はてなキーワード: イラストレーターとは
『うたのプリンスさまっ』や『金色のコルダ』に出てくるようなキャラクターがNHKに登場してノーベル賞解説の聞き手をする。
想像してみるとこれはめちゃくちゃ気持ち悪い(ファンの人には申し訳ないが・・・)。
太田啓子、千田有紀の言説も、辿っていけばこうした「気持ち悪さ」が出発点なのだと思う。
女性の間で2次元美少女に対する忌避感は薄れつつあるが、まだまだこういう感覚を持つ人は多いだろう。
(ちなみにキズナアイのイラストは女性イラストレーターによるものらしい)
ここで「マジでキモいからやめてくれ」と素直に言えば良かったものを、中途半端に性的表現の自由や理系女子の問題と絡めた稚拙な理屈を展開してしまったのが悪手だった。
2次元美少女で溢れ返る世の中で、今さらキズナアイレベルの性的表現をやめろというのは厳しい。
素直に気持ちを言えば、共感を得られることもあったのではないか。
同様にLGBTの問題においても「キモいから絶対に認めない」と言えばいいものを、無理やり理屈をつけて奇妙な論理を展開し、ボコボコにされる例が多い。
なんの記事だったかは忘れたが「その表現技法が一番最初、世に発表された時は衝撃的だった。以降、色んな作家が影響を受け真似をした。今の子にその話をしても、その表現を全員が使ってるから、どれだけ凄いかピンとこない」みたいな話があった。江...なんとかというイラストレーターさんの話だったとはず。忘れた。
バナナフィッシュみてると、今まで自分が見てきた漫画やアニメによく出てきたシーンがたくさんある。当然新しさを感じない。むしろ古さを感じる。海外ドラマみたいだよ、と前評判を聞いていた。確かに海外ドラマっぽさはあるが、15年前の海外ドラマの感じだ。きっとこの作品が発表された当時は衝撃的で、吉田秋生先生に影響受けた作家さんが大勢いたんだろう。そしてわたしが彼らが描いた作品をたくさん読んできたから、なんか見たことある展開だ、と感じたんだろう。
そんな事言ってないよ?
ただ「イラストレーターが女性だからって、その女性が100%自分の趣味全開で描いたものではなく
あくまで仕事として客の要望に合わせて描いたものだ」と言ってるだけだ
そりゃその仕事が死ぬほど嫌だったら転職するだろうから、死ぬほど嫌ではないんだろうが
かと言って金が貰えなくてもやりたいほど好きな事でもないだろう
クライアントの要望に沿いつつ自分の好きな絵を描いて食ってるよ
大体のイラストレーターはそうだよ
むしろお前の想定じゃイラストレーターってどう仕事請け負うと思ってるんだ?
アニメーターじゃないんやぞ
へー、自分が好きな絵を気まぐれに描いてるだけで食っていけるような大イラストレーター様なの?
