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はてなキーワード: 被差別部落とは

2013-07-27

山口集落連続殺人って結局被害者は殺されるべきだったのか?

カツヲを何度も殺しかけたりイジメ抜いたりで村八分してたのは間違いない。

村に来るまでは温厚な人だったそうだし、人間をここまで変えられるのは田舎人間だけだ。

限界集落っていうか、被差別部落と言った方がいいかもしらん。

都会にもあるだろう?

同和地区っていうのが、被差別部落と同じ意味として見ても良いと思う。

かくいう俺も同和地区引っ越した時新地出身てことで学校じゃ集団無視されて、

それを教師に言うとお前が悪いと怒られたもんだ。

そこは『日本の行ってはいけない場所』で有名な大阪長居公園近くだ。

あそこは当時オウムの管轄だったし危ない所だと知ったのは卒業後だった。

話を戻すが、山口のアレももしかしたらカルト宗教が入ってたんじゃないか

そしてカツヲはそいつらの洗脳に付いて行けなくて関わるのをやめて自治会も辞めた。

そのツケが後にお前の貰った退職金払えというジャイアニズムと従わないなら草刈り機燃やす

お前も殺しても良いんだぜと包丁(ナタ)でグサリ。

そして、悲劇は起きた。

殺された奴には悪いけど、こういう事情があって、しかも殺されなかった連中はこの事実隠蔽さえしようとしてたし、

カツヲが見つかった時には「なぜ生きて捕まえた」と発言するなど村全体が異常なのは間違いない。

から殺されなければならなかったのかもしれない。

俺がもし同じ立場にあったらやっぱり殺してたかもしれない。

窮鼠猫を噛むの故事と同じで、人間追い詰められたら何をするか分からないし、

ここまで村全体でたった一人の住人を追い詰める異常な環境を見ると

同情するし死刑は免れないだろうけど、情状酌量の余地は十分にある。

それにしても泣けてくるのは、その前にカツヲが警察相談していたにも関わらず警察が何ら対策を講じなかったことだろう。

村全体がクズな以上、頼りになるのは外部しかない。

父親が死んで身寄りのなくなったカツヲに残されたのは知人から譲り受けた犬二匹だけだったし、

からこそ警察を頼ったが軽くあしらわれるだけ。

これでは残された道は一つしかなくなるんじゃないか

被害者は殺されるだけの十分な理由があるし、警察は頼りにならない。

となれば、カツヲが殺すのはもはや時間の問題だったと思う。

惨殺される位だからよほど恨みがなければ起こらない。

殺した上で放火したのは、多分草刈り機を燃やされた事、あの張り紙の真意と村人への殺意を明らかにするには

これ以上明白な証拠はないと言える。

やはり被害者は殺されるべきだったと言わざるを得ない。

殺す道理は確かにあった。俺が同じ立場でもやったと思う。それだけこの村八分は異常だということ。

事実だったらね。

田舎で見かけるという「くねくね」や「八尺様」は障がい者差別隠語

くねくねは精神障碍者のことだし、八尺様は統合失調症のこと。

コトリバコに至っては達磨とか身体障害者のことだし。

2ch等でさもオカルトホラーだと言われてるのは現実に起こってる限界集落やド田舎に住んでる人、被差別部落者への差別

「くねくね」や「八尺様」といった架空の怪物に変化させただけ。

2chの連中はそれを面白おかしホラー話にしてるけど、正直こういう奴等こそ精神がやられてると思うね。

2013-07-23

http://fummy2ne.blog81.fc2.com/blog-entry-87.html

あのパンフレットは巻き三つ折り。

表紙は「御供養のご案内」「東法協会」。日本胞衣ナントカは裏表紙に位置する。

あれを見て

中絶胎児の投げ込み対応施設(パンフ見れば十分分かる)に対して投げ込む側の親が懇切丁寧な情の溢れる対応無料で求めるとか、どれだけモンスタークレーマーだよ・・・というのが業者側の感想だと思われ。

おかしい。まあ無理筋の荒らしなんだろうけど。

で、明らかに「東法協会」は実態のない団体。だからこそ電話口で応えない。

後、名前を名乗らないのは胞衣処理の歴史被差別部落民の仕事として差別とともにあるからですよ。相手の対応を笑う前に少しは自分の身の振り方を考えては?

