はてなキーワード: 集合体とは
もうやめろ
十万百万貢いだ自慢
いくらグッズを一人で買おうが変わらないよお前の弱小ジャンルは
俳優は変わらないよ
いい加減目を覚まして
https://twitter.com/shikahan/status/1251182599420080128?s=21
この問題なんだけど、肌で感じてるのはわりとアングラジャンルのオタクの声のデカさが悲劇の元だったんじゃないかなと思ってます
10年くらいTwitter見てて思ったんですけど、重た目のオタクって「貢ぐことを正義」として振りかざしてきた
実際その根気強い貢ぎによって地下から表舞台に躍り出たアイドルや俳優も数多く、その前例を見てさらにオタクは躍起になった
で、その声のでかいオタクの発信源は誰かなー?とたどると、普通のオタクじゃないんですよ
そういう人達がホスト狂いになるか、オタクとして地下に貢ぐかで二極化していた
単なるホス狂いだとそこまで注目浴びなかったが、 「夜のお姉さんがオタクで推しに貢いでる」って姿はある種のステータスで持て曜されました
特に2014、5年ごろは特にその傾向が強かったし、どのジャンルに行っても夜の仕事をして太いオタクしてる人が必ずいた
そういう人たちはデカデカと声を上げて「貢がないものはオタクではない」提唱を唱えました
この考えは揺るぎない経済力のある人にしか許されないが、その発言のみが一人歩きしていった
主に細いジャンル
一部に熱狂的な人気を誇っているがあくまで地下アイドル程度でしかない人気です
しかしいくら個人がカネを投入しようが、多くの人間が気紛れに落とすカネの集合体には勝てないのです
1人が出す十万円より、 1人百円出して1000人いる方が経済力の強さは圧倒的に上です
その末路がブログの人でしょうかね
気紛れに買うコンビニスイーツのように「時折心を満たすもの」 でなきやいけないんですよオタク活動は
全ての生活を「オタク活動があるから耐えられる」で乗り切ってるなら
病気ですよ
しかし病気といえどもはや現代ではそうでもしなきゃ生きていけない人ばかりになった
ある程度吸うと効き目が薄くなっていく
絵が綺麗だなと思って何となく見ると、比喩もなく何にもかかってない平凡な心情の垂れ流しをみんなが褒めていた。
この感じどこかで、と思ったら十年以上前にもなる携帯小説ブームのノリに近いのかもしれないという感覚に到達した。
読者も読者で、かつてドストの批評に「感動しました!」とか頓珍漢な感想を書いていた層に比肩する連中だ。
多分彼らは本音で批評なんてする気もなく、適当に褒めとけばいい程度で感想を書いているんだろう。
これはたしかにコミックスが売れない。実際金を払ってまでは皆ほしいと思わないらしい。
建前の裏側がコミックの先細りに直結している。漫画という果実は熟して今まさに腐り落ちようとしている。
別段玄人受けすればよいのではなく、最先端なら最先端なりに尖ったものや、極まったものが必要だと思う。
それがまるでない。
好きでもない友人を戦略的に増やしつつ、有名無実になることを専一に考えるのだから完成度は二の次になるのも無理はない。
本題。
思えばツイッターを代表する文化なんてあっただろうか。ウィヒッヒー?
