はてなキーワード: 随筆とは
これがネットではやたらと自意識が強くて、挫折したことがある人が多いからなのかやたらと評判が良い。
でも今、もう一度山月記を読み返してみると僕には平凡な小説にしか感じない。
その理由としてまず第一に、物語として薄弱すぎる。自意識やらなんやらが語られる部分は単調な説明であり、山場である李徴が虎になる場面が薄すぎる。
これでは物語に意味を持たせる小説ではなく、思ったことを書き綴っただけの随筆である。
次にその随筆の内容であるが李徴が自意識をこじらせる過程もどこかしこでみんなが分かりきって感じてることで目新しさも、生々しさもない。
小説や文学において描き出す真実というのは仮にみんな感じていることであろうと、作品の中で再現させてこそ意味があるものであると思う。これでは餃子が美味しいという真実と変わりなく、餃子を口に入れたときを感動的な美味しさを作品によって体験させることが出来ていないことと同じである。
職場の後輩について書いてみる。仕事熱心で愛想も良く、しかも礼儀正しい。客観的に見て、可愛い女性だと思う。年齢は私と10歳以上離れているが、席が隣同士ということもあって話をする機会は多い。プライベートで20代の女性と話すことなど皆無(泣)だが、職場だと自然と会話ができるのが不思議なところだ。仕事に関しても、偉そうに教えているつもりはないのだが、彼女はいつも明るく「ありがとうございました。また教えてくださいね。」と応えてくれるので、こちらも気分がいい。そんな、ふつうの(業務上良好な)先輩後輩の間柄だったところに、ちょっとした事件が起きた。
ある日、彼女の仕事に関係するクレームが発生した。受付が騒がしいので何かと思ったら、年配の男性が大きな声で叫んでいる。後輩が呼ばれて対応に向かったが、どうやら沈静に失敗したようだ。私の方に駆け寄ってきて、「増田先輩、どうしたら良いですか」と助けを求めてくる。「知らんがな」とも言えないので、とりあえず一緒に話を聞いてみることに。色々聞いてみると、どうやら理屈上は当社に非は無いが、感情のこじれがクレームにつながったタイプのようだ。まあ、よくある話。
別室に案内して小一時間、話を聞いているうちに先方も落ち着いてきたようで、最後は、ほぼ円満にお引き取りいただけた(実際に私がしたことは、単に隣に座って小難しそうな表情を浮かべたまま、微笑んだりうなづいたりしていただだけなのだが)。お客様を見送る後輩の背中に「いやー、大変だったね。」と小声で話しかけたところ、そっと扉を閉めてから彼女は振り向いた。「本当にすみませんでした!」と言う彼女の目に涙が浮かんでいる。あらら、そんなに気を張り詰めていたのかなと思い、「いや、ほら、後輩さんも頑張ったよね。お疲れ様。」と言うと、彼女が近づいてきて「増田先輩、ありがとうございました!私、いつも本当に助けてもらってばかりで・・・」と言いながら、私の右腕のスーツの袖口あたりを両手でぎゅっと掴んだ。
・・・ん?あれ、何かいつもと違う、と狼狽える私。掴まれた右手をどうしたらよいのか分からないので、自由に動かせる左手を使って彼女の肩をポンと叩き、「よかったよかった。ね、もう大丈夫」と何が大丈夫なのか分からなかったがとにかく会話を続ける。部屋には私と後輩のふたりだけで、私はなんとなく沈黙を避けたかったのだ。しかし、彼女は私の右手を掴む力を弱めることなく、むしろ近づいて私の手を引っ張り、私の肘のあたりを脇に軽く挟みこみ、結果として私の右手は彼女を抱きかかえるような位置になってしまった。しかも、近い。彼女の潤んだ眼が、私をじっと見つめている。息遣いまで聞こえるほどだ。
後輩「先輩・・・」
私「おっつけだよね。」
後輩「えっ?」
私「右の肘が完全に極まっているし、このまま土俵際まで押し出せると思うよ。」
後輩「増田先輩、何言ってるんですか!これでも、私、勇気を出して・・・」
私「いや、かなりの高スキル。三代目若乃花ばりのおっつけだね」
