2019-02-20

山月記は平凡な小説だと思う

役人詩人を志す自意識の果てに虎になる小説である

これがネットではやたらと自意識が強くて、挫折したことがある人が多いからなのかやたらと評判が良い。

でも今、もう一度山月記を読み返してみると僕には平凡な小説しか感じない。

その理由としてまず第一に、物語として薄弱すぎる。自意識やらなんやらが語られる部分は単調な説明であり、山場である李徴が虎になる場面が薄すぎる。

これでは物語意味を持たせる小説ではなく、思ったことを書き綴っただけの随筆である

次にその随筆の内容であるが李徴が自意識をこじらせる過程もどこかしこでみんなが分かりきって感じてることで目新しさも、生々しさもない。

小説文学において描き出す真実というのは仮にみんな感じていることであろうと、作品の中で再現させてこそ意味があるものであると思う。これでは餃子が美味しいという真実と変わりなく、餃子を口に入れたときを感動的な美味しさを作品によって体験させることが出来ていないことと同じである

から僕には山月記が物足りない平凡な小説に感じられるのだ。

  • あれ、ネットではネタにされてる所しか見たことなかったけど、評価が高かったんだ…?

  • 国語の教科書に載ってたから多くの人が知ってる話ってだけなんだけど

  • 教科書には載ってるけど 別に文学としては評価されてないから

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