思い出せるものがほぼなにもない。
ツイッターには流動的な群体があるのみで、2chニコニコの固形物の保守的な世界とはかけ離れている。
あんなに血が濃い集団はいまやニコニコとはてなくらいになってしまった。無論それがいいとも思わない。
けれども群体として「名無し」であるツイッターはかつて殷盛を誇った名無しの集団よりも名無しになってしまった。
それこそ集団的流行病のようだ。ニコニコでバズれば歌い手がデビューするのか、という思いが巡る。
はてなでバズれば面白いアプリケーション開発者が出てきたのかと想像を巡らせる。あるいは村の闘争か。
ツイッターにおいては芸人か何かが一時的に有名になったのか程度しか思い浮かばない。
このあいまいさの問題はツイッターという母体が様々な形容を内包しているからだろう。
EU的な集合体がツイッターなのではないか。けしてアメリカ的とは言えない。
多くのアメリカ人はアメリカを誇りにし、ときに嫌悪し批判するが、ツイッター民に自国意識はおそらくない。
明日使えるメディアが登場すればあっさり裏切ってそちらに向かうだろう。
そこにはマスとクラスタがあるだけでつながりといえば共通の話題(ユーロ)だけだ。
時々カタルーニャやイギリスが独立を宣言するが、それをやる人物はせいぜいは5chで叫ぶ程度だ。
最大利益を享受できるツイッターを彼らは捨てることはできない。
一致団結できない群れが国家を形成すれば、それこそEUや中国のようなまとまりのない中身になる。
システムがそうなのだからやがてツイッターはほころぶのではないか。
国家になぞらえるのは無理があるか。
以前の匿名ダイアリーの中で、おれが鈴木えみの脚を広げる場面において、「毛がはみ出したりという殺人級の大事件」という文章がありました。これを書いた時点では嘘偽りなく、陰毛というトラブルメイカーを文字通り毛嫌いしてたのですが、時間の経過というのは不思議なもので、この固定観念は見事に破壊されかけています。
というのも最近、脚を広げた状態で下着からはみ出る毛にこそ興奮を覚えるようになってきました。特に綺麗で妖艶な女性がそんな淫らな醜態を晒しているなんてまさに官能の極みだと思うんです。毛が見苦しいものだという基本的見解は変わってません。だからこそ、完璧な美を搭載した容姿にそれがアクセントになり映えるんです。でも下着を脱いだらもう終わりです。毛の時代は終わりです。単なる黒い集合体、つまり下半身版アフロヘアーに成り下がります。下着があったからこそ毛は生かされてたんです。カレーのない福神漬けみたいなもんです。
だから俺の理想は、平均より薄めに毛が生えてて、下着の端からきちんとはみ出し、その己の仕事を全うした後、下着を脱がされたらパイパンに早変わり!というものです。昔から理想の女性には一生会えないとは言われてますが、ホントに会えないんでしょうね。
それと、誰でもはみ出てたらいいというわけではありません。勘違いした子がそんなんだと、見苦しいうえにさらに汚らしくて見事にその駄目押しになるので要注意です。
https://gocelery.zendesk.com/hc/rus/community/posts/360060224531-31-03-2020-Три-капитана-4-серия-качество-HD-
https://pghflagfootball.zendesk.com/hc/en-us/community/posts/360060315852--Три-капитана-6-серия-1-04-2020-смотреть-бесплатно-в-хорошем-качестве-от-31-марта-
https://pghflagfootball.zendesk.com/hc/rus/community/posts/360060316872--Место-под-солнцем-33-серия-1-04-2020-онлайн-сериал-смотреть-от-31-марта-
https://gocelery.zendesk.com/hc/en-us/community/posts/360060224171--Доктор-Вера-20-серия-31-03-2020-последние-серии-смотреть-от-31-марта-
https://pghflagfootball.zendesk.com/hc/en-us/community/posts/360060227071-1-04-2020-Женский-Стендап-12-серия-тнт-хорошее-качество-смотреть-
https://pghflagfootball.zendesk.com/hc/en-us/community/posts/360060315012--Заступники-9-серия-1-04-2020-хорошее-качество-смотреть-от-31-марта-
