はてなキーワード: マイブームとは
「これ伸びてもおかしくないなー」ってのも結構少なくないんだけど、案外ゼロブクマで流されてくんだな。
ちなみに、練達の増田ファーストブクマカーの皆さんは、一体何を基準にブクマってるの?
誰にも言わないから少しだけ教えろください。
(追記)
どれだけいい増田が書かれようと、増田ファーストブクマカーがブクマしないと一般ブクマカーの目には中々触れません。
それを拾い上げる役割は、増田界におけるメディアとも言えるでしょう。
ちなみに余談。
今回、「誰にファーストブクマされるのかなぁ」とワクワクしながら推移を見守ってたんだけど、
かなり早い段階で非公開ブクマが3つ付いたんだよね。
まあそのうち一つは僕なんだけど、ちょっと気になった。
身長125cmくらいのおかっぱで赤系の和服を好む齢4桁の座敷童。名前は教えて貰えないから、お師様って呼んでる。
家事掃除はほとんどしないし、外食も大嫌いだ。もちろん、毎日俺に毎日三食作らせる。
偏食も激しくて、何か食べたくなったらそれ以外口にしてくれないなんて日常茶飯事。
昼間っからネットしてSNSや匿名掲示板を見てはぶつくさ言ってるし、
かと思えば女友達の妖狐とか雪女なんかを連れ込んで豪勢に酒盛りしているのもしょっちゅうのことだ。
夜中、特に用事のないときに誘えばセックスはしてくれるけど、気が乗らないとマグロもいいところだし、
興が乗れば夜明けまであの手この手で絞り取られるからもうどうにも気が抜けない。
体中開発されたし、最近はマイブームなのか女体化させられて陵辱されることも多い。
ちなみに生理はまだ来ていないんだけど、孕むこと自体は自由自在らしく、
いつか立派な一人前の男になったら子も作ってやるとは言ってくれているけど、先にこちらが孕まされそうだよ。
そんなクソニートみたいなお師様だけど、千年以上他に阿らず好き勝手行きてきただけあって術の力は比肩するものを見たことがないし、
古今東西の魔や妖かしに精通していて、更に苦手だという体術も俺程度じゃ片手片足で軽くあしらえるほどに強いんだ。
細かいことを考えるのが面倒臭いってんで全部うち倒してから考えようとする癖があるのが玉に瑕だけど、その辺は俺が補佐すればいい。
まあ、最近で言えば土蜘蛛チョコレート問題のときも、吸血鬼ライア侯爵婿入り騒動のときも、
自分は空回りするばかりでお師様に助けてもらうばかりだったんだけどね……。
いつかは俺もお師様につりあうような立派な男になって、彼女の名前を呼んでプロポーズするんだ。
なんて感じの子だよ。
普段やたら海外の良さについて熱弁をふるっていたが、興味のない俺はテキトーに相槌を打っていた。
それがタイナイの琴線に触れたらしく、俺は半ば無理やり海外の良さを体験させられる羽目になった。
ウサクは、タイナイとは別ベクトルで“精力的”な人物であり、様々な国の政治に触れておくのも一興とついてきた。
「あえて下調べをしないことで、より体験を新鮮で特別なものにするのさ」
とはいえ、さすがに不安なので案内人を雇うあたり慣れている(と思われたいのだろう)。
「ようこそ。この国は“個人の意思”を尊重します。そのフレキシブルさ含めて、どうぞ観光を楽しんでください」
何はともあれアテもなく歩き出すと、早速タイナイが観光の独自理論を展開させる。
「基本的に観光が盛んな国というのは、海外向けに首都も最適化されているんだ。場合によっては地元の人が疎外感を覚えるほどにね」
こーいうのを悠々と語りたがる年頃なのだ。
「だけど個人的には大通りじゃなくて、小脇の道に寄ってその世界の情勢を側面的に見るのもオツなものだよ」
「なるほど、我もこの国の情勢をしかと体験してみたいしな。よし、ちょっと寄り道しよう」
そうして目に付いた小脇の道に入ろうとすると、案内人が止めてくる。
「いけない。巻き込まれるかもしれない」
不穏なことを言ってくる。
「なんだ。治安が悪いってことか?」
「いや、取り締りはしっかりやっていますが、大事になったときに巻き込まれる可能性がある」
