2017-08-28

思考について

思考に関してブログをやっているので、軽い相談を受けた。

と、書いてもよいと言われた。

なお、以下の文章は、論というよりも、随筆な感じだ。

結論がなく、その辺でうねうね行ったり来たりしているだけの文章

(と書いて、その意味理解してもらえるだろうか、と逡巡する。)

そんな雰囲気だ。

ある人のお母様について。

割と良い母親だ。

(ちなみに、お父様も良い。)

みんな、コウノトリ拉致されるときに、親くじを引く。

結構上位のつがいをゲットする人もいる。

他のやつの中には、号泣しながら連行されるのもいた。

人は、スタートの段階では、生と姓とを受け入れなければならないことになっている。

平等権

あぁ、それは、親くじを引く機会がみなに平等にある、ということ。

規約の204条1項に書いてありますよ。同意したでしょ。

始発から早速脱線した話を、元の線路に戻そう。

自分の目」を「他人の目」と勘違いしているような、松本人志の話を快く聞くような、よくいるおばちゃんだ。

(ここで、おばちゃんという属性は、特に、なにも意味していない。ぽりてぃかる☆これくとねす)

もっと具体的に言えば、これまで、酵素コラーゲンとか、「○○人は」「○○教は」とか、まぁ、共感性羞恥?を生じさせるような、それ以上先を言わせたくないような、何と言うべきか、イタイことを言うような人だ。

(ちなみに、水素水には引っかからなかった。)

彼は、内心、そういうことを公言するのをやめさせたいと、心配らしい。

意味不明なまま振り回す知識は、他人を傷つけるかもしれない。

また、今後、年を取って、多くの他人に頼らなければならなくなるかもしれない。話が通じない人になっても困る。

他方で、田舎育ちの高卒専業主婦にその辺の選別をさせるのは、今のままでは本人のライフスタイルを無理に否定するようで、心苦しい。

(言い換えれば、手続を踏んで、根本から変えていきたいということ)

今更相談されても困るんだが、というのは私の事情だ。

「親は、実は、現在自分から見ると、馬鹿なのではないか。」と気づくタイミングは、人それぞれだ。

(もちろん、馬鹿じゃない親もいるかもしれない。また、馬鹿でも「しゃーねぇなぁ」となるのが家族だろう。)

反抗期の時に気づくかもしれない。

もっと子が成長し、親が衰えた時かもしれない。

彼は、遅かった。

脱線した。

彼女は、最近心理学脳科学に手を出し始めた。

この一年ほど、やっているらしい。

何やら、メルカリで本を買っていた。

第一段階として、本を読むだけ良しとしよう。

内容についても、アドラー加藤諦三は、読めばよいと思う。

何かしらプラスになるだろう。

彼女は、「前頭前野は、報酬系云々」と話し始めたそうだ。

そこまでは、とりあえず・・・?良かった。

しかし、「あんたは、前頭前野が弱い。」とか言い出した。

なるほど、そう来たか

(ここで「『前頭前野が弱い』のは誰か。」と尋ねてくるやつは、嫌いだ。)


彼女の抱えている課題は、こんな感じだ。典型的だ。

残念なことに、彼女は、基本的知識もない。

(どこからどこまでが基本的かは、分からないが。)

物事構造化することができない。

差異の体系を構築することができない。

みじん切りにされた個々の情報を、自らの感性と直結させている(だからキレやすい)。

自分他人区別できない。

他者との間で、コミュニケーションが成立していないことがわからない。

(と、ここに書きなぐっても、コミュニケーションは、私と読者との間で成立しないだろうが。)

そして、一番は、自尊心がない。

しかも、本人がやる気なら、ある程度、解決することもできるだろう。

いや、でも、彼が指摘することは、そもそも課題なのか。

彼女の話し相手も、同じような感じだろう。

だったら良いじゃないか

ただの雑談じゃないか

(逆に言えば、彼女は、雑談の延長から離れて、核心に触れる話をすることができない、ということでもあるが。)

何より、本人は、それを直すつもりがないようだし。

と、宙吊りで終わる文章

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん