はてなキーワード: 不可能を可能にとは
真偽問わず、伝承の中で活躍し確固たる存在となった“超人”たちを英雄という。
人々の間で永久不変となった英雄は、死後、人間というカテゴリーから除外されて別の存在に昇格する。
……奇跡を行い、人々を救い、偉業を成し遂げた人間は、生前、ないし死後に英雄として祭り上げられる。
そうして祭り上げられた彼らは、死後に英霊と呼ばれる精霊に昇格し、人間サイドの守護者になる。
こうであってほしい、と想う心が彼らを形取り、彼らを実在のモノとして祭り上げる。
そこに真偽は関係ない。
ただ伝説として確かな知名度と信仰心さえあれば彼らは具現化する。
魔術師は彼らの力の一端を借り受け、その真似事をこなす程度に留まるのが常だ。
英霊そのものを呼び出して使役する、なんて事は決して出来はしない。
高い。Appleの製品は高価であるのがいつものことであるが、今回の新iPhone Xシリーズはあまりにも高い。
他社のフラグシップ端末と比較すると、その値段設定は強気すぎる印象を覚え、そしてそれを非難する声があがるのは十分に理解できる。
ではAppleが訴求するプロダクトを体験するにはフラグシップ端末でなければならないのか?と言えば、おそらくそうではない。
注目すべきは新しいSoCの「A12 Bionic」がエントリー端末と思われるiPhone XRへ搭載されていることだ。
更に言ってしまえば今回の重要なテーマであると思われる「写真」に関しても「撮影後の被写体深度コントロール」や「スマートHDR」がiPhone XRには搭載されている。
様々なリークやApple Special Eventの段階では多くの人がどことなくiPhone XSが基準にあって、iPhone XS MaxやiPuone XRが派生したかのような印象を覚えたが、実際の3機種の機能を比較し共通項を洗い出し、もう一度Apple Special Eventを観ると「今回のAppleの基準はiPhone XRにあるのではないか?」と思えてくる。
より先進的な機能を求めるユーザへは確かにiPhone XSやiPhone XS Maxを訴求している。しかしスマートフォン端末ユーザの主要層は先進的な機能を求めているわけでなく、標準状態でより優れたスマートフォン端末を求めているのだ。
Appleはその標準状態でより優れたスマートフォン端末への回答としてiPhone XRを示した。
Android OS端末の通例に則れば価格設定は搭載されるSoC(≒処理能力)の差によって決定されることが多い。Googleも確かにAndroid Oneシリーズでそのようにしている。
しかし、Appleは単純に安くて処理能力の低く、標準的な状態であるのに使いにくい端末を否定した。
Appleはできるはずなのだ。過去のSoCであるA11やA10を搭載し、カメラもHDRに対応していない非常に安いスマートフォン端末の開発ができるはず。
だがAppleはそれをしない。それはAppleの役目ではないから。Appleの役目は次の標準を世界に示すことだから。
次の世界はiPhone XRを標準として、iPhone XRが最低限として、iPhone XRが当たり前として、何とか安くiPhone XRを作るための知恵を絞る。
筋さえ通れば反乱もやってのける命知らず。
不可能を可能にし、巨大な悪を粉砕する、
俺たち、「佐賀の七賢人」!
(以下はWikipediaの内容をまとめただけです)
総合すると、
高山みなみ=神説を推したい。
最初、高山みなみが唐突にでてきて「誰だよこの高山みなみ!?」って思うじゃん?
しばらく見続けて「あーこれ未来の穂乃果ちゃんの姿的なやつか」って思うわけ。
でも、二度目の邂逅のシーンで高山みなみは水たまり?を跳んでみろというのね。
(冒頭のシーンと同じように!!!)
穂乃果ちゃんの幼少期の思い出?と同じことをさせる。
んで穂乃果ちゃんは目を覚ました後、すぐに神田大明神にお参りに行くわけよ。
多分、穂乃果ちゃんはこの時点でなんとなく気づいちゃったんだろうね。
(と同時に私も気づく。)
大体、よくわからないのがあの冒頭。
この映画は「前回のラブライブ!」的なものでなくていきなり幼少期のシーンから始まる。
(おそらく「前回の~」に近いノリをを期待した人も多かったのでは?)
