はてなキーワード: ポジティブとは
人生初バイトで遅刻した。寝坊だ。パチンコ店の開店前清掃のバイトの面接で受かった木曜日、同期と飲んでいたら3時になった。6時40分集合だからそのまま行けばいいやと思っていたら案の定寝た。大学2年、二十歳になってこれである。
朝は電話で目覚めた。面接担当だったおじさんの声で飛び起きる。
階段を駆け下りる途中、足を踏み外して転がり腰を強打した。スマホが飛んで画面が割れた。
自転車でクソ飛ばす。寝ぼけマナコで何となく謝り、言われるがままに動いていたらバイト初日は終了した。誰も俺のことを叱らなかった。おじさんもおばさんも優しかった。いや、おばさんは不機嫌だったな。でもめちゃくちゃに怒られると思っていた俺は拍子抜けしてしまった。
めちゃくちゃ怒られる想定で敢えて楽観的にスルーしようと身構えていたから調子が狂い、結果的にはあり得ないようなポジティブ野郎になった。帰り道は鼻歌交じりだったし、「大したミスじゃなかったのでは?」と思い始めた。
しかし時間が経つにつれ、バイト初日に遅刻したことに焦ってない自分が急に怖くなった。言っておくがバイト初日に遅刻するのは相当なやらかしだ。飲み会やらtwitterやらでは過去の武勇伝ややらかした報告としてこの程度のことは耳にはする。しかしまさか自分がそんな人間になっているとは思わなかった。
自分で言ってしまうが俺は小中高と成績は上の方だったし、面白くはないけど真面目な奴としてのポジションを得てきた。俺はバイト初日に遅刻する奴らを笑ってるはずではなかったのか?「世の中には大事な場面で時間すら守れない、こんなに終わってる奴らもいるんだなあ」と他人事として聞き流してたんじゃなかったのか?いつから俺は「そっち側」になってしまったんだ?
もう一度言うが、バイト初日に遅刻したエピソードなどありふれていてクソつまらんと自分でも思う。陳腐すぎて武勇伝ややらかしエピソードとして語れるわけがない。俺が言いたいのは「自分が巷にあふれる終わってる人間」になってしまった恐怖と悲しみだ。俺はバイト初日に遅刻するような奴を一生他人事として笑ってる側だと思ってた。自分はそうはならないだろと無意識に無条件にタカをくくっていた。絶対に「そっち側」にはなりたくなかったし、なるはずがないと思ってた。
これは堪えた。キツかった。でもよく思い返せば、どこかで何かやらかしそうなダラダラした毎日を送っていた。大学2年までバイトもせず勉強もせずにtwitterばかり開いて昼夜逆転してたのがその証左だ。俺はここで自堕落な今の生活を全力で立て直すことを決意した。時間は守る。自炊する。授業は寝ないで受ける。ここで譲ってしまったら「そっち側」から帰ってこられないような気がする。「そっち側」に行くのは簡単でも戻ってくるのは難儀だろうし、ここが分水嶺ではないかと思って一念発起する。
私は7年近く運用しているtwitterアカウントがある.
何でもかんでもフォローして,とめどなく流れるTLを眺めるという生活をかれこれ5年近く続けている.もはや日課となっている.
コロナの影響もあり,最近は人生に緩急がなくなったためTweetもほとんどせずROM専といっても差し支えない状態になってはいるが,Twitter歴だけで見れば中堅と名乗れるくらいの自負はある.
そんな中で,ここ数年でtwitterで漫画を連載するというものが非常に増えたように感じる.
理由は様々あるだろうが,わかりやすいものは「ビジネスに直結する」というものがあるのではないだろうか.
以前までは,漫画家という職業は作品を編集部に持ち込んで,編集者に精査してもらうことで連載を獲得する.またはコンテストで優秀な成績を収めることで編集部に見初めてもらうというものであった.
しかし,今の時代はSNSに投稿することで世間のインプレッションが数字としてわかりやすく提示される.
そうなれば企業が放置するワケもなく,やれコミックス化だ,LINEスタンプだと,とんとん拍子に話が進んでいく.
そのような一連のムーブが確立してしまった以上,漫画家はSNSユーザ向けにと自身の作風を寄せていく.
わかりやすい例を挙げると
・しろまんた作『先輩がうざい後輩の話』
そういう漫画が私は読めなくなった.
別にこの二作品が特段悪いわけでも,これらの作者が嫌いなわけでもない.
