はてなキーワード: 在特会とは
違う。
山田が機会主義者で表現の自由の破壊者であると見做されている。
論点は3つ。
1.元々「表現の自由戦士」という揶揄が広まったのは在特会がヘイトデモをしている頃で、ヘイトスピーチ規制派と反規制派がいがみ合っていた。
その時反規制派が「これは根源的な表現の自由だ」という主張をしていた。破廉恥な表現こそ守られなければならないのが本当の表現の自由だという主張をしていた。
だがその具体的に「守る」とされていた行為は殺人などの脅迫だったし、批判にも表現の自由の侵害と反駁しており、何より2次元エロとヘイトスピーチの擁護以外彼らは興味もなく寧ろ冷笑的だった。
2.オタクはずっと野党側の表現の自由擁護議員をパージするという事を繰り返していた。
アイデンティティポリティクスで篭絡されて利益の為の行動が出来なかった。
3.第二次安倍政権以前では保守を標榜するが地盤が無い者は表現規制を標榜するのがありがちだった。それは安易だったから。
1970年代から漫画や悪書追放は保守派の根強い運動で、特に宗教右派が熱心だった。この為、表現規制派を標榜するとここに訴求して安易に票田を得ることが出来た。
族議員が強かった時代の自民党のニッチなの。そして第二次安倍政権以後はこの手の議員が強くなっている。
だから山田は新人議員として(3)の表現規制界隈に近いところで活動をする他なく、(1)2次エロの自由以外の表現の自由には抑圧的なオタへの訴求だけしか考えず、(2)アイデンティティポリティクスでの篭絡でオタの支持を維持して、結局表現規制に加担するのではないか?と疑問を持たれている。
統一教会への接近で炎上したのはこういう構造の為、「ほれ見た事か」となったわけだ。
彼の支持者は彼の行動を何でもかんでも擁護すると2.のアイデンティティポリティクス型支持に陥ってしまうという危惧が足りない。
id:arrow1953 のまんだらけの「禁書房」はオタクのキモさを周囲に知らしめる絶好の機会 - サブカル 語る。について批判する。
「若い女の子の多く集まるお店の前。」というのを考えてみた時に「そもそも、自らの性癖を周囲(しかも女性)に晒すことになる店なんぞに客はやってくるのだろうか?」という考えはなかったのだろうか?いやいや、おそらくあったのでしょう。ということはむしろ「女性たちに自分の性癖を晒すことになる」のが大前提であり、それこそこのお店の最大の「ウリ」と判断したのだと考えるほうが自然。
いや、それは不自然だw
まず、中野ブロードウェイはテナント部分も区分所有であり、以下のような理由が考えられる。
で、客が来るか来ないかでいえば、もともと周辺はまんだらけや、他のアダルトショップもあり、回遊性という意味では特に支障が無い。
つまり、目の前のファンシーショップのことを気にしていなかっただけ、と考える方が明らかに自然だろう。気に入らないものに対して、無理に悪意を見出そうとするのは人の心理ですが、書いていて気づかないのは、はっきり言ってかなり重症である。
一般的な形で社会にコミットしているエロ好きオタクや非オタクな社会人の皆さんはそんな環境を「キモい」と思うでしょう。社会にコミットできているエロ好きオタクにとって迷惑このうえありません。
社会というものについて深く考えることもできず、ただ性欲をダラダラと人目を憚らず周囲に垂れ流すだけの節度のない「オタク」ははっきりいって「ジャマ」。
しかし、そもそも「社会」とは何だろうか。単に、"いかがわしいものは排除する"程度の話であれば、それは、「社会」の話ではなく「世間」の話に過ぎないと増田は考える。これが、もし「社会」の問題であれば、ファンシーショップやその客側の利害や権利、まんだらけやその客側の利害や権利を洗い出して具体的に特定し、それを比較衡量し、なおかつ人権といった普遍的とされる概念に照らして判断する必要があるし、もし規制するとしても、最小限度の範囲で利益を考慮したかたちで行われる必要があるだろう。
id:arrow1953 の言い分を要約すると「"キモイ""節度のない""社会に対応できない非常識なオタク"は"ジャマ""迷惑"だから"駆除"すべき」といったことを言っていると思われる。ここで、注目すべきは「駆除」の条件である。
これらの、主観的な悪徳の評価は、おうおうとして少数民族や異端の迫害、村八分を行う理由として使われてきたものである。ちょうど先日9月1日は関東大震災の日だったが、その際に行われた朝鮮人やその他外国人、「アカ」、その他の余所者などの人々に対する虐殺は、このような理由のはっきりしない主観的な悪徳の評価が大きな背景としてあった。id:arrow1953 の主張は、関東大震災で虐殺に及んだ「普通の人々」とほぼ同じである。
なお、ちゃんと人権を学んだ人は「公共の福祉」つまり、権利の衝突から、必要最小限の自由の制約ということを考えるし、仮に自分が不快に思ったとしてもそんな感情はクソどうでもいいものとして棄却しちゃんと合理的な思考をするように訓練されているし、市民(≠大衆)はそう訓練されなければならないと増田は考えている。
ゾーニングを守ってさえいれば
この、「ゾーニングを守る」の一言で済ましてしまうことが、大きな問題である。
まず、完璧なゾーニングというのは不可能である。どんなに隠したところで、そこにそういうものがあることは隠すことができない。なぜならば、ゾーニングは中に何があるかを明示しなければゾーニングにならないからだ。また、厳しいゾーニングで広告宣伝が制約されたり、不便な立地に追いやられれば、当然に、売上や客足に影響するだろう。また、ゾーニングの対象をどのように選ぶかという問題もある。たとえば、ユダヤ人の経営する商店は特定街区にゾーニングするとすれば、それは単なるゲットーだ。
このように、一言で「ゾーニング」といっても、営業の自由やそれによる利益に対して配慮し、合理的に規制しうる最小限度の範囲で行うための子細な検討を要するはずである。それらを抜きに「いかがわしいアダルトショップが悪い!」みたいな雑なお気持ちで「ゾーニングしろ!」と吹き上がるのは、はっきり言って、コリアンタウンでデモをやる在特会の連中とさして変わらない。
ってのはありそう。
まだ今に比べれば相対的に世の中がまともだった頃(注1)連載を開始した進撃の巨人が厨二病的な世界でうだうだとやってるうちに、鬼滅の刃がドストレート正義でぶっちぎっていったのは象徴的かなと。(その鬼滅の刃も初期はまだ「正義押し」が固まってなかったが。)(注2)
小山田問題で古の鬼畜・悪趣味系の話が出た時にも思ったんだけど、もはや最大限がんばって露悪芸をやったところで例えば「国会で過労死について審議してる時にニヤニヤ笑ってる総理以下閣僚たち」みたいなガチな人らには到底かなわんので、鬼畜系の露悪とか「正義こそが悪なのだあ!」みたいなのをがんばりたい人々にはつらい世の中になってしまった。
(注1)連載開始の2009年は例えば在特会がカルデロンのりこ氏の居住地域で嫌がらせをやったり京都の朝鮮学校を襲撃したりしてその存在感を高め始めた頃で、ウィシュマ氏の問題などを含む現在進行系の「悪が勝つ」ムードが芽吹き始めた頃とも言える。
「貧困の男性は友人関係も、同じ貧困の女性と比較して半分くらい」これを差し置いてなぜフェミニズムに責任を負わせるんだろう。結局は女性にケア役割を押し付けようとしてる。男性も対男性ケアを分担すべきでは。
まず「誰かと愛し合いたい」と「モテたい」は違うと思うのだけど。誰からも愛されなかった絶望の先が、飢え? 食べ物の話なら飢餓のあとに絶望がくると思うけど性は違う?/非モテが性的指向?(追記しまくり)