「こういう絵が人気あるからこういう絵を描こう」とか「発注元がこういう絵を求めてるからそれに合わせて描こう」とか
考えた事もないしそんな仕事した事も一切ない?そりゃすげーわー。
中には大人男オタク向けエロ絵も描いてるようなイラストレーターが描いてるものもあるんだけど
そういう人はちゃんと描き分けてるんだよね
オタク向けの仕事なら胸や尻強調したり逆に異常なロリ体型にしたりパンチラさせたりしていても
子供向けの仕事では胸も尻も強調せずオタクっぽいロリでもなく自然な体型でパンツも見せず露出もせず上品に仕上げて「無難なかわいい絵」にしてる
(そりゃそうでなければ子供も買い与える親もドン引きだから当然だけど)
そういう人はそうやって描き分けできるからこそ、どちらの仕事も無難にこなせるんだろうし
出版社側も子供向けの本に求められるのはどんな絵なのかを配慮出来るからそういう仕事をするよう発注出来るんだろう
【コミッション】SKIMAは初心者にも扱えて親しみやすいという話
https://anond.hatelabo.jp/20181001195910
当記事を読む際、こちらも合わせて読んでいただきたい。SKIMAの良いところを書き記した記事である。
SKIMAという、イラストなどの技術に対して料金を払うクラウドソーシングサイトをご存知だろうか。
coconaraと同じくソーシャルサービスやCDパッケージのイラストを個人に対し発注できる場所で、coconaraのイラスト特化型と言っても良いかもしれない。
もちろんそういうサイトには購入者や出品者の当たり外れ、相性の良し悪しが有る。だが、今回の件は相性の問題ではなく、完全なる黒の話。
SKIMAにごく最近追加された、adoptというコンテンツがある。
adoptとは「出品者が自分のキャラクターを売って、購入者がキャラクターの使用権と著作権を買う」という文化で、キャラクターの養子縁組とも呼ばれている。
最近流行りのバーチャルユーチューバーで例えるなら、イラストレーターが出品者で、購入者が企業または演者という形に近い。
勿論、adoptは版権のキャラクターや他人のキャラクターを無断で売ってはいけない。
小説、イラストなどに少しでも興味を持っている人間ならば、法的に、また倫理的にしてはいけないことであることは、理解できることだ。
だが、これを理解できない出品者がいた。
葉星ヒトミである。
業界ではそこそこ悪名が知れた絵師だそうだが、筆者は今回の件で初めて知ったため、他の悪行については自身で調べて欲しい。
先に葉星ヒトミが何をしたのかについて話しておく。
葉星ヒトミは、個人または企業の依頼で製作したキャラクターを第三者に売ったのである。
まず、個人の依頼についてだが、プレイバイウェブ(PBW)というものについて説明しよう。
PBWは、FF11、TWなどのオンラインロールプレイングゲームをアナログにしたRPGで、自身で完全なる一から登場人物を作り上げてプレイする、大型参加のTRPGのようなものである。(別名人力RPG)
参加者の多くは、イラストレーターに自身のキャラクターのイラストを描いてもらい、ライターに自身のキャラクターの小説を書いてもらう。
pixivで企画に参加したことがある者にはなかなか親しみがあるかもしれない。
葉星ヒトミは当時haboというペンネームで、PBWの大手トミーウォーカーでイラストレーターとして依頼を請け負っていた。
葉星ヒトミは目を惹く色使いと丁寧な仕上がりで参加当時好評の高かったイラストレーターだったそうだが、大量受注の末に納期の延期という失敗をしてしまい評価は降下。更にアカウントを取り直したためにトミーウォーカーから出禁を受けた。
その時に描いたキャラクターが、SKIMAに売られていたのだ。
キャラクターやデザインというものは、具現化した者だけでなくアイデアを出した者にも著作者人格権が与えられる。
更に、PBWのイラストのページでは、
「使用権(非営利目的での使用)は依頼者が、著作権はイラストレーターが、その他の権利はトミーウォーカーが所有する」
「非営利目的での外部サイトの公開は可能ではあるが当作品のものであるとわかるように明記すること」
といったような文章が書かれている。
つまり、葉星ヒトミがそのキャラクターを売ることは完全なる違法なのだ。
商業キャラクターに関しても、大半は該当キャラクターの出るアプリケーションゲームは終了しているが、著作権は帰属しない限りその企業が持つことになる。その点は不明ではあるが、前述のことを考えると、恐らく帰属していないだろう。