「そーいうの含めて治安が悪いって言うと思うのだが」
「自由を尊重している国なので、まあ多少は。もちろん、どうしても行くと言うなら構いませんが……」
なんだか腑に落ちない理屈だったが、とにかく危険だということで俺たちは行くのをやめた。
俺たちが立ち寄ったのは大きめの雑貨屋だった。
「俺たちの国でも海外観光客が大型雑貨店で買い物するってことは多いだろ? その国の雰囲気を感じ取るのに実は最適なんだ」
別にもっと如何にもな場所を観光してもいいと思うのだが、どうもツウぶりたいらしい。
俺たちの国にもあるメーカーのものに、この国独自のブランド商品も共に並ぶ、何とも奇妙な様相を呈していた。
そして、ふと一際目立つ、異様なデザインのパッケージが目についた。
女子大時代の友人二人と3-4年ぶりに会ってお茶をすることになったのだが、二人と私の住む世界、流れる時間が違いすぎて軽く吐き気がした話。
院卒、メーカーの開発職。今年の年末にも職場の同期と結婚する予定。
大学院を博士課程(しかも国文学で)まで行ったけど、曰く「私普通に就職することにしたの」とのこと。
なかなか論文も書けないし、満期取得退学?して就活するつもりらしい。
だけどその決心もつかないから最近のマイブームは「スピリチュアル」。タロット占いや風水に一生懸命精を出しているらしい。
しょ、正気なのか…。
ちなみに結婚の予定はなさそう。彼女は恋愛については話したがらないが恐らく彼氏いない歴=年齢。しかしもはや突っ込める雰囲気ではない。
大学時代は1個上の先輩だったが、彼女は諸般の事情があり年齢が少し離れている。
大学院を修士まで出たあと、3-4年非正規で職を転々としていたはずだが、先月結婚。
そこからなんと専業主婦に。今の日本にそんな選択肢あったのかよ。
まあ旦那さん士業だし歳も先輩と近いし、そのへんの20代サラリーマンよりよっぽど収入安定してんだろうけどさあ。。
「寒い地域でとれるものが良いんだよ増田ちゃん!」と力説された。
※歳があいまいなのは度々公称年齢が2-3歳変わるから。そこに突っ込まないのは仲間内でのお約束になって久しい。
性格もふたりとものんびりしていて、学生時代からうすうす住む世界が違うことはなんとなく感じていたが。。
二人といわゆる本音トークをしている時、私が何度「あんた甘いよ」「それ本気?」と言いたくなるのをぐっとこらえたことか。
私が学生時代から長く働きやすい会社を探したり、理解ある夫に出会うのに努力したのがアホみたいに思えてきて目眩がした。
そんなの許されるのかよ。
最近は、1クール前のアニメの事後評判を調べて良さそうなやつを幾つかピックアップして一気に見る視聴スタイルがマイブームだ。
僕だけがいない街は、前期のアニメの中では一番評判が良さそうで纏まった時間がやっととれたので見れた。
久しぶりにいいモノ見せてもらいました。物語を一言で言えば「時間ループの過去改変で、殺人鬼からクラスメイトを救え、そして真犯人を暴きだせ」というストーリー。最終的には、ややハッピーエンドだったのだが視聴後の爽快感とか清涼感というものはなくどことなく哀しい気分になった。このアニメを見た感想は大きく分けて2つ。「サスペンス」と「ノスタルジー」だ。
サスペンスの部分はいろいろな人の感想で書かれていので、割愛。加代が救われるかどうかは割と終盤前半でわかってしまうので、その後の展開をどう見るべきなのかが若干分からなかった。。時間ループからの過去改変モノというとシュタゲを思い出すよね。シュタゲも手に汗握りながら見ていたけど、あっちは「みんなHAPPYになるように過去を変えろ」という明確なゴールが設定されていて物語のピークもわかりやすかった。ぼく街の場合は真犯人を追い詰めることを主眼としているのか、その真犯人の心理にせまることを前に出したいのか、後半はどう楽しんでよいのか分からなかった。詳しい人、教えてください。