この感情を初めて覚えたのは,しゃしゃき作『オタクだってギャルと恋したい』通称『オギャ恋』と呼ばれている作品であると記憶している.
この作品は賛否両論を巻き起こしたきくちゆうき作『100日後に死ぬワニ』のブームにあやかって作成された100日間で展開するというフォーマットに従って進行し,「100日で冴えないオタクが身の回りのギャルたちとの間で展開する恋模様を描く」というものである.
まずこの作品の素晴らしい部分は述べなければならない.何度も断っておくが,作者が嫌いなわけではないし,表現者に対するリスペクトは少なからず持っている.
この作品の称賛できる点は,100日間きっちり描き切ったという部分である.
『100日後に死ぬワニ』が完結した2020年3月下旬,Twitter上で「100日後に〇〇」という作品が大量に溢れた.そのほとんどが100日描き切ることなく中断した.しかし,しゃしゃき氏は根気強く描き続け,先日無事100日目を迎えた.
それに加えて,『100日後に死ぬワニ』と異なり,イラストの水準をかなり高い状態で保ったまま完結させた.キャラクターの表情,髪の毛のツヤ,服のシワ,陰影,背景に至るまで緻密に描かれており,とても描き続けられるような作風ではなかった.しかも本編とは別でキャラクターのオフショット(?)のようなイラストも投稿している.尋常ではない努力だと思う.そういった部分は作風関係なしに賞賛すべき点であると感じる.
しかし,1日目を読んだ段階で私は読みたいと感じられなくなった.
理由は単純だった.「あまりにもステレオタイプ.それでいてオタクをターゲットに見据えすぎている陳腐さ」であった.
ここで,オギャ恋第一話を紹介する.
制服を着崩し,自身の巨乳の谷間を見せている金髪ロングのギャルが,オタクの机に座り「おいオタクっ気持ち悪い漫画ばっか読んでんじゃねーよ笑」「今すぐ購買行ってパンかってこい 秒でなっww」とオタクをからかっている.
この絵を見た私はいたたまれない気持ちになり,次回を能動的に待つことをやめた.しかし私のとどまることのないTLは容赦なくこの作品をリツイートを通して流してくる.私がこの漫画の完結を知ったのもそういった理由である.
このようなことを言うとミュート,ブロック機能を推奨する意見が散見されるが,私自身のエゴで赤の他人をミュート,ブロックするという行為は私自身のTwitter運用に関する信念に反するのである.
わかりやすく言えば,「この程度のことでミュートなんてしたくない」というくだらないプライドなのである.
そういったどっちつかずの感情をぶら下げている自分自身にも嫌気がさす.
本題に戻るが,オギャ恋1話はステレオタイプのギャルがステレオタイプのオタクにステレオタイプのからかい方をするというステレオタイプの展開であった.
私はこのような展開が嫌いというよりも,「こういうの描いときゃウケんだろ」という浅ましさが作品から漏れ出ているような気がしてならないのである.
事実,この作品は多くの支持者を得て,人気作品となりコミックス化も果たした.
そういった作者の考えがあることないこと自身の脳内で想起される感覚がたまらなく気持ち悪いのだ.
いつだったかダ・ヴィンチ・恐山が発言していた「頭の中のインターネットが勝手に炎上する」というものが最も的を得た表現であると思う.
とあるツイートに関して,存在しないユーザが些末なことから揚げ足を取り,その結果炎上するという想像が脳内で組み立てられる.
そういった良くないシミュレーションが長くTwitterを運用していると増えてくる.言い換えれば,ツイートの内容を見てリプライが予測できるようになる.
正解不正解関係なく,人の考えをツイート一つから読めるようになっていき,それが制御できないのである.
純粋に楽しめばいい漫画やイラストにも「どうせこういうのが評判良いから描いてんだろ」と歪んだ視点で見るようになってしまったのである.
何度も例として挙げて申し訳ないが,オギャ恋も当時ウケていた100日フォーマットを採用したがために歪んだ視点で見ざるを得なくなった.
それ以降どのような漫画を読んでも,ポジティブな感想を押しのけてネガティブな感想が優位に立ってしまう.
生意気な後輩に弄ばれる展開
それらすべてが「純粋な面白さを求めた結果」ではなく「ウケやすいテンプレートに則った結果」になっているような気がして嫌になる.
上記の展開が繰り広げられる作品を一つくらいはイメージできたのではないだろうか.