差別どうこうは「東法協会」名義の電話を据えてどうどうと名乗ればいい話だ。

立ち会い10万がなぜ発生するのか?ならば普段の法要はどうしてるのか?リアルにこの寺に聞く以外ないんだろうな。

また、この業態のためにもこの晒し妥当だろう。

仕事でやって良いこと、踏み越えてはいけないラインがある。

2013-06-02

http://anond.hatelabo.jp/20130602000802

右も左も、嫌いな奴に対しては平気で人種差別的な言葉を投げ付けるからな。橋下徹被差別部落出身からって、揶揄して喜んでる左翼が居るくらいだし。

2013-05-26

http://anond.hatelabo.jp/20130526200924

そもそも、「他所もやってる。あるいはやってた」が通用するなら、エタ非人の問題だって「当時は国内法で合法」だったのだよw

からと言って、今現在被差別部落差別が合法にはならんでしょ?、それと同じ理屈よ?

まぁ、右翼の中には「当時は問題なかった」なんて発言を真面目に言うヤツもいるけどね。

2013-05-24

http://anond.hatelabo.jp/20130524091525

被差別部落出身者=差別構造に切り込む資格がある=ぼくが一番差別をうまく論じられるんだ!

2013-03-28

NHK通名報道差別じゃないの?

在日朝鮮人中国人に対して失礼だよ。

彼らにもアイデンティティーがあるし本名だってあるにもかかわらず何の配慮だ?

同和地区(被差別部落)のように何か触れてはならないパンドラの箱でもあるのかしら

どっちにしろ通名報道差別だよ

2013-03-01

 

いまどき、部落と聞いて「被差別部落」の事を「差別されてる部落」って解釈する人はいないよね。

被差別部落」はその名の通り都市部とは差別された集落空間の事なのよ。

それを朝日新聞は何を曲解したのか、今部落解放同盟が主張しているような内容に置き換えてしまったのが原因だろう。

今でも部落と聞いて「差別されてる部落」と感じる人は頭が悪いしか言いようがない。

実際に差別されてるのは「被差別部落」の人間じゃなく、そこに引っ越してきた「新地区」の人達だよ。

彼らは何も悪い事をしていないのに風紀が乱れるという理由で町内会にも出席させてもらえない。

もちろん伝言板も回ってこない、これが本当の「差別」だよ

2012-10-23

週刊朝日橋下徹批判の何がいけないのか

公人の生い立ちを考察するうえでどこまで許されるべきなのか。

人は生まれる場所を選べない。もし、被差別部落出身者で父親がヤクザでという生い立ちが、橋下の人格形成に影響を及ぼさなかったとすれば、W.ブッシュ富豪で大政治家の家に生まれて叱責を受け続けて育ったという経歴についてもそこから彼の性格を読み解くべきではないだろう。

公人そのものについてはいいとしてもその周辺者についてはどうあるべきかという問題もある。例えば今回の件は、橋下の父は自身は公人ではないにもかかわらず、プライヴァシーを露呈させられた。両親や配偶者など、ごく親しい人物については公人について生い立ちを語るならば言及せざるを得ず、彼らのプライヴァシーの問題もある。

私たち竹下登の生い立ちを知ることによって、彼の最初の妻が、彼の実父によって強姦されて自殺したことを知っている。

私たちクリントンの義父が家庭内暴力を繰り返し、その男から母と幼い弟を守るためにクリントンが神経をすり減らさなければならなかったことを知っている。

公的には犯罪として処理されていないこうした事例における、竹下登最初の妻、父、クリントンの義父のプライヴァシーについてはどうやって保護されるべきなのか。

エリザベス女王は4人の子のうち3人までが離婚したことについて親の教育が悪かったのではないかと批判された。そうかも知れない。そうではないかも知れない。

田中真紀子には子が二人いて、角栄から後継者と目された息子とは絶縁していて、娘は日本経済新聞社に勤務し、離婚している。

その娘の離婚について週刊誌報道した際、裁判になり、子のプライヴァシーは公人の情報とは成り得ないと判断が出ている。

子が親の教育によって生育されるなら、選べない親よりも、公人のひととなりを判断する材料になるはずであるが、司法はそうは考えていないらしい。

石原慎太郎は、出自からなにから公人は明らかにして、有権者の判断を仰ぐべきだとかつては主張した。その判断からか、在日朝鮮人から帰化した新井将敬について、その出自を喧伝するビラを配布した。新井将敬帰化であることを伏していた。

今回の件で週刊朝日を擁護するならば石原慎太郎も擁護されるべきかも知れない。

さて、橋下の出自については何をいまさらという話である。みんな知っている。

それについて週刊文春報道した時にははてなサヨクの人たちの中では、それはそれとして、文春の姿勢を批判する声も多かった。

固有名詞が文春から朝日に代わると、そういう声はほとんど見られない。

不思議である

2012-10-20

本来無関係な人にとばっちりが来るのが問題なんだよね

http://anond.hatelabo.jp/20121020130051

よく「私人と公人ではプライバシー保護レベルは違う」と言うけど、

公人の出身地であることを理由に被差別部落地名実名報道しても許されるのだろうか。

橋下と出身地が同じという人は、それだけで被差別部落出身であることがわかってしまうんだが。

記事タイトル自体、「橋下」姓の人を被差別部落出身だと思わせる意図があるんじゃないか

2012-10-19

被差別部落出身」をにおわせたら差別(・A・)イクナイ!!と騒ぎ、フォロワーも「差別悲しい・・・私の友だちから聞いた話ですが在日・・・彼が被差別部落・・・自殺・・・」というコピペで応酬するという胸熱な流れ。差別ってそんな軽くないだろ?と差別経験者は思った。あの記事でひどいのはうんこ扱いされたところ。どんな差別よりもうんこ屈辱的。そこはうんちに訂正すべき。