ノスタルジーについては、あまり他の感想に言及が内容な気がするけど意外と小学生時代の体験を懐かしがったりしないのだろうか。学校、学級という限られた人間関係、子どもという親に依存した弱い立場でありながらそれを乗り越えて願いを成就させたいと奔走する様はとてもノスタルジックな気分になった。不全感をかかえつつも、日々を全力で駆け抜けた子供時代の雰囲気が細部から伝わってくるという気がする。この物語は、タイムリープする先が小学生であっても、中学生でも高校生でも成立する話だと思う。だから作者はタイムリープ先を小学生としたことに、なんらかの意味をもたせているんじゃないかと思うんだけどこれもしっくり来ないなあ。
その他に気づいたこととしては、作中では主人公を含めて片親の家庭が多いのは作者の育った環境によるのだろうか。
物語の最後で主人公と加代がくっつかないのは主人公が加代近づいたのは「加代を救うため」だったわけで、加代が子供を連れてきたときの主人公の涙を「救済が成就された嬉し泣き」と見るのか、「言葉の上では喜んでいるが心は悲しんでいる」と見るのか視聴者が試されていると思った。自分は前者なのだと思いたい。ヒーローとは自分のためではなく、代償も求めず、困った人を救う者なのだから。
イベントやパーティに行った時、何に興味を示すかは人それぞれだろう。
「どんな人が来ているかな」「どんな食べ物が出るかな」などなど。
自分の場合、そういう場所だと、演出のライトにフォーカスしてしまう。
ライトの点滅を眺めながら、それがどんなパターンで動いているか見極めようとし、分かったら「ああ、なるほど」と勝手に喜んだり。
つまり、世の中のあらゆる物事について、ルールや法則性と言われるようなパターンを見出す形で理解しようとするのだ。
世界をパターン化というアプローチによって抽象的に捉えようとすると言い換えれば聞こえはいいが、自分で作った思い込みに囚われやすい性格とも言える。
そんな自分にとって、プログラミングなんて簡単な仕事の部類に入る。
コンピュータは人間と違って全く融通が効かないし、指示命令書であるプログラムはコンピュータが行間を読まないことを前提に書かないと動かないし、何よりコンピュータの側が操作する人間の気持ちを汲んでくれることは絶対にない。
こう書くと極めて面倒なシロモノに思うかもしれないが、実はコンピュータに通じる共通パターンみたいなものがあって、それさえ分かってしまえば、あとはポイントを押さえ大いに効率よくやることが可能なのだ。
とはいえ流石に家に帰ってまでプログラムを組みたいほどではないが、それでも仕事にしたのは人生の選択として自分をほめてやりたい。
もちろんシステム開発に占めるプログラミングの割合は低い方なのだが、客が本当に欲しいものと、実装が楽になる方法の両方を常に勘案するという手法で仕事を進めているので、今のところ大事故はやらかしていない。
また、「マニュアルを読んでその通りにする」のもこれまた得意。
そこに来てプログラミングの土台となるミドルウェアは「とりあえずこうすれば動くよ、そんな難しくないからやってみ?」みたいなスタートアップのための情報が必ずあるので、これまた「動かなくてギブアップ」という経験は皆無。
一方で、同じITであっても、アプライアンスやストレージの管理がメインとなる、運用の仕事は全く苦手だったり。
メーカー・機種ごとに色々違っていて標準的な手法があまりないところに、それぞれ細かいところまで見ていかないといけないこともあって、自分お得意のパターン化があまり通用しないので、その時点で攻略する情熱や興味をを失ってしまうというか。
人間はパターン化がほとんど通用しない相手の最たるもので、そんなパターン化とか考える暇があるなら、もっと目の前にいる相手のことをきちんと観察しろよって話である。
しかし脳がパターン思考に最適化してしまったせいか、相手ありきの現物合わせが全くできないのだ。
「どういう言い方や持って行き方だと、最もスムーズに意思を伝えられるか」は「相手が何を思ってその言動になっているか」という想像力の問題になるが、その想像力が自分には少しも備わっていない。
