はてなキーワード: メタ認知とは
困った人に何かを諭そうとしているとき、
架空の人物を作ってメタ認知させるのはいい方法かもしれないと思った。
つまりどういうことかというと、
例えば自分に非があっても全く謝らない、間違いを認めない御仁がいたとして
そのまま諭すと、普通に反発される。
Aくんは絶対に謝らない、間違いを認めない人でこういう謝ったら死ぬマンの精神の根底には、自分の責任だと受け止めたくない
、誰かのせいに事象のせいにしたいという弱くて醜い心があると思う。
間違いを認めず、修正しないのが、一番の間違いだということにこいつは気づいてない。
実に哀れで弱く醜い精神だよねー、愚かだよねー。間違いを認めて、先に進むほうが素敵な人間になれるのにねー
みたいな話をして、Aくんについてどう思うか話してもらうと、
自分自身のメンタルの問題について気づいてくれるかもしれない。
あと問題がある御仁のAくんに対しての考えも聴ける
こういう奴はだいたい自分を客観的に見れない、メタ認知ができないので、こうやって自然とメタ認知させるのはどうか?
という話でした
『アニメ(虚構)の世界に埋没するな、現実世界を生きろ』なのではないかと思った。
自分は90年代初頭の生まれで、旧世紀版をリアルタイムで観ていないので綾波とアスカ(や、ミサトさん)に対するリアルタイムの熱量を知らない。
その上で、新劇場版で新しく追加された真希波マリは、一体どんな意味合いを持つキャラクターなのかがイマイチ掴めずにいた。
いくら眼鏡っ子でお茶目でナイスバディーでCV坂本真綾と言えど、ジャパニーズアニメの偉大なヒロインである、『綾波レイ』と『式波(惣流)・アスカ・ラングレー』に今更割って入る意味とは?
そう、綾波とアスカは『アニメの偉大なヒロイン』でありそのアイコニックな在り方は虚構そのものだったのだ。
言うまでもなく綾波は旧世紀版から一貫してメタ的に造られた存在であり、無感情の中にあるシンジへのおぼろげな好意もそうであるようにデザインされている。
また、旧世紀版では『現実』の象徴として描かれたアスカもまた初出から20年が経過した現在では『ツンデレ』というステロタイプな虚構である。虚構への違和感は『認められたい求められたい相手が心配だ』という未熟な自我(エゴ)の反面で暴力を伴うシンジへの対応や、14歳で肉体の成長が止まることに対するメタ認知に現れる。
アスカより先に起こっていたであろう成長(老化)の停止を自分事として受け入れ、悩みはあれど明日を生き抜くために戦い、他のエヴァ(生物)を喰らい、得た能力に感謝する(ごちそうさまをする)、自我(エゴ)が確立しており誰に対してもマイペースにニュートラルなスタンスで接することができる。
マリもまた、現実世界から投影された虚構の一つでしかないが、旧世紀版の頃にはまだ若く「オレの言いたいことを察しろ」だった庵野監督も、時を経てオブラートに包む面倒をやめて、より直接的にメッセージを伝えようとしたのが真希波マリというキャラクターなのではないだろうか。
個人差・家庭差があると思う話でした。
>・みんなどうやって解決しているの?どうやって話し合っているの?
