はてなキーワード: 問答無用とは
『子どもを産んだ女性が「産んだことを後悔している」と公に言うことは絶対に許されない圧力がある』って言う言説、よく見掛けるけれど全くピンと来ないんだよな
いや、子供を生んで後悔してるって言ってる女性、普通に見掛けない?Twitterではわんさか出てくるよ?
まあ表では「産んだことを後悔している」と言い辛いような空気も多少はあるのかもしれないけれど、それに対して『絶対』は大袈裟でしょう。
海外では本当にそうなのかもしれないけれど少なくとも日本では違うんじゃない?
妊娠出産に関して『圧力』があるとしたら、それは『子どもを産んだ女性が「産んだことを後悔している」と公に言うことは絶対に許されない圧力』などではなく、
第三者(特に女性)が「他人の妊娠出産を祝福しないといけない圧力」の方だと思うんだよね…
他人の妊娠出産とかどうでもいいし寧ろ生まれさせられる子供が可哀相だと思うんだけど、問答無用で祝福しなきゃいけない圧力があるじゃん
今年のうちには死のうと思っていたのだが、あれよという間に結婚していた。妻と出会ったのはほんの半年前のことだ。
そうして2021年ももう終わりに近付いてきたところで、希死念慮もとりあえず脇においておけるレベルになっていることに気付いた。
経緯をはてぶにでも簡単に書き残しておくことで、誰か必要な人に届けば良いと思う。
私はかなり重度の希死念慮の持ち主だ。
元来、基本的に薄っすら死にたい気持ちを抱えて暮らしてきた。健常の人には中々理解されないことだが、「生きているだけで苦痛」なのだ。
学生時代も挫折の連続でそれはそれなりに辛いこともあったけれど、普通のサラリーマンとなり受験や就活といった目下の目標を見失った後は気を紛らわすようなものもさして見当たらず、ずっと「一体、何のために生きているんだろうか?」という気持ちに苛まれてきた。
趣味でも、仕事でも、誰か大事な人の為に生きなければいけないでも、何でもいい。生きる苦痛を贖うだけの理由が必要だった。
そして特に趣味はない。そういうものを探す努力もしてみたが、見つからなかった。元々無能の社会不適合なので、立身出世を夢見て仕事にまい進することも出来なかった。婚活をしてみたけれど、お恥ずかしいことに誰にも愛されることは無かった。
誰にも求められず、自分さえ何のために生きているかわからないまま東京で過ごす日々は着実に心を擦り減らしていった。
婚活で出会う女に金を遣っているうちに貯金の残高もなくなり、やはり自分のように価値のない人間が愛されるにはカネが必要なのだと思った。そして、はやりの言葉でいえばFIREをしたいと熱望するようになった。
リスキーな投機を繰り返し、あっという間に2千万円という多額の債務を抱えてクビが回らなくなった。
首を吊った。失敗した。縄が切れたからだ。次はもっと丈夫な縄でやろうと誓った。
いずれにしても、「実行できた」。希死念慮を持つ者の中でも、思い描くことと実行することには大きな隔たりがある。「オレは本当にいつでも死ぬことの出来る人間なんだ!」という思いを確かにし、ずいぶん勇気づけられた私は、破産手続きをすることにした。
法テラスに連絡して弁護士と破産手続きを進め、裁判所から「お前の破産を認める」という通知が来たのは2019年も半ばに差し掛かった頃で、私は30歳になっていた。
「破産」という言葉の強さに、「これが不幸の底だったら良いな」と少し楽観的に思っていた私だったが、そこから坂道を転がり落ちるように不幸が立て続けに起こった。
職場で上司に暴力を振るわれ警察沙汰になったり、身内が亡くなったり、別の身内がニュースになるような事件の当事者になったり、海外で車にひかれ、その勢いでインフルエンザに罹り入院したりした。短い期間に事故って負傷したり損害を負ったことも一度や二度ではない。
もちろん仕事がうまく行くようなことはないし、婚活をしたって破産者で更に未だ債務のある人間を愛する異性なんているはずもなかった。
そうして鬱々としているうちに、そういう態度に愛想の尽きた友人たちの多くは私の下を去り、余計に孤独を深くした。
もう何をやってもこの人生は上手く行かないと悟り、いい加減に死んだ方が良いと思った私は、前回の失敗を活かしAmazonで丈夫な大型犬用のリードを購入した。