以上のことが発覚し、葉星ヒトミの商品を買った被害者たちは葉星ヒトミへの事情説明や返金を要求していた。
しかし、葉星ヒトミ本人は「著作権はこちらが持っている」と豪語し、被害者達を無視しツイッターに勤しむ。罪を認めたのはトミーウォーカーが動いてからだった。
その後も謝罪と言いながら、「睡眠障害とうつ病を患っていたので許してください」といった類の言い訳をしてした。
主な活動拠点としているツイッターには事の次第を表明することはなく、返金が済み次第消す予定のSKIMAに謝罪文と言う名の言い訳を公開し、Tumblrにはそれと全く同じ文章を公開。事件の全貌には触れることはなく、事の次第を巧妙に隠している。
「なんだか怒らせてしまってすみません」「療養の機会が来たとポジティブに考えます。購入者様を恨みはしません」など、相手のことを全く気遣いしない文章で被害者の神経を逆撫でしつつ、剰え自分が罪を犯したのにも関わらず「イラスト界隈から干される」などと、犯罪の自覚はまるでなく、自分が被害者のように振る舞うことに徹する。
ツイッターで検索をしても、葉星ヒトミに添削を頼んだ方が「●枚中2枚しか添削されてないのにそれ以降連絡がこない」と嘆いていたり、「そもそも返金のメール自体こない」と呟いている方が何人か見受けられるのにだ。
その上、「リプライは不具合で通知が来ない場合があるため連絡はDMで」と、表面上での対応を徹底的に避けている。大量にリプライが来ているならまだしも、そのようにピンポイントで不具合が起きるとは考えにくい。そもそも、それが事実ならば運営に問い合わせるべきである。
しかも、謝罪(という名の言い訳)をしているのはSKIMAの利用者にだけである。
キャラクターを勝手に売られたPBWプレイヤー達について言及することは一切なく今なお隠蔽を図っている。
葉星ヒトミはトミーウォーカーから弾かれているため連絡手段がないと言われるかもしれないが、葉星ヒトミはツイッターをやっている。ツイッターという広大な湖で、PBWプレイヤーを見つけることは容易かと思われる。
見つけて謝罪をしなくても、それこそTumblrやツイッターで触れておくべきではないだろうか。
昨今、精神の病に対する理解が少しずつ改善されていっている中で、たとえ疾患が本当であったとしても、それを盾に自身を守ろうとすることは、睡眠障害者やうつ病患者に風評被害極まりないものである。
今回の事件は、イラストの価値が正常に戻りつつある時期に、コミッションという文化自体を廃れさせかねないものだ。
自身も拙作ながらコミッションをやっている身として、葉星ヒトミのような怪物が二度と現れないことを祈るばかりである。
SNSを見るに葉星ヒトミの神経は本人が思っているよりも随分と図太いため、すぐにも違うペンネームで活動しそうだが、「葉星ヒトミに依頼をしたら自身のキャラクターを奪われるかもしれない」ということは、重々心の中にとどめておきたい。
ある一人の出品者が犯した罪の話は一区切りできたので、あとは購入者、プレイヤー、その他被害者などに任せたい。
実はこの話には続きがある。
(追記:これより先はSKIMAの話になるが、SKIMAについては上記の記事と合わせて読んでいただきたく思う)
SKIMAがずさんだったという話だ。
今回のadoptというコンテンツにおいて、他人の既存キャラクターやマイナーな版権キャラクターを投稿されることは容易に想像できた。
なのに、SKIMAは検閲を行うことなく葉星ヒトミによる大量の転売を見逃していた。
この事件が発覚したのは、葉星ヒトミのadoptへの連続投稿を不審に思った数人が画像の出典先について調べたからだった。
購入者がSKIMAに対応を促すが、SKIMAは「葉星ヒトミが著作権は自分にあると発言している」と一蹴。
直接トミーウォーカーに通報し、トミーウォーカーからのSKIMAへの勧告で漸く返金まで漕ぎ着けたのだ。
その後も被害者達への積極的な協力はなく、被害に気付いている購入者がいくらいるのかはわからない。
事件について責任は一切感じていないようで、公式でしっかりとした内容を記したアナウンスなどもしていない。
今回の特異な例を除いても、クラウドソーシングサイトにおけるトラブルは、大なり小なり免れないことである。
それを運営が円満に解決するために仲介料というものは存在するのだが、仲介料の意味が完全に形骸化している事実が露見された。
「安い仲介料で何を言っているんだ」と思われるかもしれないが、SKIMAの仲介料は20%である。10000円の依頼があったとしても、出品者には8000円しか入らず、2000円がSKIMAに取られるのである。