その上、直後には穂乃果が高校生に戻って全然関係ない話をはじめてしまうため、前後のシーンとのつながりも(上述の二度目の邂逅のシーンまで)わからない。
「どんなことも諦めない」という穂乃果ちゃんの精神性を表したかったとも見て取れるが…、視聴者のほとんどは穂乃果ちゃんのその性質を知っているだろうし、いきなり冒頭で幼少期を描写する意味もない。
そして穂乃果ちゃんが跳んでみせるシーン。
謎の音楽を耳にするとともに幼少の穂乃果ちゃんの脚力は驚異的な向上をみせ、見事水たまりを飛び越えてしまう…。
なぜ?どうして?こんな描写を?冒頭に?
…思うにこの冒頭のシーンは「起点」なのだと思う。
作中通して圧倒的なカリスマ力を発揮し、無理が通れば道理が引っ込むを地で行く太陽少女穂乃果ちゃん。
彼女が「やるったらやる!」といえばライブは大成功だしたいていのことは上手くいく。雨もやむ。
そんな穂乃果ちゃんは、おそらく、おそらくだが、あの謎の音楽を聞いて水たまりを跳んでみせたシーンから、これまでずっと、
「神に愛されていた。」
あの冒頭のシーンで跳躍力強化を施されて以来、穂乃果ちゃんはずっと神様に愛され、加護を受け続けてきたのである。
各種あるラブライブ批判の中には、何でもかんでもうまく行きすぎとか、跳躍力ありすぎとか、車道でダンスはどうなのとか、みんな穂乃果の言うこと聞きすぎとか、さすがに雨が止むのはちょっととか、1期最終話の時系列おかしいだろとか、いろいろなものがあるが、
そんなふうにして、幼少期より穂乃果ちゃんの周りの不可能を可能にしてきた神はついに映像の中に姿をあらわす。
高山みなみボイスと大人びた穂乃果ちゃんっぽい姿をとって、劇場版という晴れ舞台で。
彼女は溺愛している穂乃果ちゃんに「あの時のように跳んで」と成長を促すとともに、視聴者へのある種の回答を携えてやってきた。
今回の劇場版も輪をかけてタイムラインの考察が難しいことになっていると思うが、
いいいじゃん、気にすんなよ、神田からNYまで迷子保護に行く神様がいるんだからなんとでもなっちゃうさ、と。
げに恐ろしきは、神様まで魅了する穂乃果ちゃんのかわいさである。
以上、書くところが無いため書き散らした劇場版ラブライブ考察でした。
※1 この文章は制作側への皮肉として書いているわけではない。
むしろ、細かい設定なんか気にせず突っ走る脚本を私は愛している。
キリトさん、達也、上条さんと誰も努力、自信の基礎性能の上昇、不可能を可能に、繰り返しの練習、なんて努力は書かれてない。
どっかでみたけど、編集から「努力のシーンは面白く書くのは難しいからやめとけ」と助言がされた、みたいなのがあった。そもそも、努力/練習シーンが面白いのはスポーツものであって、そうなるとラノベでなんて用がない。じゃあ一般文芸でそういうシーンがあるかというと、少なくとも「火花」「鹿の王」にはないぞ。ラノベだけの問題ではないと判ろう。
で、練習シーンが面白いラノベと言えば「暴風ガールズファイト」くらいしか思いつかない。「ひとりぼっちの王様とサイドスローのお姫様」と「そらいろな」の続きはよ。
AするためにはBが必要
この単純な公式だけで行動する人は危ない
単純に思いつくのが
・がんばれば結果が出ます
目標:結果
戦技:戦法を選択する理由と成りえる要素
戦力:戦技を使える要素
の組み方ではないか
例
戦術:毎日飲む 毎日のめるものを選択する 毎日のんで結果がでることを確認する
戦法:味量タイミングを確認する 価格入手方法を確認する 自分に効果があるか確認する
戦技:(携帯を持っているので)わすれっぽいので携帯にアラームを仕込む お小遣いをためる 他の同じ成分でも自分にあっていたので効き目があると推測する
戦力:携帯の扱いが苦手ではない お小遣いに余裕をつくれる ダイエット成分について知っていることがある
目的:携帯のアラームでも忘れるなら使用をやめる お小遣いに余裕がなくなったらやめる 成分に効き目がなさそうと判断したらやめる