そんな折、婚活仲間として意気投合し、一緒に遊んでいるうちに希死念慮を打ち明け合うようになり親しく付き合っていた友人から連絡が来た。私の数少ない、大事な親友だ。
それは、「一緒に死のう」という申し出だった。「さもなければ一人で死ぬ」という話だった。
結局、思うところあった私はその申し出を断った。その代わり、友人の自死を看取ることを約束した。
看取る。つまり友人が自死に失敗したときには、私が殺すということだ。
私も自殺をしくじった人間だ。自殺の恐ろしいところは、死それ自体ではない。失敗して、欠損した心身で生き残ってしまうことだ。
少しでも苦しまずにいけるよう、寄り添っていたいと思った。何があっても味方でいると誓った友人が君にはいて、クソみたいな人生だったかもしれないが、孤独ではなかったと思っていて欲しかった。
そして友人は死んだ。ホテルの一室で首を括った。傍らには私がいた。
私は、服役することを覚悟していた。調べる限りにおいて、類似の事件はみんな実刑になっていたからだ。
しかしそうはならなかった。友人が書き残した遺書に、しきりに私のことを庇うような言葉が書かれていたからだ。遺書は、私に書かされたものではないことを示すために、自宅に届いた携帯料金の請求書の裏に書かれていた。
そして遺書には、友人の大事な人に私がメッセージを届ける役目を託すという旨が書かれていた。
警察から解放された私は、確固たる希死念慮を携えて、友人に託された遺書に書かれた内容を遂げていった。遺族や友人に会い、顛末を伝えた。
会うのを拒んだ人もいたし、友人の死で心が落ち着くのに時間を要した人もいたが、おおよそ「これ以上はもうできないな」というところまで遂げるのに、半年以上の月日を要した。
私は友人にとって特別な存在になることができた。それだけでもう、苦しんで生きた甲斐があったというものだ。そしてもう私の生きる意味も役目を遂げた。
ここから先にあるのは、更に苦しく孤独な未来しかないと思った。私自身の心ももう、本当に限界を迎えていた。
もういつ死んでもいいと思っていたが、最後にせめてやり残したことを全て終えてからにしようと思った。
職場から逃げ出し、仕事を放り出した私は、ブログにこれまでのことの経緯を書き残した。ずっと書きたいと思っていた小説も書き上げた。それはほとんど誰にも読まれることはなかったけれど、別にそれで良かった。
そしてバイクを買って、旅に出た。行きたかった場所を見尽くし、この国の何処を探しても希望の無いことを確認して、そして、友人と同じホテルの一室で、ドアノブに首をかけて一人で死のうと思った。
不幸中の幸いなことに、破産してから特に散財していなかったお陰で手元にはいくばくかのカネが貯まっていた。コロナ禍のお陰でホテルも安かった。
東京から一旦新潟に出て、冬の日本海を南下し、九州を一周し沖縄へ行った。東北を抜け、北海道を反時計回りに一周し、小樽のフェリーに乗って新潟に戻り、東京へ帰って来た。
大雨の日も雪の日も、風の日も氷点下の日も、宿が見付からない日もあった。凍った道も崩壊した険道も通ってきた。スリップして転ぶことも凍傷で手足が紫に腫れる日も、腱鞘炎や捻挫で痛みに堪えて走った日もあった。だが、東京で死んだように生きるよりずっとマシだった。とにかく前に進み、少しでも多くの景色を見て、希望が無いことを確認しようとした。
そうして全ての都道府県を見て回り、日本を一周し終わったのは、今年2021年の春頃だ。
数か月にわたる旅の間、SNSにその模様を呟いていると、当地に住むフォロワーの人たちが声をかけてくれて物資を提供してくれたり、ご飯を奢ってくれたり、宿をとってくれたりした。
本当に有難いことだったが、それでも今後に希望を見出すようなことは無かった。
多くの人は「生きて欲しい」と言ってくれたけれど、だからといって彼らが私の人生に責任を負うこともなければ、依然として私は孤独だった。
日本中を探し回っても希望が落ちていなかったように、今後そういう類のものが現れることは無いだろう。それを確認し尽くした、と思った。
旅の間見たどんな絶景も私の心を埋めることはなかった。景色は、しょせん景色でしかなかった。
旅が終わって数日もしないある日、近所に住んでいるというフォロワーの方から連絡をもらい、会うことにした。