2000円もあれば鳥のモモ肉450gパックは4個は買えるはずだし、牛の切り落とし300gは5個は買えるはずだし、豚のロース100gは10枚は買えるはず。
ペンタブの替え芯をワンセット買えるし、SAIが買えるし、2000円を20回貯めれば安い液タブが買える。
上記に具体例を記した通り、出品者には決して安くはないのだ。
調べてみると、「今後SKIMAで活動するのは控えようか」「adoptの件もあったし購入は控えようか」と、SKIMAを離れる気の方や、何も言わずにもう離れている方がいるのがわかる。筆者もその一人だ。
イラスト特化型ということもあってとっつき易かったが、人口は少ないが発展するかもしれない場所はいくつかあるし、今度の10月にも創作者のための新しいクラウドソーシングサービスは始まるようだ。
自称ではなく、正真正銘のイラスト特化型の元祖として、SKIMAの運営が改善されることを願う。
(SKIMA公式がアナウンスを正式に入れたため、SKIMA公式のDMは一部外させていただいた)
http://tw4.jp/gallery/master/?master_id=02499
https://m.imgur.com/a/KvdLUOY(※被害者はブロックしていないため、葉星ヒトミが被害者をブロックしている可能性がある)
パンパンに泣き腫らした目で友人がそう感想をいうので、同じくパンパンに泣き腫らした目で私は
「すごいすごいすごいすごい良かった...」と言った。
大学の授業を抜け出して二人で行った映画は私たち含め四組のお客さんしかいなかったけれど、アニメ映画「若おかみは小学生!」は私が今年一番、みんなにも見て欲しいと思った映画だった。
見たものとしてはやはり、内容に関して無勉の状態で行って欲しい感情がある。
これから見る人に先入観を抱かせたり、見る前の穏やかな気持ちに干渉したくない。
まず、映画「若おかみ」の監督はアニメ映画「茄子アンダルシアの夏」の監督を勤めた高坂希太郎さんであり
脚本はアニメ作品だと「けいおん!」、「ガルパン」アニメ映画だと「デジモン僕らのウォーゲーム」「猫の恩返し」「リズと青い鳥」「ルーのうた」などの脚本を勤めた吉田玲子さんだ。
(これを書くに至って調べたら本当にいろんな作品を手がけていてすごい...)
そして監督含め、美術監督、作画監督、美術設定はスタジオジブリ出身のすごい方達が揃っている。
ぼんやりとだけでも、す、すごい。。。
「若おかみは小学生!」は良い映画なんだろうな、等身大の子供や大人が描かれているんだろうな、という事がわかってもらえたと思います。
私も見る前まではtwitterなどを見ても全く評判が回ってこなかった。(私のTLのゾーニングがすごいだけかもしれない)
私は茄子アンダルシアの夏がすごく好きだったので行ってみただけで、原作の名前は知っていても(若おかみは小学生!の原作は世代の方なら言わずと知れる児童文学作品)
読んだことはなかった。小学生が若おかみをする話で、予告がすごくいい!しか印象はなかった。
しかし見終わってから調べると色んな人が良いとおっしゃっている。私はあまりにも出遅れていた。
twitterで若おかみ良かった!と言っていた著名人は多々いるが、わかりやすい例として映画監督の新海誠さん
イラストレーターのヒョーゴノスケさん(映画ドラえもん〜カチコチ〜のポスターの人)がいる。
そして何と言っても、原作者の令丈ヒロ子さんが「シナリオ段階から映画に関わってきたのに完成を見て泣いてしまった」(一部ツイートを省略しています)とおっしゃっていた。
これって素晴らしいことじゃないですか?!!?!?!!?みんな幸せな気持ちで応援できる作品じゃん。
(しかしその評判とは裏腹に、興行収入などは駆け出しがあまり良くないらしい。そんなの、悲しい、、、、)
□個人的に見てもらいたい人。
アニメ映画「若おかみは小学生!」は仕草や動き、演出でキャラクターの感情や個性、想いを表現しているアニメだ。
それに加えて、そのキャラクターたちがいる舞台も繊細にキャラクターに寄り添うように描かれている。
もう一度言う。「若おかみは小学生!」は 小説において会話文ではない、情景描写に作品としての深みや魅力を感じるように、
語らずとも動きや演出、キャラクター同士、キャラクターと土地との距離感を描くことで作品に深みを生み出している。
そういう丁寧な作品だ。クリエイター関係の方が多く評価していらっしゃったのにも頷ける。
(聞くところによると制作に三年かかっているらしい。ドヒャー)