>・夫婦間でも、性差、片付けや汚れに対する感度(閾値)、生活リズム、得手不得手はあると思う。
・前提&金銭面
夫:家賃(家賃補助制度利用)、光熱費、インターネット、食費(米を除く)
※外食の際は夫がもつ事が多いが、夫の嗜好品を雑費・食費から捻出するのでほぼイーブン
・前提 生活面
夫:気付いたらやる・風呂洗い
・元増田に思うこと
1.補足にあるが金銭面に問題がなければ外注がオススメです。でも、実際はプロではなく日雇労働者も多いので情報収集は必須。
2.完全分業制を求めないなら「得意なこと」で分担するのはどうか。綺麗好きなら掃除、料理好きなら買い出しと炊事など。
3.元増田が奥様に求めている事=自分がやりたくない事、という印象を受けました。
2と似てますが、奥様が得意なことや好きな事を確認して意見を聞いてみてはどうでしょうか
4.本当になんとなくなのですが、奥様がSOSを出している印象を受けました。
全てをADHD/ASDに結びつけてしまう事はよくない事ですが、多少調べてみても良いかもしれません。
5.例えば風呂掃除は「後で入った方が上がる際にやる」とかの先着順みたいに紐付けすると自然にできる流れにしやすい印象です。
6.掃除や料理は一緒にやるとすぐに終わるしコミュニケーションにも良いと思います。週末など。
7.リモートワークの増田が全てをやってしまう為、妻が何もしなくても全て終わっているという状況が起きている気がします。
その状態が長く続くと、奥様にとっては分担制やリスト化がすごく煩わしいものになるので増田は少し手を抜いてはどうでしょうか。(外注さんが全てをしてくれるというのも近い状態を起こしやすいです)
不妊治療経験との事である程度理解はありそうなのですが、女性にとってもホルモンバランスの変動は非常に個体差があり、また気軽に周囲に聞けないもの(女性同士でも遠慮してしまう下の話)なので、確認しても良いかもしれません。
現在はストップされてるとの事ですが、妊娠や不妊治療、女性特有疾患にも関係してくる割と大事な話です。
9.元増田を責めるつもりはないのですが、なんとなく「全ての価値観、ものごとの難易度を元増田の定規で測っている」という印象を受けました。
「分担したい」は問題ないです。
でも「やってほしいこと」はどうやって決めたり頼んだりしているのでしょうか。元増田がやりたくない事をお願いしていないかを振り返って確認してみてほしいです。
3.と似てますが、タスクの振り分け方にも違和感を感じました。
10.元増田にはメタ認知のトレーニングをおすすめしたいです。具体的には「メタ認知的モニタリング」の方のトレーニングです。
一部に離婚案件などのコメントもありましたし、元増田自身も迷走しているみたいな状態なので。適宜距離をおいて冷静に観察する事も大事だと思います。
メタ認知トレーニングは、よくある「あとでやるやる詐欺」への対策にも有効なので、元増田が上手くできたら奥様にも勧めてみて下さい。(「一緒にやろう」では、奥様は乗り気にならない気がしました。だから「やってみたらよかったよ」がいいのではと。なんとなくです。)
拙文ですが、少しでも参考になれば嬉しいです。長文失礼しました。
人格ある人間としての彼女に興味があるのでなく、恋人を作るための練習台として彼女を利用したために、印象が残っていないのではないか。
算数で何を習ったかは覚えていても、どういう算数ドリルで勉強したかはおぼえていないでしょう。
なぜ彼女が魅力的に思えるのか、を見定めるために観察するのでなく、“何か可愛いポイントそうじゃないか”… 典型的なパターンに当てはめて振る舞いを評価しようとしている。
これから接していく対等であるべき恋人に対して、“嗜虐性”… イジメることを楽しむ気持ちを善しとして積極的に発揮するつもりでいる。
彼女の感情を表情から読み取るのでなく、「私が楽しくないと思っているのだから相手も恐らくそう思っているのではあるまいか」… 写し鏡のように自分を基準に想像している。
彼女自身を見るのでなく、机上の原則論で判断しているように見える記述は他にもある。誘ったのだから楽しくエスコートすべきとか、食事中に喋るのがダメとか、容姿を褒めてやるべき、とか。
虚心坦懐に自分の心をみつめて冷静に分析できる能力の高さは、さすがに完璧主義者を自分で名乗るほどのことはあると思う。
欠けているファクターは「彼女はどうなのか? を中心に見る見方」だ。
彼女は容姿を褒めて欲しがっているのか? 彼女はデートを楽しんでいる? 見せた弱みに嗜虐性をそそられたと言ったらどう感じる? 彼女は完璧主義者の存在を感じ取れていた?