https://gocelery.zendesk.com/hc/sdf/community/posts/360060319952--257-причин-чтобы-жить-4-серия-31-03-2020-смотреть-бесплатно-в-хорошем-качестве-
https://gocelery.zendesk.com/hc/ukr/community/posts/360060223951-31-03-2020-Солдатки-3-серия-смотреть-в-хорошем-качестве-от-31-марта
https://pghflagfootball.zendesk.com/hc/rus/community/posts/360060228251--Колл-центр-9-серия-1-04-2020-смотреть-качество-HD-от-31-марта-
▼東京医科歯科大など、ニューロンの細胞分裂を防ぐブレーキの仕組みを解明 (2017年9月19日)
○ニューロンの細胞分裂を防ぐブレーキの仕組みが明らかになりました。
○そのブレーキを解除する低分子化合物を同定し、脳梗塞モデルニューロンの細胞分裂に成功しました
○ この研究はJST戦略的創造研究推進事業さきがけ「分子技術と新機能創出」ならびに文部科学省科学研究費補助金、キヤノン財団研究助成、テルモ生命科学芸術財団助成の支援のもとでおこなわれたもの
JST戦略的創造研究推進事業
さきがけ「分子技術と新機能創出」https://www.jst.go.jp/presto/moltech/
「分子技術」とは目的を持って分子を設計・合成し、分子レベルで物質の物理的・化学的・生物学的機能を創出することによって、従前の科学技術を質的に一変させる一連の技術である。分子レベルでの物性創出とは、無限に存在する分子から最善・最適の分子を精密合成技術と理論・計算科学との協働により自在に設計・合成するという究極の物質合成で、分子の形状・構造、電子状態、集合体・複合体、輸送・移動を制御し、これによって真に産業競争力のある諸外国には真似できない物質・材料の創出が期待できます。
数字やデータを基にしたもんでもない、自分の感覚だけを基にして書く。
フェミの人、特に過激派で攻撃的な人はいつも怒ってる。年がら年中あちこちに怒っては、ツイッターでケシカランと言ってる。けれど、怒りっぱなしのフェミがいてアニメコラボは全国に溢れてて、じゃあ年がら年中みかん大使ポスターや献血ポスターみたいな炎上が起きてるかと言えばそういうわけでもない。
多くの場合は、ケシカランと怒る人がいて、ツイッターでそうだそうだケシカランと同調するお仲間がいて、そこで盛り上がってそれ以上の進展も特にないまま終わる。たとえクレームを送ったとしても、クレームが極少数で大部分が好評なら黙殺されて終わる。
炎上が起きるときというのは、少数の怒りたがりではなく、少なからぬ人に「ああ、これは確かにちょっと…」と思われたときだ。
騒動のたびに明確な基準を示せと言う声が挙がるけれども示されない理由もここにある。この「これはちょっと」という基準は、言ってしまえば個々人でも大きく違う。けれどもそういう基準の集合体として、なんとなくでき上がった社会的合意というものは、あやふやだけど厳然としてある。エロに関してなら、このラインを越えたら少なからぬ人に健康的ではない不快なエロスとして受け取られるというラインが同様にある。あやふや極まりないし場所や時間の移り変わりと共に容易に変わるものだけど、実際問題として存在する。社会通念ってやつだ。
要するに、少数のフェミを怒らせたから炎上してるんじゃなく、少なからぬ人が拒絶反応を示したから炎上してるってことだ。
フェミが攻め込んできたぞ! 守れ! 一歩も引くな!! っていう一部のオタクウォリアー、君らが戦ってるのはフェミではないよ。オタク内にも「これはちょっと」と思う人がそれなりにいないと、炎上っていう騒動にはならないよ。
まあ、ツイッターで同調して盛り上がってるフェミお仲間とオタクウォリアーが喧嘩を始めて野次馬が集まるっていう炎上パターンもあるけどな。
シロノワールの上にかかっているトグロが通常はミルクソフトクリームである所が話題の💩に置き換わった代物である。
コメダにいたったことがない人のために説明すると、通常のシロノワールとは「やたらデカイデニッシュをソフトクリームの力を借りて*攻略*する」食べ物である。
でかいでかいと噂を聞きつけた人間が試しに頼むと、想像よりは小さいことに一度は安堵するものの、半分ほど食べた所で腹の溜まり具合に違和感を覚えるという二段トラップを売りとしているのがこのシロノワールだ。