だからそういう丁寧さに価値を感じたり、感情を汲み取ったりしやすい人に見て欲しい。
(そういう人の方が面白いと感じやすいかもしれない、というだけで本当はみんなに見て欲しい)(強欲)
□最後に
結局のところ、私は「若おかみは小学生!」というアニメ映画が素晴らしいということを知っているのに、何もしないまま、多くの人が認知できないまま時が過ぎさり、この丁寧さがなおざりにされたお金しか生まれないかもしれない、というのに我慢できなかった、という話だ。
そして、今、「若おかみは小学生!」という作品は実際に上映数が少なくなっている。
朝、一日一回の上映で終わってしまうのだ。昨日一昨日見たばかりのどこでもいるような大学生だが、
子供が地団駄をするようにそんなのおかしい!と純粋に思ってしまった。
私はもう一度おっこ(主人公)に会いたいし、また劇場に足を運ぶつもりだが、正直みんなが見やすい、予定が合いやすいのはこの土日しかない。
どうか予定が合う方はこの作品、「若おかみは小学生!」を一度劇場で見て欲しい。本当に、見て欲しい。
(追記、一回だけではないところもあるみたいだ。でも昼までのところがほとんどらしい。昼までだとどのみち社会人には厳しいのだが今後どうなるかもわからないので(ポジティブ)ぜひご自身で調べて見て欲しい。)
私はこういう推奨文ないし匿名ダイアリーに文章を書くのは初めてのことだが、なんだかすがるような気持ちになってしまった。
この作品の純粋さがみなさんの胸にストンと落ちることを心より願っています。(公式予告映像https://youtu.be/oqWEY1pVACM)
(誤字脱字、文章読みにくいなどあったらごめんね!)
昨今『クッパ姫』がブームになり、猫も杓子もクッパ姫を描く・作って楽しんでいます。
しかしその片隅でとある問題が浮き彫りになった事をご存知でしょうか?
あるイラストレーターが『クッパ姫』を有料のイラストとして公開し、一部がそれを問題視したことです。
この件は大きな騒ぎになる前にイラストレーターが有料イラストの宣伝を取りやめたためそこまで大きな騒ぎとはなっていないが、今なお有料のイラストサービス(pixivFANBOXやEnty、Fantia)上に有料のイラストとしてUPされているのが現状です。
(以下、こういったサイトで公開されているイラストを『有料イラスト』と呼ばせていただきます。)
ここで私が問いかけたいのは「版権キャラクターの二次創作を有料イラストとして公開するのは、果たして『同人活動』と呼べるのだろうか?」という事です。
元来、同人活動は3つの「建前」によって版権元からお目こぼしをもらっているのが現状です。
1つ目は『作成した作品はあくまでファンアートの一環であり、版権作品への応援、布教が目的である』という建前で作成を見逃していただいている事。
2つ目は『読者にお金を出してもらっているのは、同人誌として頒布する際の印刷代等を補填するためであり、設けのために販売している訳ではない』という建前で頒布を見逃していただいている事。
3つ目は『同人誌は有限であり、印刷したものが無くなればそれ以上の金銭のやり取りは発生しない』という建前で金銭のやり取りを見逃していただいている事。
もちろん、内心ではそう思っていない方もいるでしょうが、版権元相手に「金儲けのために無断でキャラクター借りてるよ」と堂々と言い切れる同人作家はまず存在しないと思います。
しかし、有料イラストで版権キャラクターの作品を公開すると、上記の前提は全て壊れてしまいます。
イラストを見るのは閉じられたサービスの中で料金を支払ったごく一部となるため、『版権作品への応援、布教が目的』という同人活動の大前提は崩れてしまいます。
次に有料イラストの閲覧権限を購入してもらう行為も、そこに作者の負担となる印刷代が存在しないため、『頒布のために読者にお金を出してもらう』という前提とは全く異なる理由でお金を受け取っている状態です。
最後にオンライン上で公開されているイラストは常に公開され続け、過去のイラストの閲覧権を得る際も追加料金を支払う必要があるため『物品が無くなればそれ以上の金銭のやり取りは発生しない』という事もありません。
つまりまとめると『ごく限られた環境内で』『印刷費等の経費も無く』『恒久的に金銭を受け取っている』というのが有料イラストの現状となっております。
これがオリジナルの作品であれば「私の作品を応援してください!」という目的があるため全く問題はありません。
しかし、ファン活動の一環であるとして見逃されている版権イラストは果たして「私の作品」と呼べるのでしょうか?
