はてなキーワード: 軍拡とは
むしろ庶民と経済を無視しているパターンばっかりだと思うのだが。
戦争前夜の日本なんか、明らかに経済的に見合わない軍拡をしていたわけで。
なんのこっちゃ。
世界大戦は歴史上2回しか起きていない。どちらも発生経緯は局外中立云々と関係ない。
直接のきっかけはセルビア民族主義過激派によるオーストリア=ハンガリー帝国皇太子夫妻暗殺事件。局外中立関係ない。
第三次バルカン戦争でなく第一次世界大戦になった最大の原因は、セルビアの後援者であるロシアとオーストリアの後援者であるドイツの対立に発展したこと。局外中立関係ない。
イギリス参戦の直接の原因となったのはシュリーフェンプランに基づくドイツ軍のベルギー侵攻で、これのみ局外中立関係あるが、じゃあ本当にこれがなかったら世界大戦にならなかったかと言えば、それは寝言は寝て言えだ。
もともとナチスの軍拡は自転車操業でメフォ手形の隠れ借金を外国からの収奪で回収するのがアンシュルス以降の開戦までの基本構図。局外中立関係ない。
WWI後のオーストリアは色々あるがドイツとの合併は強力な政治潮流としてもともと存在しており、それを諸外国(ジュネーブ議定書の4カ国が主)が邪魔して独立させ続けようとしていた。むしろ局外中立の逆を指向していた。
チェコは独立直後からスロヴァキアを従えたり、ハンガリーから領土分捕ったりと拡大志向だったし、一方で小協商とかを組織して対独軍事同盟の一環を担っていた。局外中立と真逆。
ポーランドも独立直後は戦乱に乗じて領土拡大しているし、ピウスツキは初期からヒトラーの危険性を見抜いて武力対決待ったなしと行動していた。局外中立と真逆。
それ以前の大戦争、普仏戦争や普墺戦争やナポレオン戦争や七年戦争やオーストリア継承戦争やスペイン継承戦争に局外中立が関係あるのか? あったら教えてくれ。
「北朝鮮情勢で日本孤立化。安倍総理が平和的じゃないからだ。」て言ってる人いるけど北朝鮮問題では最初から日本に発言力なんてなかったじゃないか。
北朝鮮が頑張って射程を伸ばしてたのはアメリカと交渉するためだろ。日本が標的ならそんなことしないよ。日本が射程に入ったの何年前の話だよ。
最初っから日本は蚊帳の外、北朝鮮は日本なんか相手にしてないんだよ。属国に話を通す理由なんてないからね。
「安倍総理は戦争したがってるからダメ、平和的解決を狙っている文大統領の方が上手、あれだけすり寄ってたトランプ大統領にも無視されて孤立化してる」っていてる人たちはなぜか自衛隊の行動範囲拡大や核武装などの軍拡には反対なんだよね。
拉致された自国民を救出にもいけず領有権を主張してる北方領土や竹島も奪い返せず貿易ではなにかと圧力をかけられ自国にいる外国の軍隊に何も言えない国が国際舞台で何を言おうと誰も聞かないんだよ。
御成敗式目は「道理」と「先例」に基づいているというのは中学校とかで習うことだが、これに典型的に表れているのだが、日本では「思想を持たない」というのが思想であるわけだ。武士社会に通底する何等かの思想があってその思想を法律として表現したものではなかったわけで。
例えば過去中国ではあらゆる法律と制度が天命思想に基づいていることは当然のこととされていた。この為天命思想の確立に力添えをしてきた時代ごとの思想家たちが偉大な思想家として記憶されている。現代中国では天命思想は否定されている。しかし、思想に基づき国家が統治されるというのは今でも常識であり、だからこそこの前の党大会で習近平思想の扱いがどうなるかが注目されたわけだ。
では遠くヨーロッパを眺めてみればどうかと言えば、メルケルの発言を見てみればよい。
ヨーロッパがキリスト教クラブでないというのは正しい。しかしヨーロッパが人権と市民権を基本とするというのもまた事実です。そしてここドイツでは、人権と市民権をキリスト教的人間像に重ねているのです
ここでは明確にキリスト教という思想(思想と宗教を区別する人たちも世の中にはいるがあえて区別する必要はないと俺は思う)に基づいて統治が行われることが宣言されている。だいたいメルケルの政党の名前からして「キリスト教民主同盟」なわけで。
このような考え方があるため、ヨーロッパにおいても偉大な思想家というのが度々現れる。
思想とはもちろん政治思想だけを指すのではない。だが、個人の生き方という面でも日本では思想は明確に否定される。状況に応じて態度を切り替えられる人間が通常日本社会ではまともな人間として扱われるのであって、強固な信仰や思想に基づいて一貫性のある立場を取ろうとする人間はあまり高く評価されない。究極のプラグマティズムであり、究極の事大主義だ。
こうした社会においては「偉大な思想家」は存在し得ない。このような社会の状況を言論で表現する学者は過去様々に存在していたが、当然ながらそのような人たちは記憶されることもない。
一向宗や創価学会など政治的に大きな影響を振るった新興宗教もいくらかあったが、結局のところ日本社会の伝統に破れていった。石山合戦は織田信長の勝利に終わったし、公明党は池田思想を捨てて自民党の改憲、軍拡に追従する勢力となった。その自民党にしたところで明確な戦前回帰のような思想があるわけでもなく(故に日本会議のイデオローグたちは安倍政権に批判的である)たんに「アメリカに言われたから」とか「北朝鮮が」「中国が」などという状況に反射的に対応しているにすぎない。
最近、北朝鮮の脅威に備えるために憲法9条を変えろという意見をよく見聞きするんですが
実際変えたところでどんな意味があるんでしょうか…?