今回はこれのソフトクリームが💩に置き換わっているだけで下半分に変化はない……だがショコラノワールとシロノワールは黒と白の外見通り正反対の食べ物なのだ。
ショコラノワールは「大きくて濃厚な💩をデニッシュパンの力で†攻略†する」食べ物なのだ。
なぜそうなるのか……それはショコラワールに載っている💩が見た目の柔らかいイメージとは全く違った💩であるからだ。
この💩はチョコ味のソフトなクリームではない……💩状に固めた濃厚なチョコレートの集合体なのだ。
温度によって僅かずつ溶けてはいくが、それでなお確かな噛みごたえを最後まで保つほどにこの💩はヘビーな💩である。
もしもこの💩が単体で皿の上にあったとして、コーヒー抜きで最後まで食べることは不可能だろう。
MMDも数年間頑張っているので、「試しにモーション流し込んでみました」レベルでなく結構作れる。
メリット:自分の好きにネタを描ける、デフォルメ・着替え・女体化なども容易にできる
デメリット:画力不足により思うように描けない部分がある、キャラや背景を描きこむ手間がかかる
メリット:モデルを動かすことができる、自分の画力が関係ない、ステージやアクセサリ(家具、食べ物、楽器など)が豊富にあるので描きこまなくてよい
デメリット:お借りしているものの集合体である以上規約により様々な制限がある、画力は関係なくても組み合わせのセンスは問われる、
モーションの修正が大変なので思ったより時間がかかる、上手く作れたとしても「所詮借り物を組み合わせただけ」というむなしさがある
科学というのは、明証、分析、総合、枚挙と、合理的批判からなる知識の集合体。
デカルトが提唱してから400年、科学がおおう範囲は非常に広がってきた。世の中のすべてのことが科学で解明されるかのように思えてきた。
例えば、農作物を雀が食べるから、雀を全部殺してしまえば、農作物は大量に作れるように思えた。
例えば、なにか思いついたら、すぐにそれが期間、費用、収益見込みが作成できて、投資に馴染むもののように思えてきた。
すぐに期間、費用、収益見込みが作成できて投資をうけれるはずなのに起業が起きない。なぜだ?ただ単に起業家精神が足りてないだけだ。
それ以外の物事は無駄であり、費用をとにかく削減すれば良いように思えてきた。
結局、共産主義も、新自由主義も、今までにわかっていた科学でこれからの事象も全部わかるという誤解のもとに生まれたのだろうね。
そうして、どんどん社会は衰退していった。
無論、わからないものはこれからもまだまだあるのだから、科学でないものを科学にするのに金は出していかないとならない。
後、社会科学は、偉い奴の言った物事に忖度するための学問じゃなくて、現実世界を解明するツールだぞ。合理的批判が難癖と紙一重だからなかなか難しいところはあるし、文系不要論なんて生まれるが。
ある宗教は、ベランダにびっしりチラシを貼っていた。集合体嫌いだからやめてほしい。あと新聞の資源がもったいないから再生紙になったら買う。
そいつは「ゲーム好きならこの映画観てよ」とチケットを押しつけてきた。有名な人が起用されている。だけどその有名人は神じゃない。ただの人間だ。魔人代表のギジリにもすごいの代表オジマンさんにも失礼だろう。
ペルソナの悪魔は〜って取り上げながら、主神について丁寧に説明してくる。
コラ、ペルソナはペルソナだ。心の有り様であって悪魔じゃない。
ほっとくとセールストークが止まらない。神話マニアのこちらの好みをつかもうとしてるんだろうが、こちとら創作も嗜んでいる。
悪魔は人の心なんて割とどうでもいいんだよ。ゆらゆら揺らぐのが面白いだけなんだよ。
クトゥルフ神話ぶつけてやろうか。
久しぶりに話したいの、と言って喫茶店に叔母を連れてきたそいつ。真面目な話からじわじわ宗教の話にシフトする。
脳内では既にマリリン・マンソンと除夜のガバキックの相性について考えていたが、聞いていたことにされていたらしい。
後日、さらに何かに書いた自分の心電図文字を判読してポストに新聞をぶちこんできた。
よく読まないで捨てた。
また後日、電話がかかってきた。ちょうど音ゲーをしていて曲(解禁したてほやほやの低音がうるさい曲)が始まるところだったので、ちょうどくぼみになっているスピーカーの横に電話を置いた。いつもの癖で置いたのだけど、もしかしたら受話していたかもしれない。
新聞も来なくなった。
年賀状の住所録を整理していたら、やつらの住所が見つかったので処分した。
それで思い出した。
もう10年ぐらい会っていない友達を思い出した。
ちなみにお互い男、ちなみにお互いホモではない。
相手は自分をどう思っていたのか分からないけど、自分は彼が人間的にとても好きだった。
その友人とはもうずっと連絡を取っていない。
あんなに好きだったはずなのにいつの間にか疎遠になってしまった。