これはあくまで私の感覚ですが、版権イラストを限られた場所の中で有料で公開し続ける行為は『海賊版』とあまり変わらないのではないかと私は考えてしまいます。
版権キャラクターを無断で使用したクレーンゲームのグッズや、版権元に許可を取らず発売されるフィギュアやプラモデルとやってる事は同じではないでしょうか?
「ファン活動」として見逃されているイラストに対して「対価」を得るのは果たして正常な状態と呼べるのでしょうか?
もちろん、そういった場で金銭を出してくれる方はイラストレーターのファンであり、納得ずくで金銭を出しているのは間違いないでしょう。
イラストレーターが収入を得るのは難しく、こういったサービスが非常にありがたいことも重々承知しております。
お互い納得ずくで金銭のやり取りをしている中、こういった意見が出る事自体が不快に思われることも重々承知しております。
上記の元「版権物のイラストは全て無償で公開しろ!」と主張するつもりも毛頭ありません。
しかし、作品を作る『クリエイター』として『他人の作品を借りて収入を得ている』という行為を一度考え直してみるのはいかがでしょうか?
版権キャラクターも元をただせば、企業に認められたクリエイターたちが作成した大切な『作品』です。
もし、貴方の腕が認められ、自分の作品で勝負できるようになった時、赤の他人から有料コンテンツとして貴方の作品を使ったイラストが『販売』された場合、どう思うでしょうか?
貴方の作品を使った海賊版が現れた時、貴方は純粋に怒ることができるでしょうか?
もう一度『貴方の作品』と『企業が作った作品』と向き合ういい機会ではないでしょうか?
最後になりますが、貴方の作品が世に認められ、大きく羽ばたくことを私は願っております。
PS
乱文失礼いたしました。
そうなんです。つまり「蓮コラ(田中さんが生理的に嫌悪感を抱く最大のもの)が、私にとっては巨乳画像なのよ。その視点をもって議論できていないと、噛み合わないし歩み寄れないでしょ?」と、彼女は言いたかったのです。— はぁとふる売国奴 (@keiichisennsei) 2018年9月22日
「嫌悪感を抱く」という感情で表現を削除すべき!! 歩み寄れない!!