みんなちゃんと気付いてる?

大阪市の橋下市長が、週刊朝日にて掲載されている自身の出自をめぐる記事について吠えている。

メディアを通じてこの件について知った人も多いだろう。

多くの人は、また橋下市長が例のごとくメディア喧嘩をふっかけて自身および維新会の露出を増やすための作戦と思っていることだろう。

彼のtwitterを見ても、ああまた火がついたんだな、という程度に思っているはずだ。

だが、今回のこの週刊朝日の一件については、自分自身この記事はありえないと思う。心底唾棄すべき記事だ。

この号の実物を見ていない人もいると思うので表紙の画像を貼っておく。

http://publications.asahi.com/ecs/image/cover_image/14316.jpg

内容を見る前にまず、このタイトルに注目して欲しい。

ハシシタ 救世主衆愚の王か」とある

私は、このハシシタという表現は、橋下市長をあえて揶揄するために、こういう読み方にしたのだったと最初は思っていた。

先ほどふいに田舎の父親がかつて部落差別のついて語っていた際に、被差別部落の人たちを「橋の下」という言葉で蔑んでいたという話を思い出した。

そこではたと膝を打ったようにこの記事のタイトルにかけられた悪意と下劣さが私には分かったのだ。

佐野眞一というノンフィクション作家については対象者のバックグランドを描く際にルーツおよび血縁にこだわることを特徴としている書き手である

ノンフィクションとしてそういうアプローチの仕方があることは否定しない。たとえば、ソフトバンク孫正義社長を扱った昨年の昨年、「あんぽん」などは同じように孫社長ルーツであるところの、福岡朝鮮部落に始まり、親戚一同をそこまで描く必要があるのかというぐらい血脈にこだわった取材が行われている。

その結果、「あんぽん」という作品自体は孫社長も認めるほどのノンフィクションとして無類の傑作となっている。

いっぽう翻って対象者を橋下市長に変えた今回の週刊朝日の連載については、そのアプローチ自体は佐野眞一のいつも手法として認める側面がありつつも、父親不在という事実を前にすれば、そもそもそういうアプローチは成立しえないのではないかという危惧もいだいた。