—— 相手に質問し、発言の意図を考え、よく観察し、こちらも言外のメッセージを送ろうとしてみる。通じたかどうかを聞いてみる…
そういうループを試みることが、相手に関心を持つ、ということだと思っています。
前提:A君のマシンでオンラインゲームのサーバーを立てていて、たまに遊んでいる。ぼくがリクエストすればサーバー立ち上げてくれるし、そうじゃなくてもA君自身が遊ぶときに立ち上げたりもするし、ぼくが何も言ってなくてA君が遊ばなくてもとりあえず立ち上げてたりもする。
ぼく「(いつ遊ぶかの)週間スケジュールを立てるようにしようかな。」
A君「ゲームなんて好きな時にやればいいじゃん」
ぼく「日頃は仕事であまり遊べないから、年末年始に長い休みでたくさん遊びたい」
A君「(19日昼間)サーバー電源入れたよ」
(ぼくは別の用事があるから19日20日は遊べないんだが。てかリクエストしてもいない)
ぼく「いや、19日20日はまだ年末年始じゃないんですが。仕事納めは25日なんだが」
ぼく「そもそも好きな時にやればいいじゃんと言ったのはそちらでは」
補足すると、「意味ないじゃん」発言の数時間前に別件があって、自分が送った雑談メッセージが「興味ないから意味わからんこと言うな」みたいな反応だった。とはいえ以前に共通の話題で盛り上がったことがあるYouTuberの話だったんだけど。興味無いわけないんだが単に機嫌が悪かったのだろう、その時点で。言葉のアヤってやつだ。
A君とは長い付き合いなんだが、昔からそんな感じで支離滅裂なんだよな・・・。彼の頭の中で物事の5W1H、起承転結、機序といったものが、組み立てられていないように見えるのだよな・・・。高確率でブーメランを投げる。それでいてプライドだけは高くてヘソ曲げて不機嫌になる、女でもないのに。そんなん友達なくすぞ・・。若い女ならまだチヤホヤ甘やかし姫プでなんとかなるだろうけど。
かくいうぼくはASD傾向(心療内科でテストを受けた結果)、「正論や論理が通じない人にそれを説いても意味がない、というか逆効果」ということにやっと気づき始めたというか。いや、頭の隅で気づいてたのかも知れないけど実行に移してなかったと思う。処世術として「機嫌取り」を覚えるべきなんだよな自分は。自分は性格柄と仕事柄、日常的に論理でしか喋ってないので、非論理の処理流暢性が低いんだわ。相手が「怒ってたり機嫌悪そう」ということに鈍感すぎた。なのでMPを消費して機嫌取りメッセージを送った。
でも「正論」っていうか「論理」っていうか、そんな形容が必要なほど複雑なこと言っているか?ていうか、その程度の物事の整理すらできずに、何の仕事ができるんだ?と疑問になるが。それが最終学歴が情報科目の人間の脳なのか?学校で何を学んできた?(能力ハラスメント?)まあ学校で学んだことを全く人生で活かせてない人間ってたくさんいますが・・・。
自分がロジハラ加害者で、A君がフキハラ加害者。歩み寄るためのメタ認知が必要なのだけども、A君の機嫌がいいときにその話したほうがいいのかなー。またヘソ曲げて話聞いてくれない気もするけど。ていうか教育のプロであるはずの学校で教わったことが身に付いてない程度の学習能力なので、もう教育の素人である自分の手には負えないのかも知れない。
ただ、自分自身としてはフキハラ対処法を学習したいので、教材として付き合っていくのがいい気がする。
ここに書かれているのは徹底的に他者の立場に立つことを拒絶して自分の経験した辛さだけを語る非モテ男性の叫びであり、
たぶんモテ/非モテ軸の辛さだけでなくメタ認知ができるかできないか、という種類の生きづらさが絡んでいるように見えてかなり地獄みがあるな…と思う。
一個前の増田で「非モテ女は女であるだけで顔写真を載せなくてもマッチングアプリに連絡がくる、恵まれてる」→「いやブスは顔写真載せたら避けられるから載せないだけだろ」みたいなツッコミ入れられてたけど、これ普通程度の知能がある非モテ男性(っていうかモテ男性でも女性でも)なら自分で理屈の破綻に気づける筈で、でもそれが出来ない……のはそういう認知の外に出られないから……
トップブコメにもある「子どもだから」「自我が確立してないから」仕方ないみたいな態度は子どもを軽んじてるし、そんな素振りを見せるのは逆効果だから絶対やめたほうがいいと思う。