というか、これ最初から議論する気のない言葉だし、田中圭一がネトウヨ的になったのが端的にわかる。議論するというのなら「私がこの絵を排除したいのはこういう意見があるからで〜」と続くべきであり、その意見が現状のところ「私は気持ち悪いと思う」「私は(具体的な例を挙げられないが)この絵は女性の人権を侵害している」ぐらいしか提示されていないので、それだけでは撤去できるわけがない。実際企業に利益をもたらすだけは売れているわけだし。
「噛み合わないし歩み寄れないでしょ?」と言っているその口で、そっちが歩み寄ろうともしてないよね? って言うのを我慢してるのが(まあ我慢もしてないんだけど)イラストレーターやその表現を享受してる側でしょう。絵に対する批判者側は甘えてんじゃないよと思う。そして田中圭一は子供のわがままじみた論理で黙ってんじゃないよとも。
一言でまとめると「自分が支持し、主張する立場の恣意性(非論理性)に無自覚な人間が多すぎる」。
青識亜論まわりでいま丁度燃えているけど、個人的な印象論の範疇で言えば、フェミニストやLGBT側の立場の人間は、「自分が他者を抑圧している可能性」というものに無自覚すぎるんですよ。
「自分が、自分自身にとって大事だと思う権利を守るために、それを侵害する他者の権利を抑圧する」、これ自体は別に珍しくもなんともない。だけど、それを無自覚にやるのは流石に問題がある。丁度、「ラノベの表紙が気持ち悪い」「LGBTが気持ち悪い」「殺人」を等価に置いた社会学者がいたよねという話題でもそれは結構散見される。
今更こんなことを言わなきゃいけないくらいに人類の知性は発展してこなかったんだという事実を目の当たりにするのは悲しいけれど、「論理的に等価である」というのは別に珍しくもなんともないんですよ。
「LGBTが気持ち悪いと思う権利」も、「ラノベの表紙が気持ち悪いと思う権利」も、誰にだってあるんです。
そこから一歩進んで、「LGBTが気持ち悪いと発言する権利」も、「ラノベの表紙が気持ち悪いと発言する権利」も、誰にだってある。ただし、そこには発言したなりの責任が伴う。「LGBTが気持ち悪い」と発言することによって、LGBTである人々を抑圧することはあるでしょう。それと同じことで、「ラノベの表紙が気持ち悪い」と発言することによって、ラノベの表紙を描くことをライフワークにしているイラストレーターさん・ラノベの表紙によって生きる糧を得ている人々(ざっくり言うと女性から切断された「キモくて金のないおっさん」を例に挙げておきますが、もっと単純にそれを単純に「いいイラストだなー」と思いながら受容する人々[男女問わない])を、抑圧することもあるでしょう。
では、その二つの何が違うかって、「何かを気持ち悪いと発言することで、どれだけの存在を保護しようとしているのか。そうすることで、どれだけの存在を切り捨てることになるのか」という違いでしょう。
LGBTへのヘイト発言を禁止することで救われるLGBT当事者の気持ちの価値は、LGBTへのヘイト発言を禁止された人々の気持ちの価値を上回る。LGBTに対するヘイト発言は、LGBT当事者を下手すると死にすら追いつめてしまう可能性があるし、そういった想像は容易だからだ。
では、それと論理的に等価であるところの、「ラノベを気持ち悪いと発言する」ことの場合はどうなのか。ラノベを気持ち悪いと言われることで抑圧される対象は、発言を受けたことでLGBT当事者と同程度に守るべきなのか。これは個人的な見解だが、同程度の重みを持たせることは、少なくとも想像の範疇では難しいのではないかと考えている(これは、あくまで個人の想像の範囲である)。
だけど、そこから一歩進んで、「気持ち悪いから規制すべき」という話になると、話は別だ。
「LGBTは気持ち悪いからその権利を規制すべき」となったら、まあ、少なくない人間が直感的におかしいと思うだろう。「気持ち悪い」という内心の権利を守るために、他者の人権を制限するというのは、保護法益のバランスが全く取れていない。
では、「ラノベの表紙が気持ち悪いから、ラノベの表紙を制限すべき」という話になると、直感的におかしいと思う人が減る、という印象が、本増田にはある。減る理由はわかる。当事者の属性の違いだ。LGBTである人々の存在は、少なからず想像がつく。フェミニズムが守ろうとしている「女性」という存在も同様である。それに対して、「ラノベを表紙を制限することによって抑圧される人々」の存在がやや想像しづらいというのは、まあ、わからなくもない。