目標をまず掲げてあとはヤレという教育形態で育った人間は目標と目的だけあれば、あとは行動すれば結果がついてくるといった戦い方をすべて時の運まかせに無計画にすすめるのでサラリーマンは良く育つがリーダーは育たない土壌がある
列挙すると上から順に一つずつこなしていけばいい流れ図のように見えるが、それぞれの段階でそれぞれの取捨選択やそのための要素を収拾、調整する必要がある
図にしたならねずみ講の図のようになるだろう
三日で5キロやせるのにサプリを飲んだらやせる、実際やせましたといわれたら痩せるのかと
サプリが飲みたいのか痩せたいのかお金を払いたいのか何なのかはっきりすべき
痩せたいのであれば戦略的に運動、食事制限、サプリ、その他などからサプリを選ぶべきなのか
戦法的に他の戦術を選択するより有利な条件がすでにそろっているのか
ここまで見て、目標を変えるか戦略を変えるかする必要があるはず
その後はオンゴーイングで現場を調節していく、みため「不可能を可能にする指導者」系や、戦力を準備していて予定を調和させていく「軍師といわれる指導者」系などにわかれる
携帯は日常的につかってるしこれをダイエット×サプリの組み合わせに応用できるなら有利な点が一つふえる、といった形で多く選択の価値があるなら戦略を進める方向で決定づけれるし
戦力的にだれかがそれをしてくれる、またほかに自分が戦略を進める方向にあったときに補助となる問題回避策があればなおよし
これを「やっているうちにみつかる、やっていれば自然とあつまる」といった運のよさだけで乗り切るのは「乗り切った人の後日談」しかのこらない そのため成功率の伝聞は聞いた人としては「かなり高確率」
さらに「やってみなくてはわからない」につなげる人もでてくる 失敗したりもとより無理な可能性が大きいものにただ従わせるだけになることもある
最終的に戦力を投入して実施をした場合、どの段階で続行か中止かなどを検討するのに目的を設置していく
まず飲み始めでまずいとおもったらやめるか、やめないか 二日目では 結果はどの段階で など
三日目にならないと痩せるかどうかわからない(完遂しなくては結果ではない)とすれば、損切りができない
サラリーマンは月ごとに給料がでなくてはやる気にならないし、教育も定期的に点数がでないと将来役に立つといわれても微妙
実施の段階に合わせて実施結果に対する報酬を設定することを行動の目的とし、その結果ごとに戦略の維持や方向転換、中止などを検討する
半年がんばったが戦略を中止することになる などのアクシデントも発生するが、他の戦略立案の際に戦技、戦力として維持引継ぎを考えて戦略を練ることで「無駄ではない」という事が出来る
戦略の立案に際して「やればできる」とその内容関係なく開始をすると、その以前の結果で出来た資産をすべて放棄して取り組むことになる
毎回ゼロからはじめることに対しては大きなチャンスだが、少なからずなにかしらの経験や元手がある人間にそれをいきなり全否定されて、半ば洗脳のように「やればできる、実例がある」で
取り組ませるのは異常でもあるし、現実味がなさすぎる気がするがそうは感じないか?
同じものを食べても日本人はすぐに糖尿病になるが白人はその何倍も許容量がある デブ大国でも糖尿病がすくない現実がある
でも同じ人間だしとか意味不明 人によって結果が違うのだから 取組みも人によってことなるはず それは人種性別関係なくみな違うのだから皆ちがうはず
実際にやって背中をみせて俺はうまくいった それはよかったが それが隣の家でもできるかというのは 家族構成や条件や状況、それまで経過した中での運などもあわせてそっくり同じにできる方法がなければ無理だろう
それをこまかく記録して全部再現できるようにできれば応用もできるだろうけどもそんなデータを集めているのか
集めていないなら、それはたまたま運がよかった おちてた1000円ひろったと同じだろう
1000円の拾い方とか方法が確立できて本がかけるのかといえば 実際に拾ったんだからで通じるのか?