その点では橋下市長が血脈主義嫌悪して怒る理由も分からなくはない。

ただ、このハシシタという表現意図が分かった現在では、週刊朝日は言論機関として自殺したにも等しいと認識している。

私としてはここにいたって橋下市長の怒りの原因がようやくわかった次第だ。

と、こんなことを書きながら、もしかして他にも同じことを思っている方がいるか思い、「ハシシタ」で検索すると以下の記事が見つかった。

より分かりやすくこのことを説明してあるので、この件の意味がわからない方はぜひ読まれたし。

http://agora-web.jp/archives/1494858.html

2012-10-13

とある地方公務員生活保護について書いた

予想以上にブクマが増えて恐縮しています

公務員だけど、公務員残業代問題に潜む高齢者問題

http://anond.hatelabo.jp/20120922164617

とある地方公務員が日々思ったことを10コラムに分けて書いてみた

http://anond.hatelabo.jp/20121012225331


今回は生活保護に焦点を絞って書きたいと思います

 生活保護財政圧迫は嘘

生活保護の増大が財政を圧迫するといわれていますが、少なくとも私が務める町では財政圧迫はありません。

そもそも生活保護の財源はほとんど国が負担しています。詳しく言うと、生活保護の大半は国庫負担ですし、残りの部分につきましても地方交付税補填されます

したがって、実質市町村負担は0です。いわば、中央から地方への再分配的側面が生活保護にはあるというわけです。

※ただし、大阪市のような特殊都市財政を多少圧迫しているでしょう。詳しく財政分析していなので半端なことはいえませんが、大阪市生活保護問題全国的に見ても特殊です。

その背景には、西成地区存在、同和被差別部落問題在日コリアン差別問題など多くの問題をはらんでいますので極めて慎重に検討するべきでしょう。

 自分の優良顧客生活保護受給者と気づかない人々

さて、町の零細商店主はだいたい税金相談や、補助金相談にお越しになります

そこで、生活保護話題になると、以下の様な要約になります

「ワシらが苦労しているのに、生保のくせにタバコを吸ってた、昼間からパチンコ行っている、本当に許せない」

といった内容です。

それは確かに許せない気持ちになるのもわかりますが、実際生活保護受給者は小さい零細の店で買い物をすることも多いです。

特に近くにスーパーがない場合は、そのような零細商店で買い物をしています

これは小売に限らず地元不動産病院も当てはまります

地主不動産業者ならば住宅扶助病院なら医療扶助というよう少なから生活保護受給者が顧客になることがあると思います

具体例をいうと、築20年以上経った物件で、普通の人ならば住まないようなアパート生活保護受給者が利用する事が多いです。

その際、行政家賃を支払うので地主は食いっぱぐれません。加えて、住宅扶助上限まで家賃要求する地主もいます

というわけで、間接的に生活保護恩恵を受けている人が案外多く、彼らの生活保護受給者が優良顧客になっているわけです。

 生活保護受給者を支える共産党ネットワーク

生活保護の窓口には結構な頻度で市民団体を連れて生活保護に申請にお越しになります。誤解されている方もいると思いますが、そういう市民団体やら弁護士共産党が連れてきたかビビって支給するわけではなく

同行してくるということはある程度、要件は満たしているということが担保されているのでスムーズ支給できるだけのことです。

それに手続きもだいたい、彼らが受給希望者にマンツーマン指導するので手続きミスも少なくなるので事務作業が多少軽減されるんですよね。

生活保護というと、かつて水際作戦というものがあり問題になりましたが、現場の職員としては要件さえ満たせば支給します。別に支給を渋っても何のメリットもこちらにありませんし、逆に後で餓死なんてことになったら一生トラウマになります

共産党というと何か全共闘混同しているかもしれませんが、比較的穏やかな人が多いです。

あくま生活保護に限っていえば、生活保護に限らず、多重債務DVといった福祉現場で働いたときには何やかんやで地域共産党ネットワークと関わることになります

やはり、弁護士社会福祉医療機関など幅広くパイプをもっているので、何かと相談やすいんですよね。民商やら医療生協やら、小さい市民団体などはお世話になりました。

地方ではなぜか共産党系が議席を保っているのも何か頷けます

 でもやっぱり生活保護はイヤ

地方ムラ社会ですので、やっぱり生活保護受給者は肩身を狭い思いをします。

バレると、村八分はいいませんが町内会から徐々に距離を置かれます

本来はそこで地域が支えるべきだと思うのですが、結局行政が面倒を見なくてはいけません。

それに生活保護受給者の大半はお年寄りで、基本的に真面目なので生活保護を受けることにかなりスティグマを感じているようです。

生活保護権利だといくら共産党系の方が言っても、当人あくま生活保護は「施し」だと思っているし、周りもそう思っている。

加えて、最近河本報道で余計に生活保護受給者を取り巻く環境は厳しくなりました。

残念なのが、生活保護など知らなかった子供が知名度が高い河本報道きっかけに、生活保護を受けている子供いじめるという事例が報告されていることです。

これは昔からありましたが、それがより一層エスカレートしているように思われます

大人はいじめはダメだというけど、生活保護受給者を軽蔑するのは良しという風潮が、何も関係がない子供に及んでいる現状はあまり悲惨です。

 生活保護公共事業も結局バラマキかもしれないけど・・・

生活保護公共事業も結局バラマキだというけれど、地方においてバラマキ経済以外の経済モデルでは存続できないのも事実です。

ロクな企業もない、ましてや産業もない。結局、減税だの、規制緩和だのやったところでそもそもプレーヤーが少ない地方経済において何の効果もなく、逆に財政が逼迫したことは小泉政権期に行われた三位一体の改革でわかると思います

それは自民党から共産党まで結局、いかにして富を中央から引っ張ってくるのか、ということが至上命題になるわけです。

当然そこには業界との癒着という問題もありますが、それを見過ごしても余りあるメリット地方にはあるということです。

これが地方が結局中央依存した経済構造がもたらした弊害なのかもしれませんが、もはやそれ以外に生きる道は地方にはありません。

昔、増田エントリーに以下のようなものがありました。

イギリス暴動の裏にある鬱屈絶望について

http://anond.hatelabo.jp/20110816094649

これと同じようなことが日本の片田舎の町でも感じられます

まり現在行われている生活保護バッシングは言ってみれば、納税者復讐であり、その矛先が税金の受けてである生活保護受給者です。

そして、同じく税金生活している公務員例外ではありません。

日々、地域と関わっているといろんな影の部分をみることになります生活保護の家庭で育った子供たちは果たして中学校まで卒業できるのか、消費税増税によって経営が本当に回らなくなる商店主はどうなるのか、