つまりはそういうことである.面白い展開だけを引っ張ってきて,自分の画風をかぶせた作品が世の中に氾濫している.
中世ヨーロッパ異世界転生がなろうのテンプレだと馬鹿にされていたが,それが現在進行形で複数の設定がTwitterで消費されている.なろうの二の舞になっている.
設定構築に尽力し,作りこまれた世界観で物語が進行する漫画が読みたい.
しかし,万人受けを捨てて自身の思う面白さのみにフォーカスした作品よりも,浅く何度も見たことのあるテンプレ通りの作品ばかりがTLには流れてくるジレンマ.
どうすりゃいい?
友人に会い稽古をした
コロナの宣言等で最近稽古が出来ていなかったので良い運動となった
出掛ける前は面倒だし中止してもらおうかと考えたが土壇場過ぎたので諦めて出掛けた
稽古すればそれまで憂鬱だった気持ちもどこかへ行きアクティブな気持ちへとかわったのでやはり運動するのはいい
2年前もそれを話していたしこれも夢物語になるのだろうと思い、カメラの購入、アカウントの有無、動画制作工程を確認していく
分かったことは
・カメラはこれから買う。スタビライザー3軸ジャイロをまだ買ってないから撮影をしていない理由だった
→なのでiPhoneでの撮影を提案。スタビライザーはひとまず無しで撮影してみて手振れが酷ければ購入検討としてみては?と提案
→なのでアカウント作成手順が書いてあるサイトを紹介。解散後アカウント作るように伝えた。
→どれぐらいの動画を作るのか分からないのでひとまず撮影してみて、と伝えた。
自分はオンボロノーパソでaviultで編集して投稿していたのでiPhoneでの動画作成はよく分かってないので今度会うまでにエアプにならないように調べておかなければ。iPhoneだけで動画撮影、編集、投稿まで一台で完結出来るそうだがよく分かっていない。
友人が収益化通ったら飯奢ってもらう予定で色々教えていく予定。
自分のスペックは動画投稿はしてて、とあるジャンルのチャンネルで登録者270人程と自分のゲームの録画を保存目的で投稿する登録者0人のチャンネルの二つを持っているからある程度の投稿までは教えられるがバズるのは無理なので友人のコンテンツ力に期待するしかない。
久しぶりに酷い悪夢を見てしまった。生理二日目の出血ピーク時と就寝時間がきれいに被ってしまったというのに、そんな夜に限って長々と熟睡してしまう。装備は、超多い日&夜用タンポンと普通の日用のナプキンとただのショーツにパジャマという軽装。
そんなんで寝たものだから、タンポンで吸収出来なかった経血で、ナプキンがぐずぐずになり、しかも横漏れしてショーツまでぐしゃぐしゃに。
更に、そうとは知らずに寝こけていた私は、股間と腿の辺りがびちゃびちゃで気持ち悪かったが、まっ、なんとかなるっしょ! とポジティブに思ってまどろんでしまう。
ところが! 何分たったころか、下半身の辺りからショボボボボーショイショイショイー、と音が聴こえ、股とお尻が温かくなり、下腹がなんかすっきりした気がした。
「あかーん!!」
私は自分の絶叫で飛び起きた。起きたとき、まだ半分夢を見ていて、現実の私は下半身を手探りして漏らしていないことを確認したのだけど、一方夢の中の私はといえば、トイレの便座に腰を下ろして、おしっこに洗われて血の色が抜け薄オレンジ色になったぶよぶよのナプキンを見て、これどうしよ? と思っていた。
なんだ夢かー、と、やっと理解して、私はもう一度布団に倒れて寝直そうとした。ところが、お布団に横になったとたんに、股間からズビズビズビーブクブクブク、と、何かが泡立つ音がして、あっこれはタンポンが経血を吸いすぎてもはや使い物にならなくなってるぞ、と気付き、私は慌ててトイレに駆け込んだ。
タンポンは、軽く紐を引いただけでトゥルンと膣から出てきた。爽快感はんぱない。ついでに小用を足したが、ついでと言うにはずいぶん大量に出て、深層意識ですごくおしっこをしたかったから漏らす夢なんか見たんだなと理解した。
それにしても、膣から大量の経血が出るときって、使用している生理用品がナプキンだろうがタンポンだろうが月経カップだろうが、膣の中で経血がブクブク泡立っているような変な音が出ることに違いはないんだなぁ、と便座に腰をおろしたまま考えた。
見捨てたいならそうした方がいいぞ
見捨てるって言ったって生活保護があるから自死以外では死にはしないしなんとかなる