後輩「話をそらさないでください。私、好きなんです。」
私「俺も、おっつけが得意な力士が好きなんだ。おっつけは相撲の基本技術にして奥義でもあるわけで。」
後輩「もう、何なんですか。さっきから。相撲は関係ないじゃないですか。」
私「でも、よどみない一連の動きに感心したからさ。」
後輩「ひどい。馬鹿にしてるんですか。私、相撲とか知らないし。それに、そんなに太ってないし。」
私「違うよ。若乃花は小兵だけど、おっつけがあったから横綱にまで上り詰めたんだよ。」
後輩「もういいです。増田先輩のばか!」
後輩「第66代横綱に似てるって言われたって、セクハラで人事部に訴えます!」
そういうことで、皆さんもおっつけを練習してみてはいかがだろうか。
(追記)
元増田です。ようやく仕事から帰ってきてPCつけたらすごいことに・・・。初のホッテントリ入りがまさかの500overとなり、ダグワドルジも大変喜んでいると思います。コメントは全て拝読しました。ブックマークしていただいた全ての皆様に感謝です。以下、敬称略。
・tamtam3 残った残った→→普通にふたりで職場に戻って、定時まで仕事しました(そのあと滅茶苦茶〇〇した)。
・valinst この増田は伸びる→→第1号ブコメありがとうございます(ブコメ頂いた後に改変してしまいました。サーセンw)。砂粒のような増田投稿群からの目利き、この人すごいです。
・mozz1207 つかみで随筆と思わせて突如戯曲に変容し、作品の虚構性を自ら明かすのは武田泰淳「ひかりごけ」(1954)以来の実験小説の手法。→→的確な分析、恐縮&感謝です。
・NORITA 人気が出そうなブコメをタイトルで先取りするスタイル→→図星ww見破られたww
・anmin7 別室から部屋に表現が途中で変わったが、まさか相撲部屋の意味とは、この海のリハクの目をもってしても→→突然の海のリハクw物語の展開上何の役にも立っていない男w
・ayumun 『右手の裾』って袖口の事で良いの?→→ご指摘ありがとうございます。分かりにくかったので修正しました。
・doycuesalgoza 調子よかった時の中島らものギャグ系エッセイにちょっと似てる。→→意識して書いたわけではありませんが、らもさんファンにとっては最高の誉め言葉です。
・ienaikotobakari 後輩「ふざけたこと言ってるとリモコンで殴りますよ」なのも欲しい→→そうですね、落ちが雑でした。
・kawa106 文才あるなあ。ブクマのツッコミや解説も花を添えてる→→ありがとうございます。投稿に面白いブコメが付いたからこそブコメが伸びるという共同作業的現象ですね。
素朴な質問だけど、あなたは「基本的人権を守らない人間、基本的人権を認めない人間」の基本的人権を尊重すべきという立場だろうか? それとも違う? 可能ならご自分の意見・立場を聞かせてほしいです。
ちなみに私は「当然尊重すべき」派です。しかしそれは、私が思想的人間であって政治的人間ではないからに過ぎません。極論すれば、私は私の思想的一貫性を保つためならば社会が悪に染まっても仕方ないと言っているも同然で、それは十分傲慢な考え方と自覚しております。(※)その意味で、自分はそう考えないまでも、ある種の政治的人間が「『国民の人権など知らない』と考える政治家の人権など尊重しない」かのように振る舞うことにも一定の理解をもちます。彼らは毒をもって毒を制すると考える、あるいは、毒をもってしか毒を制することはできない、と考えているのでしょう。彼らに見えているものは私に見えているものとは違いますが、それは十分に想像可能です。たとえば、坂口安吾が占領軍の眼を意識しながら、戦後のある時期に「特攻隊に捧ぐ」という随筆を発表し(占領軍検閲により発表できませんでしたが)民主主義の時代になろうが特攻隊員の純粋と献身を疑うべきではない、と述べたのと同じです。従って私は彼らを批判すべき言葉を持ちません。
で、あなたは?
※…「傲慢」と書きましたが、もちろん私は自分自身に傲慢を許す=自分自身を偉い人間か何かと考えているというわけではありません。私は、人間理性への信頼に基づき、いずれにせよ最終的には人間はまともな考え方に収斂するので社会が悪に染まるとしてもそれは一時のことであると考えています。しかし、そういう考え方を他者が見たとき誤って「傲慢」と呼ぶかもしれませんし、それもやむを得ない…そういう意味で「傲慢」という言葉を用いています。私自身は自己のことを、単に忍耐強いと考えております。
基本的な戦法は、「同じ文字で攻め続ける」です。始まる言葉が少なく、終わる言葉が多い「ル」攻めが基本ですが濁点が有効なら「ズ」の方が効果的です。
それで攻め続けるだけで、だいたいは勝てるはずです。
しかし、逆に自分が「ズ」攻めを食らったときのために「ズ」で始まる言葉を羅列しておくです。
そして取っておきの「ズ」で始まって「ズ」で終わる言葉
相手が中級以上のしりとリストならば「ズ」攻めを使ってくるかも知れません。「ズ」攻めを食らい続けて散々つぶした後に「ズ」返しをする戦法が最強です。
いやオバちゃんさー、どーっっしてもガマンできねーならしょうがないけど、あんまり昔の話を安売りしない方がいいと思うぜ?
増田なんかでブクマが増えてコメント貰って家族の異常判定されて、何か得るものがあるとでも?
何か訴えたいものがあるならさっさと随筆なり回想録なりを出版するか電子書籍にでもした方がいいよ。
っつーのはさ、巻き込み型承認欲求女性みたいのがたまに叩かれてるの見るんだけど、それとDVの記憶強化が組み合わさっちゃうと目も当てられないんだよ。
昔、出版ギョーカイで似たような女流がいてさー、「こんな酷い目に遭った」「あんな酷い目に遭った」って世間だか編集だかにエスカレートさせられる内に何が本当だか分からなくなって――、
じゃーアレだ、バイトして親父サンにアイパッドでも買って使い方教えてやれよw
だって新聞紙なんかで叩かれてもダーメジ全然ないだろ? 子供のチャンバラじゃねーんだから。
で、それで殴るようなら家を出ろ。俺のアドバイスはそれだけだ。
と、書いてもよいと言われた。
結論がなく、その辺でうねうね行ったり来たりしているだけの文章。
(と書いて、その意味を理解してもらえるだろうか、と逡巡する。)
そんな雰囲気だ。
ある人のお母様について。
割と良い母親だ。
(ちなみに、お父様も良い。)
人は、スタートの段階では、生と姓とを受け入れなければならないことになっている。
平等権?
あぁ、それは、親くじを引く機会がみなに平等にある、ということ。
「自分の目」を「他人の目」と勘違いしているような、松本人志の話を快く聞くような、よくいるおばちゃんだ。
(ここで、おばちゃんという属性は、特に、なにも意味していない。ぽりてぃかる☆これくとねす)
もっと具体的に言えば、これまで、酵素・コラーゲンとか、「○○人は」「○○教は」とか、まぁ、共感性羞恥?を生じさせるような、それ以上先を言わせたくないような、何と言うべきか、イタイことを言うような人だ。
彼は、内心、そういうことを公言するのをやめさせたいと、心配らしい。
また、今後、年を取って、多くの他人に頼らなければならなくなるかもしれない。話が通じない人になっても困る。
他方で、田舎育ちの高卒専業主婦にその辺の選別をさせるのは、今のままでは本人のライフスタイルを無理に否定するようで、心苦しい。
(言い換えれば、手続を踏んで、根本から変えていきたいということ)
「親は、実は、現在の自分から見ると、馬鹿なのではないか。」と気づくタイミングは、人それぞれだ。
(もちろん、馬鹿じゃない親もいるかもしれない。また、馬鹿でも「しゃーねぇなぁ」となるのが家族だろう。)
反抗期の時に気づくかもしれない。
もっと子が成長し、親が衰えた時かもしれない。
彼は、遅かった。
と脱線した。
この一年ほど、やっているらしい。
何やら、メルカリで本を買っていた。
第一段階として、本を読むだけ良しとしよう。
何かしらプラスになるだろう。
そこまでは、とりあえず・・・?良かった。
なるほど、そう来たか。
(ここで「『前頭前野が弱い』のは誰か。」と尋ねてくるやつは、嫌いだ。)
差異の体系を構築することができない。
みじん切りにされた個々の情報を、自らの感性と直結させている(だからキレやすい)。
他者との間で、コミュニケーションが成立していないことがわからない。
(と、ここに書きなぐっても、コミュニケーションは、私と読者との間で成立しないだろうが。)
・
・
・
そして、一番は、自尊心がない。
しかも、本人がやる気なら、ある程度、解決することもできるだろう。
だったら良いじゃないか。
(逆に言えば、彼女は、雑談の延長から離れて、核心に触れる話をすることができない、ということでもあるが。)
何より、本人は、それを直すつもりがないようだし。
と、宙吊りで終わる文章。
「〜〜もへったくれもない」の「へったくれ」って何なんだと思って調べてみたら、
リンクがたくさんあると投稿できないのでhttp抜きにするがあしからず。
★「へったくれ」の語源は不明。「妙なことを言う」という意味の「剽軽(ひょうきん)」→「剽(ひょう)げる」からの成立とされる「へうたくれ(ひょうたくれ)」の転訛か?・・・根拠なし。
確かに音的には近い気がする。
//kotobank.jp/word/%E3%81%B2%E3%82%87%E3%81%86%E3%81%9F%E3%81%8F%E3%82%8C-613424
「だってもへちまもない」にも繋がっていてなかなか説得力がある。
いまでも関西では「だってもへちまくれもない」と言うことがあるそうだ。
★『野乃舎随筆』には「今下ざまの人の悪言に、ヘウタクレといふは、ヘタクレといふ辞の転言なるべし。ヘタクレは、クソタクレといふ辞の転言ならん。もとはクナタブレを訛れるなるべし。クナタフレを、屎タフレと訛(あやま)りて、其対言に屁タクレといひしを、それを又、ヘウタクレと、音便にいへるならん」とある。
なんだか詳しい。
★茨城方言に「へったくれる」が残る。もしかすると、これが関わっているか。「へたった」「へこたれた」と同義…参った、挫(くじ)けた、くたびれたなどの意。
「ヘタクレ」「クソタクレ」が挙がっているが、「ヘタレ」「クソッタレ」は関係があるのだろうか。
そういえば「糞垂れ」や「洟垂れ」なら分かるが「バカタレ」などは何が垂れているのだろうか。
糞便の「くそ」に、軽侮を強意する接尾辞「たれ」(用例;「ばかたれ」「あほたれ」、「だら」の変化したものか?)を付したもの。
//ja.wiktionary.org/wiki/%E3%81%8F%E3%81%9D%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%82%8C
この場合の「たれ」は垂らす(=もらす)というより、「アホたれ、バカたれ」に見られる目前の人を罵る際に付ける接尾語というニュアンスが強い。
//zokugo-dict.com/03u/unkotare.htm
どうも物理的に何かを垂らしているというわけではないようだ。
ちなみに「へたれ」の語源についてもやはり諸説あるらしいがここでは措く。
この「罵倒に使われる接尾語『たれ』」というのは何だろうか。
「たれ」と「たくれ」が同根だったら話が早いのだが…
上記には「『だら』の変化したものか?」とあるのでそれを調べてみよう。
考えてみれば「あほんだら」の「だら」だろうし、北陸の方言にも「馬鹿」という意味で「だら」というのがあった気がする。
「あほんだら」の語源については「阿呆太郎」であるとの説もあるが、近隣地域で見られる同様の罵倒語である「だら」「たくら」が阿呆と結びついたものである可能性がある。
「あほんだら」から「だら」が出来たのかと思ったが、「だら」が先にあって「あほ」と結びついた可能性があるのか。
阿呆太郎→あほんだら→だら、という順番の可能性はあるのだろうか。
あんぽんたんは、「阿呆」と愚か者の意味の「だらすけ」が複合された、「あほだら」「あほんだら」が、転じた言葉である。
「阿呆」は「あっぽ」とも言われ、「陀羅助(だらすけ)」という薬(「陀羅尼助」の略)もあったため、「反魂丹(はんごんたん)」や「萬金丹(まんきんたん)」という薬の名から、「安本丹」ともじられた。
ええー…愚か者の意味の「だらすけ」って何よ、検索しても薬の「陀羅助」しか出てこないけど。
と思ったら、関東の方言で「でれすけ」というのがあるらしく、これは明らかに「だらすけ」の転訛なんだよな。
罵倒語「だら」を薬の「陀羅助」に引っ掛けて「だらすけ」と言っていたとか?