戦術:おもしろい教材をつかう 勉強すること自体が楽しいと思わせる 勉強以外にすることをなくす
戦法:IT教材を選択 勉強すればなにか結果を体感できる 勉強以外の時間を自然と減らす仕組みをつくる
戦技:学校教育と教材について検証と結果のデータ 教育方針の適不適判断 テストを自主的に行いその結果でご褒美を出す テレビやゲームなどの時間制限
戦力:学校教育と教材について幅広い知識の友人がいる 定期的なご褒美でもマンネリ化しないもの 抜け道のない空き時間管理または寄り道回復方法
目的:毎週自主テストの結果により毎週ご褒美 ご褒美がほしいから勉強するだけという単純な行動意識により継続をはかる また勉強させたい期間に対して継続や変更のタイミングをみる
最低限これくらいは考えて勉強の必要性を納得させにいく姿勢なく、エリートになった人をつれてきて勉強すればこうなると見せ、それに興味をもった子供が懸命に勉強した結果
不慮の事故で障害をもって予定していた道のすべてが閉ざされたとき、ふつうに絶望しないか?
はいまたやりなおし、新しいゼロからの戦略でいまからやりなおそう、って助言が救いになりそうか?
天才とよばれて幼少期をすごしてきてただの人になったら、ふつうの人になったときに軽く絶望しなかったか?
過去の経験がなにも役に立たない、再利用がきかない、無駄な時間、ただのたのしい思い出、になってしまっていないか?
また戦略どおりに行動が完遂したとして、出来上がるのは「勉強好きな人」ではないか?
勉強の結果を充分に発揮して「おかねをかせぐ人」になるのであれば「勉強好き」と「お金を稼ぐ」はイコールでつながるのか?
「そんなのやってるうちに」で作戦行動を開始して、その結果が運以外の何で構成されるというのか
べつに何事もがんばれば上手くいくってのなら問題ないしこんな話はきかなくていい 何の意味もない話だろう
もし明日の予定も完全ではなくなにか変わる可能性があるのだとしたら、変わったところで無駄になったところで、それを踏まえてさらに時間をすすめていける対応策は必要ではないか
やったらできる、やったからこうなったって姿をみたから、これだけですむならこんな話は全部無駄で意味がないノイズだ
自分が取り組んだことに対していろんな利益がついてきた、こんな幸運はめったにないだろう
それは姿勢とか考え方とか関係なく、むしろ運がいいと括られるものではないだろうか
資格や英語 の資格と英語に限って取り組む戦略を立てた時点で ほかの情報に対する勉強や交流や投資などを捨てていることになる
毎日早い時間に出社していたら、などの取組をしていない、この例をつかって早起きは大切だという事はいえなくなる
早起きはしていたかもしれない じゃあ新聞は読んでいたか 何新聞だったか どの記事でつかめたはずのチャンスを逃したか
言い出せばきりがないが それは戦略を選択した時点での取捨選択であり 運でもある
フランス語にしておけば利益は倍でとどまらなかったはずなのに などの可能性もあるかもしれない
イタリア語にした場合は家族離散で自殺、ということもあるかもしれない
またほかの人が英語からはじめてみよう、としたところで結果はわからない
それは戦力と目的で「英語が自分にとって武器となる」その効果を選択できるときには大いに力になる可能性はあるが
「そんなものはわからないが、成功例があるので自分にも適合するかもしれない」として
伝聞による情報のみで自分自身の状況と環境を加味せず選択したとすると、成功率は半分ともなれるか不安なところだ
単純な人間製造に貢献した戦後教育のおかげでサプリや情報商材が売れに売れて電話一本で詐欺もできる便利な時代が到来したわけだが
最初に書いたとおり、危ない安直さだが愚直だからこそ結果が大きく返って来るということもいえるだろう
悪くはない、人にやらせたければまず自分がやる、というのは自己の戦略のための戦力を準備する意味でもかなり意味があることだろう