ラノベの表紙は「娯楽」である。娯楽に対して、LGBTというのは在り方そのものである。在り方そのものと、娯楽とであれば、そこの比重が異なるのはわかる。だが、世の中には、少数であっても、「ラノベの表紙を書くのが生業である人々」「ラノベによって救われている人々」が存在する筈なのだ。そこにあるのは、人類の数%(1億人近く)の権利を守るために、数千人の権利を縛るべきかどうか、という利益衡量の問題である。人類の半分である女性の権利を守るために、何千万人と存在するミソジニーな人々を抑圧すべきか。あるいは、女性の権利を守るために、ラノベに関係する人々の権利を抑圧すべきか。
ここで本増田が言いたいのは、「お前の発言で抑圧される人々がいるから、ラノベの表紙を気持ち悪いと言うな」という話ではない。
現実世界において権利と権利がぶつかるのは当然であって、そのような現実において、ある特定の立場の人々を「守らない」という選択をするのは、仕方がないことだとは思う。だけど、その「守らない」という選択をしたことから目を背けるのは、誰がどう取り繕ったとしても、欺瞞でしかありえない。
LGBTを気持ち悪いと思ってしまう人間にとって、それは仕方がないことだ。だが、発言した瞬間に、LGBTの人々を敵に回す覚悟が必要だ。
それと同時に、ラノベの表紙を気持ち悪いと思う人間が、それを口に出し、主張する場合、「他人を抑圧する」という現実から目を背けてはならない。
況んや、「規制すべき」という話になると問題はかなりでかくなる。ここに来ると、「規制すべき」という形で、表現の自由の問題が関わってくるからだ。
「表現の自由」は、誰かが誰かから抑圧されないための権利である(それは主に公権力であることが多かったが、それ以外の私的権力からの抑圧を防ぐためでもあろう)。それは、どんな人間にとっても、本来的に備わっているものである、と法学は人権の定義をそのように構築してきた。それを制限するためには、それなりの整合性、具体的には「保護法益がどの程度大きなものなのか」を精緻に検算しなければならないと、様々な判例の構築によってその線引きを見積もってきた。世の中の人々が考えている以上に、表現の自由はものすごく大きなものなのだ。
それに対して、気軽に「ラノベの表紙が気持ち悪いからそれを制限しよう」と言い出す人たちは、その権利の重さをどの程度理解しているのだろう。「ラノベの表紙が女性を扇情的に描くことで、女性蔑視・女性の「モノ化」・男尊女卑的な観念等を強化する」というのは理解できる。そして、それを守ることがそもそも男尊女卑的な、フェミニズムが批判し続けてきた構造権力を強化するから全く擁護できない、という話もわかる。
だけど、それを主張することで、逆に自分たちが誰かを抑圧する可能性について無自覚か、目を背けているひとが多すぎやしないだろうか。
最悪、抑圧が発生するのはいいよ。民主主義ってものは絶対に少数派の意見を切り捨てる(厳密に言えば、多数派は少数派の意見を最大限聞かなくちゃいけないのだが、本題から逸れるので一旦措く)ので、仕方がない、避けようがない部分もあろう。でも、「そもそも自分たちは誰も抑圧していない」と言いはじめるのは、何か違うんじゃないか?
俺が、青識亜論は少しむかつくけどそれ以上に彼を擁護したくなるのは、それが原因だ。青識亜論は特権性について何度も言及していた。市民社会において、どのプレイヤーも、プレイヤーとしては等価な筈なんですよ。市民が市民を抑圧することはできない。市民は抑圧に対して抑圧に反発する権利がある。その権利が、あたかも存在しないようにふるまう少数派が多すぎる。
せめて、「私は少数派の権利を守るために多数派の権利を抑圧する立場に立ちます」くらいの大上段はふるってほしいものだ。本増田はその権利を守る。
集英社 http://www.s-manga.net/newcomics/index.html?month=last
小学館 https://comics.shogakukan.co.jp/new-release
講談社 http://kc.kodansha.co.jp/new_comics
ただ、ラノベと漫画で違うのは、絵を描いてるのが作者か否か、ってところだと思う。
漫画だと作者の好きなように描けばいいので構図が特殊だったり絵柄も幅が広かったり。
ラノベだとイラストレーターは好き勝手できないのでキャラクターのオーソドックスな立ち絵が基本になってそう。
ラノベって何故かキャラクターのバストアップが少ない気がしない?
たいてい全身か膝くらいまで描かれてる気がする。