読書感想文や作文が書けない子はとどのつまり褒められたいんだよ。大袈裟に言い切ってしまうと、書けない子は人から承認されうることがないと自分には存在意義がないと思う傾向にある。
変わった趣味を持ってて周りと話が合わなかったり、おっとりしていて出し抜かれがちな子。そんな子ほど周りより目立って称賛される立場でないと釣り合いがとれないんじゃないかと考えるのでは?と僕は思う。
もはや自分の思考なんかに興味を持つ人間なんていないというぐらい悲観的な子も中にはいる。現に自分はそういう小学生だった。
幼稚で平々凡々なものを提出して「自分は人より劣っているのでは?」「取り柄なんてないのでは?」という不安に苛まれること。それは彼らにとってのアイデンティティクライシスであり避けなければならない事なんだ。
そして本をよく読む子ほど文庫本の解説や雑誌新聞の書評といった「洗練された感想文」を目にしているため、自分もそういうものを目指して書こうとする。
評論や解説というのは対象をよくリサーチしそれで得た情報を整理していく作業。なので「かっこいい文章を書きたい」と手段と目的を倒錯させて取り掛かると当然うまく書けない。
この場合だと読書感想文のための読書になってしまうので本をちゃんと読めていないんだ。本を読んでいても、先生を唸らせる様な独創性がありかつ思慮の深い自論をどう構築するのかみたいなことばかり考えている。
(流石に小中学生でそれを明文化できるほどのメタ認知ができる天才なら苦もなく文章なんて紡げるので、本人は自分のそういう感情をはっきり把握はできていないだろうけど)
僕個人の体験からいうと「エルマーの竜の続きを考えよう」とか「ごんぎつねを一人称視点にアレンジしよう」みたいな課題は楽しく書けてた。そういう二次創作は対象を読んだときの解釈等で個性は出るけど、ベースは原作の世界観や設定を引き継ぐので気持ちが楽。
万が一「それは変だ」と指摘されても、「課題の物語がああなんだから仕方ないだろう」「自分の勝手な想像なんだから自由だろう」というダブスタで煙にまける。卑怯かもしれないがそうでもないと自分は書けなかった。
なので物は試しで増田もお子さんに課題図書の続きを考えることを一度進めてみてはどうだろう?
それですらすら物語を紡げる子ならなんとかそれを書き留めておく。そんで休み終盤でにっちもさっちもいかなくなった頃合にそれを基に読書感想文を完成させることを勧める。
自分の経験だと親に変わったアプローチを勧められると、どんな評価が下されるかわかったもんじゃないと反発していた。おそらくその案を採用するしかないというところまで追い詰められてないとすんなりそれを飲んで書き進められなかっただろう。だからあえて終盤まで書くことを意識させない方が却っていいかもしれない。
早い段階から取り掛かってしまうと「先生ベタ褒め完全無欠の読書感想文」を休み中ずっと追い求めるという地獄にのまれる可能性もある。それで苦手意識を強めるのもよくないので、そのためにも一旦読書感想文の存在を忘れさせてあげるのもいいのではないか。
「なぜ読書感想文を書くことが苦痛なのか?」という切り口の作文にスライドさせてけみたいなブコメもちらほらあるね。でも本の感想というテーマ設定があっても書けない子に、より自由度の高い作文は茨の道だろう。
会話が苦手だったのでメールが救い、と述べられてはいるものの、不安が原因であると匂わせる描写はない。このような妄想で相手の境遇を勝手に類型の枠に当てはめ、斬って捨てることに快感を覚える典型的エゴイストは実際にどこにでもいる。
他人の日記を要約した挙句に「気持ち悪い」などと直接罵声を投げつけてくる人間が、礼節だと??
笑ってしまうよ。
返信を投稿するボタンを押す前に、一瞬でも躊躇していたら自分がしでかすことになることの滑稽さに気付いただろうに。あるいはそういうメタ認知は欠落しているのか。
他人の被害者意識をどうこういう以前に、自分が加害者である可能性には気づいて欲しい。
こんな人はもうどうにもならないかもしれないが、うまくいくように変わっていくことを望む。
増田よ、類い稀なメタ認知を持つミソジニストよ、バージョンアップされた紳士性を再インストールして自らの差別主義を克服せよ。
やだ!めんどくさい!紳士じゃないもん!女性ってだけで男性と違った対応をしちゃうのはこれはもう体に染みついた物で自分の意思じゃどうしようもないもん!