そういった現場を知ればしるほど、この国の抱える問題は非常に根深ものがあります


追記です

とある地方公務員日本共産党について書いた

http://anond.hatelabo.jp/20121015233513

追記 2014/12/20

ブログを始めました

とある地方公務員ブログ

http://toarukomuin.hatenablog.com/

2012-09-30

橋下徹大阪市長がなんで統一教会や民潭と仲良いのか分かった

昔橋下たそが府知事就任時に言ってた「僕は被差別部落出身」という発言があったけど、

部落出身てことは泉南市とか東大阪市とかの同和地区を指すよね。同和地区って在日朝鮮人がすごく多いんだよね。

からまり前原誠司衆院議員と同じ理由なんじゃない?

出身地が同和だから同胞にはやさしくしましょうってね。

差別イクナイ精神で昔みたいに同和地区の人を優遇しましょってのが今の橋下たそなんじゃないかな?

から日教組とも仲良しさんでしょ

ネトウヨのみなさんもこれでスッキリしたでしょ?

橋下たそは売国奴なんかじゃなくて、同胞を守りたい愛国主義者なんだよ!

2012-07-16

次の放送禁止用語

おし、つんぼ、"ぶらく"等の放送禁止とされている用語に新しく加わわるのは、「貧乏」だ!!

というお話

放送禁止用語には、その差別表現を理由・根拠としているものが多くある。

貧乏人」やら「貧乏の子」といった言葉には、間違いなく差別的な視点がある。

なぜ間違いないと言い切れるかというと、私がその立場にいる(いた)から

そして「貧乏人」と"言う側"には、先の「おし」や「つんぼ」も同じだと思うが、

往々にして差別的な意識が無い。というよりも、無自覚。

先天的な障害があったり、被差別部落出身であったりで、

"生まれつき被差別的な立場にいること"は「貧乏」にもあり得る。

また事故病気等の何かのアクシデントによって、後天的に被差別的な立場に立たされることもあり得る。

(まぁ、実際には事故病気よりも、不相応な借金やらギャンブルといった

 「自己責任」論に収束する事態がほとんどだろうと思うが。)

貧乏部落差別には近似性があり、

親の収入が子の学歴如いては収入に、子の収入は孫の収入に、と受け継がれ、

その螺旋からなんとか抜け出せた一握りの人間は、自分の生まれをひた隠し、

抜け出せない(出さない)大多数は「被差別立場」を享受していくんでしょう。

障害者差別との近似性では、

制度改革やなんやで、生ぽ受給額あたりを目安化、また可視化したら、

実質的には障害等級に近い振る舞いをするようになるんでしょうし、

差別差別が起こる土壌形成に一役買うことになるんでしょう。

だが「貧乏」と他の差別表現との間には決定的な違いがあり、

それは、そこ(その立場から脱出可能であること。

ということで、

社会が、貧乏からの脱却が不可能に、あるいはきわめて困難になった時、

貧乏」は姿を消し、一般的には「貧困」に、「貧乏人」は「貧困者」に、

口あたり・耳あたりのいい言葉として「お金不自由」・「お金不自由な人」に、

言い換えられる日が来るのではないだろうか。

個人的にはひとまとめに「poor」にしてもらって、

なんとも気の抜ける「プアー」をテレビ連呼するのをバカにしたい。

今の段階でも、貧困支援団体やら支援ネットワークあたりが騒げば、

放送禁止にできるような気さえする。

というか、最近テレビ(少なくとも報道系())では「貧乏」って聞かないね

2012-07-07

狭山事件を覚えておられるだろうか?

あの事件で被差別部落出身石川が(恐らく)冤罪逮捕された部落差別事件といえば有名だと思う。

あの事件ではネットでたびたび真犯人説が挙げられるが、その有力犯人説が被害者の兄というもの

兄は被害者と別れる数時間前まで共に農作業をしており、また兄自身の証言から脅迫状の存在などが浮き彫りになったという。ついでそれ以前に被害者と金銭的な問題を抱えていた。

被害者は死亡数時間前に性行をしており、胃の中からは昼に実習で食べたカレーライスの成分が残っていたがそれとは別にトマトが入っていたという。

そこで私は思った。

胃中のトマトはもしかしたら農作業中に食べたものではないだろうか。

とそこまで分かると誰が真犯人かが良く分かると思う。勿論、石川犯人という説も拭いきれない。強姦後の被害者の膣内から石川の体液と思われる成分が分泌されているためである