今の時代背景的に、自分がやったから子供がついてきた結果家族円満、というそれだけの内容でも受け入れられるだろう
ただ、その方向で進んできて育成された文化がいまの若者を中心に街にある状況だ
私は、あんまりそれを良しとは思わないな
以下の文章は最初から最後まで推測のみ、それも自分よりも前に気づいた人がいそうな話なので、そういう与太話が苦手な人はスルーしてください。
艦これのラスボスは羅針盤。恐らく殆どのプレイヤーの認識だろう。
3-2や4-3、4-4などのように、艦種による縛りがあるステージは勿論のこと、縛りがないという意味でごく普通のステージでも、羅針盤のせいで滅多にボスに行けないという事例は枚挙に暇がない。
反面、「えー、どのステージもあっさりボスまで行けたよ?」という人も少数ながら存在する。
この差について、「運」の一言で済ませられないプレイヤーもいて、彼らの検証レポートがネットに転がっている。
そこから見えてきた仮説が、「ボスと比較して強すぎる艦隊で挑戦した場合、羅針盤の確率が極端に下がるのではないか?」というもの。
具体的には、艦隊を構成する艦娘の平均レベルや艦種の組み合わせで見ている気がする。
かくいう自分の場合、自ら書いた過去エントリ(http://anond.hatelabo.jp/20131007162212)の通り、難関ステージの2-4をレベル45の赤城加賀、レベル30の扶桑姉妹伊勢姉妹と、平均レベル35のガチ編成で挑んだのだが、クリアするまで30回以上の挑戦を要した。
一方他の人の話を聞くに、運営が公式に推奨している平均レベル30くらいの艦隊だと、戦艦正規空母のみといったガチ編成でもあっさりボスに行けた人が多いようだ。
もしそれより高レベル編成で行くなら、空母や戦艦を重巡や軽空母、雷巡等に置き換える必要があるのでは?という感じ。
でも何故そんなことをしているのかと言えば、これはもうどのゲームでも問題になる廃人対策、廃プレイ対策だろう。
基本的に廃人は目的を達成するまで手段を選ばないし、プレイ時間も課金量も際限ない。というか膨大なプレイ時間で不可能を可能にしてしまう。
彼らの目的は、普通の人がまず入手し得ないレアアイテムだったり、レベルカンストだったりする。
そんな廃人が艦これで狙い撃ちする筆頭は、一部のレア艦娘だろう。
この艦娘は空母カテゴリどころか、艦娘全員を見渡しても屈指の激レア艦娘だ。
何がどう激レアかといえば、殆どのステージで低確率のボスドロップで、建造でも出たことない人多数。
ドロップするステージのうち最も簡単なステージは2-3という序盤のステージで、当然多くのプレイヤーが飛龍目的で何回も回す。
仮にこのような仕様になっているとすれば、実に巧妙だと思う。
適正な強さの艦隊で挑んだ場合、負け込む可能性が高くなるし、勝っても負けても艦娘が少なからぬ損害を被って入渠を余儀なくされるため、結果的にそれなりの長期間プレイせざるを得なくなる。
圧倒的に強い艦隊で押し潰す廃プレイ戦略で挑む場合、ボスのドロップ率が極端に低いだけだと、廃課金に超長時間プレイのコンボで乗り切られてしまいかねないので、そもそもボスに行くことすら極端に難しくすることで「全く割に合わない」感から継戦意欲を削ぐと(実際羅針盤運とドロップ率の低さを掛け合わせたら、ボスドロップからの入手確率は実質ゼロになるだろう)。
そこで「運ゲー」と言って投げ出す人がいても、将来害悪を為す可能性が高いプレイヤーがいなくなっただけだし、諦めず徒に廃課金するなら運営の小遣い稼ぎとして悪くない。
そして、実際このような計算を裏で行っていたとしても、運営は絶対に手の内を明かさないことも確定的に明らかだ。
何故なら、運営の提示した仕様の裏を掻いてでも、目的を達成しようとやり込むのが廃人だからだ。
このため、過去多くのネトゲ(特にMMO)が運営と廃人のいたちごっこになり、目も当てられない結果となった。