仮に今自衛隊が無かったとして、「9条があると自衛隊を作れなくて日本を守れないから、9条を変えて自衛隊を作ろう」というならわかりますが
現実には自衛隊は存在するわけで、9条を変えたところで現状は何も変わらないのでは…?
そもそも現行憲法でも個別的自衛権は否定されていないはずなので、北朝鮮のミサイルを撃ち落とすことは今の憲法のままでもできるわけですし
学校で9条を習う時、「政府は、自衛隊は『必要最低限度の実力』であり、憲法違反ではないとしている」と教わりました
それともいままでの日本政府の見解のほうが間違っていたということですか?
「違憲っていう人もたまにいるけど、政府が戦力ではないから合憲だって言ってるし、自衛隊をなくすわけにもいかないからいいんじゃない?」
という感じの認識の人が、現在使われている教科書で勉強した人には多いと思います
憲法は、時代の流れに合わせて問題があったらどんどん変えていいものだと思います
例えば同性婚は憲法違反だからできないという話を聞いたことがありますが、実際に同性婚したくてもできない人が困っているのなら、
しかし9条を変えても現状何も変わらないので、変えるメリットがわかりません
逆にデメリットとしては、北朝鮮に「日本が戦争しようとしている」と思わせてしまい、北朝鮮が軍拡を正当化するための言い訳として利用することが予想されます
そもそも自衛隊はアメリカ軍などに比べたらはるかに規模が小さく、しかも日本は北朝鮮の脅威の最前線に位置しているのだから、
どこか遠い国の戦争に首を突っ込んでしまったら国内の守りが手薄になり、本当に日本が攻めてこられたとき守れないと思います
9条を残すと、自衛隊の海外への大規模な派遣を求められたときに断る口実として、日本の国益のために利用出来るというメリットがあると思います
9条変更反対だとネットで書き込むと「反日だ」などと言われてしまうのですが、
むしろ自分は日本を愛しているがゆえに、実際に日本が攻められたときにどうしたら守れるかを真剣に考えた結果、
9条変更は日本を守ることにはならないのではないかと思いました
もちろん、自分は憲法を絶対に変えてはいけないなどとは思っていません
今後もっと詳しく勉強していく中で、もし仮に変えるメリットがデメリットを上回っていると思うようになったとしたら、自分は9条変更賛成派に回るだろうと思います
2ちゃんねるや普通のまとめサイトはネトウヨに独占されていて、
ちょっとでも彼らと違う意見を書き込むと見るに堪えないような汚い言葉で罵倒されてしまいまともに話が通じないので、
特に右寄りの方たちは「これで日本も、自国を自国の軍隊で守る真の独立が出来る」と勇ましい。
さて、そこで仮に現状のまま憲法改正がなされて右派の念願が叶った時、
日本はどのような状況に置かれるのかシミュレーションしてみよう。
文字通り敵(北朝鮮)を攻撃するための兵器を用意することとなる。
本来は中国やロシアとの摩擦を恐れて深く突っ込みたくはないはずだ。
世界の警察としての役目も終えるというのが彼の主張だった。
情報提供の継続と有事になれば米軍も出すという対等な同盟国というスタンスで。
日本に変わるだろう。
×月×日
アメリカより北朝鮮がミサイルを発射する準備があるとの報告がきた。
ここ数日、北朝鮮は日本を激しく非難する報道を繰り返していた。
金正恩は数日前に、
「アメリカではなく、我々を攻撃対象として軍拡を進めている日本への報復が必要である」と声明を出していた。
アメリカは、「日本を名指ししている以上、こちらが日本を差し置いて攻撃することは出来ない」というスタンスだ。
さて右派のみなさん。
日本の選挙において、経済的な格差というのが投票行動に影響を与えているようにあまり見えない。すなわち排外主義、財政大拡張、軍拡、警察拡張、ばらまき万歳な極右、極左政党、候補者があらわれ支持を伸ばすという欧米で起きている現象が起きていない。
維新の会、民主党政権、安倍政権、小池百合子をこういう現象にあてはめようとする論者も多数いるが、はっきりいって彼らの間に政策面での差異はほとんどないし、彼らが社会の分断を利用して支持を伸ばしているなんてことも全然ない。
