。多分ここでなら何を好きと言おうと否定してくる人間はいなかったと思う。それでも言えなかった。
社会人になりいろんな世代の人と接するうちに、ご年配の方には人の嗜好にまで口を挟んで否定してくる人が多いことにも気がついた。それでも付き合っていかなきゃいけないから、もはや言う努力なんてやめてしまった。
数少ない私の一番好きなアーティストを知っている二人、夫と親友にGARNET CROWの話をしたのは去年のことで、好きなものを正直に話してもいいと思えるまで出会ってから10年かかった。
私はこれからもきっと本当に好きなものを誰にも言えないままだと思う。この先も「普段何聴いてるの?」と聞かれるたびにそのとき比較的流行っていて聴いてるアーティストのなかから、適当に答え続けるだろう。
あの子が何気なく発した言葉が、十数年経った今でも未だに私に刺さったまま抜けない。
この増田を読んでくださった方々にそんな方はいないだろう。本当に私が届けたい、いつかのあの子にこの言葉は届かないんだろうし、そもそも私が傷つきやすいってだけなんだと思う。でも、
「自分の好きなものを否定されていい気持ちになるやつなんて、この世に存在しない」
これは誰にでも当てはまることだと思うから。いつか誰かに抜けないトゲを刺してしまう前に、言葉を発する前にどうか一度思いとどまってほしい。私も気をつける。
その"好き"をあなたが理解できなくてもいい。しなくてもいい。どうか、否定しないであげてほしい。理解出来ないってだけで攻撃対象にしていいわけじゃない。
否定の言葉の代わりに「そうなんだ」と相槌を打つだけで世界は少し優しくなる。誰も傷付かずに済む。
誰もが一番好きなものを素直に好きと言える、言っても傷付かない優しい世の中になってほしい。
バンプが好きだと言ってた中学生、チャットモンチーが好きだと言ってた高校生、クリープハイプが好きだと言ってた大学生の私が救われることはないけれど。世界が少し寛容になればそれで救われる誰かがいる。いつか変わることが出来る。そう、信じている。