「女性が家父長に指図されず好きな人と結婚したいのは支配欲でしょうか?」愛するパートナーが欲しいという欲求と”女を獲得したことで社会への承認欲求を満たしたい”という欲求をすり替えて議論を進めてる
子供が産めないという一点で「なら無理」って散々男性に言われてきた経験から、非モテ男性も女性を選択してるのでは?って思うんだけどなあ、非モテの男性とも複数つきあったけど非モテの人ほど子供欲しがったよ
ここまで考えてるのに何で以前からある男性学を無視し続けるのだろう。なぜ男性学には興味を持たないのだろう。男性学ではだめな理由を今度書いてください
弱者男性が生きづらいのは女性のせいでなく社会のせい。なぜか社会を叩かずに女性を叩く。ここまで執着するのは異様。その社会形成には自身に巣食うマチズモも関わっているから社会批判を避けたいのだろうが。
この人のいう「モテ」とはなんなのか。一般的な女性が考えるモテとは異なっている可能性があるのでは。正社員の席と比較しているが、その「モテ」を女性は本当に必要としているだろうか。
すごい全く理解できない何が言いたいのかもわからない。。非モテ男性は責任転嫁する(容姿や環境のせいにしやすい)、他人と比べやすい、ってことだけは何となくわかった。男性の方が競争心強いからかなぁ。
私、非モテのデブスなんだけど、セクハラには結構な頻度で遭うわけ。それを「求められている」と言われても。あと「モテ」≒「愛されたい!」だと、他者の関与がいる。愛したい、なら、まあ自己完結できるよ。
「擁護ではありません」と念入りに前置きして長文で煙に巻けば誤魔化せると思っているのかもしれないが、フェミサイドの原因を女性/フェミニストに押し付ける非道な言い分でしかない。
誰からも愛されないってそんな特別なこと?なぜそれを受け入れられないの?自分が愛されないことはおかしい!という前提があるんじゃないかと思ってしまう。
筆者の書くとおりに加害がなくなったとしても「モテ」というものから自身が自身を解き放てないとこれらの問題は終わらないと思う。
大変なこともあるだろうけど男性同士でどうにかしてねという感想しかない。女性は女性で自分たちをケアしたり身を守るので精一杯なので。
わかるとこもあるけど、並べ立てた「女性が性的に求められやすい」証拠は、「女性は性だけを目的に人格を無視する侮辱を受けやすい」証拠にもなりうる。非モテが喉の渇いた人なら、泥水を始終かけられてる人もいる
弱者男性が傷ついた妖精みたいな言い方してるけど、彼らが持つ加害性をないことにしてないか?あいつらが女にTwitterではものすごいセクハラパワハラ嫌がらせグロ画像送ってるの皆知らないんだな…
女性の容姿についてさんざん好き勝手をいっておいて、自分が容姿のことをいわれると死ぬほど傷ついてしまう人たちが「非モテ」の多数派と認識している。よってまるで支持できない。
「恋愛」の「権力勾配」を直視できないフェミニズムって存在価値ないよね。というかフェミニズムが最も逃げている部分。提示されると男性性とかホモソを言い訳にして責任から逃避する。
女性の恋愛は妊娠や一度受け入れた後の暴力、別れに逆上され殺される等身体的なリスクが高いことも踏まえて考えてほしい 侮蔑や嘲笑は止めるべきだけど、普通に接すると恋愛と勘違いされてリスク上昇する難しさも
女性が受けている不平等な扱いや蔑視、現実に起こった暴力を、男性の「モテナイ」と同格に語るのはなんで?「モテたら」男女平等で公正だ、という話なの?ジェンダーによらない平等な権利の話をしてるんだけど...
女性に相手にされない医者が集団強姦した事件あったけど、セックス以外に楽しいと思える趣味を見つける努力してくださいね。オツムが弱いからセックス以外に楽しいと思える趣味が見つからないのかな?