男の人をよくわかっていないで参入してくるのの何が悪いのか。
あくまで自分個人の好みではあるんだけど「女性の描いた男性向け作品」のノリがどうも苦手で…ガンガンとかああいう「女性向け少年漫画」ならもうそういう物だと割り切れるんだけども…。
実際に「女性の描いた男性向け作品」は性別問わず多くのファンを獲得して受けている事が多いから商品としては何の問題も無いと思う。
ただ…例えば「鬼滅の刃」の我妻善逸は「女の子大好き!」ってキャラクターだけど吾峠呼世晴先生は女性な訳で「女の子の事が大好きな男」の気持ちなんて本当の意味では分からない訳だから、そういう所にどうも違和感がある。
男性の加害性についてはよく分からないけど、男性ホルモンが増すと毛深くなるとか攻撃的な性格になりやすくなるとか同じ理由でそれはもう「男性」という生物の仕方ない所だと思っている。
教育によって「乱暴な個人」はきっと減らせるだろうけど、何だかペットの去勢手術のような感じがして可哀想でもあるかなあ…最後に日記を読んでくれてありがとうね、増田
男の人をよくわかっていないで参入してくるのの何が悪いのか。
入門者が分野のことをよく知らぬままに憧れだけで入ってくるのはむしろ普通のことだ。
クラゲが浮く海に飛び込むとか濁流の皮に足を踏み入れるとか、そういう危なっかしさを感じるというならわかる。
でもこの例えが当てはまるなら男性の加害性を、前提として取り除けない本質として認めてしまっていることになる。オレはそれは違うと思う。乱暴さの多くは文化によってすりこまれたのだし、積極的に学習して理性にテコ入れするのは可能だと考えている。
増田よ、類い稀なメタ認知を持つミソジニストよ、バージョンアップされた紳士性を再インストールして自らの差別主義を克服せよ。
ダニング=クルーガー効果(ダニング=クルーガーこうか、英: Dunning–Kruger effect)とは、能力の低い人物が自らの容姿や発言・行動などについて、実際よりも高い評価を行ってしまう優越の錯覚(英語版)を生み出す認知バイアス。この現象は、人間が自分自身の不適格性を認識すること(メタ認知)ができないことによって生じる[1]。
ダニング=クルーガー効果とは、能力や成績が低い人ほど自らのそれに対して過大評価を行い、自信にあふれるという認知バイアスのこと。自身の能力の客観的な認識、メタ認知ができないことによって生じる。一方、能力や成績が高い人ほど自らのレベルを低く評価するようになる。
能力や成績が低い人は自身の能力の客観的な認識ができず、また他人の能力も正しく測ることができない。ただし、自分の能力を自覚し、短所を改め長所を伸ばすといった取り組みを重ねることで、その認知バイアスから逃れることができるとされる。
能力の低い人は、ただ何かをする能力が低いというだけでなく、自分の能力の程度を
把握する能力も低いのです。このため、仕事のできない人ほど自分の仕事に自信を持っているようにみえるという不思議な現象が起きてしまうのです。物事を理解する能力の低さが自己認知も妨げるため、自分の能力が低いという事実にも気づかないのです。また、このような人は努力を怠ってしまうため、仕事でも何でも成長が止まってしまい、自己と周囲との評価にさらなるギャップが生じます。
少し前に「腐女子とゲイは仲良くなれない」っていってる増田がいて、少し頭が弱いというか歯に衣着せずに書けば要するに馬鹿なんだけど、馬鹿っていうのはたとえば自分の知っている範囲のゲイがゲイのすべてだと思い込むんだよな。自分の半径数メートルの環境しか把握できていない。百聞は一見に如かずといったときに百聞を放置した上で大して外を見てきてもいない。それを井の中の蛙っていうわけだけど、その自覚がないから堂々と自分の知っているゲイがすべてのゲイだと思い込む。まあ、馬鹿だから何が馬鹿だとかも分からない。メタ認知能力が故障しているか開き直っているのか。これが若者だともう救えないな。成長の余地0じゃん。若くして害。
このくらいのルックスでこのくらいの能力なら、だいたいこのくらいの振るまいしてもいいよね、ってのを見誤ると、人から叩かれて嫌われる。本当に生きづらい。
「その程度なのに、なんでそういう態度とってるの?」
「自分が思ってるレベルよりも低い能力しかないんだから、それ相応の振るまいをしようよ」
普通の人間は、自分がどの程度の人間かちゃんと客観視出来てて、相応の振るまいというのも自然と身につけていくらしい。
身につけられない人間はどうやって生きていけばいいのか。
自分のことだけではない。
伴侶がかっこいい/美人だと思っていても、世間的にそうみなされていなければ、それを他人に言うことはできない。言ったら「え、どこがかっこいい/美人なの?」となるから。そして「過大評価が凄まじい人」だと思われる。