ただ石川自身は冤罪主張前に共犯であったことを示唆しているから、被害者の兄と石川共犯だった可能性もありうる。

何故か40年も50年もずっと闘争してきたこの事件もこう考えるといかバカバカしい事件だったか分かると思う。

(以下を参考)

http://sayamacase.web.fc2.com/1-raisonnement/sayama1.html

2012-07-05

部落教育の大迷惑

http://anond.hatelabo.jp/20120704205323


東北だと、集落やムラ程度の意味部落という言葉が使われる。

から城下町武家屋敷地域を除けば、農村地帯は全域が部落地帯。単に士農工商の農民しか住んでなかった集落のことに過ぎないから、いわゆる被差別部落部落とは全く違って補助金なんて当然出ない。部落という言葉はありふれて誰もが馴染んでいる日常用語だし、それ無しではどんな社会生活も成り立たない。小中学校時代も全員が部落の子供達だから部落差別問題は教育として取り上げようがなかった(子供が変な勘違いしたら大変なので)。


なのに近年関東以西の部落差別問題のせいで、東北部落まで名称変更をさせられて非常に面倒。

「ここから〇〇部落」の道路標識は一枚も余さずことごとく「ここらから〇〇町内会」に建て替えられた。老朽化していた訳でもないのに何故わざわざそんなことするのか。県庁教育委員会人達の話を聞いたら、他の地方人達が持つ部落意識への対策ということだった。東北部落部落問題の差別は無いとアピールして全国に浸透させる労力よりも、自分自分名称変更する労力の方がまだ少ないと判断したらしい。東北部落被差別部落では無いというアピールは、それこそが被差別部落に対する差別になるからできないし。


お陰で、あらゆる行政教育市民活動で、部落消滅のための名称変更が大進行中だ。「〇〇部落」と書かれた古くから伝わる記念碑や神輿も「部落」のところだけ修正された。「〇〇部落PTA」と書かれた交通安全旗とかも回収。今まで全部「部落」で習慣的に統一されて便利だった呼称が、何の決まりも無くバラバラに、一部は町内会と変更されたり、また一部は地域地区と変更されたりしている。全くもってゴチャゴチャと名称乱立でみんな大混乱。「消防団場合は〇〇部落が〇〇区域になったんだっけ?〇〇町内会?何だっけ?」と書類書くのもいちいち新名称を確認しなくてはならないので面倒臭い。そもそも、部落差別なんて過去遺物になってるであろう今の時代ガンガン推し進める必然性なんてあるのか。それに何より、これらの名称変更には、税金だったり部落の共同出費だったりして相当に無駄金がかかってる。


そんな訳で、どこかの意識の高い人達部落差別問題と騒げば騒ぐほど、差別を無くす教育よりも、部落差別対象だったという知識の方が広まって、今まで差別なんて無かった関係ない東北部落までもが差別対策をすることになってしまっている。余計な金払って伝統名称を排除した挙句に大混乱で、こんな面倒な羽目になってとんだとばっちりだ。

2012-02-04

コネ採用と出自や性別による採用って

http://kurokawashigeru.air-nifty.com/blog/2012/02/23-1903.html

コネ採用と出自性別による採用差別って本質的に違いがないと思うんだが。

確かにコネ努力で獲得しようと思えば可能だが、出自性別は獲得不可能なものだ。

しかし、コネがある人を採用したいという企業側の要求だけ肯定され、特定の性別出自の人を

採用したいというほうは否定されるのは何故か。政治的正しさとやらかな。憲法基本的人権からか?

(出自というと被差別部落の人を連想するが、イスラムだったり、キリスト教原理主義連想される

人は面倒だから落とされてそうだ。)