私は彼女のことを何度も見たことがあった。ひときわ美しく、人前に立つ仕事をしている人だった。
彼女は、「あなたのファンです」と言った。ブログも、Twitterも、配信も、全部追っていて、そして旅が終わる頃になって、私の生活を追えなくなるのがイヤになってしまったらしい。そして彼女は、「私は、あなたの人生に責任を負う覚悟があります」と言った。
だが、私はブサイク陰キャコミュ障無職借金破産非モテ希死念慮の役満人間である。彼女のような聡明で美しい女が、私のことを好きになるはずはない。分かり切っていた。
しかしまあ、騙されても奪わるもののない私は、彼女の言うがままデートを重ねた。そうして数か月経った頃、気付いたときには結婚し、主夫になっていた。
だからといって希死念慮がすぐに消えるわけもなく、「自分はきっとこれからも生きていけるのだろう。妻と一緒なら乗り越えていけるのだろう」と思うのにはそれなりの紆余曲折と妻の説得があった。だが結局、女に拾われて節操なく生きることになってしまったことに変わりはない。
人生は塞翁が馬みたいな感じだ。こうなるのには奇跡のように途方もない強運が必要なのは間違いないが、しかし一つ言えることは、私は、「ぎりぎりまで死ぬのを延期していた」ということだ。
私はこの人生をもはやどうでも良いと思っていたが、ひとまず「とりあえずこれをやる」というものを探し、死ぬのを何度も延期した。
死ぬ前に、小説を書き上げようと思った。仕事を放り投げて旅に出ようと思った。ブログを書こうと思った。Twitterやキャスをやろうと思った。とりあえずなるべく他人と会おうと思った。
そうして何度も何度も死を僅かずつ、ほんの少しずつ延期していなければ、妻が私を見つけることは無かっただろう。
そして妻の人生もまた尋常なものではなく、私に共感を覚えるような深い悲しみを抱えている人だった。そして友人の死と、私がその死に向かい合っていたことが、パズルのピースのように奇跡的に当てはまり、ネットの海から掬い上げられた。
自分のことを特別にして求めてくれる誰かに愛され生きることは、思っていた以上に私を楽にしてくれた。
妻は、私が友人のことを悼み続けることを許してくれるし、妻にとって私は、今のところ良い主夫として何とかやれているみたいだ。来年の春には新しい職場で働くことが決まっている。きっと無能者扱いされると思うけれど、きっと大丈夫だろうと思えるくらいにはなった。
だから死にたいなんて甘えだとか、問答無用に生きるべきだとか、大事な人が悲しむだとか、生きてることに感謝しろだとか、そんなトンチンカンなことを言うつもりは毛頭ない。
一度「死ぬ」ルートに入った人間を掬い上げるのは本当に困難だし、何の代償も支払うことなく他人の人生を救うことなんて、基本的には誰にも出来ない。
私は、自分が友人にしたことを後悔していない。友人のことは救えなかったし、最期に孤独にしなくて良かったと今でも思っている。
だけど、もしこれを読んでいる人の中に死にたいと思っている人がいたら、死ぬ前に、何か言い訳をしてみて欲しい。
明日はマックの新商品が出るから今日はとりあえず生き抜くだとか、私みたいにお金と体力が尽きるまで放浪してみるのも悪くない。映画を見まくって、芸術に触れて、ときには創ってみて、食って寝て、会いたい人に会って、未練が残らないように、ギリギリの本当にギリギリまでやることを見付けて、やり尽くして、それでも未だ死にたいと思うのなら、好きにしたら良いと思う。
その最期の一瞬までに、これを読んだあなたのことを誠実に見てくれている誰かがいて、手を差し伸べてくれることを切に願う。
そしてあなたの大切な誰かが自分の前から去ろうとしているときは、遠慮がちに手を差し伸べてみて欲しいと思う。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.chunichi.co.jp/article/368446
ここのブコメ欄で作中で「悪として描かれる悪」と「悪とされていない悪」は違う、とか言われてるけれど
この記事に出ている「○○さんのエッチ!」って、『悪とされていない悪』なの?台詞からして嫌がってるんだしどう考えても『悪として描かれる悪』じゃないの?