「相手を人として敬意を払う」というのは他人と親しくなる(相手に理解してもらう)ための本当に最低のラインなんだけど、最後まで読んでも女性に対する敬意が微塵も感じられないよねこの文章。
モテたがるのは別に良いが非モテは差別!女は特権階級!という言説は在特会と同レベル。ストーカー被害者も強者になる弱者男性論はカルトだね。非モテ女性を晒してこき下ろす男性がいる以上、彼女らにも救済はない
「フェミが力を持つ前インセルは静かだった」んな訳ない、普通のマチズモ同様女性を見下して当然の世情では区別つかなかったに過ぎない。事件に抗議するのを弱者男性差別扱いしてる層が多いのに"中立になれ"っても…
https://togetter.com/li/1748778
例えば、「各国民族衣装をイメージした和装の着物を、日本人モデルが着て写真を撮る」のような企画があったと仮定してみると、どうでしょう。(「擬人化」という独特の文化を喩えることはなかなか難しいけど、大体その程度の話だと思います。)
その時、この人たちが同じような感想を呟いたかどうかと言われると、そうはならないだろうなと思うんですよね。
「いや、そんなことはない。同じように批判している」と言うかもしれないけど、現にそういう姿勢を見せられていないから、フィクト系のジェンダー・セクシュアリティを持つ人々から不信感を持たれているんじゃないでしょうか。
問題があると考えるなら、たとえ個人の意見でも、「(他の人はどうかしらないけど、少なくとも私個人は)問題があると考える」と堂々と言うべきでしょう。
まずくはないんじゃないですか?私が苦手なだけで。
在特会的な人々がヘイトを扇動する時、「表現の自由」を掲げるのと何が違うんでしょうか。
私自身、こうした企画が手放しで「素晴らしい」と褒められるものではないとも思います。
しかし、「功罪ともにある」という程度のものを語る時に、「功」の部分を徹底的に無視する意図はなんなのでしょうか。
逆に、「二次元」や「萌え」と無縁であればあるほど、その「罪」に向けられる視線が随分甘く見えるのは、我々フィクト系のジェンダー・セクシュアリティを持つマイノリティの「気のせい」なのでしょうか。
コロナで分かったけど偽医学で死んだ奴ってかなりいるだろ。コロナ禍だけ見ても、反マスク運動に傾倒して死んだやつもいるだろうしこれからはワクチンを打てば助かる命が反ワクチンによって失われるだろう。
過去の事例なら子宮頸がんワクチンとかがある。これも副作用があるらしいが、副作用で死ぬやつより子宮頸がんで死ぬやつの方が多いだろうな。
そしてここが一番ヤバいところだけどこれだけ人が死んでおきながら全く取り締まられる気配がないところだ。多くの人を扇動して殺しにかかってお咎めなしなのはさすがにどうかと思うし、このコロナ禍においては偽医学は「明白かつ現在の危機」に該当すると思う。
例えば表現の自由の規制と言うと在特会という団体があるけど、彼らのヘイトスピーチで死んだ人の数なんてたかが知れてる。彼らが醜悪なのは言うまでもないけど、反医学の害に比べたら取るに足らないものだと俺は思う。
例えば老人は見殺しにするべきだと言う権力者がいたとしてその時に親だけは守ろうとあれこれ権力を使っていたことが分かった時と決めたことだからと言って機械的に自分の親も他の老人と同じように見殺しにしていた時のどちらの方がより多くの人から反感を買うんだろう。
ネットの論争は一貫性を求めようとする場面が非常に多いけどその一貫性を守ろうとして人の道に外れることを良しとするのかな。
ここの意見の違いは政治的スタンスとかに大きく影響を与えそうな予感がする。
俺は最初の例だと前者により大きな不快感を感じる。一貫性すなわち平等を大事だと思ってるからだ。もし在特会が在日朝鮮人に対してヘイトスピーチデモをしていたら糾弾されるべきだけど、ヘイトデモに対して在日朝鮮人が「日本人のクソ野郎」と言ったらそれもまた差別として同様に糾弾されるべきだと思う。