たまに電話してやるだけでいいじゃん。電話したら長電話でしんどそうなら、なんか送るついでに手紙でも送っとけばいい
けどそれでも後悔はするので後悔した時に自分の選んだ時の気持ちを再確認できるよう
フツーは小学校・中学校・高校の公立校へ通うだけで多様性を学べるもんだが
勉強だけを行うオンラインスクールと、様々な子どもたちが交流する遊びの学校みたいなの作れば解決はするが、
うーーーん、不自然過ぎる気がするよ。あと既に大人になっちゃった分はどうする?みたいな
やっぱり、アニメ・ゲーム・マンガ・小説・映画の力を借りるのが良い気がする
発達障害(特にASD)のマジョリティとかけ離れたセックス意識をキモヲタは空気読めで片付けない
日本には、不幸なことになる前に、セックスについて家庭で話し合っていこう、理解を深めようという取り組みがない。
それどころか、日本は性的に露骨な表現に非常に寛容なため、発達障害が間違った理解のまま大人になってしまう。
非常にセクシュアルな作品や表現を見たときに『・・・ふぅ』と書いたりする。
元ネタは2ちゃんねる(現5ch)やニコニコ動画などのやり取りで発生したいわゆる下ネタである。
下ネタの解釈を文字起こしするのもなんだかなぁって思うが、アスペは空気読めで片付けないために解釈のひとつを書いておくと、
この作品は 抜ける(性的興奮を高め射精する事ができる) → ふぅと息をついて賢者タイムなるほど、あなたの作品・表現はセクシーだったという、
下ネタを持ち込むことで話を茶化すという目的でも使われるが、大抵はポジティブな賞賛として使われる。
アスペルガーの特性がある人でもここまではニアンスを理解出来ている事が多いが、問題はここから先である。
この表現は、下ネタであり、スラングであり、表現のニュアンスを理解し許容している人のあいだでしか使ってはいけないということを
誰かが明示的に説明しないとわからないままアスペルガーの特性がある人は過ごすのである。
なので、どんな場面でも『・・・ふぅ』だの『おっきした』だの書いたり、
『素晴らしく性的(な表現が出来ている)』と賞賛を伝えたのに何故喜ばないのか?何故怒られるのか?(ハテナ)となってしまうのである。
これを明示的に説明し教える義務を負うのは、どう考えてもオタクコミュニティーではなく親のはずだが、冒頭に書いた通り、何故か日本の親は社会に丸投げ(ネグレクト)なのである。
親も子と同じ特性持っていてツッコミ不在(違和感に気付かない)だったの???みたいな
残念ながら日本語では女性に重点を置いた発達障害(特にASD)の性にまつわる書籍しか見つからなかったが、
Sex Education for Teens With Autism とかで検索するといろんな資料が出てくると思うよ。
彼らは、親からも兄弟姉妹からも先輩や友人からも先生や牧師からも自然にセックス意識を学ぶことはできないとして、
様々な親向けの資料、当事者向けの学習資料があるよ。
https://news.livedoor.com/article/detail/20460899/
アンケート結果で顕著だったのはAVをポジティブに捉えている女性が多いことだ。例えば女優になった動機も、「お金」より「AV、芸能への憧れ」が上回っていた。
もはやAV女優は若年世代にとっては進路の一つで、まさに“就活”感覚で業界入りする女優もいるのである。
https://www.youtube.com/watch?v=-d8NPJ8ShfIより
引退理由は一つではなくて、いろんなことが重なったということもあるんですが、いちばんの理由としては、前回に私が休止を取らせていただいた際に、あまり理由を言えないまま休止をして、なぜ休止をしていたのかを復帰配信でちゃんとお話させていただいたんですが、たぶんそちらを観てない方もいらっしゃると思うので、あらためて簡単に話すと。
果たし状なるものをいただきまして、魔界警察にお頼みしまして、対処いたしましたと、大丈夫ということでありましたが、確かにその件に関しては大丈夫、もう収まったんですが、これ一つじゃなくて、何件かありまして、けっこう直接的にいろいろありましたので、それに関してもひとつひとつちゃんと対処すればよい話なんですが、そのたびに休止して、何もちゃんと話せなくて、またふんわりとした感じに、中途半端になってしまうことが、私のなかでどうしても嫌だったことが、いちばんの理由かな。ひとつひとつは対処していけばいいんだけど、魔界警察に行くのにも、すぐに動いてくれたんですが、それが何回もあると、皆さんに心配をかけるのも本当に心苦しくて。それが理由になります。