少年漫画の性描写に関してよく言われる批判で、漫画の女の子はちょっと殴るくらいで済むから嫌がってないっていうのを見掛けるけれど
どうも認知の歪みがある気がするんだよな。明らかに嫌がっている描写なのに…。女性の「ノー」を「ノー」として受け取れないのはそっちなんじゃないの?
(鈴木央の『七つの大罪』のエリザベスくらいに明示的にセクハラを受け入れているキャラなら『悪とされていない悪』と言われるのも分かる)
それを言うなら暴力描写こそ、『悪とされていない悪』と言えるよね。現実には相手が悪人だろうと正当防衛を超えた暴力は認められていないのに、悪即斬で暴力が肯定されている作品は多い。
例えば鬼滅の刃でいうと鬼は問答無用で殺していいのかとかいう批判もあったし、首を斬られる鬼が喜んで受け入れるような場面もある。
子供に対する性描写の影響が語られるなら、善悪の判断のつかない子供に相手が悪なら暴力をふるっていいと教え込む事の問題点だって語られていい筈なのに。
実家に帰ったときに母親が「QRコードを読み取ったらある製品の説明書が開けるらしいのだが、全然開けなくて困っている」と言ってきた。
あいぽんならデフォでQRコード読み取り機能があるのだが、そのAndroidスマホには入ってなくて、ストアからダウンロードしたQRコード読み取りアプリを使ってた(正直QRコード読み取り機能ごときがないこの時点で終わってる)。
そのQRコードアプリがまた終わってて、まず起動したら広告が表示される。5秒待って広告の☓ボタンを押したあと、ようやくQRコードを読み取れるようになる。そんでQRコードを読み取ったら、「〇〇をインストールしますか?」と表示された。俺はその製品のアプリだと思ってインストールした。
だが違っった。これも広告だった!こんなことあるか?無法地帯やんけ。そのせいか、親のスマホにはアプリがアホほど入ってた。親は「なんか知らないけどどんどんアプリが増えていく」と言ってたが、こういうことだったのかと合点がいった。
そのQRコードアプリは速攻アンインストールして、もっとまともな(マシな)アプリをインストールしたが、これもどこまで信用していいものか。。。親に買わせるなら問答無用でiPhoneでいいと思う。高いけど。IT弱者にAndroidは無法地帯すぎる。
ハードなトレーニングしているアスリートがなんで食事制限をしているのか?って話ですよ
運動だけで無限に脂肪を減らせる(体重を減らせる)なら運動量を増やせばいいじゃないですか
脂肪は細胞膜の構成成分であり各種生理活性物質の原料であり恒温動物が体温を保つのに必要なものです
運動するたびにホイホイ減らしてたらまともに身体を維持出来ないので
運動しまくったら無限に痩せるみたいな作りには殆どの動物はなっていません
じゃあ痩せるにはどうすればいいのか?
タイトル通り、食わなきゃいいだけです
ハードなトレーニングをするアスリートすらフツーに食事制限してます
単純な話ですね
で、ここで考えて欲しいのが貴方はほんとうに痩せる必要があるのか?と言う話です
健康寿命をのばすための筋力トレーニングに支障が生じるレベルで太っているとか
食事制限で飢餓状態で無理矢理小さく過ごしているストレスフルなミニブタみたいな生活を送っても
以下のブコメで星集めまくってるコメント見て思ったんだけどさ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/mas__yamazaki/status/1464514803062296579
国内の特定人種弾圧を平然とやるような国の「理性」を信じて「相互破壊確証」を主張してるのかな?