なのでマニュアルなんて読んでも時間の無駄だし、多分そういう分野はマニュアルというよりレッスンor稽古or練習がモノを言う世界なので、マニュアルそのものがナンセンスという可能性が高い。
じゃあ練習すればって?誰を練習相手に?という取っ掛かりで詰んでいたり。
そもそも「パターン化できない」時点で「うわめんどくせー」と感じてしまう時点で、これ以上のコミュ力の成長は望めないだろう。
でも、もしこういうことが上手くできたら人生更に楽しいだろうなーとも思うので、なんとも悔しい。
お陰で、自分はこのままだとリーダーや営業職をこなせる可能性はゼロだし、多分それは機会損失でもある。まあ無理にやって周囲に迷惑かけるよりはマシだけど。
これは余談だが、それもあってか、フィクションの世界で目にする「人好き系リーダー」は、自分が最も好みのキャラだったりする。無い物ねだりの変形だろう。
おーぷん2chとか増田に作り話書くのがマイブームになっている(いた)。
ただ思いついただけのオリジナルストーリーを書くことが多いが、
現実や実際に感じていることに手を加えてストーリーにするというパターンもある。
職場にムカつく奴がいるとしたらば、
そのムカつく奴がまとめサイトのコメントやブコメで叩かれるように仕向ける話を。
嫌いな属性があるならばそれが叩かれるように仕向ける話を。
しかし、コメント欄やブコメは書き手や報告者のあらを探し叩くことが多いという性質があるので、
「こんなムカつく奴がいるんですよ~」というお話にはせず、
ムカつくやつ本人になりきって書き込むことにしている。
するとどうだろう。
思惑通りに書き手が叩かれ始めると、ムカムカして反論したくて仕方なくなるのだ。
実はこういう事情があって、などと後付の言い訳エピソードを加えて、
後出し乙なんて言われりゃあもう。
筆者です。
予想以上に反応してもらえて驚いています。。
ロリに走ったときの心情を拙いなりに書いたら気持ち悪い文章が出来上がったので、「その筋」の人が見てくれれば
反応してもらえるかなと思っていたんですが・・・
まだTwitterなども含めてコメントを読めていないんですが、今週中に全部読ませていただきたいと思います。
実はこの記事は、ロリアイドルがマイブームになってた1ヶ月前に悶々として書き殴った文章を元にしています。
その後ロリ欲求が低下して、最近再びムラムラしてきたので勢いあまってネットに投下してしまいました。
ロリ欲求が薄まったときは、吉木りささんなどを見てもドキドキしたのでストライクゾーンが広くなっただけかもしれません。
http://b.hatena.ne.jp/entry/gigazine.net/news/20150820-otaku-girls-fashion/見て思い出したけど。
まだこんなのがいたのか!!と言うもろオタク女によく遭遇する。
(巷じゃプリパラおじさんとか言うけど、実際は大人プレーヤーは女性の方が圧倒的に多いよね。
よく行くのは場所的に子供が少ない所なので、大人女性は子供より多いんじゃないかというくらい見るけど、男は一度しか見た事がない)
具体的にどこがどうとは言えないんだけど、なんか他の若者と比べると明らかに変だし、ダサいんだよね。
街を歩いていてもああいうのは殆ど見かけないんだけど、やはりダサいオタクはいつの時代もいるのだ、と感慨深くなる。
それと比べたらここに載ってるのなんてどれもごく普通の若者ファッションでは、とBBAは思う。
つかグローバルワークって30代向けじゃなかったのか。
子供服も置いてるし、SCによく入ってるけど区分は「ファミリー」だし、子持ち世代向けだと思ってたよ。
[ト・タル][文][形動タリ]
1 虫などがうごめくさま。
「―として御玉杓子 (おたまじゃくし) の如く動いて居たものは」〈漱石・趣味の遺伝〉
2 おろかで無知なさま。また、そうした人が秩序なく動きまわるさま。