それだったらやっぱり「だら」が先にあったということになるのか。謎である。
「ばかたれ」について、別のところの説明にはこうある。
「たれ(垂れ)」は「はなたれ小僧」「小便たれ」「ばかたれ」など、名詞について人を軽蔑する意を表わす語としても用いられる、これは、小便や鼻水などきたないものを「垂れている(ぶら下げている)」ことを表わしたとする説、重みでだらりと「垂れ下がる」姿がだらしなく見えるところからとする説などがある。
一周して、やっぱり物理的に垂れているところから出発してるんじゃないか。
ちなみに「へこたれる」は「凹む+垂れる」が語源だそうなので、前述の「へったくれる」説が正しいなら、この「垂れる」が由来だと言えるかもしれない。
ここで驚愕の新説が登場する。
これについては,実際に何かを「垂れて」いない罵倒語の「たれ」は,平安時代にはやった「たくらだ」という言葉の末裔だといわれています。
中国の古典に「田蔵田」という間抜けな動物が登場するのですが,これが日本人の笑いのツボにはまったらしく,後々までバカ=たくらだとい図式が成立します。
//detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1321653228
「へったくれ」,「ばかたれ」,「ごんたくれ」,「あかんたれ」など,何かを垂れているわけではないにもかかわらず「たくれ」「たれ」という語尾をもっている場合は,ほとんど「たくらだ」の訛りである「たくれ」「たれ」と解釈して差し支えないといわれています。
//detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1321653228
これまでとぜんぜん違う説明じゃん!
いやでも実際に「たくらだ」という言葉はあるらしい。
たくらだ【田蔵田】 の意味
ジャコウジカに似た獣で、ジャコウジカを狩るとき、飛び出してきて殺されるという。転じて、自分に無関係なことで死んだり傷ついたりするもの。愚かもの。まぬけ。
一人の文殊より三人のたくらだ
東北の方言の「たくら者」「たくらんけ」なども「たくらだ」に由来しているそうな。
これが正しいなら「へったくれ」も合わせてこれが語源ということになる。
ん、そういえば「あほんだら」のところでも罵倒語「たくら」というのがあったな。
それが「たくらだ」由来なんだとしたら、「だら」の語源も「たくらだ」なの?
なんとなく繋がってきたような…。
またはじめに戻って「クナタフレ」説について調べてみよう。
【史料1】では「多夫礼」のみであるが、下って戊午(12日)条の宣命によれば「久奈多夫礼(クナタブレ)」とある。上記では「改名多夫礼」とあるから、久奈が氏(ウジ)で多夫礼が名と思われる。クナは「頑な」のクナ、タブレは万葉集に「多夫礼多流之許都於吉奈(多夫礼たる醜つ翁)」(巻17、4011)を確認でき、狂っている意と思われる。よって、ここでは「頑なで狂っている者」という姓名に改められたことになる。
たぶ・る 【狂る】
気が狂う。
「たぶらかす」なんかも「たぶる」が語源らしい。
最初の『野乃舎随筆』では、「クナタブレ」が「クソタブレ」と勘違いされて「クソタクレ」と訛ってさらに「糞」の対として「屁」を用いて「ヘッタクレ」になった、というような説明がされているが、「たぶれ」が色々なものにくっついて「〜〜狂い」「〜〜馬鹿」みたいな感じで使われているのなら、「糞馬鹿」みたいな感じで「クソタブレ」と言われるのは自然なことのように思う。
この『飲んだくれ』の”だくれ”とはどういった意味なのでしょうか?