それとも「ジェノサイドする国なんか信用できないけど、原発攻撃なんて世界中から非難される行動まではするはずがない」って高を括ってるのかな?
むしろ「理性を信用できない国が攻撃してくる可能性」を真剣に考えれば考える程「弱点になる原発どうするの?」って話を考えなきゃダメじゃない?
その辺どう考えてんだろう?
ワイも同じだったから分かる。で、サクっと解決した方法は家計簿を付けるのだ。
まずザックリで良いから毎月掛かってる費用を全部書きだして見ればいい。
家賃、通信費、水道電気、食費、趣味とかまぁその辺を全部書き出す。
これを100円単位でやるとクソシンドイので1.5万とか0.5万とか万単位で良いぞ。
次に返済/貯蓄の目標を建てる、この辺はさじ加減だが目安としては手取りの10-20%で設定するとよい。
格安SIMにしたり食費を月2万くらいに抑えたりふるさと納税を活用したり。
ただ一番掛かる費用は家賃なので余力があれば実家暮らしが本当は一番良いが…
あとこれは食費を浮かせるチョイテクやが親がふるさと納税やってなかったらスマンけど食費浮かせたいからふるさと納税の飯欲しいって言ったら良い。
親の負担は2000円程度だから罪悪感はなかろう。どうせ税金だしやらんと勿体ない。マイニングしろ。
ワイは問答無用で定期便を頂いて毎月上手い飯が届くのでメンタルに余裕ができる。
嫌な事があっても冷凍庫にイクラが2kg今月は和牛が1kg届くしなと思えばなんとでもなるような気がする。
話がそれた。
余力が出来たら自分でもふるさと納税をするともう飯には困らんだろう。それくらいの食料が来るようになる。
両親+自分で3人前なので。ほぼ食費0だろう。
毎月の目標額の計算は貯蓄の場合は今月の貯蓄が1万円で目標2万なら来月は3万円って感じで毎月の給与日に見てメモする。
その目標にたどり着くまでは貯蓄を見て判断じゃなくて固定費+カードの明細でなんとなく察しがつくようになるからザックリで良い。
例えば、手取り25-固定費14(家賃とか食費とか含めた予算の合計額)-趣味予算α(使った分)=9-αみたいな感じ。
目標が2万円ならカードを使って良いα=7万円。大体、これくらいまでなら自由に使えるなって額が出る。
それが君のお小遣いだ。
ワイはこれで貯蓄0の状況で当時の彼女(現嫁)の借金100万を5年前に返し終わってそろそろ家を買う所まで来た。
なんとかなるさ。
増田のするはずだった「父親として当然の振る舞い」が書いてないから第三者にはわかりかねるし、「努力目標」って何についてなのか嫁にも確かめてないからモヤモヤしてるんじゃないの。
そもそも、嫁に言われないと行動しないから嫁もストレス溜まってるんじゃないのか。率先して出産準備を主導しない、先読みプランを立てて提案しないって話かなぁと読んだけど。
だってこの後に及んで「生活支えてんのは俺だけど?」って出てくるか?嫁は問答無用で腰痛やむくみ、吐気、キャリアブランクに仕方ないって笑って耐えてるのに、女disが蔓延してる増田で味方探ししてるの子供すぎるよ。
このまま生まれても、夜泣きが始まったら睡眠不足でもっとイライラして家庭崩壊の危機一直線だし、そこで関係崩壊したら産後レス、嫁と子供に嫌われて居場所のないパパ一直線だぞ。顔がわかる身近で円満な既婚に相談しろ。
増田もしんどかったんだな。何も知らないのに嫁が産休って決めつけて俺も悪かった。
増田が怒る気持ちもわかるんだ。でも、どっちが正しいとか間違ってるって話じゃなくて、それぞれ不満を不満のままにしないでお互いwin-winになるような、第三の選択肢を見つけて欲しかったんだ。良い相談相手が見つかるよう祈ってるよ。
俺はASD診断済みでいわゆるアスペというやつだが、別にアスペと呼ばれても全然気にならない。
むしろ、人格者気取りの人間が「アスペ」という表現について言葉狩りしてることの方がむかつく。