「―たる凡俗の徒輩」〈谷崎・神童〉
【閲覧は自己責任で】
サラリーマンは小遣いが貴重だ。
子供が夏休みに入ると同時に弁当をこさえることをやめてしまう嫁から、その代わりにと500円ばかりの昼食代を援助してもらっている。
学生時代から昼食代を切り詰めては遊興費に回すことは得意だった。
最近では家にある冷凍ご飯を持ち出し、コンビニのレトルト惣菜とインスタント味噌汁や粉末スープで300円前後に抑えるのがマイブームだ。
会社のレンジとポットを使えば、温かいスープと主菜、さらにサラダまで楽しむことができる。
個別の皿に盛られて出てくるだけで3倍はかかると思うと、最近のコンビニはランチ産業までをも脅かしているに違いないとよく知りもしない畑の心配をしていた。
以前からもコーヒーはインスタントで楽しんでいた。缶やペットボトルなんぞは外で飲む以外に買う理由はない。
これらすべてを100円ショップで買ったどんぶりとマグカップで楽しんでいる。
ずぼらな私ではあるが、ここで使い捨てを選んでは元も子もない。
ランニングで考えれば洗剤のほうがはるかに安価なのは考えるまでもないことだ。
コーヒーの水面を揺蕩う湯気は、自分の経済観念を讃えているかのようだった。
そんな私だが、コーヒーと砂糖をすくい取るスプーンを入れるカップだけは使い捨てを使っていた。
濡れたスプーンはカビの原因になる。
そのためにすくい取る専用の乾いたスプーンを用意しておいたのだ。
そのスプーンを瓶に刺しておくのも棚に直接おいておくのも憚られたため、汚れたら捨てれば良いとプラスチックのカップを用意したのだ。
もともとがずぼらな私だけに、我ながらいいアイデアであると感心していた。
コーヒーやスープなどが置かれた棚に並ぶように、一枚のタオルを半分に折りたたんで敷いた上にそれら食器一式は置かれている。
洗ったのちの乾燥もそこで行っていた。
四六時中パソコンのモニターとにらめっこしては、そこに現れる問題点を潰していく仕事だ。
正義感も罪悪感もなく、ただただ単調に害虫を発見しては潰していくのだ。
そんなちまちました作業には、自律神経を緊張から開放させてくれる温かいコーヒーが不可欠だった。
さて、午前のノルマを終え優れた経済観念を楽しもうといつものように逆さに向けられたどんぶりを手にした時だった。
何の気なしに、安物と言えども丈夫な作りをしてくれているなぁとどんぶりを覗きこんで見たのだ。
そこで私は、クリーム色の陶器に反射する蛍光灯の光を遮る何かを見つけてしまった。
目を凝らして見ないとわからないほど小さな、それも一つではなく、数個の、どんぶりの色によく似た白い個体が、陶器に足を滑らすでもなく、自由自在に動きまわっていた。
蟲だ。
急いで流しに駆け寄ると勢い良く水で洗い流し、半ばパニック状態になりながらも洗剤も使って念入りに洗い直した。
動くたび鳥肌が衣服に触れ、まるで小さな蟲が体中を蠢くようなかゆみに耐えながらふと疑問が頭をよぎった。
「いつからか?」
普段ならどんぶりの中など気にもせず、レトルト食材を袋からどんぶりに移してレンジにかけていた。
ラップに包まれていた温め終えたご飯をどんぶりに加え、さらにサラダまで盛りつけて食べていたのだ。
加熱処理をしているから問題ないという言葉が一瞬浮かんでは見たが、それがなんの慰めにもならないことに気づいてかえって苛立ちは増して行った。
そんなことを考えながら食器の置かれていた場所に戻ると、コーヒースプーンの入ったプラスチックカップが目に飛び込んできた。
そこには、カップの底にわずかながらの、しかし暫くの間放置されたであろうコーヒー豆と砂糖のカスを見ることができた。
やつらはどこからかこの匂いを嗅ぎつけ、時間をかけてここに仲間を呼び寄せたのだ。
コーヒーはかれこれ半年ほどこうして飲んでいる。食器を買い込んで惣菜で弁当を食べ始めたのはここ1ヶ月くらいの話だ。
よもや期せずして昆虫からのタンパク源摂取の臨床実験を成功させていたとはなんという皮肉。