ただこれに反対する人の気持ちも何となくわかる。ただ推測できるだけで心の底から同意はできない。これはもう宗教の違いみたいなものでお互い分かり合うのは無理だと思う。
どこも間違っている。ネットでググっただけでよく知りもしないことをしたり顔で断言するのは恥ずかしいのでやめましょう。
社会的少数派を偏見に基づいて「嫌いだ」と口にする自由は制約される(ヘイトスピーチ法/条例に抵触する範囲では法的に制約されるし、そうした見解を批判する立場からの言論によって---増田が「周囲から総攻撃を食らった」ように---社会的に制約されることもある)
・そうでなくとも自由な言論によってヘイトスピーチに対し反論がなされ、社会的に制約されることもある
と主張している。あらゆる「嫌い」発言を法的に規制する、などとはどこにも記載されていない。
にも関わらず、単なる「嫌い」という発言を含めてすべて法的に規制するかのように元主張を歪めて解釈しているid:yoshizawa81 は基礎的な読解力に欠如しており、その反論も意味を成していない。
id:yoshizawa81 は単に無知だったのかもしれないが、同じく「KKKの指導者が、集会で白頭巾被って十字架を燃やし」たBlack事件においては、十字架の焼却を規制する州法を合憲としている。これはR.A.V.判決よりも新しい。
またドイツ・カナダでは、特定の民族ないし集団への侮辱的な表現は今日日違法である。
さらには本邦日本でも、朝鮮学校付近の公園でヘイトスピーチを発した在特会に対して、2009年に損害賠償請求が認められている。以降も在特会は名誉毀損罪などで有罪となっている。なので「朝鮮人は帰れ」が規制されないとする主張は明確に誤り。
また2017年には在特会の桜井が有田議員に対して行った賠償請求裁判の中で、桜井の発言がヘイトスピーチ規制法に基づいて差別的と認定され、一定の批判は免れないとして賠償請求が棄却されている。
今日「コロナ禍で女性の自殺が激増している。収入が途絶えて鬱病になった末にというケースが多いようだ。深刻な社会問題だ」という話題をリアル知人たちと語っていたら、
「でも、そういう鬱の女性は付き合ってる男が支えて何とかなるケースも多いんでしょう? ネットで見た!」と言い出す人がいてギョッとした。
その人は増田を見ているような重度ネットオタクではない。スマホを持つようになって初めて仕事以外でネットを見るようになったレイトマジョリティ、昔風に言えばパンピーの情弱だ。
しかし最近は下記のように増田で『理解ある彼くん現象』ネタが連日ホットエントリー入りし、Twitterなどで拡散して意識の低い層にまで届いているようである。
https://anond.hatelabo.jp/20210216153926
https://anond.hatelabo.jp/20210216171259
もしも世間に『理解ある彼くん』がメンヘラ女性を救う「共助」があるから、弱者女性は捨て置いても問題無しという認識が広まっているとすれば由々しき事態だ。
例えるならば、『実録! 生活保護不正受給 ~ヤクザの手口~』といった漫画が連日バズっていて、
「生活保護ってこんなに不正受給が多いのか……許せない! 役所は何やってんだ! 水際作戦を強化せよ!」という義憤が人々の間で広がっているような状況だ。
上記の増田にしても、ほとんどの書き込みはネタやジョークでやっているつもりであろうが、我々はネタ扱いされていた2chの嫌韓が在特会という路上の公然の差別運動を生み出した歴史を既に知っている。
我々にとっては面白半分の「ネタ」でも、ネットリテラシーの低い層や過去の文脈を知らずに接する若年層は「ベタ」として本気にしてしまうのだ。
やはりここは、精神科医やケースワーカーのような専門家が専門知に基づく解説や客観的な統計を出して『理解ある彼くん現象』が幻想であるという反論を展開して欲しい。