誰かをアスペと呼んだだけで差別主義者だとつるし上げて自分は差別に反対する立派な人間だって人格者ぶってるやつすげえ腹立つ。
はだしのゲンで「敵性言語を使うな」って活動してたクソ町内会長みたいな趣がある。自分が立派で見られたいという欲望が強すぎて反吐が出る。
こういう人間に限って、「君子危うきに近寄らず」でアスペやASDの俺たちには近寄ろうともしない。
そして、他の人が、俺たちみたいな人間と接してくて、その中で感じるフラストレーションとかを口にしようものなら
「ほら、あいつアスペっていったぞ!差別主義者だ!つるせ!」っていってつるして人格者面する。
もう一度言うが、当事者からしたら呼び方なんかどうでもいいんだよ。
そんなことより、俺たちのことを無視しないで、かかわってくれて、むかついたらむかついたって言ってもいいんだよ。
そのくらい言ってもいいから無視しないで厄介者しないでかかわってきてほしい。
アスペっていってもそんなに大したことじゃないんだよほんとに。ほとんどは普通の人間と同じつもりなのに
「アスペって言葉使った!吊るせ!」みたいに過剰反応す人格者気取りのクソ野郎がいるせいで貼れ者扱いとか厄介者扱いされる。
今のネットの人権主義者どもは、言ってることはまともに見えるがNIMBYが徹底してて
「自分が関わらない範囲においては」きれいごとを言う。でも、自分たちにかかわりそうになったら露骨に差別意識をむき出しにする。
過激なフェミニストほど、トランスジェンダーやセルフIDに対しては問答無用で差別し弾圧しようとするのは可視化されたとおりだ。
アスペって言葉を使っただけで差別主義者認定するような「表面だけはきれいな顔」をしてる人間が一番嫌いだ。
視界の中に入ってきたら「心にもないけど人格者のふりをしなければいけない」から擁護するが実際は興味ないし自分の身の回りにいたら忌避を隠そうともしない。
なんとなく書き始めたけど自分で読んでも面白くなかったのでネットのゴミ箱である増田へ投稿。
追い詰められたあなたの心が、ギリギリのところで、自分で自分の命を、存在を、認めてあげるために選んだ言葉が「障害者は死ね」だとしたら。
正直、こんな状況では、あなたが社会を恨むのも、世の障害のある人を恨むのも、わたしは仕方がないと思うんです。恨んでほしくないけど、気持ちはわかります。
えぐい。
ここまでわかっていて。
「クズというアイデンティティをまとうことでギリギリ自分を保ってる人」だとわかっていて。
クズというアイデンティティを引っぺがして赤ん坊状態にしたうえで自分が関わるのはここまでだから、あとは自分で何とかしろ(親御さんに頼れ)と。
うかつに他人の身内に対して「死ね」みたいなことを言う人が悪いので自業自得だと思います。
そもそも「クズ人間」というアイデンティティをそのままさらけ出す人がネットには多すぎる。
そういう人間だと自覚してるなら、最初から5ちゃんねるとかはてなの鍵アカウントに引きこもってればよかったのであって
開き直って表のネットに出てきたあげくに他人に対して「死ね」みたいな言葉を投げつけて許されると勘違いしてるのはダメに決まってるでしょ。
普通は事情もきかれず問答無用で殺されたって全く文句など言えないはずです。
太陽に向かって飛ぼうとしたイカロスが勝手に墜落死した自滅案件にすぎない。
そういう意味で言うと、クズな人間は「悪意」に対して「悪意」で返してくれる石川優美さんが一番望ましいのでしょう。
クズ同士はひかれあうというか。
「自分も誹謗中傷しまくっているのに」自分が誹謗中傷されたらキレるというめちゃくちゃ理不尽な人ですが
それ故に、クズ人間ほど「ああ、この人は俺たちと同じだ」と悪い意味で親近感を持っているのでしょう。
ひろゆきは、自分が高みに立って、教祖の位置からクズを肯定することで商売を成り立たせてるのと同じように