その頃仲の良かったグループは、最終的にはニートや就職浪人だらけになる本当にどうしようもない奴らの集合体だった。
ふと学校に来なくなり、溜まり場のゲーセンにも部室にも来なくなり、飲み会に呼んでも来なくなった。
2年ほどしてふと憑き物が落ちたように社会に戻り、それから5年ほどしてその頃の友人の1人にたまたま街で会った。
その際、あの頃のグループは半分ほどが連絡が取れなくなっていて、自分もその1人であり、彼もまたその連絡の取れない1人であると聞いた。
それから今日まで5年ほど、偶然合流した自分は残っていたメンバー同士の集まりに時折顔を出している。
5年経っても彼の足取りは掴めない。
年に一度ほど彼の名前でググってみるが、年齢の違う同姓同名の人物しか出てこない。
モテなくて冴えなくて何も特技もないくせに、お手軽に特別な人間であるかのように振る舞いたかった当時の自分たちにとって、エロゲはとても都合が良かった。
友情や愛や人生の素晴らしさを謳った物語を毎日読み進めておきながら、その感想と共に「リア充死ね」「現実はクソ」と語り合った。
あの頃の毎日は本当に酷かった。
だけど、自分の気持ちをわかってくれる人がいるという気持ちを人生で一番強く感じていた時間だった。
モテなくて当然のクズ人間のために作られた心も身体もオナニー出来る物語の存在は自分の心を救った。
「僕はここにいてもいいんだ」の心境である。
自分たちをターゲットにした商品の存在、それを楽しんでいる人間が日本中、ネット中にいることに救われた。
当時一緒にダベりあったくだらない仲間たちだ。
その中でも彼とは本当に馬があった。
馬があうからこそ、お互いに世の中が嫌いでひねくれていて人間嫌いを拗らせていたからこそ、お互いに相手を引き止めきることが出来ないまま離れ離れになったのかも知れない。
彼は姉が好きで、自分は妹が好きだった。
彼はスレンダー系の後輩キャラが好きで、自分はロリ教師が好きだった。
彼はダダ甘の恋愛やストレートな陵辱を好み、自分はSF要素の強い作品と最終的にラブラブになる調教を好んだ。
それでも名作と言われるような作品群に関してはお互いに高い評価を出した。
何だかんだ自分達の頭では評価なんて出来てなくて、互いがよく行く評価サイトの言葉を鵜呑みにしていただけなのかも知れない。
エロゲソングの趣味も若干噛み合わなかったが、それでもやはり名曲や神曲の類はお互いに素晴らしいと認めては口ずさんでいた。
今思うととんでもない迷惑行為だ。
その頃歌っていた曲を久しぶりに聞いた。
少しずつエロゲに興味を失いエロゲソングも聞かなくなっていた為数年ぶりにその曲を聞いた事になる。
曲の歌詞が染み込んできた。
エロゲやキモヲタの集まりの中に篭っていた頃は響かなかった歌詞までが流れ込んできた。
遠くにいる誰かを思う詞、会えなくなった人を待つ詞、あの頃より強くなれた自分での再開を信じる詞、同じ気持ちでいることを願う詞、そういった歌詞を聞きながら今までの人生で色んな人に支えられてきた事が蘇っていった。
その思い出の中に彼はいた。
彼は今どこで何をしているのだろうか。
未だにネットやゲームでダラダラと暇をつぶしている自分と違って脱オタしてちゃんと家庭を持ったのだろうか、今でもニートをしているのだろうか、それとももうこの世界にいないのだろうか、自分とまた会いたいと思っているのだろうか、人生の汚点として二度と顔を合わせたくないと思っているのだろうか。
「今この瞬間、彼も自分と同じように、あの頃好きだったエロゲソングを聞いて、懐かしさを覚えていたりするんじゃないんだろうか」
そう思うと涙が出てきた。
『もしかしたら、そんな事になっている可能性も0ではない』という事が本当に嬉しかった。
自分と同じ気持ちを抱えて生きている誰かがこの世界のどこかにいるかも知れないというだけの事に、こんなにも心が震えるのかと自分でも驚いている。
そして、彼がそうであるのかも知れないのなら、どこかにいる自分とまだ出会っていない自分達と同じような人間が同じことをしている可能性もあって、この世界に60億も人間が居るのなら、自分と同じような生き方をしている人間もそれなりにいるのではないかと思うと、自分がここにいる事が何かの間違いなんかではなかったと信じられるような気がする。
彼は今どこで何をしているのだろうか、幸せに生きているならそれでいい。
ブラック企業で働いているとしても、彼が生きているならそれでいい。
たとえ死んでいても、彼がそれを望みその願いがかなったのならそれでいい。
たとえ事故で死んだとしても、彼がこのクソみたいな世界から抜け出して天国で楽しくやっているならそれでいい。
もしも彼が今でもニートをやっているとしても、それは俺たちの人生において普通にありうる可能性なんだからそれでいい。
もしも彼が今でもエロゲをやっているのならそれは素晴らしいことだ。
もしも彼が今でもエロゲソングを楽しく聞いているのならそれは嬉しいことだ。