2020-04-10

ツイッター群体(思い込み駄文

絵が綺麗だなと思って何となく見ると、比喩もなく何にもかかってない平凡な心情の垂れ流しをみんなが褒めていた。

この感じどこかで、と思ったら十年以上前にもなる携帯小説ブームのノリに近いのかもしれないという感覚に到達した。

読者も読者で、かつてドスト批評に「感動しました!」とか頓珍漢な感想を書いていた層に比肩する連中だ。

多分彼らは本音批評なんてする気もなく、適当に褒めとけばいい程度で感想を書いているんだろう。

これはたしかコミックスが売れない。実際金を払ってまでは皆ほしいと思わないらしい。

建前の裏側がコミックの先細りに直結している。漫画という果実は熟して今まさに腐り落ちようとしている。

別段玄人受けすればよいのではなく、最先端なら最先端なりに尖ったものや、極まったもの必要だと思う。

それがまるでない。

好きでもない友人を戦略的に増やしつつ、有名無実になることを専一に考えるのだから完成度は二の次になるのも無理はない。

本題。

思えばツイッター代表する文化なんてあっただろうか。ウィヒッヒー?

思い出せるものがほぼなにもない。

ツイッターには流動的な群体があるのみで、2chニコニコ固形物の保守的世界とはかけ離れている。

あんなに血が濃い集団はいまやニコニコはてなくらいになってしまった。無論それがいいとも思わない。

けれども群体として「名無し」であるツイッターはかつて殷盛を誇った名無しの集団よりも名無しになってしまった。

それこそ集団流行病のようだ。ニコニコでバズれば歌い手デビューするのか、という思いが巡る。

はてなでバズれば面白いアプリケーション開発者が出てきたのかと想像を巡らせる。あるいは村の闘争か。

ツイッターにおいては芸人か何かが一時的に有名になったのか程度しか思い浮かばない。

このあいまいさの問題ツイッターという母体が様々な形容内包しているからだろう。

EU的な集合体ツイッターなのではないか。けしてアメリカ的とは言えない。

多くのアメリカ人はアメリカを誇りにし、とき嫌悪批判するが、ツイッター民に自国意識はおそらくない。

明日使えるメディアが登場すればあっさり裏切ってそちらに向かうだろう。

そこにはマスとクラスタがあるだけでつながりといえば共通話題ユーロ)だけだ。

時々カタルーニャイギリス独立宣言するが、それをやる人物はせいぜいは5chで叫ぶ程度だ。

大利益を享受できるツイッターを彼らは捨てることはできない。

一致団結できない群れが国家形成すれば、それこそEU中国のようなまとまりのない中身になる。

システムがそうなのだからやがてツイッターはほころぶのではないか

国家になぞらえるのは無理があるか。

まあ、駄文。頭の中の妄言をそのまま推敲しないとこうなる。

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