もっと緩く活動していくという選択肢もあったりとか、やめるっていうこと以外にも、たぶん他の選択肢もあったんですが。私がちょっと皆さんに心配をかけてしまうことに耐えられませんでした。それと、やりたかったこと、予定していたことが出来なかったということもあって、申し訳ない気持ちが重なりに重なってしまいました。期待させておいて出来なかったこともすごくたくさんあって。ちゃんと詳しく説明することも難しいし、やれなかったこと、予定したことも、それをやれない理由について、詳しくリスナーさんに説明することも難しくて、でもちゃんと言葉にしたいし、言いたいし、でも言えないみたいな、それがちょっと申し訳なかった感じかな。それが私の本当に本当の本当に、それが私の気持ちです。
本当は今日、もう少し明るい、いや私的にはぜんぜん暗い感じじゃないんだけど、もう少し明るく話したかったは話したかったんだけど、でもちゃんと話したほうがいいなと思って。私が決めたことだし、配信のありかたって一つじゃないし、いろいろあったかもしれないけど、私のワガママで(引退することを選んだ)。もう少しスタイルを変えてやることも出来たのかもしれないけど。
私もね、私の配信が好きで、私はもともとは自分の配信をしてなかったし、自分のことぜんぜん好きになれなかったけど、配信を初めてからすごく自分のことが大好きになったし、自分の配信も見返すし、だから私も実は私のファンの一人でもある。私は私をすごく好きになれた。だからこそ、どうしても中途半端にやりたくなかった。だから考えて、6月いっぱいで(引退する)っていうことで。しっかりと、私がいまできることをやって、みんなとお別れして、新しい道を行けたらなって。だから実際は前向きな話なのです。ポジティブ。いろいろあったはあったけれど、私も私のことを大切にしております。
(中略)
引退理由をそのまま言っちゃったから、「つらかったね」みたいな気持ちになってしまうかもしれないけど、そんなことはなくて、そういう人も広い世界にはもちろんいるし、でもそういう人たちばっかりじゃないのもちゃんと知ってるし、(活動を)やめるのは私自身が考えたことだから、あんまり「私がリスナーのこと嫌いになった」とかそういうふうに思ってほしくないな、と思う。伝わってると思う。私が大好きな気持ち。
anond:20210701020356 が鈴原るるの意志を尊重するファンとは思えないね。
がもう嘘だし( https://anond.hatelabo.jp/20210701115507# がツッコミを入れてるな)。
凄くわかるし私も花より男子苦手。
実際の上級国民もそうなんだろうと思うしリアルなのかもしれないけど、お話の中でそれが悪とされずにいるのが無理。(悪役がやってるならわかる)
モブに車に括り付けられたつくしが、ザーッって引き摺られてるのをスルーして帰るところも本当無理。サイコパスってレベルじゃねーぞ。
典型的なイケメン無罪って感じで、最後までつくしに共感できずに読んでた。
爆豪君はよく知らないけど「〇〇(ポジティブな感情)だからいじめちゃいました」も無理。
畏れとか好きとか恐れとかが原因ならいじめられても仕方ないよねみたいなの本当無理。
横だけど、「親から褒められなかったから他人を褒めるなんてできないよ」に対して「親から卒業しろ」って返信だから、元の主題とは直接関係ないと思う。
彼は「決別」を否定と見ているんだな。
ケジメをつける。決着をつける。卒業する… これらは似た意味を持っている。
脳内で今と昔を切り離して距離を置くことで、それを忘れる事が出来る。
個人的には、これにはポジティブな側面もあるように思う。トラウマを払拭したり、こだわりを脱したりね。
だけど究極的に人間は、他の人間からは独立できない。どこかで繋がっているから社会なんだ。
現代では「自立」は「より多くの依存先を持つこと」として再定義されてきている。
切り離せない関係性を個人の頭の中で無理に脇に押しやるのは、確かに不健全だし、反動がありそうだ。
例えば、できたばかりの友人との語らいで、突然親の話になったらどうする? 親孝行とか父の日・母の日に親子で仲良く旅行に行く話とかが出てきたら? 親から「自立」した人は無理に話を逸らそうとしたり、あるいは自分を責めたりするだろう。