艦これだったら、殆どの駆逐艦が入手容易なことを利用し、ダメコンを積んだレベル1駆逐艦を艦隊に組み入れる戦術が考えられる。
それで彼女らの育成も兼用するなら別に構わないが、用済みになったら解体or改装して資材に、或いはダメコンすら積ませず轟沈上等で使い捨ての弾除けにするなど、ブラック企業ならぬブラック鎮守府・ブラック提督が必ず出てくるだろう。
そういうモラル的にあまり褒められないユーザの声がデカくなるとゲームのイメージは悪化するし、運営も新たな対処に追われるだろうし、何も良い事なしである。
↓こちらへの意見(バッシング)、承認制で都合の悪い投稿は無かった事にできるので増田しておく。
http://ameblo.jp/union4u/entry-11461204028.html
2000byte制限で削ってるので文章として出来が悪いのはご勘弁。
はじめまして、こちら初めてコメントさせていただきます、私は労働者で30代独身の低所得者です。
個人的には生活保護を貰う事をよしとしていませんし、正直貰っているかたを良くも思っていませんが、
身勝手ではありますが労働者ゆえ必要な社会保障だと思っております。
不正受給を正さないと生活保護のイメージが名実ともに悪くなってしまいます、
本当に必要だが恥を感じる人,他人の迷惑を考える人は申請せず、恥の感情がない他人の迷惑を考えない人は申請し、更なる不正受給などを招き悪循環に陥っていしまいます。
低所得の労働者が納税しているのだからこそ不正に厳しい意見になり、本当に必要性を感じる労働者だからこそ、生活保護というシステムの存続,
恥とされずに受給できる環境を求めているのではないでしょうか。
それを求める事が"ネトウヨ"なんでしょうか?これは大半の日本人の感覚ではないでしょうか?
「政府は保証する義務があるので実行できなければ政府が悪い」と言うのは簡単ですが解決するのでしょうか?
生活保護などの社会保障を行う上で財源の負担(≒税金)が必要になりますが、
「政府が悪い」と言えば予算が出てくるのでしょうか?社会保障費が増え続けたとしてだれだそれを負担するのでしょうか?
政治家は国民の負担無しに財源を確保できるのでしょうか?政治家は不可能を可能にするのでしょうか?
(民主党の政治家の言う埋蔵金に騙された人が多いのは事実ですが、騙された事実は受け入れ次からは騙されない様に学習しなければいけません)
労働組合は財源根拠は無視して支給という結果だけ求めるだけでいいんでしょうか?
所得による社会保障費の負担率がどうなっているかは解りませんが、基本的に低納税者は低所得者で重い負担ですが、
"にいがた青年ユニオン"としては低納税者は意見する権利もない"ネトウヨ"なんでしょうか?
最後にバッシングになってしますが、お願いですから違う意見を「ネトウヨ」の一言で片づけないで、労働者の意見を労働者の視点で見て考えてみてください。
http://anond.hatelabo.jp/20090108233558
人は自分のことしか反省できない。例えば今佐藤さんちのジョン君が不注意でガラスコップを割ってしまっとたとする。ボクは反省できない。
これは「したくない」意味でのできないでなく「不可能」と言う意味でのできないだ。
ところが世の中にはジョン君がそれをしてしまったことを反省できる人間がいる。ふしぎ!
(不可能を可能にするってカッコいい言葉だけどそれは不可能だと思ってたことは実は可能だったってだけの話だよね。)
つまるところ、責任の所在が明確かそうでないか、だと思う。
そして「反省」というものが心の動きなら、最初のことばが「責任の所在が自分にあると感じられるとき人は反省できる」と再定義される
それが客観的にみて「いや、責任の所在は明らかにジョン君にあるだろ」だったとしてもその人が「いや、ジョン君はきっとガラスをみたことないほど田舎の地方に住んでたんだよ。」
飽きた。