採用業務の効率を重視してコネが認められるなら男女別等の採用も認められてもおかしくない筈なのに、

憲法にそうあって、基本的人権からと言ってそこから先に立ち入らないのはおかしな議論だわ。

2012-01-16

障害者の星

乙武さんは重い障害者でも健常者より活躍成功できることを社会に示し、一部の障害者には希望を与えただろうが、

今まさに障害によって苦しんでいる人に対して「乙武さんは頑張ってるのに」という言葉がかけられる機会を作り、叩きのめしたのではないか

橋下さんも被差別部落出身でも差別を受けていない人よりよっぽど成功できる例を社会に示したが、

差別によって潰れた人間のことは叩きのめしたのではないか

性的虐待被害者水商売風俗に堕ちていくことが多いと聞くが、

性的虐待を受けていましたが、その悔しさをバネに勉強を頑張り、難関資格を取って成功しました」という例が次々出来たら、

堕ちていった性的虐待被害者に追い討ちをかけることになるのではないか

過干渉などの「毒になる親」からモラル・ハラスメントを受け続け無力感に苛まれてニートになる人は多いと聞くが、

「そんな親から仕打ちをバネに、勉強してエリート会社員エリート研究者になりました」という例が次々出来たら、

今まさに無力感に苦しんでいる人々を突き落とすのではないか

成功者が一人も居ない場合は「障害者部落虐待被害者ゴミカス人間ばかり」という偏見が生まれて問題ではあるが、

一部の成功事例を取り上げて「なんであんたもこういう風になれないの?」と言うのもまた人を苦しめることになる。

結論:人をひとまとめにして語ってはいけない。

2011-09-10

http://anond.hatelabo.jp/20110910155328

兵庫県南東部(被差別部落在日外国人も多い)で育った20代後半だが、同じく全く使った記憶がないな

知識として知っててもリアリティのない概念だなあって印象持ってたのを覚えてる

2011-07-28

http://anond.hatelabo.jp/20110728010708

横横横(ry

もし元増田

子供を作るならそれがどんな子供だろうと中絶するな、それが嫌なら最初から作るな」

という考え方だけだったら

迷惑って何?後ろ指って何?「迷惑」とか「後ろ指」なんてのは社会偏見産物しかないんだよ。そんなもんに屈服して迎合する事の方が間違ってる。

じゃあたとえば(引き合いに出すのは失礼だとは思うが他にいい例が思い浮かばなかったので)、あんたが被差別部落出身だとして、子供が生まれたら「後ろ指」を指され続けるかもしれんのだぜ?そんな社会にも迎合して、子供は諦めるべきなの?そしてそういう子供人生は「不幸」だなんて決めつける権利があんたにあるの?それこそが差別的じゃないの?

こんな事を主張しないと思うんだよね。

元増田障害者差別偏見と「子どもが不幸になる」という決め付けが嫌いみたいだから子どもが不幸になる可能性をちょっとでも論じた人を認めたりしないんじゃないかな。

http://anond.hatelabo.jp/20110728003238

横だけど

あんたが被差別部落出身だとして、子供が生まれたら「後ろ指」を指され続けるかもしれんのだぜ?そんな社会にも迎合して、子供は諦めるべきなの?そしてそういう子供人生は「不幸」だなんて決めつける権利があんたにあるの?それこそが差別的じゃないの?

私たちはこれと似たような理由で「子供を不幸にしたくないか子供は作らない」と決めている夫婦だ。

子供を産んだとして、その子が幸せになるか不幸になるかは分からないけど、少なくとも生まれてさえこなければ不幸にはなる事はない。これだけは間違いない事実だろう?

可能性を摘む事で不幸になる道を閉ざす事の何が悪いんだ。

株で絶対失敗しない方法というものがある。それは「株に手を出さない事」だ。それと同じだ。

自分たちで決めた事だし、その事を他人にとやかく言われる筋合いはない。

増田勝手に可能性に賭けていくらでも幸福を目指せばいい。

だけど他人にその賭け事を強要するな。

http://anond.hatelabo.jp/20110727114859

妊娠してみないと生まれてくる子供が正常であるかそうでないかからいかです

から妊娠する前に「生まれてくる子供が『正常』(正常って何?近視は正常なの?薬で症状押さえ込める糖尿病とか統合失調症とかてんかんとかは?)」かどうかはわからない、と覚悟は決めるべきだろう。

子供なんて大人になるまで育ててみなけりゃ後天性の病気や障害を負うかどうかもわからない、東大行けるかどうかもわからない、ニート引きこもりにならないかどうかもわからない、犯罪者DQNにならないかもわからないわけだぜ。それと何が違うの?

先天性の障害だけを忌み嫌うのを差別だと言ってるんだよ。

子供東大行ける見込みなければ中絶する」なんて親がいたら袋だたきに遭って当然だろ?

この自閉症児の親みたいに、後ろ指を指されながらわが子のために人と世間に迷惑を振りまき続ける人生は、かなり辛いと思いますよ。

迷惑って何?後ろ指って何?「迷惑」とか「後ろ指」なんてのは社会偏見産物しかないんだよ。そんなもんに屈服して迎合する事の方が間違ってる。

じゃあたとえば(引き合いに出すのは失礼だとは思うが他にいい例が思い浮かばなかったので)、あんたが被差別部落出身だとして、子供が生まれたら「後ろ指」を指され続けるかもしれんのだぜ?そんな社会にも迎合して、子供は諦めるべきなの?そしてそういう子供人生は「不幸」だなんて決めつける権利があんたにあるの?それこそが差別的じゃないの?

言っちゃ悪いが、あんたの人生が辛かったかどうかなんて知ったことじゃない。あんたと同じ障害を持ってても幸福に生きている人はいるだろうよ。逆に「健常者」でも「俺なんて生まれてこなかった方がよかった、俺を生んだ親を恨む」とかタワゴト抜かしてる奴は大勢いる(はてなには多いよな)。そんなの知ったことかってんだよ。

それでも、あなたは障害児の出産強要するおつもりですか?