実はコレ、、、
だくれは、タクレということばと同義で『愚か(おろか)になる』という意味なのです。
//www.buddhism-j.com/6-27nondakure
でもそうか、最初に挙げられている「剽たくれ」の「たくれ」もこの「たくれ」か。
ということは「剽たくれ」説と「クナタフレ」説は、「剽」と「屁」という字の違いこそあれ、ほとんど同じことを言っているわけだな。
追記:いや「剽たくれ」が「たくらだ」由来の可能性も普通にあるのでここは結論を出すべきではないか。
脇道に逸れるけど、「塗りたくる」とかの「たくる」ってのは何なんだろう。
これか。
「荒々しい」というのは「狂う」に通じる気もするし、「飲んだくる=盛んに飲む」と解釈するとめちゃくちゃそれっぽいけど、でも「ひったくる=むりやり奪い取る」から「荒々しく」が派生したんだとしたら、「ひったくる」は「引っ手繰る」だし、別語源なのかな。
というわけで「へったくれ」の語源はこんな感じに整理できるのではないか。
1. 「たぶれ(狂う)」に由来する罵倒語「たくれ」(剽たくれ・屁たくれ)
2. 「田蔵田」に由来する罵倒語「たくれ」(剽たくれ・屁たくれ)
3. 「垂れる」に由来する罵倒語「たれ」(凹垂れ)
「小説」は、文学のうち「散文で書かれた虚構の物語」のものを指します。
「散文」の対義語は「韻文」です。詩のように同じ響きの言葉を繰り返したり、短歌や俳句みたいに決まった形があるものを、韻文と呼びます。逆に言えば、散文はそういった決まりのない、いわゆる普通の文章を指すことになります。
散文で書かれた文学としては、他にも随筆や評論などがありますが、それらと違って小説は、基本的に虚構が書かれています(「事実をもとにした小説」とかもありますけど…)。
その小説の中で、娯楽性よりも芸術性を重視した作品を「純文学」と呼びます。一般に、石原慎太郎や村上春樹、村上龍などは、純文学の作家とされています。
純文学と対になるのは「大衆文学」であり、芸術性よりも娯楽性を重視した作品となっています。たとえば、東野圭吾や伊坂幸太郎、湊かなえなどは大衆文学の作家ということになります。
「芸術」「娯楽」という言葉もなかなか曖昧で、明確な線引きはできないものですから、「何となく雰囲気でそうなっている」くらいに思ってください。ちなみに、「芥川賞」は純文学の賞、「直木賞」は大衆文学の賞となります。
以上から分かるように、「ライトノベル以外の小説」を示す意図で「小説」「文学」「純文学」といった呼称を使うのは誤りです。「ライトノベル以外の小説」を指す言葉としては、あくまで便宜的なものですが「一般小説」「一般文芸」などがあります。
さて「ライトノベル」の話になりますが、ライトノベルが「娯楽性を重視した小説」であることは間違いありません。つまり分類としては大衆文学に含まれることになるでしょう。
ひと昔前は、ライトノベルを定義するにあたって「イラストが付いている少年少女向けの小説」としておけば、ひとまず間違いはありませんでした(実はイラストのないライトノベルもけっこう出ているんですけどね)。
しかし、近年のライトノベルは積極的にその範囲を広げ、さまざまなジャンルを取り込んでいます。ライトノベル出身の作家が一般文芸で活躍することも増えてきました。
ライトノベルと一般文芸の中間を狙った、いわゆる「ライト文芸」のレーベルも多数創刊されています。それらの対象年齢は20代〜40代あたりで、とても「少年少女」とは言えません。
イラストについても、いまでは幅広い作品に付くようになり、それをライトノベルだけの特徴とみなす風潮も薄れつつあります。そもそも「挿絵付きの小説」自体は、古くから当たり前に存在するわけですから、イラストの有無だけで区別しようというのがナンセンスなのかもしれませんね。
そういったわけで、いま「ライトノベル」と「ライトノベル以外」の垣根は急速に消失しつつあり、同時に明確な「違い」も無くなってきています。
「イラストが付いている少年少女向けの小説」から、「イラストが付いている」と「少年少女向けの」を抜けば、あとは「小説」しか残らない道理です。