では日本社会において、経済の発展や変化についていけずに見捨てられていった人々がいなかったかといえばそんなことは当然ない。では彼らはどこへ行ったのか。それは創価学会だ。創価学会は都市部において見捨てられ、コミュニティからはじき出された人々を吸収することで成長してきた。そして創価学会は彼ら見捨てられた人々を公明党を通じて穏健保守勢力に変換してきたといえる。これこそが日本社会が安定している最大の要因だ。
最も創価学会に批判的なジャーナリスト、例えば野田峯雄のような人たちが見積もったところによると、 2010 年代の日本においても創価学会員はおよそ 500 万人も存在しているという。これは日本の国政選挙における有効得票数がだいたい 5000 万とか 6000 万だとかいう数であることを考えると驚異的な数で、日本の政治勢力の 10% 近くを占めている。
創価学会がまとめあげている勢力の 30% が欧米のように過激派に参画し、残り 70% も公明党にまとめられることがないとすれば、トランプ現象のようなことを起こすことはできないまでも、ギリシャにおいて独立ギリシャ人が与党入りしたという現象ぐらいまでは起こせるだろう。
池田大作は創価学会こそが日本の背骨であり、自身は庶民の王者だなどとうそぶいていて、創価学会に批判的な人々からは厳しく批判されているところだが、はっきりいって客観的に見た限りそれは事実だ。創価学会こそが日本社会を底辺から支え安定させてきたし、池田大作は日本におけるもっとも偉大な宗教家であり、聖人の中の聖人だといえる。池田に批判的な人々は池田の思想は仏教とソクラテスから都合のいいところだけとってきたいい加減な思想だというが、それがなんだというのだ。ムハンマドの思想はユダヤ教のいい加減な解釈にすぎない。思想の内容が問題なのではなく、池田大作という偉大な個人こそが問題なのだ。
ここで問題となるのはなにか。それは池田大作自身がその事実を認識していなかったということである。池田は自身のことを宗教、政治ビジネスの天才と認識していても、偉大な宗教家とは思っていなかった。故に彼は大いなる過ちを犯した。彼は創価学会が成功したのは、選挙活動による成功体験を信者にあたえ、そしてそれによって得られる集票力を換金するというシステムがうまく回ってきたからだと認識していた。しかし実際には違う。創価学会員たちはシステムの一員なのではなく、個人の資格において池田大作という偉大なカリスマと繋がりをもつことによって精神的な安寧を得ていた。
池田はこの事実をうまく認識していなかったフシがある。というのも池田は自身の宗教帝国を息子たちに世襲させようと企んでいた。しかし池田は息子たち、すなわち城久や博正を鑑定するにおいて組織のリーダーとしての資質は厳しく鑑定したが、宗教家としての資質を重視していたということは全くない。池田はあくまで創価学会を詐欺的な政治ビジネスだと捉えていた。
もし池田大作が自身を聖者だと正しく認識できていれば、池田大作以後創価学会を正しくシステムとして回していくための方策をとることができただろう。しかしそうではなかったので、創価学会とは平等な個人が池田大作と精神的な繋がりをもっているだけの人間集団であって、組織たりえなかった。そしてその創価学会を放置したまま池田大作は倒れてしまった。
ここで池田博正が冷徹な組織の管理者として創価学会を大改革することができれば、それはそれで道はあっただろう。しかし池田博正は温厚かつ誠実な池田大作信者にすぎず、その大任を果たす意思も能力もなかった。
今はまだよい。惰性によって創価学会は続いている。公明党は穏健保守勢力として機能している。しかしカリスマ、池田大作亡き(亡きといっていいいだろう、生きてるんだろうけど)今、創価学会が機能を停止する日はすぐそこだ。そうなったとき、日本社会の見捨てられた人々を連帯させるものはなにもなくなり、その時はじめて日本社会は本当の極右、極左勢力というものを目にすることになる。
まー「日本を愛してるから反核!原発反対!オスプレイは出て行け!」も「日本を愛してるから軍拡賛成!中韓には強硬姿勢を!在日は二世も三世も出て行け!」も同じ愛国者だからね(笑
辺野古移設は、沖縄県における米軍基地を縮小するために行うものだ
辺野古に移転すれば普天間が解放され、那覇空港の周辺にある普天間が発展し
http://www.pref.okinawa.lg.jp/site/chijiko/kichitai/documents/2sho.pdf