ない。障害児が生まれて欲しくなければ、あるいはもっと一般に子供を持つことにリスクを持ちたくなければ「子作りをしない」という方法がある。それの何が不満なんだ?子供の選り好みをするなといってるだけだ。あんたの思い描いたとおりの子供でなければ育てられないなんていうのは「東大に行けない子はうちの子じゃありません!」という虐待親と同じだ。親になる資格なんかないんだよ。

2011-07-26

生の実感

今日、親から連絡が入った。もう限界らしい。

内容は聞いてないが、間違い無いだろう。父と母から連絡が入っているのだから間違いない。

しかし、仕事は決まらない。

大学を辞めた。

借金けが残った。

価値がない。

最善手が死ぬことだというのは明明白白だ。

しか死ねない。

が、家は出るべきだ。

ホームレス

日本においては日陰にいて人目についてはならない存在であり、新たな被差別部落民だ。

僕はそうなる。


思えば、受け身ばかりの人生だった。

何も創造的なことができず、インプットができてもアウトプットは乏しく、応用が利かず、不器用で、屑だった。

MARCH未満大東亜帝国以上の大学に進学したものの、就活に負けて意欲が減退し、卒論も書く手が止まりそれから一年天井を見ていた。

改善されるわけがなく、声とも似つかぬ音波で大学中退する旨を教授に申告する。教授は僕に期待していたのか、それともただの世辞なのか、今でもよく分からない。

よく褒められた。嬉しかった。でも、一度期待に応えることができなかったそれだけで息苦しくなり、死にたくなる。

もう教授最後の会話すら覚えていない。たった半年前なのに。


しかしたら、祖母に何かあったのかもしれない。

足を骨折してリハビリしていると聞く。震災以降、里帰りさえしていない。ましてや、祖母に顔を見せることなど、しようはずもない。

老齢の人が骨折すると、認知症を起こしがちらしい。

しかしたら、もしかするのかもしれない。

少し、胸が透く。

不快だ。祖母に何かあったと決め付けることで、自分を免責しようとしている。

ここまで堕落たか

ともあれ、頭の隅には入れておいていいだろう。


どのみち、屑なのだ。

出せる卒論も出さず、5年を無為に過ごした人間に、社会参与する資格はない。

企業人間だって、そんなクズを雇いたいとは思うわけがないだろう。

救いがたい。

免許も持っていない。癲癇なのだからこれはいいことだとは思っているが。

思っているが、それは重荷でしかない。

資格もない、取る気もしない、価値もない、生み出す気もない。


仕事に貴賎はないという。しかし、貴賎はないというが、あるだろう。

選り好みしてられる環境ではないし、選り好みしたっていいという意見もわかるが、許さないだろう、すべてが。

理想論が叶うなら、こんなところに身を窶してなどいない。

選別される覚悟で、選別しなければならない。

たとえ、ナチズムと言われようと。

しかし、私には選別する権限も、地位もない。

私は常に選別される。

私は選別された結果に、身をまかせるしかない。

それが、今の結果としての環境

あらゆる汚泥隠蔽し、露出を拒むその環境

その汚泥に埋伏するのが、私の結果。


埋もれる前に、生きた証を残せはしまいか

何も殺人をしようというわけではない。

しかし、私が生きていたという厳然たる事実を、残せはしまいか

石に名を刻むか。電磁位相投影させるか。

何か、ポジティブに、何かを残して笑って死ねる、そんな場はないか

しかし、一度踏み違えてはならない。

見方次第で、それは殺人と地続きだ。

モラルで留めよ。理性で留めよ。道徳は思想遺産。


親と連絡がつかない。

電話をかけても、連絡がつかない。

消える。親とのつながりから、私の記憶から世界から、私が消える。

虫っ子ひとつをたやすく殺す人間が、死に際に卑しく這いずり回る。

お前は蟻だ。

小学校の帰り道、何度踏みつけても死なずに逃げまわり、つま先に力を入れて踏めば軽く死ぬと学び、私が踏みつぶしてきた蟻だ。

お前は私だ、例外はない。


迷惑にかからず死ぬすべはない。すべては連鎖の只中に。

それは生きろという意味ではない。俺の見えないところで死ね、という率直な表現である

すなわち、死にたいならば、ホームレスのように死なねばならぬ。

鉄塊に投身などあってはならない。

そのような死の露出、生の証拠など、残してはならない。

酸素を取り込み、二酸化炭素を吐き出すよう、連続的に、無自覚かつ無意識に為されなければならない。

それが生死の狭間にあるべき姿なのだ。

死を知覚させてはならない。視圏に死を漂わせてはならない。


私は死ぬ。

お前も死ぬ。

苦しみ、安らかに、消え去よ。

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