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・縮小面積計 ・・・5037h
これだけの縮小が1996年に決定されている
沖縄各地から基地がなくなって、そのかわりに移転先として辺野古に小さな基地を作るというだけなのだ
沖縄全土からすれば辺野古に移設したほうがはるかにメリットがあるのではないか
逆に言えば、辺野古に移転しないということは、沖縄の各地にこれだけの基地を残すということだ
http://ameblo.jp/nihonkaigi-yachiyo/entry-12138001630.html
このブログ、「pefect human」が反日歌だと主張しているのだが、糖質も思わず是正してしまいそうな破綻性を帯びながらも
ジェットで大気圏を突破してしまったからなのか、ある種理不尽ギャグとしても通用するのではないかと思った。
nakata→千代田など常人では考えも付かない狂気のこじ付けを行うにはいささか躊躇があったが試しに何曲かやってみた。
ドラえもんのうた
こんなこといいな→日本社会を思い通りに操りたいという勢力の本音
みんなみんなかなえてくれる→あまりにも思い通りに行くので笑いが止まらない様子
ふしぎなポッケで叶えてくれる→不思議なポッケ、つまり特権を駆使してナマポを受給する在日の話
ハイタケコプター!→hi take cop tard(copは警官の意ではなく、日本の国土を守る自衛隊を意味する。takeから殲滅、始末を馬鹿(tard)な自衛官を殺せという意味合いが取れる)
アンアンアンとっても大好きドラえもん→unは勿論、国際連合を意味する。とっても大好きとは現在の国連事務総長である潘基文に忠誠を誓えと日本に対して服従を迫っているのだ。三回繰り返すのは清王朝の伝統的儀礼である三跪九叩頭の礼に由来する。
と軽く書いてみたが、この時点で大分生命力を吸い取られた感が凄いのなんの。だが中々上出来ではないだろうか。コツとしては抽出的な文に主観を入れて改造すること。要は連想ゲームと同じである。
リンゴ→血の色のように不穏なワードに直結させればいいだけの話だ。
これでやれば軍歌でも反日ソングであるとこじ付けられる。では軍歌と言えば定番の曲で妄想歌詞言ってみよう。
守るも攻めるも黒鉄→くろがね、つまり東京大空襲で爆撃された焼夷弾に焼かれ黒焦げになった日本人死体。
浮かべる城こそ頼みなる→浮かべる城、浮かぶ巨大物といえば空母である。中国海軍が軍拡で遼寧級空母を導入したのは記憶に新しい。つまりそういうことである。
浮かべるその城日の本の→空母を日本に浮かべる、日本国の固有領土である尖閣諸島の近海に空母を浮かべろと主張しているのだ。
仇なす国を攻めよかし→これは説明するまでも無い。完全に宣戦布告であり有事の準備のために、即座に核武装果たすべきだ。
とネトウヨの物マネをしてみたがいかがだっただろうか?正直これだけで精神値が減少を留めないので、これ一回でやめにしたいと思う。
そう聞かされて来た。
それに対してどうのこうの言うつもりは毛頭なく、ただ、何かに似てるなと思ったら、
日本は9条があるから守られていると言う変な幻想を未だに唱えてる集団と、根本は同じじゃないだろうかと。
戦前、日本はその特殊なメンタリティ、国民性、さらに外交の稚拙さ故に世界から孤立し、戦争へ走った。
きっとばあちゃんの「神の国」という言葉も、そういう中で周囲からそう教育されて来たんだろうと。
でも、その周囲を作ったのは誰なんだろうと考えると、それは当時の政府・軍部もあるだろうけど
それを煽り立てたメディアであると言う事は、今では誰もが知っている事。
翻って現代、「戦争法案」を唱え、本質を歪曲し誇張して煽動しているメディア。
9条と言う実体のない「神」が居れば救われると思ってるお花畑の人達。
そういう意味で、「戦争は悪だ」「日本が悪い」だけを植え付け、「なぜ戦争に走ったのか」について
正面で向き合ってこなかった戦後教育の恐ろしさが、ここに凝縮されている様な気がする。
神である9条を唱え、自分たちは独立独歩でやって行くと、他国に一切干渉せずやって行くと、
それが出来るならそれでいい。だが、それならば尚の事軍備を強化する以外、自国を守る手段が無いよ?
おいおい、これって戦前と同じ構図じゃないか?